【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 92laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
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【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 90laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1629814079/
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 91laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1632368110/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>169
これは理由がある
当時の開幕戦なんて まだ準備不足でまともに走らないようなマシンが走ってた
中嶋はトップチームのマシンで走っていたから 開幕戦からまともに走れた
(ロータスのマシンが酷かったというが そういうレベルではないマシンが走ってた)
完走さえすればそこそこな順位がついた
中嶋の1987年のシーズン前半のポイントの荒稼ぎはまさしくそれ >>166
本人は一番心技体充実してると言ってたが。亜久里ほどでは無いにしろ、少し楽観視してたんだろうね。 >>171
中嶋の1年目は、ホンダとロータスの信頼得るため、極力守りの走りしてたね
セナとのタイム差がそれを表してるし、攻めたのはコースを知ってる鈴鹿とシルバーストーンのみ F1ドライバーがコースを知っている、知らないってどれくらいの差があるのかな?
一般人ならばともかく、F1クラスのプロのドライバーだから初コースとはいえ、コース図は
事前に確認できるし、フリー走行で重要なポイントを確認できると思うけどな。 確か以前亜久里が初めてのコースは5周走れば大体掴めて来るってほざいてたな。 >>175
5周走って「電気系がー」って言ってストップしそうだな。 >>153
ホンダの予定では、中嶋は1987年にヨーロッパF3000フル参戦でコースを覚えつつスーパーライセンス取得、1988年にデビュー予定だったのよね
ウィリアムズが中嶋加入を断ったのを見たロータスが割り込んできて、1987年からのホンダエンジン供給と中嶋デビューを提案したことから、急遽前倒しでのデビューとなった。
予定どおりだったら参戦初年度はもっと麻紙だったかもな。
でも、俺は1987年で良かったよ。1000馬力時代にギリギリ間に合ったんだから。 ほんと、サトル・ナカジマには、いい夢を見させてもらったよ。
「全ての功績に感謝」
中嶋に対する評価はこれしかないだろ。 マシのことを「麻紙」って書くん!?初めて知りました。 川井といえばピットレポーターでサーキットをかけずり回っていた印象が今でもあるね。
一度すり込まれた思い込みは消えないわ。その川井は還暦でもう60歳か。 マイケル麻紙
胡散臭いステーキハウスとか経営してそう ググってみると "麻紙" ってあるみたいよ。
勿論、意味は違うが フジテレビONEで再放送する昔のレースって、ホンダが活躍したレースだけなのか
90年メキシコとか絶対ダメじゃん >>186
あいつらずっとバブルの中で生きてるから 当時、調子に乗ってなかった日本人は一人もいなかったはず もう顔にまで出てるからな
そんな時期に青春を過ごした世代が今お偉いさん そりゃ世の中乱れるわけだよ 川井ちゃんが鈴木保奈美の元夫って知ってる人も少なくなっただろうな。 ちょっと調べれば地雷女って分かったはずなのに
略奪デキ再婚とかどんだけ猛者なんだよ・・・ ユーロブリン、リアル、コローニを見てると、ミナルディってこの頃は下位じゃなくて中堅チームって感じがする。 現ダラーラの技術統括で元フェラーリとメルセデスのアルド・コスタと
空力担当のナイジェル・コパースウェイトが組んだマシンがそこそこ成功したからな 浮き沈みが激しかったティレルと違ってたなぁ…
TWRが早めにヤマハと手を切っていたら多分98年はミナルディヤマハだったかもね
他に供給先無かったし ティレルは変なチームだったよなー。
90年でダークホースに躍り出て、91年で飛躍すると思ったら思ったほどうまくいかず、何もかも失った92年で何故か復活の狼煙を上げて、93年に底辺を這いずったと思いきや、94年にプチブレイク。
これは行くか?と思ったらそのまま凋落して身売り。 数年に一度は目立つ感じやね。で、翌年ダメダメになったりとか。6輪の時もそうだし。 調子を下げるときには必ず日本人ドライバー、日本企業スポンサーが絡んでいる。 95年に普通にマシン作ってたらどうだったんだろうねぇ
GP CAR STORYでティレル023出て来るのを心待ちにしてるw
まぁどの道翌年にOX11Aで地獄を見るのか… 右京にもう1年!と夢を見させたマシン ベネトン蹴りの原因の一つ
まあハーバートと同待遇だった保証もないが・・・
フラビオのことだ、急かす契約に何か「仕掛け」があったかもな 95年のティレルはマシンもカラーリングもカッコ良かったんだけどなあ。ハイドロリンクサスが上手くいかなかったのが痛かったな。 3L化をJUDDに丸投げしたOX10Cも他のワークスと比較してパワー不足だったし
(ヤマハによれば他が想定以上にパワー出してきたとの事)
ハイドロサス以外は特に見るべきところも無さそうなシャシーだったから
94年程の活躍は無理だっただろうなぁ…
ガスコインは初めて全部自分で手掛けたマシンなんで思い入れがあるらしいよ
022はザウバーと021がかなり混入してるからw ティレルはこの頃は既にブラバムやロータス同様に過去のチームになってたからな。それでもその2チームより長く生き残ったのはさすがだけど。 最後はケンカ売却で終焉
いや、自分の寿命も長くないと分かった上だったのかもな・・・ 売却にまで漕ぎ着けただけでも大したもんだわ
ブラバムやロータスの最期と比べたら遥かにマシ
ヤマハ右京じゃなくてイルモアチェザリス続投してたら違った未来になってたかもね BARが出てこなかったらポールストッタードが買ってたかな
ミナルディ以前はティレルのスポンサーしてたし
ティレルのファクトリーや風洞もストッタードの会社の敷地に建てる計画だったしね
計画自体は実現性皆無の絵に描いた餅だったけどw >>211
イルモアは93年からメルセデスの息がかかり出し、カスタマー供給を
止めてザウバーのみに絞ってたような。 イルモアだのハートだのが大メーカーに互して競ってたなんて良い時代だったよね >>215
今はもう中小メーカーには夢も希望も無いもんな
DFRでもクルマの出来でワンチャンあった時代は確かに良かったよ
こればっかりは懐古主義ではないと思う 各マシンの見た目もバラエティ豊かだったしね
トップ4の車は色塗らなくても形だけで分かった DFRもジャッドも非力って言われても年に1回以上は必ず光る走りしてたよね。
DFRだったらティレル、アロウズ、スクーデリアイタリア辺り。ジャッドだったらレイトンハウス、ロータス、ブラバムか。 ハートチューンとかハイニマーダーチューンとか有ったね
あの頃のF1はまだレース屋の世界だったかな DFRって1基何円くらい?
金ありゃ個人でも買えるんだよな? マツウラDFVやブラウン無限なんてのもあったな。
F1ではハートDFRがトップだったような。 DFVは偉大だよな
20年前のワークス全面戦争時代も思ったが
今のPU時代更にそう思う DFRはお値打ちなのに、HBは無茶苦茶高かったらしいね。 基礎設計で20年の開きがあるからな
ガンプラで言えば300円ガンダムとHGUCガンダム位違う 1997年のハンガリー、以前よりチームはウイリのファンだったけど、このときばかりは
アロウズのヒルに勝ってほしかったな。
アロウズが優勝していたらF1ピットが大騒ぎになっていたことでしょう。 >>222
ジャッドV10も良いチームに使って貰えたら結構良い線行った気がする >>227
ジョン・ジャッド曰く、ホンダに比べたらクソ安いV10だ!!と豪語しとったな ホンダの1/10の予算で性能は90%
って言ってたっけ
要はこの残り1割上げるのはめっちゃ大変っ事なんだよな
ヤマハもJUDD GVをワークス仕様のGスペックに引き上げるまで半年掛かってたし V8もDFRよりジャッドの方がスパート力があるって言われてたな。 当時ジャッドV8を積んでたFW12とかロータス101とかよく見るとエンジンカウルのボリュームがすごい
V8なのにデカいエンジンだったのかな EVは76度なんて中途半端にしたせいでEDに・・・ メリットデメリット勘案すると
結局90がベストだったっぽいな >>229
レース部品屋に外注で済む範囲ってことかな、大物は内製でも 90度V8、60度V12はエンジニアのロマンです。 >>236
ヤマハの話だと
ワークスでしか扱えない新素材や高額の材料を使用したり
オーバーホールのマイレージが下がる様な改修を実施
ってな感じでワークス仕様に変更していったっぽ ジャッドCVが90度でEVが76度だっけか。
EVは最初レイトンに独占供給(バンク角にもニューウェイが注文つけて狭角になった)されてたけど、
CVよりトラブルが多かった気がする 多かったね、振動とか剛性とか90度では問題無かった所で色々あるんかもね
あとユーザー少なくて改良も進みづらいとかもありそう 振動といえばホンダRA109E系はカウンターバランサーで振動打ち消してたけど
ルノーやその後のV10勢はバランサー無しでどうやって振動対策してたの? 話変えて悪いんだけど、JJレートってどうしてザウバーやベネトンみたいないいチーム行けたんだろうな。嫌いじゃないけど、そんな力もスポンサーもあるドライバーに見えないんだけど。 >>246
多分そうなんだろうけど、ケケってワイルドな風貌とは裏腹に知的で頭キレるんだろうね。 息子にも「レースも良いけどちゃんと大学出ておけよ」
って言ってたりするしね
引退前にMAC移籍したのも「プロストと一緒のチームでやってみたかった」
と結構と達観した感じだよね
JJは「ケケはミカにばっかり良いスポンサー付けるんだよ」とかぶー垂れてた覚えが
それでもザウバー放出後もベネトンだからちゃんとやっとる
ベネトンはオーディションテストでタイム出したのが一番だろうけど 中嶋悟がフルタイムF1ドライバーとしてF1デビューして丸35年
まさか日本人ドライバーがタナボタ的勝利も含めていまだ1勝も挙げられていないとは思わなかった >>249
まず優勝狙えるトップチームからオファー受けるまで行けてない。 >>249
まず優勝狙えるトップチームからオファー受けるまで行けてない。 マルドナードやオコンするには
余程ヒキが強くないとなw そういえばあれだけ空力に拘るエイドリアン・ニューウェイはパトリック・ヘッドと組んだFW14まで
ロリー・バーンはジョン・バーナード遺産も生かしたB192までそれぞれサイドポンツーンフルカウルじゃないんだよな >>257
両デザイナー共カウル最後端のデザインを先輩のを流用して以後も使い続けてるってことよ
ニューウェイはレイトンハウスCG901BやFW13Bでも後輪側面にラジエーターの空気を抜いていた
ウィリアムズでヘッドが先にFW11と11Bでインタークーラーの空気を最後端で抜くデザインを導入していて
FW14で今度はラジエーターの空気を抜く出口を最後端にした
バーンの場合B190までポンツーン後端が開放型だったけどレイナードに一時移籍している間に来た
バーナードがマクラーレンMP4/1C以来続けてるポンツーンフルカウルをB191で導入した後
古巣に戻った翌年のB192以降も開放型に戻さなかった >>258
ギリギリ理解できたけど、なんつうか日本語が難しい人だね 要するにリアアクスル周囲までカウルで覆ってるかどうか >>249
日本人ドライバーのチームメイトが優勝したのは、1987のロータスのセナのときだけかな?
要は、最低でも優勝できるポテンシャルのチームに在籍していないと、優勝は難しいってことか。 リアサス周りを塞いでるかどうかって奴だな
あの部分プラモだと組み込むのが面倒なんだよね
アップライトをはめちゃうと付かないから
バーナードは640でも塞いでたな >>261
そう言えばそうだね。アレジとパニスは惜しかったな。 >>253
04年のBARはMI陣営で一番良いマシン作ってきたけど
BS陣営のフェラーリがとんでもなく良いマシン作ってきたからな… >>264
その2004年はフェラが圧倒的に強く、BARのバトンは表彰台10回獲得。
でもバトンと同じマシンの琢磨は3位が1回だけだったとは情けなかったよね。 >>265
チーム内でホンダの影響力が強まる中ホンダのドライバーだった琢磨に対してバトンは危機感を抱いてたと思うのだけど
ピット戦略で後ろになった琢磨に譲る事しなかったからねぇ、琢磨はちゃんと譲ってたけど
その辺徹底出来なかったチーム事情もどうかと思うが
それ抜きにしてもタイムの安定感が無かったりとバトンには負けてたねぇ
コースによってはMI最速ランナーとしてBSからマークされた事もあるけど >>266
バトンの方が若かったけどバトンの方が経験値あったから仕方ない部分はある >>250
トップチーム行くには日本企業のバックアップが無いと可能性ゼロだけど
中嶋、亜久里、右京以後は自動車メーカー以外から大きい援助も無かったからな。
腕一本でトップチームからオファー受けるとかそんな夢見たのは見始めて数年だけ。 >>268
そういう意味ではトップチームじゃないけど、ほぼ個人の力でレギュラーシート掴んだタキ井上は凄いなとは思うね。 マスコミの扱い方が空気同然だったけどな 皆と同じことをしないとハブる日本の風土病 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています