【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
自分で探して来た
だいせん、さんべ、かいもん、日南、きたぐに、銀河、越前、妙高、能登、きそ、鳥海、天の川
(八甲田 仙台以北1両)、十和田、新星、津軽(3)、おが 70年代後半のブルトレブームの補完的な存在として10系寝台急行が健在だったころが
一番懐かしいな。よくあった小中生向けの鉄道何とか百科?とかにもアレコレと掲載されてたような。。
ひと区切りつくのはやっぱ82年11月改正か。 九州特急14系化→関西ブルトレ583系化→日本海24系25形化→博多あさかぜ14系化→急行夜行だいせん20系化
音戸そのまま→上野北陸急行から寝台をまとめて長岡経由の特急北陸1往復追加
つるぎ583系化→上野奥羽系統急行から寝台をまとめて特急あけぼの1往復追加
つるぎ・季節日本海用24系25形を瀬戸・下関あさかぜへ→1本は銀河20系化・もう1本は2〜5両程度の短編成寝台置き換え改造工事(12系から電力供給・自動ドア化)
これでカヤ21化・北海道・夜行列車併結もの以外の10系寝台車は昭和51年10月でほぼ全廃可能 オハネ12に泊まれるようになるそうな
床穴空きそうなんだがな 前の方に常磐線旧客鈍行に10系座席車あったかなあってやり取りあってはっきり結論出てなかったけど、今出てる雑誌 国鉄時代71号の44
ページだったかに、昭和57年に撮影の三河島?付近走行中の旧客鈍行の編成中に10系らしき
屋根が一両あるのを発見しますた。 と思って良く見たら屋根が色の銀色の非軽量
客車に見えなくもないorz 昭和57年は無理だよ。そのころには10系ハザ、尾久にも水戸にも仙台にもない
北陸と山陰、紀勢、九州にちょっと残ってたくらい。品川に3両あったけど 銀屋根のスハ・オハも元々無いよ
オハ46原型なんかは薄いグレーの鋼板だから・・
細いリブの線も見える
ナハ・ナハフは57年だと福フチ、天カメ、鹿ヤコくらいじゃない? 気になったんで配置表見てみた
金トヤにナハ10が22両も残ってたんだね
57-11で一気に休車となってた
天鉄局はカメじゃなくリウだった 門サキの夜行
今でもなぜ10系を選んだのか、自分の行動に理解ができない
43形に乗るよね普通は いや10系でしょ。北陸や山陰で10系ばっかり選んで乗ってた。43系はどこでも乗れたしな
そういや長崎にナハフ10の初期車いたんだよな。2002と2003。なぜか電暖車。乗りたかった
なんだかんだ言いながら30年近く使ってるんだよね
長崎駅、頭端ホームで隣に客車区あって、さくらやあかつきの14系、ながさきの旧客がとまってたな
風向きによっては潮の香がするいい駅だった。新幹線でもう面影ないけど 10系ハネでGマーク(横軽通過可)付いてたのってどれくらいの割合?
電暖車のいないオハネ12はいなかったんだろうけど、スハネ16の電暖車にいたのかな?
「越前」にオハネフ13が入ってたのは横軽の為に重い車両を嫌ったみたいな話を聞いた事があるけど真偽は不明。 >>658
金フイに10系座席車がいた頃の越前はスハネ16が越前に入っていた
座席車の43系化に伴い横軽の定数超えないように寝台車はオハネフに置き換えた 昨日また見たらやっぱり10系に似ている。
後ろから2両目で窓が他より少し大きい。
屋根の色が全然違う
いったい何なんだ?ウワワワワーン 652-654氏ありがとう。
オハ46見てみた。これぽいね。明るいグレーの
鋼板屋根、屋根下に目立つ雨樋、アルミサッシ化されていて窓が大きく見える。10系に見えてもおかしくない!、と言ってみた。 >>661
>>662言うように良かったらUPプリーズ
時代的に急行だとオハ46の体質改善車(アルミサッシ)が
結構な両数まとまってあるから可能性は高いと思う あ、常磐の普通だっけ・・・それでも43系の可能性が高いな 北オクにいたよね、オハ46
朝の客レは北オク持ちだし >>666
ありがとう、間違いなくオハ46ですね。綺麗なグレーに塗られた屋根
あと特徴で雨樋が鋼板製で細く木製2段の他車よりやや屋根が低く見えること
ただこれはアルミサッシ車じゃないですよ、光の反射で窓下端は光ってるけど
ウインドヘッダーがしっかりあるすぐ下は濃色、木枠窓だと思う。 カンケー無いが、バンダイミニミニレールでナハ10を模した客車にすごく萌えた記憶がある。
まだまだ鉄模はHOが主流で高貴な大人の趣味で、そのなかでなかなかのディテールを誇ってた
ミニミニレールは遠い記憶の宝物である。 >>667 ありがとうござんす。。
いやはや現役の頃知るいい歳した世代なのに
面目ない。自分が旧客ってだけで如何に雑に区分してた 子供向けの入門書にスイス風の側窓配置と紹介されていたが
スイス風を汲み取るのに時間がかかった 幼児向けはしらないが、スイス風というのは、見たことが無い。
低学年向け以上で、ヨーロピアンスタイルや、ヨッロッパ風と書かれていた。
窓配置だけでなく、スハ43系などの切妻に対して裾の絞りがあることや、
全体的なスタイルを指しているようで、
国鉄設計陣か広報の誰かが言い始めた言葉ではないかと、思う。 実際スイス風というのが一番しっくり来るよ
欧州の他の国の車両は上段下降二段窓か上部中折れ窓
スイスのEWI EWII等の軽量構造一段窓車体が最も似てる
https://www.vagonweb.cz/fotogalerie/foto/201101/P1080601.jpg まぁそもそもその設計した人がスイスに視察に行って、パクっ…参考にして作ったのが10系だからな
著作にもそう書いてるし、言い始めたとかじゃなくてそのままなんだよ 無断のパクリじゃなくてちゃんと金を出して買ってる
下降窓そのものがスイス製
同じく1枚下降窓を採用した近鉄8000系電車も同じスイス製の窓パーツを採用してる 下降窓と言えば映画の名作、ひまわり のラストシーンじゃないのー。 そのままぱくったナっちゅう。
今この時代まさかのアップツゥデイトな映画作品 ナハ10系とかの座席車って、旧国の全金300番台みたいなちょっと中途半端な感じ。
新素材多様の内装で軽快で明るく、旧型の古びた味わいがない。
かといって足回りや全体のアコモが洗練されてる感じはない。まあのちの車体設計に大きな影響を与えたし
役割としては記念すべき車両なんだろう。。 ニス塗り白熱灯が好きなんていうのは後年の旧客末期のファン心理で
昭和30年代は明るい内装と蛍光灯が近代日本の象徴だらかねぇ
家屋だって暗いのが当たり前のところに鉄筋コンクリートの団地が
もてはやされたような時代・・・
木のぬくもり、ってのは平成以降の贅沢な感傷なんだと思うよ うーん、電球色の方が侘しくないか
個人の感覚の問題だけど ホテルの部屋、ファミレスやラーメン屋など以外の飲食店
高級旅館は白熱灯色なんだがな 蛍光灯より白熱灯の方が料理がきれいに見えるって聞いたことがあった。 昭和56年熊谷駅で見た秩父鉄道の電車の内装が
ニス塗りなのに軽いショック受けたな。
なんの、常磐線にはまだ旧客のニス塗りがまだ
残ってた。ほとんどはグレーの塗りつぶしで
10系客車と大して変わらんという感じ。 >>685
ルクス・カンデラ・ルーメン・ケルビン・・
そこんとこ詳しくないが、
実際に白熱オレンジ色のほうが光源の伸び?みたいなものが良いらしい
例えるなら、同じ声でも「よく通る声」みたいな感じ
だからかつては道路のトンネル照明がオレンジ色が主流だった >だからかつては道路のトンネル照明がオレンジ色が主流だった
てんかん持ちでは無いが、あれちょっと苦手なんだよな >>686
昭和56年ならまだ各地にニスのローカル電車あったから別に珍しくない
秩父100系は平成元年までいた事が凄いだけ >>688
もうオレンジ色のトンネルは今や少数派じゃね?
よかったね せめて耐候性高張力鋼板で製造すべきだった
国鉄での本格的な初採用が新幹線0系だった 乗用車の前照灯は
一時期は白色全盛だったけど
今は電球色に戻ってきたね。
電球色のほうが後年に出てきたんだっけ? 塗りつぶしというと聞こえが悪いが、効率化のためには意味のあることではある 昭和30年代の車両も鋼板の耐久性の技術が未発達だったのか20年ちょいで廃車されたの多い
今のやつはきちんと手入れすると40年以上は持つ >>698
それもあるし、材質や構造設計とか
どれも発展途上にあったからねえ 地方私鉄に売られてたら良かったけど
買い手がなかったからねえ 最晩年のボロボロになった10系しか知らないから、
あまり好評価ができない。
新製時に乗ってみたかった。印象もよくなっているだろうな。 >>702
尼崎事故の209系みたいに、どうも北陸トンネル火災のイメージが付いちゃって 207系だ、呆けている為すいません、またやんわりとご指摘ありがとうございました 初めて10系寝台に乗ったのは、はやたま連結のやつ
外観、内装ともボロボロで、豆電球の暗い枕元照明でわびしい気持ちになったが、
冷房だけはキンキンに効いていて、その装備の落差に違和感を抱いた印象 >>707
いえ、下段でした
新宮→天王寺の方向だったためか、夏休みの時期だったのに車内はガラガラ
でも今考えるとクーラーが効いてたのは客がほとんど居なかったからだけの理由だったのかもと
あれ、一括で調節できないやつですもんね >>709
下段でしたか
上段はさぞ涼しかったでしょうね(^_^;
スイッチは一括で強・弱・切の3段切換でしたよね