夜行列車総合スレ★20
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日本の夜行列車も2020年8月現在で定期運転しているのはサンライズ「出雲」・「瀬戸」だけになり、
臨時列車で何とか走っていた「ムーンライトながら」もコロナ禍の影響でこの夏には設定されず、
これらもいつまで運行が継続されるか不透明な状況で今後が気になります。
その一方で「ななつ星」「四季島」「瑞風」「カシオペアクルーズ」「カシオペア紀行」
「WEST EXPRESS 銀河」など、豪華な客室を売りにする寝台列車は従来の夜行列車とは全く趣向が異なる、
ツアー方式クルーズトレインへの業態転換が特徴ですが、これらもコロナ禍で今後が不透明になっています。
当スレでは、もはや輸送列車としては絶滅寸前となった夜行列車全般について、
過去の列車の思い出話を中心に語ることで雑談などをします。
辛うじて現役である列車やクルーズトレインは、鉄道路線・車両板の個別スレでお願い致します。
※個別スレへのリンクは>>2以降で
前スレ(夜行列車総合スレ★19@鉄道懐かし板)
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1589225459/
鉄道総合板の夜行列車総合スレ(★14)はこちら
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/train/1517052329/ >>432
ヒルネ増結用のスハフ/スハネフ14は確か上りのはまなすで送り込んでたはず >>424
11D(北海1号・キハ80系6両)はキハ183系500番代の新製投入に伴い1986年11月改正で北斗1号(キハ183系6両)に置き換わってる
1986年3月改正
11D(北海1号) 函館440→909札幌 キハ80系6両(函館)
1D(北斗1号) 函館445→850札幌 キハ183系9両(函館)
3D(北斗3号) 函館802→1205札幌 キハ183系6両(函館)
1986年11月改正
1D(北斗1号) 函館442→829札幌 キハ183系6両(札幌)
3D(北斗3号) 函館456→853札幌 キハ183系7両(札幌)
5D(北斗5号) 函館811→1210札幌 キハ183系7両(札幌)
1988年3月改正
1レ(北斗星1号) 函館432→853札幌 24系(札幌)
5001D(北斗1号) 函館734→1103札幌 キハ183系7両(札幌)
5003D(北斗3号) 函館820→1205札幌 キハ183系7両(札幌) かなりズレてるけど
こないだBSで見たオリエント急行
1869年アメリカの西部と東部を繋ぐ路線に居合わせ感動したらしいが
国々をまたぐとなるとやる気せんわなー でも良かったのは寝台車で眠ろうとすると車両のお付きがサッとランプを消してくれる
どんなに混んでようがトイレは一人終わったら次に待ち人がいようが軽い掃除が入るのはしてアタオカ >>425
1972年くらいの1M→1便→1D接続だとこんな感じ
上野16:00(はつかり3号[1M])0:15青森0:35(青函航路1便)4:25函館4:45(おおぞら1号[1D])8:55札幌 >>437
自分が小学校3年生の時に帰省で両親と乗った長崎行きのさくらには
まだ列車補(列車ボーイ)が乗り込んでてホームでの買物や寝台設営と
寝台から座席へのチェンジをしてくれて革靴を磨いてくれたり上りの
さくらで東京駅に着くとホームまで荷物を降ろしてくれて赤帽手配まで
してくれたけどトイレの清掃をしているのは見かけなかったよ
洗面所の鏡を拭いたり手洗いの場所を常にきれいにはしてくれていたみたい >>439
まあ100年以上前の列車のサービスだだからね
でも439さんが乗ったのも一流ホテル並のサービスに思えます >>439
何年くらいですか? 寝台はB寝台?
列車ボーイは渥美清の映画 喜劇急行列車でしか知らない >>426
6年前 ユジノサハリンスク(豊原)からスミルヌィフ(敷香)まで夜行急行に乗ったよ。60km/hくらいしか出さないので寝心地は悪くない。まだ暗い時間に降りた。
列車はノグリキ行きだからまだ半分程度、果てしない旅だ。
今は改軌されたからスピードも揺れも改善されたかもしれないが急ぐ人が乗るものではないと思う。
帰りはユジノハンダサ(南半田沢)からユジノサハリンスクまで昼行の各駅停車だったけど車両は共用。寝ないで景色見てたけど駅間は北海道と変わらん。 >>441
乗車したのは1967年で乗ったのは今でいうプルマンA寝台
父親が上段に寝て下段に母親と自分が寝ました >>348
> その後使われない語彙だよね
急行さちかぜ 昔、小さな時刻表を見ながら鉄道旅行を夢見ていた。
そんな中、山陰方面へ向かう夜行普通列車に寝台車が連結されていたのがあったように記憶してます。
どなたか語れる方いますか? 最期の10系寝台だし 末期の旧客乗り潰しをした連中なら ほぼお世話になってる列車だわな 山陰はB寝台で寝たのは1回だけだけど普通車では何回も世話になって末期は12系の時に乗って最後だと思う
827・826列車こと、普通夜行山陰で思い出すのは初めて乗ったオハネフ12や下り827列車だと出雲市着が
9:48なので遅くまで寝れた事や深夜0時台の福知山駅ではホームに駅弁満載のリアカーが駅弁販売をしたり、
また駅待合室のキヨスクも開くので飲み物やタバコを買ったり便利であった
上りの826列車は出雲市発が19:09と早いが出雲市駅で益田からの534列車(旧客)接続もあって急行だいせんに
抜かれずにそのまま京都へ向かい、京都6:19発のひかり160号へ乗る事ができて関東組にとっては便利なダイヤ
山陰にかぎらずからまつ、はやたま、ながさきにはよくお世話になったよ
特に自分が訪れた1976年から1981年くらいまでは山陰線や福知山線は旧型客車の
宝庫でロケーションや車窓も良くて何回も訪れた われわれシティーボーイの昭和40年代組はナウなヤングってだけで
まだ金も自由もなく数年差で間に合わなかった残念。。
あと一年早いと高校の帰りに狙って旧客乗れて、と言うか激動の
82年定期券で右に左に自由に上野をウロチョロ出来たんだけどねえ。 夜行山陰も懐かしいけど急行だいせんも懐かしい。
全車20系で出雲市から大社線に入り大社まで普通列車として
乗り入れてた。急行だいせんの普通車はナロネ21改造の
ナハ21で1人にて1BOX占領すると優雅な夜行列車旅が楽しめた。
上段寝台は撤収したので天井も高くて乗り心地もよかったよ。 急行だいせんは1995年の時刻表を見ると下りも上りも倉吉〜出雲市が快速になってる
そういえば時刻表の同じページを見ると快速さんべ(鳥取4:51→小倉14:29)という
普通・快速の気動車で10時間弱を走るのは他には無かったかも知れない
夜行急行さんべは20系寝台車+12系座席車の頃に乗ってるけど当時は米子〜博多の
運転だった 臨時だいせんはオール12系座席車で運転されている時に乗った事がある
列車番号が6000番台だったので臨時ではなくて季節列車だったのかも? >>442 すごい。日本人でも樺太行けるんですね。しかし21世紀の今でも
遠い果てなのに昭和18年に3日4日かけて行った日本人はどれだけ心細かった
だろう?ボコボコのスハネ16に雪国の厳しさを偲ぶなんてのはまだまだ甘い
んでしょうねえ。 昔の人の心細さに報いるべく成田ーユジノサハリンスク
豊原にジャンボ機でも飛ばしちくりようか? 1923年から1945年までは稚泊連絡船という日本の鉄道省による北海道の稚内と
樺太の大泊(ロシア名コルサコフ)の間で運航されていた国際航路があった
稚内駅の現在行き止まりになってるレールから街中を通って現在の北防波堤付近に
あった稚泊連絡船乗り場まで運行していたんだよね >>457
12系併結改造された奴だね
ちなナハネ20 2000番台は さんべとちくまだけ 九州はお椀型ヘッドマーク、北海道は巨大ヘッドマーク。特に意味は無かったのかな? >>459
ナハネ20形2000番台は 急行「ちくま」「さんべ」で使用された
「かいもん」「日南」は1000番台だったと思うが帰宅しないと分からない
かなり昔の記憶なので定かではないかも知れない 12系と連結する位置に2000番台
それ以外は1000番台をどの順につないでもOKみたいな区別じゃなかった?
あれ元の20系とは混結営業運行できなくなっちゃってんだよな >>462
あれ、12系と連結できるのがトランスを積んでいる1000番台では?
ナハネとナハネフの間に挟まれ専用が2000番台じゃ? 直近で出たピクの増刊号に目を通しとかないとなぁ>自分 >>464
合ってる
だから 寝台車3両のちくまとさんべだけ
たった8両しかないが、その残存1両が今、関ロッジ跡で朽ちつつある >>466
>>462では12系と連結する位置に2000番台とか書いてるよね。そこには1000番台が入ると>>464では書いてる。 あっ、俺ボケてたわ。合っていることをフォローしてくれたのに何やってんだか。…スマソ。
もう寝ることにする… EF62能登、越前が入線してきた上野地平ホームって喧しかった? >>469
繁忙期でない限り、旧型客車の越前や能登は喧しくなかったよ
14系寝台車と14系で組成されてた能登や12系座席車の越前51号の
方がスハネフ14・スハフ14・スハフ12のディーゼル発電機の騒音が
唸っててホームは喧しかった(騒がしかった)よ >>470 415など、交直流電車のバシッという破裂音の方が煩かったが。 >>470
スロやスロフ、寝台車は冷房化でエンジン積んでただろ 12系14系のエンジン音とは違い、10系寝台車の冷房エンジン音の記憶は薄いな 12系夜行の エンジン付き車両はうるさくて眠れなかった記憶がある 10系に発電機積んでいたんだ。
冷房電源は海峡と同様、機関車のEGから取っているのかと思っていた。 煩いっちゃうるさいけど12・14系のそれとはレベルの違う騒音量
屋台の発動機の親分みたいなイメージ(個人的感想です)
クーラーの送風音の方がうるさく感じた記憶 >>471
交直電源切替直前に行うABBの切替ですね 走行中は無論の事、手前の停車駅でも
テストで行うけどエアー音がしたあとに屋根の上で切替接点が動いてアークがでるので
そのための音みたいです
>>472
10系寝台は何回も乗ったけど発電量が小さいから騒音が煩いとは思わなかった
12系・14系座席車は1両で自車込み6両分(スハフ、オハ、オハ、オハ、オハ、
オハフ)の全電源を供給するから規模が違い、騒音も格段に煩く感じる
>>476
「海峡」の一部に使われた50系50形5000番台の冷房(AU13AN型分散)電源は
ED79の電気暖房用電源を冷房兼用にして使っていたので発電機は車軸発電以外
ありません そもそもEGは電気暖房用ですけど上手く利用していると思う
うるさいといえば583系がマキシマムで飛ばす「はくつる」などで寝台内に帰路の
リネン類を収納する場所のシャッターが車体横揺れでうるさかったが青函連絡船接続
する列車だったから仕方がないけど >>479
50系5000番代は車軸発電機もないよ >>479
ABB/VCBは遮断器の一種で交直の切換機能とは別だよ >>479
業務用シャッター、きたぐにの583系は荷物スペースや更衣室に改造されていた。 >>479
1970年代の国鉄時代の寝台特急で はくつる は1番表定速度が速く、
高速走行中の横揺れで乗務員室隣にあるシャッターが下ろされていた。
倉庫は583系(ACは50・60Hz両用)と581系(ACは60Hz専用)両方に
あってモハネ581、モハネ583、サハネ583にシャッター倉庫がある。 スハフ12やスハフ14の音もうるさかったけど
四国内の夜行急行うわじまのキハ65から出す音もハンパなくうるさい
キハ65は500PSエンジン搭載でキハ28やキハ58のエアコン電源も
兼ねていたから仕方ないけどなぁ >>486は国鉄時代の581・583系に乗った事ないのだろうな
盛アオ車のグリーン車が2号車に連結してあったとか知らないに違いない しかし20系以降のブルトレ車両の防音性能って
大したもんだよね。電源車の隣の車両でも気にならない程度だもんな。昭和49年頃のはやぶさで婆さんを東京駅で見送った時、おっかなくて車内に入れなかった。ナハネの深い青とドアのところの足元灯のかもし出す雰囲気が電源車の轟音に相まって、寝台車の響きも死んだ車=霊柩車に思えて、婆さんはなんでこんなおっかない物に乗れるんだ?ってね。室内入れば静かなもんだっただろうがw 鹿児島編成のB寝台だから電源車に近くても今納得という次第。 >>491
それ波状磨耗が原因
車両のせいではない 1988年3月の北斗星に乗ったら青函トンネル内でタバコが立ったけど
15年以降に同じ事を青函トンネル内でやったらタバコは立たなかった 山陽線とか九州内の通過駅で発車ベル鳴らしっぱなしのほうが当時は気になった 広島鉄道管理局や門司鉄道管理局が列車接近の警戒音で鳴らす
ベル音と深夜や早朝なのにけたたましく鳴らす発車ベルは煩かった >>497
あの音はなんか苦手だな。初めて九州に到達したときに何事かと慌てたわ。
でも九州にようやく到達したって実感が湧いて嫌いではない。 九州のは自分が通過列車に乗ってる時はドップラー効果でちょっと面白い音するよね。常磐線の列車接近の音は今してないよね?あれは三河島事故の呪いの音だからちょっと怖かったぞ。ってか科学的に考えれば地理的要因でもない限り一度事故起こした所は注意するから再度起きにくいと思うんだが。ってあれ程過去の事故の教訓大事にしてたのに、福知山線の事故起きた時は実に情けないと思たよ 国鉄からの列車接近音って、ポーッ!ポーッ!とカンカンがあるな。北陸ならボーーボーー。 >>499
ドップラー効果といえば列車に乗ってて踏切を通り過ぎる警報音が前は高く聞こえ、
通り過ぎた後低い音に聞こえる効果だけど夜行列車に乗っていると切なく聞こえる
自分がまだ高校1年生の時に旧型客車の急行津軽1号(上野19:27→青森9:06)の
オハ46かオハ47?だったかに乗っていて栃木県と福島県の間くらいを走行中に
踏切接近音のドップラー効果を聞いて侘しくも寂しくも切なく感じた事があった
おんぼろ客車で隙間風が入るくらいだから余計によく聞こえたのだと思うけど
線路近くの家を見ると部屋で寛いでる夫婦の姿が垣間見れてこんな田舎にも
だんらんの時間があるのだなって何故かいじらしく見えたものだ
駅の区間でいうと豊原か白坂くらいで時間にして22時台だったと思うが自分が
夜行列車を好きになった原点のひとつでもあった
夜行列車で迎える非日常的な空間と時間が楽しめるタイムスリップの旅 「寅次郎君、今、君は女房も子供もいないから身軽だと言ったね? あれはもう十年も昔の事だがね、 私は信州の安曇野という所に旅をしたんだ。バスに乗り遅れて田舎道を一人で歩いている内に、 日が暮れちまってね。暗い夜道を心細く歩いていると、ポツンと一軒の農家が建ってるんだ。 リンドウの花が、庭いっぱいに咲いていてね。開けっ放した縁側から、明かりのついた茶の間で家族 が食事をしてるのが見える。まだ食事に来ない子供がいるんだろう。母親が大きな声でその子供の 名前を呼ぶのが聞こえる。私はね、今でもその情景をありありと思い出す事ができる。庭一面に 咲いたリンドウの花。明々と明かりのついた茶の間。にぎやかに食事をする家族達。私はその時、 それが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、ふとそう思ったら急に涙が出てきちゃってね。 人間は、絶対に一人じゃ生きていけない。逆らっちゃいかん。人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。 そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送る事になる。分かるね、寅次郎君」 >>502
どこかで読んだような文章に特徴のある文の纏め方
もしかして過去の夜行列車レポをブログで書いてる人ですか? >>8
北斗星グランシャリオでご飯を炊いていたのは最初の4〜5年間くらいだと思うよ
あとはパウチかレトルトの湯煎か電子レンジチンのご飯ばかりだった
確か食堂車を担当する日本食堂仙台営業所の頃はジャーでご飯を炊いていたけど
その頃はコックも2名乗っていたしそれくらいは厨房でも行っていたが日本食堂
上野営業所に変わり、コックも1名のみになると手間がかかるご飯はレトルトに
変わったと帰国しているが 日本食堂上野営業所に変わってディナーを含む内容やサービスも低下から劣化して
凋落の一途を辿って残念な結果になった北斗星グランシャリオ
トワイライトエクスプレスのダイナープレヤデスが末期まで高いサービス水準を
キープして格差が付いたのとカシオペア開業で北斗星グランシャリオは更に
サービス水準は落ち込んでいった ダイナープレアデスは末期の朝食が斜め上方向に行ってしまったのはいただけなかった 奥羽本線改軌前のあけぼの2往復ってどちらも24系の白帯車だった? 1989年3月改正時点の青森の配置両数
オロネ24 9両
オハネ24 54両
オハネ25 5両
オハネフ24 21両
オハネフ25 2両
カヤ24 7両
カニ24-0 2両
カニ24-100 4両
あけぼの2往復、出羽1往復、日本海1往復を担当 「銀河」に乗ることを目的にする以外で下り「銀河」に乗るのは、まず阪国人、だった? 東京人だけど神戸観光や大阪観光で何回も銀河に乗っていますけど? >>511
当時のあけぼの2往復と出羽1往復・日本海1往復は殆ど24系24形ばかりで25形7両を
何に使っていたのか調べてみたら夏臨9009レ・9010レ(カートレイン北海道)で使う事が
多かったみたいです。あけぼの季節増結の際は25形を連結しているのを福米(板谷峠)
経由最後の夏に1004レを赤岩〜庭坂にて直接目撃している。
因みに盛アオ車25形はオハネフ25-1、116の2両とオハネ25-3、4、5、6、140の合計7両
南シナから1986.11.1 転属したのがオハネフ25-116とオハネ25-140
秋アキから1988.3.13 転属したのはオハネフ25 -1とオハネ25-3、4、5、6 >>515
25形銀帯車は普段から編成の中間に1〜2両だけ入ってることが多かったんですけど
ソースは沿線で日頃からよく目撃してた俺
>南シナから1986.11.1 転属したのがオハネフ25-116とオハネ25-140
>秋アキから1988.3.13 転属したのはオハネフ25 -1とオハネ25-3、4、5、6
いったいどこからその情報持ってきたんです?
1980年10月改正 向日町→青森 オハネ25-3・4・5・6 オハネフ25-1
1986年11月改正 品川→青森 オハネフ25-116
1988年3月改正 秋田→青森 オハネ25-140・141 つまり青森車は殆ど白帯の編成だったわけね。B寝台二段化は済んでいたの? >>517
24形ハネ・ハネフは秋田在籍中の1982年12月〜1983年7月にかけて全車2段化済 >>517
青森の25形は北斗星用に改造されて尾久に転配されたとうる覚えしてる >>519
そう
その改造から漏れて青森に残ったのがオハネフ25-1・116とオハネ25-3・4・5・6・140
オハネ25-141は1989年3月改正で品川へ転出
札幌のは民営化直前に札幌に転属済で津軽海峡線開業までは青森に貸し出し もっとも札幌の青森貸出車は妻面の表記が「盛アオ」になってたから津軽海峡線開業時に札幌に転属したように見えるのも無理はない 東北は電車では例えば485系や583系が新製される度に新製配置されてその使い古しが西日本や北陸に回されるイメージ強いけど客車はその真逆で25形は関西ブルトレから始まって使い古しの14形とか24形が東北に回っていった感じだね
但し電源車だけは関西はカヤ24で東北にカニ24という感じ >>518
おもひでぼろぼろに出てきたあけぼの3号は二段化済みだったね。時代設定は1983年か分からないけど。 >>516
>いったいどこからその情報持ってきたんです?
ここだよ
http://www5.big.or.jp/~hagi/rail/lexp/24/ao.html#a8903
車両移動表示の転出や転入と→方向を間違えたり、眠くて間違えて
コピペしたのが一部あるかも知れないw ところで24形2段化車と25型だと定員違うよね?
どうやって寝台券売ってたんだ? >>523
関西ブルトレは他の系統のブルトレよりも利用者減が進んでいたので2段化による定員減に耐えられると判断され最初に投入された
>>525
そこを見たが一部どころかほぼ間違えてますけど
>>526
特定の号車を24と25で共通にして25が入ったときは調整席にしてたと聞いた 20系あけぼのはギリギリ間に合わんかった。写真部の一年後輩が写真持ってて
ナマイキと思ってしまった。その後10年ちょっとして仕事の出張で秋田行きの
飛行機が満席でどうしょかという事になって部長が確か夜行があったよなって
言ったがその部長と寝台車ヤダナと思ったが運良く?延期でヨカタ。
今は嫁が相撲取りの曙になって隣で寝ている。(ウソ) >>527
>特定の号車を24と25で共通にして25が入ったときは調整席にしてたと聞いた
1993年頃だと7号車がオハネ24とオハネ25の共通運用だったと当時の鉄道ファン誌に書いてあったはず >>527
オハネ24の定員が32名
オハネ25の定員が34名
たった2名で調製席に指定するかな?
指定されている調製席でも足らない時は使うのだろうけど >>530
昔、あけぼのでダブルブッキングで同じ寝台になった事がある
その時はもう一人のほうが調整席に移った オハネ25が混結されているあけぼの
ttp://pbs.twimg.com/media/DuM4F1cU8AAyga5.jpg
ttp://pbs.twimg.com/media/DuM2-uDU4AAQESv.jpg
よく見るとオハフ15も… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています