懐かしの近江鉄道を語る
電化私鉄をレールバスで置き換える発送はどこも失敗したなあ 1985年くらいだったか、走ってる時、ずっと音楽が鳴ってた電車に乗った覚えがある。
外観もイラストが描かれてたような…
それが↑で書かれているチューリップ電車なのかな? 新幹線が後から出来て、その横走る迷惑料だって言って、国鉄からふんだくった金、どこ行った! 昨日、近江鉄道ミュージアムに行ったけど、機関車の状態があまり良くなかった。 近江鉄道は廃車となった貨車や電車を解体せず長期間放置したのかな?
理由が知りたいです >>23 親会社の西武所沢工場を範としてDYI精神が生きているからじゃね?
それと戦後混乱期に親会社西武も車両援助十分出来ない時期スゴイ車両不足で混迷したから? >>24-25
1960年代東急系を大量に導入したのは西武が車両不足気味でさらに秩父線の開業で放出できる車両がなかったから。
東急系は17メーターが多いから近江の線路条件にピッタリ合った。
京浜急行の3扉車を長さ短縮と2扉にしてさらに両運改造したくらいだし。
両運車両220系の代替どうするんだろうか。
東の107系押さえないと両運の代替できない。 >>26
クモハ119-5100を買わなかった時点でお察し
800などで大で小を兼ねさせるさ >>23
一説には、びわこ空港関連に使うと言う話があった
結果は見ての通りです 神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em 近江鉄道の線路の隣に新幹線の高架橋や盛土ができて、車窓から見えてた鈴鹿山脈の美しい
山の連なりが見えにくくなったとか言って、国鉄に一億円を支払わせたことがあったが、
新幹線との併走区間から見える千メートル前後の藪山の連なりがそれだけの価値を持つ
景観なのだろうかと首をひねりたくなる 実際には見通しが悪くなるので踏切を整備する費用を出してもらったとか。 >>31
新幹線(国鉄)は上をスイスイだけど、近江鉄道は踏切事故発生のリスクが非常に高まったんだから当然だよね。 当然ねぇ?
じゃ踏切脇に工場とか住宅立てれば費用負担しなきゃいけないんだ
初めて聞いた理屈だ 五箇荘から延びる側線、たまに列車が走るらしいな
レール継目が大きくズレてる箇所もあるけどよく脱線しないもんだ >>38
だから>>31のとおりだよ
ところで、更新1系のような湘南モドキ顔に萌えませんでしたかね
タレ目っぽい純正湘南顔に比べると何とも言えぬ魅力があったんだですわ
塗色も旧西武カラーの方が据わりが良かった
晩年の黄色+銀帯はどうもケバケバしくて… 更新後モハ1の顔はまんま湘南タイプじゃないの?
寧ろ近鉄モ800とかモ460の方が湘南モドキではないかと。
スレ違い失礼 >>11
彦根に長い間放置してたモユニ10ってのがあったな
側窓に大きく郵便のマーク(〒)が赤フォントで掲げられて一目で郵便取扱車だと分かった わざわざ専用の郵便車作るほどに取扱いがあったのかな
湖東地区は比較的道路の整備が早かったので鉄道郵便が割り込む隙間が
少なかったと聞いているのだが モハユニではなくモユニということは
客扱いしなかったわけだね 京急や京王のように軌間の異なる会社から中古車を買い込んでたのが興味深い >>46
京急からは400系の戦後形車だった
広幅なので一部の駅でホームの改造工事が必要になったらしいが
そこまで投資しながら十数年で廃車したのも不思議だ。 粗悪な電車だったが、貴重な新戦力として連日戦後混乱期の大輸送に活躍した、
とカラーブックスの解説には書かれていた。
著者は鉄道ファンのアナウンサーとして有名な吉村光夫氏。 最新鋭が506型の時に訪問したわ、彦根駅で機関車が動き回ってたり、モユニも見たし、ショーティ京急400やクモニ13や川造の廃車体たちに萌えた。 500+1500のコンビは近江オリジナル車体で地味ながら好感もてるボディ
元西武のお椀型ベンチレーターの半鋼車もなつかしい
俺は彦根で写真を撮らせてもらえた
500は側面客用扉の動きが面白かったなあ なんとも覚束無い、カクカクとした動きだったようだね>>モハ500 京急中古車の魔改造そしてド短命は誠に不可思議
>>49俺もその本を持っていた。伊予鉄や総武流山にも同類が居たが
ここまで弄られることはなかった。 流山に売られたヤツも大概弄くられて酷い顔にされてたよ >>39
↑これほど「答えになってない」返答を見たのって久しぶりだわw >>50
そういう構想があったのは確かだよね
滋賀県の博物館かどこかの資料で見たことがある 三岐鉄道を関ヶ原経由で現・長浜市に伸ばす構想はあった。今の国道365号沿い。
名古屋急行とは別物。 >>50
山越えはどのあたりでやる予定だったんだろうね テキトーに書くと、
多賀線を延伸して鞍掛峠を越えて藤原に至る、みたいな。 >>62に倣って適当に書くと、
藤原で産出されるセメント材料の輸送とかいかがでしょうか? セメント会社が違う。鉱区が違うので現実には無理だな。
あと、鈴鹿山地は褶曲山脈だから、東西で高さとか傾斜が違う。
琵琶湖の辺り全域が濃尾平野の突っ込みで持ち上がってる状態。
だから滋賀県側からのアプローチはシワが多いだけで大したことないが、
三重県側は絶壁みたいなもんよ。 彦根駅東口の人気の無さはどういう事か。
少し離れるとロードサイド店が賑わう。国道は渋滞。 駅前より幹線道路沿いに店などができるのは、どこの地方都市も同じ
彦根は駅と幹線道路が近い分、まだ救われる レールバスが飛び跳ねた思い出
今の電車もアホみたいに跳ねるが >>70
LEカーの走行音とっている人はいないかな