そろそろみんなが忘れてそうな事@鉄道懐かし板 7 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>355
今は亡き郷津駅も、たまには思い出してください・・・ >>451
あれは電化と同時に姿を消したわけで、言いがかりにしても間違っていると思う
それにしてもディーゼルカーばかりに、つまり電化前にもどってしまった今の、糸魚川〜直江津間に関してはそれこそ、旧山陰本線嵯峨野トロッコ鉄道のように電化前戻した方がいいんでないだろうか勿論電化線は貨物列車専用ということで >>453 大都市近郊でない所で旧線復活観光鉄道造っても、夏場位しか客乗らないだろうなあ
並行する国道や高速道路を走るバスかマイカー利用するようになり、大赤字必至。 タブレットを放り込む渦巻きバネみたいなもの(ホームの端っこに立ててある) >>457
プラレールの「いなかのえき」にも再現されてたよね。 そのうち、「昔は取手〜藤代間以外にも直流区間と交流区間を直通する国鉄の電車があったこと」
なんてのがここに登場するんだろうな。 >>459
ここ以外のデッドセクションはみんな旅客用はディーゼル車
(もしくはハイブリッド車かバッテリー電車)になるのかな。
おもしろいな。 他に「いなほ」と「つくばエクスプレス」も残るだろうな。 もしかしたら、新幹線にも交直流電車が走ったかも知れなかった事
(軽井沢―長野間がミニ新幹線になってたら、それが実現した筈)。 >>462 軽井沢、篠ノ井間は交流化。篠ノ井、長野間に新幹線を別線で建設。長野から軽井沢方面の在来線列車は常磐線から415を転用。そして、常磐線中電に新車を入れる
そんな感じになってたんでは? 急勾配を行くミニ新幹線車両に、重い整流器を登載したくないよなあ 急勾配を行くミニ新幹線車両に、重い整流器を登載したくないよなあ 能登かがり火を忘れていた。
あれはぎりぎり残りそうだ。 >>463
篠ノ井-長野間在来線は狭軌なんだろ?
標準軌のミニ新幹線区間に乗り入れできないよ
篠ノ井駅構内は狭軌直流と標準軌交流で線路分けるしかない >>467 篠ノ井、屋代間、篠ノ井線との分岐点から軽井沢寄りで新幹線が分岐、長野まで専用線。
そこと篠ノ井線分岐点との間に交直流デッドポイントを設ける、ということに「なるんでは?
ただ、ミニ新幹線方式で造った場合、問題は長野から先だね。飯山回りにするのならフル規格だろうし。
そもそも、金沢方面まで延伸することを前提としていたのだから、ミニ新幹線方式では時間がかかり過ぎて意味がない、と富山県、石川県は反発しただろうし。
まあ、妄想だからこんなこと考えなくてもいいのだけど。 >>468
各区間のゲージどうなってんの?
篠ノ井線合流地点-長野間標準軌狭軌の三線軌条ってこと? 東京―名古屋・仙台・新潟・長野間ノンストップ、という新幹線の列車が存在した事。 >>471
2001年ごろに のぞみ97号 名古屋行きによく乗ったよ。
東京停車中から「終点名古屋までどこにも停まりません」と連呼していた。
発車後は、空いている席はご自由にお使いくださいと車掌に案内された。 >>473
そんな列車を出すまでもなく、昭和50年7月までは、すべての「ひかり」が東京〜名古屋は無停車だったわけで。
ノンストップの話だと、札幌〜旭川間無停車のエル特急や、博多〜熊本間無停車のエル特急なんてのが
そろそろみなさんお忘れになっているかな。 その前の急行さちかぜの方が凄いけどね旭川〜札幌ノンストップで札幌から各停 >>473
都内で9時過ぎまで飲んでいてその日のうちに名古屋「駅」までは戻れるんだからなあ、
上京することはめったになかったが、2回ほど使った記憶がある。 函館札幌ノンストップの快速「ミッドナイト」もあったな >>479
そう。それで18きっぷ一回分はそこで打ち切りになり札幌駅までは行けなかった。
まあ、それでも「0時を過ぎて最初に停車する駅」が新札幌という大盤振る舞いだったことにはちがいないが。 大阪難波から湯の山温泉まで直通特急が走っていたこと >>481
ホントに難波発(着)があった?
「上本町」なら覚えてるけど…。 >>482
90年代前半、難波1330発名古屋・湯の山温泉ゆきに何度か乗った
電車の番号は、654321BAの順 函館発ミッドナイト、室蘭本線のどこかの駅で一時間以上止まってはいた 四日市じゃなくて白子ね。
四日市だと名古屋線と湯の山線のホームが別れていて分割出来なかった。 >>485
併結だったんだね
ちょい前の1989年9月号のコンパス見てて
湯の山特急のなんば発なんてないなあと思ってたら
名阪乙特急と湯の山特急で欄が別で湯の山特急の欄には難波駅の表記も注釈もなしだったので分からんかった >>488
白子駅で分割した後、どちらかを先に発車させ、しばらくしてからもう一方を
発車させて四日市まで続行運転のような方法をとったんですか? 湯の山温泉直通と言えば
名古屋発湯の山温泉行き準急ってのが
あったな… >>490
先発名古屋行き
次発湯の山温泉行き
が2分後にと続行した様な記憶がある
>>486
長万部じゃ無かった? 「近鉄時刻表」が出だした頃は、大阪から湯の山直通の特急なんて山ほどあったような記憶。 奈良線・京都線・橿原線系統の特急は号車表示をアルファベットで表示してたこと。
大阪線特急との併結列車だけでなく単独運転の列車でもそうだった。 電車の番号は、後ろのほうからA号車、B号車、1号車、2号車の順で、
1号車から前は名古屋ゆき、A号車とB号車は湯の山温泉ゆきの特急でございます かつては増結車は「増号車(ましごうしゃ)」と言って「増1号」などど付けていた。
現在は「10-9-8-3-2-1」のように最初から欠番にして増結車は欠番を割り振る
方法を採用している列車もある。 蓮舫二重国籍疑惑はテレビだけで情報得ている七十代の親父やお袋は
もう完ッ全に忘れてるだろうな。 台湾は国交ないので正式に二重国籍が存在する
他国でも日本が認めないだけで二重国籍の人なんか結構いる 「国籍」概念なんて国によってそれぞれで
国際的に共通性がある部分といえば、当該国から旅券の発給を受けることができる身分程度でしかない。
もし、国籍離脱を禁止する国があったら、絶対に多重国籍は免れないので、大した問題ではない。 佐村ゴーチとかいう謎のミュージシャン
あと「私のお墓の前で〜」とか野太い声で歌ってたNHKのおじさん。 ポニョポーニョと子供の横で歌ってたオッサン
なんてこんなに可愛いのかよーと歌ってたリンゴ農園の爺
団子三兄弟流行らせた佐藤なんとかという人
女子十二楽坊とかいう中国人楽団 めざましテレビの前番組の子供向け番組(ポンキッキー)で
安室奈美恵がうさぎの着ぐるみで登場していたこと >ポニョポーニョと子供の横で歌ってたオッサン
そのオッサンふたりが若い頃尾崎家の祖母(おざきんちのババアと読む)という
エグいコミックソングを歌ってたこと。尾崎とは当時いたもう一人のバンドメンバーのこと。 サロ481の一部は、洋式トイレを潰して車販準備室にした事。
最初からそれを設けていた1000番代の話ではない。 当時は金沢より長野のほうが遠かったから、「長野までの先行」を主張したのは田中康夫氏。
彼によると、路線名なんてどうでもよかったんだけど、「北陸新幹線」ではおかしいし、
「長野新幹線」としてしまうと北陸地方の人が面白くないだろうと・・・。 >>516
>>514
セイロン、コンゴ、樺太、満州、スターリングラード、ルーテシアetc.… 近頃の学校では「リンカーン」とは教えず、
「リンカン」と教えているとか。 >>526
なんかヤだな、言葉の響きが…。
ゲーテを今の時代に「ギョエテ」と書いたらペケなのかな…? クハ183の0番代は、ATC機器室向かい側の客窓が戸袋窓になってた事。 空港利用のために羽田空港駅に降り立った人が駅周辺の光景に愕然とさせられたこと >>526
1960年代はリンカンだったような。
ワシントンは当時ワトソンだったし。 >>530
その天空橋駅はかつて羽田駅だった事。
羽田線は大師線とともに本線のお下がりのポンコツ車が走っていた事。 箱根駅伝10区で
地上にあった羽田線の踏み切りに足を取られて傷めて
棄権した選手がいたこと 京急の羽田空港駅は何度も移転してて、当初は空港の外にぽつんとあるローカル駅だったこと。
しかもその状態が平成(1991年)まで続いてたこと。 客車特急「はつかり」は、ダイヤ改正当日(昭和33年10月1日)に運転を始められなかった事。
台風の影響で、運転開始は10日に延期された。 赤羽線の存在。
まだ正式名称としてはしっかり残ってるんだよなあ。 >>543
E217どころか215まで使われていたな @そもそも、高崎線東北線の普通列車は浦和通過のほうが多かった
Aとはいえ、その浦和に「あかぎ」1往復が停車していて、
Bさらに別の「あかぎ」の上り1本は高崎を出ると赤羽まで停まらなかったりして
以上3つのことが同時期に起こっていたこと。 ワイド周遊券・ミニ周遊券でドリーム号にも乗れたこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています