かつて存在した時刻表上の表記・凡例
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また、駅掲示の発車時刻表でも構いません。
時刻表上の「○○車両で運転」等の表記や種別・行先・編成・接続等を示す凡例で、今では存在しないものを語るスレ。
関連スレ
珍しい発着駅・経由路線・車両の列車 3
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1486015705/
水天宮前行きの想い出
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/jnr/1479002083/ 始発と最終だけ時刻書いてあって頻繁運転とあり、しかも始点と終点の二駅しか記載のない私鉄線。交通公社の大判時刻表でも私鉄は簡略な記載だった。 都電など路面電車やトロリーバスは都市部のバス同様、時刻表に記載すらなかった。
いかん、「かつて存在しなかった時刻表上の表記」になってしまう。 トイレじゃない、文字通りの洗面所のマークもありましたっけ? この列車の特急料金は100円引きです。
12系を使用した臨時特急
しおじ51号等 ワ
ワッペン列車の「ワ」
ホームベースの中にワの字が入っていたような・・・・ ○囲みに電
気(動車)
汽車
国鉄ではチップをいただきません。 青函連絡船の寝台
寝台を表すベッドのイラストにAやBの表記がない。 展(列車の前面の絵の中)
○の中に連(連絡運輸?) 「横浜・新横浜間」
東京都区内,大阪市内などと同様、特定特区市内の一つとして機能していて、この区間内で
途中下車すると前途無効になった。 奥羽本線、鹿児島本線、日豊本線の全区間、全駅を1ベージに収めた大時刻表
交通公社の時刻表では出来ない芸当だった >>28
郵政省は逓信省の郵便部門と電気通信部門が分離されて電気通信省と共に発足したものだから
電報はやってないよ 郵政省告示第二百七十八号
昭和三十三年四月一日から、次の郵便局および郵便局分室に電話通話および和文電報受付事務の取扱を開始した。
昭和三十三年四月五日
郵政大臣 田中 角榮 JRの放送で【マナー守れ】【安全のため】とよく言うのは、【自己保身】のため。計り知れない数の事故を起こしていることを誤魔化せるから。
衝突、架線柱ポッキン、脱線、転覆、変電所火災、線路陥没、架線切断などの事故を起こしても構わなくなる。乗客を長時間車内缶詰しても【マナー】【安全】と言えばメンツが保てる。
【事故】を【トラブル】【点検】【確認】という放送は悪質な隠ぺいだ。
過去の事故を教訓にしないどころか、【工作員活動】【世論誘導】【責任転嫁】に血なまこだ。
JR関係者は中国や韓国へ行って反日活動をしている。検索すれば画像が出てくる。
JRはテロリスト 革マルが浸透している。
一方不特定多数の乗客は
悪いことしてないのに【パワハラ】な放送を聞かされる。
歩きスマホや黄色い線踏むことがまるで大事故のように洗脳を行う 赤帽係員のいる駅
(帽子の🧢イラスト) 一等車連結を示す「1」の表示(昭和44年、グリーン車登場に伴ってこの表示は取りやめ) >>38
【123】と並んだ1等車も付いた優等列車。
「つばめ」「はと」や青函連絡船に、
一部の夜行急行列車限定の
庶民には縁が遠い列車だった。 3等付いてんだから庶民には縁が遠いってこともないだろ 編成表で車掌長、乗客専務が乗務している号車はCDEとかの表示が黒塗の白抜きだった。 かつて、市販の時刻表の本線のページの最初と最後の方を賑わせていた、寝台の
マークも最近はほとんど見掛けなくなってしまったな。俺自身も、ここ10年以上は
時刻表でベッドの中に数字の書かれていない、「A」や「B」だけのマークは
見てないなぁ。 この列車で○○→××間を途中下車しないで××以遠へ行く場合
△△経由の乗車券でご乗車できます
東北関係に多かったよな
東北本線に対して奥羽本線(福島〜青森)
東北・奥羽に対して上越・羽越(大宮〜秋田)とか >>40
3等でも急行券や特別急行券が必要で、
負担が増えて縁が遠かった。
戦後でも貧乏学生が上京・帰省に使うのは、
長距離を走る普通列車だった。
学割は半額で助かったよ。 準急・急行はともかく、特急はハザも含めて大衆に無縁の存在だったわな
少なくとも、昭和30年代までは 主な列車の編成表に、客車・電車・気動車の表記があったけど、一般旅客にとって必要性あったの? 電車・気動車・客車の区別、今でも書いてあるな
煤煙列車を区別していた頃はまだしも、一般客には関係ないな 自分の乗るのが電車か気動車か客車かくらいは知りたいと思わんか?
飛行機だったら機種書いてあるし、船なんて線名明記してるしな >>51
座席配置・車内設備を知る上で機種・船名・車両形式は必要になるけど、
運転上の動力方式を一般客が知る必要があるのかね? 必要って言い方されると困るけど
乗る列車の正体くらい知りたいと思うのが普通だと思うけどなあ 無煙化完成が近づいた時期に、寝台電車が登場したことで車種明記の意義は残った
あかつき/明星はS50-3改正まで、客車/電車で分別されていたし
いずれにせよ当時は必要性があったものが形骸化して残っている感じか >>56
完璧には説明できないが、今で言う連絡運輸(当時は連帯運輸)をできる線であるか否か >>57
ありがとう
家に戦前時刻表があるんだけど
地図の軍事要営地点の区分け線ですね
理解しました >>52
ひとえに名残でしょう?
昭和30年代、ラッシュ時の高崎線の客車列車の動画を見ると連結面やドアに掴まって乗ってる人が大量にいるが、電車ではできないし。 死体運賃(大人、子供)記載があったこと
遺骨にした場合は手荷物の二倍の運賃をとられたこと
https://i.imgur.com/LFHIxXq.jpg >>63
第2いこまの京都→大阪の所要時間10時間33分wwww 急行の指定席料金を表すマーク
本州及び本州−九州直通と、三島(さんとう)内とでマークを分けてた。 >>69
時刻表の表組みの話だろ
汽車汽船旅行案内でググってみな >>70
だから
昔、縦書きは右から左だったんだよ
冊子も右綴じで
始発駅が右側、終着が左に書かれていた。
縦書きの文章も添付の
明治四十三年四月訂補
右から左
https://i.imgur.com/p6trYQH.jpg >>72
そこは別に言及するつもりはない
右綴じの冊子で理解出来ないか?
>汽車汽船旅行案内でググってみな
左から右と記載があるの? >>73
ちゃんと判ってるんだよ。
あんたは、戦前の時刻表は漢数字&フォーマットが縦組みだ、って言いたいんだろ?
つまりアンタは文章表現がヘタなんだよ >>74
縦書きが左から右に読む方式だった
上記の記載は現行であり、
旅行案内には右から左に読む方式しか無いのだが…
ググれと言われても 戦前の時刻表は漢数字、フォーマットが縦組みについてだけを言っている訳ではない。
本文の縦書き表記も旅行案内は右から左、左から右の表記は無い
https://i.imgur.com/l22z3ls.jpg 20年くらい前まで、「列車番号の、A、M、(以下すべては覚えてないので略)は電車、Dは気動車です。」という説明があったはず。
たぶん、CやKを、電車と気動車の両方が使うようになったから消えたのだと思う。 新幹線0系電車を正面から見た絵に「超」「特」を合わせたマーク >>34
>>43
† 救護所のある駅
(帽子)赤帽のいる駅
やっぱこの2つかな。他に現行のみどりの窓口の
ある駅と駅弁を売っている駅。
4つ揃っているのは東京、大阪、京都、名古屋など
限られた駅だけだった。 >>89
1960〜70年代の
道内時刻表の表記
(無)駅員無配置駅
(乗)旅客乗降場
https://i.imgur.com/gX6h30m.jpg 東北本線と高崎線に有った 『浦和通過で池袋発着』の列車 一般型特急車両で運転
二階建て普通車連結
高崎〜長岡間を直通運転する日があります
食堂車の営業はありません
カラオケカー連結
グレードアップ車両で運転
ハイグレードグリーン車連結 ナイフ&フォークは食堂車あり
コーヒーカップは喫茶コーナーあり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています