【8M】103系1000番台を徹底的に語るスレ【2T】
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>>466
北千住から湯島までは二層式単線トンネルだしねぇ >>466
アナログATC時代は75km/hだったはず。
北千住-町屋-西日暮里と75km/hで飛ばして単線シールドでは冷却不足だったんだろうな。 101系910番台で試用されたマグアンプ式回生ブレーキを採用してたらどうなっていたか
MT55でも定格速度が低いので結構低速まで効くはず 営団も5000系を1981年まで地下区間走らせていたけど問題にならなかったのだろうか クハのブレーキを操作するとHSCの音がしたんだよなあ >>470
同じく抵抗制御の5000系が暫く使われていたのは自分も不思議に思っていた。 地上線仕様だと京葉線で103系が地下を走行してた
山岳トンネル規格なので大丈夫だと思ってたらブロワーの騒音が凄かった
松戸電車区の1000番台とモハを交換すれば静かになったのに >>473
新たにCS40の保守なんてどこも引気受けたくなかったはず。
事実松戸と三鷹に封じ込め。 >>472
千代田線の開業に6000系の開発が間に合わなかったので、代わりに5000系を使った。
6000系だけで運用がこなせるようになった後は、7連から10連へ編成の増強が進んでいた東西線に転属した。 >>476
6000系だけで運用がこなせるようになった後、というよりは、むしろ
6000系だけで運用をこなせるように、6000系を増備できたから、と
言った方が適切だな。
きっかけが東西線の輸送力不足による編成長増強なのは正しい。 一時期の東西線は、7連、8連、10連が混在し、103系と301系の混結編成まであった。 >>478
その両数混在と異系列混結は実際にあった時代が違う >>479
混結の方が後だね。
一時期は103系1200番代がマトに行ったり、逆に1000番代がミツにやってきたり、
一般番代のサハが混じっていることもあった。 混結サハ103はA-A基準をクリアしているんでしたっけ >>481
東西線で混結されてたサハは窓の開口部を制限するストッパー程度の改造で対応できた。 難燃化は製造年次毎に向上しているから、後期製造の特に無塗装化進んだ車両は問題無かったんじゃない。
そういえば、武蔵野線でも101系は1000番台に改造されたけど、103系は非冷房でも無改造で使用されてたね。非常用ドアコックの説明板のところに、係員の指示がある場合はそれに従って下さいというのが必ず追記されてたけど。 A-A基準は地上用でも実質義務化されてなかったっけ? >>485
当初は地下線専用の基準だったけど、その後全車両向けに拡大された。 前面扉からの避難が時間が掛るということを知らされたのはついこないだだと思ったが
落成時にそれを見抜けた人ってどれだけいたのか
専門誌に記事とかないかな >>487
都営新宿線の10-300Rが駅間で故障して立ち往生して、前面貫通路使って
客を降ろしたら1時間半かかったんだっけ。
何かあったら次の駅まで走ってホームに客を避難させるのが基本だけど
単線トンネル区間で脱線して走れないとなったら、前面くらいしか逃げ道がないから
非常用の貫通路は必要って事になる。 総武快速横須賀線は、以前は前面貫通路必須だったのに今では必要なくなったようだね。
新しく配属された235系は非貫通。 >>489
E217系の増備途中から既に非貫通になってるよ。 前面貫通扉の設置基準はトンネル断面の大きさにもよるんじゃないかな
総武快速横須賀線は横からの避難も可能だから非貫通でもOKに 品川から両国にかけて、地下鉄のトンネルから山岳トンネルの扱いに変わったんだっけ。
だから前面の非常口の必要性がなくなって、E217の途中から非貫通に >>493
あれ? 確かそれより前に(1980年代頃から)、183系の改造先頭車(非貫通)が
東京駅に乗り入れていた実績があったような。
その話聞いたとき、東京駅乗り入れって貫通型(オリジナルの183系がそう)に
限らないんだと驚いた。 >>494
1982年11月改正以降だな
房総急行の格上げで所要編成数が増え、
上越新幹線開業による転用(ATC搭載改造実施と一部先頭車は新造)で
当該編成が発生したんだっけ 元々東京トンネルの規格だと編成両端の貫通扉は必須じゃなかったけど
全車両通り抜け可にする必要があったからじゃなかったっけ?
分割併合の可能性考えてたんじゃなかったかと 丹那トンネルも同様だっけ?
後年185系の4+6連が走ったが
アレは全席指定だしヨシとしたのか 非貫通が2か所あると真ん中の編成に添乗員が必要じゃなかったか?
419系の9両編成が短期間で中止されたのは真ん中に添乗員がいないと北陸トンネルを走れないため
京急の4+4+4は長大トンネルを走行しないため特に問題にはなってない
非貫通が1か所であっても非常通報装置が必須である >>493
前面の形態は変わらなかったけど、非貫通になったんだよね クハ103-1000(新製車)
非常用貫通扉
クハ105-0(改造車)
常時使用貫通扉に改造
クハ103-1000(改造車)
後年編成組み替えの際にクハ105-0をお手本とした
常時使用貫通扉に改造 >>500
クハ103-1000(改造車)
後年編成組み替えの際にクハ105-0をお手本とした
常時使用貫通扉に改造
改造したのは、クハ103-1200とクモハ102-1200だけどね。 >>501
指摘感謝。東西線の1200番台でしたね。
301系と併結運用もありました。 301系クハクモハの運転台撤去貫通化改造車はクハ105より登場時期が古い(1981年)から
クハ105の常時使用貫通扉は参考にした可能性あるな 私鉄がファンデリアを採用してたのに国鉄がグロベンによる自然換気で見劣りしてたな
そもそも国鉄でのファンデリアの採用が希少で101系800番台の低屋根のパンタ下くらいしかない >>504
でもファンデリアを採用していた所って、その後ことごとくファンデリアをやめたよな。
比較的長く使っていた営団や京王も1960年代後半には前者は扇風機搭載に、後者は冷房車に移行したし。 >>503
301系・103系1000、1200番代とも貫通路は非常用だった筈だけど、実際に使用するようになったわけだね。
あれが営団6000系みたいに片側に寄っていたら使えなかったね。 設計時はあくまでも非常用で、貫通路として使うことは想定外だったと思うけどね。 >>105、>>119
なんかあまりその呼び名は好きじゃないな
東武8000の方が空気バネ台車で乗り心地も良かった
むしろ103系の方が東武8000の劣化版だと思う >>510
空気バネは301系
103-1500はコイルバネだ >>511
書いたのはワシ。
少し認知入ってる。
ごめんちゃい。 >>509
空気バネはいいけど電制無いからブレーキが臭かった。 >>513
あれで会津高原まで行ったことあるんだからすごい >>515
それ5000系じゃね?
8000系が会津田島に入った話はない
8000系だと急勾配でブレーキシューが焼けそう 5000系は会津高原まで一時期定期で乗り入れていた
山あいに響く吊り掛けの轟音は忘れがたい あそこ高原じゃないからね
会津高原口尾瀬口にすべき パンダ顔トリオ
105系と119系は非冷房、一部廃車発生部品を再利用だったけど
103系1500番台は冷房完備、純新車だった 103系1000番台が105系に改造されたとき、顔が2種類になったのは意外だったね 103-1000/1200の地下鉄顔は増えませんでしたな
パンダ顔は仲間を随分増やした 俺はこの形式のブレーキ緩解音が好きだなぁ。
あれって、トンネル内温度上昇を防ぐために一気に空気を放出させない装置ってのは本当なんですか?
晩年の105系にはあの独特な音が全くしないのもあって、わざわざ乗りに行ってがっかりしたものです。 >>505
日比谷線だとファンデリアの営団3000系と東武2000系がハズレで、首振り扇風機の東急7000系がアタリだったな。
営団車も一部扇風機車もいたけど。
ファンデリアの利点が今もわからないな。 1500番台は明らか限流値ブーストしてる
CS20であるが4M2Tで加速度2.9km/h/sを叩き出してて201系とほぼ互角
しかし応荷重が首都圏みたいに300%まで効くようにするとモーターが焼けるので200%までしか効かない
首都圏ほど混まないと割り切った ファンデリアは涼を得るためのものではなく強制換気装置だからな。
窓を締め切った冬場のラッシュで地下トンネルを低速で走り続けても車内の空気を確実に入れ換えるための一種の安全装備なんだよ。
だから浅草線と日比谷線の乗入車両を機に私鉄車両に一斉に広まった。 通勤電車に扇風機が付き始めたのは昭和30年代に入ってから。
それから5年ぐらいしか経ってない時代に作った車両だから、当時の感覚ではまだまだ扇風機なしでも全然普通だったんだよ。
もちろんそれからの10数年で贅沢の水準がどんどん上がっていったわけだけども。 ファンデリアが国鉄では101系800番台のパンタ下とか採用例が非常に少なかった
メンテが厄介なのが嫌われた? 国鉄は製造コストの掛かる強制換気を避けて自然通風器を使い続けていた。
与圧した方が車体内部への水の侵入も防げることは分かっていたが、新幹線やブルートレインを別にすると本格的に強制換気を採用するのは117系や781系から。 103-1000
灰色+青緑色帯ってJR化の時には消滅してましたっけ 常磐各停-千代田線からの最終運転日は1986年4月29日。
灰色+青緑色帯が、快速への転用含めていつまで残っていたかわからないな。 105系の種車は56両
松戸区残留組は104両
青緑一色化の進み具合は地元鉄じゃないと知り得なさそう >>537>>538
彼らにとって、松戸区残留となり快速線で轟音を上げて爆走し夭逝したグループと、
105系となってのんびりローカル運用をこなし天寿を全うしたグループとどちらが
幸せな一生だったか考えてしまう。 >>539
> 夭逝した
> 天寿を全うした
この書き方の違いでもう脳内で答え出してないかい? 今の経年に置き換えて考えると、
E233系初期車6本ほどが突然2両編成に改造されて和歌山線や可部線に飛ばされてその後30年生きながらえるか、
そのまま首都圏で20年走って終わるかの違いだな。 和歌山のクハ105青緑一色は常磐線地上時代のクハ103-1000に似ていた >>544
確かに・・・
懐かしい気がした。
色に限れば加古川色だけどね。 >>543
京浜東北→房総各線→伊豆急と第三の人生を歩んでる209系もいる 103系1500番代は福岡市営からクレームが来たために305系に置き換えられたとされているが実際はどうなんだ? >>548
故障が多発して厄介者扱いされた
他にも加速が悪かったりホームドア未対応や抵抗器の発熱やATO非対応とか つまり東の103系は故障の影響で早期全廃になり、九州の103系は故障の影響で福岡市営出禁になったのか
こう見ると西日本の103系がかなり化け物だな
西日本103系も結局、(播但線/加古川線以外は)体質改善されてない方が後まで残る事になったし 播但線・加古川線・筑肥線の103系、あといつまで頑張るかな?
103系誕生から60年、今年還暦なんだよね。 103系1000番台から105系化され更に体質改善N40で
黒サッシになった個体も居たような >>549
枯れた技術の103系で故障多発って、やはり使い方(走らせかた)によるものなんだろうな。
東京の偉い人にはわからなかったのだろうな。
まあ、地域特性を無視した車両配置は国鉄の御家芸とも言えるが。113系→115系でさえ会計検査院からクレームつけられたし。 >>556
関東の103系も末期は故障が多発しており、それが理由で2006年に全廃された >>556
113系→115系の例ってどこ?
史実の登場順だと111系→115系→113系だから、115系→113系ならまだ解るが。 >>556
会計検査院にそこのところの事情がわかる輩がいたとは思えんな >>560
逆、内情わからないから見た目113系と同じなのに、お高い115系に突っ込みが入った。ソースは鉄ピクの115系特集な。 >>561
115系ってもともとは111系の出力増強・寒冷地版という位置づけで、
戻しノッチも抑速ブレーキも当初の予定になかったんだったっけ。
今から振り返ったら戻しノッチ・抑速ブレーキ装備は正解だったけど、
何もしらないお役人には無駄な投資と装備に見えたんだろうな。 添加励磁やVVVFなら抑速も戻しノッチも電子回路で費用もそんなに掛からないが、
カム軸制御器+抵抗制御では維持工数も含めて結構違ったと思うよ。
私鉄だって長い下りがないところは余計な機能は付けてなかったし。 >>565
今でも筑肥線では3両化されつつも頑張ってるけどあと何年持つかな? >>558
80→115→165なら中央西線
後に115→211
今も寒さ対策は優先な筈だが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています