給炭塔・給炭台を語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
今やほとんどが遺構となったが、かつては各地にあったという給炭塔・給炭台を語るスレ。
現存では若桜駅が有名。 動かすだけでこれだけの設備と人手を要していたわけだから
効率性の面では昔からSLは今一つだったのね >>4 石炭を細かく砕いて粉末状態にできれば、サイクロン式掃除機のようなやり方で自動吸炭が容易となるのだろうけど、粉じん爆発の危険性も高まるんだろうなあ。 炭塵爆発といえば三井三池炭鉱、そして同日に発生した国電鶴見事故。 >>9さん
誰に聞いてるか分からないから尋ねるときはアンカ付けて貰えますかね 台の上で作業していて誤ってテンダに転落して、なんて事故は無かったのかな ジオラマの素材としか思えない
実際に存在したのは知っている
が、運行上なくても差し支えない代物 施設としての給炭塔・台と機関車キャブ内の給炭機能を混同してるバカがいるな >>14
鉄道関連の古い記事を読んでいると
効率化のために台上では人間と機械を併用していた時に事故が多かったという 炭にまみれて黒くならない場合があるなら教えてほすい SL時代は動力源を供給するために大掛かりな設備を一つ一つ備えないと
列車を走らせることさえできなかったわけだ
金を失う道とは、よくいったものだ >>25
SLじゃなく商社の石炭置き場で滑り台にしてたらえらいことになったw
>>27
ウッドチップとかも危ないらしいね >>30
電化しても変電設備とか必要ですぜ兄さん
さすがに発電所までは要らないけど 只見線会津宮下駅にボロボロになったやつが今も残っているな 山陰本線無煙化後も、米子機関区構内にはしばらくの間、給炭塔があった SLマニアだった爺ちゃんが遺した写真に倉吉駅の給炭台が写ってた
本命はC11だったらしいが閃きをを感じたのか、
味も素っ気もない給炭設備が何カットも続くという奇異な構図だった 現役時代を知らないのですが、駐泊所レベルの給炭台への給炭はどう行ってたのでしょうかご存知の方いますか?
木次機関区ではコンベアのようなものが写っている写真を見たことがあるので、
石炭貨車→アオリ戸開けて落とす→コンベアで給炭台
というのは想像つきます。
備後落合のような給炭台とスロープだけの場合は、石炭貨車から直接給炭台に載せ替えしてたのでしょうか。
これはスレ違いと思いますが備後落合は給水設備はあるのに給水塔も見当たらず、不思議です。 大分交通中津の給水塔を見た記憶が辛うじて。
最近ネットでも在りし日の映像が出ていて懐かしかった >>37
無煙化で使わなくなっても撤去にお金かかるからそのまま残ってた >>35
SLマニアがいるのと同じように給炭台マニアがいるんだよ >>40
それが長年風雨に晒され劣化し、ちょっとした強風、豪雨、地震で大いに毀損
周囲を巻き込む大事故に… 写真でしか見たことないが広島には機関車丸々抱えられるくらいにデカい給炭設備があった
どのくらいの炭が貯蔵できてたのか見当もつかない >>33
ターンテーブルとセットで遺されてるのが涙モノ
でももう先は長くない 積雪で押し潰されるか、台風もしくは爆弾低気圧で吹き飛ばされるか カーボンフリーの時代になってやがては「石炭てなに?」となる日が来るか ピクトリアルの受け売り
作業に従事すると粉末になった炭が舞い散るのでマスクをしていても鼻や口から吸い込んでしまい
鼻の穴が黒くなったり、痰がネットリ黒くなったりと、
本物の炭鉱夫みたいなことになったそうな 炭坑労働者は度重なる各地での事故がきっかけで手厚く補償されるようになったが
鉄道労働者は通常の補償の範囲に収まってただろうな 炭鉱労働者は戦後だけでも1000人も落命してる
これを危険と言わずして何とい >>36
給水塔方式ではなく、受水槽からポンプでしているところもあったはず。
貨車から直接給炭台へ人力でシャベルで入れてるか、
ホイールローダーがあるところではそれでやってたりしている。
写真が残っているはずだから、図書館巡りをしてみるもんだよ。 >>60
鉄道は、現場で炭坑のように人が密集して作業することがない
だからといって危険度に違いがあるとは思わない