懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ wikipediaから知識得ただけだからうわべだけ見て珍扱いか
迷列車とかかね、こういう風潮を作ったのは >>210
元の床下機器配置の関係で水タンクを新設するスペースが無かった(大規模な床下機器移設を行う必要があった)
従って跡地は何もない >>211
迷列車が悪い影響与えたのは間違いないがどんなの出せば言い方なら満足? >>211,213
珍改造と「魔改造」の線引きが分からん…
京阪の3608→3855(→3805)なんかは、「魔改造MAX」モードで、
走り始めた時の沿線へのインパクトも絶大だったようだけど >>213
日本語でおk
>>214
俺様基準なんでしょ >>212
その何も無いスペースの写真って見た事無い。
かつてのムーンライトのモハ164みたいにシートがあったら笑える。 広電の宮島線専用高床車の,運転席のアルミサッシ改造。
家庭用のサッシ窓で,クレセントまで付いてたのにワロタ 長野電鉄1100系。
あの車体、あれだけのために設えたのかって感じ。 >>218
貧弱な足回りのまま大型化したから、運転上の余裕が無かったのかもしれないし、車体だけ大型化しても2ドアじゃラッシュに対応しきれないのを悟ってOSカーに梶を切ったのかもしれない。 加悦鉄道のキハ083。
こんな重い車両よく買ったと評する向きもあるとか。 「グレードアップあずさ」の4号車。
この車両だけ、指定席/自由席の切り替えに備えてシートピッチを変えられるようになってた。
しかし実際は常に指定席の状態のシートピッチで使用されてた。 >>223
ピッチを詰めた時に増やす用の座席が、
実は、用意されていなかったという疑惑が…… で、後年「あさま」の189系をグレードアップ改造した時には、
シートピッチ可変の車両は製造されなかった。 「白山」編成のラウンジ&コンビニエンスカー。
客の評判がどうだったのか、てんで覚えてないが。 >>226
「能登」運用の時は、ソファーが最高のベッドになったんじゃないのかとw 写真に残る7101義経のタンク機関車姿がチンチクリンすぎて可笑しい テンダだからこそサマになってたのに
こともあろうにタンク車とは‥‥ タンク機改造
発案した人に聞いてみたい
アンタは何がしたかったのか、とw 今は梅小路にいる1070型など、同類は結構な数になるんだが・・・・。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ 中国地方のモハ114→クモハ114改造車。
やる気のなさ丸出しって感じ。 >>234
旧型国電の先頭車改造も、相当の代物だったけどなぁ、クモハ73600とかクモハ12051とか・・・ 先頭車化改造・中間車化改造の両方を行ってるんだよなぁ、63系→73系って
あとは旧国だと10系(モハ10・クモハ12)程度?
その両方をやった車両の頂点は、東武8000なんだろうけど
(両方の改造どころか、運転台機器捻出のための簡易中間車化までもやってるし)
あとは神戸の1000系一統か(1100・1370とか) >>235
飯田線にいたクハ47に切妻にライト埋め込み式でそのまま先頭車にした変な車いたよな。 そう言えば、あの「似非近郊型(モハ62・クハ66)」化改造って意味あったんだろうか。
本物の113(115)系投入の方がよかったんじゃなかったのかって気もするが。 >>239-240
旧型電車を完全駆逐するまで、国鉄も東急も相当の時間を要したもんなぁ
(法定)製造年数の問題もあるから、いきなり駆逐…とはできなかったんだろうし、
実際、新性能車両が本格製造された後で竣工した旧型車ってのもあった訳だしね
結局は、旧型車だけしか走ってない路線で、「ガワだけ新型車」ってのを
強引にでも(少しでも早く)入れたかったための、苦肉の策ってことになったんだろうか
仙石線にしてもそうだろうけど その仙石線のモハ72がホントの103系に化けたとは…。
国鉄の死期が迫ってた事とも関係あったんだろうか。 国鉄で仙石線モハ72のような似非近郊型の導入が少数に留まったのは、103系を空気ばね無しで量産するなど、同時代の大手私鉄に比べ安上がりの新性能車を大量生産していたからなんでは? 車体は近代的だけど吊り掛け駆動という車両に萌えたな。江ノ電1000形
みたいに新製時から吊り掛けなのではなく、旧型車の更新で作られた車
両。小田急の1800形とか旧4000形とか東武の5000系とか相鉄の2100系
とか。 >>239
あれ身延線だけでなく房総各線にも入れる予定だったとか
その所為か、房総に投入された72系は便所取り付け改造もされなかったな 国鉄の旧型は、
それなりに規格化されて数もまとまってたから
特定の路線に集めて耐用年数使い
金を新車に回したほうが得策だったんだろな モハ62・クハ66改造は、クモハ73更新工事の続きという感じで、あまり深い考え無しに
企画されたもののように思う。
近代化対象の旧型車が大量に残っている一方で、クモハ73の更新を継続しても、もはや
大都市圏の投入先が無くなりつつあり、ならば、と、より地方線向きの車体構造を採用した
結果なのだろう。
身延線に投入された頃には更に風向きが変わり、車体だけ新しくしても足回りが古いままでは
検査回帰が旧型車扱いで短く、保守費の削減にならないので、これ以上更新工事に
費用をかけるのは得策ではないとの判断があったようだ。 「改造」の話じゃなくて悪いけど、
1993年に、新前橋の115系1000番代の車番の表記から
横軽対策車の「●」が消されてたのを目にした時は衝撃受けた。
既に碓氷峠の路線の廃止が決まったかの如き扱いに思えて。 サロネ581。
既に多数増備されていた2段式B寝台車に毛が生えた程度の開放式A寝台車を、
今更って感じで拵えた図太さには、或る意味感心した。 >>245
72系アコモ車は武蔵野線への投入も検討されていたらしいね。
高架新線をかすれきったツリカケ音も高らかに限界走行する72系、見たかったな。 >>250
> >>245
> 72系アコモ車
の成れの果ては、埼京線を試運転したよなぁ…。
> 高架新線を限界走行する72系の成れの果ても、見たかったな。
これが当てはまったのかどうか… サロ481→サロ183-1050。
ご丁寧に横軽対策も施した。 >>251
その動画をテレ朝チャンネルで見たことある
DL牽引で、オイラン車を併結した103系が架線試験してた
モハ103の屋根に試験機器を仮設、ケーブルを側窓から車内に引き込んでたな
どこの高架駅だか、ホームにオイラン車の腕木が接触
その根本をホームに擦り付けながら移動して砂煙あげてたな… そもそもうざちちがうっとうしかった
うざはははうっとい
あれやめんとひろいせかいしっててかくしごとしとったしよー
ほんまうっとうしいねん
ええとこいってよさつかんで
しがけんにかえってきたことがそもそもじかんのムダでやくやったわー
まーどーでもええけどよー
なんとかなったし そうみたいだけど、自分はそんな言葉は使わないようにしてるよ 187系
補機なしで碓氷峠を上ってゆく姿は・・・
見れなかった。 クハ183-151・152。
他の183系先頭車より車体が250mm長いという。 珍改造ね…。
忘れちゃいけない、大井川鉄道モハ1906+クハ6051+クハ6052。事情を知らないと「何だこのおかしな編成は?」 >>260
北陸鉄道から入ってきた車のくたにとしらさぎの内のくたにだろうね。
こいつはカルダンだったためにモハがぶっ壊れて修理出来ず他のモハを牽引車代わりに
クハで使っていた。 >>261
おかげでワンマン化に対応できず、多客時の増結用ぐらいにしか使えなくなり、結局は持て余して大代川の側線(=三途の川)行き。
小田急ロマンスカーもそうだったけど、あれだって3輌に短縮化したかったのが、構造上難しいのでそのまま使い、結局持て余して野ざらしだった…。
大鐡さん、もうちょっと考えてほしいな〜…。 >>261
違う。
機器構成上600Vの高性能車を1500Vに昇圧出来なかったんだよ。
だから電装解除して使った。
しかし、よく昇圧出来ない、走れないクルマを買ったよな。 >>256
わかる
なんか馬鹿にしたニュアンスが含まれてるから嫌いだわ >>259
あれは本来クハ481にするつもりだったんかねぇ。 サハ481→クハ480→クハ481-800。
最後は「クハ481の低屋根車(!)」なんぞと評されたとも…。 >>267
お前だけだろ?
早く夏休み終わらないかなぁ >>268
あぼんやすみなしのリーマン乙w
俺もあぼんやすみはないけど
代わりに秋休みがある(5日間のみ) 最後は交流機器を撤去しなくなった、JR酉による485系→183系の改造。 サハ87→モハ80の改造車。
付随車から電動車への改造はレアケースだろう(通常は逆)。 事業用車、特に新技術テストのための改造車なんて、珍改造(魔改造?)だらけではないのか?
例えば東武のサヤ8000、どこが8000系なんだ?という外見をしているが。
他にも廃棄対象旧型車の究極チェーンアップとして、小田急の強制振り子実験車両とか、買収国電改造の交直流車、ガスタービンつけてみた元ガソリンカーなど 付随車の電動化改造は台枠強化も要るだろうから、下手したら新車作った方が安いかも
101系の付随車は当初電装準備で、のちただの付随車にしたはずだが、パンタ台の有無とか以外に構体の構造の相違はあったのかしら? >>273
それは最近のステンレス車の類の話>新車作った方が安い
近年までの鋼製軽量車や、それ以前の吊り掛け駆動旧形台枠車は、
台枠補強を要しないか、比較的軽微な補強ですむ。
TのM化は、それほど珍しい物ではない。
小田急サハ2762(試験車だが)、京王6000系の中間車、井の頭サハ1500、
東急クハ7500、京王5000、3000の譲渡車、小田急旧クハ1551など探せばいろいろ。
地方私鉄にも多いね。 考えてみたら、
付随車→電動車(電車同士)の限界を飛び越えて、
客車→気動車なんていう改造もあった。 >>274
西武701を各地の私鉄に売却する改造の際、
伊豆箱根向けはTc車に電装品を移設・三岐向けはM車車端部を切ってTcの顔を移植
の2通りだった。
その後の譲渡車は顔の切り接ぎばかりだったから、
TのM化は出来ないことは無いけどやっぱり面倒なんじゃないの? >>276
そりゃ改造だから、面倒じゃない改造なんて無いでしょうが。
配線から何からやり直しだから、面倒は面倒で、出来ればやりたくないだろね。
でも必要があるからやったわけで。
運転室の台枠切断を伴う切り接ぎは、1980年代の初頭から始まった方法で、
それまではMのMc化なんかも、台枠の部分は残して工事していた。
ところで、運転台の切り接ぎと、TのM化とは、まるで別な話なんだけど。 東武2080系
2000系に20000系の顔を付けたやつ
地元の電車ながら一度しか乗れなかった
もう一度乗ろうと半日以上待ったが出会えず、その後すぐ廃車に
東武ネタでもう一つ
1800系通勤車化改造車
やっつけ感満載のショートリリーフ
酷い出来だった
せめて青帯を「りょうもう」時代と揃えればまだ見栄えがしたのに
見に行った時はすでに末期で、地元高校生のいたずらか、窓に張られてたフィルムが半分以上剥がされた悲惨な姿で運用されてた
「りょうもう」時代、颯爽と飛ばしてたのを思うと悲しくなった サシ181→サシ489。
車体の高さはオリジナルの489系と揃えられたが、
125mm持ち上げるってのは、結構大変だったんじゃなかろうか…。
一方で、「ゴー・サン・トー」改正の折に登場した、サロ481→サロ181の改造車では、
車高の違い、125mmは残存した。どうやって連結したんだろうと思えてくる。
その段差を乗り越えさせられた社内販売員の労苦はいかばかりだったか。 >>279
サシの489化は、台車の枕梁の交換じゃなかったかな。
上野で見たけど、見た目はわからない仕上がりだった。
サロのほうは、ホロも斜めになっていたが、ホロ枠をなるべく下げ、
渡り板も斜め連結に対応可能な形状のものを付けていたようだ。
当時のジャーナルに写真と記載があったと思う。
車内販売のワゴンは、ちょっとした坂をよいしょと持ち上げる感じかな。 >>281
Thanks!
あと、
社内販売員→車内販売員
だった。レス見て気付いたっていうお粗末ぶりだが…。
また、同じ「ゴー・サン・トー」の時に、サロ481→サロ183(189)の改造もあったが、
似た問題が起きてたんだろうな。
まあ、こっちの段差は35mmって事だから、181系の場合よりは対処は楽だったのかも知れんけど。 >>262
485と183の35mmは車内の床の高さの差だね
ただ、床面から窓下端までの高さが同じなので、外見では窓の高さがずれてしまう
サロ481→サロ189/183は機器流用・車体新製で窓の段差をなくした
国鉄末期のサハ481→クハ182/188等はそのままで、窓の段差が残ったうえに
元からのドアのステップもそのままにされてしまった(先頭側新設ドアはステップレス) >>280
近郊型サロの究極はサハ165改造のサロ110-501
座席と窓割りは合わないは扉は他のサロより広いわ
何故か車掌室が無いのにサロ111を名乗らなかった >>283
車体新製は、モハ484・485→モハ188・189(500番代)の改造。
これは、一見すると元485系とは思えないスタイルだが、
座席だけは種車の流用でベンチシートだったから(4ユニット中の1ユニットは例外で簡リク)、
指定席で当たった時は頭にきたもんだった。 そう言えば、いまだにわからないのが、
新幹線200系の改造車で、シートピッチ拡大したのがあったよね。
あれで3人席が回転するようにするため、肘掛けは回らず、
中身の腰掛け部分だけ回るとかの謎改造もあったけど、
窓配置を変更して改造したはずが、一見そうは見えず、
窓とイスの間隔もずれてない車があった。ピクに写真も載っていたはずだが、
あれはどうやって改造? というか、まさかの車体新製なんだろうか。 >>286
200系のあれは、シートピッチは変えてない。
要は、980mmのシートピッチで3列席を回転させるために、
肘掛を残して本体だけが回転するような座席が造られたって事になる。
で、後に0系にもそれが導入されたな。
こっちは、種車のうち0・1000番代のシートピッチが940mmなので、
流石にそのままでってわけにいかず、980mmに広げたために窓と位置がずれた。 200系新幹線の3列回転化は、2種類あった
最初はピッチ拡大して窓割も作り直し(車体新製ではない)
先頭車改造や215の半室グリーンなどが該当
後に、ピッチそのままで両側肘掛固定に移行 >>288
ああそうか。
221・222−200番代の件は失念してた。
それにしても、新幹線だと、一時的とは言えシートピッチに窓割り合わせるような配慮示したんだな…。
在来線特急車のグレードアップ改造では、そんな気遣い毛ほども見せなかったのに。 225-450や225-470も車体いじくってシートピッチ拡大だったな
2000番台と同じシートに取り替えたやつ
200系の改造車は複雑すぎてワケワカラン 元クハ153(低運転台)のクハ164。
せめて高運転台の500番代が種車ならよかったのに。
塗装を合わせれば、オリジナル車とほぼ変わらん外観だっただろうから。 >>283
サロ481→サロ183の中にはサロ481に戻った車両があった >>293
その車両は、サロ183に改造された折に横軽対策車になったが(●サロ183-1051とかの表記で、
碓氷峠通過可能を示す丸印が見られた)、これはサロ481に戻った後も残されたのか、と思ってる。
或いは、車体構造上はそうでも「●」の表記は消されたかも知れんが。 >>293-294
サロ481-98・112→サロ183-1051・1052は、車体も台車も流用
のち上沼垂のグレードアップ編成用に元車番に復帰
機器流用はサロ189-51・52 それが末期には格下げられてサハ481-300にされて末期のひたち7連専用車にされたり、電気釜頭移植させられて
ボロボンネット交換用のクハ481-1100にさせられた車もある。
末期のひたちの7連のサハの内0番台はほとんどなく全て改造車で占めた。JTにさせられた車もある。 >JTにさせられた
”何でいきなり煙草(専売公社)…”と思ったら”Joyful Train”なんだな。
それにしても、何で181→481〜489→183と、その度に車体割付が変わったんだろう。
だから、組み入れられた改造車が編成の統一性を乱す元になった。
近郊型や急行型では特にそんな事ないのに(ドアのステップを別にすれば)、
何で特急型はそうなのか。 >>297 交直流車か直流専用車か、現場で識別しやすくするためなんでは?
183系ベースの横軽協調車を183系○千番台とせず、189系と異なる型式番号付けるのと同様。
番台の違いで区別できると考えているような鉄オタの発想だと、営業運転でトラブルが生じやすいんだろうなあ >>298
形式そのものの話じゃないぞ。
481〜489系は181系に比べて車体が12.5cm高くなった。
また183(189)系は181系より、床が9cm・窓が3.5cm・屋根が12.5cm高い。
これは485系などと比べると、床が3.5cm・窓が9cm低く、屋根は同じ高さ、って事になる。
こういう違いが何で生じたんだろうと思った次第。
で、40年前の「ゴー・サン・トー」の時、181系はグリーン車の屋根が高い凹凸編成ができたし、
183・189系も、グリーン車の窓回りの赤帯に段差のある編成が見られるようになった。 >>299
九州では強引にクハ181をクハ481化したクハの凸凹編成があってこれがとんでもない大失態を招く結果になる。
まあ近郊型でも東海道線に入れた急行型グリーン車改造車はまだしもサロ181 183 481 489改造車は車体も何も
全然違うは冷房も違うわだった。
特にサロ110-301は車体まで凸凹編成だった。
急行型グリーン車改造車のサロ110やサロ112も色も揃っていた。
まあ昔のトミックスの113系にあったスカ色サロ112は本当は実在しないけど。 >>299
交直流車は床下に変圧器などを積むために、床面を上げざるを得なかった。
なんでそれに気づかない?
181→183で床が上がったのは、低床軽量構造を、普通床軽量構造にしたため。
小田急ロマンスカーSE、NSEの低床が、LSEになって普通の高さになったのと同じ。
>>296
クハ481-1100になったのは、サロ181-1100の新製車のほうでしょ。
だからサボ受けが残っていた。サロ481の改造車あったっけ? 183系の窓が485系よりも低くされたのは、座席が簡リクになって座面高さが下がったため、と
いう説明がされていたな。さらにリクライニングすれば目線も下がるから理由としては納得できる。
その関係で窓ガラスが腰のカーブにかかるため、車体断面も微妙に変更されている。
後から485系にも簡リクが導入されたが、編成美の観点からか窓位置の変更はされていない。
屋根は両者で変更する理由は無いはずだが、通風器が統一されなかったのは理由がよく分からない。 >>301
実は名鉄のパノラマカーの7000系と7500系で床面が違う。
7500系はわずかながら床面が低い構造で、運転席部分が頭でっかちに出っぱっていた。
その構造がバリアフリー法違反になって7000系より先にあぼんされた。1200系のドナーになった車もある。 >>302
客室用押込通風器
先に出た183系が在来スリット型を採用して
1年ほど後に出た485-200が新設計の箱形を採用したんだろうな
その後出た車では、新系列(40系気動車・201系電車・50系客車など)は箱を採用したが
在来型採用車の番代違い(183-1000、189、115系など)は在来型だった >>304
箱形はそれより前に昭和41年に東西線乗り入れ用の301系に使っていた。
地下鉄と言う特殊性から103系時代からの在来のグローブ形を使わなかった。
ところがコストが高くて量産が出来ず、昭和45年に千代田線向けに103系を地下鉄用にした1000番台を
作った際にコストがそっちのが安かったことや地下鉄でグローブでも箱形と大差ないことがわかって
以降103系で作られてる。
同じような箱形は165/169系の運転席部分の箱形もそう。
ちなみに301系が出た当時営団は日比谷線同様バカでかいガランド型だけだった。(箱形は翌年の5019F以降) >>305
箱形の最初はモハ90でしょ。
のちの101系900番台。
小形の箱形について、103系では、103系1500番台が採用している。 111(113)→115に改造されてもグローブ式ベンチレターは変わらなかった車両もある。
ってか、何でそんなの種車にしたんだか…。 その頃の国鉄は末期症状だったし、細かいことに構ってられなかったとか
新幹線の食堂車→普通車とか荒業もあったし >>307,308 そういう改造で何か走行性能や安全性に問題生じたの?
新幹線の食堂車なんざ、普通車に改造するのでなければスクラップにするしかなかったわけだし
小田急のように2ドア特急用車両を3ドア通勤車に改造した方が、細かいことに構ってられなかったんではないのかねえ? >>309
具体的に何か弊害が生じたかどうかは定かでないが、
そもそも115系でベンチレターが押込式になったのは寒冷積雪地域での運用を考慮してって事だから、
それに悖るような事を何でやったのかと思った次第。
しかも、111・113系が全てグローブ式ベンチレター車だってんならまだしも、
こっちにも押込式の車両があるんだから、余計、どうしてそれを改造の種車にしなかったんだと思えてくる。 >>309
発電機付きのキハ184から発電機を外したキロ184は
エンジンがキロ182と違うために扱いが難しくてエンジンを後から変えたことがある