【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
高温多湿な日本の気候に合わなかったかもな
砂漠地帯だったら長持ちしたはず どうだろ?
一日での寒暖の差が激しくて、
熱疲労で壊れてたりしてな。 特に1980年代に入ると国鉄は激動の
時代になるから生まれの1年2年の差が大きい。
545氏のように1982年中一ではまだ思うように
動けなかったろう。都心部の私立中にでも
通ってれば別だけど。
模型ネタにはなるが、グリーンマックスの
プラスチックのNゲージの板キットの10系客車
とか他旧型客車とか中村精密のスハフ32リベット付きとかよく作ってた。当時は完成品はまだなくて(多分)、模型で走らせたかったら自分で作るしかなかった。値段は550円だったかで手頃で、プラモデル同様に精密に再現された側板妻板がランナーについていて作る前からワクワクしたものだった。友達といかに上手く作れるか競うようにして作るのが楽しかった。もちろん所詮素人でサッシの銀入れとかそう上手くは
いかないしそもそもキットの寸法が大雑把で太いと言うのもあって後に出た完成品にはとても及ばない仕上がりだったが、家では作って楽しみ、休みの日はなんとかして実物の写真を撮りに行くということが出来る幸せな時代だった。 昔は板キットを組むしかなかったのに今や旧客夜行列車の編成が完成品のセットで揃う時代
しかも最近の製品はドア上の等級表示やサボまでもが正確に印刷されてる始末 急行日南の10系入ってるセットはフルで買ったよ。
C57 四次型に牽かせるとめちゃ美しい。 >>550
グリーンマックスのキット、つくったなあ。
塗分けが難しいから、どうしても客車になっちゃう。
旧国なら大糸線に居た形式。
老眼真っ盛りとなった今じゃとてもできない。 老眼になったら16番ゲージおすすめ。
今はプラ製で割と安いのもある。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org1740.jpg
このトラムウェイのオハ35戦後型とTOMIXナハ10を繋げて
KATOのDD51に牽かせると福知山線末期の特定ナンバー車が出来るんで
と思いながらまだインレタ貼ってない。機関車のウェザリングはしたけれど。 Nサイズの10系ならKATOが現状最高傑作だな
茶色がラインナップされてるマイクロエースも捨てがたいが 回客用だね。品川ー尾久間と大宮工場への回送車両の控車 あのナハフ11品川駅で見ると東京方に正面の妻?、が向いていたな、と思い出した。オハネフ25 0や100番台と同じ向き。すると帰りはどうなるのかなと思って寝られなくなっちゃった
と思ったら、裏面の妻にもテールライト付いてるのね。だからシナオクでは尻は窓付き、
オクシナでは尻は窓なし。 文化むらの車内に自由に入れた頃すら懐かしくなった
オハネ12に寝っ転がったり、ナハフ11も座ったもんだが
常時公開中止して10年位なるんだっけ 軽量客車は車体と台車こそ近代的な外観だが、AV式自動空気ブレーキや並型自動連結器、
車軸駆動式の発電機などは従来のものを踏襲したからな。それで運用上は旧型客車の一員として扱われた。 客車で110km/hを出すのは20系から
しかも、20系が110km/hでの営業運転を始めたのは1968年から
そもそも機関車が
100km/hに達したのがED72/EF70(1961)から
110km/hはEF65 500番台から 100q/hに達したのはC62
と言うのは屁理屈? 実際問題旧客と組成して走る列車は東北本線で90くらい
亜幹線じゃ80-85も出せば上等だったからね。DL牽引じゃ
ちょっと勾配あったら65キロくらいザラ。 >>564
EF65の0番台と500番台ってブレーキ管以外に何か違いある?
0番台は12系以降のCLブレーキ車を牽引しての110km/h走行は可能なのだろうか? 157 回想774列車 sage 2019/01/18(金) 18:30:45.83 ID:XHzoK1di
EF65一般型の85号機以降は確か110キロ運転可能で
一般型かぶった特急型なんだな。
20系でなく14系や24系けん引での条件だろうけど。
EF65は0番台から許容115km/h。4次車の85からは110km/h運転可能
EF66が故障したため、ブルトレをEF65ユーロ機が引っ張った事はある
EF65 113が臨時客車金星(14系座席)を110km/hで引っ張ったことはある 110キロ運転したら車軸発電機が高回転に耐えられず焼損しそうだな 訂正>>568
EF65 11「0」が臨時客車金星
4次車から
MT52→MT52A
CS26→CS26B
CS29→CS29A EF65、500番台が0番台の2、3次車相当なんだけど
一般形かぶった〜とかヲタらしい
>>569
EH1015のとき10系で120km/hやってるから。12系は車軸発電機で110km/h対応だしな 全くケツの青いバカが何かほざいているな
EF65 500番台が20系牽引時に110km/h運転を始めたのは1968.10から
それまでは20系牽引運転時でも95km/h運転
12系は1969年から
1968.10からの110km/h運転に備えて、P型の1次・2次車とも編成増圧装置と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを追加している
※F型は登場時から編成増圧装置(532〜534の3機を除く)と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを搭載している このボケ老人はWikiのコピペしてなにが言いたいのか >>572
細かく言うと、Fは高速貨車牽引時は単機増圧
47.3改正時に、518〜534を編成増圧に改造して20系牽引に対応
513〜517は単機増圧のまま
スレ違いなのでそろそろ、、、
もうすぐ10月6日
1971年(昭和46年)10月6日に、急行雲仙3号が火災事故を起こしている
燃えたのはナハ10ほか3両
犠牲者1名、合掌 >>572
> 全くケツの青いバカが何かほざいているな
何でこういう余計なこと書くんだろうな
喧嘩したいのか
マウント取りたいのか >>575
うそーん
513〜517は当初10000系貨車を110km/h運転する試験のため、編成増圧などの20系牽引機能で作られている
20系高速化試験も編成増圧の付いているこれで行われた
でも、10000系貨車の110km/h運転はいろいろ問題があって100km/h運転へ下げられたため、単機増圧でよくなった
しかし、昭和40年度第2次民有分518〜526(1966.2〜3新製配置)はもう作られていたため編成増圧などの20系牽引機能が付いたままで新製配置
昭和40年度第2次債務分532〜534(1966.8新製配置)は単機増圧だけの変更が製造中で間に合い、編成増圧などの20系牽引機能なしで新製配置
1966.10から貨物牽引専用となったため、編成増圧などの20系牽引機能は整備されなくなった
1968.10から東北上越へ回された時、ロット間の重連運転をするため、513〜517はCS25が改造されたものの重連運転は無理とされた
また、暖地仕様であったため故障多発
このためPF型が作られ、1969.11にそれで置換されて広島・下関へ移籍
1972.3の関西ブルトレ牽引機不足のためF型で牽引することになり、518〜526は20系牽引機能を再整備・532〜534は20系牽引機能を増設し、F型は編成増圧が全て付いた
ただ、山陽本線の線路容量不足と貨物牽引機不足により、95km/h化により関西ブルトレ牽引機はEF58P型で充分となったため、1972.10でF型のブルトレ定期牽引は終了 >>562
車内に入れた頃があったんですね
オハネ12の背もたれ兼用の中段を間近で見てみたかった 文化むら収蔵車の状態がここ3-4年かなり悪化してる。
こちら今月、左下はオハネの床下・・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3862.jpg
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3863.jpg
2006年、入り放題で寝台で寝れた頃
EF59-1などは2006年よりむしろ厚化粧とは言えピカピカなのだが
機関車は修繕予算も付いたりボランティア枠での保守もあるが
客車とキハ20はこのままだとあと数年で崩壊するなぁ。 初期は車内はもちろん便所も使い放題。
便所周囲の外側展示スペースがえらい事になったとか。 トイレ使えたのかw
という事はこれが
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3865.jpg
関東に越して初めて行った2003年にはもう使えなかったな。
あと雨の日は腐食対策で車内公開無しになってた。 >>579
近くに住んでたらボランティアでいくらでも修繕してあげるのになぁ >>579
11月のキハ359000のボランティア募集してたな >>581
垂れ流し管を撮影するとはなかなかのマニアだな。
自分が行った時は負圧発生装置が無かったから、軽量化の為の仕様かと思ってた。
あれじゃ逆流したんじゃないかと気になったが、既に朽ち落ちた後だったんだな… >>579
今日行ったらキハ35は補修されてるのか車両の周りに足組がされてた
機関車以外の客車やキハも補修してほしいね 一番原型を保って状態がいいのは津別のキャンプ場のやつかな?
以前は泊まれたけど今は閉鎖。撤去計画もあるらしい…
相生のスハフ42-500の利用料が無料でそちらばかり行っていたのが悔まれる。 10系に入り放題、間に合わなかった。残念。
関のナハネ20に何度も宿泊してたんじゃなかった ナハフ11なら、文化むらスタッフにイベント提案して 碓氷のクルマは頃合いを見てバッサリとトリアージされそう
10系はだめかもわからんね 機会見て交流財団の理事に進言してみるよ
見積もりは出してくれるからクラファン立ち上げもやぶさかじゃない >>597
迷惑な、おっさんなんだろうなあ。
国鉄OBや技術者でもないのに、外野から生半可な知識をひけらかして。 10系の食堂車は、例の北陸トンネルの件で
火元という悪いイメージがついてしまったから
難しかったんじゃないのかな。
漏電にしてもオシから出火したのには違いないし、
長らく石炭レンジが原因だと流布されてきてたし。 オシ17はオヤになってがらんどうが保存されてるだけまだいいか よくよく考えると電子レンジって変な言葉だよね
電気回路と電子回路の違いなんて、別にどうでもいいレベルの区別だし >>604>>606
だからさ、言ってる趣意をちゃんと汲んでくれよ。
「10系の食堂車」というマトマリに対する全体的イメージが
北陸Tの事故後に悪くなった、という部分がメインなんよ。
石炭うんぬんは「最初からオシ17の話しをしている」わけで
誤認ではなく、
「食堂車=危険なイメージがついてしまった」の話。 多分ね、加熱するのに
電気レンジはニクロム線の熱で
電子レンジは食材の水分子を振動させて発熱
させる違いがあると思う。
ただしオシ16は待ち合い席下の配線が加熱して発火したのが本当の原因だよね。車輌の不具合という国鉄自身の責任だったのを食堂車運営会社になすりつけた感がある。運営会社は国鉄に貸しを作って事後の営業権の便宜を図られたとか裏話がありそう。 オシ16が燃えたなんて聞いたことがない
どこから来たんだろう? お、失礼 。オシ17だ。急行出雲のオシ16見てたからつられちまったい >>613
出雲のオシ16はどこから来たのか?
瀬戸だろ オシ16
1962.3 1・2が大ミハ一応新製配置 5月より彗星
1962.6 3が大ミハ一応新製配置
1962.7 2004・2005が東オク一応新製配置 同月より下り北斗・上り北上
1962.10 2006が東オク一応新製配置
1964.10
大ミハ 彗星 → 東シナ 銀河
東オク 上下とも北斗
1965.10
東シナ 銀河→さぬき(後に瀬戸)
東オク 北斗→十和田
1972.3 全て運用離脱
1973.2 全て廃車 オシ16って10年ほどしか使われなかったのか
リフォームカーとはいえ勿体ないね 東急玉川線タルゴ電車(玉子電車)が腐食なんか無縁で保存すらされてるのに、同時期に製造された国鉄10系客車が散々だったのは、どういうことか オシ16 3を電暖兼用にしてオシ16全車を全て青森配置にすれば、予備車は1両で済むためオシ17を全車廃止にできた
史実は47.10改正で20系青森配置が多くなったため、食堂車連結十和田は尾久へ回されたんだけどね
47.10で定期運用オシ17
北オク 2017、2053、2054 十和田(1往復。使用2・予備1)
大ミハ 2018〜2021 きたぐに(1往復。全区間連結のため、使用3・予備1) >>617
寝台車ではゆっくりタバコが吸えないから、喫煙室がわりに使う客が多かったとかで、売り上げがめちゃ低かったらしい
急行列車の合理化が同時進行で、10両ぐらい作る予定が途中で打ち切られてるし >>618
まだ軽量車体の設計の経験値が足りてなくて水抜きが不完全だったから
153系電車なんかも壁の中に水が溜まって車体の腐食がひどかったんよ 1段下降窓の2等車→1等車→グリーン車のサロ152だけ(1979年廃車)
あとはユニット窓だから腐食は生じず、サロ153くずれのサロ110に至っては1992年まで残っていた オシ16って厨房の設備は簡便な感じだが、メニューも軽食中心だったのかな。
樹脂製?のボックス席や回転いすが並んだ食堂内は郊外スーパーのフードコートみたいだw 子供の頃、横浜から北海道行って10系寝台車で稚内行って15分で南下した覚えがある >>618
あれだって露天時代の写真見ると結構傷みが目立ってたし野田で展示されてた方はのちに撤去されてる >>623
営業時間が遅くて短かったから、酒とつまみがメインで、あとは軽食がちょっとだけ 北陸トンネルで燃えたオシ17は2000番台だったの?火災の原因となった配線はEG対応のためのケーブルは床下に張られてるんだよね?
火災の原因となった配線は社内の枝線だよね? >>629
オシ17 2018
喫煙室長椅子下の電気暖房装置におけるショートということだけど
具体的にこの部分というところまで解明できたんだろうか? オシ17 2018 ← オシ17 18(台枠流用) ← マロネ49 1 ← マイネ38 1 ← マイネ37130
オシ17 18 品川新製配置→すぐ尾久へ回され「北斗」(17便系統)運用
はじめは品川で定期運用がなくなっていたスシ28を尾久へ回すつもりだった
でも、北斗を増結したいことから尾久へまわされ、北斗につかっていたマシ35を置換し、ナハネ1両の増結を実現
しかし、牽引定数上は余裕があることから1年ちょっとで再びマシ35との共通運用が始まり、「日本海(急行)」の増結およびスシ48追い出しのため18が宮原へ
宮原へ行ったときには電暖化されていなかったけど、1961年冬までには追設されて2018となった
この電暖追設工場が不明 なお、KATOがオシ17を出したとき、番号がオシ17 2018だったな、
車籍が残っていたから事故車と知らずに付けたんだろうけど 76年頃に電車急行のサハシも営業廃止になったから、もしトンネル事故が無くても
客車急行の食堂車も遅かれ早かれ無くなってたかねえ 食堂車はずっと赤字事業だった
だから日本食堂はずっと、特急も含めて食堂車を廃止したがってた
国鉄の命令で仕方なくやってた 今ならサイゼリア方式でワンオペで出来そうだし黒字に出来るかもなぁ そのうち駅や車内の便所も廃止されるかもな。
収益にならないんだから。 無理無理、冷凍モノをチンするやり方でも
サハシ787のワンオペで赤字だったんだから・・
あれがセントラルキッチン調理のサイゼリヤ方式 >>627
新幹線の食堂車が出る頃がXデーかな
それ以前でもヤバい特急あったしもっと早いか 50.3.15以後で10系寝台車を使っていた急行列車って何があるのだろうか? >>636
収益にならない非常用の水が新幹線に常備されてるの知らなそう >>639
当時走ってた寝台車付き急行全てだと思うよ
まだ銀河も20系化されてないから 自分で探して来た
だいせん、さんべ、かいもん、日南、きたぐに、銀河、越前、妙高、能登、きそ、鳥海、天の川
(八甲田 仙台以北1両)、十和田、新星、津軽(3)、おが 70年代後半のブルトレブームの補完的な存在として10系寝台急行が健在だったころが
一番懐かしいな。よくあった小中生向けの鉄道何とか百科?とかにもアレコレと掲載されてたような。。
ひと区切りつくのはやっぱ82年11月改正か。 九州特急14系化→関西ブルトレ583系化→日本海24系25形化→博多あさかぜ14系化→急行夜行だいせん20系化
音戸そのまま→上野北陸急行から寝台をまとめて長岡経由の特急北陸1往復追加
つるぎ583系化→上野奥羽系統急行から寝台をまとめて特急あけぼの1往復追加
つるぎ・季節日本海用24系25形を瀬戸・下関あさかぜへ→1本は銀河20系化・もう1本は2〜5両程度の短編成寝台置き換え改造工事(12系から電力供給・自動ドア化)
これでカヤ21化・北海道・夜行列車併結もの以外の10系寝台車は昭和51年10月でほぼ全廃可能 オハネ12に泊まれるようになるそうな
床穴空きそうなんだがな