高速コンテナ貨車コキ10000系 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
懐かし高速コンテナ貨車コキ10000系を語るスレです。 エアサス搭載の希少な貨車だな
密着自連とも相まって精密機器など振動を嫌う物の輸送に最適だった?
コキ50000は何故かコイルバネに逆戻りしてしまったためにペットボトル飲料輸送したら振動でラベルが擦れたとかあった
エアサスは大量の圧縮空気が必要で元空気ダメ引き通しが必要であるために廃れたようである >>8
コキ100シリーズは元空気ダメ引き通しがあるのでそれが原因で廃れた訳ではないぞ >>8
>>コキ50000は何故かコイルバネに逆戻りしてしまったため
何故かでなくなく、理由があったのに。 >>10
元空気ダメ管で正しい
20系客車と同じ理由で機関車も限定される
コキフの車掌室にコンプレッサ積めば限定されなかったはずだが巨大コンプレッサが鎮座するため車掌乗務不可能になる 元ダメだけなら総括機は必ずついてるから別に困ることでもないんだけどね
10000系、台車が根性ないのと連結器がアレなことと、コキは12ftが4個しか積めないこと
レサとか贅沢でいいよな。鮮魚、末期の短いのしか見たことないからレサの1000tとか見てみたかった
>>12
コキならどこにでも積めるけど、それ以前の問題だろw
電源どうすんだよ >>13
エンジンコンプレッサー搭載のコンテナを用意すれば解決じゃないかっ
長距離用に燃料用タンクコンテナを別に載せるか、一体型20ftで まあ面倒な装備の一族だったからな10000系貨車は >>14
コンテナが2個しか積めなくなる
専用電源車用意した方がマシ
冷凍コンテナの電源を接続できるだろうが実際は各コンテナに冷凍エンジンを搭載してて青函トンネルは遠隔でエンジンを切れる専用のものを使う必要がある
冷蔵車は氷やドライアイスを積んでて冷凍エンジン積んでるのは登場しなかった >>14
電気暖房用のAC1500Vを利用する手もあるが貨車で使った例はない >>17
冷凍機式冷蔵車は在日米軍の輸送用で改造したがそれで終わったからな >>18
機関車次位に配置しないと貨車に引き通し工事しなきゃならないし、なんだかんだ専用車用意した方が早いんだろうねえ 集中電源方式はCOOL EXP という失敗例もあったからねぇ コキ10000の派生型に
試作的な要素を持ったコキ19000があった。 電磁ブレーキは編成全体でブレーキが同調するためと密着自連搭載だったために「圧縮引き出し」が不可能みたい
SL牽引禁止だった? >>24
登場当時、笹島にも入っていて、稲沢笹島間は非電化でディーゼル車の配置が稲沢に無かったから
蒸気機関車が牽引していたかもしれん。
もしディーゼルが要るなら、亀山のDF50を持ってくることになるだろう。
すまん、憶測だけで書いている。 北海道内はフツーの貨車扱いだったな
釧路〜根室は混合列車として >>24
SLは電磁ブレーキは使えません。
(D51 1000番台を含めてw) そもそもSLは構造上自動ブレーキだけしか標準装備していなかったのでは? レサでよければ学校の帰り 4時前後に見たな
たぶん東京市場行 ef65重連でかっこよかった コキ10000とそれ以外の貨車の併結は電磁自動ブレーキの恩恵を受けないため75キロ制限になった?
一応電磁弁故障に備えて予備のK三動弁は付いてただろうが >>31
それは10000系貨車で同じシステムだからな 単独運用は写真でも見たことはないな
ワキ10000やその改造車のワキ50000も
そもそも対応する同系車掌車や緩急車がないし 特急貨物のワキは確か混載便だったな。
昭和50年ごろの貨物時刻表で、汐留―九州の100km/h貨物(50・51列車)の編成内容は混載・コンテナだった気がする。
列車の運行形態からして、まず車扱で日常的に利用する客は無いだろう。
混載がどういう内容でどう荷主を募っていたかは不明だが、1車貸切るまでもないが急送の必要がある荷物だったと思う。
多分戦前からの、「ワキ(1000あたり)を連ねた急行貨物(急送品混載)」の系譜じゃないだろうか。
ワキ5000なら紙専用列車で何両か連ねていたと思うが、これはそこまでの速達性は必要ない。
少々適当なレスですまん。 混載列車は今で言えばヤマトや福山 佐川 西濃あたりの大型コンテナ満載した1050〜1051レあたりが該当するのかな? >>35
10000系特急貨物には緩急車が必要なのね その頃の貨物列車には車掌車が必要ってだけで、別に緩急車なくても走れるだろ
その後、スニ41やワサフ8000作ったんだからワサフ10000、あってもよかったのにね たしかワキ10000に日通の2tコンテナ満載した写真見たことがある。 「通運業者が扱う混載貨物を主とする小口輸送が本来の用途であった」とwikiに書いてあるので、元から単独運用する気は無さそうね
「貸切のみならず混載貨物をもコンテナでの取扱を可能とする「複合フレートライナー貨物」の運賃体系が制定されると、本形式の主用途であった混載貨物はコンテナへ転移するようになる。」となり余剰となって改造へ・・・ >>36 >>41
「西たから」「北たから」とか初期の特急貨物でもワキ1形混結してたりしたんで
ワキ10000の開発や運用もその延長的なものだったんだろうな コンテナばかりのつまらない貨物列車ばかりになったな
欧米じゃ雑多な貨車がまだ現役 東北方面の鮮魚列車ってレサ5000までだったけど10000系入れる計画は無かったのか? 書き込んでから冷静に考えたら
43.10時点では青函トンネルは開通の目処が全くたってないから、まず北海道ー首都圏は考えなくても良いとして、東北は八戸を集積地とすると東京まで700qくらい?
退避、増解結による長時間停車を避ける直行ダイヤが組めれば表定速度60q/hくらいは出せるだろうから、午前中に出て余裕で翌朝のセリに間に合う計算だから、わざわざ製作コストの高い車両使わなくてもレサ5000で充分な訳だな >>45
混ぜてはいないだろ
>>46
レサ5000が登場したのは43.10改正からで、当時のRJの新車紹介で、三陸地区からの鮮魚列車は、
所用時間と到着時間からレサ10000は不要で、最高速度は85km/h十分なことからこの形式が開発された、とあった。
確か急行貨物(最高時速85km/h)のダイヤで組まれていたと思う。
レサ10000だと牽引機関車に制約が出るから、それも避けたかったんじゃないかな 43.10で東北線全線電化されて、その時に20系や10000系牽くためにED75の1000番台
作ってるし、65Fはあったし翌年にはPFが宇都宮に入るからやれないことはないんだよな。
東北線、勾配と遅い列車多いから面倒な割りにメリットないんだろうね >>47
> >>45
> 混ぜてはいないだろ
東海道山陽筋の余剰レサ10000も少し流入していたよ。
当然、空気ばね車の両数制限内だけど。 >>47
5000が足りなくて10000が混ぜたってなんかで読んだ >>49
>>50
ああ、一部混ぜてたんだ、ご指摘有難う。 >>46
レサを北海道向けに使う計画がなかったわけでもないが空車回送の距離伸びるからな…
>>48
すでにコキ10000系の51・52レ(後の北海ライナー)牽引があったからね
それでいてED751000も東北本線では高速貨物の牽引暦がブルトレより長くなることに 高速運転が可能な電磁ブレーキのジャンパを持ってたのって
EF65 F,PF
EF66
ED75 300,1000
ED76 1000
これだけだっけ?
ED73、EF81は無かった? EF70も1000番台あるし、ED73は全車1000番台化してつけた。ED75 300も後付
EF81もついてる。EF71やED78もつけた。これは勾配でのブレーキの関係だけど
10000系だけじゃなく20系牽く可能性あるときはつけるんだよね ブレーキ系のジャンパって20系と共通だったっけ?
ならば運用線区関係無くEF70、EF81、ED73も入るんだろうけど へー、ED75-300って高速貨物も牽引できたんだ
そういえば、EF81の自動ブレーキ弁には電磁ブレーキ使用禁止とかの名残があったような >>56
とびうお・ぎんりんの九州島内とか10000系使用の貨物は牽いてる 電磁ブレーキのジャンパは貨車はKE72、20系客車はKE59だよ。KE72にカニパン降下やら電話線を追加したのがKE59だからジャンパの形は違うけど互換性はあるはず
KE72は今のEF210なんかでもついてるよね >>54
さくら・みずほがED75 300
あさかぜ・はやぶさ・富士がED72→ED73→ED73 1000の割り当てだっけか。
富士だと異端機ED74も使ったことがあったような。 >>59
72や73もあかつき牽引で長崎まで入ったよ
74は彗星も牽引
72は軸重可変装置もあるのに関わらず鹿児島本線電化後も熊本以南に入らなかった
軸重可変装置のないD型機を割り当てる意味はあったのだろうか? 長崎本線、複線化の時に軌道強化してるから、電化でなんでも入れるようになったんだよな
鹿児島日豊はED76投入して電化優先した。おかげでED72〜75は制限かかるように
なっちゃったね
>>58
違う。20系も電磁B指令はKE72
>>60
72の中間台車は軸重可変じゃないから >>61
日豊は宮崎からの末端部はまだ非電化でしかもDF50が頑張っていた。
日豊はズルファ・マンどのエンジンタイプ問わずに使ってたような。
まだ富士が西鹿児島までだった当時の宮崎からの牽引の最終ランナーだった。
日豊線にもDD51が使われて全線電化前に富士とかにも使われてもおかしくなかったのに。
DD51は非電化当時の長崎・佐世保線でも使われてさくらも一時期長崎・佐世保までの
最終ランナーだった。 >>61
ED72は九州主要幹線全線電化を考慮してオプション改造すれば軸重可変できたはず
結局後継にED76が誕生したため見送りに >>61
そうなの? てっきりKE59でやり取りしてるのかと思ってた >>61
長崎本線、佐世保線は軍事戦略上戦前から軌道は強化されてたんじゃなかったかな?
>>62
日豊本線のDF50はマン型のみだったかと >>65
長崎本線、佐世保線は乙線規格じゃないかな、軸重15t制限。だからC59やD52が入線できなかった。
もし入線可能なら、「さくら」はC59で長崎まで入っていたと思う。
「さくら」登場の頃はC59は余剰気味で、それならわざわざC60に改造する必要はない。 >>66
ED75が入る分には充分な規格になってたから間違いないでしょう
何も特甲線規格にするのが軍事戦略上の軌道強化じゃない
東北本線北部だってD52やC62は入ってない >>66
長崎本線が無煙化後DD51になっても佐世保編成は当時向きを変えないといけないために
前にDD51で後ろがC11でバックで押してもらうやり方だったからね。
マヤ20があったのもそもそもそのため目的。
仮に電化が遅かったらDD51どころかDE10あたりも牽引機だったかも知れない。 >>68
何か意味不明だけど、
C11は早岐で向きが変わる際、機回しを避けるために先頭に付けたのでは?
力を出していたのは後ろのDD51かと。
マヤ20は編成分割後の付属編成を生かすためのもので、
「そもそもこのため(の)目的」の意味が分からない。 >>65 >>67
長崎本線、佐世保、大村の頃は古いから乙線だけど、有明線が比較的新しいからそっちは
特甲でやって、他は複線化の時に重軌条化したんでしょ
>>66がいうように元々入れるならC59入れてる。東北線もそうだけど、複線化の時に線増分を
重軌条で作って、既存線路も重軌条化していってるんだね。
交流機ももう少し計画的に作って、長崎と東北の10000系にMT56積んだD級機とかだして
くれればよかったのに。九州、ED74とかEF70とか貰っても行き場なかったしな 函館山線って
ああ見えてもC62が走っていたから特甲線? C62は従台車の設定で軸重変えられる。軽軸重化で15t以内におさまる
常磐や東北のC62もそう。 戦時輸送の絡みもあるけど函館本線、室蘭本線、呉線とか一部弄ったが乙線扱いのまま
D52やC59が戦後も出入りしたくらいには線路等級もアレなトコもあるしな(後年1級〜4級線に再分類するが)
そういや五稜郭のD52は10000系牽いたことあったのだろうか… 東北筋の10000系高速貨Aって最後までEF65PFとED75P重連の黒磯リレーでEF81での直通は無し? ED76も初期型は軸重制限があり、あさかぜやみずほ限定運用だったらしい?
しかし、はやぶさ牽引の写真があるので熊本で
鹿児島機関区の1000番台に付け替えていたのかな?
さくらの佐世保行き
はやぶさの西鹿児島行き
富士の南宮崎行き
とか細かく限定機関車を決められていたのか >>74
早期に直流区間が重連→単機運用になったが最後まで65PFと75Pでリレーした
東北の81貨物運用は10年に満たない短命だったし 81はステンレス車の301 303ら共々内郷で今は不通区間がある常磐が常宿だったしね。
常磐は東北より平坦はいいが遠回りで高速がなかったからね。
しかも常磐の車扱貨物にはさらに古い80がまだ現役で常磐と房総各線の貨物でまだ主力だった。 >>77
自分の記憶が確かなら内郷に81が配備される前に田端に81が配備されててそちらは、常磐線じゃなく東北本線の貨物メインだった様な覚えが
当時のRFの黒磯駅24時間追跡レポにも交直切替の要領もチラッと出て来たかと
但し10000系の列車じゃなかったからどうだったのかな?と 東北本線で81はよく車運車だけの専貨牽いてたよね。
40年くらい昔の話。 JR化後は長崎本線の鮮魚コンテナ列車専用で使われていた
これも100km/h運転するには増圧ブレーキED76 1000番台限定だったの? 貨物のエースナンバーというと
下3桁が050〜059の高速貨A 今月号のRMで自己解決
門司機関区のED76-1000と
東北のED75-1000は
コキ10000専用仕業組んでいたとのこと >>81
特通貨特甲、略称トツト甲、最高時速100km/h
(最高時速95km/hは特通貨甲) 北海ライナーってのがあったので
同貨車って青函連絡船にも積んでいた? >>84
積んでいた。
メインは札幌だけど、一部は分割されて根室まで行っていた。
釧路だっけ? >>85
連絡船一隻に1編成20両編成以上だからあれだけでほぼ一隻車両航送部満車だな。
函館でもう一度組み直し、札幌タでその先行くのは切り離してかあ。
まだ石勝線はないから根室行きは滝川から行くしかないし。 道内札幌迄はブレーキ管と元ダメ管繋いで最高速85q/hくらい? 北たから運転開始の頃はまだD52が主力か
だとしたら元ダメ管無いから編成は分割? >>88
確か43・10改正に際して51・52レ牽引のため函館〜室蘭本線用のDD51を配属してる ブレーキ菅も同時に連結できるシステムだったが、現場の人によるとシューシューとエア漏れ音が編成のあちらこちらからしてたんだな
ハイグレードなのはいいんだが、いろいろと手がかかる車両だよな コキフの車掌室にコンプレッサ積めば牽引機関車の制約を受けなかったはず
発電エンジンも搭載する必要があるが
20系客車も末期は電源車にCP積んでた もしS90コンテナが成功していたら、発展型としてその可能性はあったのかも 碓氷峠は通過禁止だった?
空気ばねパンクさせてもコンテナの重みで脱線する危険性が高い
そもそも碓氷峠はコンテナ車が入ったという話はなく積車を横川方に集中させないと重みで座屈する >>96
重いクモハ169を上野寄りにしていたのもそういう理由か >>96
コキ5500なら碓氷通過の貨物に連結されてる(RFの84年1月号と96年12月号に写真あり)
10000系は通す理由もないだろうから入線せんかっただろうけど >>99
当時は中央本線系の竜王や南松本行きもEF64にコキ5500が4〜6両のコンテナ列車はしばらく続いた。
50000系はEHが入り始めてから。100系化が一番遅れた。 >>100
中央東線に5500が残ったのは、確か牽引定数の関係。50000系だと1車5.0なので6両でコンテナ30個だけど、25500なら換算4.0で8両繋げるから32個運べる。EH になってそういう縛りもなくなったかと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています