流線形機関車EF55を語る [転載禁止]©2ch.net
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たった3機しか存在していなかったEF55を語ろうぜ!! こういうの(知名度はあるが、活躍実績の低い車両)より、
湘南形の80系や157系とか残して欲しかったなあ。 いや〜ん、バックは苦手なのぉ…。
ダメダメ〜ん、ゆっくりと〜☆お・ね・が・い♪ そう言やぁ誘拐されたトニー谷の息子が長野から帰って来る時に乗った列車ってEF55が牽いてたんだよな。 しかし、故障で運用離脱する前のムーミソとか人気なかったじゃん。
群馬県民号とか撮りに行ったけど撮ってる人も少なかったし。 >>3
日本人はキワモノを残したがる。
珍しかったり、復元車みたいなものばかりを残して、
地道にある時代の顔だったような車種を残さない。 EF55等の旧型電気機関車の場合、営業運転から引退した頃、郷愁が感じられる車両としての価値があったから保存車が生じたってわけで。
80系や153系が引退した頃、郷愁感じる者はあまりいなかったんだよなあ、マニアは除いて。
最近、鉄オタが増えたから165系のような国鉄型電車を保存するだけの価値が生じてきたわけ。 89歳になるうちの親父だが、少年のころ岩本町住まいで、近所の神田の高架上に長い時間留っている列車を飽かず眺めていたそうだ
その列車には流線型の機関車が繋がれ、「急特」とか「関下」とか看板が出ていた。と言っている。まだ生きてるけどききたいことある? 本当に空気抵抗を減らそうと思えばもっと傾斜をきつくしたらよかったんだな >>14
ちがうと思う。珍しいほうを残したがるのは日本人の性。
復元車ばっかり残した大阪市電とか。
ヲタだけでなく多くの人の記憶にある末期の姿を残していた
綺麗に保管してた最後の1両までをも明治期の姿に復元して
状態のいい末期のままの車はアメリカの1両だけというお粗末な京都市電
状態のいいのはまだ1両あるが、やっぱり明治期の色に塗り替えさせられてある 戦前流線形ブームに登場した一連の鉄道車両群はどれも好感持ってるのだが
このEF55だけは・・・綽名にあるように「ムーミン」、つまりカバ的な冗長感が拭えないんだよなあ 自分的にはC55が今一つスマートさに欠けるように感じる。
EF55やC53の方がまだいい >>17
>>24
でも戦前の流線形ブームの時の日本の車両は何故かどれも今一つ徹底していないよね。
それはそれでデザイン的に絶対ダメとは言わないけど、空気抵抗を低減させるという実用面での効果はほとんどないし、
同時期の諸外国の車両や満鉄パシナの例を見ても当時の日本の技術でももっと徹底した流線型にする事が不可能というわけでは
なかっただろうにどうしてなのか疑問が残る。 >>28
そりゃ、現場がやりたくてやった仕事じゃないからだろ。
どこかのお偉いが「外国ではやってるから我が国も」って言い出しただけだろ。
島安次郎自身、C53改造のときに、効果が薄い、意味がないって言ってるぐらいだから。 長大編成を率いて先頭に立つと編成美は保てる。
単品で見ると不格好になる、ということかな。 >>30
ただ当時は編成美といえるほど鋼製客車の数揃ってたのが東海道くらいだったのがね
(山陽や東北・常磐の急行、長距離普通でも一部にオハ31系や木造車が入るような編成だった) >>29
秀雄だろ。
蒸気の場合は排煙を考えるとこういうのもありだけど、電機の場合は排煙
考えなくていいから、弾丸、卵型が正解かと。後年のEF66までは無理として
ももう少し意匠に気配りしてほしかったな。 限らないというか、ほとんどが格好悪い
現代の感覚で当時を判断するのがおかしいという批判は受け入れる 先頭部が傾斜する分スペースが無駄になります罠
鉄道輸送に質より量が求められた時代には合わない
定着しなかったのは必然 上手い。
この電機のごとく、意気込んで企画したものの出来栄えが当初の方向性と180度違うというのは
仕事ではまあまあある話 機関車で流線型というとEF55よりもC55の方がやっちまった感が強い 所詮昔の機関車だもの、時速80キロほどを出し切るのが精一杯の性能だったからな。
平均で50キロほどで走るのがやっとだ。 ムーミンとかカバとか書かれているけど(ここで言っとくけど「トーベヤンソンさんごめんなさい」)、『靴のお化け』とも呼ばれていた。 ノソーっとしてるところがEF55らしくていいわ
ムーミンをアダ名に考えた人はえらい リンク
「大地の汽笛の陸蒸気の走行性能は最高で時速45キロ。
平均で時速30キロ弱だった。
窓全開でトンネルに入ると、陸蒸気の煙突から出る煙に巻かれて真っ黒になるもんな…。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています