幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
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計画の頓挫した鉄道車両を語るスレです。
国鉄・私鉄問わず語りましょう。
例:187系電車、東海道・山陽緩行105系、長野電鉄パノラマカー3000系、
能勢電鉄自社発注新車、近鉄7扉車、阪神スーパージェットカー、
京急2100型流線型、野上電鉄80型、西武鉄道7000系etc
前スレ:1両目
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1378731633/l50?v=pc >>202
史実1000が両線共通になったのは高野線に回生電力吸収装置が設置されたのが影響しているが >>211
西日本の場合は1M2T基本だから故障時の対応を考えて個別制御が好まれた可能性 >>791
阪急電車の6300系は、大阪市営地下鉄堺筋線で、動物園前〜天下茶屋が開通したあと、南海電車の空港線が開通したら、天下茶屋〜河原町を直通できる、新しい特急車に、取り替えることが、考えられてたんだよね。
それが、あとの"9300系"で、"8010系"とかの話もまとまってきたころ、6300系は使いつづけずに、消滅させるつもりだったんだ。ただ、そのときに5ドア車に改造して、試験するとか、そういう余生の使いかたは、話としてあった。
はじめに考えられてた計画でも、走行距離がそれなりになってるから、消滅させる方向だったのに、取り替えがドンドン遅くなって、変わるはずないじゃん。でもさ、幸運だったのは、阪急電鉄のなかに、6300系を残そう、って思ってたひとたちが、少なくなかったことだよ。
嵐山線と快速特急のために、消滅がまぬがれたのは、取り替えが遅くなったことは、良かったかもしれない。
>>795
阪急電車の"8010系"が、計画どおりに登場して、作りつづけられたなら、番号が足りなくなって、"9300系"のほかは、使うことが考えられてなかった、9000番台の車両が、"8010系"に登場していたかも、しれないんだよなあ。
東急線の5000系に、4000番台の車両があるみたいにさ。 >>797
JR西日本は221系を、東海道・山陽本線の快速・新快速や、関西本線へ作りつづけたあと、つぎは、阪和線と福知山線に、入れていくつもりがあったことは、間違いないよ。
ただ、221系を作ってるあいだに、207系の0番台の設計が進んで、221系のつぎの近郊型電車は、もちろんインバータ制御にする、って方向性にはなってたわけさ。このときは、阪和線・福知山線のために新しく作るぶんが、221系のままか、そのつぎの新しい系式になるのか、どっちかって言うと、新しい系式のほうになるかも、って感じにはなってたんだよなあ。
いよいよ、207系の0番台を作りだして、221系を作り終えてしまったから、そのとき、インバータ制御車の高い性能を使って、新しい車両で、JR神戸線・JR京都線の新快速の、スピードアップをする話が、出てきていたんだ。これで、阪和線・JR宝塚線のために、新しく近郊型電車を作るってのは、棚上げになっちゃってたし。
その話がよみがえったのは、福知山線の脱線事故のあとだね。 >>801
いちいち主語がないけど主語付けてくれないか? >>794
なに言ってんの?国鉄という組織が、生きながらえるとしたら、それは経営的に持ちなおす、ってことなんだよ。
歴史上の国鉄の終わりのころ、積極的に営業をやっていたし、絞るところは絞っていたから、大都市圏で、並行して走る私鉄に、利用者が流れるようなことは、なくなってたし。
30年くらいまえの東海道・山陽本線だったら、新快速は117系・213系で、快速は113系・211系なんだけど、普通は205系でそろってる、ってところ。関西本線の快速に211系が使われて、阪和線の103系は、ほとんど冷房車になってる。
あとに901系で使われる、インバータ制御のシステムも、国鉄の終わりに101系を改造して、試験されてるし、209系・E231系・E233系みたいな電車が、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局の路線に、走っていたかもしれないねえ。 >>195
01がマレーシア輸出を見送ったのは恐らく架線集電式に改造が必要だったからと思う >>267
10連化中止も当時の小田急の迷走によるもの >>341
恐らく30000の10両固定版が幻の30050だったと思われる >そう考えるとVVVF試験車をいきなり編成単位で新造した近鉄と東武はやり過ぎだったかもしれない
>(実際、東武は10080での試験結果が良くなかったため日立GTOの本格導入は100系のみに留まった)。
>東武、10080が成功していればこちらも日立後期GTOを導入していたかもしれないのに…
>(相鉄8000も実質日立後期GTOの延長みたいなものなので)
>恐らく東武10080の段階では1C8M用はまだ開発されていなかったと思われる。
>↓登場時期
>東武10080…88年3月
>西武145…89年3月
>東急8799-0802…89年11月 10080系が、日立製作所の大容量GTOサイリスタのインバータ制御装置を、使ったわけだけど、失敗だった、っていうのは、まちがってるんだ。
10030系を作るときに、インバータ制御を使いたい、だけど、インバータ制御装置の値段が高いので、これから東武鉄道として、新しい通勤車を作りつづけていくのに(実際に、8年間で350両くらい)、金額が大きくなってしまうのと、大容量GTOサイリスタが、東武線の車両のために、そのペースで、日立製作所が用意できないかも、という状況だったんだよね。
営団地下鉄の日比谷線と、相互直通運転するための車両は、加速・減速を繰り返すので、値段が高くても、東洋電機のAFEチョッパ制御を、使うしかなかったし、使っても、効果があるって考えられてた。
だから、特急車として、加速・減速と高い速度で、高い性能が必要だった100系には、インバータ制御を使うけど、地上だけを走る10030系は、しばらく界磁チョッパ制御を使うことにして、いまのIGBTみたいなものが、登場して、インバータ制御のシステムの値段が、大きく下がることを、待つことになったわけさ。
10030系の10050番台を作るときも、インバータ制御が使えるか、考えられたんだけど、ちょうど、はじめて3レベルのIGBTを使った、営団地下鉄の車両が出てきたところで、東武鉄道の車両のために、作りつづけられる感じじゃなかった。だけど、東洋電機の逆導通GTOサイリスタで動く、インバータ制御のシステムがやっと、地下鉄へ乗り入れる通勤車なら、コスト的に使える状況になって、20050系で取り入れられてる。
そしていよいよ、営団地下鉄半蔵門線と相互直通運転をするためと、10030系のつぎの基本的な、新しい通勤車を作る話になって、やっと30000系で、本格的にインバータ制御を使えることになった、ってわけ。 >>812
10080で価格の問題に気付いたということか。
東急9000ガイジは技術面で失敗と勘違いしてるようだな。 >>358
そもそも223-0は急遽計画されたものだから増備は考えなかった筈 >>140
N3101Hが日立に決定された時点で当初デザインは使えなくなったんだろうな >>268
中間2両をダブルデッカーとする検討もあった模様 >>242
JR西日本は個別制御なのが好まれた理由なんだろうね >>245
8200は幻の8010に採用予定の新機軸の試験も兼ねていたんだろうな >>820
「先行試用の意図」とか、「採用予定の新機軸の試験」っていうことより、阪急電車の8200系は、"8010系"のシリーズのなかで、たまたま先に登場することになった、って感じだけどなあ。 >>303
地下鉄に二階建てとか最初から無理だったんじゃない? >>312
いずれもJRとの乗り入れのために仕様を合わせるつもりだったんじゃないかな >>476
京阪旧3000は1900の3扉化が高くついたことに懲りたため京阪から撤退となったらしい >>278
西鉄8000も走行距離の問題で改造見送り >>575
6050/9000/10030/30000のデザイン案 >>689
仮に連接通勤車が登場していたら小田急は連接通勤車が基本になっていた可能性もないとは言い切れない 東武30000の頃は、190kWx8は1C8Mでは無理だったので
1C4Mで各M車装備だったね >>720
幻になった"105系"は、国鉄の赤字経営とか、コストダウンとか、関係ないんだよなあ。
国鉄の臨時車両設計事務所では、現場に近いところからの、求めに対して、そういう通勤型電車を作ろうと考えたのは、間違いなくってさ。
113系の走行機器を使うとか、主電動機だけMT54型を使うとか、165系の走行機器を使うとか、考えられたんだけど、加速・減速も、速度が高い運転も、両立するような通勤型電車って、結局はできなかっただけなんだ。
国鉄の電化区間は、電力供給に余裕がなくって、あまり大きなパワーを出す電車を、使えなかった事情はあるんだけど、大手私鉄の通勤車とくらべて、主電動機のパワーは小さめで設計されてたから、加速・減速か高速か、ってところは、どちらかしか選べなかったね。
編成のなかで、動力車の割合を大きくする、ってこともやりにくかったし。そして、条件を精査していったら、結果的に、103系でも使えないことはない、ってことにもなったし。
幻になった"105系"を、別のカタチで実現したのが、201系だからね。 >>227
単に70-000が最初から6連で投入されていたと思う >>147
サハ208-900じゃなくてサハ900だな >>323
国鉄時代から首都圏の多扉車構想は既にあったんだな >>159
Mc8300-3がMc8300ベースの機器更新車 >>287
南海8300の高野線用も当初予定では8300ではない高野線専用新形式車の予定だったらしい >>490
当時の東急車輌の野心的な提案もあったんじゃないの? >>492
従来ズーム車との相性が良くなかったため予定外の2000増備となった >>489
史実209相当というより207-900の量産車的なものだったろうな >>839
"相性の問題"?もし、2000系と、21000系・22000系(2200系)との連結のことを言ってるなら、そんな問題なんて、実際なかったから。
高野線の特急・急行が、金剛に停まるようになったあと、ズームカーの急行で、混雑がひどくなったりして、お客さんの乗り降りに時間がかかるから、電車の遅れが、目立つようになってきたんだね。
それは本当のところ、停車駅が増えたのに、21mの4ドアの車両じゃなくって、17mの2ドアの車両を使っていたことが、原因だったんだよ。なのに、3編成が残った2200系のせいで、連結のために、2000系の性能を落としてるからだ、っていう理由をつけて、南海電鉄の内部的に、片付けちゃったわけさ。
2200系が、高野線からいなくなったとしても、2000系の性能は、上げられなかったんだよ・・・ >>838
>あくまでストロイエは
>南海の電鉄サインピクトグラム担当で
>50000専用として追加が必要なサイン類を
>若林広幸からの指示で制作
>
>若林氏はその段階で既に
>たち吉から独立し個人事務所を構え
>
>南海もJRとの競合は当然承知の上だが
>空港特急車を大胆な意匠とする動機は
>JRの動向が影響した訳でなく
>むしろ電鉄社内間で刺激された高揚から
>
>JRは当時681量産先行車を登場させ
>南海もある程度の手の内は見えていたが
>JR関空特急形にて近車と検討されたのは
>当初ステンレス車体でスポーティーな印象
>
>南海が既存のビジネス特急車ベースと
>対外的に説明していた方が不自然で
>むしろ電鉄社内をも欺いた格好
>どちらかというより間違いなく
>JRの方が南海の注力を警戒しており
>
>そこは物量作戦で急遽
>関空快速形新造を決断したほど >>647
205-1000もJR西日本化当時は計画になく、南海が9000を導入したことによる対抗策として導入されたものだね >>842
仮に南海が当初の予定通り9000増備だったらJR西日本の関空快速も221だったかもしれない >>804
分割民営化が無かったら、または民営化後も全国組織だったら
207-900の量産車的なものが当初は関東に配置されて、その後関西に転用されていたかもしれない >>247
アルナで作れなくなった時点で別形式に移行は避けられなかったろうな >>248
8200が8030〜8035みたいに5200の台車のみ流用する案があっただけじゃない? >>260
1000だけ3M5Tはダメだったのか? >>401
西武も日立の大容量GTOを採用したのはたまたま有楽町線直通のタイミングが良かっただけで、
仮に有楽町線直通が史実より早ければAVFチョッパ、逆に遅ければ3レベルIGBTになっていたと思う
当時の西武は有楽町線直通車以外はVVVF採用に消極的だったため >>840
国鉄が最後のころ、新幹線電車について、「スーパーひかり」で時速260kmの運転をしたい、ってのがあって、そのへんの速度になると、サイリスタ位相制御は無理ってことがわかって、PWMコンバータとインバータという、主変換の新しい制御をしなきゃ、っていう方向性だった。
在来線電車は、大容量のGTOサイリスタで動くインバータ制御なんて、すっごく高価だし、1年間でかなりの両数を作ることが必要だから、総額が大変なことになるけど、そのまえに、それだけのGTOサイリスタを、電機メーカも用意できないし、って事情があったんだ。
電機子チョッパ制御を使った、201系の反省もあったし、価格も安くて、抵抗制御が基本だから、取り扱いがしやすい界磁添加励磁制御を、在来線電車のシステムとして、ドンドン使っていくことにしたんだよ。
そういう状況のなか、常磐緩行線のために、1編成の通勤型電車が必要になったとき、国鉄の最後に、私鉄や地下鉄で、営業運転される車両が増えてきた、大容量GTOサイリスタのインバータ制御を試しておきたいって声が、車両技術の責任者で、いつもは慎重なひとたちからも、あがったんだって。
ちょうど、ゆくゆくは新幹線電車のためでも、基礎的な確認をするのに、101系を改造して使った在来線での試験が、うまくいってたことも、それを後押ししてたんだね。
207系の900番台は、国鉄の本社や、車両設計事務所的に、量産車両とかぜんぜん考えてなかったんだけど、東京北鉄道管理局のなかで、新しい会社になったとき、207系の量産車両を作りつづけて、常磐緩行線の203系を取り替えたい、って話を進めてたんだよなあ。
そのあとも、在来線(の直流・交直流)電車を新しく作るとき、界磁添加励磁制御を、しばらく基本にするけど、私鉄や地下鉄で、インバータ制御の電車がつぎつぎと出てくるから、国鉄(新しい会社へ引き継ぐこと)として、安く、たくさん作るための、タネをまいておくことになった。
1987年の1月〜3月に、大船工場で、べつの101系を改造して、富士電機から持ちかけられた、(容量が小さい)パワートランジスタで動くインバータを使った試験車を、走らせてる。これはJR東日本になってから、901系のA編成のインバータ制御へ、むすびついたんだ。
だから、国鉄がずっとつづいてたら、作られる基本的なインバータ制御の電車は、209系みたいな車両なんだよ。 >>844
いやいや、>>746で言ったとおりだし、9000系を、新しく作るぶんとして考えられていたのは、歴史上の1000系の1次車に、あたるところまでだよ。
歴史上の1000系の2次車って、空港線を開通させるためのぶんで、このときから、"9100系"で試したことをまとめた、インバータ制御の通勤車を、作りつづけていこうとしてたからね。
空港線のために南海電車が、9000系を作るとか、ぜったいになかったわけさ。
それとJR西日本が、関空快速のために221系を作るとか、ぜったいになかったというのも、>>802のとおりだよ。
>>845
207系の900番台についても、>>851のとおりで、鉄道管理局が量産車両を作りたくっても、国鉄としては、209系みたいな車両の、設計ができあがるまで、インバータ制御の在来線電車を、増やすつもりはなかったんだよなあ。 >>165
というより新20と相鉄8000の時期がほぼ同じだったために似たようなデザインになった >>166
北急8000は後の東武20000/西武6000に影響されたと思う >>160
10000初期の中間車(新造として)も >>163
8000の段階ではむしろ減車を視野に入れていたから4連しか作られなかったと思う >>177
あくまで9000の後継ということで9100の予定だった >>467
泉北5000は泉北の直営化の影響だから… >>843
国鉄の大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局が、東海道・山陽緩行線の103系をぜんぶ、さらに作りつづける205系で取り替えて、余った103系の冷房車を、クーラがない車両の多かった、阪和線へ回す、っていうことを考えていたんだ。205系の1000番台が、阪和線に登場するための、基本となる話だよ。
>>846
西武鉄道の6000系が、旧東急車輛が作るステンレス車体から、日立製作所の作るアルミ車体へ変わったとき、西武鉄道として、旧東急車輛が作った、車体のこまかい図面は、持ってたんだけど、日立製作所の技術者が、ステンレス車体の実物で、寸法を確認しにきたりしながら、組み立てていったんだよなあ。
阪急電鉄が、日立製作所と、"8010系"を作りたい、って話をまとまれば、あのころなら日立製作所が、A-trainのブランドを打ちだすまえだし、旧アルナ工機みたいな作りまでは、できなかったかもしれないけど、近いものを、作れたんじゃないかなあ。
>>849
阪急電車の1000系は、1300系も機器の配置や編成の組みかたなどが、できるだけおなじになるように、設計が考えられてる。1300系のほうが、密閉式の誘導電動機の出力的に、条件は厳しいから、8両編成のとき、動力車は4両にしなくちゃいけない。
1000系の永久磁石同期電動機をもし、255kWにすれば、性能を大きく変えなくても、編成の出力的に、動力車を3両にできるかもしれない。そのうちの1両は、8000系が、インバータ制御のシステムを取り替えるための、主電動機が4つ制御できるものを使ってさ。1600形か1650形のどちらかは、付随車にできる。
ただ、回生ブレーキと空気ブレーキを制御する、ブレーキ受量器のシステムも、変えなくちゃいけなくなるし、だんだん1000系・1300系で、仕組みがバラバラになってくる。それは、阪急電車がやりたいことじゃない、ってところだね。 >>213
600後期の結果が良くなくて2100はシーメンスになったとも >>298
600は2100への橋渡し的な要素を持っていたと思われ >>436
881は883の仮称だったのか、それとも北海道のために空けてあったのかは不明 >>379
223-9000は事業用車に改造される前はまた違うVVVFだった模様だが >>366
様々な試験を行うつもりだったということは暫く営業は見送るつもりだったのかな >>283
泉北は単に当時5000が線内専用だったために増備できる状況じゃなかっただけでは? >>270
0番代はそうかもしれないが1000番代は南アーバンにも投入を想定していた可能性 >>279
10Aは結果的に御堂筋線のままで良かったと思う >>281
20を中央に集約させた時点で10後期を谷町に転用はありえない >>390
今の9000/9300と同じ電動車位置か >>297
ホームドア設置計画との兼ね合いで一部置き換えになったとも思ったが… >>329
紀州路快速運転開始が数年早ければ0番代の増備があったかもね >>331
そもそも223-0自体が予定外だから近郊車置き換えは無かったと思う >>333
3000は元々一時的なものの予定だったから車番そのままなんじゃないかな >>335
最初は221が網干にまとまった数が投入されたけどね >>353
10000-4次車と11000がH4年度
50000がH6年度 >>879
10000系中間車は1991年度中、50000系は1993年度中の落成 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>351
西武も当時VVVF採用は有楽町線直通車だけだったが >>404
史実では関西初のIGBTは223-1000となった >>422
そもそも東の103が早期全廃になったのは98年頃の故障頻発が原因らしい >>421
813-300は815や817-0より後に製作されたものだが >>429
そもそも103故障頻発が無ければ209-500は出なかったと思う >>432
元々7000以降を大量増備の筈が8000増備を優先してしまったからなぁ >>409
西日本の205-0は分割民営化が無ければもう少し増備されていた可能性
(これは東海の211-0にも言えることだが) >>884
西武鉄道の6000系は、営団地下鉄へ直通するための系式だけど、そのための専用とかじゃなくって、これからの基本的な通勤車両、っていうことだったんだよねえ。
>>887
だからさ、そのまえに事故で除籍になった、813系の0番台・200番台から、サイリスタ位相制御装置・インバータ制御装置・主電動機をとりはずして、新しい車体(300番台)にとりつけた、ってことじゃん。使えるものは使う、それだけだよ。
>>889
京阪電鉄は、インバータ制御の通勤車(旧6014編成・7000系など)を、作るって決めたとき、いつかたくさん作りつづけて、2600系・1900系・2200系・2400系・1000系を、取り替えていく時期がくる、って考えていた。
でも、それは鴨東線が開通する=7000系を作るときじゃなかった、ってことさ。1900系は、更新工事が終わったところだし、2600系を取り替えるには、まだ5年くらい早かったし。さらにまだ、輸送力を上げるために、通勤車両・特急車両を増やさなきゃ、って状態だったんだ。
そのタイミングを、狙って作られたのが、歴史上の7200系なんだよ。インテリアや先頭車のエクステリアが、しっかり考えられてるよね。たけど、このときですら、まだまだ車両を増やさなきゃ、って感じだったんだよなあ。
7000系は、6000系を基本に、インバータ制御の通勤車を作る、ってことだけに集中してるから、車体が6000系と、ほとんど同じじゃん。同時に設計をやっていた、8000系のほうに、そのぶんの力を注いだ、っていうところ。8001編成を作ってるときには、3000系を取り替えることを、決めちゃってたわけでさ。 >>437
先に9300だけ作ってその後は1000を史実より早く登場というわけにはいかなかったのか >>443
阪神は車庫ごとやられたので車庫復旧まで車両を補充するわけにはいかなかったらしい >>450
阪神9000は車庫復旧に合わせて搬入された >>451
保安装置の問題で広島配置となったらしい >>458
旧8000も量産前提だったがコストの問題で見送り >>459
南海の新カラーデザイン検討に関して路線別(南海線が青、高野線が緑)とする案もあった模様 >>461
幻のビジネス特急が実現していたら10000は2連のままだったろうか? >>463
一応空白期間(97〜03年)に車両を作ることは考えていたのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています