幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>469
ちょうど新カラーデザイン検討と並行して新造車の方針を検討していたみたいだからね >>899
普通に考えていたが、西淀川区中島の不動産投資失敗、減損会計導入で、
アルナごとあぼーん。 >>898
南海電車に、インバータ制御の通勤車両・一般車両に連結できる、「サザン」や「りんかん」に使う、インバータ制御の特急車両が登場していたら、10000系は、2両編成が10あったので、4両編成が5つに、改造されていただろうね。
>>892
阪急電車が、京都本線の特急車両として、9300系を作ってるとき、神戸本線・宝塚本線でも車両の取り替えを、やりたかったんだよね。
はじめのころは、5000系の更新工事だって、そのままの内容で続けられるか、わからない状況だった。それがだんだん、新しい車両を作れるかも、って感じが出てきたんだけど、"8010系"の設計も、9300系が登場したあとになると、古くなっていて、車体を日立製作所で、作りにくくなっていたし、GTOサイリスタで動くインバータ制御装置とかも、東芝が作ってくれる状況じゃ、なくなっていたし。
作るために、コストダウンがいろいろ考えられて、そのときは、9300系を基本に、神戸本線・宝塚本線で、使える通勤車両にするのがいい、ってなったんだ。それが、9000系だね。
もし9300系を、まとめて作りきってしまったとしても、そのときですら、待てる状況ではなかったし、いまの1000系を、作ろうとしたら、設計が(9300系と)ぜんぜんちがうから、コストダウンの意味がなかったし、永久磁石の同期電動機も、システムの全体で値段が高かったしね。 >>478
207-900だがあの時に103が火を噴かなければ延命していたかもね >>410
8000-7次車の車体が6次車以前とは違うものになっていたと思う
でその車体が総合で作れないと判断し近畿に鞍替え、同時に電装品を見直したことにより新形式8300になった >>484
国鉄時代は逆に関西から関東への転用もあったのか
となると201関西車/205関西車も国鉄分割民営化が無ければ関東に転用された車両もあった可能性 >>479
30000の貫通化は車体強度不足のため見送り >>493
新塗装化が史実より1年ほど遅かったかも >>495
阪急8000の塗装案に北急8000ぽいものもあった >>496
50000はラピート利用客数次第では中間車の増備があったかもしれない 車両ではないが、南海線も10両を運転する構想があったみたいだね >>904
南海電車の8000系で、8014編成〜8018編成のぶんは、契約的にオプションみたいになってたから、旧東急車輛として、追加で4両編成を5つぶん、作れる状態にはしておきますよ、ってところだったんだ。
2レベルIGBTのインバータ制御装置の、省エネルギー性能をうまく使って、走る性能の面で、加速がかなり改善されて、良くなっていたんだけど、車体のエクステリア・インテリアが、あんまりな仕上がりだったし、インバウンドの利用者が増えつつあったから、そのための設備を、整える必要も出てきてた。
さらに、全密閉式の誘導電動機が、使いやすい状況(買うのに補助金が出る)になっていたし、SiC素子のインバータ制御装置も、開発の動きが活発になってきて、車両の設計の全体をやりなおすには、ちょうどタイミングが良かったんだよ。
20両ぶんの新しい通勤車両は、どちらにしろ作るつもりだったから、オプションで8000系を作るってことを、しなかっただけだね。
>>905
国鉄にとって、201系・205系は、新しい通勤型電車だったわけだけど、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局において、東海道・山陽緩行線の、ほかの路線でも使いやすかったのは、205系だったから、使いまわすとしても、東京のほうへは行きにくかっただろうね。
あのとき201系は、大阪環状線(と山手線)ですら使いにくい、っていう考えかただったから、東海道・山陽緩行線のために、(E231系みたいな)インバータ制御の通勤型電車が作られていたら、東京のほうへ、まわされていたかもしれないなあ。 少し早いですが。
ワッチョイは自治スレを立てて板住人の意見を集約してからでないと導入できないそうなので悪しからず。 >>811
東武でも日立後期GTOを導入していたら東急2000が東武に乗り入れていたかもしれない >>891
そもそも西武が6000を今後の標準車としていたんだったら、9000なんか作らない筈だけど >>403
結局、西日本も201を全廃することになったから、
仮に東日本201が西日本譲渡されていたとしても323導入のタイミングで消えていたと思う >>512
そもそも当時南海線用に車両を増備する想定が無かったような >>522
これらは全て当時の財政難で立ち消えになったものだから >>593
新形式とは言っても史実9000に相当するものだったと思う
101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていたらしい >>592
H特急(当時)が満席だったため座席数確保ということで高野線にも21m特急車を導入した模様 >>915
>>919
あれ?キミ、矛盾したこと言ってるよ。「101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていた」わけでさ、9000系は、基本の通勤車両とかいう定義に、おさまらないわけじゃん。
西武鉄道の通勤車両としては、6000系が、もう基本になっていたけど、所沢工場で作るために、普通鋼製の車体じゃなきゃいけないから、新2000系のものに、近い設計を選んだんだよ。よく調べて、考えてから、モノを言うようにしようね。
>>916
そのころのJR西日本としては、大阪環状線・ゆめ咲線・大和路線・和歌山線(王寺〜高田)・桜井線・おおさか東線でしか、201系は使えなかったから、JR東日本から譲り受けても、JR西日本が持っている両数より、多く持ったとしても、使えるところがないんだよなあ。 >>913
名鉄はパノラマカーで10両の試運転が行われていたと聞いたような気がするが、
少なくとも京阪と西鉄の10両化は計画すら無かっただろ >>182
グリーンラインは最初の2編成が戸袋部のステッカーが青だったが営業開始前に3編成目以降と同じ緑に変更された 仙台市営2000系の初期デザイン案(メトロ新05系に似たような曲線だった) 福岡市営3000系の初期デザイン案(2000系を反転させたような前面で、少なくともドイツデザイナーではなかった) >>301
阪急8200は当時の結果次第にもよるね >>289
当時の大阪市営は電装品は三菱/日立/東芝の3社並行納入だったから東芝限定のPMSMを入れる余地は無かったはず >>291
泉北は5000以降を独自設計としたのは泉北の直営化が理由らしい
でその直営化に影響を受けて南海が塗装変更された >>922
いやいや京阪電車も、京都市内の地下線や鴨東線を作っていたころ、そして、中之島の新線も考えていくにあたって、10両編成の運転を、すこしずつ準備しだしていたんだよ。 JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか 京都市営烏丸線に導入予定の新車のA案とC案もここに仲間入りなのかね? 大阪市営(当時)66系は完成予想図が公表された段階では新60系と仮称されており、パンタグラフも菱形の予定だった
(実車は下枠交差型となった) >>443
国鉄時代だったらむしろそれ以前に103のATC車が関西へ転用されていたかもしれない >>498
阪和線の通勤型の快速はロングシートが不評だった模様 >>559
9000のデザイン案の中に8000をステンレスにしたような案もあったからそれの可能性もあるのでは? >>671
阪急9300にロングシート版(9000の京都線版)の想定は最初から無かった模様 >>538
それ以前に東103は1997年頃に故障しまくったことが理由で全廃が前倒しになったとも
103全廃前倒しのために急遽作られたのが209幅広車 >>542
福知山線の事故が無ければ321を更に増備し(同時に片町線全線7両化)、207を天王寺口に転用していた可能性まであったと思えてきた >>568
当初予定では埼京E233と相鉄11000は同時期に並行して導入される予定だったが、急遽京浜東北をE233化することになり、結果埼京のE233化が遅れたためこうなってしまった
(ちなみに209は当初計画では全車に機器更新を行い京浜東北線に残留する予定だった模様) >>569
東急9000は当初計画ではメトロ7000/西武6000/東武9000同様に副都心線対応化を行い東横線に残留する予定だった
中止になったのらATOの停止精度を満たせないだけでなく、電機品の更新時期に来ており、総合的に判断した結果更新せず5050増備になったというもあると思われる >>570
阪神は3801登場時点で既に近鉄に乗り入れる構想があったのか >>566
むしろ抵抗制御の方が扱いやすいが省エネ効果には欠ける >>569
小田急2000は当時の小田急が迷走していたというのもあるので千代田線直通は最初から想定されてただけという可能性 >>814
平成初期にアルナ工機から東武通勤車用のデザインパースが2案ほど出されていたらしいが、
恐らくは史実の10050のタイミング辺りで10000系列と連結可能な新形式を計画していたと思われる
それが諸事情で10050になったものと推測 >>801
東急5050-4000は>>947にもあるが9000東横線残留断念で5050増備となった際に番号が破綻したため発生したもの
本来ならば5050は少なくとも24編成程度での増備で打ち切りになっていたと思う >>946
(E233-1000緊急導入は後のホームドア設置と6ドア廃止への方針転換も絡んでそうだが) >>947
(都営6000も当初は三田線に残留する予定だったがATO対応改造コストの問題で6300へ置き換えとなった) 西武30000導入前に検討されていた新通勤車用デザイン案 >>948
ってかさ、近鉄の18200系が作られたとき、これが阪神電車へ乗り入れるんじゃないか、って言われてた・・・
>>945
福知山線の脱線事故が、なかったとしても、それまでに考えられていたのは、JR神戸線・JR京都線などの通勤型電車を、207系・321系でそろえるところまで、だよ。学研都市線の同志社前〜木津は、4両編成しか運転できなくって、7両編成を使えるようにすることは、言われてなかったからね。
JR西日本として、新快速を時速140kmで運転するための"225系"や、381系を取り替えるための"新283系"とか、まだまだやることが、あったからねえ。223系の快速を、阪和線や大和路線で増やすことも、大事なことだったし。
インバータ制御の車両が増やせるように、変電所を増やしたり強くするってのも、少しずつやってたんだけど、阪和線・大阪環状線・大和路線とかでは、まだまだって感じだったし。阪和線は、しばらく103系(体質改善車)・205系を使わなくちゃ、ってところだった。
JR神戸線・JR京都線のつぎに、321系を作るとなったら、大阪環状線の103系・201系のうち、103系のほうを取り替えるためだけ、って感じ。 阪和電鉄の流線型蒸気「はなたちばな」が実現していたら、パシナ以上の人気があったはずです。 東武9000のデザイン案に20000を20m4ドアにしたようなものもあったような記憶 >>775
南海の史実1000は当時の在阪鉄道事業者がVVVFブームだったために、
その他社VVVF車に対抗する車両を導入するという声が社内で挙がったこともあるんでは?
当時は近鉄/京阪の通勤車と阪急が長期的にはVVVF車に統一する方針だったし、
大阪市営(当時)も非冷房車淘汰用にVVVFの新20/66大量増備、
JR西日本も207をVVVF車として開発、
そして南海の乗り入れ先の泉北も5000がVVVF車 >>777
南海の塗装変更理由は当時の社長が「関空にグリーンの電車を入れるな」って言ったかららしいが >>549
考えたらJR西日本が207登場段階で103 も早期廃車とするなら103の内装更新もこの時期で打ち切りになっていて黒サッシ車なんか出ないだろうな
黒サッシ車は207登場後〜震災前の改造だし >>776
南海の史実1000は>>963にもあるが当時の在阪私鉄他社に対抗できる車両ということで塗装車体になったというのもあると思う
当時の在阪私鉄5社で、無塗装車を積極的に製造していたのは南海のみ(他4社は全て塗装車) >>551
阪急も車籍登録は営業開始日
なので営業前の試運転の段階では車籍は登録されない >>917
南海三大事故があって投資を抑制していたのも南海本線車両の空白期間があった理由と思う >>963
んー、そういう感じでも、ないんだよなあ・・・
南海電車では、2000系ができあがったとき、"9100系"・"1000系"とかの、基本的な考えかたや方向性が、決まっていたんだ。京阪電車では、その半年前に、7000系ができあがったとき、1900系・2600系・2200系・2400系・1000系を、インバータ制御の通勤車両で取り替えていきたい、っていう考えはあったけど、7000系そのものでは、やるつもりがなかった。
この2つは、ほぼおなじタイミングのことだったから、京阪電車の話が影響した、ってのはないなあ。
大阪にある大手の私鉄で、インバータ制御については、近鉄電車が先行してたね。通勤車両(と急行車両)で、ドンドン作っていくつもりだったけど、見とおせる将来の計画として、すべての通勤車両を、インバータ制御でそろえるとか、そこまで考えられる状況なんか、とってもじゃないけど、なかったよ。いくつか考えられてた、新しい特急車両のことも、あったしね。
そういうことでは、阪急電車のほうが、8000系・8300系を完成させたときに、それまでの通勤車両は、これから更新工事とかをせずに、インバータ制御のものへ、そろえていきたいって、いろんなところで、言ってた感じ。
ほかの大手の私鉄の動きに、南海電車が合わせたってよりは、9000系を作ってるときから、2000系のことをふくめて、いろいろ考えていたので、インバータ制御の系式としては、あとのほうだったけど、ほぼおなじころの話だよ。
>>966
大阪で、ほかの大手の私鉄と対抗する、とかじゃないねえ。それまでのイメージを変える、っていうことだけだったなあ。 京阪の新塗装の検討にあたっては、通勤車はそのままの案もあった模様 >>965
そうだよ。JR西日本が、207系の0番台を作ってたときってさ、学研都市線の103系だけを見たら、取り替えることになってたんだけど、JR西日本の、すべての103系を見たとき、取り替えなんて、できてなかったんだよなあ。
アーバンネットワークの各路線へ、輸送力を大きくするためとか、よっぽど傷んでいた車両を、少しだけ取り替えるために、余った103系を、振りわけるくらいしか、できなかったんだ。103系より、113系の取り替えを、急いでいたしね。
片福連絡線を開通させるぶんや、クーラのない近郊型電車を取り替えるぶんとか、1000番台を作りつづけても、まだまだ103系には、手をつけられなかった。だから、103系の体質改善工事を、はじめたんだけどね。 南海の幻の9100系関連
>9100系は2000系を大型化したような外観だったのかな?
>7100と22000、11001系2次車と21000系の関係みたいに
>9100系はどのような車両になるつもりだったんだろうか
>2000系を20m化したような車両だったんだろうか
>あと1000系の仮称が9100系だったという説もあるね
>1000系登場時に渡された図面に9100系と書かれていたものもあったらしいけど
>その9100系試作車が1991年登場予定だったんだよね?
>9100系はどのような車両になっていたんだろうか
>過去に出回っていたのを含めて
>・試作車
>・1000系の仮称(1000系登場時に渡された図面に9100系と書かれているのもあった)
>のどちらかなんだよね
>A 9000系の車体にVVVF
>B 1400→1420→1422のように、9000系をモチーフにしてドア配置を均等にしたり拡幅したり
>C 9000系の車体がビードレスになりコンビランプになり…?
>D 1000系狭幅版そのもの(拡幅版が1000系と呼ばれるようになる)
>E 2000系前期車の20m版 >>972
幻の9000増備車が既存車とは違う車体になっていて番台区分or別形式になっていた可能性 >>492
南海の90年代前半の車両計画変更はとどめは社長の鶴の一声だろうけど、
その前から2000の従来ズーム車との相性とか、9000増備車の車体を変更する前提など色々議論はあったと推測 >>975
「社長の鶴の一声だろう」・・・関係はないねえ。だって、そのころの社長はずっと、吉村茂夫氏で、変わらなかったんだよ。10000系を作ってるときから、11000系まで、南海電車にとって、車両が激変する時代を見届けた代表取締役は、1人しかいなかったのに、まさかそれも調べずに、そんなこと言ってるの?
"9100系"・"1000系"が考えられて、その方向性を認めていたときから、歴史上の2000系・1000系への変更まで、おなじ人が見届けたんだよ。社長が望んだってわけじゃ、なかったんだ。
「2000の従来ズーム車との相性」?もし、2000系と、21000系・22000系(2200系)との連結のことを言ってるなら、そんな問題なんて、実際なかったから。
高野線の特急・急行が、金剛に停まるようになったあと、ズームカーの急行で、混雑がひどくなったりして、お客さんの乗り降りに時間がかかるから、電車の遅れが、目立つようになってきたんだね。
それは本当のところ、停車駅が増えたのに、21mの4ドアの車両じゃなくって、17mの2ドアの車両を使っていたことが、原因だったんだよ。なのに、3編成が残った2200系のせいで、連結のために、2000系の性能を落としてるからだ、っていう理由をつけて、南海電鉄の内部的に、片付けちゃったわけさ。
2200系が、高野線からいなくなったとしても、2000系の性能は、上げられなかったんだよ・・・ 南海1000系(現在のもの)は設計段階で6200/旧8000/8200/9000を踏襲し先頭Tc/中間Mの案もあった模様 神戸市営地下鉄3000形没案(記憶があるもののみ)
・黄帯(前面も異なる)
・青帯/非常口完全左寄せ/前照灯中央配置
・青帯/非常口中央配置/前照灯周りが営団新05系風
・赤黄帯/窓周り黒/前面は横浜市営地下鉄3000A形に類似
・赤茶帯/前面はJR西日本207系のような曲線
・青緑帯/前面は窓が一段出っ張っている
・青緑帯(現在の6000形の帯に類似)/スカートあり/前面は都営6300形に類似
・史実の3000形とほぼ同じだが、幕板のラインが無い
・塗装は1000/2000形踏襲/前面は営団05系に類似/中間にダブルデッカー車組み込み
の案がそれぞれ存在した
図のアルファベッドからすると更に案があったものと思われる 都営5300形はスケッチ段階で8種類ほど前面形状が検討された
前面形状が定まった段階で非常口を窓無しとする案や、窓周りに帯を配す案(赤帯のみと赤/黒帯の2種を検討)なども検討された
窓下に帯を配すことに決定した段階でも、当初は5000/5200形踏襲で赤帯のみの案も検討された 南海22000系は水間鉄道に譲渡する構想があったらしい >>981
水間鉄道が501形・551形を取り替えるとき、南海電鉄に、22000系を譲ってもらえないかって、話をしたんだよ。
だけど、南海電車にとって22000系は、更新工事をやって、まだまだ使う系式だから、それには応じられない、ってなったわけさ。 >>921
元々使用できる線区が限定されていてそもそも阪和線では使えなかったのか<201
結局103の方が使いやすいんだな >>983
201系ってさ、作られたときのままだったら、大阪環状線で使うことすら、できなかったんだ。関西では東海道・山陽緩行線くらいしか、201系が使えるところって、なかったんだよね。
山手線なんかもおなじで、電機子チョッパ制御装置を、203系みたいにしないと、制御装置や主電動機が冷えない、ってことがわかってた。だけど、203系みたいにしちゃうと、こんどは高い速度の運転が、しにくくなっちゃう。
JR西日本が、201系を使い回そうと、阪和線・大和路線・大阪環状線とかで、深夜に試運転をやったら、阪和線・大阪環状線でやっぱり難しい、っていうことになった。なかでも、阪和線の普通がね・・・阪和線の快速なら、問題なかったんだけど。
そこで電機子チョッパ制御の、回生ブレーキに関係するところを、工夫してみたんだって。そうすると大阪環状線なら、使える状態になって、そのあとは、みんなが知ってるとおり。
「結局103の方が使いやすい」?103系を、取り替えたいわけだからさ、福知山線の脱線事故が起こるまでは、103系の体質改善車を、しばらく使うつもりもあったわけだけど、さっき話した201系の試運転をするまえ、もっと言えば321系を考えるまえ、JR西日本的には、205系がもっとあればなあ、って感じだったんだよ。 >>931
もしかして特急のダブルデッカーは10両化が立ち消えになったための代案?
(要は座席数を確保するため) >>985
阪急電車は京都本線で、10両編成の運転をする準備が、進められていたとき、6300系や6330形に、2両の動力車のユニットを、それぞれ追加することが、考えられていたね。
京阪電車は、>>931のような考えかたで動いていたけど、8000系も、まだ7両編成で作っていた(3000系のとき、3両編成の特急もあったのが、やっと止められた)くらいでさ、8両編成にすることは、難しくないけど、そんな日が来るのか、って感じだった。阪急電車とちがったのは、10両編成は、通勤車両のことしか、頭になかったってところ。
京阪電車は、通勤車両の取り替えより、輸送力を強くしなきゃって状況が、阪神大震災のあとも、続いていたんだ。特急を利用する人たちも、増えてきてたし。9000系を作ったり、8000系・旧3000系を8両編成にしたのは、朝のラッシュタイムに、混雑するからって事情が、大きかったかなあ。だけど10両編成の準備は、進められる感じじゃなかった。
二階建ての車両は、どっちかといえば、あのころ、南海電車に50000系だったり、近鉄電車も23000系だったり、話題になるものが登場して、京阪電車としても特急に、テレビカー以外でなにか、目立つものが必要になってきていた、っていう事情が、強くはたらいたからだよ。8両編成にするとき、定員の増えかたも大きくなるし。 >>984
関西の205はタイミングが悪かった
JR西日本発足後に在阪私鉄に対抗できる車両を導入する方針で無ければ、もっと増備されていたかもしれない >>987
え?「JR西日本発足後に在阪私鉄に対抗できる車両を導入する方針で無ければ」?なに言ってんの?国鉄の大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局とも、できることは限られていたけど、やれる範囲で、大阪の大手の私鉄にやられきってしまわないよう、ずっと踏ん張ってたんだよ。
だから国鉄の終わりには、東海道・山陽緩行線の103系をすべて、205系で取り替えて、余った103系の冷房車を、阪和線の冷房化の比率を上げるために、使おうとしてたし。113系の、非冷房車や冷房化改造の試作車を、取り替えるために、東海道・山陽本線の快速や、関西本線の快速へ、211系を新しく作ろうとしてたんだ。
JR西日本になってから作った、205系の1000番台だってそう。205系を基本に、時速120kmでの運転ができるように、回転数が最大にちかいところまで、主電動機を使おうとしたんだね。これは無理があって、主電動機の余裕を使うにしても、221系では限流値を、大きくして使うことが考えられたけど、やっぱり傷みかたが、早くなるだけだった。
このとき、205系を作りつづけるという選択肢は、なくなったんだよ。
実際に、221系を作るころには、片福連絡線のために、インバータ制御の207系の0番台を、作ることが決まっていて、少しでも安く作るために、インバータ制御装置を汎用トランジスタで、動かせるようにしたんだね。アーバンネットワークの路線なら、どこでも使えるように考えられて、それからの通勤型電車は、そこが基本になっちゃってる。 >>988
あなたの書き込みは根拠や出典書かないから
他人から見たら本当のこと書いてるのか分からないんで
その点何とかしてくれないか? >>989
5ちゃんねるの書き込みに、いったい何を求めてるんだい?自分で調べなきゃ、いけないよ。 >>990
そうやって逃げるんだw
嘘ですって言ってるようなものだな >>993
> 信じるも信じないのも自由
そういうレベルの書き込みってことなんですねw >>913
仮に東急や京王が18m標準のままだったら今頃は東急/京王も京急のような12両運転が行われていたかもしれない レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。