マルコ王子がクローテルを待ち構えて駐留していたのは、東の国境の砦前である。
マルコ王子がオッカ公爵領に入るには、南の国境の砦を通った方が早いし、妨害も受けないが、
それではクローテルに会えないので意味が無いのだろう。
当時の都市は復興期の様に殆どが城塞都市で、周囲を城壁に囲まれており、その周辺に小村落がある。
そして、それぞれの領地の境にも砦と塁壁が築かれており、国境を守る砦の塁壁より外は、
どこの土地でも無い。
勿論、国境を全て塁壁で囲う事は現実的では無い。
整備された道や、その周辺の平らで移動し易い所に塁壁を築き、それ以外は進入が困難な山林や、
河川、沼地になる様にしておくのが普通だった。
人工的に丘陵を築いたり、態と荒れた山林を残しておいたりもするのも、国境を守る為である。
オッカ公爵領の東の国境は、西の国(ディボー公領)に通じており、慣例的に言うのであれば、
ここも一応はアーク国の領地である。
勝手に軍隊が駐留すれば、戦争準備と見做され兼ねない。
先述した様にマルコ王子一行は「軍勢」とは言えないが、疑われても仕方の無い状況ではある。
西の国やアーク国から軍隊を派遣される可能性もあった。
だが、仮に軍を派遣する場合でも先ず話し合うのが常識であり、国境沿いに軍隊、又は、
それに準ずる武装集団を発見しても、行き成り攻撃を仕掛けるのは、当時では非常識だった。
戦争の前段階として、「意思の確認」と「(最後通告を含む)警告」があり、同時に迎撃態勢を整え、
最後に「宣戦布告」があって、正式な戦争となった。
これを経ない戦争行為は、国際社会の非難の対象となる。
原典を見ても、マルコ王子の行動を非難する様な部分は無く、アーク国側が軍を動かした事も無い。
よって、マルコ王子一行は脅威とは見做されなかったのであろう。