深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 鶴見線。それは朱鞠内の森の絵の具に染まり過ぎ退屈に飽きた人が目指した別世界だった。 山手線。それは都会の絵の具に染まり過ぎて朝までカラオケに興じていた男が
疲れ切って爆睡してしまっていたプチ・ビジネスホテルだった。 東京駅は、御下げ髪の少女をも変えてしまう魔力がある。 アンタ気持ち悪いんだよ
他のレスでも同じようなこと書きこんでるだろ? もう冬の装いかなぁ。真冬にこの地域を2回訪れたが
通過だったので真の寒さを体感していない。 なんだかとても寒いんだ
彡 ⌒ ミ
(´・ω・`) 深名線存続中に真冬の時期、極寒しばれフェスティバルをぜひ開催してもらいたかった。 >>432
そこは「眠いんだ」でないと正しく反応されんぞ。 キハ53系500番台なら旅情あるけどキハ54だと銀箱萎え 深名線をキハ53-500 1両借りきって仲間で貸し切り列車をやりたかったけど、各駅停車で駅には15分程度停車、朱鞠内は45分からい1時間停車。ダイヤ作ってJRに出したら、いくらで引き受けてくれただろうか? >>442
車両の人員分の乗車区間の団体券(74に立席8が入るかは不明)に車両利用料がキロ計算か時間に別途回送費用が最低必要だった様な? 木造駅舎や緩急車が残っている駅は長時間停車でいいんじゃね? >>449
そんなのは百も承知。
余談だが、1971.09.15の函館本線104レでは、小樽から長万部まで
開けっ放しの窓があったとかw
只でさえ三重連だから煙も煤も普段の1.5倍なわけで
一般客はさぞ迷惑だったろうな… >>445
簡単にアクセスできる街の駅より、白樺、蕗の台などで30分ぐらいのバカ停があったら楽しかったろうな。(ただし冬季を除く) >>442
100万あればやってくれるだろうが、もう路線はない 深名線って、乗ると すんごく眠いんだよなぁ
何故だろう・・ 真冬に乗った時ですが、車内がポカポカに暖かいんですな。
眠くなるのも分かるような気が。 名寄は駅弁を食べたことがあるが、もう駅弁販売マークのない駅になっている。 寒い時に立ち食いソバって、なんだかホッとするんですなあ。
うまさが倍増するというか・・・・・・・ 幌加内バスターミナル内の蕎麦屋せいいちも無くなっていた
うまかったけどなぁ〜 廃止当日、幌加内で大雨の中を食べた蕎麦の味が忘れられない。
その後、見事なまでに天候が回復したのだが。 廃止当日、虹も出ていたなあ。最後に、また雨が降って。
最後は「蛍の光」が車内に流れて一斉に車内から拍手。
1995年9月3日。 飯山線とか只見線も雪景色は凄かったが一番衝撃的だったのは深名線。 冬に乗ると二重窓のガラスがくもって、ゆっくりと車窓などを眺めることは難しいのだがね。 確かに曇る。昔は寒さが大の苦手だったけれども、北海道に旅行するようになってからは
冬こそ北海道、と思うに至った。雪景色は七難隠す。木次線の風景も良かった。島根県
から広島県に入ったところが豪雪地帯でビックリ。旅をしないと分からない部分がある。 山下画伯の場合、夏は北の方へ冬は南の方へ旅していたって日記にあったな。 北海道は夏は最もおススメな地域。対抗は四国。川がとにかく綺麗。
シャワー代わりに水浴びをしていた。
冬はどこか、となると、やはり北海道、ということになってしまう。
ことに道央から道北・道東。 やっぱり沿線から見た、名羽線建設の橋脚だよな
今は残っていないだろうけど >>477
美幸線の未完成区間、
いまでも道路から見つけることが出来る。 仁宇布までは行ったが寂しい光景だった。
11月中旬。雪がうっすらと積もり、客車がポツンと
一人ぼっちで孤立していた。 名羽線と言っとるのに、未成線っつうとすぐに枝幸周辺を持ち出すのは、何かの病気か?
しかも仁宇布にあるのは客車じゃねえし。 美幸線に羽幌線に天北線、名寄本線。さらに深名線。
接続していた仲間を失い1本の頼りない線となって
最北に伸びている宗谷本線がどこか寂しい。 名羽線が開通したら、名寄−朱鞠内は路盤改良しロンクレールでも入ったんじゃない?
名羽線は高規格路線だからね
ほんとに残念な路線だよ 羽幌に出たら焼尻島さらには天売島に出るのも魅力的な選択肢 昭和60年以前、羽幌線・天北線は最長片道切符の
経路に組み込まれていたが残念ながら深名線は圏外 >>474
冬に北海道を旅したら人生観が変わったかも。 種村直樹は以前、蕗ノ台駅の駅前ロータリーで野糞をぶんまけたみたいだな
土壌汚染は深刻化したみたいだな 冬の日没後に乗ったとき、長いトンネルかと思っていたら、両脇の雪の壁が窓より高かったんだよな。 朱鞠内の雪の壁は凄いと思った
朱鞠内駅のキオスクでガムと缶コーヒーを買ったが、カップラーメンは無かったよな
キオスクの女性店員はいい味出してた
そのまま、深川行きに乗り込んだ 幌加内駅の間違いだと思うキオスクは。
朱鞠内は美少女がいる駅前商店w >>512
1987年はあったな。
駅前商店と言うか、GSだったと記憶している。 一番利用者多かったのが多度志で、次が鷹泊か幌加内あたりだろうね 途中下車のしにくさでは屈指。朱鞠内では足止めを食らうダイヤ編成上、
毛色がちょっと違ったが。 蕗ノ台で下車した強者いたのかな?
次の列車末までの間、熊さんの恐怖との闘い 待っていないで朱鞠内まで歩くんだよ
徒歩3時間あれば余裕で着くよ それこそあのルートはヒグマ遭遇の可能性高いだろ
当時からかなりやばい道路だったようだし 冷凍肉を網で焼いたヤツだったけど、オレは食べた後吐いた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています