むかし鈍行の寝台車があってな
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名無しの始発から乗って新宮につく頃には眠すぎて座席のままでいいかなと思ったぐらい
寝台に移ったはいいがトイレ行きたいと同時に眠すぎて30分ぐらい寝てからトイレ行こうと思って 14系新型寝台と旧型寝台は同じ料金体系で、19時間乗れる「さくら」と6時間半しか乗れない「はやたま」は寝台料金が同額だった >>440
30分寝て起きたつもりが終点だった。旅情を雰囲気も感じられずに終わった。よくある話。 からまつの名無しの頃、昭和51年に札幌から釧路まで乗った。安眠できた。 小樽始発の夜行列車に1時間以上前から並ぼうとしてた大学生らしき女性グループに、桑園?まで行ったほうが席をとりやすいよとアドバイスした
礼を言われたが、きちんとそのような行動できるか不安になった、逆に乗り遅れなかっただろうか
アドバイスしたことを後悔した >>446
なかなかそこまでできる人はいないよ
素晴らしいことだ 鈍行夜行でハネ2両というのがあるが
それほど需要があったのだろうか? 南紀は釣り人による多客かもしれないが
からまつは途中で締め切ったはず。 停車駅は南小樽、銭函、手稲、札幌、白石〜とか言うオチだと怖かったり
10系寝台は横川でしか知らんが真ん中盛り上がり気味の52センチだと肩幅広い俺は多分落ちる 寝台 ながさき 懐かしい。上り列車は、博多界隈では夜行列車というより
通勤列車、普通車は満員でした。 36年前の夏休み中、山陰線の鈍行列車に安来駅から朝乗った。
寝台車が付いていたので、京都から来たヤツだとわかった。
松江駅での停車時間が30分以上あって、東京育ちの俺は呆れて唖然としていたが、現地の子は当然といった顔で待っていた。
出雲大社へ参拝へ行って、帰りの出雲市で乗りかえたのも旧型客車だったが、どこから来て、どこまで行ったヤツかは覚えてない。
伯備線電化直後で、知井宮まで新型電車が走っていたそれに乗れなくて、当時は損した気がしたが、今となってはボロ客車に乗ったのは良い思い出。
あっ、寝台車には乗ってないからスレ違いだった。
一応、寝台車内を覗いたら冷房が効いていて、寝間着姿の客と目が合った。
おしまい 宮脇先生は快速「からまつ」を宿代わりにして、最長片道切符の旅を開始した。 昭和55年10月ダイヤ改正までは札幌と釧路を結ぶ急行狩勝には自由席の連結は
なかった(10両編成中、2両のみの普通座席指定車の内、1両が自由席化)ので
ワイド周遊券利用で夜行列車を宿の代わりをする旅人は自由席が5両も連結してた
鈍行夜行からまつ(小樽2116→9:17釧路・釧路1900→642小樽)ばかり利用した。
ワイド周遊券でのローカル夜行列車はチープな自由席が殆どだけど昭和53年の夏に
北海道旅行で列車名が記された硬券寝台券が欲しいのと乗りたい気持ちが多くて
バイトで貯めた金から当時3000円したB寝台を購入して買ったけど普段なら下り
からまつに乗れば帯広下車で広尾線や士幌線へ、池田で池北線へ、白糠駅で白糠線
へ、乗り継ぐのにこの日は終点釧路まで乗って標津線に廻った。
ながさき と 南紀〜はやたま のB寝台は乗る機会が無かったけど山陰は末期だけど
乗る事が出来た。3段寝台の52pベッドだったけど当時を振り返ると懐かしい。 すぐにオ級になったってことは結構すごいことだと思う。 20年後に準備工事のまま消えた103系もあったことを考えれば。 山陰は便利だったな
大阪も乗ろう思えば乗れたし福知山から 寝台は多く利用したが
一番寝られたのが
ながさきのオハネだったよ 昔の長距離鈍行列車には「和食堂車」があってな・・・
と書こうと思ったら、
時代を百年間違えていた。 1964(昭和39)年10月改正で急行「しまね(→65年おき→68年だいせん)」に格上げされるまで、
ロネを連結していた大阪〜大社間の鈍行717・718列車。
格上げされる直前は、どんな編成だったかが気になる。 ムーンライト八重垣にも寝台連結されてたな。
指定は18きっぷ持ちでいっぱいだったけど寝台は空いてたなぁ。 一晩寝てても移動距離は大したことない…気が遠くなる苦行ね 空調もなく隣の客と肩が触れ合う窮屈で硬い座席に較べたら
寝そべって居られる寝台車は天国だろう。 お金がなくて貧乏学生だったので、
ながさき、山陰、はやたまは、何回もお世話になったが、寝台車は一度も乗れず、でした 根室線「からまつ」と山陰線「山陰」の Bネに乗ったけど、長旅の疲れで結構爆睡できたよ。
上段・中段には「敷シーツ」が無かったため、なんとなく不潔感満載だった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています