昔の【京都駅】を語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
2階建て駅舎とその中心からやや東に偏った位置に聳え立つ8階建て塔屋
長大な0番線ホームなど特色のある古都の玄関口、京都駅の懐かしい日々を語るスレです 特徴ある塔屋は昭和27年竣工の3代目。
その前の2代目は昭和25年11月に焼失するが、
その原因は駅務員の作業着を選択する女性職員が
アイロンの電源を入れっぱなしにして帰宅してしまったことらしい 新快速 15分毎発車
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塔部分にこんな感じの看板があった 塔部分じゃないだろ
京都大阪間29分、大阪駅1分停車で両駅とも毎正時に発車できるのは
良くできてると思った。 国鉄時代の京都駅が懐かしい。
今の京都駅は最低な建築だと思う。 >>7
まったくだ。
先代の駅舎があまりにみすぼらしいから豪華なものにしろという意見が
少なからずあったという。 非電化時代の山陰線ホーム
朝夕のラッシュ時間帯と特急「あさしお」、急行「丹後」が発着するとき以外、
日中は客もまばらだった >>12
京阪が乗り入れてた時代に見て見たかったなあ 国鉄時代、東口地下にオムロンの自動改札機が並んでいた。券売機の近距離切符も裏が茶色。
近鉄京都で降りると国鉄への連絡改札があって跨線橋経由で烏丸口国鉄改札まで行けた。JR化後も烏丸口に
近鉄の切符売り場があった。
八条口はJR東海の管轄でみどりの窓口以外に、東海の近距離用の券売機が並んでいた。 立石電気のお膝元だからね
南北の地下通路には名物の広告が並んでいたが、
八ツ橋(おたべ)とならんで千枚漬けが幅を利かしてるのが印象的であった 修学旅行で降り立った京都駅で最初に目に飛び込んできたのが「西利の漬物」の広告
聖護院かぶ、九条ねぎ、賀茂なすと、京都がこんなに野菜とその加工食品の名産地だとは
知らなかった。
これが修学旅行の唯一の思い出。神社仏閣はどこに行ったかさえ覚えてないw 八条口には近鉄デパートの案内所があったな
確かに駅ホームはこちら側だが肝腎のデパートそのものは
烏丸口側のしかも少し離れた場所にあったから初めての人は少し戸惑う。 知ってると思うけど京都近鉄百貨店は丸物という店が前身で
近鉄本体と最初から関わりが有った訳ではないのだ 山陰線ホームと奈良線ホームとではどちらが鄙びてたとおもいましたか 1面1線の奈良線だな、山陰ホームは2線あり
機回し線もあったから見栄えした。
59・2改正前、徹夜で京都駅にて撮り鉄。
寒かったのでホーム東にあった待合室で夜明かしして
475立山や583金星を撮影した。 >>20
そりゃれっきとした本線の山陰線と
支線の奈良線では格が違うわな。 >>1
塔屋が中心からズレてるのは京都のメインストリートである烏丸通に
面するように設計したためだって。 京都駅に到着した山陰線の普通列車の荷物車に積まれていた現金数千万円入りの袋が
国鉄の関連会社の社員を装った男に袋ごとだまし取られるという事件があった
犯人はのち、逮捕されたが そのニュースがようつべにアップされてたのを見たことがある。 >>24
御所の南西角、烏丸丸太町からも見通すことができた。 京都駅に入る在来線は全部大阪鉄道管理局と思われがちだがこれは間違いで奈良線だけが天王寺鉄道管理局だったんだよなw
山陰本線は京都口は福知山鉄道管理局ではなく亀岡辺り?まで大阪鉄道管理局の管轄だったしな。 待合室に住んでる人が居なかったかな
何時見ても姿があるみたいなw 京都駅山陰1番ホームに到着したキハ181系特急「あさしお」が折り返し下り城崎行などの
「あさしお」として出発するまでの停車中の車内清掃の時、換気も兼ねるためかホームの無い側のドアも開けていて、
また、車販員もドアのステップ付近やデッキ付近を箒ではいたりとか清掃員や乗務員と一緒にシートの向きを変えたりもしていた 西から京都終着でやってきた上り列車が向日町へ入庫する際、
現はるかルートでそのまま折り返しの場合と、東留置へ引き上げ後
東海道下り線で入庫するのとどちらが多用されたのだろう。
今ならPCの場合はどちらのルートもプッシュプルになるのだろうな。 >32
上りの臨時特急「あさしお」や「あさしお12号」は山陰本線ホームには
入らず東海道上り1番ホームに到着後、山科方に引き上げて下り線に転線後、
向日町へ回送されていた ホーム反対側のドアも開けたのは、サボ交換のためじゃないか?
どこの終着駅でもやっていた
客が居ようが関係なし ロータリーに屋台があって、ラーメン食べにたまに行ってた 烏丸口から出て東に向かうと少し奥まった場所にも小さい居酒屋やラーメン屋が何軒かあった。
バブル景気の頃には跡形もなくなってたね。 伊勢丹側の着工前の京都駅
(改札フロア一帯)が思い出せない
外観はリアルに記憶があるが、内側のほう。
あれだけ利用してて馴染みあったのに…
いつまでも旧駅を思い出せる駅と、
記憶が完全に上書きされる駅があって
後者はほとんどないのに
なぜか京都駅が入ってる。
どっかに画像ないもんだろうか?
以前ググったときは1960年代くらいの
白黒画像はあったけど、
俺が見たいのは、自分が馴染みのある
80年代〜解体直前頃までの姿 外観じゃなく、改札まわりの内観ね。
自分でも探してみる 地○げ屋さんが古都を闊歩してた時代だね
自称、空間プロデューサーが蠢いていたらしい 八条口がようやく駅前らしくなったのはアバンティが建ってから。 アバンティが出来て人波の流れが変わったのは確か。
思えば丸物(近鉄百貨店)の凋落はこの時から胚胎してたのかも知れない。 知り合いにナカギョウの生粋京都人のオッサンがいるんだけど
京都では大丸がトップらしいね。
大丸だけ「だいまるさん」と、さん付けらしい。
マルブツは落ちるらしい。
ちなみにそのオッサン、しゃべり方や声が
岸部四郎(京都人)そっくり。
俺の中では、京都人男性のステレオタイプになっているw 分かる
デパート=高級、のイメージは大丸や高島屋などの老舗系の店から感じ取れるものてあり、
近鉄や阪急は、どうにも安物感というかハリボテ感、見せかけだけ、という感覚が拭えなかった 南区や伏見区の市民は、買い物のため百貨店ににいくなら、まず丸物は選択肢に入らない >>43
高校までは、アバンティなんてガキの遊園地やんけ!と意気がって
近寄ることさえしなかったなw「」 >>29>>30
1990年代の北野誠さんの深夜番組でも取り上げられていた記憶があるので都市伝説ではない >>48
というか、新幹線ホームをどこに置くかを考えたとき、
人通りが少なく空間にゆとりのあった南側を選択するのは自然なこと。 京都駅より南側って
あの位置ですでに
昔は人外の地扱いだったらしいな。
(京都人からきいた) >>52
そう言えば奈良電がどうにかして烏丸口側にホームを持って来たいと色々運動したが
所詮一ローカル線ということで国鉄にも市役所にも相手にしてもらえなかったらしい >>54
初めの頃は、「あんな場所にありながら“京都駅”を名乗るのはおこがましい」、
などと揶揄されたとか。
新参後発の辛さだね。
京都人が新参に厳しく当たるのはそういう気質なんかね。 戦前期の京阪って
路面電車に毛の生えたような電車だったけど
隊列に干渉するから作られた
師団街道含む3つの立体交差できるまでは
トロリー張架だったんでしょ? >>56
奈良電だって京阪ブランドの一員じゃなかったの? >>4
これぞパターンダイヤ、即ち時刻表を見ずともまた覚えずとも乗れる
究極の「便利な電車」の象徴であった 数字の部分(0、15、30、45)と数字を結ぶ曲線が夜になると
光っていた
なかなか美しかった >>59
それでも利用者は国鉄よりも阪急・京阪を選んだ。 駅向かいの蝋燭塔の光が明る過ぎて全然目立ててなかった 烏丸口から出ると先ず目に飛び込んで来るのが東芝カラーテレビの電照広告 改札を出たら先ず目に入るのが関電ビルだったという人はおらんか
タワーみたいなこれ見よがしのランドマークは眼中にない 大阪方面に向けて出発するとすぐに凄く揺れる箇所があったことを覚えてる 1番ホームを広げて元の貨物線を新1番線にする工事があったね
関空開港前だからもう20年以上も前になるか ホーム拡幅は“はるか”対応のため。
あのころの、京阪神地方の関空に対する期待感は半端無かったわ
だから現実を見せられたときの失望感もまた大きかった >>73
降雨時は大変だっただろうに
だからこそ晴天の多い秋に工期を設定したのだろう 関空への期待の傍ら、はるかを京都発着にする賛否もあった 灯り取りが無かったので晴れの日でもホームは薄暗かった >>78
外国人観光客が関空から京都へ行くルートで何か不具合でも? >>74
あの工事な、現場にガードマンが大勢張り付いていて驚いたもんだ。
特に何する訳でもなく、ただつっ立って腕振ってるだけだった。今じゃこんな無駄遣い考えられない。
まだバブルの残滓が業界にはあったんだな。 バブルとか関係ねーだろw
90年代初めに工事現場での保安基準が急に厳しくなって、
警備員を大勢立たせないと役所から許可が貰えず、
簡単な工事一つさえ出来なくなってしまった シティライナーの愛称も誇らしげに颯爽と登場した117系が思い出深い
ま、京都駅に限らないがねw 京都の駅弁と言えば萩野家以外で何か思い出ありますか? 方向幕に行き先を表示せずただ「普通」だけだった緩行103系が如何に多かったか >>92
それも、京都駅だけの思い出にはならないな 以前、森脇健児がKBSラジオで先代の駅舎のことを熱く語ってた事があった
この人アスリートの印象たが鉄分も意外に旺盛であることを知って少し嬉しくなった 昔は八条口を降りると
正面に見えたのは
野中広務事務所の看板だったw
さすが京都のドンだと思った。 >>94
昔、読売テレビで山田雅人とコンビで司会していたざまKAN!という公開バラエティ番組で
女子中高生の観客そっちのけで117系VS京阪テレビカーVS阪急6300系の論戦をやり始めて
予定のコーナーを全部飛ばしたこともあるくらい、鉄には熱い芸人 山田雅人を覚えてる人も少なくなったかな
かつては松竹所属芸人だったことさえ忘れられてる 連投失礼
鉄チャン度でいうと山田は筋金入りだが、森脇はややニワカ感が見受けられた
京阪に対する思い入れはあったのは確か 京阪ファンの関西芸人は多い
中川家の礼二が有名だし、他にも無名の漫才師、落語家多数