【東京急行】懐かしの東急沿線風景 Part.2
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>>2
入れてもよいですので、何か7915にまつわるエピソードなどお願いします。 8000系2パンタ車
田園都市線終日4連化用だったかな >>2
東急初のIGBTインバーターとシングルアームパンタ搭載 先行落成した7815を組み込んだ7912Fの変態っぷりも楽しかったね
パンタ畳んでTc代用とした7712の車内で、空回転するモーター音に耳を済ませた >>6
7912Fがワンマン改造開始後は7902Fに組み込まれ7702がTc代用になった 7915?は、その姿インパクトと云い正味10年ソコソコしか存在しなかったので後世のマニアに迷車として語られそうだな。
これとか8001は社内で残せないならフロントのみカットしてマニア向けをしても良かったような気がする。 総合車両の保存車は7052保存なら8001保存して欲しかった。
ちなみに大井町8000の生き残りは8049と8003F すまん、ちょっと知りたいんだが
保存車って税金掛かるの? 静態か動態かによる
償却が終わり廃車手続き後 静態保存されたものに対しては保存物そのものへ課税はされない
動態保存の場合は当局が資産と判断すれば課税されるし、維持費に予算を組むのであれば株主の理解が必要だ 「東急時刻表」の索引地図に、お手洗いのある駅の記号があった時期があった 平成二年ぐらいまで池上線走っていた車両は
なんて言う型式? 引退後折角 東急車輛に運び込んだ 最初の製作車両80形と伊豆急100形は結局解体
そして渋谷の路頭に放り出された5000 この間に何かあったのか? 深刻な経営不振による債務整理
もはや保存などに金を使う余裕すらなかった
鉄道会社は付加価値の高い優等列車製作で収益を上げるもの
通勤用車両製作のみでは構造的赤字体質になるのは必至
すれ違い須磨祖 ステンレスがバッド社との関連で独占出来てたが、205作った時当時の国鉄から川重や他の車両会社にその技術渡せ、のお達し命令あってから傾いたもんな。今ならパテントで大問題だ。国鉄もひでー事やったもんだ。他の車両会社は、良い思いしたな。 実に面白いスクープな動画です。
この動画に高評価をください。
京王線の女性専用車両内で起きた事件のスクープ映像で
痴漢被害を受けるわけがないようなブスな女が男性客を追い出そうとするという、
なんとも本末転倒な珍事です。
http://www.youtube.com/watch?v=7QyHmAe2c-0&list=PLzeFCSP7xRziIIipBhtKgGQ-aCrLXq8Hi
男性のお客様に対して接客精神に欠けた無礼な車掌と
下品な女の暴言をご覧ください そのステンレスの技術を外国に転売したメーカーもあったとかなかったとか 川重だな。結局、国鉄のバカ管理者のせいで、ステンレス技術が垂れ流し、やった本人達は高額退職金かよ。この国滅ぶな。 >>22
東急にも信託車両あったのか
営団N1500は知ってたが 東武でも見たことある >信託車両
返し終わればプレート外すだろうもんなぁ 信託車両。確か小田急のSEから始まったハズ。当座の金がない昭和30年頃は天の声。 信託車両。返すまで自社所有じゃないからな。税金の面では有利だけどな。もっとも朝、夕だけ出払って昼間寝てる車両に、税金かかってるの考えはな。阪急は売っぱらってリースだっけ。 伊豆急とか相鉄にも一時期リースがあったらしいが、車両にはその旨の表記がなかったような。 デハ3501はサレジオ学院に寄付せずモハ1001に復元すべきだったと思う >>35
海坊主前に復元して、電車とバスの博物館入りさせて欲しかった。 海坊主
あの醜態はなんだったのだろう?
何かの罰ゲームか!?
まあ当初の設計通り、貫通扉の上に行き先表示機を設けていれば、もうちょっと格好が付いたんだろうがなあ・・・ ライトユニットを装備、張上げ屋根で近代化したつもりが、壮絶な失敗作となった例。
3500形の前に3650形、その前には3850形に装着されていたが、
海坊主の仇名は後年、名付けられたんだろう。3850形で名付けられていたら、
恐らく3650形や3500形には装着されなかっただろうし。 3500・3650・3800・3850は張り上げ屋根にするのは構わないが前照灯は在来の位置にすべきだったと思う チョコレート色の車内色、油ぎった板張りの床、そして保護棒付きの窓
そんないかつい顔つきの3600系、好きだったなー 保護棒で思い出したが、6000系や7000系のつるべ式側窓を操作してみたかった あまり知られていないが、デヤ3001の内装は、一番最後まで古色蒼然として昔
(昭和40年代半ば)そのままのたたずまいだった。 > 6000系や7000系のつるべ式側窓を操作してみたかった
6000系や5200系のはケーブルが延びてサッシュが斜めになるなど気を使う必要がある、あまり良いものではありませんでした。
ケーブルの代わりに薄いステンレスの帯を使っていたものがありましたが、あれは7000系でしたっけ?
そちらは軽く操作できて調子が良かったです。 >>48
元3551だからね
床は木製、ひさしは鎧戸だ
ちなみにデヤ7290のシートは座面ふかふかのオリジナル・ワインレッド 7200-7500のアルミコンビは、アルミドアがガタついて、とってもうるさかったな
後年の8090系もうるさかったが、比べようもないくらいアルミ車はうるさかった
と言っても、共感してくれる人はここにいるかな >>51
JRの301や203もうるさかったなぁ。 懐かしの車両と言えば3470号乗ってみたかった@1980年3月生まれ >>51
7209-7509+7200-7500の頃
アルミ車は俺的には当りだったよ だからドアのガタツキ位は気にならなかった もっと酷いのがいたし
冷房車なんて無かった頃 どの車両も夏場は必ず窓を全開にしていたでしょ
煩さかったのは6000の起動音とか、モーターが唸り過ぎて足の裏が痒くなった3000とか
ニコタマの鉄橋を渡っているときとか 梶ヶ谷から鷺沼方面のトンネル通過時とか........
トンネル通過時は地下水の飛沫が車内に入ってきた >>51
>>54
私的には7200系はステンレスとの耐用比較で全車アルミで製造しても良かったのではないかと思います 走りましたよ。
例の、東横ー田園都市ー大井町の大シャッフルで東横線に移籍しました。
自分はその時しか知りませんが、他にもあったかも知れません。 あのアルミ車が通勤通学客ぎゅうぎゅうに詰めて走ってた時があったんだね >>59
その後アルミ車は1989年までこどもの国線専用車となり7500を電動車化する際7402の機器をもらい7402はVVVF化され7673となり7603Fに組み込まれた。
7402を編成から抜かれた7254Fは7603-7653の上り先頭車7255を組み込み7255-7254-7554となった 昭和61年の旧5000・5200系引退と7200系の目蒲・池上移籍時に3742F・3474F・3484F・3493F・3494Fが池上から目蒲に移った時目蒲の旧3000は当時3500で統一されてたから池上から目蒲に移る旧3000は3500と3650を移籍させるべきだったと思う こんなところに統一厨!
形式や番号云々より検査切れ車両の廃車が常識でしょう 3000グループの中でも3450形は、汎用車(例外もあるが、機器分散をしていない車が多い)としての活用の意味合いがあった。
3500形は3250,3370等T車と機器分散が行われていた。
3650形も3350形相手に同様の機器分散が行われていただけでなく広幅貫通路で連結していた。
・・・で定期入場も車両単位行われていた。
このことが、統一を阻んだ要因だと思う。
ただし、3500形と(T車を1両入れて3両固定ユニット)
3650形広幅貫通路で当初の予定では後年中間のT車を廃車にして4連(オールM?)を組むため
上り側前面は貫通化とか・・・何故に各形式で微妙に後年まで使用構想に相違があったのは俺にも不可解。
(これは、海坊主更新を完遂した3500,3650,3850※3800に至っては 中古購入先希望か?早期に消滅)と
全車海坊主更新を免れた3450も最後まで残ったこととかは?????? >>65
8000形末期では製昨年度より危機不具合や検査切れの車両が優先して廃車されてたでしょ
3000形末期も同様で全般検査の中でも国鉄のB検査に相当するものに引っかかった車両は
高コストの割にその後の寿命が短さが災いして廃車された
また3連車の蒲田寄りに貫通型が多く見られたのは下り側だとMcの他に豊富なTcも増結できたため
当時4連の田都線と互換性をとる目的もあった
当時 3467-3364-3468+3499と3653-3362-3654+3499の営業を田都線で確認している
3508は中間車組み込み考慮が貫通化の理由だが3652.3654.3656非貫通車の
貫通化の理由はここにある >>68
廃車候補から見事に息吹きを吹き返した車両と言えば8039F、3450形のデハ3457も昭和56年に後に廃車された車両と一緒に休車になってたが後に3484Fの中間車で復活してた >>70
結局8039Fも3457も最後の方まではしったよね。
8039Fは帯無し、3457は旧塗装に復元されたよね。
さらに8039Fは2両が伊豆急譲渡、残りが解体予定だったけど
伊豆急の計画変更に伴い8両全車がインドネシアに譲渡されたもんな。 >>73
8039Fは2003年の廃車時は伊豆急行く予定だったんですね、初めて知りました。
ちなみにデハ3457は自分の調べた限りでは3470Fの中間車から外されて休車になりその後3485の代わりに3484Fに組み込まれたみたいです。
3457も8039Fも引退時リバイバルつながりもありますね >>73
ちなみに3457を中間に挟み最後は旧塗装になった3484Fはかつてこどもの国線専用だった3866も組み込んだ。
3484F調べたらかなり長い間池上線で走ってた模様。 小田藁線に63形はいったときはまだ大東急でしたっけか? >>82
ID:9lcZzSVlはお漏らし野郎。構うな。 そう言えば池上線時代の3452Fと7205Fは徹底的にコキ使われてたイメージある >>86
ID:9lcZzSVlはお漏らし野郎。構うな。 >>7205Fって最後に目蒲に転籍して2M2Tで目蒲線の最終期まで殆ど使わなかったヤツだっけ?
・・・だと、すればこの時点で走行距離を調整していたのか?
・・・な訳ないよな
・・・7200の3M1T目蒲線転籍も東急でありがな情勢の変化(当時も1000系新車導入凍結)? 小さい頃池上線の7205Fは冷房&側面方向幕と東横や田都に対抗できると思ってました せっかく7251Fに側面方向幕が設置されたのに7551だけが身売りされてしまったね ステンレス板で塞がれた7551の側サボ跡は無残であったな 長年疑問に思い続けていたのだが、
混血混用していた(可能)な7200系は日立・東洋で改番までして区分けしたのに
肝心の7000系は何故、改番変更による区分けはしなかったのだろう?
もう134両製造してしまい社内の混乱を回避したかったのだろうか?
昨今の5000系の編成差し替えや、以前の運転系統大変更に伴う車両交換、編成換えは行ったのに不可解? あくまで推測になるけど、7000系134両のうち先頭車が64両、中間車70両で、特に東洋製は中間車だけでも
50両(先頭車は42両)となり、7200系のように50番代で区切りよく分類するには車両数が多すぎたのかな? 単に7000生産中にそういう発想が無かっただけだったり
例えば京急1000も電装が東洋と三菱とで区分されてないし >>96
その通りだと思う
3450系も、日車・川崎で別れていないし、7000系の後輩7200系も、初めは日立・東洋混在の連番だった お前の論理は、矛盾していると思う。
製造メーカーの相違は、性能に無関係。
事実7200系は、手間を承知で途中で方針転換。
馬鹿が湧くから書きたくなかったが、戦災国電等復旧のクハ3670形と3770形は、
昇圧準備車と未対策車(無論後年昇圧工事したのだが、)でつまり電機部品的理由で区分けしていた。 ●●●100円で関節痛を直す方法●●●
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1103251322/46-51
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馬鹿に構うのは本意ではないが
>お前の論理は、矛盾していると思う。
どのレスに対するものか分らん
>製造メーカーの相違は、性能に無関係。 事実7200系は、手間を承知で途中で方針転換
だからぁ その理由が知りたいのだよ
>戦災国電等復旧のクハ3670形と3770形は・・・・
誰も話題にしてないのだが、
上から目線で読解力に乏しいキミは100年ロムの刑だ! >>98
読解力がまるでないな
>>97は>>96で7000系製造時には、番号を別ける認識が無かったとのレスに対してのものだろ
なんでそれを矛盾しているととるの?
頭悪すぎだろ
また、3670・3770については、そもそも走行出来る路線がそれぞれ限定されていたので、7000系や7200系のそれとは同列に比較するのは安直、というか具の骨頂 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています