懐かしの武蔵野線
>>195 湿地帯って見沼田んぼだろ。開発規制がされているからな。規制されてなければとっくに宅地化されている。 101-1000が走っていたのはよく覚えているが、EF-15など旧型電気機関車は記憶にないんだな。貨物列車に関心なかったからだけど。 >>201
関心がなかったのもあるだろうし、たとえばば西船橋〜新松戸がメインの利用区域だったとしたら貨物列車にお目にかかることがないからそういう影響かもね >>201
開通した日、オレンジの電車が千葉県まで来たと喜んだのもつかの間、101-1000の古さにたまげたもんだ。 新松戸開業の1973年4月1日時点で101系登場から16年しか経ってないのに
前年まで常磐線には72系が残ってたし >>205
状態の悪い鉄ドア、尾灯は内はめ、乗務員室窓は大型
出自はモハ90のが多かった この4月で開業50周年か。府中本町で南武線の72系と比較したら、101-1000の方が新しいと感じた。
新松戸の駅前から総武流山電鉄(当時)の電車が見えたが、戦前製の古めかしさには驚いた。
ここまで古くはないが、交差する西武や東武の路線にも吊りかけが当たり前に走ってたし。 でも結局、101-1000を筆頭に、改造車や他線からの転入ばかりで、令和の今まで、新製車の投入がほとんどないのが武蔵野線の寂しいところ…
新製投入は205系のメルヘン顔編成くらい?あれも中間車はどこかからの転入だったかな? >>208
武蔵野線に新製投入された電車は合計46両。205系のメンヘル顔40両以外にもある。
101-1000ばかりだったときに、103の新製車6連1編成が入っている。
当時の武蔵野線で貴重な冷房車だった。
その後入ってきた103は他路線からのお古。
ちなみに武蔵野線新製投入車のうち先頭車を含む4両は廃車後ジャカルタに売られていった。 子供の頃、南浦和と東浦和の間で蒸気機関車の牽く貨物列車を線路脇から眺めるのが楽しみだった。 >>208 でも新製車大量投入後、世代交代が中々進まなかった常磐快速103系の例もあるからなあ。
205や209も入らなかった。4ドア車でE-501を少数、新製投入しているし、常磐緩行で203新製投入で一気に103-1000置き換えているからそれ以上は急がなくていいだろ、ということか?
武蔵野線は中古車ばかりだけど、結構、世代交代してるよね。 線区によって車両投入に癖があるのは面白いよね
常に新製車が投入される中央快速線や横須賀線は一度入れると使い倒すし >>212
近年の東を見ていると、新車を直接投入してその路線で最後まで使い倒すのが方針みたい。
だが武蔵野線は例外。
山手線は新型じゃないといけないようで、山手→総武線→武蔵野線の玉突きの流れができている。
この3路線、ほぼ踏み切りなしって点で共通している。
踏切を考慮していない先頭車は他路線に転属させにくい。 >>213
> 踏切を考慮していない先頭車
これの意味が分からない
山手線新製投入車だけ運転席まわり変えてる訳じゃないし >>214
ヒント、正面の床下に最近付けられている物
(但し、踏切の無い路線は除外) 何気に、国鉄〜JR東日本で製作された通勤型車両の形式が最も多く投入されている路線では?
101系
103系
301系×
105系×
107系×
201系
203系×
205系
207系×
209系
E331系×
E231系
E233系(これから可能性ゼロではない)
E235系(これから可能性ゼロではない) >>218
あなたが挙げた車両(×無し)全てと301系が運行されていた
中央総武線各駅停車が最強ですよね。残念!
他にもメトロ車を含めて良いならば5000、05、07、15000も。 昔は関東でも103系が走っていたのか
ライル・ヒロシ・サクソンさんの動画を見て初めて知った 鶴見線が関東最後の103系だった?
実は関東は103系より101系の方が長く走ってた 武蔵野線は1988年南浦和の私立高校に入学してから
1991年卒業するまで通学の為利用していた。
その頃の武蔵野線はもう既に101系1000番台は
無く103系と極少数の201系が走っていたな。
103系は両端クハの編成と西船橋寄りクモハの
二通り有った。通学の時に乗るのは圧倒的に
103系が多かったが極たまに201系に乗った記憶が有る。 103系が関東から早々に全滅した理由は故障頻発だったみたいだが、そんな深刻なものだったのか?
(関西に残っているものはそんな事は無いみたいだが) >>224
一日あたりの走行距離、および、加速減速の頻度が関西とは桁違いだったんだろう 開業からしばらくは、日中は40分間隔
国電区間とは思えないほどの頻度
乗遅れは、待ち時間ありすぎでした >>218 京葉線だと103、201、205、209、E331、E233の6種類となるが、武蔵野線は京葉線の車両更新に割と足並み揃えているような。
E231は京葉線には入ってないし、331は京葉線オンリーだったが。 武蔵野線は元々貨物路線で今でも府中本町以南は基本貨物列車のみ走る
(府中本町は東京競馬場のすぐそばで旅客利用も多い)
同様の貨物目的の路線は下河原線(廃止)で、終点下河原は貨物駅だった >>230
構想時は貨物専用だったとか聞いたことがある。
南線のみは今もそれを死守しているわけだね。 >>231 南線も旅客化の構想あったけど、需要が少ないとして実現に至ってないだけ。
並行して南武線が走ってるし。 >>230
武蔵野線の起点って、じつは新鶴見(信)らしいんだよな。
だから武蔵野線は東海道線に属している。
つまり、西船橋から府中本町に向かうのが「上り」である。
もっといえば、府中本町発の東京行きは、武蔵野線内では「下り」ってことになるわけだ・・・ 50年もたつんだね。
初めて乗ったとき、沿線が田舎過ぎてたまげたもんだ。
今では隔世の感が有る。 開通当初な南越谷、北朝霞に東武の駅はなくひっそりしていたけど、
今では隔世の感が有るね。東武側も南越谷、北朝霞に駅名を合わせた方が良かった。 >>237
同じ駅にしたら連絡運輸だのなんだのと面倒くさいことになるから、
後から作った東武の駅は別の名前。
どちらも別の場所に作るつもりだった新駅を、武蔵野線の駅の隣につくるように
越谷・朝霞市が仕向けたんだよな。
それがあまりに上手くいきすぎて、北朝霞は死者が出るレベルまで客が増えた。 武蔵野線、おいらが小2のときに開業した。
その前の年に買ってもらった折りたたみ式の全国鉄道路線図にはまだ載ってなくて、
自分で武蔵野線を書き込んだりした・・・
そのとき思った。武蔵野線の駅名って、北ナントカや西ナントカ、南ナントカ、東ナントカっていうの
ばかりだな、方角が入ってないのって新座だけだな、つまんねーな、と。
ちなみにはじめて武蔵野線に乗ったのは中1のときで、特急ヘッドマークの記念切符買いに大宮駅に行ったとき。
あの長大トンネルを轟音の中乗ってるのはちょっとキツかった。 >>243
府中本町、新小平、新秋津、吉川、三郷、新松戸 >>244
三郷・吉川間には広大な武蔵野貨物駅があったけど、廃止されてしまい、
新三郷と吉川美南の二駅が出来た。今となっては隔世の感がある。 三郷駅近くには今でも少しだけ線路が残っている。
後世に伝えるために残してあるんだろうか? >>246
単に、撤去費予算不足だっただけと思われ・・・ 吉川美南駅誕生のニュースは鮮烈に記憶
まるで人の名前みたいに