実現しなかった準備工事
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
キハ56・27-200番台の冷房準備蓋
AU13を取り付け可能な構造だったが結局冷房化改造されなかった
快速ミッドナイトはサブエンジン方式で冷房改造されたために冷房準備蓋が使用された車両は存在しない 107系の中軽井沢、小諸、上野の幕
横軽ら物理的に無理だとしても、上野には来たことあったのかな? >>902
それだと、岡オカの115系も元は左側に●が入って横軽対応済み。 小山に配備された最初の両毛・日光線向けの0番台はやってない。横軽対応してたのは新前橋の両毛・上越・吾妻・信越線向け
100番台グループ。信越線は横川まで行ってたがそれ以北は最後まで行くことはなかった。
ちなみに新前橋は横軽本来非対応の165系や185系も対応していた。
165系と185系は横軽最終日に本当の最後の列車になる。 >>907
微妙に協調運転と、そうでない運転での通過と勘違いしてないか? 車両標記の●印があれば、通過可能という意味だけ?
協調運転可・不可は、どう判別するの? 車号には特に表記なしでしょ
Gマーク(●)が書かれているだけ >>910
> 車両標記の●印があれば、通過可能という意味だけ?
> 協調運転可・不可は、どう判別するの?
協調可能なのは
169
189
489
型番で識別
但し、各々が
165、167、153、155、159
183
481、483、485
と併結できるので、編成組成の際にウッカリをやらないような管理が望まれる EF63には協調形式でないジャンパ線のチャンネルがいくつかあったがほとんど使わなかった。
キハ82とキハ57のチャンネルが付いていたんだよね。
普通列車用の115系は専用チャンネルに付けていた。165 185も専用チャンネルに接続したような。 >>913
通過しなくなってもその後の新製EF63についていたという意味かい?
形式としての使用実績はあったと思うよ。 >>913
181系と185系は165系用に接続だよ
>>914
キハ57やキハ82のいなくなってから製造された3次車はそれら用は未装備なんだよね 近鉄3000系、西武6000系6101F・6102Fの地下鉄乗り入れ対応化
前者は京都市営地下鉄烏丸線乗り入れ用として新造されたが、烏丸線と近鉄京都線の
直通運転が当初の計画より大幅に遅れたため、近鉄の地下鉄乗り入れ車は3200系となり
、一度も地下鉄に乗り入れないまま数年前に廃車となった。
後者も、営団地下鉄有楽町線への乗り入れ用として新造されたが、有楽町線と西武池袋線
の乗り入れ開始の際に西武新宿線に転属して、運転台機器が6103Fと一部異なることから
副都心線・東急東横線直通対応も実施されず、引き続き西武新宿線で使用されている。 西武6000系は池袋線・新宿線同士で地下鉄乗り入れ対応型と対応出来ないのとを編成ごとトレードを
やらなかったっけ?。入曽(新宿線)と小手指(池袋線)同士でかな。
東武も9000系の9101Fがホームドアに対応不可で本線専用化されたし。 >>917
近鉄3000系の場合は仮に京都〜竹田間の開業が早くても乗り入れ用車両は別系式になっていた点は否めない
理由として
・同系は真ん中に貫通扉があるので京都市交の運転士に嫌われると思われる
・当時全ステ車体の特許を持っていたバッドの特許に触れない範囲で試作した近車の全ステ車体が同社に特許使用料を支払って製造するよりも高価だった
・そのバッドにライセンスを結ぼうとしても日本に対しては東急車輌以外契約しないという方針だったため不可能
・3000系登場の翌年東急が開発した軽ステ車体を量産化したが、当時はそれも特許技術だったため近鉄の子会社である近車を裏切って東急に製造して貰う訳にはいかず、軽ステ車体といえども軽さはまだアルミ車体に及ばない
ただその時点でもVVVFは試作車すら登場していないかったから電機子チョッパは採用されていたと思う
地下鉄乗り入れ対応車でも東急8500系、京王6000系、都営浅草線乗り入れ各社のように界磁チョッパはあったが、京都市営地下鉄では抵抗器を使う車両は厳禁だったため高速域からの回生制動に難のある電機子チョッパにせざるを得なかった
まあ直通開始延期のおかげでその間にVVVFの量産化が実現し、乗り入れ用車両にもVVVFを採用が採用されて電機子チョッパ車の増備は回避できた
しかもVVVF量産車第1号も3200系である 920削り忘れ
VVVFを採用が採用されて
↓
VVVFが採用されて >>918
東急9000系は目蒲線(→目黒線)と営団地下鉄南北線・都営三田線との直通用としての
位置づけで新造された。(新造された1986年当時の鉄道雑誌の記述から)
しかし、ワンマン化などの理由で目黒線には3000系が投入され、9000系は地下鉄直通には
使用されなかったが、その後東横線とみなとみらい線の直通運転開始により、地下鉄
乗り入れ対応の仕様はとりあえず活かされた。
>>919
西武池袋線と営団地下鉄有楽町線との直通開始直前〜直後に、池袋線と新宿線との間で
6000系と9000系の入れ替えが3回ほどあり、地下鉄乗り入れ非対応の6000系は新宿線に
集められたが、6101F〜6104Fの4本は一時的に池袋線に戻り、その間はスカートに地下鉄
乗り入れ非対応を示す「S」マークが貼り付けられていた。副都心線乗り入れに伴い、
6101F・6102Fを除く地下鉄乗り入れ非対応車は対応化されて池袋線に集められた。 みなとみらい線は山岳トンネル扱いだから、地下鉄スペックは反町〜横浜の僅かな区間のみでしか活用されなかったわけだな 最近の西武は不要と感じるなら真っ先に潰すのが得意だから、6000系先行車の廃車は十分考えられるぞ
↓不要と判断されて捨てられた車両
・3000系
・新2000系VVVF車
・9000系(予定) >>923
> みなとみらい線は山岳トンネル扱いだから、地下鉄スペックは反町〜横浜の僅かな区間のみでしか活用されなかったわけだな
一部区間でも活用されたならばスレチ
それに、大都市内は断面が大きくても地下鉄並みの規制がかかるんだよ 東急では、8000系も当初は新玉川線・営団地下鉄半蔵門線直通用としての位置づけとして
地下鉄乗り入れ用の仕様で新造されたが、営団との直通運転に関する協定の見直しにより
新玉川線・半蔵門線直通用の車両については改良型である8500系を投入することになった
ため、8000系は東横線と大井町線用の車両として新造が続けられることとなった。
しかし、8000系の一部の車両は8500系の中間に組み込まれて新玉川線・半蔵門線でも
一時的に使用され、東横線所属の車両の多くは上記の9000系と同様に、東横線とみなと
みらい線の直通運転開始により、地下鉄乗り入れ対応の仕様は活かされた。 つまりは8000(新玉川・半蔵門直通目的)も9000(目黒・南北・三田直通目的)も当初目的から外れた運用で使い続けたってことか。 >>926
>大都市内は断面が大きくても地下鉄並みの規制がかかるんだよ
これについて具体的に教えて 東京トンネルは地下鉄のふりをしてただけだな
わざわざ貫通路付き特急183系を作ったりしたけど、実は貫通路は要りませんでした >>930
ATCだったのをATS-P化したってのもね(ATS→ATC化は国鉄時代にそれなりにあったけど) 113-1000'番台のTcで、結局ATCを付けずに終わった車両ってどれだけいたんだろう…
東京地下駅から撤退した時点で、ATCの必要性がなくなってたし、
その後の地下区間のATS-P化で、後になって「1000'番台・1500番台として製造した意味が
結局はあったのか?」って状態にもなってしまったけど… >>932
> 113-1000'番台のTcで、結局ATCを付けずに終わった車両
多分いないと思いますよ
横総直通前に総武快速の中間組み込みクハにCの標記が無い車もあったけど、直通のためのサロ組み込みとかしてたときに、C無しは見なくなったのでねえ
当時はマリの房総ローカルに1000'は、4連付属を回す以外には多分なかったんじゃないかな
今と違って一両単位の組み換えがあった時代だから、C無しが何両かいても困っただろうし
編成単位で管理してたら、付属編成の奇数向きクハにはCは不要だったけどね
> その後の地下区間のATS-P化で、後になって「1000'番台・1500番台として製造した意味が
> 結局はあったのか?」って状態にもなってしまったけど…
あったでしょ
現在から過去を見たらそう思うだろうが、総武快速運転開始から見ていると、当時はPなんて考えられないし、Cは十分意義があった
下り錦糸町入線でCのブレーキでゲツゲツ鋸ブレーキで、フラットを作りまくったことを除けばね
錦糸町まで問題なかったクルマが、錦糸町出た途端にフラットでガタガタなんてよくあった
そういや、今のクルマはフラットにならなくていいねえ >>933
世代交代等で、ATC車としての本来の役目を終えた…と言う意味では、
103系ATC車にも通ずるところはあると思っているけどね
113系・103系での運用を通して得られた様々な苦労が、
今の各形式の技術等にも繋がっている…ともなるんだろうけど
良い意味での「発展的解消」なのかもしれないよね
113系(1000')の場合、冷房準備車も最終的には全てAU75で冷房改造されたけど、
115系1000・2000番台は、全車両が本来の姿で冷房改造された訳ではなかったのも
色々と興味深い結果になったと思うけどね…と、このスレ本来のネタに戻すw 勢い余ってもう一言
横総直通前の総武快速、僅かだが13両編成ってのがいましてね、9両編成プラス4両編成でクハのサハ代用もなかったんだが、冷房準備の頃は編成が綺麗でね
サロ組み込み前に冷房化されたら屋根の凸凹に幻滅 >>933
183系と一緒に出た奴はATC(準備を含む)、冷房準備工事、汚物処理装置本設、ユニットサッシ窓で出たけど、
その前の1001を含むグループは0番台をA-A基準準拠にしただけで何も付いていなかった。
中間車はわからないが、このグループのクハでATCを追設して地下駅に入った車はなかったと思う。 >>930
1972〜74年に製造されたクハ183-0番台は前面に貫通扉が設置されたが、1982年に製造・
改造(されて転入)したクハ183-1500番台は前面非貫通。
>>932 >>933
この件については>>500にて既出。また、1000・1500番台についてはA-A基準(難燃対策の
強化・M車は主ヒューズの屋根上への設置など)に適合させたため番台区分された。
>>936
この件については>>504にて既出。113系の先頭車で非ATC車にATCを取り付けた車両は
いない。 >>927 >>928
小田急2000形も、地下鉄千代田線への乗り入れをも考慮して製造されたが、未だに千代田線
には乗り入れていない。(RP誌1999年12月臨時増刊号「小田急電鉄」特集の中の記述から) 3連投スマン
阪急京都線の前身である新京阪鉄道は1928年に天神橋−西院間が開業して、さらに
名古屋までの延長が計画されていたため、旅客列車だけでなく貨物列車の運転も計画
されていた。そのため、西京極駅付近に貨物駅を設置する計画もあったため、現在でも
駅の周囲には、用地・架線柱・本線から分岐する鉄橋などにその名残がある。 地下区間のATS-P化の関係で
クハ183の0番台がモハが長野や松本の転属車に置き換え始められていたころも
クハだけは置き換えがあまりなかったな 1000は運転席が狭くて、貫通時に助手席側が折りたたまれる仕様だからATCの設置は無理だったね
1000'は新製冷房車仕様だから色々違ってる >>930 >>937
クハ183-0番台の前面貫通扉だが、後年に一部の編成が9両編成→6両編成化されたが、
多客時にはこの6両編成に、他の6両編成を2分割した3両を増結して9両編成で運転された
際に連結された中間車と幌で繋ぐため使用されており、取り敢えずは一応活用されている。
クハ481-200番台も九州では、「かもめ」+「みどり」の併結時には、肥前山口以東で前面の
貫通扉を開けて幌で繋いでいた。 かもめ・みどりは8+4両編成で、貫通幌は使っていなかった。
なんか、国鉄も遠くなりにけり、というか、訳分からんことを言う奴が出てくるんだな。 >>933
>113-1000'番台のTcで、結局ATCを付けずに終わった車両
新製時に付いていない車両はあったんじゃないか、後に全車付けたんかなあ。
横須賀総武直通寸前、1000'で「房総ローカル」専用の6連があった気がする。
>>935
1980年初夏、東京から君津行の快速に乗ったとき、非冷房13連だった。
冷房使用の時季だったので、正直がっかりだった。
スレチすまぬ。 >>943
たった2年弱の「くろしお」運用でなら、485系200番台の貫通幌は
しっかり活用されてたけど…但し相方は先頭車化改造されたクハ480
あとはその後の「スーパー雷鳥」「しらさぎ」、臨時での「シュプール」
「シュプール」では、583系の貫通構造もようやく活かされるようになったってことで
(そのために貫通部の整備をしたそうだけど) >>944 >>945 >>947
ご指摘ありがとうございます。過去に鉄道雑誌にて485系の先頭車が向かい合って連結され
、貫通幌も繋げていた写真が掲載されていたのを見た記憶があり、「かもめ」+「みどり」かと
今まで思い込んでいましたが、おそらく、>>947氏が仰る「くろしお」の写真だったようです。
誤記&お騒がせしまして大変失礼いたしました。 >>947
雷鳥やしらさぎやシュプールに関しては北陸トンネル通過の関係もある 北陸トンネルは長大トンネルではあるが、どういう規制の根拠があったのか、
具体的に示されたい。
ヨタ話にならないように。
非貫通の485系が通過していることも、お忘れなく。 >>951
北陸トンネルの長さで貫通扉必要だと新幹線に貫通扉付けないといけなくなるよなw 編成の前後から退避することと隣接車両に退避することの区別がついていないな。 583(581)だと、東の車両や改造車(419・715)だと
前面貫通路は「結局使われずに終わった」ってなるけど、
西の一件があるだけに「系列全体としては、本来の目的を果たした」ってことに
なってしまうのがなぁ
485-200で"実現しなかった"となるのは、一部車両に試験的に設置された
「電気連結器を使っての」連結運転ってことになるのか
連結運転自体も貫通路の使用もされてはいるだけに しらさぎのクモハと連結していたクハ481-200は?
クモハ側が切妻貫通路電連持ちだったから貫通路開けて電連で繋がっていた認識なんだが
まあ電連装備自体は国鉄時代のものじゃないけど >>956
それがあったか!(183系化でも活かされてたよなぁ、それ…)
"実現せずに終わった準備工事"で片付かず、
車両によっては、実物の登場から20年以上を経て
"準備対応が結局は実際に使われた"ってことにもなりうるのは
色々と面白い&興味深い話であると思うけどね >>920
地下鉄乗り入れの界磁チョッパ車は、小田急9000系もそう。
あと、名鉄100系の一部は、界磁添加励磁制御だが、抵抗制御ながら回生ブレーキを使えるという意味では共通している。 半蔵門線が東武伊勢崎線、日光線と相互乗り入れが計画された時、東武では、当初は10000系の地下鉄乗り入れ改造を計画していた。
しかし、そうなると、莫大な両数の改造をしないといけないため、最初から乗り入れ対応の30000系を作った。
あと、素朴な疑問だが、10000系を地下鉄乗り入れにした場合、半蔵門線、田園都市線の車両限界に引っかからないか(そのため、東武、東急とも、東横向け、田園都市向けの2種類の車両を作っている)。 >>955
> 485-200で"実現しなかった"となるのは、一部車両に試験的に設置された
> 「電気連結器を使っての」連結運転ってことになるのか
> 連結運転自体も貫通路の使用もされてはいるだけに
貫通ほろの自動化も試験したけど、ここでは実用化しなかった。
この頃のクハ481-200は準備工事は行っていたかな? >>959
半蔵門・田園都市線は東西線や千代田・有楽町・副都心線と比べてトンネルが小さいんだよな。
だから5000系の冷房改造で車両不足の時期に暫定的に8000系を東西線に入れた時期があったが
東西線の車両を半蔵門・田園都市線に回せない。
ただし8両編成の8000系初期編成の10両編成化増結車は05系車体だが。
07系もホームドアの関係で副都心線に使えず車両限界が大きくて半蔵門線にも回せないし、06系がある
千代田線も16000系が入るのでもはや東西線しか行き場がなかった。
仮に日比谷線の20m大型車化がもっと早かったら7両編成化して日比谷線もあり得たが。 >>961
"恨むぜ東急"まで読んだ
東急と東武が、戦前から1つの会社だったら… >>963
五島が銀座線の一部となってる渋谷〜新橋を東京高速鉄道を作った時に既に浅草から伸びてた
東京地下鉄道と直通を画策したが、実際には東京地下鉄道を乗っとって自分のものにしようとしたからね。
しかも喧嘩両成敗で国が営団地下鉄にさせた際に東京に地下鉄を作った創設者を役職にもさせなかったし。
しかも東京高速鉄道の100形は東京地下鉄道の1000形より性能が高かったらしいし。
東京高速鉄道の100形はMGがあったので1000形みたいに駅直前に室内が真っ暗にならなかったし。 >>959
10030の6コテのサハ、電装を考慮して作ってあるんだよな。
最初の数編成を除いて電動台車を履いている。
その理由がまさに半蔵門線直通車両への転用考慮なんだが。
旧新玉川線区間(だったっけ?)で小改良をしないといけないところがあったから
結局車体幅の狭い30000を作ることに。
大した工事じゃないんだけどなぁ、ってのは館長の意見。
本当に小改良で済む話なのかどうか真偽は不明。
小改良で済むんだったら、東武乗り入れを機会に車体幅を数センチ広げて
1両あたり数人余計に乗れるようにしておいた方が、今となってはよかったのかも。 >>966
だったらYF線直通対応にしてしまえ…とは思うけどねw
"豊住線"が開通する頃になったら、TJからミクリへの検査入場を容易にするために
本当に実現してしまったりして… >>966
むしろ最近まで4M2Tだとばかり思い込んでた。
1M車にもパンタ2個付いてるし。 新玉川線の幅は
確かにトンネル側のアタリを取った方が
良い気がした 半蔵門線のトンネルでは、終点の押上駅の折り返しホーム(2番線・3番線)の先端(曳舟方)
が計画されている亀有・松戸までの延伸に対応して右にカーブしている。しかし、東京メトロ
では副都心線の開業をもって新規路線の建設を終了すると発表しており、半蔵門線に
ついても「全線開業」と既に公表しているため、延伸のめどは立っておらず実現する可能性
は低い。
住吉駅は、豊洲からの有楽町線の支線が合流する計画のための準備工事がされているが
、こちらは「豊住線」として計画が出ており、近い将来に実現する可能性が高い。
>>961
87年に東西線に暫定的に8000系が投入されたのは5000系の冷房改造工事の予備ではなく
、7両編成10本→10両編成7本への編成替えに伴う不足分の補充用。当時の営団地下鉄は
車両の冷房化を実施しない方針だったため、5000系は全車非冷房車でこの暫定投入された
8000系3本も冷房準備車だった。当時、05系が設計途中の段階でこの5000系の7両編成→
10両編成化の不足分の補充のための投入には間に合わなかったため、半蔵門線半蔵門−
三越前間延長開業用の8000系増備車84両中の30両を先行して製造して暫定的に東西線
に投入して、翌88年に05系の新造投入に伴い半蔵門線に転用した。 >>970
東京メトロが、今後の新規開業はないというのなら、豊住線の運営主体はどこになるのだろう。
都営か、大手私鉄か(有楽町線、半蔵門線とのつながりから見て東武か)、あるいは、3セクの新会社か。 大江戸線の10両対応ホーム。
新宿駅では、代々木寄りに2両分のホーム用地がある。
大江戸線ネタをもう一つ。
新宿駅では、新宿線と大江戸線の乗りかえ口に中間改札を作る予定であった(管理会社が異なるため、新宿線…京王、大江戸線…都営)。
自動精算機取り付けスペースや、駅員用事務室がある。 >>972
いつも混んでるし、ドル箱なんだから用地あるなら伸ばせばいいのに 上下分離でしょう
建設主体を都にしてメトロが営業とか >>972
12号線(時代)の新宿開業直後、12号線から京王のホームに
ラッチ内経由で行くまでに、相当歩き回った記憶が…
後になってどこか1か所連絡口を開けてくれて、楽になったって記憶があるんだが >>976
その連絡口っていうのは、京王3番線の八王子寄りにある通路かな? >>977
いや、今の大江戸線から京王新線口コンコースへの連絡通路
最初、B4Fが仕切られてたような記憶が…
それが>>972で記された箇所だったのかも
仕方ないから新宿線ホームに階段で降りて、
長いエスカレーターを上がって、京王新線・都営新宿線のコンコースに出て
京王線新宿駅の3番線に行った、って感じだったかな
これも20年近く前のおぼろげな記憶なもんで 国鉄オハ50系のAU75冷改対応屋根と、
マニ50形の乗務員室AU13搭載対応はがいしゅつ?
マニの屋根はそのために30ミリ低い。 マニ30ならともかく50で積むなんて車掌のためだけに発電エンジン積む気だったのかしらぜいたくな
かといって冷房電源を電暖回路から取りたくても冷房要りそうな西にはEG搭載電機ほとんどいないだろうし
スユニだったらユの区分室改善ってお題目付きそうだが(郵便荷物合造車の郵便室に冷房付いた車両ってそういえば聞いたこと無い) 郵便車は全て郵政省所有。
郵便荷物合造車は全て国鉄所有。
と書けば、合造車に冷房がない理由も分かるな? それは百も承知
その上でお客様でもある郵便室ほったらかして車掌冷房付けるかねと 40年くらい前に作られた西鉄大橋駅の12両対応ホーム 連結するかもしれんやろ(12両対応だったんかいあれ) >>986
今は7両
昔は8両の快速急行が走ってた でも、12両想定って、おかしくない?
他の駅が準備できていなければ、意味ないでしょうに。
バブルの遺産? 恐らく長大編成というよりは1つのホームに2本停まれるようにするための12両化だと思う
西鉄で12両編成はありえない う〜ん、そんなダイヤ組めるかな?
朝の上りで過密でも、そこまでなるかな。
入換信号機使うのか。 高架だから追設できないから念のためにやっておいたのではないのか >>983
12両対応なら隣の高宮駅もじゃね?
西鉄繋がりで言えば、
8000の3両目と4両目の間の連結器だけは
7両8両へ増車可能対応の通常の連結器だった。 京成の上野と青砥は10両分ある
初代AEとかあとから中間車入れる為に
番号あけてた 日暮里と船橋も柵を撤去すれば10両停まれる。
京成は千原線複線化用準備工事済み施設っていう、盛大な施設を持っているが。。。 北総線の広い掘割、使ってなかったところは今メガソーラーになってるんだね 999
次の方どうぞ
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