ロスト・スペラー 20
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それでもビシャラバンガには未だ試していない事がある。
最後の巨人魔法、『翼ある者<プテラトマ>』だ。
魔力の翼で相手の魔力を吸収すると同時に、自分の魔力として放出する魔法。
「溜める」と「放つ」が基本の巨人魔法の究極。
それによって黒騎士の魔力を枯渇させられるのでは無いかと、ビシャラバンガは考えていた。
「……ニャンダコーレ、奥の手を使う」
「コレ、奥の手とは?」
「翼だ、翼を使う。
翼が見えたら、俺から離れろ。
2体同時に仕留める」
ビシャラバンガは背後を一瞥した。
復活した漆黒の獣が、接近している。
「……ビシャラバンガ、コレ、無理はするな」
「多少は無理をしないと勝てない相手だろう。
肉を切らせて骨を断つ。
とにかく、他に妙案が無いなら大人しく見ていろ」
ビシャラバンガは全身の力を抜いて、棒立ちになった。
これにニャンダコーレは慌てる。
「コ、コレ、どう言う積もりなのだ!?
ビシャラバンガ!」
「喧しいぞ、狼狽えるな。
心静かに待つのだ」
ビシャラバンガは魔力を纏ってもいない。 黒騎士と漆黒の獣は、無防備なビシャラバンガを見て、一気に距離を詰め、襲い掛かった。
「ギャニャーーーーッ!!
ビシャラバンガーー!!」
ニャンダコーレはビシャラバンガの背に爪を立てたが、彼は微動だにしない。
その儘、黒騎士の剣を左の肩口に受け、右の首には漆黒の獣の牙が立つ。
「コレ、離れろっ!!」
ニャンダコーレはビシャラバンガの首に食い付いた漆黒の獣の目を、自らの鋭い爪で引っ掻いたが、
少しも怯ませられなかった。
「くっ、やはり打撃は通じないのか、コレ……!」
「狼狽えるなと言っているだろう、ニャンダコーレ」
ビシャラバンガの声は変わらず落ち着いている。
見れば、黒騎士の剣は振り抜かれる事無く、肩口で止まっている。
漆黒の獣の牙も同じだ。
深く突き立っているが、食い破る様な事は無い。
出血も心做しか少ない。
ビシャラバンガは大きな両の手の平で、確りと黒騎士と漆黒の獣の頭を掴んだ。
「行くぞ!!
見ろ、これが己の技だ!」
ビシャラバンガの背中から、魔力の翼が生える。
「コ、コレが翼!!」
ニャンダコーレは目を見張り、直ぐに彼の背中から飛び降りて、数身の距離を取った。 ビシャラバンガの背中に生えた翼は、金色に輝く。
その翼開長は6身程。
ビシャラバンガの巨体に見合う巨大さだ。
魔力の翼は明滅して、黒騎士と漆黒の獣を構成する魔力を分解しに掛かる。
分解された魔力は翼に吸収され、∞を描いて循環する。
先ず、漆黒の獣が徐々に体を削られて霧散した。
黒騎士も鎧の表面を徐々に削り取られて行く。
鎧の中から現れたのは、見知らぬ青年だった。
(人間……なのか?)
ビシャラバンガは少し驚いたが、翼の展開を止めたりはしない。
依然として魔力の翼は黒騎士を蝕み続ける。
真面な肉体を持つ人間ならば、誤って魔力の翼で殺してしまう事は無い。
魔力の翼が分解するのは、飽くまで魔力だけ。
故に、魔法資質が低い者には効果が薄い。
しかし、ビシャラバンガも疑問を感じなかった訳では無い。
この黒騎士は不死身ではあるが、それ以外の特殊な能力を全く見せていなかった。
即ち、魔法使いでは無い可能性がある。
(とにかく、やってみれば判る事だ)
ビシャラバンガは翼を畳まず、魔力を循環させ続けた。
黒騎士を構成する魔力は分解されて、ビシャラバンガの翼に吸収され、∞を描いて循環する。
漆黒の鎧を失った青年は、徐々に体をも削られて行った。
(やはり魔力で構成された存在だったか……。
この儘、止めを刺す!)
もう黒騎士は人の形を留めていない。
魔力を削られて消滅する運命だ。 しかし、魔力の翼は一瞬にして消滅した。
弱々しい精霊だけの存在となっていた黒騎士は、ビシャラバンガから離れて再び実体化し、
鎧を身に纏う。
「ルヴィエラか!」
ビシャラバンガは周囲を見回して、ルヴィエラの姿を探した。
だが、どこにも彼女は居ない。
目に映るのは、どこまでも続く暗闇のみ。
だが、確かにビシャラバンガはルヴィエラの気配を感じている。
どこからとも無く、ルヴィエラの声が響く……。
「私の可愛い下僕を虐めてくれるな」
「姿を現せ!」
ビシャラバンガは虚空に向かって吠えるが、ルヴィエラは嘲笑するだけ。
「ホホホホホ、お前の目の前に居るでは無いか?
ああ、私の様な巨大な存在と対峙した経験が無いのだな。
所詮は可弱い虫螻(むしけら)よ」
そう言われて、初めてビシャラバンガは感付いた。
夢の中で彼女と戦った時の事を思い出したのだ。
「……もしや、この空間その物が……!?」
「ホホホ、御明察。
賢い子は好きだよ」
この暗黒の空間全体がルヴィエラ。
彼女は闇の化身であり、闇その物。 ルヴィエラに救われた黒騎士は、跪いて謝罪する。
「ルヴィエラ様、お力になれず申し訳ありません……。
唯、己が無力を恥じ入るばかり」
「良い、良い。
それ以上は言うな。
無力が悪いのでは無い」
妙に優しい語り口で、彼女は黒騎士を容赦した。
自らが生み出した配下に対する態度では無いと、傍で見ていたニャンダコーレは感じる。
基本的に悪魔と言う物は、自らの配下を労いはしない。
優しく慰める事も無ければ、逆に無能を論って怒る事も無い。
それは自分が生み出した存在だからなのだ。
その扱いは我が子では無く、道具と同じ。
そもそも心を持たせる事が無い。
只管に忠誠を尽くして、命令通りに動くだけの物を求める。
自分自身で、そうなる様に設定して生み出したのだから、そこに過剰に愛情を注ぐ事自体が奇怪しい。
この配下は『特別』なのだろうと、ニャンダコーレは思った。
「さて、小鼠共……。
どうしてくれようかな?」
ルヴィエラは打って変わって、意地の悪い声でビシャラバンガとニャンダコーレを脅した。
「我が城に無断で乗り込んだ狼藉者共。
どの様に処罰しようと、私の勝手だろう?」
これにニャンダコーレは異を唱える。
「コレ、私達は堂々と正面から乗り込んだでは無いか!
挨拶をする間も無く、この様な暗闇に閉じ込められたのだぞ、コレ!!」 ビシャラバンガは彼の抗議を、何を馬鹿な事を言っているのだと呆れた心持ちで見ていた。
しかし、ルヴィエラには通じる。
「フーム、それは悪かった。
では、今からでも名乗るが良い」
ここでニャンダコーレは慌てず咳払いを一つ。
そして何時もの名乗りを始める。
「吾輩はニャダコーレ!
妖獣の祖先ニャンダカニャンダカの仇敵、ニャンダコラスの子孫である!」
ルヴィエラは呆気に取られた。
「……何だ、それは?」
「コレ、知らないのか?」
彼女は妖獣神話を知らなかった。
そもそも妖獣が魔法大戦以後の存在である。
旧暦の生まれで、しかも魔法暦の事を余り知らないルヴィエラは、妖獣とは余り縁が無かった。
「小さな事を一々憶える程、私は暇では無いからな」
退屈の権化の様な存在の分際で、ルヴィエラは偉そうに言い切る。
実際、彼女程の強大な存在であれば、妖獣の存在は些事だ。
特別な事が無ければ、興味を持って調べようとはしないだろう。
詰まり、ルヴィエラが何を言いたいのかと言うと、世間知らずや無知では無く、彼女にとって、
妖獣だの何だのは知る必要の無い、価値の無い物だと言いたいのだ。 その事実はニャンダコーレも認めざるを得ない。
余りに強大なルヴィエラにとっては、地上のあらゆる柵(しがらみ)が無意味で無価値。
妖獣だの、その仇敵だのと自己紹介した所で、それがルヴィエラの興味を引く訳も無い。
彼女は冷淡にニャンダコーレに問う。
「それで妖獣の仇敵の子孫とやらが、私の城に何の用なのか?」
「貴方の存在は、コレ、地上には大き過ぎるのだ」
「そうだろうな」
「それは、コレ、生け簀に鯨を放つが如くなのだ、コレ」
「ウム、ウム。
解る。
実に、実に」
ニャンダコーレの説明に、その通りだと何度も頷くルヴィエラ。
そしてニャンダコーレは結論を述べる。
「貴方に、コレ、この世界は狭かろう。
コレ、どうか静かに御退出願いたい」
「フフフ、嫌だと言ったら?」
「戦う事になる、コレ」
「アハハ、面白い。
生け簀の稚魚が鯨に敵うのか?
丸で養殖の雑魚が?」
ルヴィエラは高らかに笑って、この世界に生きる物達を見下した。 彼女は悪魔の本性を露に、暴論を語る。
「ニャンダコーレとやら、そなたは猫の様だな」
「コレ、猫では無い。
ニャンダコラスの子孫だ。
その違いは、コレ、猫と虎よりも大きい」
「どうでも良いよ。
それより、そなたも鼠を甚振る面白さを知っておるな?」
「斯様な遊びをしたがるのは、コレ、幼稚な物のみ。
コレ、年頃になれば、憐れみを覚える物だ、コレ」
「成る程、幼稚と言うのか……」
客観的に見て、ニャンダコーレの言葉は失言だ。
自らより強大な存在に対して、幼稚だと挑発したも同然。
ルヴィエラの怒りを買うのでは無いかと、傍で聞いていたビシャラバンガは予想して、身構えた。
しかし、逆にルヴィエラは楽しそうに笑う。
「抑、私は自制等と言う物とは無縁だったからな。
誕生以来、私の意に沿わぬ物は無かったよ」
「コレ、何一つか?」
「そう、何一つだ」
ルヴィエラは堂々と嘘を吐いた。
基本的に悪魔は嘘を吐く事を嫌うが、それは格が傷付くのを恐れての事。
旧暦に生きたルヴィエラは、戯れに吐く嘘を悪い事だとは思わない。
契約や誓約に関係しない嘘を、彼女は厭わない。 ルヴィエラは高らかに謳う。
「この世界も例外では無い。
未だ健気な抵抗を続けているが、果たして、果たして」
ビシャラバンガとニャンダコーレは共に警戒する。
ここで戦いになる事を覚悟したのだ。
しかし、ルヴィエラは小さく笑う。
「ホホ、可愛い奴等よ。
丸で人を恐れる子猫の様だ。
その爪も牙も、私を傷付ける事は出来ぬと言うのに……。
お前達如きに本気になる程、私も大人気無くは無い。
闇の牢獄で永遠の時を過ごすが良い」
そう宣告すると、彼女は黒騎士を伴って姿を消した。
ビシャラバンガとニャンダコーレは唯々立ち尽くす。
「見逃されたのか……?」
ビシャラバンガが問うと、ニャンダコーレは慎重に頷いた。
「コレ、その様で……あるな」
一度は安堵する両者だが、次なる問題は、ここからの脱出方法である。
「しかし、閉じ込められてしまった様だが、コレ――」
「取り敢えず、歩く」
ビシャラバンガの回答は単純だった。
動かなければ何も始まらないと言う信念の下、彼は暗闇に向かって歩き始める。
どこへと言う事も無く、唯真っ直ぐに。 ニャンダコーレは他に妙案も無いので、彼に付いて歩いた。
何も無い暗黒の空間では時間の感覚が狂う。
景色も何も変わらない中、もう何角も歩いている積もりになって、ニャンダコーレは不安を口にした。
「どこまで続いているのであろうな、コレ……」
「無限に続いているのかも知れん」
「コレ、怖い事を言ってくれるな」
両者共、何と無く感じていた。
ここからの脱出は不可能なのでは無いかと。
1人と1匹を徐々に冷気が蝕む。
「……寒くなって来たな、コレ」
「ああ、涼しくなっている」
両者共、後ろ向きな考えは口にしなかったが、それと無く感じていた。
この儘では、冷気で体が動かなくなる。
何も無い中、飲まず食わずで長時間耐えなければならない。
誰かがルヴィエラを倒すまで……。
一向に暗闇から抜け出せる気配が無く、ビシャラバンガは足を止めた。
「止めだ。
無駄に体力を消耗する結果にしかならん」
「ニャー……、どうする、コレ?」
「どう仕様も無い。
お手上げだ」
「コレ、諦めるのか?」
「何か案があるなら聞くが……」
ビシャラバンガはニャンダコーレを見て言ったが、ニャンダコーレにも案は無い。 1人と1匹は、その場に留まって座り込んだ。
ビシャラバンガはニャンダコーレを抱いて、自らの肩に何重にも毛布を巻く。
「これで暫く耐えるしか無い。
幸い、最低限の食糧は持っている。
数日は持つ」
「それでは、コレ、私は眠っている」
「ああ、己も休眠状態に入る。
何か問題があったら起こせ」
「ニャー……」
ニャンダコーレは返事とも欠伸とも付かない声を上げて、静かに寝入った。
ビシャラバンガは体を休めながらも、目と耳を澄まして、警戒は怠らない。
(師との修行の日々を思い出すな……)
少し懐かしさを感じつつ、彼は時の経過を待つ。
彼の頭の中で、師の言葉が蘇る。
――ビシャラバンガよ、独りでは、どうにもならない時がある。
――そう言う時は、素直に助けを待つのも、1つの手だ。
――今は、こうして私が助けに来られるが……。
――将来、お前が独り立ちする時……。
――頼れる『誰か』、信頼に値する者を見付けるのだぞ。
(当時の己は、愚かにも『独立』に他者の助けは要らぬと思っていたが……。
成る程、師よ、貴方は何時も正しい。
そして……。
今の私にも、そう言う者が居ます)
――ビシャラバンガよ、人は独りでは生きられぬ。
――お前の周りに居る全ての者、お前を取り巻く全ての物事に、感謝して生きるのだ。
――他者の存在は勿論、天地がある事、水がある事、空気がある事。
――全ては当然の事だが、故に忘れてはならん。
(はい、師匠) 更に他方、リベラとラントロック、そしてササンカの3人は、又別の暗黒空間に囚われていた。
「皆、どうしてるんだろう……?
お養父さん……」
不安気な声を出すリベラを、ラントロックが励ます。
「大丈夫だよ、義姉さん。
皆、何だ彼んだで生きてるさ。
それより俺達の事だ」
ササンカは音石に助言を求めた。
「音石殿、何か手はありませんか?」
「手と言われても……。
僕は音を出すしか能の無い石だから……。
――否、これは……」
「どうされました、音石殿?」
音石は本体であるレノック・ダッバーディーの気配を感じ取っている。
「レノックが居る……。
どこか近くに……」
「本当ですか!?
どこに、どこに!?」
ササンカは俄かに色めき、声を高くした。
しかし、辺りは暗闇ばかり。
他には何も見えないし、魔法資質でも何も感じ取れない。 音石は明滅して音を鳴らし、レノックに合図を送った。
そのリズムは心臓の鼓動。
ドン、ドン、ドンと太鼓を打つ様に、暗黒の空間に鳴り響く。
リベラもラントロックも驚いてササンカを見た。
「どうしたんですか、ササンカさん?」
リベラの問にササンカは人差し指を唇に当てて答える。
「レノック殿が近くに居る様なのです」
「本当に!?」
リベラは声を潜めて目を丸くする。
レノック・ダッバーディーは強い力を持つ魔法使いだ。
ブリンガー地方でルヴィエラに囚われてしまったが、ここで会えるなら力強い味方となる。
「どこですか?」
「今、音石殿が……」
3人は静かに音石を見守った。
その最中に、ラントロックは暗闇が蠢いたのを見る。
「義姉さん!」
「えっ、何、ラント」
リベラもササンカも何も見ていない様子。 ラントロックは周囲を見回しながら、暗闇の中に潜む物を警戒した。
「何か居る……」
リベラもササンカも彼に倣って周囲を見回す。
「一体何が……」
「上だっ!!」
ササンカの警告にリベラとラントロックは共に上を向いた。
同時に上方から黒い何かが降って来る。
「うわっ!」
「嫌っ!」
3人は、その場から移動して、落ちて来る何かを避ける。
正体不明の何かは集まって、人型になって行った。
「何だ、こいつ!?」
ラントロックの動揺した発言に、黒い人型の物は名乗る。
「我が名は『黒い悪魔<ブラック・デビル>』。
主命により、汝等を討つ」
「名乗った!?」
態々正体を明かした事にササンカが静かに驚くと、黒い悪魔は堂々と言う。
「名乗りとは即ち、文化の証。
獣が獲物を狩るが如きとは異なる。
主に恥じぬ振る舞いを努めるは、従僕の第一に心得る所」 3人は身構えて、黒い悪魔と対峙する。
リベラはラントロックに視線を送った。
以心伝心、それだけでラントロックは彼女が何をするのか理解する。
ルヴィエラの眷属は皆、闇から生まれた存在。
押し並べて明かりに弱い。
リベラは強い光を放つ共通魔法で、黒い悪魔を攻撃しようとしているのだ。
「A17!!」
彼女は精霊石を掲げて、発光魔法を発動させた。
精霊石から強力な光線が発射され、黒い悪魔を貫く。
黒い悪魔は上半身を吹き飛ばされた。
「やった!!」
ラントロックは拳を握って喜んだが、直後に黒い悪魔の笑い声が暗闇に木霊する。
「狙いは悪くなかった。
発想も。
しかし、悪魔を相手に戦った経験が無いのだな」
黒い悪魔は液体の様に溶け落ちて、暗黒の床に染み込む様に姿を消した。
どこから現れるのかと、3人は周囲を警戒する。
逸早く黒い悪魔の再出現に気付いたラントロックが、リベラに警告する。
「義姉さん、後ろだ!!」
黒い悪魔は液体となって、リベラを包み込む様に襲い掛かる。
「この野郎っ!!
義姉さんに手を出すな!!」
ラントロックは熱り立って、リベラの魔法を真似た発光魔法を使う。 光の洪水が黒い悪魔を押し流した。
一方でリベラは無傷。
真面な肉体を持つ者にとっては、眩しい光でしか無いのだ。
だが、止めは刺せていない。
黒い悪魔は体の一部を吹き飛ばされても、残りの無事な部分を床に潜らせる。
その瞬間を見ていたササンカは、リベラとラントロックに警告する。
「未だ倒せていない!」
3人は再び姿を消した黒い悪魔を探して、暗闇を凝視する。
一方で、黒い悪魔の方も共通魔法を警戒していた。
明かりの魔法が使えるのが1人だけなら未だしも、2人居るのが問題だ。
両方を警戒しなくてはならない。
(ここは熟り戦おうか……)
黒い悪魔は暗闇に潜んで時の経過を待った。
疲労の概念を持たない悪魔は、神経を削る長期戦こそ得意の舞台。
そこに加勢が現れる。
「苦労している様だな、黒い悪魔よ」
暗黒の中で逆さ吊りになって上から下りて来るのは、寓の魔法使いバルマムス。
「手を貸してやろう」
それに対して黒い悪魔は不快感を露にする。
「この程度の者共、貴様の手を借りるまでも無い。
加勢なら、他所へ行け」 冷たく突き放されてもバルマムスは狼狽えない。
「他は大勢が決してしまったのでな。
唯一、均衡状態なのが、こちらだ」
そう口では言っているが、実際は強敵を避けただけの事。
蝙蝠らしく日和見だ。
「とにかく貴様の手は借りぬ」
「そう言いつつも、決め手が無いのだろう?
手早く片付けて、他の連中も仕留めに行く方が、主の為だと思うがな?」
バルマムスに説得されて、黒い悪魔は渋々認めた。
「勝手にしろ。
私の邪魔をしなければ何でも良い」
「では、その通りに……」
黒い悪魔に了承されずとも、バルマムスは機会を見て助力する積もりだった。
旧い魔法使いらしく、他人に恩を売ったり着せたりするのが好きなのだ。
バルマムスは自らの魔法を使うと同時に名乗る。
「私は寓の魔法使いバルマムス。
私の魔法は認識を狂わせる。
……この様に」
リベラ、ラントロック、ササンカの3人は、視界が逆さになって、天地が引っ繰り返った幻覚を見る。
「う、うわっ、どうなってるんだ!?」
3人の視界は徐々に暈やけて、何も真面に見えなくなって行った。
狼狽える3人を見て、バルマムスは得意気に笑う。
「ハハハ、私の魔法は恐ろしかろう」 バルマムスの声までが、判別出来なくなって行く。
言葉の内容から、誰が話しているか、辛うじて理解出来る程度。
当然、魔法資質も狂わされている。
3人は、どうにかして寓の魔法から抜け出せないかと思案した。
その中で、リベラが思い付く。
「ラント!!
明かりを使う!」
彼女は大声で宣言すると、精霊石から強い光を放った。
「ラント」と呼ばれた事で、ラントロックは声の主がリベラだと理解する。
どんなに視界が暈やけていても、強い光源だけは判る。
そこから様々な情報が読み取れる。
先ず、光源の位置にはリベラが居る。
強い光は物体に当たると影を生み出し、全員の位置関係が判明する。
「義姉さん!」
どうにか、この機会を活かそうとラントロックが知恵を絞る中で、最初に動いたのはササンカだった。
「そこかっ!!」
ササンカはリベラとラントロックの声を聞いて、もう1人がバルマムスであると瞬時に見抜き、
棒手裏剣を投げ付けた。
「ギャァッ!!」
先端の尖った重金属の棒が、バルマムスの背中に刺さった。
ササンカは容赦無く、手裏剣を投げて追撃を仕掛ける。
「逃さんっ!!」 丸で的当ての様に、手裏剣はバルマムスに命中し続ける。
そうしている内に、寓の魔法が解けて、視覚と聴覚が元に戻る。
引っ繰り返っていた天地も元通りだ。
形勢逆転かとリベラとラントロックが安堵していた所で、沈黙していた黒い悪魔が再び動き出す。
「――しまった!」
狙われたのはラントロック。
黒い悪魔は彼の影に潜んで、リベラの明かりの魔法から逃れていた。
黒い悪魔はラントロックの背後に取り憑き、彼を締め上げる。
「大口を叩いた割には情け無い有り様だな、バルマムスよ。
だが、隙を作ってくれた事には礼を言おう」
「ラント!!」
リベラはラントロックに精霊石の明かりを向けるが、黒い悪魔は彼の背後に隠れて防ぐ。
「無駄だ。
こいつを殺したら、次は貴様だ」
「そう簡単に殺されるかっ!!」
ラントロックはリベラの魔法を体に受けて、光を蓄えた。
彼は他人が使う魔法の魔力の流れを真似て、自分の技に応用出来る。
「輝け、俺の体!!
ブリリアント・ボディー!」
ラントロックは自らの体を発光させて、背後の黒い悪魔を攻撃した。
ルヴィエラよりも弱い黒い悪魔は、明かりに照らされると体を維持出来なくなる。 「ムムッ、これは堪らん!」
ラントロックから離れて、闇に溶け込もうとする黒い悪魔に、ササンカが追撃を仕掛ける。
「火炎陣!!」
彼女は火薬の詰まった小さな丸薬を、5つ同時に黒い悪魔に向けて投げ付けた。
それは爆発して花火の様に小さな火柱を上げる。
「爆封縛!」
ササンカは魔力で火柱を纏め上げ、その中に黒い悪魔を封じ込めた。
「な、何っ!?
貴様っ……」
「火を操る位は、私にも出来る!」
黒い悪魔は完全にササンカを見落としていた。
確かに、彼女自身は魔法で明かりを灯したり、強い光を放ったりする事は出来ない。
だが、現象として光を起こす事は出来ずとも、既に現象となった光を操る事は出来る。
魔法に頼らず発火させる方法も、彼女は心得ている。
ある意味では、魔法使いにとって最も厄介な存在だ。
「オオオッ、斯様な所で潰えてなる物かっ!!」
球体となって身を守ろうとする黒い悪魔だが、リベラとラントロックも追撃する。
「ラント!」
「解ってるよ!」
2人は共に魔法の光線を黒い悪魔に向けて放った。 2つの光線が交差して、球体となった黒い悪魔を貫き、完全に消滅させる。
これを見たバルマムスは直ぐに撤退した。
3人は安堵の息を吐くも、未だ警戒は怠らない。
ササンカが言う。
「……もう気配は無い。
バルマムスとやらは逃げた様だ」
そこでラントロックは閃いた。
「逃げたって事は、出られるって事だな!?」
それを受けてササンカは冷静に頷く。
「その通りだ。
しかし、今は……」
彼女は一度音石を見る。
「音石殿、レノック殿は何処(いずこ)に?」
「こっち……だと思う」
音石は該当する方角の一部を発光させて、レノックが居そうな場所を知らせた。
ササンカは音石の案内に従い、その方角へ向かう。
リベラとラントロックも彼女の後に付いて行った。
しかし、行けども行けども、辺りは暗闇ばかり。
リベラは不満気な顔をするラントロックを見て、この儘では不信と不和が広がり兼ねないと案じ、
音石に尋ねた。
「音石さん……本当に、こっちで合ってるんですか?」 音石は力強く答える。
「段々気配が強くなっているのを感じる。
レノックに近付いているよ。
君達にも彼の存在を感じられると思う」
「……でも、魔法資質には……。
私、そんなに魔法資質が高くないですけど」
リベラは魔法資質でレノックの存在を感じ取ろうとしたが、上手く行かなかった。
彼女はラントロックを顧みる。
「ラントは?
何か感じる?」
「いや、全然」
ラントロックの魔法資質にも何も掛からない。
彼の魔法資質はリベラより高いので、彼に判らなければ、リベラも判らない。
音石は小さく笑った。
「君達は悉(すっか)り魔法使いに染まってしまっているなぁ……。
魔法資質じゃないよ。
僕が聞いてるのは、『音』さ」
「音?」
「暗闇では何も見えない。
でも、音だけは聞こえる。
僕はレノックの鼓動を感じているよ」
リベラもラントロックも、そう言われて耳を澄ます。
確かに、2人も緩やかで大きな脈動を感じる。
それから数極の間を置いて、音石はササンカに告げた。
「驚かないでくれ」 ササンカは言葉の意味が解らず、困惑する。
「驚く……とは?
レノック殿の身に何か?」
彼女は気付いていなかったが、リベラとラントロックは何と無く察していた。
2人が聞いている脈動は、余りに大きい。
丸で何十身もある巨人の心臓の鼓動の様だ。
鼓動は段々大きくなって、やがて耳障りに思う程になる。
「義姉さん……」
不安そうな声を出すラントロックを、リベラは落ち着かせる。
「大丈夫。
どんな姿形でも、私達の知っているレノックだよ」
ササンカも不安を隠せなかった。
これから3人が見る事になるのは、レノックの『本体』だ。
音の魔法使い、魔楽器演奏家、笛吹き、幾つもの名を持つレノックの正体が、真面な人間では無いと、
全員頭では解っている。
だが、彼が人外の本性を現した事は無い。
暗闇の中に、暈んやりと巨大な影が浮かぶ。
「これが『レノック・ダッバーディー』だ」
音石の声に、3人は揃って足を止め、「それ」を見上げた。
「それ」は正に怪物だった。
手も足も頭も無い。
そこにあったのは奇怪な楽器の塊。
心臓の様に鼓動する大きな袋に、様々な楽器が繋がれている。
バグパイプの様に、袋からは様々な吹奏楽器が生えている。
否、吹奏楽器だけでは無く、鳥の嘴の様な物まで確認出来る。
全長10身はあろうか……。 その異貌に3人は声を失った。
音石はレノックに呼び掛ける。
「レノック、起きてくれ!」
それに反応して、「レノック」はテューバの様な大欠伸をして目を覚ます。
「彼」に目玉は無いが、袋が大きく膨張と萎縮を繰り返し、幽かな音楽を奏で出す。
少し悲しい音楽だ。
レノックはテレパシーで3人に話し掛けた。
(これが僕の正体だ。
驚いたかな?)
ササンカは声を失っている。
レノックに愛を誓った彼女でも、その正体が怪物と知れば、動揺せずには居られない。
否、愛を誓ったが故にであろう。
どうでも良い他人であれば、正体が何でも関係無いのだから。
「レ、レノック殿……」
(ササンカ君、だから言っただろう?
僕等は『異なる』存在なんだ。
君の恐怖は手に取る様に解る。
動悸が激しくなっているね?)
レノックはササンカの愛を試していた。
彼は今の自分の姿がササンカに受け入れられなくても良かった。
寧ろ、受け入れて貰えないだろうと言う予測の下で、敢えて自らの真の姿を曝した。
(僕に愛を誓った事を後悔しているだろうか?
それでも僕は構わないよ。
君も自分の心を偽る事は無い。
受け入れられない物は、拒んでも良いんだ。
誓いを破る事になっても、愛の無い忠誠を続けられるよりは増しだよ) ササンカは恐怖していた。
見た目も恐ろしいが、レノックの魔法資質の強大さが、より彼女を恐怖させた。
丸で体内は疎か、心の中まで全てを見透かされて、掌握されている様な不快感に、ササンカは震える。
一方で、リベラは困惑した声でレノックに尋ねた。
「どうして、そんな姿になったの?」
(人の姿の儘では、暗黒空間で自分の存在を維持出来なかったんだ。
これが僕の本当の姿だよ。
リベラも驚いたかな?)
「それなら早く人の姿に戻ってよ。
その儘だと一緒に行動出来ないし」
レノックはササンカを一瞥すると、もう脅しは十分だろうと、何時もの子供の姿になる。
「――で、どうして君達が暗黒空間に?」
「それは――」
リベラは斯々然々とレノックに一連の事情を話して聞かせた。
レノックは何度も頷き、ササンカを見る。
「良し、解った。
愈々決戦の時なんだな。
ササンカ君、音石君を返してくれ」
狼狽して硬直している彼女から、レノックは音石を奪い取った。
彼は少し寂しかったが、それを顔には表さない。
こうなる事は予想していたのだ。 レノックは音石を労う。
「音石君、御苦労さん。
有り難う」
その「有り難う」の真の意味を知る者は居ない。
音石は確かにレノックの分身なのだ。
彼は3人を見て言う。
「さて、それじゃ逸れた仲間と合流しに行こう。
皆、会いたい人を思い浮かべるんだ」
その言葉に、リベラは養父ワーロックを、ラントロックはコバルトゥスを思い浮かべる。
そしてササンカは……レノックの手を取り、彼を背後から抱き締めた。
「あの、ササンカ君……?」
「誓いは違えません」
「無理はしなくて良いって」
「確かに、私は恐怖しました。
貴方の真(まこと)の姿を知って、怯みました。
しかし、私の言葉は心より重いのです」
「誠実でありたいと言う、君の気持ちは解るよ。
だからこそ、受容出来ないなら、出来ないと言って欲しい。
心を偽られ、嘘を吐かれるのは辛い。
それが一生続くのだと思うと、気が狂いそうになる」
「今は無理でも、何時かは受け入れられると思います。
そうなる様に努力します。
それでは行けませんか?」
「苦痛になるなら――」
「真の愛とは、苦難を乗り越えた先にあると思うのです」
「……解ったよ、解った。
君の気が済むまで、やってみると良い」
レノックとササンカの睦言を、リベラは何をやっているんだと言う目で見ていた。 一方で、ラントロックは2人の遣り取りを見て、真の愛とは何かを考えていた。
何故ササンカは、そこまでレノックを愛そうとするのか?
愛せないなら、愛せないで良いでは無いか?
それとも愛さなければならない理由があるのだろうか?
(愛、愛とは一体……)
ササンカはレノックを愛しているのか、それとも愛していないのか、ラントロックには解らなかった。
彼は自分の父親を無能と軽蔑していたが、2人が愛し合って自分が産まれた事は、事実である。
それは幸福な事だが……、ラントロックには母が父を愛した理由が解らなかった。
愛に理屈は要らないと言うのが、母の回答だった。
例えば、彼に救われたとか、自分を愛してくれたのが彼だけだったとか、母の言う事は一度として、
同じだった事は無かった。
あれは適当な事を言って、逸らかしているのだと、当時のラントロックは幼いながらも思っていたが、
「本当の事」を言うのは案外難しいのかも知れない。
リベラとラントロックの視線に気付いたレノックは、慌てて2人に言う。
「あ、2人共、会いたい人を確り思い浮かべたかな?
空間を繋げるよ」
彼は小さな鐘を懐から取り出して、チリンチリンと鳴らした。
その音は何も無い空間に反響して、リベラとラントロックを、それぞれ思う人の所に届ける。
ラントロックの目の前の空間が開けて、コバルトゥスとゲヴェールトの姿が見えた。
「小父さん!」
ラントロックが呼び掛けると、コバルトゥスは顔を上げる。
「おぉ、ラント!
何時の間に?」 「レノックさんと再会出来たんだ」
ラントロックは振り返って、レノックとササンカを見た。
そこには丁と2人共居るのだが……。
コバルトゥスは辺りを見回して眉を顰める。
「お姉さんは?
未だ会えていないのか?」
そう言われて、ラントロックも慌てて周囲を見回した。
「義姉さん……?
い、居ない!?
先まで一緒に……」
彼はレノックを問い詰める。
「レノックさん、どう言う事ですか!?」
レノックは困った顔で言った。
「空間が閉ざされた。
リベラの向かった先には、手強い敵が待ち構えているんだと思う」
「親父の所だよな……?
親父は、どうなったんだ?」
ラントロックはリベラの向かった先を察していた。
愛する義姉の事だから、愛する人の元へ行ったと解る。
もし自分がリベラと離れ離れになったら、真っ先に彼女の事を想っただろうから。 ラントロックはレノックに言う。
「レノックさん、もう一度。
今度は義姉さんの所に」
レノックは焦る彼に冷静に忠告した。
「待ってくれ、対策は考えているのか?
向こうは相手の『領域<フィールド>』だ。
罠に飛び込みに行く様な物だぞ」
だが、ラントロックは聞かない。
「そんなの、どうとでもなる!
俺達、全員が揃っていれば!」
コバルトゥスもラントロックに同意した。
「ラントの言う通りだ。
俺達全員で行けば、危険は少ないだろう」
2人に説得されて、レノックは頷く。
「……そうだな。
良し、行こう。
所で、そこの青年は、どうする?」
その前にと彼はコバルトゥスと一緒に居たゲヴェールトを見た。
コバルトゥスは面倒臭そうな顔をして、ゲヴェールトの手を掴む。
「お前も来い。
こんな所に独りじゃ危ないだろう」 しかしながら、彼は難色を示した。
「これから行く所も、危ないんじゃ……」
「呟々(ぶつぶつ)言うな、置いて行かれたいのか?」
「それは勘弁……」
ゲヴェールトは置いて行かれそうになって、慌ててコバルトゥスの後を追う。
レノックが鐘を鳴らす間、コバルトゥスはワーロックを、ラントロックはリベラを心に想い描いた。
どちらでも同じ場所に着く筈なのだが……。
一行が出たのは、何も変わらない暗闇の中。
ワーロックとリベラの姿は、どこにも見えない。
「……どうなってるんだ?」
コバルトゥスは怪訝な目でレノックを見る。
当のレノックも困った。
「如何に僕が『小賢人<リトル・セージ>』と呼ばれていても、全知全能って訳じゃないんだよ。
何でも彼んでも頼りにされても困る。
でも、奇怪しいな。
どうしてラヴィゾールとリベラに会えないんだろう?
僕の魔法資質を上回る何かに囚われているのかも知れない」
ラントロックは危機感を露にした。
「そんな恐ろしい奴が、未だ居るのか!?
いや、でも、俺の知る限りは、そんな奴は……。
もしかして、ルヴィエラ本人だとか?」
一行は事態を打開する案を探して、知恵を絞る。 一方その頃、先にワーロックの元へ移動していたリベラは……。
「お養父さん?」
彼女の目の前には、養父の背があった。
しかし、様子が奇怪しい。
ワーロックはリベラの声にも応えず、茫然と立ち尽くしている。
リベラは彼に駆け寄って、もう一度呼び掛けた。
「お養父さん!」
だが、ワーロックは何も応えない。
生気の無い瞳で、前だけを見詰めている。
リベラは彼の視線先を追った。
「一体何を見て……」
そこで彼女は驚くべき物を目にした。
ワーロックが見ていた物は、一家の団欒だった。
それも全く見知らぬ者達である。
綺麗な身形をした夫婦と、その娘の一家が、虚空の『銀幕<スクリーン>』に映し出されている。
どこの家族なのかとリベラは考える。
初めはワーロックの家族なのかと思ったが、それにしては彼自身の姿が無い。
第一、そこに居るのは娘だ。
「あっ、この人は……」
一家を見詰めながら考えていたリベラは、夫婦の妻の方に見覚えがある事に気付いた。
「お母……さん?」 一家の妻の正体が実母であると気付いた途端、リベラは全てを理解した。
娘は幼い頃の自分。
そして夫婦の夫の方は――、
「この人が……、私の本当の……」
自分の本当の父親だと。
「お養父さんが何で、こんな物を……?」
リベラは一家の団欒を見ても何も感じなかった。
彼女にとって、実父は全く見た事も話した事も無い人だった。
故に、こんな風景を見せられても、戸惑うばかりで懐かしくも何とも無い。
ワーロックはリベラの声に初めて反応して、悲し気な瞳で彼女を見詰めた。
「リベラ……私は、お前に懺悔しなくてはならない事がある。
お前の両親を死なせてしまったのは、私なんだ」
衝撃の告白に、リベラは目を白黒させた。
「ど、どう言う事なの……?」
「これは有り得たかも知れない、お前の家族の姿だ。
私さえ居なければ、私が余計な事をしなければ……」
「何で?
何があったの?」
ワーロックは涙ながらに語る。
「お前の父親は……、ティナーの地下組織の構成員だった。
そして母親は……、その情婦……。
嘗て、ティナーの地下組織同士の大規模な抗争があった」 リベラは慌てて、彼の自白を止めた。
「一寸待って、お養父さん!
私の知らない事ばっかりなんだけど!?
――って言うか、知りたくなかったよ!
実の父親が『不役<ヤクザ>』だったとか!
しかも、お母さんはヤクザの女だったって!?」
ワーロックは真面にリベラの話を聞いていない。
鬱々とした表情で語りを続ける。
「私は何時か、この事を明かさなければならないと思っていた」
「出来れば、永遠に秘密にしといて欲しかったよ!?」
「しかし、どこかで真実を知らなければならない」
「こんな真実なら、知らない方が増しだったんだけど!?
も〜〜〜〜、何なの!?」
リベラはワーロックの背中を平手でバシバシ叩くが、それを彼自身は叱責と受け止めて、
黙って受けるだけだった。
「済まない、本当に済まない。
ティナーの地下組織同士の大規模な抗争は、私が原因で引き起こされた。
私が或る組織から妻を救い出す為に行った事が、その組織と関係を持っていた他の組織にまで、
飛び火する結果になってしまった。
お前の父親が所属していた組織も、その一つだった」
「……本当なの?」
「嘘は吐かない。
こんな事、嘘で言える物か……」
ワーロックの目はリベラを見ているが、彼は正気では無い。
彼女の事を見ている様で、見えていないのだ。 彼は後悔に囚われているのだ。
そして、今までリベラに対して秘密にしていた事を、洗い浚い語る。
「私は、お前を養子にすると決めた時に、お前の出生の経緯を探る為、ティナーの貧民街へと、
足を運んだ。
全て、そこで聞いた話だ」
「何で、そんな事をしたの?
私、自分の過去なんて……」
「お前が大人になった時、もし自分の出自に疑問や興味を持ったら……と考えた。
人は過去無しには生きられない。
お前は貧民街で母親と暮らしていた子だから、もしかしたら悲惨な生まれだったのかも知れない。
その時は、私は黙っている積もりだった。
それでも……。
もし、お前が両親から愛され、望まれて生まれた子供なら、その事自体が救いになると思った。
リベラ、お前の両親は愛し合っていた。
お前は父親と母親の愛情を受けて、幸せに育つはずだった。
私の存在さえ無ければ……」
「あの……あのね?
堅気じゃない親の下で育っても、幸せになれたとは思えないんだけど……」
リベラは真面目に言っていたが、ワーロックは俯いて激しく泣いた。
「……お前は優しい、良い子だ。
だが、そうやって慰めないでくれ。
私は益々自分を許せなくなる。
そんな優しい良い子から、私は幸せな生活を奪ってしまったんだ……」
養父が余りに後ろ向きな考えを続ける物だから、リベラは苛々して来る。
「過去なんか、どうでも良いの!
お養父さん、私達の今の状況を忘れたの!?」 リベラはワーロックの手を引いて、その場から引き離そうとした。
しかし、彼の両足は根が生えた様に動かない。
「だが、リベラ……。
お前は今まで少しも考えなかったのか?
もし本当の両親と一緒に暮らせたらと……」
「知らない!
全然考えもしなかった!
だって、実の父親には会った事も無かったし!」
「お父さんが、どんな人だったとか、考えもしなかったと?」
そんな事は無いだろうと、ワーロックは暗に言っていた。
リベラは正直に答える。
「その位なら考えた事はあるよ……。
でも、どう考えても、碌で無しだとしか思えなかったよ!
お母さんを貧民街で独りにして、迎えに来なかった人なんだから!
私には、お養父さんが居るから良いの!」
「違うんだ、違うんだよ、リベラ。
お前の父親は、迎えに行く積もりだったんだ。
それを私が出来なくさせてしまった。
お前の母親が死んでしまったのも、私の所為だ。
お前の母親は、夫が迎えに来てくれると信じて、貧民街で待ち続けた……」
「あのさ、私が、私がって、お養父さんは神様なの!?
そんな何でも彼んでも全部、お養父さんの所為の訳が無いじゃん!
どう考えても!
好い加減、正気に戻ってよ!!」
聞き分けの無い養父をどうにか正気に戻そうと、リベラは彼を蹴ったり叩いたりした。 しかし、それをワーロックは自分を責めているのだと理解して、謝るばかりだ。
「済まない、済まない」
「そうじゃないの、お養父さん!
も〜〜〜〜〜〜〜〜、何で解らないの!?
馬鹿、馬鹿、スカポンタン!」
ここで漸くリベラは、ワーロックが何者かの術中にある可能性を考えた。
人の後悔や罪悪感を利用する魔法と言えば、呪詛魔法だ。
(呪詛魔法……。
呪詛魔法使いが近くに居るの?)
リベラは魔法資質で誰か近くに居ないか探る。
その時、彼女の目の前に、一人の男性が現れた。
それはワーロックが見ている映像の中に居た男性……。
詰まり、リベラの実父だ。
「あ、貴方は……」
リベラは身構えて、ワーロックの体に隠れる。
「ちょ、一寸、お養父さん!
助けて!
後ろばっかり見てないで、現実を見てよ!!」
「助け……?」
彼女の「助けて」と言う訴えに、ワーロックは正気を取り戻した。
「どうした、リベラ!?」 そこで彼はリベラと顔を見合わせ、新たに現れた彼女の実父と対面する。
「あっ、貴方は……!!」
ワーロックは蒼褪めて震え出した。
リベラの実父は、リベラに歩み寄る。
「俺の娘……。
リベラと言うのか……」
「こ、来ないで!!」
彼女は実父を拒絶した。
如何に頭では実父だと理解していても、実感としては全く見ず知らずの男なのだ。
「リベラ……、済まなかった。
俺は約束を果たせなかった……」
「あ、謝るの……?」
「本当は、組織の事なんか放っておいて、お前達の元に行くべきだった。
それなのに俺は格好付けて、組織の為に戦ってしまった。
詰まらない見栄と意地で、お前達を不幸にしてしまった」
「そんな事、今更言われても……。
何で、2人共、謝るの……」
困惑している彼女の目の前に、今度は実母が現れる。
「ああ、やっぱり!
そんな気はしてたけど!」 リベラの母は最期の時とは違い、立派な身形をしている。
髪も服装も清潔に整えられており、どこかの令嬢かと思う程だ。
彼女はリベラに優しく呼び掛けた。
「リベラ、お出で。
お母さんに顔をよく見せて頂戴」
リベラは母の呼び掛けに応えて良いか、迷う。
これが罠の可能性が無い訳では無いのだ。
動かないリベラに、リベラの母は悲しそうな顔をする。
「……御免なさい、貴女を置いて逝ってしまって。
夫を待ち続けて、我が子を蔑ろにするなんて、母親失格よね……」
誰も彼もリベラに謝ってばかりだ。
「もう誰も謝るのは止めて!
そんなの、どうでも良いの!」
リベラの実父は難しい顔をする。
「どうでも良くは無いだろう?」
「そうだけど……!
今、そんな場合じゃないの!
後にして!!」
彼女は訴えたが、彼女の両親は素直に消えはしない。
「後には出来ないんだ」
「今しか無いの……。
呪詛魔法が生きている間しか……」 やはり呪詛魔法なのかと、リベラは益々頑なな態度を取る。
「私を惑わそうったって、そうは行かないんだから!
お父さんと、お母さんを利用して、私を迷わそうなんて!」
それを聞いたリベラの両親は、寂しそうな顔をして、暗闇に消えて行った。
「あっ……」
本当に消えてしまうのかと、彼女は少し焦る。
「ちょ、一寸!?
消えちゃうの!?
最後に何か一言位は言ってから消えてよ!」
そうリベラが訴えると、どこからとも無く母親の声が聞こえた。
(……貴女が元気そうで良かった。
リベラ、私達は貴女が幸せなら、それで良いの。
私達は貴女が心配で様子を見に来ただけ……)
「あ、有り難う、お父さん、お母さん……」
リベラは嬉しい様な、悲しい様な、安堵した様な、寂しい様な、複雑な気持ちになる。
「リベラ、大丈夫か?
今、独りなのか?
他の皆は、どうした?」
数極後、養父ワーロックに声を掛けられて、彼女は振り向いた。 正気に返った彼は、心配そうな目でリベラを見詰めている。
「あっ、お養父さん!
元に戻ったんだ!」
嬉しそうな顔をする彼女に、ワーロックは困った顔をした。
「……その、見っ度も無い所を見せた。
済まなかった」
「もう、謝らないでって!」
和んだ雰囲気の所に、呪詛魔法使いシュバトが現れる。
「……未来を見る者、これが若さか……」
リベラとワーロックは共に身構えた。
しかし、呪詛魔法使いは小さく首を横に振る。
「最早私では、お前達を止められない。
この暗黒から、お前達が脱出出来るかは判らないが……。
少なくとも私の足止めは、これで終わりだ」
ワーロックは呪詛魔法使いに声を掛けた。
「何故、反逆同盟に加わった!?」
「呪詛魔法とは恨みの魔法。
共通魔法使いに、そして共通魔法社会に対する恨みが、私を呼び寄せた。
その中には当然、呪詛魔法使いの恨みもあっただろう。
しかし、総体としての呪詛は個々の前では曖昧で希薄になる。
正当な物にしろ、八つ当たり的な物にしろ、恨みとは結局、個人の心の働きに過ぎないのだ。
個人が、一人の人間が、一人の人間を恨む。
それだけの事に過ぎぬ」
呪詛魔法使いシュバトの言葉は、2人にとっては難解だった。 解った様な、解らない様な顔をする2人に、呪詛魔法使いは続ける。
「私は真の呪詛魔法に近付き、呪詛魔法使いとして完成した。
嘗ての私はシュバトと言う名だったが、その記憶も何れ失うだろう。
やがて私は他人の恨みを晴らす為だけの存在となる。
しかし、最後に、お前達の様な者に会えて良かった。
恨みと言っても人によって様々だ。
必ずしも、恐ろしい復讐を果たそうとしているとは限らない。
それを忘れなければ、必要以上に呪詛魔法を恐れる事は無い。
その事を憶えておいてくれ」
言いたい事を言い終えると、呪詛魔法使いシュバトは消えた。
その後に、続々と逸れていた仲間達が合流して来る。
「義姉さん!」
最初に現れたのはラントロック。
続いてコバルトゥス、レノック、ビシャラバンガと全員が揃った。
ワーロックはレノックの姿を見て、声を上げる。
「レノックさん、御無事でしたか!」
「ああ、君達も仔細無かった様で何よりだ」
2人は確り握手し合ったが、レノックの方は直ぐ難しい顔になる。
「しかし、ここから脱出するのは容易では無いぞ。
恐らくルヴィエラも僕等が刺客を撃退した事を解っている」
これに対して、ワーロックは強気に言った。
「大丈夫、皆が居ます。
独りではありません」 レノックは彼に対して頷き、自分の考えを披露する。
「実は、脱出出来る算段はあるんだ。
ルヴィエラは暗闇の中で僕等を各個撃破する為に、それぞれ刺客を送り込んだ。
それは詰まり、『出入りが出来る』と言う事だよ」
そこでコバルトゥスが当然の疑問を打付けた。
「でも、その出入りを管理しているのが、ルヴィエラなんだろう?
監視を潜り抜ける事なんか出来るのか?」
「出来るよ。
とにかく『出入りが出来る』と言う事実が重要なんだ。
仮に僕等の前にルヴィエラ本人が現れたとしても構わない。
当初の目的を考えるなら、寧ろ好都合だ」
レノックはルヴィエラには劣るが、それでも強大な力の持ち主である。
多少の時間を稼ぐ位は、出来る積もりだった。
ここでビシャラバンガが口を挟む。
「所で、どうやって脱出するのだ?」
「ああ、それは」
レノックは再び小さな鐘を取り出して、何度か鳴らした。
そうして何かを探す様に、浮ら浮らと移動して、又鳴らす事を繰り返す。
「皆、僕に付いて来てくれ。
こっちだ」
彼は魔法の音による魔力の反響で、空間の歪みを探っているのだ。 小さな子供の姿のレノックに、大人達が列々(ぞろぞろ)と続く様は、中々に奇妙である。
だが、中々目的地に着かない様で、ビシャラバンガが短気を起こして尋ねた。
「彼此1針は歩いているが、未だ着かないのか?
何を探している?」
「ウーム、これは空間が捻じ曲げられているな」
レノックの発言に、リベラは今一つ理解が及ばない様子で尋ねる。
「空間が捻じ曲がるって、どう言う事?
どうなってるの?」
「例えばの話だけど、この星は丸いだろう?
僕等は地上を真っ直ぐ歩いている積もりだけど、どれだけ真っ直ぐ進み続けていても、
やがて一周して元の場所に戻って来るよね」
「それは丸い星の上を歩いているからじゃないの?」
天体が丸いのと同じく、自分達の暮らしている星が丸いのは、ファイセアルスでは常識だ。
世界一周が容易く可能な世界ではないが、地平線や水平線の存在、天体の満ち欠けから、
容易に推測が可能。
しかし、リベラ(一般的な公学校卒業程度の知識の持ち主)では、重力が空間を歪めると言った、
物理現象までは理解していない。
「そう、僕等は今、丸い星の上を歩いているのと同じ様に、暗黒の上を歩いているのさ。
だから、ここから出られない」
「……一寸、解らない。
どう言う事なの?」
「前後左右、どこに歩いても、出口には辿り着かないって事さ」
「それなら空を飛んでみれば?」
「着眼点は良い。
でも、不十分だ」
レノックは再度小さな鐘を鳴らす。 鐘の音が反響して、少しずつ大きくなって行き、歪んだ空間を元に戻して行く。
魔法資質を持つ者は、その歪みに気付いた。
「ああ、こうなってたんだ!
空間を歪めるって、こう言う事なんだね」
それは言葉では説明が難しい感覚だが、真っ直ぐに見えるのに、真っ直ぐでは無い。
真っ直ぐが歪んで見え、歪んだ物が真っ直ぐに見える。
否、見えるだけでは無く、あらゆる感覚、観測、物理法則が歪む。
魔法資質の低いワーロックは、何と無く出口が見付かったんだなと思うだけだ。
暗闇の中なので、実際に変化を目にする事が出来ない。
しかし、これで漸く暗闇から脱出出来ると安堵した一行の目の前に、ルヴィエラが現れる。
彼女は暗闇の中で宙に浮いていた。
「待て、どこへ行こうと言うのかな?」
全員が身構える。
最初に答えたのはレノック。
「どこへ行こうと勝手じゃないか?
こんな所に閉じ込めておいて、『どこにも行くな』は通じない」
「ここは私の城だ。
我が母より受け継いだ魔城。
勝手に踏み入って、荒らされては敵わぬ」
「それなら、こんな所に置かずに、狭間の世界に戻しておくんだな」
「口の減らぬ奴め」
2体が挨拶めいた問答をしている間に、コバルトゥスは密かに魔法剣発動の準備をしていた。 だが、彼は気付く。
このルヴィエラは本体では無い事に。
(……馬鹿正直に姿を現す訳は無いか……。
幾ら奴でも多対一は不利だろうからな。
それでも、どこかで俺達を監視しているのは確かだ。
どこに『目』があるか判れば……)
コバルトゥスは周囲の気配を探り、ルヴィエラの『目』を探した。
そして彼は気付く。
(……あぁ、そう言う事だったのか……)
この空間全体がルヴィエラだと言う事に。
彼女は暗黒その物なのだ。
人間で言う所の脳や心臓に当たる、急所や核を持たない。
だから、コバルトゥスは彼女を倒す事が出来ない。
(途んでも無い奴だ。
こんなのが俺達の敵なのか……)
ルヴィエラは闇と言う概念その物の様な存在だ。
これを倒せる者が居るのか、コバルトゥスは分からない。
少なくとも、『自分には出来ない』。
言葉を失って立ち尽くしている彼に、ワーロックが話し掛ける。
「コバギ、もしもの時は皆を連れて逃げてくれ。
お前の魔法剣なら、闇を切り裂く事が出来る筈だ」
「あ、はい。
えっ、でも先輩は?」
「逃げられるなら、一緒に逃げる。
とにかく、お前には私の子供を任せるからな」 彼は自分が捨て石になってでも、自分の子供達を優先して助けたいのだと、コバルトゥスは理解する。
それが当然の親心なのだと、コバルトゥスは彼の真意を酌み取って頷いた。
「解りました」
しかしながら、最大の問題は、どうやって目の前のルヴィエラから逃れるかだ。
彼女はレノックに気を取られている様で、その実は全く歯牙にも掛けていない。
飽くまで冷静に、一行を俯瞰している。
「エ゙フン、エ゙フン」
突然、ワーロックは態とらしく咳払いをした。
どうしたのかなと、レノック以外の全員が彼を見る。
ワーロックは皆の見ている前で、一人だけレノックの横を通り過ぎた。
極自然な動きだったので、ルヴィエラは彼を気にしない。
ワーロックは何も無い空間に向かって、彼の魔法を使う。
「扉よ開け」
密かに動いていたかと思いきや、割と大きな声で彼は呪文を唱える。
真っ黒な空間に縦長の長方形の穴が開いて、外の空間と繋がる。
奇怪な事に、ルヴィエラはワーロックの行動に気付いていない。
あれだけ誰が見ても目立つ行動をしていたのに、レノックとルヴィエラだけが無反応。
(えぇー!?
お養父さん、何やってるの!?)
特にリベラは猛烈に突っ込みたい気持ちを抑えるのに苦労していた。
その後にワーロックは折角開いた扉を閉めて引き返し、極普通にリベラに話し掛ける。
「良し、リベラ行こう」 リベラは目を白黒させて、声を潜めてワーロックに尋ねた。
「こ、この儘行って、大丈夫なの?」
彼女の態度にワーロックは眉を顰める。
「ウーム、今は一寸、大丈夫じゃないかな……。
その様子だと無理そうだ」
「えっ、何で?」
ワーロックは一同を見回して、ビシャラバンガに声を掛ける。
「ビシャラバンガ君なら大丈夫かな?」
「己か?
弱い者を先に行かせた方が良いと思うが……」
戸惑う彼にワーロックは言う。
「君が一番、良い手本になりそうなんだ。
ルヴィエラを『気にしない様に』、『堂々と』歩いて出口に向かってくれ」
「どう言う事だ?」
「認識阻害の一種だよ。
窃々(こそこそ)と隠れて動くから怪しまれる。
堂々としていれば、逆に警戒されない。
心を無にして、相手を意識しない様に行動するんだ」
「中々難しい事を言う……が、心を無にする鍛錬は積んでいる。
やってみよう」
ビシャラバンガは失敗しても構わない積もりで、ワーロックの指示通りに一度閉じた出口に向かって、
歩き始める。 ビシャラバンガは堂々と暗闇の中を歩き、ワーロックが一度開けた外へと通じる扉を再び開けて、
自然に外に出て行った。
ルヴィエラはレノックとの口論に集中していて、全く彼に気付かなかった。
ワーロックは小さく頷く。
「良し、上手く行ったな。
次は誰が……」
そう言ってワーロックは振り向いたが、誰も難しい顔をしている。
「どうした?」
彼の問い掛けに答えたのは、コバルトゥス。
「いや、先輩、こいつは相当度胸が要りますよ。
もし途中で気付かれでもしたら、どうなるか分かった物じゃないんスから」
「解っているよ。
でも、正面から対峙するよりは楽だ」
そうワーロックは言ったが、誰も進んで動こうとはしなかった。
彼は困った顔をして、仕方が無いと言う風に小さく息を吐く。
「良し、こうしよう。
私が同行する。
最初は……リベラ、お前、行ってみるか?」
「えっ、私……」
急に聞かれて、リベラは戸惑う。 ワーロックは顎に手を添えて言った。
「別に誰でも良いんだが……。
先に脱出させたい人でも?」
そこでリベラはラントロックを顧みたが、当のラントロックは拒否した。
「義姉さん、先に行きなよ」
次にリベラはササンカを見る。
「ササンカさんは……」
「私の命はレノック殿と共に在る。
最後で良い」
「ニャンダコーレさん……」
「コレ、私も後で良い。
君達若者から先に行くべきだ」
ニャンダコーレにも断られた彼女は、ゲヴェールトを見た。
「あっ、えーと、貴方は……」
「俺も急がない。
自分より若い子を置いて抜け出すのは、一寸……」
最後にリベラはコバルトゥスを見たが、彼も首を横に振る。
「良いから、行きなよ。
先にしろ後にしろ、危険なのには変わり無い」 それで漸くリベラは自分が先に脱出する決心が付いた。
「それじゃあ……、お先に失礼します」
リベラは残る者達に一礼をして、ワーロックと共に出口まで向かう。
ワーロックはリベラに助言する。
「ルヴィエラを見ない様にして、堂々と胸を張って歩くんだ」
リベラは養父の助言通り、ルヴィエラを意識したくなる心を抑えて、真っ直ぐ前だけを見て、
歩き続ける。
「そうそう、その調子」
緊張の数十極。
ルヴィエラは結局、リベラに気付く事は無かった。
リベラは出口の扉に辿り着いて、安堵の表情を浮かべる。
しかし、最後の最後まで気を抜くなと、ワーロックは警告する。
「気を抜くな。
その心の変化を読み取られるぞ」
その言葉に反応してリベラは反射的にルヴィエラを見ようとした。
寸前でワーロックがリベラの頭を掴み、振り向かせない様にする。
「こら」
「あっ、御免なさい」
流石に何が不味かったのかリベラは自覚して謝る。
リベラは「極普通」を心掛けて扉を開き、堂々と退出した。 リベラを送り出したワーロックは、一行の元に戻って言う。
「次は誰が行く?」
しかし、「自分が」と名乗り出る者は居ない。
唯一人……コバルトゥスの視線はラントロックへ。
それを見たワーロックはラントロックに尋ねた。
「良し、ラント、行ってみるか?」
「えっ、俺……」
「後が閊えてるんだ。
早くしろ」
彼は強引にラントロックの背を押す。
ラントロックは遠慮勝ちに出口へと向かった。
察しの良いラントロックは、一連の流れから何と無く、ルヴィエラに気付かれない動きを、
理解していた。
しかし、ワーロックの助言が煩い。
「ラント、他の事は気にするな。
真っ直ぐ、真っ直ぐ」
「解ってるよ」
「良し、良い調子だ。
後少し」
「親父、黙っててくれ」
彼が沈黙すると、ラントロックは扉を開く。 その後、コバルトゥス、ゲヴェールト、ニャンダコーレが出て行って、残ったのはササンカだけ。
ワーロックは彼女に言う。
「後は貴女とレノックさんだけだけど……」
ササンカは無言で首を横に振った。
彼女はレノックが一緒でなければ、出て行かない積もりだった。
ワーロックもレノックをどうにか脱出させなければと考える。
レノックだけを置いて行けば、再び彼が囚われる結果になってしまう。
そのレノックはルヴィエラの注意を引く為に、中身の無い口論を続けている。
「しかし、何故、今更地上に興味を持ったんだ?」
「退屈凌ぎに理由が要るか?」
「支配する以外の退屈凌ぎを知らないのか?」
「そう言う訳では無いが、これが一番面白い。
蟻共が周章(あわてふため)く様だよ」
「弱い物を虐めて喜ぶのは、稚(おさな)い物のする事だ」
「フーム?
あの猫にも同じ事を言われたな。
この私を幼稚だと言う生意気な猫――……?
ん、んん?
おや?」
ルヴィエラは今頃になって、人が減っている事に気付いた。
「お前達、数が減っているな?
あの猫も居ないでは無いか!」 彼女は誰の仕業かと考えて、先ずレノックを疑う。
「貴様の仕業か!?
この私を前にして、不敵な奴め!」
「否々(いやいや)、それは誤解だよ。
僕は貴女の目の前で話していたじゃないか?
それとも貴女は目の前の小細工さえも見抜けない、大間抜けなのかな?」
レノックの挑発的な言動に、ルヴィエラは歯噛みした。
彼女には誰の仕業か皆目見当も付かないのだ。
魔法資質で劣る物が、自分の闇から逃れられる筈が無いと思い込んでいる。
「この私を謀るとは恐れ知らず共め!
真の恐怖を教えてやる!」
ルヴィエラは魔法資質を全開にして、3人を威圧した。
魔力の嵐が渦巻いて、レノックとササンカを苛む。
魔法資質の低いワーロックでも、その強大さは実感出来ていた。
レノックとササンカは自分の体が粉々に砕ける幻覚を見た。
それは圧倒的な魔法資質の差を前に感じる恐怖だ。
大津波に呑み込まれる様に、小さな物は翻弄されて、散り散りになる。
「自分の形を保てない」……。
しかし、ワーロックはレノックやササンカ程の恐怖は感じていなかった。
ルヴィエラの強大さ、壮大さは理解できても、唯それだけだった。
一方で精霊が砕けない様に、レノックとササンカは必死に互いの体を抱き合う。
「レノック殿……恐ろしい。
私を離さないで」
「大丈夫だ。
君は僕が守る」
それをワーロックは呆っと見ている。
(2人共、大変そうだなぁ……。
何とかしないと) 魔法資質が低い彼には、精霊を害されると言う感覚が無いのだ。
(しかし、あれだけ強大な物に私の魔法が通じるのだろうか?
とにかく、やってみるしか無いか……)
ワーロックは彼の魔法を使う。
魔力の大流に己の矮小な精霊を委ねて、ルヴィエラの魔法を逸らそうと試みる。
(……駄目だ、これは手に負えない。
余りに力が大き過ぎる)
だが、上手く行かなかった。
ルヴィエラの魔法資質は余りに高い上に、魔法その物が単純だ。
複雑な工程のある高度な魔法であれば、僅かな力でも妨害出来るのだが、単純な力押しの魔法を、
小さな力で止めるのは難しい。
(文字通り、桁が違う!
レノックさんが押される位だからな……。
こうなったら!)
ワーロックは最後の手段を使った。
「私を見ろ!!」
彼は敢えてルヴィエラに呼び掛ける。
ルヴィエラは彼に興味を持って見た。
「おや……?
これは一体どうした事だ?
私の威圧を受けて立っていられるとは?」 無視されたら、どう仕様かと心配していたワーロックは、ルヴィエラが反応した事に、密かに喜ぶ。
(良し、『掛かった』!)
呼び掛けに応えたと言う事は、「意識した」と言う事。
ワーロックの魔法は意識を利用する。
「威圧?
威圧の積もりだったのか?」
彼はルヴィエラを挑発して、自分に意識を集中させた。
これに乗るか乗らないかで、運命は大きく変わる。
「何をっ、この生意気な!
貴様からは魔法資質を丸で感じない。
無能の屑の分際で、公爵級を愚弄するとは!
身の程を知れ!」
ルヴィエラは凄むが、ワーロックには通じなかった。
それを見てルヴィエラは苛立つ。
「……フン、無能過ぎて、私の強大さの全貌を知る事が出来ぬのか……」
その通りである。
ワーロックの極端に低い魔法資質では、ルヴィエラの能力を測る事は出来ない。
しかしながら、彼の能力ではレノックやビシャラバンガ相手でも同じ事だ。
彼等の全力もワーロックには同じ様にしか感じられない。
勿論、その上を「想像する」事は出来る。
ルヴィエラがレノックより強いのだろうと言う事も判る。
だが、真に理解出来たとは言えない。 ルヴィエラは小さく溜め息を吐いて、心を落ち着けた。
「貴様の様な奴に向きになるのも馬鹿馬鹿しい」
そう言って彼女は指先をワーロックに向け、マジックキネシスによる攻撃を放つ。
単純なマジックキネシスでも、ルヴィエラの魔法資質の為に、その破壊力は絶大な物となる。
軽く放つだけでも、ワーロックを塵屑の様に消し飛ばす位の威力はある筈だが……。
「リフレクター!!」
ワーロックは反射の魔法で、マジックキネシスを撃ち返した。
全ては彼の計算通りである。
彼の前に不可視の魔法壁が現れ、マジックキネシスの運動方向を反転させる。
「何っ!?」
ルヴィエラは驚いたが、しかし、それだけだった。
元々威力を抑えていた事もあり、反射した物が直撃しても、大した傷を負わない。
「小賢しいぞ!」
ルヴィエラは反撃されない様に、マジックキネシスで魔力壁を発生させて、押し付ける。
魔力弾を射出するのと異なり、持続的に効果が続く圧力攻撃は、反射させる事が困難だ。
迫り来る魔力壁を前に、ワーロックは両手を振り上げる。
「ミラクルカッター!!」
その儘、彼が両腕を垂直に振り下ろせば、魔力壁が真っ二つに裂ける。
「此奴、又しても!!」
ルヴィエラは驚愕した。
ワーロックの魔法の原理を知らない者は、彼の中に脅威を見てしまう。
それが益々ワーロックの魔法を攻略不可能な物に変える。 ワーロックの魔法は相手の魔法資質を利用する物だ。
それには2つの形がある。
1つは相手の認識の外から魔法資質を借りる事。
相手の同意が無いので、窃盗、置き引きと言っても良いのかも知れない。
こちらは大きな力は引き出せないが、自由な形で扱える。
もう1つは相手に自分を認識させて、魔法を想像させる事。
こちらは相手の実力に比例して、大きな力を扱えるが、その形は自由では無い。
相手が「想像出来る」範囲でしか出来ないのだ。
故に、どれだけ自分を「過大評価」して貰えるかと言う事に掛かっている。
彼の極端に低い魔法資質は、相手を油断させるには十分だ。
それは大人が子供を相手にする様な物。
ルヴィエラにとっては、子供にすら及ばない、目に留める事も無い、微生物の1匹以下。
そんな物が、突如として自分の前に立ち開かると言うのは、相当の驚愕である。
ルヴィエラはワーロックの思惑通りに、彼の評価に迷い、過大評価を始めていた。
ワーロックはルヴィエラを睨み、再び両手を高く掲げる。
ここから攻撃が飛んで来る事は、誰でも予想出来る。
その「当然の予測」が実際の威力となる。
「クロスカッター!!」
それがワーロックの「魔法」なのだから。
両腕をXに交差させながら振り下ろせば、ルヴィエラの魔法に比肩する威力の魔力の刃が、
彼女に向かって飛んで行く。
「何と、何と言う……!
貴様は何者だ!?」
ここで初めてルヴィエラはワーロックと言う一人の「魔法使い」を認識し、彼を恐れた。 本来、魔法資質の低い魔法使いと言う物は、存在しない。
魔法の発動には魔力の繊細な制御が必要であり、魔法資質の低い者には、それが出来ない。
喩えるなら、盲の画家、聾の音楽家、唖の歌手だ。
不可能では無いが、大きな困難を伴う。
しかし、それが今ルヴィエラの目の前に居る。
魔力の刃はルヴィエラの体を八つ裂きにするが、「この」ルヴィエラは実体を持たないので、
深刻な損傷にはならない。
ワーロックはルヴィエラの問に答える。
「私はワーロック・"ラヴィゾール"・アイスロン」
「何者かと聞いている!」
「『素敵魔法<フェイブル・マジック>』の使い手」
「……知らん!
聞いた事も無い!!」
「新しい魔法使い」
「くっ、成る程……。
世は常に動いていると言う訳か……。
長い時の中では、稀に貴様の様な物も生まれるのだろうな」
ワーロックは両の拳を握ると、そこに魔力の光を集めた。
明るい光が弱点のルヴィエラは、目を剥いて焦る。
もう彼女の中では、ワーロックは微生物以下の雑魚ではない。
正体不明の脅威だ。
(これを食らう訳には行かぬ!)
ルヴィエラはワーロックの攻撃を防御すべく、暗黒の障壁を展開させる。 ワーロックの魔法を見ても、ルヴィエラは未だ自分が優位にある事を疑わなかった。
彼女の圧倒的な魔法資質は、彼女の自信その物なのだ。
だから、この攻撃も「防げる」。
そうした確信の下で、ルヴィエラは防御した。
ワーロックも所詮は小物に変わり無く、多少小賢しい技を使うだけの雑魚だ。
しかし、ルヴィエラも全く自分が無傷で済むと思っていた訳では無い。
多少の傷は負うかも知れないが、丁と防げば致命傷にはならない。
それがルヴィエラの見立てだった。
彼女の予想はワーロックの魔法によって現実になる。
「ライトセヴァー!!」
「ぐっ……!
貫いて来たか!」
光の刃がルヴィエラの暗黒の障壁を切り裂いて、精霊を傷付ける。
本体では無いとは言え、傷を負ったルヴィエラはワーロックを益々警戒した。
(やはり、奴は強い!
私には遠く及ばないが……。
実力を見極めなければならない様だねェ)
彼女は一時撤退しようとする。
その気配を察して、レノックは言った。
「逃げるのか!?」
「逃げるとは人聞きの悪い。
もう少し熟りと遊んでやろうと思っただけの事」 ルヴィエラに逃げられる前にと、ワーロックは最後に魔法を放った。
「ミラクルカッター!!」
しかし、ルヴィエラの姿は直ぐに消え、魔法の刃は虚空に吸い込まれる。
暗闇に取り残されたワーロックとレノックとササンカの3人は、互いに顔を見合わせた。
「さて、どうしましょう?」
ワーロックが問うと、レノックは感心した風に、しかし、一寸引いて言う。
「君は凄いな、ラヴィゾール。
いや、本当に『凄い』としか言い様が無い」
「魔力を扱うだけが魔法では無い。
それが師匠の教えです。
魔法使いは、その一挙手一投足、全てが魔法であると」
「アラ・マハラータ・マハマハリトは難しい事を言う。
しかし、それを君は理解したんだな?」
「要するに、魔法を使うのは、『魔法を使おうとする者』だと言う事です。
それは魔法に限りません。
誰かが何かを行う時には、それをしようと言う『意志』の働きがあるんです。
詰まる所、魔法と他の行為に何か大きな差がある訳では無いんです。
魔法で火を点けるのも、燐寸で火を点けるのも、弓で火を熾すのも、何も違わないと言う事」
「……解る様な、解らない様な?」
「レノックさんの音楽も同じです。
奏者が居て、音楽がある。
作曲家が居て、曲が出来る。
作詞家が居て、歌が出来る。
それぞれは何の作為も無く、独りでに出来る物では無いでしょう?
演奏に上手下手はあっても、演奏すると言う『形式<フォーマット>』には何の違いも無い……。
全ては意志、作為から始まる……」 ワーロックの話は難解だったので、レノックは一旦話題を切り替えた。
「そんな事より、早く脱出しよう」
「ああ、そうでした。
皆と合流しないと」
レノックは小さな『鐘<ベル>』を鳴らして、暗黒の空間を払って行く。
暗闇が少しずつ晴れて、見えて来たのは薄暗い城内。
そこではコバルトゥス等が全員揃って待っていた。
最初に声を上げたのはリベラ。
「お養父さん、大丈夫だった!?」
ワーロックは苦笑いで応える。
「ああ、大丈夫」
「遅いから皆心配してたんだよ!」
「済まなかった。
でも、こうして無事だったんだから許してくれ」
リベラは無言で小さく頷いた。
その後、レノックが全員を見て問う。
「全員揃っている所を見ると、未だ探索はしていないのかな?」
これにコバルトゥスが答える。
「何か罠があるかも知れないんだから、迂闊な事は出来ないだろう」
「いや、責めている訳じゃないんだよ。
良い判断だ」 それから一行は城を探索する事にした。
レノックが仮のリーダーとして進行の音頭を取る。
「それじゃあ、皆揃った所で、この城の探索を始めよう。
どこから行く?」
道は3つ。
正面と右と左。
恐らく左右は城の尖塔に続いている。
正面の道を真っ直ぐ進めば、ルヴィエラの居る王座に着くだろう。
「行き成り正面は怖い。
周りから見て行くのが良いと思う」
そう提案したコバルトゥスだが、ゲヴェールトが止める。
「待った、一度引き返してくれませんか?
俺は足手纏いですから……」
コバルトゥスは独りで帰れば良いと言おうと思ったが、この寒さの中では厳しいだろうと思い直し、
どうするべきか悩んだ。
一旦戻ってから、ここまで来るのは手間だが、ゲヴェールトを連れて進むのは確かに危険。
だからと言って、独りで帰らせて、人質に取られでもしたら面倒臭い。
コバルトゥスは他の者の意見を待つ。
中々誰も何も言わない中で、ワーロックが口を開いた。
「それなら一度帰りましょう。
皆さん、それで良いですか?」
これにビシャラバンガが反応する。
「己は構わんが、決意が鈍りはしないか?」
彼の懸念は尤もだった。
皆、決死とまでは言わないが、それなりの危険を覚悟して来た筈である。
一度安全な後方に帰った事で、再び、ここに戻って来る気力を失うかも知れない。 だが、それもワーロックは見越していた。
寧ろ、諦める者が多い事を期待していた。
特にリベラとラントロックである。
「無理をする事は無い。
引くべき時に引く事を何等恥だとは思わない。
疲れたら休むのは当然だし、人によって歩幅も違う。
遅い者に合わせる事が、物事を上手く行かせる骨だ」
ワーロックに説得され、ビシャラバンガは口を閉ざした。
不満はあるが、道理は認めて従う時の態度だ。
「済まない、ビシャラバンガ君」
「気にするな」
話が付いた後、レノックがビシャラバンガに数個の小石を渡す。
「ビシャラバンガ君、これを」
「ああ、例の小石か……。
どうするのだ?」
「思いっ切り遠くに投げてくれ」
「分かった」
ビシャラバンガは小石を1個ずつ、城の廊下に投げた。
小石は廊下の闇の向こうに消えて、転々(ころころ)と小さな音を木霊させる。
「ウム、良し、これで一旦帰ろう」
レノックの呼び掛けで、一行は城から退出する。 特に城の扉が開かないと言う事も無く、全員無事に城から出られた。
寒風吹き荒ぶ雪原に出て、一行は身を竦める。
ここから徒歩で帰らなくてはならないのだ。
吹雪の所為で、魔導師会の根拠地は見えない。
レノックの行進曲とコバルトゥスの精霊魔法が、一行を導く。
1角掛けて無事に魔導師会の西側根拠地に戻った一行は、ゲヴェールトを魔導師会に預ける。
ワーロックは魔導師会がゲヴェールトをどう処遇するのか心配して彼に同行した。
そしてゲヴェールトを連行しに出て来た執行者に話し掛ける。
「待って下さい。
彼は血の魔法使いで……」
「解っている」
警戒を怠らないと言う意味で執行者は答えたが、ワーロックが言いたかったのは、そうでは無かった。
「いや、そうじゃなくて……。
複雑で面倒な話なんですが、彼は操られていたんです」
「真実は取り調べで明らかになる。
魔導師会は嘘を許さない。
本当に操られていたなら、そう判る筈だ」
「余り厳罰に処すのは気の毒です」
「だが、操られていようと、操られていまいと、行為に関する責任は負って貰う。
勿論、罪の軽重は変わるが、無罪放免とは行かない」
「ええ、承知しています。
それは当然です。
でも……」 ワーロックは何とか話を聞いて貰おうと食い下がったが、執行者は膠も無く突き放した。
「魔法に関する事は全て、魔導師会の専権事項だ」
擁護されているゲヴェールトも必死なワーロックを気の毒に思って言う。
「済みません、もう良いですよ。
後は俺自身の事なんで……」
その儘、ゲヴェールトは執行者達に連行された。
沈痛な面持ちのワーロックに、ラントロックが言う。
「何も、そこまで必死にならなくても……」
これにワーロックは激怒した。
「ラント、お前も他人事じゃないんだぞ!」
ラントロックも反逆同盟の一員だった。
ゲヴェールトとの違いは、その事実が公になっていないだけに過ぎない。
彼にとってゲヴェールトを守る事は、息子を守る事にも通じるのだ。
正論に口を封じられたラントロックをリベラが庇う。
「お養父さん、ラントに当たらないで」
「……ああ、悪かった、ラント」
ワーロックはラントロックに謝ったが、ラントロックは外方を向いた。
リベラはラントロックを優しく諭す。
「お養父さんは貴方の為を思ってやっているの。
それだけは解って上げて」
「ああ、俺だってガキじゃない」
ラントロックは強がって大人振った。 その後、魔城に向けて再出発する前に、レノックは皆を集めて、改めて尋ねる。
「さて、皆、ルヴィエラの強さは身を以て解って貰えたと思う。
それでも尚、魔城に行きたいと思うかな?」
彼の問に、リベラとラントロックは口を閉ざし、周りの様子を窺った。
ルヴィエラは魔城に入った者を監視している。
彼女は気紛れなので、戯れに戦いに出て来るかも知れない。
そうなった時に、自分達は無事では済まないだろうと言う確信がある。
足手纏いになってしまうのでは無いかと心配もする。
最初にレノックの問に答えたのは、ビシャラバンガだ。
「当然だ」
彼の事だから、そう言うに決まっていると、誰もが思っていた。
リベラは一度、養父ワーロックを見る。
「お養父さん、行くの?」
「ああ」
「大丈夫?」
「大丈夫では無いかも知れない。
絶対に大丈夫とは、絶対に言えない。
それでも何とか戦えそうではあった」
「戦えるの!?」
目を剥いて驚くリベラに、ワーロックは眉を顰めた。
「何をそんなに驚く」 リベラにはワーロックにルヴィエラと対峙出来る実力があるとは、全く思えなかったのだ。
リベラだけで無く、コバルトゥスも驚いていた。
「先輩、マジッスか?」
「マジだよ。
信用が無いなぁ」
それを聞いてコバルトゥスは思案する。
自分が行かない事で、リベラ達の行動を抑えられるのでは無いだろうかと。
彼はワーロックに耳打ちした。
「それで先輩、実際どの位、やれそうなんスか?」
「一対一でも運が良ければ何とかなる位には」
「……マジッスか?」
「本当、本当。
私の魔法と相性が良かったんだ」
「俺が行かなくても大丈夫そうッスか?」
「いや、居てくれた方が心強いが……。
何か考えがあるのか?」
ここでコバルトゥスが怖じ気付いたとは、ワーロックは思わなかった。
そう察してくれた事が、コバルトゥスには嬉しい。
「その通りッス。
俺が行かない事で、リベラちゃんやラントを引き留められるんじゃないかと」
「成る程な。
しかし、良いのか?
臆病者だと思われるかも知れない」 これも一種の自己犠牲だ。
自分の名誉が傷付く事にも構わず、命を守ろうとする。
「元々俺には名誉なんて、有って無い様な物スから」
「私に何かあったら、リベラとラントを頼む」
「えっ、一寸待って下さいよ……」
行き成りワーロックが不吉な事を言う物だから、コバルトゥスは慌てた。
ワーロックは誤解されない様にと言う。
「もしも、もしもの話だ。
それに……。
お前になら、リベラを預けても良いかも知れない」
「いや、今までも俺はリベラちゃんを――」
今までワーロックと別行動をしていたリベラとラントロックの面倒を見ていたのは、コバルトゥスだ。
だから、彼はワーロックの言葉の意味を理解するのに、少し時間が掛かった。
「えっ、えっ、もしかして?
もしかして、そう言う事ッスか?
そう言う事だと思って良いんスか!?」
要するに、ワーロックは養娘リベラを嫁にやっても良いと言っている。
「何より当人の意思がある事が、大前提だがな」
「ええ、はい、そりゃあ、もう!
任せて下さい!」
「あ、ああ……」
俄かに喜び元気になるコバルトゥスを見て、ワーロックは一寸早まったかなと思った。 その後にコバルトゥスは演技をして言う。
全員の顔色を窺いながら、申し訳無さそうな風を装って。
「あの、俺は残っても良いッスか?」
これにはレノックとワーロック以外の全員が驚いた。
リベラが声を上げる。
「コバルトゥスさん!?」
コバルトゥスは苦笑いしながら言う。
「ルヴィエラと対峙して解りました。
俺には奴を倒せるだけの力が無い。
足手纏いになるのも嫌なんで、ここに残ります」
レノックは少し残念そうな顔をした物の、無理に誘いはしなかった。
「そう判断したのなら仕方が無い。
賢明な判断だ」
彼が肯定した事で、リベラとラントロックは益々動揺する。
ビシャラバンガが小声で呟く。
「軟弱な」
それをコバルトゥスは聞いていたが、特に反論はしなかった。
彼の役割は「皆で行くのが当然」と言う空気に、一石を投じる事。
臆病と言われようが、惰弱と言われようが、甘んじて受ける覚悟だった。
そうした他人の為に名を捨てられる精神に、ワーロックは敬意を払っていた。 ここでワーロックはリベラとラントロックに尋ねる。
「リベラとラントは、どうする?」
リベラが無理に行くと言わなければ、ラントロックも付いて来ないとワーロックは読んでいた。
それはリベラも判っている。
だから、ここでリベラが頷く事は、ラントロックを連れて行く事にもなる。
義弟を危険な目に遭わせたくないなら、リベラも残ると言うべきだ。
ラントロックは静かに義姉を見詰めていた。
彼の返事は彼女次第。
リベラは本心ではワーロックに付いて行きたかった。
しかし、足手纏いになるのは嫌だった。
ワーロックは迷うリベラに告げる。
「無理をするな。
私は、お前達を失いたくない」
コバルトゥスもリベラに言う。
「自信が無いなら、やめた方が良い」
結局、彼女は押し負けて俯く。
「……私は……」
その先をワーロックは配慮して言わせなかった。
「それで良い。
必ず帰って来るから」
「絶対は無いって言ったじゃない……」
「それでも帰って来る。
私を……私達を信じてくれ」
力強く答えたワーロックに、リベラは小さく頷く。 彼女に続いて、ラントロックも言った。
「俺も残る……と言うとでも思っているのか?
親父、俺は行く」
「ど、どうしてだ?」
彼の意外な決断に、ワーロックは吃驚して目を丸くした。
ラントロックの目は決意に満ちていた。
「城の中に居る、昆虫人スフィカに用がある。
スフィカは一応、俺達の仲間だった。
出来る限り、連れて帰りたい。
もし会えれば、無理遣りにでも」
「分かった」
それを聞いたワーロックは、特に何も言わずに了解する。
「待て」とも「止めておけ」とも言わない。
「お養父さん!?」
「ラントが決めた事だ」
リベラには訳が分からなかった。
狼狽えて不安気な目をする彼女に、ラントロックは告げる。
「義姉さん、言いたい事は解ってる。
危険は覚悟の上だし、もしかしたら足を引っ張るかも知れない。
でも、俺は行く」
義弟の強い瞳にリベラは何も言えなかった。 リベラはラントロックは自分に付いて来る物だとばかり思っていた。
これまでは、そうだったのだ。
しかし、今後も続くとは限らないと言う事を、彼女は解っていなかった。
コバルトゥスにとってもラントロックの反応は予想外だったが、それよりも彼の心は、
リベラを引き留める事に向いていた。
「リベラちゃん、ラントも自分の考えがあるんだ。
それは尊重してやらないと」
「でも、危険過ぎます!」
彼女の反論にコバルトゥスは言う。
「ああ。
ラントは、それを承知で行くんだよ。
誰かが行くからとか、そう言う事じゃなくて、自分自身の意思で」
「自分自身の意思……」
「そう言う人間は強い。
自分がやらないと行けない、自分にしか出来ないと思った時、本当の力が出る」
「でも、それでもルヴィエラには――」
「否々(いやいや)、リベラちゃん、ラントの話を聞いていたかい?
彼はルヴィエラを倒しに行くんじゃないよ。
彼は彼にしか出来ない事、彼が『やらなければ行けない事』をしに行くんだ」
リベラは黙り込んで考えた。
そしてラントロックを羨ましく思った。
リベラは何時も受動的だった。
魔城に行くと言ったのだって、養父が行くと言った為。
しかし、ラントロックは父も義姉も関係無く、自分の目的を持って行く。 一方、レノックは未だ態度を決めていない、残りの1人と1匹、ササンカとニャンダコーレを見た。
「君達は、どうする?」
それにニャンダコーレが答える。
「私も、コレ、残る事にします、コレ。
この体なら、コレ、ルヴィエラも見逃すかと思ったのですが、一度正体を知られた以上、コレ、
敵も油断してはくれますまい」
「分かった。
ササンカ君は?」
レノックは本音ではササンカには待っていて欲しいと思っていたが、それを口にはしなかった。
彼もササンカの事はササンカ自身が決めるべきだと思っている。
「私は常にレノック殿と共に在りたいと思っています」
ササンカは正直に答えたが、レノックが少し残念そうな顔をしたので、不安になって問うた。
「……御迷惑ですか?」
「そうじゃない。
君には危険な目に遭って欲しくない」
「それならば、そう命じて下さい。
貴方の命令なら、どんな理不尽な事でも従います。
待てと言われれば、待ちましょう」
レノックは暫し悩む。
彼女を連れて行くべきか、それとも安全の為に残らせるべきか……。 彼はワーロックを一瞥した。
その視線に気付いたワーロックは、適切な助言が出来ないかと考える。
「レノックさんは、逆の立場なら、どうしていましたか?」
「逆?
僕がササンカ君だったらって事かい?
その問は難しい。
だって、僕には……人を想う気持ちなんて解らないんだから。
恋焦がれる程、人を好きになった事は無い。
旧い魔法使いだから、悪魔の一種だから、そう言う機能が無い」
「『無い』と言う事は無いと思うんですけどね……。
人間に惚れた悪魔なんてのは、それこそ昔から居る訳で。
確かに、それが人間と同じ感情や感覚かは分かりませんが……。
しかし、親(ちか)しい人を想う気持ちが、全く解らないと言う事は無いと思いますよ」
レノックはササンカを凝(じっ)と見詰めた。
ササンカも又、レノックを見詰め返す。
彼女は全く揺るぎもせず、レノックの瞳を見続けた。
それは必死にレノックに訴えている様だった。
やがてレノックは結論を出す。
「……ササンカ君、一緒に来てくれ」
彼はササンカの意思に任せるのでも無く、自分から願った。
それに対して、ササンカは冷静な声で頷く。
「仰せの儘に。
我が身も心も、永久に貴方と共に」 結局、ルヴィエラの魔城に向かうのは、レノック、ワーロック、ビシャラバンガ、ササンカ、そして、
ラントロックの5人となった。
リベラはラントロックに、自分の持ち物を持たせられるだけ持たせる。
「ラント、これを」
養父が使っていた、お下がりのバックパック、魔法のスカーフ、自作の木彫りのペンダント、
護刀(まもりがたな)。
「絶対に無事に帰って来て」
「当たり前だよ。
元から死ぬ積もりなんか無い」
ラントロックは強気に言い切って、大きく頷いた。
それから5人は吹雪の中を歩き、再びルヴィエラの魔城へと向かう。
レノックの行進曲が、吹雪と寒さを和らげて、足を進める勇気を引き出す。
道中、ワーロックはラントロックに話し掛けた。
「お前が一緒に来るとは思わなかった」
「義姉さんと一緒に残るって?」
「……そうだな。
そうする物だとばかり思っていた」
ワーロックの口振りは沁み沁みとしており、感慨深気だった。
彼は実の息子ラントロックの成長を喜んでいるのだ。
「だが、余り気負うな。
焦りは良い結果を齎さない」
彼の忠告をラントロックは素直では無い言い方で受け取る。
「解ってるよ、その位」 一方、魔城の中で一行を待ち受けるルヴィエラは、玉座の間にて遠見の鏡で様子を窺っていた。
「何だ、5人しか居ない?
人が減っている。
この私を侮っている……訳では無かろう。
何か企て事をしておるな?
詰まらない事を考えるねェ」
ルヴィエラの側には4人――否、4体が控えている。
これが反逆同盟最後のメンバーだ。
昆虫人スフィカ、寓の魔法使いバルマムス、予知魔法使いスルト・ロアム、そして黒騎士。
ルヴィエラはスルトに尋ねた。
「スルトよ、お前の予知では何と出ている?」
「……実の所、貴女の将来は測り兼ねる。
彼等に本気で対抗する為には、如何に貴女でも全力を尽くさねばならぬ。
然すれば、魔法の世界が訪れよう。
私の予知は魔法の世界の前では大いに乱れる。
飽くまで、予知とは世の理があっての事」
「私が『全力』を出すと言うのだな?
それは変えられない運命だと」
「その通りだ」
「情け無い!
堂々と言う事か!?」
スルトが余りに淡々としているので、ルヴィエラは苛立を打付ける。
しかし、彼は全く動じなかった。
「全ては運命。
私は全知ではあるが、全能では無い」 しかしながら、ルヴィエラはスルトの言う事を疑っていた。
魔法の世界を展開する事は、如何にルヴィエラでも容易では無い。
彼女が本気を出した上で、魔城の機能も借りなくてはならない。
そこまでの事態になるのかと言う疑いが、先ずあるのだ。
一行の中で最も魔法資質の高いレノックでさえも、魔法の世界を召喚するまでも無い。
そうなると……。
(やはり、あの男か……)
ルヴィエラはワーロックに注目した。
魔法資質は感じられないのに、レノックと同等以上の威力の魔法を使える、脅威の存在。
(奴は一体何なのか……。
神の遣した刺客?
ウーム、それにしては俗い)
ワーロックは純粋に強いのでは無く、何か秘密がある筈だとルヴィエラは考える。
それを暴ければ、取るに足らない相手だと思うのだ。
では、誰なら彼の本性を暴けるか……。
残ったメンバーは余りにも頼り無い。
ルヴィエラは黒騎士に目を遣る。
以心伝心。
彼女の心は一瞬にして黒騎士に伝わる。
「ルヴィエラ様が自ら、お出でになるまでも御座いません。
この私が行きましょう」
「しかし、お前は一度巨人魔法使いに負けている。
私の介入が無ければ、お前は消滅していた。
やはり私の助けが必要だろう」
「……自らの無力を恥じるばかりであります」
「良い。
では、行け」
ルヴィエラの指示で、黒騎士は闇に溶ける様に姿を消す。 再び魔城の門の前にまで到着した一行は、一旦足を止める。
息を呑む様な威圧感は相変わらずで、やはり誰も恐れを感じずには居られない。
それでも前に進むしか無い。
意を決して門に触れようとしたビシャラバンガを、レノックが止める。
「待ってくれ」
態々止められたので、罠でもあるのかと思ったビシャラバンガだったが、レノックの行動は……。
「頼もう!!」
彼は大声で案内を乞うた。
ビシャラバンガは眉を顰める。
「何をしている?」
「どうせ、僕等が来た事は、お見通しなんだ。
窃々(こそこそ)したって意味が無い。
だったら、正面から堂々と入ってやろう」
一理ある様な無い様な行動に、ビシャラバンガは何と言って良いか分からず、沈黙した。
一行は暫く待ったが、反応は無く、どうすれば良いのかと、揃ってレノックの顔を見る。
「反応が無いなら、仕様が無い。
入るとしよう」
レノックは門を潜り、城内に足を踏み入れる。
その他の者も彼の後に続いて、城内に進入した。
城内に入った一行の前に、黒騎士が現れる。
「よく来た、お客人。
先ずは、用件を伺いたい」 一行は身構えるも、黒騎士が仕掛けて来る様子は無いので、話に応じる事にする。
応えるのはレノック。
「城の中を見学させて貰いたい」
「……暫し待て」
黒騎士は一行に待機を指示して、パッと姿を消した。
一行はルヴィエラを倒す為に来たのだと思っていたので、全く予想外だったのだ。
黒騎士はルヴィエラに報告する。
「ルヴィエラ様、奴等は城を見学したいと」
「我が城に何か秘密があると思っておるのかな?
それとも城を無力化する策でもあるのか……」
「如何致しましょう?」
「……戦う気が無いのであれば、放置しても構わぬと思うが……。
妙な小細工をせぬ様に、見張っておれ」
「御意」
ルヴィエラの指示を受けた黒騎士は、再び一行の前に現れた。
「では、案内する。
付いて来い」
本当に要求が通ってしまったので、一行は困惑しながらも従った。
黒騎士は先ず、城の西塔に向かう。 一行は黒騎士の後に付いて、城の西塔へ。
しかしながら、何も無い城である。
何も生きている気配がしない。
ササンカはレノックから無言で小石を受け取り、密かに床に落とした。
隠密魔法使いだけあって、ササンカの行動は自然その物。
傍から見ても、忽(うっか)り落としたのと区別が付かない。
余り気付かれないのも如何かとレノックは思ったが、明から様過ぎて怪しまれても都合が悪いので、
後でルヴィエラが気付いてくれる事を願った。
空疎な城の中は極寒の地に在りて唯寒いばかり。
西塔の螺旋階段を上り、塔の頂に着くと、吹き飛ばされそうな一層強い寒風が吹き荒れている。
レノックは黒騎士に尋ねた。
「君は寒くないのかい?」
「私は人間とは違う。
痛みも暑さ寒さも感じる様には出来ていない」
「ああ、余計な心配だったかな?
しかし、寂しい城だ。
どれだけ豪奢でも、人の居ない城は寂しいよ。
ルヴィエラは虚しくないのだろうか?」
「我が主の御心は余人の与り知る所では無い」
黒騎士は悪魔らしい答え方をした。
悪魔にとって、上意を疑う事は不敬に当たる。
下位の者に上意は解らなくて当然であり、一々知りたい等と思う事自体が僭越なのだ。
唯忠義を尽くすのみ。
だが、レノックは「無礼」な口を利くのを止めない。
「宝石と同じだ。
光物を纏い、身形を綺麗に飾るのは、人前に出る為。
箱に仕舞うだけならば、石屑でも同じ事。
独り眺めて愉しむ趣味でもあるまいに」 黒騎士は沈黙したが、レノックは続ける。
「もしかしたら、だから地上に出て来たのかもな。
立派な城は、やはり人に見せ披かす物だよ。
しかし、立地が悪い。
そうは思わないか?」
彼は黒騎士に問い掛けたが、無視を決め込んだ黒騎士は全く反応しない。
レノックは肩を竦めて言う。
「ここは十分だ。
城を案内するんだから、もっと見所を考えないと駄目だよ。
ここだって言う売りが無いと、唯見ているだけでは詰まらない」
そうは言っても、黒騎士は案内人では無いから、どう仕様も無い。
そもそも彼の言う売りや見所が今一つ解らない。
レノックは困った顔で、黒騎士に言った。
「ルヴィエラを呼んでくれ。
君では話にならないよ。
僕が案内人とは如何なる物か教えよう」
その発言に一行は驚いた。
態々ルヴィエラを呼び付けようと言うのだから。
時間稼ぎとしては最適なのかも知れないが、いざと言う時に逃げられなくなるかも知れない。
幸い、黒騎士はレノックの小言に付き合う積もりは無かった。
「そんな事で我が主の手を煩わせる訳には行かない。
客人は客人らしく、大人しくしていて貰おう」 レノックは再び両肩を竦めて、諦めた様に溜め息を吐く。
「仕様が無い。
僕も客人としての立場は弁えている積もりだ。
とにかく、もう少し見所と言う物を考えてくれ」
彼は注文を付けるだけ付けて、漸く沈黙した。
一行は安堵して胸を撫で下ろす。
本当にルヴィエラを呼ばれていたら、どうする積もりだったのか……。
一行は西塔の上から屋内に引き返し、今度は東塔へと向かう。
――さて、ルヴィエラは当然の様にレノックの話を聞いて、立腹する所か、何と納得していた。
(確かに、黒騎士では不案内に過ぎるね。
だからと言って、この私が出て行くと言うのも……。
ウーム、どうした物かねェ……)
そんな事を考えながら、彼女は残ったメンバーを一覧した。
しかし、口巧者と思しき人材は居ない。
バルマムスは新参、スルトは洒落が通じない、スフィカは無口と来ている。
黒騎士の様に、配下を創造しても、俄かに人間に通じる知識を持たせる事は難しい。
悪魔に美的感覚を求めるのが、そもそも間違いなのだ。
悩まし気な顔のルヴィエラに、バルマムスが問い掛ける。
「如何なされた?」
「バルマムスよ、貴公は、この城をどう思う?」
「それは素晴らしい城で御座います」
「お弁口(べっか)は嫌いだよ。
具体的に、『どこが』、『どう』素晴らしいか、言えるか?」 ルヴィエラに問い詰められ、バルマムスは答に窮したが、嘘だとも言えずに見栄を張る。
「それは100でも200でも」
旧い魔法使いは基本的には嘘を吐かない物だが、このバルマムスは例外的な存在だ。
曖昧さを司る為に、真実を嘘に、嘘を真実に出来る。
当人も、それなりに知恵が回る。
ルヴィエラはバルマムスの言葉を心の底から信じた訳では無いが、嘘でも本当でも面白いと思い、
戯れに命じた。
「良し。
では、黒騎士に代わって、奴等に城を案内してくれ。
この城の名所と美点を100でも200でも、飽きるまで聞かせてやれ」
「えっ、それは」
バルマムスが答える前に、ルヴィエラは闇に呑ませて送り込む。
――そして、バルマムスは黒騎士の前に落とされた。
「あの、マトラ様……?
い、行き成りは困りますよ!?」
逆に黒騎士はルヴィエラに呼び戻される。
(黒騎士、御苦労だった。
お前の役目は、ここまでだ。
後はバルマムスに任せるが良い)
「はい、ルヴィエラ様……」
黒騎士は自らの影に潜り込み、姿を消す。
残されたバルマムスは一行に睨まれて、縮み上がった。
「あっ、いや、その、私は……」 もう、こうなったら仕方が無いと、バルマムスは堂々と言う。
「ここからは黒騎士に代わって、私が案内仕る」
恭しく一礼し、敵対の姿勢が無い事を示したバルマムスは、一行に背を向けて歩き始めた。
背後から襲われないかと内心怯えながらも、バルマムスは言う。
「さて、黒騎士は、どこまで案内しましたか?」
この問にレノックが答える。
「西塔を案内しただけだよ」
「然様ですか……。
では、次は東塔ですな」
背中から攻撃されないかと、バルマムスは内心恐々としていたが、そんな事は無く、東塔に着く。
東塔の螺旋階段を上りながら、バルマムスは適当に講釈した。
「この城は旧暦の王城を模した物です。
外観も内装も立派な物でしょう?」
これにレノックは異を唱える。
「しかし、寂しい。
王城とは、もっと人で溢れている物だよ。
寂れた古城の趣も悪くは無いが、それでも主が居るなら、僕を配しておく物だ。
平気で埃を積もらせている等、衛生観念を疑われる」
彼は城の壁を手で撫でて、手袋の先に着いた埃に眉を顰めると、フッと息を吹いて飛ばした。
丸で小姑の様だと、バルマムスはレノックに背を向けて嫌な顔をする。 バルマムスは一行を東塔の屋上に連れて出ると、周囲を一望して語った。
「見事な景色でしょう?」
それに突っ込むのは、やはりレノック。
「見事も何も吹雪で殆ど何も見えないじゃないか……」
「一面の白!
これも一種の芸術だとは思いませんか?
晴天の時は、地平線まで銀世界が広がります。
南を向けば、白き山脈。
……今は生憎の吹雪ですが……」
「ウーム、解らなくは無いかな……。
しかし、ルヴィエラは白が好きなのかい?」
「逆ですよ。
夜には、この白が黒に呑まれます。
漆黒の母たる彼女に相応しい景色でしょう」
「成る程」
レノックは納得して頷いたが、殆どバルマムスの出任せである。
これがルヴィエラの真意とは限らない。
当のルヴィエラはと言うと、バルマムスの口八丁に感心し切りだった。
(フーム、やはり口の巧い者は良い……。
私の配下にも、あの位の者が1人は欲しいな) そう思いながら、彼女は黒騎士を見る。
「黒騎士」
「はい、何でしょうか?」
「お前も少しはバルマムスの達者な口を見習え」
「はい」
しかしながら、配下の性質は主に似る物だ。
口巧者の配下が居ない事は、ルヴィエラ自身に理屈を捏ねる能力が無い事を意味している。
圧倒的な力を持つ彼女は、一々面倒な理屈を捏ねる必要が無い。
多くの大悪魔は、異空に自分の世界を持っているので、そこから自然に生まれた物の中には、
他者との競争から固有の能力、或いは、個性を身に着けた物が現れる。
そうした「自ら生み出した物では無い存在」を配下に「加える」事によって、度量の大きさを示す。
ルヴィエラは魔城こそ持っているが、そこに命が生まれる様にはしなかった。
その頃、バルマムスは一行を引き連れて、城郭の上を歩き、城を一周する。
「小都市にも比肩する、この広さを御覧下さい」
「広いばかりで何も無いじゃないか……」
呆れるレノックをバルマムスは嘲笑した。
「呵々々、何も解っておられませんな。
この中に町を封じるのですよ」
それを聞いてワーロックとレノックの顔が引き締まる。
彼等には「町を封じる」事に覚えがあった。
(恐ろしい城だ。
この城自体が、その儘、兵器の様な物……) バルマムスは続ける。
「勿論、御存知の事と思いますが、この城は只の城ではありません。
それは丸で生きておるかの様です。
否、もしかしたら本当に生きておるのかも知れませんな」
ワーロックは城を見回して、ある事に気付き、レノックに囁く。
「レノックさん、この城、あの時と違います。
天守の外観は同じ様ですが……」
「ああ、解っているよ。
城郭が小さい。
恐らくは可変なんだろうな。
それに城に入る前の威圧感……。
あれはルヴィエラの物では無かった。
僕等は城その物に圧倒されたんだ」
レノックの発言にワーロックは困惑した。
「城」と一体どう戦えば良いのか?
しかし、レノックは冷静に推測を述べる。
「城が生きているとは言え、能動的な活動は限られるだろう。
誰の指示も無く、活発に動く事は無いと思う」
「そうなら良いんですけど……」
2人が話し合っていると、バルマムスが大きな声で言う。
「さて、皆様。
体が冷えない内に、中に入りましょう」
一行は寒風吹き荒れる外から、再び城内に入った。 続いてバルマムスは一行を宿泊棟に案内する。
「ここは宿泊棟です。
この棟は円形で、全て似た様な構造の客室であり、非常に迷い易いです。
部屋数は高級ホテル並みで、広さも十分」
「そんなに誰が泊まると言うんだい?」
レノックは又も突っ込みを入れた。
バルマムスは眉を顰める。
「嘗ては賑わっていたのでしょうな。
必要が無ければ、造られない物なので」
ルヴィエラの性格からすれば、別に必要があろうと無かろうと、無駄な機能を付けるのは、
有り得ない事では無いのだが……。
それからバルマムスは暫く、宿泊棟を歩いていた。
最初の内は大人しく後に続いていた一行だが、中々次の場所に付かない事を疑い始める。
ビシャラバンガが苛付いた様子で尋ねる。
「おい、何時まで、こんな所を彷徨いているんだ?」
バルマムスは身を竦めて、早口で弁解した。
「いえ、ここは広い上に、同じ様な部屋が並んでいると言ったでしょう?」
「それにしても限度がある」
ビシャラバンガは凄んでみせるが、レノックが彼を止めた。
「待ってくれ、ビシャラバンガ。
アストリブラ、もしかして迷ったのか?」 その通りである。
バルマムスは正直に告白しようか迷った。
自分達の拠点なのに道に迷うとは大間抜けも良い所。
大恥である。
旧い魔法使いは体面を気にする物だ。
ここで素直に認めては、レノックに馬鹿にされるだけでなく、全員に呆れられる事は想像に難くない。
「迷った?
フフフ、何を馬鹿な」
苦境に陥ったバルマムスは不敵に笑う。
一行は戦闘になる覚悟をして身構えた。
「敵に城を案内しろと言われて、素直に案内する馬鹿が居ると思うのか?
貴様等は、ここで永遠に迷い続けるのだ!」
そう言うと、バルマムスは蝙蝠の姿になって、あっと言う間に飛び去ってしまう。
一行は迷い易いと言う宿泊棟に、初見の状態で置き去りにされた格好。
だが、レノックは全く慌てていなかった。
「仕様が無い。
一旦、引き返そう」
ラントロックが驚いて声を上げる。
「えっ、帰れるの?」
レノックはササンカを顧みて得意気に言う。
「道標を置いて行ったからね」 一行は小石を辿って、城の入り口前に戻って来た。
迷わなかったのは良いが、この先どうするのか、ワーロックはレノックに問う。
「ここから、どうしましょうか?」
「取り敢えず、別の者を遣して貰う様に、頼んでみるよ」
そう答えたレノックは、高い天井を見上げ、虚空に向かって呼び掛ける。
「おーーい、ルヴィエラ!
案内人が、どこかへ行ってしまったぞ!
どうすれば良いんだ?」
それを受けて、ルヴィエラは対応を考えていた。
「……バルマムスめ、気でも違ったのか?」
唐突に役割を放棄して逃げ出したバルマムスの行動が理解出来ず、彼女は困惑する。
残るはスルトとスフィカと黒騎士だけ。
「そうだな……スルト、行けるか?」
指名されたスルトは驚きも無く頷いた。
「解った。
これも運命」
本当に全知で全てを理解しているのか、ルヴィエラは怪しみながらも、スルトを闇に呑ませて、
送り込む。 一行の前に現れたスルトは、先ず自己紹介した。
「お初お目に掛かる。
私の名はスルト・ロアム、予知魔法使いだ。
バルマムスに代わって、案内仕る」
レノックは疑いの目で彼を見る。
「そのバルマムスは『敵を案内する馬鹿が居るか』と言って、逃げて行った訳だけど」
「『あれ』の事は本当に解らない。
私に敵意が無い事は解って貰いたい」
「予知魔法使いなのに?」
予知魔法使いにとって、「分からない」は禁句だ。
未来を見るのだから、分からない事があってはならない。
それを恥ずかし気も無く言えるからには、裏がある。
そうレノックは思っていたのだが、スルトは平然と答えた。
「行動は判っても、心の中までは解らない。
そう言う物だ。
予知魔法使いが『嘘を吐かない』と言う事は知っていよう」
レノックはスルトに言い負かされて沈黙する……訳も無く、問を変えて尋ねた。
「それなら、この先どうなるか判っているのかな?」
「ああ、判っている。
全ては私の予知の通りに」 スルトが自信と余裕を持って答えたので、レノックは彼を怪しんだ。
「どうなるのか、言って貰おうじゃないか?」
「そうは行かない。
意図的に予知を外されては敵わない。
真実は我が内にのみ」
「役に立たない予知魔法使いだなぁ」
レノックは挑発的に言うも、スルトは相手にしなかった。
「予知魔法使いに必要な物は、予知を裏切らない真の主だ。
それ以外の者に真実を告げる必要は無い」
「寂しい奴め。
まあ、それは良いとして、案内宜しく頼むよ」
「では、行こう」
独り先に歩き出したスルトに、レノックは問う。
「どこに?」
「お前達が最も知りたいと思っている所。
この城の中枢だ」
そう言うと、彼は城の正面に見える吹き抜けの大階段の裏手に回り込み、一行を地下へと誘った。
罠では無いかと警戒する面々を、レノックは説得する。
「只の見学だよ。
恐れる事は無い。
彼が言った通り、予知魔法使いと言う物は嘘を吐けないんだ」 城の地下は益々暗い。
ワーロックは明かりの魔法で、レノックはランプのベルで暗闇を照らす。
一行を先導するスルトは暗い中でも、階段を踏み外す事無く、真っ直ぐ歩いている。
下降螺旋の階段を10身は下りただろうか……。
一行は広間に出る。
広間の中央の床には、青白く光る巨大な円形の「何か」が置かれていた。
「これは……!」
レノックは目を見張って、驚きを顔に表す。
ビシャラバンガもラントロックもササンカも、ワーロック以外の全員は、この円から膨大な魔力を、
感じ取っていた。
スルトは淡々と告げる。
「そう、これが所謂『魔界への門』だ」
レノックは絶句している。
「どうしたんですか、レノックさん?」
ワーロックが尋ねると、彼は深刻な顔で言った。
「ルヴィエラには勝てないかも知れない。
この城は危険過ぎる……!」
「どう言う事なんですか?」
「ルヴィエラは無限の魔力を扱えると言う事だ。
魔法には魔力が必要だ。
如何にルヴィエラでも、無から魔力を生み出す事は出来ない。
だから、『供給源<リソース>』の限られる地上では、全力を出し切る事は出来ない――筈だった」 途中でビシャラバンガが口を挟む。
「ここからは膨大な魔力が放出されている。
察するに、恐らく無尽蔵に魔力が湧き出るのだろう?」
レノックは深く頷いた。
「その通りだ。
ルヴィエラは、その気になれば魔法の世界を召喚出来る。
魔法大戦の再来になるぞ……!」
今一つ状況を理解出来ないラントロックは、レノックに問う。
「魔法大戦の再来って……?」
「あぁ、詰まり……。
この地上に魔力が溢れてしまうんだ。
大量の魔力は地上を汚染する。
そして地上の生き物に、大きな変化を齎す……」
「詰まり?」
「今の世界は崩壊するかも知れない。
それこそ旧暦の様に、全てが海の底に沈んでしまうかも」
レノックは一度スルトに目を遣って尋ねた。
「お前は、それを望んでいるのか?」
スルトは小さく首を横に振る。
「私は何も望まない。
全ては私の予知の通りに」 レノックはスルトに疑いの眼差しを向けた。
「予知魔法使いは自分の未来を語らない。
そして、自分の為に予知をしては行けない。
お前の予知は誰の為にある?」
「予知は予知、誰の為でも無い。
未来は既に定められており、誰にも、それは変えられない。
未来は唯訪れるのみ。
誰の為でもありはしない」
その達観した物言いに、レノックは確信を持つ。
「お前は……。
お前が目指している物は、全知の書か!?」
力のある予知魔法使いは、未来を選択する。
しかし、スルトは自分の手で未来を変える積もりは無い。
既に決定された物として扱っている。
それは予知魔法使いの究極の姿だ。
「御明察。
私の目標を言い当てた褒美に、一つ予言しよう。
魔法の世界は訪れる。
必ずな」
スルトは不敵に笑い、未来を予知する。
予知魔法使いの予知は、先ず外れない。
レノックは内心の焦りを抑えて、強気に言う。
「良いのかな?
そんな予言をしてしまって」 予知を外す事は、予知魔法使いとしては致命的だ。
全知の書を目指すのであれば、尚の事。
しかし、スルトは全く気にする様子が無い。
「良いも悪いも無い。
私にとっては過去も未来も同じ物。
過去を否定出来ない様に、未来も否定出来はしない。
外れないから予言なのだ」
余程自信があるのだろうと、レノックは推察する。
「その予言をルヴィエラは知っているのか?」
「ああ、知っている。
私が教えた」
予知魔法使いは予言する事で、未来を引き寄せると言う。
だが、それは必ずしも成功するとは限らない。
予言は実現するまでは常に外れる可能性を孕んでおり、特に意地の悪い者は意図して予言を外そうと、
天邪鬼な試みを実行する事がある。
ルヴィエラの性格は正に天邪鬼だ。
彼女に対して本当に予言したのかと、レノックは大いに驚く。
「あのルヴィエラが、大人しく予言に従う物か?」
「何人たりとも未来からは逃れられない」
スルトの反応に、これは不味いぞとレノックは感付いた。
今までルヴィエラを正面から打ち倒す事ばかり考え、魔導師会と計画して来た。
しかし、それが今頃になって、全て裏目に出ようとしている。 蒼褪める彼をワーロックが心配する。
「レノックさん?
どうかしたんですか?」
「ワーロック、僕達は間違ってしまったのかも知れない……。
事ここに至って、全てが手遅れになるとは……」
全員が目を見張って、レノックに注目する。
彼は自らの予見の甘さを悔いて、謝罪した。
「皆、済まなかった。
もう直ぐ魔導師会の結界が発動する。
しかし、ルヴィエラを止める事は出来ない。
ここに『異空<デーモテール>』への門があるとは……。
ルヴィエラに力で対抗するべきでは無い。
そんな事は解っていたのに……」
ササンカは信じられないと言った顔で問う。
「ど、どう言う事ですか、レノック殿……?」
「魔法の世界が来てしまうんだ。
魔導師会の結界が発動すれば、ルヴィエラは魔法の世界を召喚する。
唯一の正解は、ルヴィエラを追い詰めない事だった。
共通魔法社会に敵対する者とて無限に居る訳じゃない。
だから、攻めて来る者を撃退して、戦力を削る事だけに集中するべきだった」
そして、魔導師会の結界が発動する……。 魔導師会の結界は、魔城の周辺を覆い尽くし、そこからの魔力の流れを完全に遮断した。
完璧な魔力封印結界。
如何に魔法資質が高くとも、魔力を封じられては何も出来ない。
しかし、そこに抜け穴があったとしたら?
魔力封印結界の肝は、外部からの魔力供給を断絶する事にある。
それなのに、その抜け穴が城の中にあるのだから、成功する筈が無い。
ルヴィエラは城の機能を使い、文字通り『無限の』力で結界を破壊するだろう。
その余波は結界を破壊するだけに止まらず、この星を魔法の世界へと変える……。
魔城の中、一行の目の前で、魔界への門が虹色に煌めき出した。
膨大な魔力が門から流れ出している。
一行は魔力の流れに呑み込まれ、散り散りになった。
世界が虹色に染まって行く。
混沌が世界を覆い、物体、物理、精神までも、あらゆる物が境界を失って、乱れ、撹拌される。
世界は終わった。
混沌が全てを支配して、秩序を無に帰し、跡に残った物は小さな欠片だけ。 世界崩壊
それは一瞬の出来事だった。
結界を張り終えて勝利を確信した魔導師会は、同時に敗北を悟る事になる。
後悔する暇も無く、膨大な魔力と共に放出された混沌の波動は、結界を押し破り、星を呑み込んだ。
星は虹色に揺らめく奇怪な空間に覆われる。
そこは魔法の世界。
あらゆる物理法則が失われた、混沌の世界。
先ず、魔力によって形作られていた物が全て失われた。
魔法道具の一切が役に立たず、人間だけで無く、妖獣や自然の精霊も失われる。
純粋な物質存在は辛うじて残っていたが、天も地も失われた中で、力無く漂うだけだった。
侯爵級上位の力を持つレノックでも、自分の身を守るだけで精一杯。
レノックは人間の姿を捨て、釣鐘型の箱舟形態になっていた。
彼は混沌の海でも自由に活動する為に、幾つもの箱舟形態を持つ。
(終わった……。
世界の終わりが、こんなにも呆気無い物だったとは思いもしなかった。
ルヴィエラの能力は公爵級でも上位、もしかしたら伝説の皇帝級に匹敵するかも知れない。
あのアラ・マハイムレアッカでさえ、ここまでの事は出来なかった。
ルヴィエラと魔城の力か……)
彼の心は虚無に囚われていた。
しかし、深い悲しみの中でも、絶望する事は無い。
何故なら、彼は愛を持たない悪魔だから。
己の悲しみを音にして、寂しく奏でるのみ。
(ササンカ君、済まない。
そして皆も……。
僕は誰一人守れなかった)
混沌の海で演奏を続けるレノックの目の前に、ワーロックが現れた。
混沌の嵐の中でも、彼は生きていた。
「レノックさん、これは一体!?」
しかも、意識を持って呼び掛けて来る物だから、レノックは驚く他に無い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています