【分散電源方式】国鉄12系・14系客車 [転載禁止]©2ch.net
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蒸気暖房ではなく電気暖房でもなくディーゼルエンジンによる分散電源方式の採用により牽引する機関車がほぼ不問になった
12系急行型客車と14系特急型客車(寝台車/座席車)を語ろうぜ!! 14系座席車、特急型として作られた割には特急運用はほとんど無かったな。 煙が吹き出してるスハフ、スハネフの乗務員室の窓から白スーツのレチがホーム監視していると萌えた…。 停車中はやかましいのに、走行中は、そのやかましささえ心地よくなるんだよな。 スハフ、スハネフのエンジン音は醍醐味であり自分も好きだ。
むしろ気になるのは他人のイビキ、スリッパで歩く音の方だ。 そう言えば津幡で「北陸」のチェックアウトの延長サービスやってたじゃん?
津幡は結構にぎやかだったんじゃんw 12系と14系座席車を併結した列車ってあったっけ?
自由席と指定席で使い分けとか >>14
定期では無いけど、JR初期に団臨で車両のやりくりがつかずに
14系座席車の中にオハ12が混じってた例は有り。
甲子園臨で14系客車の電源代用でお座敷江戸のスロフが使われてたの見た事も有るよ。 郵便車のオユ14は10系の範疇だが14系の要素が含まれてるな。 >>17
定期ではなかったんだね サンクス
12系、14系もグリーン車があったらもっと魅力的だったかな
お座敷、ジョイフルは除く 特に東は最後尾に貨物に付ける赤い反射板つけてたでしょ?
ありゃカッコ悪いよねw
装備されてる後部標識灯でよかったんじゃないの?ダメなの? 尾灯のスイッチを入り切りする車掌が回送には乗っていないからだろうと誰かが言ってた >>14
末期のムーンライト山陽
指定はリゾート14系、自由はオハ12
自分が乗ったときはオハ12-345なんてのが入ってた ムーンライト四国の末期は、12系改造グリーンと14系座席と記憶にあるが。 ムーンライト四国の末期は、12系改造グリーンと14系座席と記憶にあるが。 ムーンライト四国の末期は、12系改造グリーンと14系座席と記憶にあるが。 ムーンライト四国の末期は、12系改造グリーンと14系座席と記憶にあるが。 >>24
12系が普通仕業に使われ出した頃
種村氏が高崎行き?の列車をRJ誌でルポしてたな
その時乗車したのがオハ12-34だったと記憶している 1971年に乗った神鍋銀嶺号が新車の12系だった。
夜中の1時過ぎの姫路で機関車がEF58からC57に交換、その間に駅弁の立ち売りがあった時代。 12系と14系の電源回路って
無改造の状態で連結可能だったのかなあ >>34
1991年か1992年に
電源用エンジンのトラブルか何かで
ムーンライト九州でスハフだけ12系だったことがある >>3
臨時だが名古屋-西鹿児島「金星」に乗れたのはよかった。
だが原型のバッタンコ座席だったけどなw
俺が「SL大和路号」1986/8/1初日の初列車に乗ったのが天リウのオハ12-9
まさかその後改造されてムーンライト高知で使われ
今も運良く若桜で保存されるようになるとは。
調べたら大和路号以前に
つくば博のキャラバン列車で全国回ってたんだね。
波乱に富んだ車だ。 14系座席車の特急運用での乗車経験といえば俺はあけぼの81号だな、懐かしい思い出だ
全車指定席だったような
14系座席車の長編成は見た目がスマートでカッコ良いと今でも思ってる >>18
最高110km/h許容、TR217台車はまさしく14系仕様そのもの。 昔12系客車編成の中にちょっと変わったオハ12がつながれているのを見た
普通のオハ12と違うところは
固定窓
上部の白帯の直下に雷鳥のグリーン車だんらんと同じように金帯
このオハ12ってなんだったのでしょうか? 通勤途中の交差点での信号待ち。
隣に停まった保冷車の冷凍機が唸りを上げているのを耳にすると、ふとスハフ・スハネフの記憶が甦る。 >>39-40
国鉄最後の日に東京に行っていたいこいだなw
ただオハではなくスハフだぞ。 >>39
いつ頃どこで見たとか覚えてないの?
みんな色々考えてくれてますけど。 金と黄は親和色だから
見え方によっては非常に近い印象になる
おそらく、いこいだろう。
オハかオハフかというのも
そこまで記憶に残っているなら
金だとも言ってないはずだろうからな >>3
臨時増発用として昭和50年代まで使ってたし、夜行列車として急行八甲田(実質盛岡―青森間は特急並)まで使ってたぞ。 14系3段ハネの1区画を2段にするとともに、日中はそこをグリーン車とする試みがあったでしょ?
急行天北でやってたけど、廃止まで続けてたんすか? >>47
グリーン車じゃなくグリーン席だな。ソファにして1区画4名定員に改造したもの。 JR化後も循環式汚物処理装置が設置されずに、垂れ流しのまま運用され、
台車や車端連結部妻板下部にペーパーや汚物が
こびりついて汚らしい印象がある。
流し管先端のゴムのヒラヒラも。。。
(14系座席の場合)名古屋や岡山、熊本のが該当。 私鉄乗り入れは萌えるなぁ…。
でも上信、鹿島、福島臨海、西武くらいか? >>53
樽見鉄道
春の桜ダイヤは乗り入れ以外にも自社の客車が走ってて7〜8往復客レが走ってた。 一時的なイベント運転なんかだと
仙台臨海、三井三池紘務所なんかも
秋田臨海は50系だからスレチか >>57
秋田臨海鉄道には14系座席車も秋田博の時に乗り入れてる 秩父鉄道にもお座敷が乗り入れたなぁ、たしか。
高崎のくつろぎだったと思う。
大井川にはサロン東京だね。
地方私鉄のカマは国鉄より小さく短いから、4両編成程度でもある意味、長編成に見えるのがいいね。 >>40
いこいの写真見ましたがユニットサッシで黄帯だッたので違いました
>>42
車端部がドアとトイレだったのでスハフ12やオハフ13じゃなかったです
>>44
JR移行化前に加賀温泉〜芦原温泉間のどこかで見ました
車体色は両隣のオハ12と同じ青で白帯も窓下と裾に2本で同じ
違うところは
窓がユニットサッシから固定窓
窓下の白帯の直下に雷鳥のグリーン車だんらんと同じように金帯 >>57
仙台臨海鉄道乗り入れ
1987年 東北博覧会の際のアクセス列車
梅小路からC56 160を借りてきて
客車は ごく普通の12系6両(秋アキ)
スハフ12 101 + オハ12 316.....
後年「ばんえつ物語」専用客車となるとは! 固定窓、金帯・・・、お召の予備じゃね?
固定窓は防弾で、金帯は御料車に整備されたオハ12。 >>60
そこまでハッキリ記憶してて
自分でググって探したりしたんか? 素朴な疑問なんですけど、24系もそうなんですが、12系や14系はなぜ乗務員室扉がない(12系1000番台除く)のでしょう?
あった方がいいですよね? それご存じの「客車だから」じゃね?
旧客時代までもずっと無いじゃん 電車や気動車も手動扉の頃は乗務員室扉ない車両もあったシナ 合理化が進む前までの、鉄道創業時から長らくの間、
車掌みずから車外(ホーム)に出て
確認したりベルのボタン押したりする必要はなかったからな。
「列車」に関しては、駅ホームには駅員が居たし
駅員(当務駅長)がウテシに直接、発車を指示していたのがあたりまえだった時代。
>>67の言ってる関連だけど、電車なんかでも初期は路面電車タイプ、
それから運転士側しか乗務員扉がない時代も経由してる
(車掌のための扉は無いという意味で)
ここまでは、まだ電車も列車と同じ感覚だったんだな。
そして、ドアエンジン導入の早かった電車が、
やっぱり最も早くから車掌側に乗務員扉ついた。 通勤電車では、車掌がドア開けてホームに身を乗り出して
ドア閉めるが、そういえば特急は電車でも車掌台にドアないな 12,14系に限ったハナシではないけどブルートレイン(寝台特急)に使う24系
でも何故 国鉄末期の時点で客車は刷毛塗りやパテ盛り&下地処理が、乱雑な状態で定期検査出場するクルマが居たの?
電車や気動車ではマズ居なかった筈だが・・・
何時ごろから、客車の定期検査時の外装処理が雑に、なったの 全検や要検のタイミングで塗装も行うのが一般的だけど、塗装そのものは検査の内容には含まれないんじゃないの >>73
B寝台の2段化改造の時にやったべ。
記憶にあるのは、確か昭和60年の鉄道ファンのモノクロページに掲載された北陸の例。
最後尾が手書きの幕を掲示したスハフ14だった。 利尻とかまりもとか大雪とか普通にあったよなあ
と言うか今でもはまなすの寝台車に14系ハネも混ざってるよね? さくらの電源車代用でスハフが入った事なかったっけ? >>80
見た事はある
ここに客は乗せないと車掌に聞いた
画像は無い 昔、「いなば」で防火工事の関係でスハフ14を入れたことがあるが、客扱いしてたぞ。 たしか“さくら”はヒルネ区間で、“いなば”は全区間で座席指定で営業していたはずだよ。 そう言えば、佐世保発着の「あかつき」が14系座席車を1両組込んで座席指定車として営業していたね。
それと青函フィーバーでわいていた頃、「北斗星」のヒルネ区間の函館〜札幌でスハフ14を増結していた。
「北斗星」の方は日によってスハネフ14の時もあったとか。
寄せ集めの臨時「すずらん」は14系座席車の中に14系寝台車が混ざってたりとか…。 暇な時間、最後尾に如何にもベテランの車掌が2人、向かい合う乗務員室の扉を開けてタバコを吸って内輪話をしている
光景は12系や14系の風物詩でもあったかなw あなたのあの頃は良かったって時代で
もし臨時急行が14系だったら
ほう、奢ったなと思う?
それとも妥当だと思う?
この辺で年齢が判断出来そうな気がするが
快速が12系でブーブー言ってるのは論外か 今でも臨時快速の189系で得した気分になるぐらいだな なるな
ガキの頃のすりこみは怖い。つばさ51で14系見てたから、北海道行った時にワイドで14系夜行に乗りまくった時は得した気分になった
まぁ気分だけで、実際は簡リク寝にくい上に、バッタンバッタンうるーから旧客の方がよかったんだけど 簡リクも確かに使いにくかったが、出始まりは「新しい時代の新しいもだから慣れなければ…」みたいなのがあって、
まぁ、使いにくいのは自分が悪いのかなぁ…、見たいに思っていたし、なんとかコツみたいなものを身に付けて慣れた頃に
「あれはあまりよくない」みたいな事を書かれたり、言われたりするようになった気がする。 そんなかんじだね。
なにか厄介だなと思いかけたときも
心のなかで「仕方ない」で収めてた感じ
タバコは嫌いな側だけど
パブリック施設での禁煙が今ほど叫ばれなかった当時は
すぐ前の席で紫煙が登り始めたときでも
そんな感じですぐ収めてた。 ガラガラで4席独占できるなら、たとえ急行でも12系の固定クロスの方が良かった気がする。
加えて、静粛性も12系の方が上手だったかなぁ…。
14系の簡単リクライニングシートのR51って電車にはない前後の衝動で、にぎやかに前後にガタつくんだよな。
長い下り坂でおそらく機関車の方のブレーキが強い時だと思うが、客車の方が細かい前後衝動に見舞われるんだろうな。
誰も座ってない座席はその時は決まってガタガタガタ…と前後に振動していた。
ブレーキングの時の大きい衝動だと座席を回転させる時に前傾させるくらいのレベルまでガタついていたよね。 空いた列車のボックス席で体をLの字に曲げて寝るのが快適だったな。
12系はシートピッチが広いから、短足の自分は脚が向かいの席に十分届かないこともあったけどw 12系は体をL字にして寝る時の身体の納まりが良かった。
たまにシートの下にジュースの缶をかませて傾斜をつけてる奴がいたけど、ありゃダメだorz
寝返りのたびに外れてどうもいけねぇや。 強者は座席のクッションを外して床に置いてベッド代わりにするんだよな。
外せない車両もあったと思うけど。 >>85
昭和63年の急行大雪は、ハネを自由席代用としてたな。
上段は使わないでください!とレチ氏が巡回中に注意してたわ。
また、平成元年の急行大雪は、まりもドリームを自由席として開放してた。
2日おきに入っていて、トクした気分だった! かつての急行「きたぐに」は14系の見本市のようだったね。
オシ以外の14系全種をつなげていたからね。 >>99
14系になる前は
普通車座席は12系、寝台は10系、グリーン車はスロ62・スロフ62形など、それに郵便荷物車
これまた各種客車の展覧会のような編成。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています