北海道ちほく高原鉄道
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80年代に発売された松山千春のPVには、足寄駅とオレンジ色の車両が出てきました。
実際に俺が足寄を訪れたのは廃止後だけど。 なんで3セク鉄道で残したのか?
はじめからバス転換してたら無駄な金使うことなかったのに >>5
3セクにしたらやっていけると判断したんじゃね?実際、神岡鉄道や三木鉄道、高千穂鉄道なども3セク転換後に廃止になっている。 初めて乗ったのは「国鉄池北線」でキハ12。
「ちほく高原鉄道」になって最後に乗ったのはC11が牽引したイベント列車でした。
それももう何年前の話ですかね…
通して乗ることが多かった線ですけど、国鉄〜JRで5回くらい、ちほく高原鉄道になって3回くらい乗りましたか… >>5
鈴木宗男先生のおかげですな。
廃線前に乗ったけど、線路上を馬が歩いていて何度も警笛鳴らしたけど
全然どかなかったな。2kmくらいしたらやっと出て行った。 >>5-6
やっていけるわけねーだろw
やっていける調査結果が(もちろん盛った数字だが)出た名寄本線は廃線
ちほくはやっていける見込みもなかった
道内の廃止対象22線区を全廃すると道政に文句が出るから
政治的な言い訳として1線区残したんだよ
ちほくが選ばれた理由は>>10の言う通りでムネオ 札幌〜北見間の特急をちほく線経由で走らせてたら残ったかも >>10
馬は、そうやって遊んでたのでしょうかね、
道東ではたまにあったことだと、交通新聞社刊「保線のはなし」という新書に書いてありました。
>>14
試算してみたら面白かったですのにね。あとジャガイモ貨物も。 >>14-15
廃止寸前のRJの記事によると試算はしていたらしいぞ。 >>17
あとは貨物列車を通すとどうなるかの検討もしていたらしい。
余談だが>>14にあるものは石北本線経由との比較での試算だった気もする。 >>24
足寄の「千春の家」に行くと、車庫の上に、松山千春の
「若い頃の長髪姿」
「現在のスキンヘッド姿」
の二枚の大きな絵が掲げられていて、ある意味シュールwwww
もう千春自身はその家には住んでいないが(札幌だったかな) 池北線も長い間廃止が決まらなかったのは防衛庁の抵抗によるもの。
ソ連が北海道に攻めてきたとき、後方支援で重要な路線として、廃止に抵抗した。
あとは、一部にも書かれているように、石勝線の完成を生かせなかったのは
かなり痛恨だろうね。あれで北見、網走方面でかなり短縮が見込めたのだが。
最後に、もう一つ池北線で致命的だったのは、池田でのスイッチバック。
あれは旅客面では間違いなく逆だった。しかし、これも旧軍や防衛庁が国防上の
理由でああしていたと言われる。非常時に釧路港(北埠頭、西港)からの物資が
スイッチバックなしに支援できることを優先したため、そうなってしまった。 廃止は仕方ないと思う。
施設の維持費は大都市線もローカル線も大差ないのに
原資となる運賃収入がこれだけ差があるのだから
これを埋める方法が無い限りローカル線生き残りの道はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています