【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
オロ11が早く消えたのはSG車ばっかりだったせいじゃなかったかなぁ、
スロ54だの62だのは電暖の2000番台が多かったからでは? 最末期59-2とか60-3前はもうメンテして無くて
福フチのナハ、ナハフで洗面所水でないとか
窓が固着して開かないとか酷かったが
53年・54年くらいまではそうでもなかったかな 洗面所の水が出なかったり、プシュプシュと出たり、窓が斜めになって、ちゃんと開かないとか、
10系に限らず末期旧客も同じ。 82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか。
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真
撮りに行ったり、現像したりしてたか。
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと
暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう。
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かった
と思う。もし行ってなかったら10系寝台の
印象が俺の中に刻み込まれてはいない。
やりたい時にやっとくものだ。
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中の
バスで国語の教師と乗り合わせて、余裕だなあ
と嫌味言われた。
結局3年の夏近くに勉強始めたし、試験勉強に
全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では
内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校
に入る事になったw 改行位置考えような
82.8.15 何してたかなあ?
中三で塾の夏期講習に行ってたか
受験でオヤジが五月蝿いからこっそり写真撮りに行ったり現像したりしてたか
成績が良ければ親の俺を見る目ももっと暖かかっただろうし小遣いも多かっただろう
そうしたら撮影機会ももっと多かったか?
しかしこっそりでも撮影に行って良かったと思う
もし行ってなかったら10系寝台の印象が俺の中に刻み込まれてはいない
やりたい時にやっとくものだ
11月14日写真撮りに行って帰って来る途中のバスで国語の教師と乗り合わせて余裕だなあと嫌味言われた
結局3年の夏近くに勉強始めたし
試験勉強に全身全霊打ち込んだわけでもなくて都立では内申点が足りず偏差値60チョボチョボの私立高校に入る事になったw >>539
博多開業で行き場なくなったからね。北海道くらいか。北海道は二重窓いるし
電暖改造するにも東北上越は新幹線がもっと早いうちに開業予定だったし
開業が伸びるのわかってたならやってたかもしれんけど、スロ62とナロ10、スロ62の方が
新しいんだよな、車体以外 82年の夏は自分は中1だったが、女子中学生誘拐殺人事件があったせいで色々な遊びの約束をキャンセルさせられたつまらない夏。
唯一小学校の頃の友人と船の科学館のプールに行っただけ。
あとはきっつい塾の夏期講習に行かされた。 日本の気象条件もあるわな、高温多湿から雪まで
スイスのEWI-IIが元になってる10系より長生きがまだ居る 高温多湿な日本の気候に合わなかったかもな
砂漠地帯だったら長持ちしたはず どうだろ?
一日での寒暖の差が激しくて、
熱疲労で壊れてたりしてな。 特に1980年代に入ると国鉄は激動の
時代になるから生まれの1年2年の差が大きい。
545氏のように1982年中一ではまだ思うように
動けなかったろう。都心部の私立中にでも
通ってれば別だけど。
模型ネタにはなるが、グリーンマックスの
プラスチックのNゲージの板キットの10系客車
とか他旧型客車とか中村精密のスハフ32リベット付きとかよく作ってた。当時は完成品はまだなくて(多分)、模型で走らせたかったら自分で作るしかなかった。値段は550円だったかで手頃で、プラモデル同様に精密に再現された側板妻板がランナーについていて作る前からワクワクしたものだった。友達といかに上手く作れるか競うようにして作るのが楽しかった。もちろん所詮素人でサッシの銀入れとかそう上手くは
いかないしそもそもキットの寸法が大雑把で太いと言うのもあって後に出た完成品にはとても及ばない仕上がりだったが、家では作って楽しみ、休みの日はなんとかして実物の写真を撮りに行くということが出来る幸せな時代だった。 昔は板キットを組むしかなかったのに今や旧客夜行列車の編成が完成品のセットで揃う時代
しかも最近の製品はドア上の等級表示やサボまでもが正確に印刷されてる始末 急行日南の10系入ってるセットはフルで買ったよ。
C57 四次型に牽かせるとめちゃ美しい。 >>550
グリーンマックスのキット、つくったなあ。
塗分けが難しいから、どうしても客車になっちゃう。
旧国なら大糸線に居た形式。
老眼真っ盛りとなった今じゃとてもできない。 老眼になったら16番ゲージおすすめ。
今はプラ製で割と安いのもある。
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org1740.jpg
このトラムウェイのオハ35戦後型とTOMIXナハ10を繋げて
KATOのDD51に牽かせると福知山線末期の特定ナンバー車が出来るんで
と思いながらまだインレタ貼ってない。機関車のウェザリングはしたけれど。 Nサイズの10系ならKATOが現状最高傑作だな
茶色がラインナップされてるマイクロエースも捨てがたいが 回客用だね。品川ー尾久間と大宮工場への回送車両の控車 あのナハフ11品川駅で見ると東京方に正面の妻?、が向いていたな、と思い出した。オハネフ25 0や100番台と同じ向き。すると帰りはどうなるのかなと思って寝られなくなっちゃった
と思ったら、裏面の妻にもテールライト付いてるのね。だからシナオクでは尻は窓付き、
オクシナでは尻は窓なし。 文化むらの車内に自由に入れた頃すら懐かしくなった
オハネ12に寝っ転がったり、ナハフ11も座ったもんだが
常時公開中止して10年位なるんだっけ 軽量客車は車体と台車こそ近代的な外観だが、AV式自動空気ブレーキや並型自動連結器、
車軸駆動式の発電機などは従来のものを踏襲したからな。それで運用上は旧型客車の一員として扱われた。 客車で110km/hを出すのは20系から
しかも、20系が110km/hでの営業運転を始めたのは1968年から
そもそも機関車が
100km/hに達したのがED72/EF70(1961)から
110km/hはEF65 500番台から 100q/hに達したのはC62
と言うのは屁理屈? 実際問題旧客と組成して走る列車は東北本線で90くらい
亜幹線じゃ80-85も出せば上等だったからね。DL牽引じゃ
ちょっと勾配あったら65キロくらいザラ。 >>564
EF65の0番台と500番台ってブレーキ管以外に何か違いある?
0番台は12系以降のCLブレーキ車を牽引しての110km/h走行は可能なのだろうか? 157 回想774列車 sage 2019/01/18(金) 18:30:45.83 ID:XHzoK1di
EF65一般型の85号機以降は確か110キロ運転可能で
一般型かぶった特急型なんだな。
20系でなく14系や24系けん引での条件だろうけど。
EF65は0番台から許容115km/h。4次車の85からは110km/h運転可能
EF66が故障したため、ブルトレをEF65ユーロ機が引っ張った事はある
EF65 113が臨時客車金星(14系座席)を110km/hで引っ張ったことはある 110キロ運転したら車軸発電機が高回転に耐えられず焼損しそうだな 訂正>>568
EF65 11「0」が臨時客車金星
4次車から
MT52→MT52A
CS26→CS26B
CS29→CS29A EF65、500番台が0番台の2、3次車相当なんだけど
一般形かぶった〜とかヲタらしい
>>569
EH1015のとき10系で120km/hやってるから。12系は車軸発電機で110km/h対応だしな 全くケツの青いバカが何かほざいているな
EF65 500番台が20系牽引時に110km/h運転を始めたのは1968.10から
それまでは20系牽引運転時でも95km/h運転
12系は1969年から
1968.10からの110km/h運転に備えて、P型の1次・2次車とも編成増圧装置と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを追加している
※F型は登場時から編成増圧装置(532〜534の3機を除く)と電磁自動空気ブレーキ用指令回路などを搭載している このボケ老人はWikiのコピペしてなにが言いたいのか >>572
細かく言うと、Fは高速貨車牽引時は単機増圧
47.3改正時に、518〜534を編成増圧に改造して20系牽引に対応
513〜517は単機増圧のまま
スレ違いなのでそろそろ、、、
もうすぐ10月6日
1971年(昭和46年)10月6日に、急行雲仙3号が火災事故を起こしている
燃えたのはナハ10ほか3両
犠牲者1名、合掌 >>572
> 全くケツの青いバカが何かほざいているな
何でこういう余計なこと書くんだろうな
喧嘩したいのか
マウント取りたいのか >>575
うそーん
513〜517は当初10000系貨車を110km/h運転する試験のため、編成増圧などの20系牽引機能で作られている
20系高速化試験も編成増圧の付いているこれで行われた
でも、10000系貨車の110km/h運転はいろいろ問題があって100km/h運転へ下げられたため、単機増圧でよくなった
しかし、昭和40年度第2次民有分518〜526(1966.2〜3新製配置)はもう作られていたため編成増圧などの20系牽引機能が付いたままで新製配置
昭和40年度第2次債務分532〜534(1966.8新製配置)は単機増圧だけの変更が製造中で間に合い、編成増圧などの20系牽引機能なしで新製配置
1966.10から貨物牽引専用となったため、編成増圧などの20系牽引機能は整備されなくなった
1968.10から東北上越へ回された時、ロット間の重連運転をするため、513〜517はCS25が改造されたものの重連運転は無理とされた
また、暖地仕様であったため故障多発
このためPF型が作られ、1969.11にそれで置換されて広島・下関へ移籍
1972.3の関西ブルトレ牽引機不足のためF型で牽引することになり、518〜526は20系牽引機能を再整備・532〜534は20系牽引機能を増設し、F型は編成増圧が全て付いた
ただ、山陽本線の線路容量不足と貨物牽引機不足により、95km/h化により関西ブルトレ牽引機はEF58P型で充分となったため、1972.10でF型のブルトレ定期牽引は終了 >>562
車内に入れた頃があったんですね
オハネ12の背もたれ兼用の中段を間近で見てみたかった 文化むら収蔵車の状態がここ3-4年かなり悪化してる。
こちら今月、左下はオハネの床下・・・
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3862.jpg
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3863.jpg
2006年、入り放題で寝台で寝れた頃
EF59-1などは2006年よりむしろ厚化粧とは言えピカピカなのだが
機関車は修繕予算も付いたりボランティア枠での保守もあるが
客車とキハ20はこのままだとあと数年で崩壊するなぁ。 初期は車内はもちろん便所も使い放題。
便所周囲の外側展示スペースがえらい事になったとか。 トイレ使えたのかw
という事はこれが
https://light.dotup.org/uploda/light.dotup.org3865.jpg
関東に越して初めて行った2003年にはもう使えなかったな。
あと雨の日は腐食対策で車内公開無しになってた。 >>579
近くに住んでたらボランティアでいくらでも修繕してあげるのになぁ >>579
11月のキハ359000のボランティア募集してたな >>581
垂れ流し管を撮影するとはなかなかのマニアだな。
自分が行った時は負圧発生装置が無かったから、軽量化の為の仕様かと思ってた。
あれじゃ逆流したんじゃないかと気になったが、既に朽ち落ちた後だったんだな… >>579
今日行ったらキハ35は補修されてるのか車両の周りに足組がされてた
機関車以外の客車やキハも補修してほしいね 一番原型を保って状態がいいのは津別のキャンプ場のやつかな?
以前は泊まれたけど今は閉鎖。撤去計画もあるらしい…
相生のスハフ42-500の利用料が無料でそちらばかり行っていたのが悔まれる。 10系に入り放題、間に合わなかった。残念。
関のナハネ20に何度も宿泊してたんじゃなかった ナハフ11なら、文化むらスタッフにイベント提案して 碓氷のクルマは頃合いを見てバッサリとトリアージされそう
10系はだめかもわからんね 機会見て交流財団の理事に進言してみるよ
見積もりは出してくれるからクラファン立ち上げもやぶさかじゃない >>597
迷惑な、おっさんなんだろうなあ。
国鉄OBや技術者でもないのに、外野から生半可な知識をひけらかして。 10系の食堂車は、例の北陸トンネルの件で
火元という悪いイメージがついてしまったから
難しかったんじゃないのかな。
漏電にしてもオシから出火したのには違いないし、
長らく石炭レンジが原因だと流布されてきてたし。 オシ17はオヤになってがらんどうが保存されてるだけまだいいか よくよく考えると電子レンジって変な言葉だよね
電気回路と電子回路の違いなんて、別にどうでもいいレベルの区別だし >>604>>606
だからさ、言ってる趣意をちゃんと汲んでくれよ。
「10系の食堂車」というマトマリに対する全体的イメージが
北陸Tの事故後に悪くなった、という部分がメインなんよ。
石炭うんぬんは「最初からオシ17の話しをしている」わけで
誤認ではなく、
「食堂車=危険なイメージがついてしまった」の話。 多分ね、加熱するのに
電気レンジはニクロム線の熱で
電子レンジは食材の水分子を振動させて発熱
させる違いがあると思う。
ただしオシ16は待ち合い席下の配線が加熱して発火したのが本当の原因だよね。車輌の不具合という国鉄自身の責任だったのを食堂車運営会社になすりつけた感がある。運営会社は国鉄に貸しを作って事後の営業権の便宜を図られたとか裏話がありそう。 オシ16が燃えたなんて聞いたことがない
どこから来たんだろう? お、失礼 。オシ17だ。急行出雲のオシ16見てたからつられちまったい >>613
出雲のオシ16はどこから来たのか?
瀬戸だろ オシ16
1962.3 1・2が大ミハ一応新製配置 5月より彗星
1962.6 3が大ミハ一応新製配置
1962.7 2004・2005が東オク一応新製配置 同月より下り北斗・上り北上
1962.10 2006が東オク一応新製配置
1964.10
大ミハ 彗星 → 東シナ 銀河
東オク 上下とも北斗
1965.10
東シナ 銀河→さぬき(後に瀬戸)
東オク 北斗→十和田
1972.3 全て運用離脱
1973.2 全て廃車 オシ16って10年ほどしか使われなかったのか
リフォームカーとはいえ勿体ないね 東急玉川線タルゴ電車(玉子電車)が腐食なんか無縁で保存すらされてるのに、同時期に製造された国鉄10系客車が散々だったのは、どういうことか オシ16 3を電暖兼用にしてオシ16全車を全て青森配置にすれば、予備車は1両で済むためオシ17を全車廃止にできた
史実は47.10改正で20系青森配置が多くなったため、食堂車連結十和田は尾久へ回されたんだけどね
47.10で定期運用オシ17
北オク 2017、2053、2054 十和田(1往復。使用2・予備1)
大ミハ 2018〜2021 きたぐに(1往復。全区間連結のため、使用3・予備1) >>617
寝台車ではゆっくりタバコが吸えないから、喫煙室がわりに使う客が多かったとかで、売り上げがめちゃ低かったらしい
急行列車の合理化が同時進行で、10両ぐらい作る予定が途中で打ち切られてるし >>618
まだ軽量車体の設計の経験値が足りてなくて水抜きが不完全だったから
153系電車なんかも壁の中に水が溜まって車体の腐食がひどかったんよ 1段下降窓の2等車→1等車→グリーン車のサロ152だけ(1979年廃車)
あとはユニット窓だから腐食は生じず、サロ153くずれのサロ110に至っては1992年まで残っていた オシ16って厨房の設備は簡便な感じだが、メニューも軽食中心だったのかな。
樹脂製?のボックス席や回転いすが並んだ食堂内は郊外スーパーのフードコートみたいだw 子供の頃、横浜から北海道行って10系寝台車で稚内行って15分で南下した覚えがある >>618
あれだって露天時代の写真見ると結構傷みが目立ってたし野田で展示されてた方はのちに撤去されてる >>623
営業時間が遅くて短かったから、酒とつまみがメインで、あとは軽食がちょっとだけ 北陸トンネルで燃えたオシ17は2000番台だったの?火災の原因となった配線はEG対応のためのケーブルは床下に張られてるんだよね?
火災の原因となった配線は社内の枝線だよね? >>629
オシ17 2018
喫煙室長椅子下の電気暖房装置におけるショートということだけど
具体的にこの部分というところまで解明できたんだろうか? オシ17 2018 ← オシ17 18(台枠流用) ← マロネ49 1 ← マイネ38 1 ← マイネ37130
オシ17 18 品川新製配置→すぐ尾久へ回され「北斗」(17便系統)運用
はじめは品川で定期運用がなくなっていたスシ28を尾久へ回すつもりだった
でも、北斗を増結したいことから尾久へまわされ、北斗につかっていたマシ35を置換し、ナハネ1両の増結を実現
しかし、牽引定数上は余裕があることから1年ちょっとで再びマシ35との共通運用が始まり、「日本海(急行)」の増結およびスシ48追い出しのため18が宮原へ
宮原へ行ったときには電暖化されていなかったけど、1961年冬までには追設されて2018となった
この電暖追設工場が不明 なお、KATOがオシ17を出したとき、番号がオシ17 2018だったな、
車籍が残っていたから事故車と知らずに付けたんだろうけど 76年頃に電車急行のサハシも営業廃止になったから、もしトンネル事故が無くても
客車急行の食堂車も遅かれ早かれ無くなってたかねえ 食堂車はずっと赤字事業だった
だから日本食堂はずっと、特急も含めて食堂車を廃止したがってた
国鉄の命令で仕方なくやってた 今ならサイゼリア方式でワンオペで出来そうだし黒字に出来るかもなぁ そのうち駅や車内の便所も廃止されるかもな。
収益にならないんだから。 無理無理、冷凍モノをチンするやり方でも
サハシ787のワンオペで赤字だったんだから・・
あれがセントラルキッチン調理のサイゼリヤ方式 >>627
新幹線の食堂車が出る頃がXデーかな
それ以前でもヤバい特急あったしもっと早いか 50.3.15以後で10系寝台車を使っていた急行列車って何があるのだろうか? >>636
収益にならない非常用の水が新幹線に常備されてるの知らなそう >>639
当時走ってた寝台車付き急行全てだと思うよ
まだ銀河も20系化されてないから 自分で探して来た
だいせん、さんべ、かいもん、日南、きたぐに、銀河、越前、妙高、能登、きそ、鳥海、天の川
(八甲田 仙台以北1両)、十和田、新星、津軽(3)、おが 70年代後半のブルトレブームの補完的な存在として10系寝台急行が健在だったころが
一番懐かしいな。よくあった小中生向けの鉄道何とか百科?とかにもアレコレと掲載されてたような。。
ひと区切りつくのはやっぱ82年11月改正か。 九州特急14系化→関西ブルトレ583系化→日本海24系25形化→博多あさかぜ14系化→急行夜行だいせん20系化
音戸そのまま→上野北陸急行から寝台をまとめて長岡経由の特急北陸1往復追加
つるぎ583系化→上野奥羽系統急行から寝台をまとめて特急あけぼの1往復追加
つるぎ・季節日本海用24系25形を瀬戸・下関あさかぜへ→1本は銀河20系化・もう1本は2〜5両程度の短編成寝台置き換え改造工事(12系から電力供給・自動ドア化)
これでカヤ21化・北海道・夜行列車併結もの以外の10系寝台車は昭和51年10月でほぼ全廃可能 オハネ12に泊まれるようになるそうな
床穴空きそうなんだがな 前の方に常磐線旧客鈍行に10系座席車あったかなあってやり取りあってはっきり結論出てなかったけど、今出てる雑誌 国鉄時代71号の44
ページだったかに、昭和57年に撮影の三河島?付近走行中の旧客鈍行の編成中に10系らしき
屋根が一両あるのを発見しますた。 と思って良く見たら屋根が色の銀色の非軽量
客車に見えなくもないorz 昭和57年は無理だよ。そのころには10系ハザ、尾久にも水戸にも仙台にもない
北陸と山陰、紀勢、九州にちょっと残ってたくらい。品川に3両あったけど 銀屋根のスハ・オハも元々無いよ
オハ46原型なんかは薄いグレーの鋼板だから・・
細いリブの線も見える
ナハ・ナハフは57年だと福フチ、天カメ、鹿ヤコくらいじゃない? 気になったんで配置表見てみた
金トヤにナハ10が22両も残ってたんだね
57-11で一気に休車となってた
天鉄局はカメじゃなくリウだった 門サキの夜行
今でもなぜ10系を選んだのか、自分の行動に理解ができない
43形に乗るよね普通は いや10系でしょ。北陸や山陰で10系ばっかり選んで乗ってた。43系はどこでも乗れたしな
そういや長崎にナハフ10の初期車いたんだよな。2002と2003。なぜか電暖車。乗りたかった
なんだかんだ言いながら30年近く使ってるんだよね
長崎駅、頭端ホームで隣に客車区あって、さくらやあかつきの14系、ながさきの旧客がとまってたな
風向きによっては潮の香がするいい駅だった。新幹線でもう面影ないけど 10系ハネでGマーク(横軽通過可)付いてたのってどれくらいの割合?
電暖車のいないオハネ12はいなかったんだろうけど、スハネ16の電暖車にいたのかな?
「越前」にオハネフ13が入ってたのは横軽の為に重い車両を嫌ったみたいな話を聞いた事があるけど真偽は不明。 >>658
金フイに10系座席車がいた頃の越前はスハネ16が越前に入っていた
座席車の43系化に伴い横軽の定数超えないように寝台車はオハネフに置き換えた 昨日また見たらやっぱり10系に似ている。
後ろから2両目で窓が他より少し大きい。
屋根の色が全然違う
いったい何なんだ?ウワワワワーン 652-654氏ありがとう。
オハ46見てみた。これぽいね。明るいグレーの
鋼板屋根、屋根下に目立つ雨樋、アルミサッシ化されていて窓が大きく見える。10系に見えてもおかしくない!、と言ってみた。 >>661
>>662言うように良かったらUPプリーズ
時代的に急行だとオハ46の体質改善車(アルミサッシ)が
結構な両数まとまってあるから可能性は高いと思う あ、常磐の普通だっけ・・・それでも43系の可能性が高いな 北オクにいたよね、オハ46
朝の客レは北オク持ちだし >>666
ありがとう、間違いなくオハ46ですね。綺麗なグレーに塗られた屋根
あと特徴で雨樋が鋼板製で細く木製2段の他車よりやや屋根が低く見えること
ただこれはアルミサッシ車じゃないですよ、光の反射で窓下端は光ってるけど
ウインドヘッダーがしっかりあるすぐ下は濃色、木枠窓だと思う。 カンケー無いが、バンダイミニミニレールでナハ10を模した客車にすごく萌えた記憶がある。
まだまだ鉄模はHOが主流で高貴な大人の趣味で、そのなかでなかなかのディテールを誇ってた
ミニミニレールは遠い記憶の宝物である。 >>667 ありがとうござんす。。
いやはや現役の頃知るいい歳した世代なのに
面目ない。自分が旧客ってだけで如何に雑に区分してた 子供向けの入門書にスイス風の側窓配置と紹介されていたが
スイス風を汲み取るのに時間がかかった 幼児向けはしらないが、スイス風というのは、見たことが無い。
低学年向け以上で、ヨーロピアンスタイルや、ヨッロッパ風と書かれていた。
窓配置だけでなく、スハ43系などの切妻に対して裾の絞りがあることや、
全体的なスタイルを指しているようで、
国鉄設計陣か広報の誰かが言い始めた言葉ではないかと、思う。 実際スイス風というのが一番しっくり来るよ
欧州の他の国の車両は上段下降二段窓か上部中折れ窓
スイスのEWI EWII等の軽量構造一段窓車体が最も似てる
https://www.vagonweb.cz/fotogalerie/foto/201101/P1080601.jpg まぁそもそもその設計した人がスイスに視察に行って、パクっ…参考にして作ったのが10系だからな
著作にもそう書いてるし、言い始めたとかじゃなくてそのままなんだよ 無断のパクリじゃなくてちゃんと金を出して買ってる
下降窓そのものがスイス製
同じく1枚下降窓を採用した近鉄8000系電車も同じスイス製の窓パーツを採用してる 下降窓と言えば映画の名作、ひまわり のラストシーンじゃないのー。 そのままぱくったナっちゅう。
今この時代まさかのアップツゥデイトな映画作品 ナハ10系とかの座席車って、旧国の全金300番台みたいなちょっと中途半端な感じ。
新素材多様の内装で軽快で明るく、旧型の古びた味わいがない。
かといって足回りや全体のアコモが洗練されてる感じはない。まあのちの車体設計に大きな影響を与えたし
役割としては記念すべき車両なんだろう。。 ニス塗り白熱灯が好きなんていうのは後年の旧客末期のファン心理で
昭和30年代は明るい内装と蛍光灯が近代日本の象徴だらかねぇ
家屋だって暗いのが当たり前のところに鉄筋コンクリートの団地が
もてはやされたような時代・・・
木のぬくもり、ってのは平成以降の贅沢な感傷なんだと思うよ うーん、電球色の方が侘しくないか
個人の感覚の問題だけど ホテルの部屋、ファミレスやラーメン屋など以外の飲食店
高級旅館は白熱灯色なんだがな 蛍光灯より白熱灯の方が料理がきれいに見えるって聞いたことがあった。 昭和56年熊谷駅で見た秩父鉄道の電車の内装が
ニス塗りなのに軽いショック受けたな。
なんの、常磐線にはまだ旧客のニス塗りがまだ
残ってた。ほとんどはグレーの塗りつぶしで
10系客車と大して変わらんという感じ。 >>685
ルクス・カンデラ・ルーメン・ケルビン・・
そこんとこ詳しくないが、
実際に白熱オレンジ色のほうが光源の伸び?みたいなものが良いらしい
例えるなら、同じ声でも「よく通る声」みたいな感じ
だからかつては道路のトンネル照明がオレンジ色が主流だった >だからかつては道路のトンネル照明がオレンジ色が主流だった
てんかん持ちでは無いが、あれちょっと苦手なんだよな >>686
昭和56年ならまだ各地にニスのローカル電車あったから別に珍しくない
秩父100系は平成元年までいた事が凄いだけ >>688
もうオレンジ色のトンネルは今や少数派じゃね?
よかったね せめて耐候性高張力鋼板で製造すべきだった
国鉄での本格的な初採用が新幹線0系だった 乗用車の前照灯は
一時期は白色全盛だったけど
今は電球色に戻ってきたね。
電球色のほうが後年に出てきたんだっけ? 塗りつぶしというと聞こえが悪いが、効率化のためには意味のあることではある 昭和30年代の車両も鋼板の耐久性の技術が未発達だったのか20年ちょいで廃車されたの多い
今のやつはきちんと手入れすると40年以上は持つ >>698
それもあるし、材質や構造設計とか
どれも発展途上にあったからねえ 地方私鉄に売られてたら良かったけど
買い手がなかったからねえ