深名線の思い出
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深川と名寄を結ぶ長大路線。1995年9月3日を以て惜しくも廃止。
日本最寒も記録された極寒地帯でもありました。 停車場でんがな。
深名線にもノロッコ号みたいなイベント列車が走っていたら、と思うことがある。 朱鞠内湖は是非お薦め。但し個人的には冬にまだ訪れたことがない。冬の深名線は一度だけ乗ったのだが。 過疎化に拍車がかかってしまっている。札幌一極集中の時代。 廃止から24年。95年の今頃は逆に空前の賑わいを見せていたことだろう。 >>276
知らないなら書かなくていいんだぞ、懐かし板だからな。
実際に空前の賑わいを見せていた。
ただし、通常時から比べると、だがな。
最終日は言うまでもないが。 そうそう、あの頃は同じ東京に住む鉄ヲタの友人とは、都内よりも朱鞠内で会うことの
方が多かったなー。
ちなみにこれが1988年頃だと青森や函館の桟橋の話になるし、1997年頃だと碓氷峠
の話になるし… >>282
朱鞠内というところが地味に凄すぎる。
私も初めて深名線に乗った夏、知床五湖で知人にバッタリ会ったことがあるのだが。 懐かしくないけどもう始まってるから。
今週末はそば祭りだしな。
もうすぐ鉄道廃止から丸24年が経過するわけだ。 あの時生まれた赤ん坊も成人している年齢。24年の歳月は重い。 24年前の今頃、新潟〜小樽間のフェリーに乗っていた。 宇津内駅跡地がどうなっているか知りたくて探していたら、ようつべに、今年の8月に徒歩で
「朱鞠内湖の西側を半周しました」
という動画があがっていました。
現状がよくわかって感動したんだけど、熊さんが避けてくれたのだろうけど、蕗の台駅跡に野宿なんて正気の沙汰ではないよ。 うーん、札幌市内に普通に熊が出るご時世ですからなぁ。 この時期になると深名線を思い出してしまう小生なのである 24年前の9月1日。北海道フリー切符を使用し、日高本線初乗り。
現在では、鵡川から先が不通状態が長く続き、存続が厳しくなってしまった。
太平洋がすぐ目の前を走っている箇所あり、牧草地帯を走っている箇所ありで
存分に楽しめた。
JRバスで襟裳岬へ。ゼニガタアザラシの生息する南限。
♪風はひゅるひゅる、波はどんぶりこ♪という曲が聞こえてきた。
コンビニで売っていた「ドカベン・プロ野球編」の1巻を襟裳岬で読んだ。
ドカベン・シリーズは、累計で205巻にも及んだが、全部読んだ。
さらにJRバスで広尾駅跡に着く。残念ながら広尾線は乗ったことが1度もない。
しかし広尾駅は、実に立派な構えだった。廃止にしたのが本当に惜しいほどの
造りだった。 広尾から先は旧・広尾線のコースを踏襲する形のバスに乗車。
ありし日の広尾線の姿は知らないが、たぶんバスから見る眺めと似ていたことと思う。
幸福駅で下車。ここは、とかち帯広空港から意外に近いことを後で知った。
ライダーの姿があった。電車が走ることはないが、車両が置かれている。
土産物店があり、愛国から幸福行きの切符とキーホルダーを土産に買う。
空が綺麗だった。
日が暮れてきたので、残念ながら愛国駅のほうは割愛。帯広駅前に宿をとった。
9月3日の日曜日は深名線に乗ることは決めている。そのために北海道に来た。
明日は、乗ったことのない、ちほく高原鉄道に乗ろうと決めた。 懐かしくもないし日も違うが、今年の新そば祭りの昨日・今日は、24年前の9月3日・4日を思わせる天気だったな。
干支も二回り、来年は四半世紀だ。 今日9月3日(火)、自分の地元でも一時的に土砂降りの雨が降った。 9月3日の廃止の日と9月4日のバス初日の両方に乗った人は、きっと多数。 今ある天塩弥生駅駅舎と廃止の頃の駅舎は別物なのねw 天塩弥生って下車したこと一度もないですよーん。
世の中には全駅下車した「つわもの」がいるとか。そこまでの根性なかったなあ。 深名線廃止後、何年か経って代替バスに乗ったが、ものの見事に過疎の雰囲気に
満ちていた。真冬だったが。 湖畔駅前に一軒ポツンとあったけど、今は誰も住んでないだろう >>309
残念ながら住んでるな。
近くには新築の宿兼住居もできたぞ。
そもそも湖畔駅付近(三股)が朱鞠内の元々の集落なわけだが。 湖畔駅近くにあった「朱鞠の宿」という民宿に泊まったことがあるよ。 イトウはハマチに似た食感というが。1回の産卵で死なないということで成長は遅いが長生き。 やっぱり朱鞠内湖は、ワカサギだろ?
天ぷらと蕎麦の相性は抜群!
幌加内では絶対にない一品!! >>318
朱鞠内で釣ったのを幌加内の街の食堂に持っていくとその場で天ぷらにして天そばにしてくれるんだがな 西名寄駅に降りてみたかったな
俺が乗ったとき、男子高校生が一人降りてた 深名線はとうとう乗ることができなかった
標津線、羽幌線とともに三大未乗残念路線の一つ >>323
水の中に引き込まれるか、警察に職質されて連れていかれるか、どちらかだな。 朱鞠内湖を見下ろせる展望台はとても武骨で不気味で、湖から引き寄せられる感じがした イトウも棲息するところが原始的でいい。日本では、ごくごく一部の地域だけだろう。 日本一の赤字路線が90年代まで生き残ったのが奇跡だよね
一番利用者の多い駅が多度志って時点でお察しくださいだね
それでも深川から幌加内までは普通のローカル線並みの利用は有ったんだよね
幌加内以北が凄まじかった 朱鞠内駅のキオスクはよく営業していたよね
あんパンと缶コーヒーを買った記憶がある 良く95年までもった。ギリギリ間に合って3回乗った。 朱鞠内湖で検索して画像を見たら、いやはや北欧的な風景が広がっていて
心底ビックリ。「北欧です」と言われても全く違和感ない光景。
秋の風景もまた素晴らしい。こういうの見ると無性に旅に出たくなる。 白樺があるからだろ?
北欧だったら、ノルウェーに行きたいな 改めて、こういう風景の地に鉄道があれば、と思う。
いや、かつては確かにあったのだが。 湖畔から北母子里までだったら、冬季限定で北欧の景色だったな
だけど、民家は北欧調ではなかった 欧米人が乗ったらお気に入りの景色として記憶されたと思う。 バイカル湖畔の廃止になった鉄道が復活運転して人気を集めているらしいね 鉄道マニアは日本に限らず、実は結構存在すると思う。 >>331 奇跡ではない。只見線と同様、積雪期に並行道路が不通になりやすかったけら。
道路が整備されたから、廃止しても交通の不便を来さなくなった だけど、車内の暖房は暑すぎるほどだったな
Tシャツ一枚で車内をうろうろしていたヤツがいたよ SGだった客車は寒いの多かったけどな。気動車も暑かった覚えはあまりない
急行の14系ハザは暖かかった。電気暖房はすげーなって思った覚えがある 北海道の人が内地に来ると部屋が寒くて風邪をひくというのは、よく聞く話だ。 >>350 内地の家が夏向きに、風通しがよいように造られているから。
日本古来の家の造り方では北海道の冬は越せないということで、開拓使の時代から気密性の高い構造にした。 >>351
はい?
名寄の北国博物館にでも行ってみるがよいぞ。 名寄駅から歩いて20分くらいだよな
途中レンガ工場があったけど、今はやっているのかな? 幌加内発の最終深川行き、当然乗客ゼロで
窓開けて夜空を見上げるのが好きだったな >>358
内地からの鉄ですよ!
周遊券乗り回し組です! >>363 携帯カイロとシュラフ持ってけば十分寝られるだろ。かさばるけど。 氷点下30度超の冬にこそ野宿・・・・・・・したくない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています