国鉄三木線・三木鉄道 [無断転載禁止]©2ch.net
金物の街兵庫県三木市にあった国鉄三木線と、
その後身である三木鉄道を偲ぶスレ。 厄神とか宗佐など変わった名の駅が目立ったくらい。
あとはな〜んにも無い路線。 汲み取り式トイレだもんね
ローカル線の無人駅ならどこでも同じようなものかな 今更ながら厄神ってすげえ名前w
改称しようという機運が出てもおかしくない >>10
ちょww
やくびょうがみは、『疫病神』が正しい。
勝手に改変するなw 4,5回乗ったがいつも空気輸送。
休日だからマニアが少しは乗ってるだろうと思いきや
全くなかった
マニアにも忘却されてた私鉄・・ 三木駅がもう少し便利なロケーションであれば
多少は好転してたかも
神鉄の恵比須まで延長した場合のシミュレーションもやっていたのではないかな しかし粟生線すら虫の息だしな。
もしやる気あるんだったら、粟生線だけでなく地下鉄にも接続してほしかったな。
不思議なのが北条鉄道はそんなにヤバイ話は聞かない。
意外に賑わってるとこは賑わってるらしいしな。 三セク転換時に駅を増設して客を増やそうとしたがこれは裏目だった ここがおとなしく廃止されていれば鍛冶屋線は3セク化されて生き残ってたかもしれないのに 駅を増やして乗車機会を増やす試みは、狙いとしては悪くない
問題は場所の設定だな
宗佐だったか?田んぼのど真ん中に駅を造って誰が利用するのか
イマイチ意味が分からんかった 追伸
三木から神戸に向かうときにわざわざ厄神→加古川経由を選ぶ人はマニアくらいのもの
てことは神鉄が開業した時点でこの線の運命は決まってたのかな どう見ても、加古川経由は遠回りだな
近道の神鉄もノロマだが 三木駅を降り立つと「金物のまち 三木市へようこそ」という幟と横断幕があった
ヨーヨーの自販機が置いてあった
悪書追放ボックスがあった
昭和54年 夏の光景 三木駅の佇まいに限れば神鉄よりも国鉄の方が上だった。 神鉄は旅館みたいな電照式の袖看板があって
いっそう駅から縁遠い建物に見えた。
今もそんなに変わっとらん。 今でも意外な場所に残ってたりするよ
ついでに訂正させてもらうと、悪書追放ポスト、が正解な。 中学生の頃から25年以上エロ本読んでる俺はどんな害に侵されてるんだ? >>20
そうさ。
でも、間隔をできるだけ均等にしようと思ったんだろうな。 小学生の頃に三木駅で駅弁を売ってないか尋ねたっけな
駅員にはもちろん怪訝な顔されて「ない」と否定された。
従兄弟にからかわれてただけなんだがw 三木駅は行ったこともみたこともないけど
構内に売店の一つや二つが有って、
弁当くらい売ってただろ 厄神での加古川方面乗り換えが転換後不便になったのは
国鉄側が三木鉄を厄介者的に見ていたということかな 乗り換えが不便になったと言うよりも、
直通が無くなったのが大きい
これは明らかに厄介者扱いされてた為だと言われてる 若桜線(若桜鉄道)は3セク化された後も鳥取に乗り入れてるのとは対照的だね 三セク転換時に加古川線のレールから切断される様子が撮られてた
なんか親が子を勘当するみたいでとても悲しかった すでに1960年代末から不採算路線の烙印を押されてたので
その後10年以上も母家(国鉄)に残れていたのは
むしろ温情をかけてもらってたとも言えるよ 国鉄(JR)との渡り線を残せば、維持・メンテナンスのコストは3セク側の負担になるから、
三木鉄道はコスト削減を優先、若桜鉄道は利便性を優先したということじゃないかな? コスト削減に偏りすぎて客の逸走を招いてしまったわけね 今日のヒルナンデスで、ひたちなか海浜鉄道の旅を放送していた。
ミキ300-103(元三木鉄道)やキハ205(国鉄キハ20 522→水島臨海鉄道キハ210)が映ってた。
キハ20 522は一時期、加古川気動車区に配置されていたので、
加古川線・鍛冶屋線・三木線・北条線・高砂線を走行していたと思われる。 国鉄時代より車両が綺麗になって良かったんだがなあ
車内が明るくなったおかげで気分も軽くなったものだ 国鉄型気動車は特急型・急行型の一部を除けば、殆どが非冷房だったから、
3セクの車両は冷房付いてて、夏場は快適だったね。 >>46
転換時に新車を買ったから。
三セクでもフトコロの寂しい会社は国鉄のお下がりを使うしかなかった。 県、市から並々ならぬ期待を掛けられてた。
資金面でのバックアップは相当手厚かったのでは? 兵庫県は推してたが、三木市と加古川市はどうだったかな >>19
どう関係あるの?
>>23
三木から、姫路方面へ行くときは、便利だったと思う。そういう人をターゲットに考えていたんじゃないかな? >>14
同じ感想。
駅の周りには民家も商店も公的機関もあるのに、だれも鉄道を利用しない
住民に気付かれてない、空気のような存在。 田舎のクルマ・バイクの普及率をナメたらあかんで
この沿線というか兵庫県は雪国でもないのに道路整備にはかなり早くから
公費投入して整備を進めてた 転換後乗ったけど乗客はほとんどおらず、なぜ廃止にしなかったのだろうかと思った
これなら鍛冶屋線の方がずっと意義があると思う あと、田園地帯に路面電車並みの駅間距離で駅を造りまくったのも意味不明 >>59
みんなそう思いますよねー。
三セクに切り替わってもあんな路線に
誰が乗るんだろうってみんな噂してました、当時。 >>58
もちろん。
国鉄三木は、忘れられた存在だった >>61
地元民だから覚えてるが、マニアだけが乗るだろうとみんな思ってた
でも、マニアさえ乗りに来てくれなかった 路線が短いし、ローカル線と言ってもそれなりに都会だし、
マニアに訴求する材料が致命的に乏しかったということかな
かといってタイアップイベントを派手に打ち上げたり、
アデンタント乗っけたりするのが良いとも思わないが。 ま、フツーのローカル線だったら、鉄オタが来るったって
乗り鉄は乗りつぶし目当てが多いから一度来たらそれきりってことも少なくないからな
鳥塚前社長が「昔乗りに来ましたよ」というお客さんに「それはいつ?」と尋ねたら
「いや、木原線のころに一度」なんて答えが返ってきたことがあるそうだ マニアの集客に血道をあげるのもいいが、
通勤通学輸送で固定客を掴むのが大事でよ
彼らは鉄道を使わざるをえない人々だからな >>62
広さだけは、国鉄の圧勝だった
3月に火事(もらい火)で全焼してしまった神鉄三木は既に昭和40年代から周りに民家が建て込んで狭苦しかったが
国鉄は元々貨物ホームもあったくらいで広々してたし、いつごろか使わないレールを剥したのでその跡が荒地化、
何かに活用することもなくただ放置してる様子だったね
年に数回三木線を利用することがあったが、だだっ広い構内を見るたびに、
「モータープールにすれば儲かるのにな」みたいな話を家族としていたのを思い出す 国鉄は副業したらダメじゃなかった?
立地が最高なのでもし開業したとしたら
周辺の民間駐車場を圧迫するのは確実
それは問題だとか叩かれそう 国鉄職員だった、親父は粟生以北の駅に通勤するのに、わざわざ神戸電鉄三木で降りて
三木線に乗り換えていた >>69
「立地が最高なので」
街外れにあったのに? 家具の板文の看板
姫路が本店だが加古川にも小野にもあった >>68
そんな国鉄用地は全国で多大にあったが、国鉄末期に整理されていった。
昭和59年2月の貨物ヤード合理化、昭和61年11月の荷物・郵便列車廃止が契機だった。
なので3セク後では、三木駅の広大な土地所有はなかっただろう。 >>66
>>67が言うように定期利用とりわけ通学定期は利鞘が小さいお客
しかも三木線の地盤である三木市と加古川市は通学区が違っていて
公立普通科に通う高校生は通学に利用することがない
・・やはりマニア目当てでしか生き残る道が無かった?? 加古川線・鍛冶屋線に明石車掌区の車掌が乗ってたらしいけど
三木線・北条線もそうだったのだろうか? DCはキハ23、30、35、40などと多彩
色はタラコ塗で統一
キハ30、35は時間帯に関係なく走ってた気がする 人の流れと反対向きの路線
明石三木を繋げばよかった >>78
外吊りドアが珍しくて写真を撮ったりじっと眺めてたりした
家庭用8ミリビデオはまだ高価で手が出せず
必死の思いで脳裏に焼き付けた笑 朱色5号(いわゆるタラコ色)よりも昔ながらの標準色クリーム4号&朱色4号の方が
何となく落ち着きというか優雅さがあったな 電鉄三木〜国鉄三木は距離がかなりあったと思うが
毎日歩いて乗り換えていたのか 地元に見捨てられたとしか思えないな
三木市長選挙で廃止推進派が当選して命脈を絶たれた 見捨てられたというか派手に自爆した。
経営陣や酋長が駅間隔を狭くしたら乗客が増えるんじゃないかと誰もいない田んぼや林の角に
駅作り、反面老朽化した便所などは放置してやがて本当に朽ちて使用禁止に。
駅間が短くなったおかげで車両の加減速が必要になったことで近隣の北条よりも早くレール
バスの寿命が来て15年持たず足回りを5000万かけて総交換、と、まさに貧乏が貧乏を呼ぶ状態
だった。
攻めの経営だったと言えなくもないが金のかけ方が客目線ではなかった。 やはりお役所に会社経営は無理ということでしょうか
厳密には半官半民ですが純民営のような
シビアな企業ガバナンスが働いていたかというと疑わしい >>78
キハ23はトイレが付いていたが使えなくしてたっけな 政治に翻弄された路線とも言えるよな
神戸電鉄に負けたというのもある > 反面老朽化した便所などは放置してやがて本当に朽ちて使用禁止に
WCを見ればその会社(店)の行く末を読めるという説がある
手入れができていない会社(店)は確実に駄目になる
当時は地域的に下水道が普及しておらず汲み取り式が主流で悪臭は仕方ないしても
せめて清掃はこまめにしておくべきだった
鉄道会社は輸送インフラといえどもいちおう接客業でもあるからね たかだか全線で15分あまりだし起点から終点でも我慢できるくらいの時間。
車内トイレはメンテが大変らしいから最初からトイレが付いていたとしても
閉鎖するのは現場としてはそうしてほしいところ。 >>83
県と市との間で三木鉄道との向き合い方にすれ違いが出てきたのが始まりで
県は大甘だったのはよく知られてる 自治体トップの性格にもよるけど。
とにかく何でもいいから過去を否定したいだけの人もいる。
政策的に効果のある施策でも前任が手掛けた施策なら迷わず中止する、みたいな。 >>89
高砂線や鍛冶屋線には冷たかったのにこの温度差w >>75
ローカル線のお得意先といえばあとは病院通いの爺様婆様
ただし三木駅から市民病院へは歩いて軽く15分以上は かかる
他の駅の最寄に病院は無し
今はその市民病院も統廃合で消えてしまった 3セク転換時に入れた初代のDCのうち1両が加西の中華料理屋の敷地内で荒れ果てているニュースをネットで見てからもうずいぶんたつ
三木駅が資料館になったのだからそこに展示できればいいのにな >>91
海の向こうでもトランプとかいうリーダーが過去の否定にご執心で廻りが大変 2軸レールバスて乗り心地どうなの
乗りたかったのが先送りしてるうちに廃車(´・ω・`) ネット上の画像を見ていると劣化が酷い
物置代わりだから塗装が剥げてるとか色褪せはどうでもいいが
外板の腐食やガラスの破損は問題。
鉄道車両の二次利用をいつも疑問に思うが廃車体を倉庫に転用しても
早いうちから劣化していずれ修繕するか買い替えが必要になるので、
だったら最初からイナバ物置を買う方が合理的ではないか。
餅は餅屋。モノを保管する為に使うのは倉庫であって、決して鉄道車両の廃車体ではない。 倉庫代わりは貨車に多い
イナバよりもかなり安く(半値以下?)で買えるのでは >>95
あれもう前面の曲面ガラスも割れてるし車内は一旦厨房改造されて結構腐ってきてる
から復元に1000万単位で金かかるぞ。
ふれあい館にも置くところないし(今のふれあい館は元々ホームの位置だったところを
壊して駅舎を奥に移動、増築したのでホームも車庫もレールも現存しない)、最近出来た
トロッコ遊具の邪魔になるし。 >>97
数回乗ったが、レールの継ぎ目を通った時の音が違う(当たり前であるが)
タン タン タンって感じ。
揺れ方も違った感じだった。ヨーイングというか蛇行するような揺れ方だった
ただ、線路の保守の問題だったかもしれない。
鉄でなければ、気にならなかったと思う程度。 女性に性的動画を送信強要 27歳派遣社員を逮捕
[2018年11月8日21時29分]
栃木県警足利署は8日、インターネット掲示板で知り合った女性を脅して性的な動画を撮影、送信させたとして、強要の疑いで、
兵庫県三木市志染町、派遣社員 楠亮二容疑者(27)を逮捕した。
逮捕容疑は6月下旬、栃木県内に住む女性(19)に対し、
既に入手した女性の裸の動画をネット上に公開するといった内容のメッセージを送り、別の動画を撮影して送信させた疑い。(共同)
https://www.nikkansports.com/general/news/201811080000951.html >>100
転売先の使用方法まで売り主は縛れないので
不用車両を売ることに消極的な事業者もあると聞いたことがある。
車両として使ってくれるなら良いが倉庫代わりでしかも窓が割れたまま放置は、困るよなって。
せめて色だけでも塗り変えて遠目では分かり難くしてもらいないものだ。 神戸市営地下鉄か神鉄粟生線まで接続出来てればなぁ
距離的には大差ないかもだが間違いなく三木から加古川や姫路方面より神戸に行く人が明らかに多いから >>100
輸送代買い主持ち
瑕疵担保責任免除
新品買った方が長い目で見ても正解
諺「安物買いの銭失い」は正しい 高架になる前の明石駅の山陽そばで食べたミックス丼が懐かしいわ
今も雰囲気が変わったがそば屋に留まらないバラエティに富んだお品書きを見てると
同業の阪急そばや南海そばよりもアグレッシブと思う >>103
いやあの揺れは鉄ではない普通のおばはんたちも「この電車変な揺れ方するね」
という声が聞こえた。 2軸レールバスってどこで乗れるんだっけ?
第三セクター化がはやったころは各地で乗れたし、名鉄や近江鉄道では
電化しているのにわざわざ導入したくらいなのに、すでに過去のものなのかな? 日本にはないということで
体験なら有田鉄道の記念館 >>65
やべぇ。
俺の場合、伊賀鉄道も、三岐鉄道北勢線も、
「近鉄のころに一度」
と答えるしかない。
京都丹後鉄道も、
「国鉄宮津線のころに一度」
だな。 >>111
おばちゃんは意外なところで勘を働かせるのに長けている
鉄ちゃんであるはずがないが、侮れぬ >>112
徳島のDMVが一番近いんじゃないかと。 >>118
電車と気動車の違いも区別できる優れものだ >>121
おばはんA「この電車音うるさくない?」
おばはんB「これは電車ちゃう。ディーゼルカーなんよ。バスと同じ」
おばはんBには敬服してしまう。 もしもおばはんが鉄子だったら・・・
おばはんA「この電車の音いつものよりうるさくない?」
おばはんB「この電車の駆動方式が吊りかけ式と言って、駆動するのに歯車を使ってるんよ。
歯車と歯車の間には遊びがあるので大きい音がするんよ。今の大部分の電車は
可撓継手というものが使われているため、モーターの回転音しかしないんよ。」 少し昔の普通のおばはんと鉄子おばはんの会話
普通おばはん:トンネル入るで。はよ窓閉めんと。
鉄子おばはん:閉めんと大丈夫やで。この汽車はディ
ーゼル機関車が引っ張ってるから煙が
入ってこないんや。
普通おばはん:そりゃたまげた。良い時代になったも
んやなあ! 今でも錦川鉄道(〜岩国)や若桜鉄道(〜鳥取)などやっているように
加古川に乗り入れできなかったのでしょうか。 >>126
国鉄時代に三セク化したためでは?
乗り入れどころか線路切ってしまったし。 >>126
2台しか保有してなかったから加古川線に乗り入れたら自社内を運行できる車両が
なくなってしまうからでしょ。
三セク転換時に錦川鉄道は5両、若桜鉄道は4両保有してて朝ラッシュに増結して
JRに乗り入れてもなお自社内を運行できたし。 >>128
電化してJRから125系が乗り入れればよかったね。 致命傷だね
でも開業時大正〜昭和初期、付近の交通の要としての加古川の地位は今よりも遥かに高かったのだろう >>120
近畿管内のローカル線でこのスタイルの駅が相次いで誕生した >>134
コンクリート作り。
車掌車「ヨ」を流用した駅舎にちょっと似ている。 石野からの廃線敷は自転車通行禁止なんだね
ガッカリ 急勾配も橋もトンネルもなく、サイクリングには最適なのにな >>142
多少あった方が変化に富んで楽しいかもしれないけど。 単線でも線路敷きの幅員は4m近くあるんで
自転車の離合には問題なかろう 不思議ですな。
考えてたら夜眠れなくなってしまう。 >>142
その特徴がバイク自転車への客の逸走を助長することにもなったわけで。
途中に峠の一つや二つあればいくらか延命できたかも 神戸電鉄の駅まで行ってればなんとかなったような気もする。 >>124
鉄子おばはんのアイデアがあれば何とかなったのではないか 韓流ドラマのモニターを設置する。
夢中になったおばはん達は何往復もしてくれるので、増収となる。 三木線は美嚢川の水運の代替として建設された
貨物輸送がメイン 廃線前に厄神から三木まで乗ったわ
神鉄三木まで離れてるのが難点だったな
三木駅周辺の雰囲気は悪くなかったから惜しい 加古川⇔厄神の普通列車は加古川⇔三木の名残なのですか。 1980年には3連でもまだそこそこ客がいたはずなんだが
もちろん寂れてはいたが その点北条は頑張ってるね。
最近JRのキハ40買ったね。
従来の車両より重いから、路盤痛まないのか心配。 小湊鉄道にもキハ40がやって来た。
小湊の古い気動車群の中で見るとあのキハ40が掃き溜めに鶴のように見えた。 >>162
そう?
いつも空いていたとしか…
まあ四六時中観察してたわけじゃないけど >>165
混雑していたことはないけど、朝夕はそこそこ乗っていた様に記憶している。 三木鉄道になってから「神戸電鉄のりかえ」の表示が三木駅に出来たが苦笑もの
当然、神鉄の三木駅は無視(乗り換え案内無し) 当時どのぐらい流動があったんだろね
国鉄←→神鉄
乗り換えの名に値する距離ではなかった筈 三セク転換後に三木駅の旧貨物ホームは自転車置き場になった 172
どっちの三木駅も三木民の利用が大半では。
つまり三木を単なる通過点で移動してた人は僅かだったはず チャリはそこそこ置いてあったからどうだったんだろうか?
今となっては調べようもないが。 >>32
(笑)
白ポスト有ったな〜
小学2年のとき、社会の授業で
「赤以外のポストは何が有りますか」
という問いに対し
「白いポスト」
と答えた、世間知らずの幼き俺 >>179
青ポストは
>ピークだった70年代には全国に約400本あったとされる
とのことなので馴染みがないのが普通 >>177
日生のおばちゃんの業務用だったかもしれない >>172
かなり前になにかの資料で見た記憶があるが
本当に少なかった
皆さんが指摘しているように三木鉄道は交通機関としての認知度は低かった >>183
そういえばあの日生のコマーシャル最近見なくなったなあ。
ちょっと哀愁のこもった歌が好きだったんだけど・・・ >>185
日生のおばちゃんはNISSEYレディーに変わってしまった >>187
そのニッセイトータルパートナーに日生のおばちゃんって呼んでも大丈夫かな? >>185
旧客が出てくるのがあって良い
アフォがうぷしたCM数種がyoutubeで見れる >>189
歳取っても日生のお姉さんなら大丈夫だと思う >>193
以前職場の40代の女性を含む仲間達と居酒屋で飲んでた時、友人から電話があり、「今、女の子達と居酒屋にいる」と話たところ、彼女達がニコニコしたのを思い出した。 60代のオバチャン達の集まりも今は女子会と言うと聞いた 基本的に上がってるのに「女の子」「女子」と呼ぶのを求めるのはおこがましい >>197
来る前だって女子、女の子なんだから問題ないわな >>197
女子会は「主に女性だけで飲食店などで集会を開き、女性だけで話をする宴会のこと」
なので、法的には問題ないようだ。 女子会の名付け親は「笑笑」を経営するモンテローザの社長らしい 中高年婦人の会だったら流行らなかったかも知れない。 「なかよしおばちゃん会」だったら受けたかもしれないね >>201
女子=女、及び性的マイノリティーにおいて女性として医学的に認知できる者 おばちゃん達の集まりが女子会だと聞いて腰を抜かした人もいたと思う。 >>209
女装趣味の♂が女性用トイレにはいって捕まったこともあるね >>211
完全に性転換した♂→♀ならばOKらしいがそれでも揉めることがあるとか >>189
以前は生命保険に入っていたけど年々掛け金が上がるので、いまでは掛け捨てのネット保険のみで済ませている。 能勢電鉄日生中央駅で降りたとき、日生のおばちゃんが出迎えてくれるかと期待したけど
なんと無人駅。あの規模で無人駅とは・・・
ビックリして腰を抜かしてしまった。 >>203
近所に鳥貴族って言う居酒屋が出来たとき、セレブな鳥さん達の社交場かと思ったら、
主ににわとりの肉料理を出す居酒屋だったんで腰を抜かしたことがある。 >>217
最近小鳥屋さんって見なくなったね。
昔は小鳥専門の個人商店や、百貨店にも小鳥売り場をよく見かけた。
十姉妹や文鳥・錦花鳥・紅雀はどこに行ってしまったんだろう? >>218
犬猫屋さんに取って代わってしまったようだ こんなスレにまで腰抜かしオジサンが書き込んでたとは かつてJR北海道が開発したDMVを導入して電鉄三木まで運転する話もあった >>48
でも1軸台車だから、めちゃくちゃ横揺れが激しい事
国鉄車両古くても快適だったわ‥
国鉄時代からマイカー社会なので加古川へ買い物(ニッケパークタウン)は自家用車だったな‥ >>229
本来は鶏だけど、鳥の字を使っているケースしか見たことがない
「鳥芳」「鳥貴族」「鳥好」「鳥一」etc.