懐かしの珍改造車を語るスレ©2ch.net
根室拓殖鉄道キハ3
と言っても当然自分には乗車体験が無くて地元の郷土史家の方に話を伺っただけだが、
当時はそれほど奇異の目を向けられることなく、利用者には受容されていたらしい。
では、どうぞ。↓ 他の車がのちにケバケバしい色に塗り潰されてしまったのに較べたら
素朴な色合いのままで生涯を閉じた201は幸せだったのかも知れないよ
ローカルの良さを自ら手放すなんて信じられなかった >>93
その関東の大手私鉄唯一の偽スチール車が東武鉄道モハ1101です。
1956年(昭和31年)1月より西新井工場の入換車に転用された際、
外板の老朽化が著しかったことから、車体外板に鋼板を張り付けて
簡易鋼体化が施工されました。
西新井工場の入れ替え車ですが検査担当が杉戸工場だったので
非営業車とはいえ車籍が維持されて本線を走行しています。
その後保存のため1981年(昭和56年)に廃車になり原形復元
ナンバーをデハ5号に戻し東武動物公園を経て東武博物館で保存されてますね。 >>103 ニセスチールの簡易鋼体化工事って単純に本来の木骨ボデイ外板に鋼板貼り付けて
釘やリベット、ボルトなんかで留めているだけなの?
本来 老朽化保全が工事の主旨なのだから腐り始めた木骨や外板の張替(部分的にでも)や補修、シロアリ対策、
防腐処理とかしないで隠しちゃうのか? 逆に63の全鋼製改造車は外板を流用してるから
シル・ヘッダが付いたままで半鋼車みたいに見える 森製作所のSL改DL
使える部品が少なく、新製を回避した利点が見えなかった。 もう知らないヒトも多いかも知れんが偽スチール化と言えば
小林亜星がCMをやっていたパッとサイデリアを思い出すんだわ >>108
住宅の外装リフォームで、サイディング、ってやり方があるだろ?
今の壁の上に新しい外壁材を貼り付ける奴。
偽スチール車って、木造車体に鉄板を貼り付けただけだから、
考え方は完全にサイディングと同じ。 あ、ID変わってるけど>>108です。
こんなにすぐに的確な返事もらえたの初めてなものでちょっと感動してます >>78 琴電の魔改造で最強と云えば 国鉄の客車を改造してクハにした
850?でしょ そもそもその前後に買収国電の譲り受けも受けているのに
軌間どころか車体構造も著しく異なる客車を何故選択したのだが?台車が広軌化し易い無難なTR11、14系だから?(買収国電だと厄介な雑種を掴まされる危険がある)単純に車両価格? >>112
それは、オハ31を改造した950・960でしょう
改造といっても、台枠と足回りだけ使っただけで、あとはほとんど新製だったようです。
種車から考えて、他のクハに比べけっこう重量があったのではないでしょうか?だからあまり使い勝手のいい車ではなかったとか(?) そう、重いのでペアを組まされたモハのモーターに負担がかかったとかで
直に出番が減ってしまった 12系と混結用に改造された20系。
見た目はオリジナル車とまぁ変わってないだろうが、
車番がステンレス板からペンキに変わって、
いかにも「格下げされた」って強調されたようだった。 しかしその後ペイントじゃ金が掛かるからステンレスに変更されたりもした
番号じゃなくて帯だけど。 一方で、「グレードアップあさま」の編成は、番号がペイントに。
塗装替えの時邪魔になって、ステンレス板を撤去したのか…。 珍改造といえるほどではないが、
秋田市電から南海和歌山に移った車は、
前照灯が和歌山標準の二つ目に改造されたが、
南海オリジナルの新製車の如き埋め込み式でなく
細い支柱に取り付けられたのでなんともユーモラスな外観となった
彼の地での活躍が短期間に終わったのは残念 >>119
平滑なルックスを意図したようなことを聞いた覚えがある。
先頭のエンブレムまで外しやがったのは許せん。
俺のダチは、Nゲージのグレードアップあさまに両面テープでエンブレム取り付けた。 新幹線0系の、15・16→21・22の改造車。
改造後の定員は、69・74になって、1箇所だけC席がない。 阪急90形:師弟関係に有った小林一三・五島慶太の縁で目黒蒲田電鉄より購入した黎明期の院電。3扉。
阪急96形:加越鉄道(後の加越能鉄道)より購入した客車。2扉。
何れも西宮工場で阪急スタイルに更新改造されて神戸本線系統で活躍した。 近鉄の初代ビスタカー10000系の先頭車10007。
追突事故で前面部が大破、オリジナルの流線型とは全く異なる貫通形で復旧された。 東急7200系の、先頭車→中間車の改造車。
元運転台付ってのが丸分かり…。 >>126
京急800形の3+3のやつもなw
あっちはも少し丁寧に埋めてあるけど。 京急は旧600も運転台埋めた部分だけ小窓1つ長かった >>121
ライトの改造よりも前頭部を思い切り削ったんだが
秋田時代の写真と見比べてみ 原型ないから
そっちの方が珍改造でそ クモハ300、クハ301の形式のままで運転台を潰した(前面の窓ガラスを埋めた)車両。 ちょい反則だが、ぽっぽやに出てきたアレw
キハ40系にくわしくない俺でもおかしいと思った。
ピクトリアル立ち読みしてきたw 途中で送信されちゃった
京福のEC40とか東武日光軌道線のED40
アプト機構を取っ払うまでして導入する必要があったんだろうか? 他に車両がない。選択肢がない。
その仲間では線路を壊した秋田が最狂。 >>129
鹿児島に行った大阪市電も車両限界の都合で尻すぼみ?になったね
長崎に行った小田原市内線は車両切ったり貼ったりニセスチールカーにしたりで
入線時点で原形がなくなってしまったりする。 長野電鉄601・602→611・612。
両側にある運転台の片方だけ乗務員室扉付になって、
前面の窓がHゴム支持式に変わった。
「珍改造」というほどの事もないかも知れんけど。 63系だとここに書ききれないくらいの改造が
あるんじゃないかな? 蒲原鉄道のモハ12のワンマン改造どうやって入るのってくらい幅が狭い乗務員扉 国電の車体を唐竹割りにした京成クハ2000形の極狭貫通扉。 >>137 旧国に私鉄含めた吊り掛け車で事業用車に改造されたものだと、珍改造だらけのような。
例えば、東武のサヤ8000。外観からすると、どこが8000系だ?と言いたくなるような代物だが。 北海道向けに、出入口が引戸に改造された14・24系客車。
元の折戸の方が客車らしかった気がしたから、惜しいと思えた。 >>142
折り戸の客車って特殊な例を除けば特急客車の20系14系と12系くらいで、ほとんど引き戸じゃないの?
世代が違うとそうなんだな モハ188・189-501〜504。
485系の改造だけど、見た目は新製車とまず変わらず。
ところが座席(だけ)は種車のベンチシートの流用で、
リクライニングしなかった(504のユニットを除いて)。 >>143
引き戸の客車って一部事業用車と50系、北海道向け14・24系くらいで、
ほとんど開き戸じゃないの? 世代が違うとそうなんだな 遺体のは俺だ
乗降扉の話か
折り戸のタイガーロープで吊ってくる… 451・471系の初期の車両は、出入口のドアが外吊式だった。
それを引き戸に改造した。
こういうのも珍改造に入るように思える。 既出かも知れないけど、
「似非近郊型」とも言うべき、モハ62・クハ66。 >>122
485系ひたちの新色検討案だったか、
特急エンブレムはおろかHMも撤去する案もあった 元特急・急行型→サロ110の改造車。
中でもサハ165をサロ110に改造したヤツ。
しかし、これらの車両の定員はこぞって48。
同じ定員のサロ113がそれ故に問題視され、定員60のサロ110-1200を造ったのは何だったんだって事になる。 >>152
まあ153系から改造したサロ110と珍車サロ152/163からのサロ112どころか
サロ95→サロ153-901→サロ110-901もそうだった。
サハ165-7から改造した501は座席と窓枠のピッチが合わないために運が悪いと
窓枠席のろくな車窓も見れない席を掴まされた。
特急改造車はトイレの箇所を乗降ドアにしたためにトイレがない車が多かった。
例外は総武快速向け1300番台最後の1356〜1358で種車の485/489系のサロに
車販準備室の改造をしてなかったためにトイレがある車になった。
ちなみに東海道線口の珍サロのある編成は田町でなく大概静岡に集められていた。 クハ105-105は踏面ブレーキだったが
クハ104-601はディスクブレーキだった クハ481-501・502。
181系改造車で車高が低い。 キヤ90
妻線で試験的に使用されたキワ90を保線車両に改造した車両
種車キワ90は非力で貨車2両しか牽引できず、空転も多いなど実用化に至らなかった AU75型クーラーの設置準備工事してあったところへJR東海独自の冷房載せた車両。
身延線の115系2000番代とか。 >>159
JR東日本ではそれをAU712でやってる車もある。新潟車の一部がこれだった。 白くまくん、霧ヶ峰、ビーバーエアコン
ブランド名はどうだかわからんが保存車に強引につけてたりする クモニ83-100番代。
どう見たってこの形式の一族じゃないだろ。
クモユニ→クモニは分かるけど、何で81→83の変更が必要だったんだろう。
「クモニ81」じゃいけなかったの? 東北の改造クロハに家庭用エアコンが付いていたのを雑誌で見た。
後付け感丸出しでカッコ悪かった。 >>162
マイテ49は外観を壊さぬよう冷房そのものが家庭用エアコンだった。
自己発電機給電だからSLやまぐち号で使うとスハフからの給電が不可。 「和風車だんらん」と称された、サロ481-500番代。 クハ181,481の一部に施された前面愛称版の電動幕改造。
クハ481 200番台でも手動だったのに・・・ クハ481-200番代の貫通路を閉鎖した車両。
クハネ581にもそういうのがあったらしいが。 福知山線内を走行中、踏切事故で前面が大破した特急「北近畿」のクハ481かクロハ481の貫通型先頭車
修復されて運用に復帰したが、修復の際、全面貫通扉が埋め込まれたため非貫通のクハ481やクロハ481に比べ、
ヘッドマークのサイズが小さくなり、目立っていた 考えてみれば、「北近畿」の車両が485→183になったのが珍改造車の最たるものかも知れない。
同時に七尾線の113→415も。 189系電車の中には、モハ484とモハ485の交流機器を撤去し、
車体を183系と同一のものに載せ替えて、189系の中間車に編入改造された車両があった
シートは種車の485系のシートが流用されていた 作り手も見る側も痛い子供だらけの迷列車とかからかな
ただの改造に「珍」をつける風潮が広まったのって >>177
あいつら「魔改造」だな
少しでも改造したり、理由あった改造だろうと魔改造とか言って面白おかしく馬鹿にしまくる 普通、ありえないような改造やったのが「珍改造」なんじゃね?
例えば、電車だったのをを気動車化したもの。元小田急1600の関東鉄道キサハがあるが、電車の車体ベースでエンジン取り付けたものって見当たらないような。 >>179 自己レス、小湊のキハ5800がありましたね。ここのスレの最初の方に載っていた。
これが唯一の例かな。 元はと言えばそっち(直流区間)の方が縄張りだったものを…。
そう言えば同じ181系の交直流化改造車でも、
サシ181→サシ489の場合は、車体を持ち上げたから格別な違和感はなかった。
しかしクハ181は、運転台の屋根はクハ481と同じ高さだったから、
嵩上げするわけにいかなかったんだろう。 クモエ21800やクモル23050といった、旧国改造の事業用車両。
買収国電改造車両も結構、面白いのがあるような。小湊キハ5800もその類だし。 こういうのが、珍改造車の名にふさわしいんだろうなあ
元・日本初の4ドア車あり、木造車あり、前面に両開きの大型扉をつけたものありと。
http://www.geocities.jp/h6feet/album7-3.html クモハ123。
荷物電車とかを人間が乗る車両に改造するってどういう神経だったんだか。
本来逆だろ。 クモハ84。モハ63→モハ72(クモハ73)→クモニ83と旅客車から荷電に改造。
そして再び旅客車へ。宇野線で活躍して引退。 クモハユ74もだな
モハ63→モハ72→クモハ74→クモハユ74
クモハ74の段階でクモハだがはなから旅客の使用を考えていなかった。
房総各線の新聞輸送車に使われて身延や飯田らから来たクモユニ143に代えられて引退。
はなから旅客に使うつもりないならクモハ74作る前にクモユニ82かクモニ83にすればと思えた。 モハ80 800〜850番代。
身延線乗り入れに備えてパンタグラフ取り付け部の屋根を低くした。
特に850番代は、種車はサハ87で、付随車→電動車の改造(逆は時にあるが)。 12系客車1000番台
旧客の置き換え用に急行仕業に入らなくなった12系を近代化改造
側面の白帯を消去、オハフ13とスハフ12の乗務員室に乗務員室扉を設置、
車内はシートの一部をロングシート化
JR西日本に継承されて山陰、紀勢、播但線などで使用された >>187
クモハユ74を置き換えたのはクモユニ74だよ。 >>187
72系改造のクモニは車体を新製してるから、コストも高かっただろう。
用途としては新聞輸送が主だったのだから、予算をかけずに改造するには「お面取り付け」で済ますのが適当だったのだろ。
実際、客扱いしたことってあったのだろうか?
もうひとつ考えられるのは、改造に当たったのが「本社予算」だったのか「支局予算」だったのか、おそらく後者ではなかったのか? 101系から改造されたクハ103-2000番台・2050番台 サハ103-750番台
一部の車両は冷房改造、方向幕取付、ジャンパ回路交換などが行われたがクハは非冷房のままで、
阪和線、大和路線で使用された。 キロ80を先頭車化改造したキハ82-901・902