私が出会った神乗務員・DQN乗務員
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栗原電鉄だった頃、細倉駅で折り返しの合間、運転士氏と話をして
その素朴さとのんびりした雰囲気が神でした。
昭和の時代の乗務員は今よりも個性派ぞろいでしたかな。
思い出を語りませう。 細倉の駅でおばあさんが改札口付近で世間話してると車掌が呼びに来た。
「そろそろ出すよ〜〜〜」
「ああじゃあねえ・・車掌さん済まないねえ。今日は石越の病院に行くでね〜〜」
途中でワフが一両だけの貨物列車とすれ違い。
良い時代だったな〜〜〜〜
老眼鏡掛けて皺だらけの車掌さん。
古びたカバン首から下げて改札に回って・・・で、東北線の列車も教えてくれる。
羅紗の帽子に紺色の制服、紺色のネクタイ。
今から三十年前の事だから、もう生きて無いかも。 DQN・・・昔の頭部電車の登場線。
座ったままドアを開ける車掌・・・見た事があります。 そんなこと言ったら、まだ完全に止まりきらないうちに開扉する丸ノ内線。
ドアが開いたらまだ動いていたなんて、日常茶飯事でしたが?35年前は。 阪急だっていたいたw
30年前、通学に使ってた時だが、
すげー早いタイミングで開けるアホタレがいたよ。
ドア閉まり切る前に電鈴鳴らすバカ車掌とかw
何のために電鈴鳴らしてるのか、理解してないんかおまえっ?w
何言ってるんだか全然聞き取れない、酷いクセの付いた車掌もいたし…。
あと、ドア開いてる時に不用意にエア抜いちゃうDQN運転士もw
何なんだろう? 同時期の近鉄とかは、乗務員の動作が確実というか、
すごくゆっくりていねいに確認しながらやってる感じがあったんだけど、
阪急の乗務員は、動作が「一段抜き」というか、ちょっと粗かった印象だった。
あなたみたいにヒト(格安割引の通学定期学生が屯して)がチンタラ乗るから。
土曜ダイヤも平日ダイヤの時代なんか通常閑散時と同じ運転時分の土曜昼過ぎの雨降りの日なんか最悪だよ。
阪急は、都市間連絡鉄道 速達性を重視しているので時間にタイトな運転ダイヤを乗務員は強いられている。
ブレーキを払う(抜く)とうのは、転動させると云う事 (バイクやクルマが信号待ちでアクセルを煽るようなもの)
運転士はそういう行動をとるというのは、乗客に対する意志表示とういより相棒の車掌に対する閉扉催促の意味の場合が多い。
ドアの早開けは今の電車は、戸閉め安全装置がついている場合が多いからあまり酷いのは無いと思う。
昔の束式では朝のラッシュが終わるころ、下りの回送をどんどん出すんだが、どの回送列車も
最後尾の客室の一区画は遮光幕ガッツリ下ろして車掌はん寝てたっけなw
百歩譲ってあれって行路上、便乗だったんかね? >>106
>運転士はそういう行動をとるというのは、乗客に対する意志表示とういより相棒の車掌に対する閉扉催促の意味の場合が多い。
ばーかw
「不用意に」って書いただろがw
窓から後方確認してる間に、ブレーキ弁位置が正しくなくて、
エア抜けて転動させて、気付いてあわてて込め直す…そんな感じだよ。
意思を持った行動ではなくて、あくまで「不用意に」。
>>108 二束三文の通学定期代で大きなガタイで座席を占拠し遣りたい放題騒ぐ分際でツベコベ言わずとっとと乗れや! 京急には「制限速度」「最高速度」なんか何とも思わない運転士が“何人か”いた!
80km/h制限のR300〜400、下り25‰をフルノッチの127km/hで駆け下り、ブレーキ一本ピタリと次の駅に止めたり、
R160で40km/hの制限を“先頭車”が抜けるやフルノッチ!
発車するやまたまたフルノッチ、そしてまた駅間速度を上回ってもまだフルノッチ!
で、ノッチオフど同時にブレーキ一杯でほとんどハンドル動かさずに駅に止める“ジェットコースター”運転!
…乗っている乗客はたまったもんじゃないが、子供心にワクワクしたもんだったな!
もちろん、そんなこと余りとやかく言われなかった遥か昔の話だったが… >>109
通学定期客に相当偏見があるようだが、残念ながら
あなたの言ってる姿は、高校生以下の様態だろ?
おれは大学生から電車通学になったんで、友人と屯する事もなく、
通勤客と統一行動で、朝は一度も座席にありつく事はなかったけどね。
つか、座席を占拠しやりたい放題、って、
それこそ阪急のような都市型私鉄の朝の通勤時にはあり得ない光景じゃん?
どこの田舎の通学事情の話してんの? >>112
ただのカマッテちゃんなんだから、スルーするのが大人ってもんですよ。
「ただの構ってちゃん」なのかねぇ?
>>106あたりは、いかにも自分はプロだみたいな空気が滲んでるから、
少し煽って、その会社をあぶり出せないかと思ったのだけど。
停車中にブレーキ弁扱って、エアをシャッシャ言わせて車掌に閉扉をうながす、
っていう話は各社で聞くし、たしかに阪急は他社よりその頻度が高かった気がする。
けど、乗降が続いてる時に転動するレベルまでエア抜いちゃうのは、
いくら車掌に対する煽りであっても、超危険行為でしょう。
それを「乗客がチンタラしてるから」と正当化し、当たり前だとする空気の会社があるのなら、
それこそ会社ぐるみDQN認定でいいかな、と思ったんだけど。
乗客の側のマナーの問題もたしかにあるけど、これは別次元ですよ。 ゴメソ。
日付跨いでしまったので、ID変わりましたが、昨日のID:Vt4CifQyです。 >>110
さすが京急。
いつでもD仕業に入れるな。 DQNではないが怖い運転士。
近鉄京都線、五分刈りでギョロ目、車掌から何か言ってきた。
「そんなんどうでもええわ。ほな行くで」
声にドスが利いてました。 むか〜しの鉄道ジャーナルに掲載されてたんだが、正面から
撮影された今は無きトマムサホロエクスプレス。
運転助士席に子供が数人いて、身を乗り出すようにして前方を
眺めている。ご丁寧に「子供たちの歓声が響く」とか注釈つきw
恐らく運転士が客席の子供に声をかけて、運転室に招いたんだ
と思うんだが・・・処分とか食らわなかったんだろうか。 一般の列車じゃなくてトマサホとかだったら、何かのイベントで
きちんと手続き取ってのご招待とか、そういう可能性はない?
ただ北海道って、牧歌的というか何というか、そういう体質があったのは確かで、
JRになって以後も、運転室に客入れちゃう運転士が多かったんだよなあ。
客とコミュニケーション取るのが好きな乗務員が、なぜだか北海道はすごく多かった。
おれも一度、乗車前に先頭部で写真撮ってたら、ご招待された事がある。
その辺厳しくなってる時期だったんで、大丈夫ですか?運転士さんに迷惑かかりませんか?
と念押したのだけど、機関車列車だったんで、バレないバレない、大丈夫だよ、乗って行きな〜
みたいな空気だったので、運転台へ上げてもらった。
ところが、たまたまその日、助役が見習い連れて乗って来ちゃって、
「こういうのダメだって言ってるだろ!」と一喝。超険悪ムードに…。
後部の運転台へ移動して、ひと駅過ごし、次の駅でこちらは客車へ移ったが、
運転士さん、最後までにこにこしてた。
処分とか大丈夫ですか?と聞いたら、笑顔で「大丈夫大丈夫、心配ないよ〜」
と答えてたが…大丈夫だったんだろうか?
20年以上経つが、今でも気になる。
ほかにも、キハ54あたりは、先頭で写真撮ってたら、運ちゃんの方から
話しかけてくるのはデフォ。
運転中は話しかけないで下さい、なんて注意書き、北海道では空文だw
ワンマン化以前には、後尾で流れるレールを撮ってたら、
「ガラスあったら撮りにくいでしょ?」と運転中に後部の貫通扉を
開放してくれた車掌もいた!
会社から見ればDQN、鉄客から見れば神、というべきなのかな。
ともかく北海道という所は、(他もいろいろそうだが)鉄道に関しても文化が違いすぎる。
現地民の日本語は青森よりよくわかる場所だけど、こりゃ外国だと思った方がいいな〜、
と思わされる事が多かった。 ドイツに十二年ほど駐在していました
ドイツ連邦鉄道(DB、西ドイツ国鉄)、ドイツ帝国鉄道(DR、東ドイツ国鉄)、ドイツ鉄道(DBAG、民営化後)の愉快な職員たちのお話
(1)仏車掌
初めてドイツに入国して勤務先に向かう車中
ICは特急券がいるとは知らなかった私
車掌が検札にきて事情を察したようで、ウィンクして去って行く
(2)気前が良い駅員
車掌や駅員がDBマークの入ったボールペンを使っているのを見て欲しくなり、駅で「我は日本人の鉄ヲタでDBを愛好す。そのボールペンを欲す」と言ったら奥から新品を持ってきてくれた
(3)後光がさしていたDRクルー
東西ドイツ統一から半年
東ドイツだったポツダムから西ベルリンのヴァンゼーに行くディーゼル機関車がついたプッシュプル列車、客車の運転台が先頭なので機関士も車掌も運転台に集結
駅撮りして乗車しようとしたらレンズキャップを落としてしまい先頭客車の下の線路に
車掌が降りてきて「こりゃ動かさないと拾えないなあ」
俺「発車してから駅員に言います」
一時間に一本の運転間隔
さて発車時刻ちょっと前に機関車エンジン始動
車掌がホームから合図して列車退行
レンズキャップが見えたので車掌が線路に降りて拾ってくれ「さあ、乗って乗って、発車だ」
そして定時発車
いくら御礼を言っても「当たり前だ」と取り合ってくれない
他にも幾つかありますが、ボチボチ書かせていただきます >>119
>一般の列車じゃなくてトマサホとかだったら、何かのイベントで
>きちんと手続き取ってのご招待とか、そういう可能性はない?
そういうことにしようかw
数年前に東武で自分の息子を運転台に入れて・・・(実際は
幼児が勝手に侵入)ってニュース見たときに思い出して心配
になったんだよな。 続けさせていただきます
(4)おーい駅員、しっかりせい
十五年ほど前のこと
当時は乗車券、指定席券、等々駅の窓口の端末から発券する様式が何種類もあった
欧州の国際規格で決まっているのや国内のみの規格とか、まあややっこしいこと
プリントするときには箱から一々当該書式を取り出してプリンターに入れるのだが、裏面にバーコードがあって種類とか発券番号が違うと弾かれた
さて、中年伯父さん駅員から指定席券を買おうとした時のこと、券が弾かれる
良く見たら書式が違う
駅員原因わからない
とうとう「それじゃない、あっち」と指摘、無事発券
駅員に礼を言われる
(5)運転台に御招待
IC(国内特急)やIR(急行)に制御客車が導入されてプッシュプル運転はじまってからの事
運転台後ろの扉はガラス戸で改良高速線や高速新線で二百キロでかぶりつきが楽しめるようになりました
そうしたら、「入れよ」と運転台に御招待してくださる機関士続出
ひどい時には食堂車に行き損なう
当時は機関士の制服がなく、たまに制帽やDBジャンパーを着用した人がいた位
今にして考えると、運転台と食堂車の板挟みとは拷問並みの究極の選択 運転士と仲が良過ぎる車掌・・・・・・・・群馬県の某私鉄。
〇央前〇発車、城〇を過ぎて車内検札しながら運転士の処へ。
そして何と〇城までずっと運転士と仲良くおしゃべり。
アナウンスもいい加減。今はワンマンだけどね。 運転士と車掌が仲イイと言う点ではローカル線区等で運輸区や営業部、鉄道部を設置しているところ
なんかはそんなんだよね。悪く言えば馴れ合い、よく言えば信頼関係なんだと思う。
急行時代の満員の富士川でドア扱い、放送、検札で一人乗務の車掌を運転士は助けていたもんね。
放送が入らなかったらチラッと車内を見渡して車掌が接客してたら運転しながら放送したり、
駅に停まってドアが開かなかったらドア扱いをしてやるとか、運転士も車掌の状態を把握していた。
度を越えてドキュソ化しがちだが、それぞれの職域に特化させている都市部ではこうは行かないと思う。
名鉄の車掌さんは良く動くよね。無人駅でも電車の前後動いて運転士と
連携取って・・・
ああ言う勤務態度を見ると頑張ってと言いたくなる。 >>119
北海道の鉄道は、かつて牧歌的でしたよね。
俺はS駅で、駅長さんから駅長室に招待され
コーヒーご馳走になり、いろいろと話を聞かせてもらいましたよ。
もう23年の前のことだしこの駅長さんもなくなられたでしょうね。
私事ですみません。 見知らぬ駅や列車での予期せぬ触れ合いって良いですよね。
今は望むべくもない、ぎすぎすした時代になってしまいました。
列車は綺麗になったがその分鉄道から人間臭さが消えました。
DQNと言うか、どうしょうもない双壁は都営と大阪市交だって言うけど
どうなんでしょうかね?? 小学生のころ、国鉄の駅で切符をホームに落としてしまい、駅員さんに拾ってくれるように頼んだところ、
「知らないよ、そんなの」とまったく相手にしてもらえらなかった。
今なら、いろいろ反論できたと思うが、結局もう一度切符を買った。
子供心にとても悔しかった。
小学生のころ、
高麗川駅で発車待ちのとき、
運転士さんが声をかけてきてくれてタブレット本体(金属)を持たせてくれた。
子供心にとてもうれしかった。 国鉄時代の中野駅、三鷹発東西線経由西船橋行。
国鉄の運転士は帽子なし、サングラス、サンダル履き。
営団の運転士は顎紐着用、上下をきちんと着こむ。
交代の時国鉄側は何も言わず挨拶もせずポケットに手を突っ込んで
サンダルを引きずってホームを歩く。
途中で営団の車掌が挨拶をするが無視。
同じ情景が泉岳寺の駅でも見られたと聞いたっけ。 >>129
昔の泉岳寺だったら両方ともDQNだったんじゃないか?
何年前の話かわからないけど >>130
KQの方がTOEIよりかなりましなのでは? >>131
終点に着いて折り返しのときに客がマゴマゴしてると、平気な顔して『バカ!』とか言ってたよ。
20〜30年前は。 ガキの頃バス待ちの間、某駅の端でボーっと電車見てたんだ
そしたら発車間もない特急加越のウテシのほうから手を振ってくれた
嬉しかったけど照れくさくて、手を振り返さなくてごめんなさい
上り富士を担当する東京機関区の機関士がナッパ・グラサン・パーマのトロッピーだったんだが、
ちょうど7分遅れで継いで揺れを感じさせない発進、東京定時着、それも揺れ無し・停止位置ぴったり。
機関士席まで行って「お疲れ様です」って言ったら「時間通りに運転することが俺の仕事だから」と。 運転士と機関士ってちょっとカラ―違いますね。
国鉄時代の機関士はそれこそ口ひげやパンチパーマ当たり前で、組合活動の腕章や
バッチやリボンをフル装備してたけど、でもどこかかっこ良かった。 >>127
いや、都営は気さくだよ
自分は団地だったけど昔の都営は客も少ないし駅も田舎の鉄道さながらだった
切符無くしてもいいよいいよだったし、反対に営団は硬くて恐かったけどな
だから都営は今でも故郷の列車という感があるなぁ 都営は制服をきちんと着る様になったね。
昔は酷かったっけ。
江ノ電はきちんとしてるって印象があるけど、昔は酷かったらしい。 小田急の乗務員は総じて昔からきちんとしてるかな。
東急も一緒かな。東急、制服がだんだんダサくなってるけど。 高校生の時に見た運転士さんなんだが
地元の郵便局前の歩行者信号が赤から青に変わった途端、
大声で「出発〜っ、進行っ!」と大声で言って
右手の人差指を天高く突き上げたまま横断歩道を全力で駆け抜けて行った
あれはなんだったんだろうか・・・? >>140 見習い(か独り立ちしてまもないか・・・)期間中 精神論で洗脳され情景反射しつぃまったのだろう。
通勤帰宅時進入する電車に向かって指差し確認した奴も知り合いに居るよ。 >>141
でも走っていっちゃったんだぜ、びっくりこいたよ ガソリンスタンドのバイトを始めた頃、家で寝ていて「いらっしゃいませ」と大声でやってしまった
これが仕事が出来るようになるステップだったらしい
運転士さんが指差喚呼して横断歩道を渡るって、わかるような気がする
ちなみに拙者の話に戻ると、両親はぶったまげたらしい 一回名鉄の運転士試験なのか、見習いの腕章付けた運転士がマスコン握って
その隣に椅子に座ったのが一人、乗務員室の後ろに二人、チェックボード持って立ってた。
犬山から乗ったらその状態だったから各務原からそうしてたんかねえ。
岩倉までチェックが続いて、試験終了。
「ありがとうございました!」と見習いさんは頭を下げてた。
厳しいものだなあと驚いた。
当時京成が最悪の頃で、京成と比べてその違いに驚いたっけ。
何せ指差確認なし、帽子なし、軍手にドカジャンだった頃だから。
津田沼の社員食堂の壁にスローガンが幕だったかあって、動労と変わらなかった。 DQNで言うと、昨日の都営浅草線のエアポート特急かな。
都営線内は各駅にとまりますを二度繰り返して、大門を過ぎて突然
新橋の次は日本橋に止まりますと訂正のお詫び無し。
「懐かし」ではないが、先日、中央快速の車掌アナウンスで
「本日は、寒い中、中央線をご利用いただきありがとうございます。
寒い中のお勤め、お疲れ様でございます。
外は本日より急激に寒くなっております。電車をお降りの後は風邪などひかぬようお気をつけください。
次は…」
と言うアナウンスを聞いてびっくりしました。
普段は深夜帯の電車を使っており、この日はたまたま夕方に乗ったんですが
夕方時間帯だと結構当たり前だったりしますか? それ有名な人だよ
懐かし板ができる前だっけ、結構話題になったよ
「新宿の師匠」と二大巨頭だった
どちらも健在? >>127
都営は昼間でも酒臭い駅員とか、自動改札になってからは0番通路の窓口で堂々と寝てる奴とかいたよ。
出所は我々の税金。怒。 >>149
昔だけれど、押上駅で京成線直通の急行で乗務員交代。
都営の運転士は帽子はバッチだらけ。それをアフロにのっけたアミダかぶり。
片や京成、帽子なし、ちょび髭、パンチパーマでサンダルペタペタ。
言葉も交わさず乗務員室のドアを乱暴に閉めて出発進行。
青電がファイアーオレンジに塗り替えられて押上発金町行きで走ってた頃の話です。
京急の運転士にとって都営の5000は怖かったらしい。
速度は出ない上にブレーキがバカ甘のがあったとか。
あれで新逗子まで良く走って行ったよと聞いた事がありました。
大阪の国鉄の職員さんは、関東の京成・東武・都営と比べものにならないくらい態度がいい人が多かった。
客に釣り銭投げようものなら当局どころか、あの国労からも制裁食らう、なんて話もあるらしい。 大阪は順法闘争の時に塚本駅で運転士が客から殴られる等荒れ方が凄まじいんだそうです。
尼崎のボートでレースが荒れた時何ぞおっちゃんたち暴れますからね〜〜〜
愛想が良い割に方向板も幕も無くしちゃった時期があったのは不思議です。
ちなみに、東海道・山陽緩行線の方向板の本物は一枚十万はするそうです。
>>148
地方であれ、国営・国有であれ公営企業は独立採算制で一般会計とは別の運賃収入を元にした特別会計。
国鉄や郵政も別会計だった。郵政民営化の時小泉総理が使っただましのテクニックを未だに真に受けている人が…。
雇用者が公的機関と言うだけで、「公務員(身分)=税金で食っている」とは限らない。
民営化して、名義上の公務員が減っても、一般会計上の人件費は減らない。
ちなみに、民営化されても公的証明等の関係で、郵政社員は未だに身分上「みなし公務員(認証士)」だったりして、
公務員の身分を持っている人の総数は大して変わりません。
終着前の車内放送で、詳しい乗換案内等のあとに自分の名前を名乗り、お礼や挨拶
はもちろん、さらに「この先もどうぞ気を付けてお帰りください。またどこかでお
会いできることを楽しみにしています。それでは皆さん、さようなら!」と放送を
結んだ、当時下関車掌区所属の車掌さん。 ブルトレの車掌さんは総じてアナウンスが上手だったですね。
旅情掻き立てるとはあの事を言うんでしょう。
一期一会、出会いと別れ、鉄道の旅もまた出会いと別れです。 飯田線にまだ旧型国電が走っていた頃の話。クモハ42、43、クハ47などは半室式
運転台付き車両が多く、運転中でも結構運転士と話をすることができた。
ガキの頃、先頭車両でかぶりつきをしていると、優しく話しかけてくれたり、
運転について色々解説してくれたこともある。
高校の下校時、仲間数人と先頭部でかぶりつきをしていると、やはり色々会話す
る中で、最高速度が75Km/hであることを教えてもらった。列車が比較的駅間距離の
長い直線区間に差し掛かると、我々は皆で「チャンスだ!行け〜!!」などと
運転士を煽ったものだが、本当に要望に応えて制限速度一杯まで加速してくれた。
決して特定の方ではなく、当の時飯田線乗務員は皆さん少なからずこんな要素が
あったように思う。
しかし、飯田線で旧国が75Km/hで走ると、めちゃくちゃ飛ばしているように感じた。
乗務員ではないがガキの頃営団(当時)の明治神宮前で1日乗車券を買った時見るからに優しそうな初老の駅員に
「いっぱい乗ってきてね。あと時間があったら地下鉄博物館にも行ってみてね」
とパンフを渡された時本格的に鉄に目覚めましたw 確か定年になってからも希望者は嘱託的な存在で駅員になった方がいた様な。
良い話ですねえ。
旧型国電でもかつては京阪神間で相当高速で走っていたんだからもっと出たんでしょうね。
それこそ相当モーター音が轟いてたんでしょう。
かつて京成の運転士で物凄く体の大きな人がいて、その方がクハ2008の
運転席に窮屈そうに収まりながら警笛をしょっちゅう鳴らして飛ばしてました。
それはそれは音も凄かったし、なんせ運転席が運転士でいっぱいになってました。
一旦ブレーキ掛けてそこから再度モーターを回しての爆音楽しめたのはやはり
逢坂山トンネルでしょうね。
ドゴール型の帽子になる前、濃い緑色の制帽時代の、260型の話です。 国鉄時代、中央・篠ノ井線や高山本線などは随所で車窓や沿線ガイド、歴史、
その他興味深い車内放送を色々聞かせてくれた。381系振り子電車に関する案内や
注意事項も特徴的だった。
名古屋車掌区の車掌さんだったかな 国鉄時代の函館〜札幌間特急も車窓案内アナウンスが多かったな。
一度ビックリしたのは寝台特急「日本海」での車窓アナウンス、象潟の由来の詳細な説明には感動した。 寝台列車の朝一番のアナウンスは良かったです。
思い出のアナウンスは「つるぎ」の朝一番のアナウンスですかね。
あれは敦賀で機関車を付け変えてからやるんだったかな。
湖西線の進行左側に琵琶湖が拡がって、湖面が輝くなか「皆様おはようございます」
から始まるアナウンスは良かったです。
「つるぎ」は相当長距離止まらない列車でしたよね?糸魚川から京都まで止まらなかったかな。
新潟駅で大河津行きのDC(確かキハ35と25か45の混ざった編成)を見送った後に
静かに入線してきたのを思い出します。
「想い出のアナウンス集」とか出ないかな。
青函トンネルが出来る前の函館到着のアナウンスとか。 最低最悪のアナウンスはこの前のJR横須賀線でした。
品川到着でも山手線が止まっている事には何も触れず。
乗客がぶち切れてましたね。
これは明らかにDQNだし、程度悪過ぎる。
特に女性車掌は全く駄目。 >>148>>150
昔は各社色が有って面白かったな
先日都営に乗ったら車掌が、この先いってらっしゃいませとアナウンスしていたw
同僚が言うには、皆じゃないけど何人か居るみたいだよ
>>156
飯田線運転士に関連して
行き違い時間のホーム下にマムシがいるのを乗客が見つけると、運転士が崖を降りて行って
退治。一部始終を乗客総出で見守った。あの辺りは今もそうだが、本当にのどかだった。
昭和46年頃、まだ駅員もいた頃の小和田駅での話し とある臨時列車の運転停車で「ホームのないホームにとまります、ドアは開きません」と。
まぁ悪意はなさそうなんで…。まぁ、しゅあないかw 池袋、東武と西武とではDQNと神程の違いがあったとか。
昔の話ですけどね。 20年以上前だが、日光線の運転士が遮光幕を上げて堂々と漫画読みながら運転していたな。
踏切のない高架線ではあったが。 東武日光線ですか??
まああそこなら何でもありでしょ。
以前ウチの親戚が春日部から羽生に行く用事があった。
で、春日部から杉戸まで来たらトイレに行きたくなり、そこでいったん下車。
親戚に電話する事を思い出して掛けたらその親戚が急病で墨東病院に担ぎ込まれたと家人が言う。
びっくりして用事は後日にしてその切符のままで浅草へ向かった。
したら車内検札で車掌に「わざと買ったんでしょ?」と訳のわからないいちゃもんを付けられた。
その親戚の知人で東武の偉い人がいたのでこんな奴が何日の何時何分初の準急にいてと話をしたら
最初はとっちめてやると勇ましかったんだが、後日電話があって
「相手が悪い。すまんけど今度雷おこし持って行くからそれで許して」
「相手が悪いってどう悪いのよ!!」
「つまりその、なんだ・・・・・まあ良いじゃないの」
今から45年も前の話です。
どうやらその車掌は組合の偉い奴だったらしいと親戚は言うとりました。 >>166
どちらも社長が社内では神格化されてるのにな
なぜ差がついたのか…
営団時代の総裁も神レベルだったらしい
神車掌は俺だ。総武快速(113系の時)の朝ラッシュ時の上り乗務の時は、乗務員室の仕切りドアを解放して貫通ドアまで乗客を入れたもんだ。
但し東京地下ホーム1、3番線到着に限ってだったけどね。 >>170
お前だろ??俺を船橋駅で呼び付けて列車番号を変えろ、早くしろって
どなったの。
あれ数字の札を入れ替えるの慣れて無いと早く出来ないんだよ!
それは冗談としても、進行向かって右側ばかりのドア操作になるから
ドアまで入れても困らない訳だ。
でも幕の操作盤いじられなかったん?あれ鍵で動かすんだったっけ?
ダイヤの乱れで着線変更になって、あわわわわ…って危険はなかったんですかね?
他人事ながら、気になるわw そうしたら突然「俺は国労だぞ!」って怒鳴るとか。
或いは、スミマセンがちょっとどいてくださいましとやったか。
このお話しはまだ横須賀線に直通して無い頃では? 神乗務員と言えば、総武緩行線でパンチパーマ・グラサン・ノータイのヤーさんっぽいウテシさんが、
回復運転で100キロオーバーで爆走して、かなり緩めのブレーキでホームに突入、きれいに残圧停車を決めてた。 >>171>>172>>173
列番変更で札換え位自分はやったけどね。
但し札が2、3枚位しか入ってない車も多々あった。
新日本橋を発車すると殆ど空いて仕切りドアを閉められた。
すれ違いの下りの車掌がビックリしてたね。貫通ドアに人がたくさんいるから。 DQNじゃないが可哀そうな車掌さん・・・
医者の友達と某電鉄に乗っていたらその友人が言うには
「あの車掌さんは危ない。肝硬変が相当進んでるのでは?」
見ると顔色が真っ青で顔がむくみ唇の色が土気色してました。
立ってるのもつらそうで目をつぶって駅が近づくと目を開いて一声だけアナウンス。
「あれは二日酔いなんかじゃない。絶対肝臓が悪い」と言い張る友人でした。 東武は組合が本当にクソたいだな。
野田線運転士の子供添乗事件も実は一部組合幹部の垂れ込みらしいし・・・
労働貴族クソ喰らえだ!! >>177
だから退職金が支払われて、東武グループの会社を斡旋されたのか? >>179
あれは懲戒解雇だったから、退職金は支給されていないのでは? アソコの組合は、表向き 強行姿勢をみせているが・・・って事だよ。
竹ノ塚踏切も然り・・・ 組織幹部全体(組合)が、どうかは知らないが仕事もしない専従や役員が自己保身出世の為に組合を利用しているのは間違いないな。 >>180
中の人に聞いたんだけど、懲戒だけど退職金は払ったんだって。これ結構有名な話らしい。
それだけじゃなくて、再就職先まで斡旋してるからおかしいと思ったんだよ。 懲戒解雇だったけど気の毒だと抗議され諭旨解雇になったんじゃなかったか
グループ会社に行った話も報道されていたね
まあ、懲戒解雇は厳しすぎるかもしれんよね
国鉄時代はガキに停車中の機関車の運転席を見せてくれる機関士も居ただけに、個人的になんだか世知辛い話だと…
竹ノ塚踏切だって本社や監督者は知っていた。
末端の職員に危険な作業をさせておいて問題が発生したらトカゲの尻尾扱い・・
組合は、無駄に高額な組合費を組合員から搾取し、自己の出世地位確保の為組合役員をやっている奴の飲み食いや
左翼政治家の支援。
でイザというとき組合員を守れない!こんなユニオンシップ組合は要らない。
>>184
BMK筆頭会社も同じだよ…
完全に御用組合と化した。なおかつ、執行委員長が任期途中で逃げたし >>184
それでいて駅は使い捨ての契約社員にしてるから、確かに実体は結構酷いのかもしれんよね… 京浜東北のウテシさん、見てくれはどう考えてもヤーさんっぽい感じ、
回復運転してて、ブレーキはややきつめだったが、停車直前に残圧停車で綺麗に停止位置ぴったりに止めてた。 乗務員ではないが。
東京近郊の私鉄。信号所の近くで撮影していると、盛んに呼んでいるので、行ってみ
ると、ポイントの操作盤の説明をしてくれた。
我輩の飲み込みが早かったと思われたのか、「このスイッチをひねって、ポイントを
変えてみろよ!」
上下それぞれ10分間隔jで運転しているので、5分毎には列車が来る。さすがに、
遠慮したわ・w
昔の都営の運転士は酷かったらしい。
組合丸出しだったし・・・ 東武は煙草吸いながら運転してたの有名だけど、今もやってるの? 煙草はDQN扱いしてやるなよ。
昔は「長距離行路の運転のような長時間作業中の眠気覚ましに効果がある」という事で
労働科学研究所だかも推奨してたぐらいなんだから。
世間が「煙草=嗜好品=やめられないのは本人の自覚の問題」みたいに
一面的な捉え方するようになってきてるけど、その捉え方もどうなんだか、と。
おれ自身は、めちゃくちゃ煙草嫌いなんだが、そのおれから見てても
最近の世間の煙草嫌悪ぶりは行き過ぎじゃないかと思う。 東北地方の某駅
旅客用の跨線橋と業務用の構内踏切(渡線路?関係者以外通行禁止)があった。
ある時、悪ガキ高校生数人が構内踏切をダッシュ!
次の瞬間駅本屋から金筋二本が
「くぉら〜何しとる!」
…ええ、あっという間に捕まって、有難い鉄拳制裁くらってました(今ならマスコミ沙汰)。
悪ガキ共べそかいてたね。鬼の動労とか云うが管理職も怖かったよ。あの頃は。 >>189
数年前の泉岳寺にて
駅員同士が、白昼堂々、改札口の有人通路窓口で怒鳴り合いの大喧嘩。
見かねた一般客が、京急乗務員控室のドアを叩いて、喧嘩を止めてくれ、と言ってた。
あそこは京急本社の所在地なんだから、都営から駅業務を剥奪するべし。 八王子駅なんか乗務員室のドア明けて、タチションしてたなぁ。 今時フライキだけで華麗に操車できる車掌なんておるんだろうか…。
>>198 藤井文弥 いまでも連結合図できるかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています