【Gr.C】グループCを語るスレ其の27
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1539087374/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>78
タミヤとアオシマが気を使っているね
ハセガワが新製品のヂーゼル機器 スカイラインでDUNLOPのデカールを
入れているようだから心配にはなるね
ドイツレベルもイエガーマイスター934でダンロップデカールを省いてるだけに 単純にロイヤリティの問題だけならハセガワが
「金額だけなら高くても払う」って社風なだけじゃないの?
再販はまず無いものと思ってたキャビンカラーのF3000を2車種とも出してきたくらいだし。
今のところ再販済み・予定の中に入ってないのはキャメルEJR
(これはアレジ車で需要はあっても今時のタバココード的に面白くもなんともない色になる)と
需要自体があまり期待出来そうにないポールスチュワート、
あとは許可自体が降りそうにないワコール童夢くらいのようだし。 ハセガワはそういう類いは限定生産品にして、ロイヤルティを取られないようにしていると思う
あと、長文は出て行って下さい >>83
数量で段階的な縛りがあるのかもね
1回に作る個数がタミヤとハセガワでは大きく違うんだろうか
地味にヂーゼル機器スカイラインは楽しみ >>85
「限定品だから全く払わなくて良い」っていうんだったら
ミニチャンのミニカーの限定何千個だって苦労は無いと思うけどな。
実際にはフレンツェン仕様がオニクスからしか出ないとか
ひところフェラーリをマテルに持って行かれるとかあった訳じゃない。
「数量や期間を限定することで支払総額が抑えられるし、売れ残りリスクも減る」
という話にはなるけど。
タミヤのレナウン787Bだって所謂「スポット生産」(限定品のタミヤ名称)には違いないし、
ましてやキャビンR90Vは煙草ルールが厳しくなって以降、キャビン販売終了後の今に至るまで
一度も再販されたことがない。 すいません、日産のワークス活動再開、耐久参入の流れ調べてます。
以下の通りで間違いないですか?間違いあれば指摘してください。
1979年
富士SS開始。日産、倉庫に眠ってた710ターボで参戦。
チームは原田レーシングカンパニー。ドラは柳田。エンジンは大森?追浜?日産本社どこまで関わった?
1980年
シーズン途中から史上最もカッコ悪いシルエットA10に。チームはセントラル20?
1981年
マシンをS110にチェンジ。東名?星野、セントラル柳田。
1982年
長谷見がシルビア/ガゼールの延長でスカイラインでSS参戦を計画。
ムンクラボディ、R&Ⅾシャシー、追浜エンジン。プリンスディーラー&トミカ支援。
この話を受けた本社(大森宣伝部)が、やるならもっと本格的とシルビア(サニー店)、ブル(日産店)の宣伝予算確保。
R&Ⅾからノバに代えて3台製作。パイプフレームに。
追浜はエンジンだけでなく自らもやりたくなるも、国内は大森、海外は追浜と言う住み分けの大人の事情で海外に目を。
外されたR&Ⅾ、ルマンとの共同プロジェクトで耐久スカイラインターボ製作。WEC富士には出ないでキャラミ遠征。
1983年
宣伝部(大森)予算、追浜エンジンと言う体制で耐久参入。宣伝部予算なのでマーチ83Gにシルビア、LM03CにフェアレディZと言う名前。
間違いあったら指摘してください。 1979年
チームは原田レーシングカンパニー。ドラは柳田。エンジンは追浜
日産本社は基本的に開発が止まってるためメンテのみ
1980年
シーズン途中から史上最もカッコ悪いシルエットKPA10に。チームはセントラル20?
シャシーはノバが開発しエンジンを710から移設
以上Ron参照 ネットを漁って見ると
ハラダレーシングのHPを見ると1980もハラダレーシングからの参戦となってるな
1980年柳田選手が富士で行われた3戦を全勝し、シリーズ優勝を飾ったとある
車両表記は皆A10と書いてるがRonのKPA10表示との整合性は良く分からんね R30系スカイラインの場合にGT系がHR30、RS系がDR30っていわれるように
積んでるエンジンとか細かい仕様まで詰めた表記をするかしないかの違いだけで、
要はあの510ブルーバードもどきのA10系バイオレットシリーズだということには
違いは無いんじゃないの。 ところでこのBRE DATSUN510みたいな仕様って何で日本で売らなかったしw
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/1978_Datsun_510_two-door_sedan_front_left.jpg
まあそもそもPA10系のバイオレットシリーズ自体が日本で成功したか自体が印象薄いけど、
初代が暑苦しいデザインで成功しなかった、3代目は日産には珍しく技術面で意欲的な面と
進歩的なデザインを盛り込んだばっかりに、海外では成功したものの日本国内では大失敗だったというのからすれば
このセグメントの市場規模からいえば無難な売れ行きというレベルかしらん。
だったら未だに510ブルの思い出に浸ってる層は当時の日本にも結構いたから
持ってきたら売れたかもしれないし、こっちを日産トリコロールに塗ってGr.5トリムにしたら
3ドアの方より受けよかったんじゃ。 1979年の富士1000kmにPA10のバイオレットが参戦しております。トラブル続きで本ちゃんは不参加。ドライバーは星野、長谷見、柳田だったかチト曖昧ですまん。
カウル等変えて9月10月(11月だったか?)GCに参戦。
80年はカウルを初参加時に近いモノに変えてました。
710のバイオレットは3月5月のGC、6月の富士500kmにてお役ごめん。
500kmの時は星野/長谷見が乗っていたと思う。 A10系のバイオレットそのものは日本国内ではそれほどスポーツイメージ無くて、
もっぱらラリーやダートラ(4駆にして使われた例もあるとか)で使われてたという印象なんですけどね。
それをあえて79年〜80年時点でGr.5スーパーシルエットに仕立て直して出してきたのは
とりあえずGr.4の公認がある手持ちがそれしかなかったということなのか、
もしくは発売したばかりでプラットフォームが共通のS110シルビア/ガゼールで
近々始める予定があるということで、そのテストベッドには充分役に立つという判断だったんですかね。 皆さんありがとうございます。
特に>>93タナケンさんお久しぶりです。ありがとうございます。
えーと、710から史上最もカッコ悪いシルエットA10に変更したのは1979年ですね。すいません。
当初は耐久もスプリントも出てたんですね。追浜チューンか大森チューンだったか、どうでしょう?
それと「長谷見や星野が乗る」「(カッコ悪いとは言え)年代もの710からA10に変更」と言うことで、多少なりとも日産本社の関わりはあったような?
そもそも倉庫から引っ張り出した710ターボは正真正銘、日産ワークスマシンだし。 A10にセントラル20のステッカー貼ってあったと思いますが、チームはハラダレーシングカンパニーだった?
81年のガゼールはセントラル20で間違いないですよね?で、ホシノレーシングっていつできました?
F2とGCがホシノレーシングからになるのは83年からでしたが、81、82年の星野シルビアのエントリー元は?車名に東名があったけど。
黒井さんがレースの取材始めたのは82年からなので、81年の星野シルビア、柳田ガゼールが無かったことに。 >>96
1980年のKPA10はハラダレーシングが走らせたとハラダレーシングの
HPで確認したと書いたけど確認してないのか?
それにエンジンもLZ18は追浜で開発したと書いたが信用されてないようだが
Ronを参照にしたと書いてるがな
コテハンしか信用できんようだな残念だ いつの間にかグループAスレ落ちてるので立てようとしたらダメだった。誰かお願いします。 ここ見るとセントラル20から柳田バイオレット、ホシノインパルからシルビアと。
https://motorz.jp/race/great-car/70568/ 1982年、追浜の耐久スカイラインターボのシェイクダウン時、あの桜井真一郎さんもいらっしゃいました。 >>97
そもそもレーオン自体、誤記が多くて信用出来んからなw 黒井さんもよく取材して書いてるのはわかるが、時折素人でもわかる事実誤認がある。 エントラントがどっちってのはともかく、柳田さんが乗る日産のマシンなら
ほぼ漏れなくセントラル20のステッカーが貼られるってのは
長谷見さんの車にトミーのステッカー(トミカと限らずスロットカーのAFXだったりする事もある)とか
星野さんの車にインパルやニチラのステッカーくらいの確率なので。
逆にエントリー名義は原田レーシングでレースオペレーションがセントラル20とか、
原田レーシングはスポンサーとして付いたとか何パターンか考えられるんで、
「公式記録上の話」だったらJAFのデータ見た方がって話に。
エントリー記録としてのチーム名/メンテナンスガレージとかは
当時のパンフレットとか雑誌とか探さないと分からないし。 >>101
Gr.Cだってルマンを最後に走ったのが四半世紀前、全盛期は30年くらい前だから
その頃に新人で入った編集者がもう50代、当時の中堅がもうとっくに定年になってる年だからね。
カーグラにしても当時チーフテスターやってた加藤氏が分社化された版元自体の社長だよw
編集長だったクマさんとかモタスポ担当のサカさんとかはもうフリーになっちゃってる。
787Bの20周年記念レストアの時に「慣らし運転兼試乗」でドライブした大谷さん辺りで
ギリギリ当時を知ってる世代じゃないのかくらい。
逆にいうとレーシングオンの初歩的な間違いレベルのやつは
社内の重鎮級の人とか、ご意見番的に気候してる古参のフリーランスの人とかに確認するか
もしくは彼らが監修してでも止められるだろうが的な。 ハラダ・レーシング・カンパニーが自分のHP上で
自らが走らせたと書いてるのに信じれんのかこのキチガイ達は >>106
あの当時のシェビエカラーの車でフロントガラスにもHRCのステッカーが
貼ってある写真もあるのに
HRCハラダ・レーシング・カンパニーが走らせた車と信じれんとはな
匿名掲示板でイキらず関係者にでも直接聞いてこいやw というか、当時を知らないからあえて聞くとすれば
ハラダレーシングというチームが、自社でガレージやメンテナンス体制まで
全部万端整えるタイプの組織だったのか、後の郷レーシングみたいな感じで
家業のSSリミテッド(CIBIEの日本代理店)をメインスポンサーとして
体制をマネージメントすることが中心で、メンテナンスは外注するシステムだったり、
「自社でも出来るけど外注することもある」だったのかとか
それによって状況違ってくるけど実際どうなんですかと。
「ハラダレーシングとして走らせたけど柳田さんが乗るんで現場運用はセントラル20だった」
ってことなら両方間違ってないし。
実質的に日産のワークスカーであるものを借りて来たんだったら
別にそういう三社ジョイントベンチャー的な体制でおかしい事もない。 関係者に直接聞いても「そいつの記憶が正しいかどうかわからない」って言い出しそうだな、ここの連中は このスレにも関わる話題でいうと、もう息子さんの代になってからだけど
94年のルマンで三州瓦カラーのポルシェ962GTI(車両そのものは元トラスト2号車の962GTI-203RL)
を原田淳さん/おトミさん/マッチで走らせた時には、
マネジメントがハラダレーシングだけどレースオペレーションと車両所有者はADAエンジニアリングという
そんな体制だった訳だし。
確かこの時のフロントカウルだけレーシングパレスにぶら下がってる画像があったはず。
そーいえばコレ何で同年の鈴鹿1000kmには来なかったんだろ。
仮に94C-Vにアクシデントが起きなくてもLMP1クラスの表彰台がほぼ間違いないのにw
ましてやダウアー来てても総合の表彰台狙えるレベル。 >>109
っていうかむしろ誰に聞くかによっては手柄の取り合いになっちゃう場合もあるというのが
よくある展開ですし。
このバイオレットの場合にはそういうパターンの揉め事は無いにしても、
喧嘩別れとか権力闘争とかでよろしくない訣別をしてる間柄の場合とかに
かえって分からん話になっちゃうことも多いので、
その場合はある程度距離を置いて見てた人が健在ならその人に聞いた方が良かったりとか。 JAFのデータベース検索したらセントラル20ですね。信じていいのかはわかりません。 第三戦までHRCのステッカーがフロントのガラスに有りますが
第四戦時にはセントラル20になっているのが気になりますね。
何処かに使えるアップローダーがあれば過去にスキャンした画像があけられるんですが ハラダレーシングは79年の状況しかわかりませんが
チーム監督原田信二氏、チームマネージャー西島和夫氏
チーフメカニック五十嵐協二氏、エンジンはBMW (東名自動車)
メンテナンスはハヤシレーシング。ソースはAT誌79/3 AT誌79/12GC延期第四戦リポに今回からシビエの文字が消えているとの記述が有ったんですが
予選あたり迄は書いてあるんです。決勝のはっきりした写真がないので真偽詳細は不明。 一応JAFのデータベース
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?mode=detail&race_id=3064&no=20
RRC筑波チャンピオンズレース最終戦
予選タイム 1:01.30
チーム名 セントラル20レーシングチーム
ドライバー名 柳田 春人
バイコジンバイオレットターボ >>114
するとやっぱりガレージ伊太利屋とか後年のテイクワン(これも柳田さん関わってる)とか
郷レーシングみたいな感じに近いと。
シビエが正式にスポンサー降りたかどうかで、完全にハラダレーシングの手を離れたかどうかが
外観的には判別出来そうな気もします。
逆にその辺りから日産のプロジェクトとして本格的に動くことになった、でも時系列は揃いますし。 >>107
素直な(脳味噌でおめでたい)やつだな。 93年の鈴鹿1000kmで走ってた伊太利屋カラーのR9xCP
(車両年式とかエントリー車名が曖昧なんで下一桁まで確定させないでおく)が
何か凄く込み入ったことになってたし。
R90Vや91VPの時の「買ったか借りたかはともかく体制もエントリー名義もチームルマンで、
車体に塗ってあるのはあくまで広告看板」ていうほど話が単純じゃなかったと。
あとキャビンカラーの車はレースオペレーションが何であっても「キャビンレーシング」
って最初に冠がつくとか、アドバンカラーの車もそういうのがあったし。
その後に「with○○」みたいな形で運営母体がつく形。 「レーシングチーム」とは、エントリーリストに出ているチーム名を指す。
ただ「レーシングチーム」の実態は、「実際にチームを運営する個人もしくは法人」と、
「参加車両をメンテンスするガレージ」になる。
ワコールトヨタ童夢85Cのチームは「株式会社童夢」。ここがマネジメントしメンテナンスする。
1981年、82年のSSシルビアのエントリーリストのチーム名は「ホシノレーシング」。
ただしまだこの時期ホシノレーシングは法人化してない。インパルがスポンサードの東名自動車と言うのが実態。
83年に法人化したがメンテナンスはセルモやRS中春。
1983、84の耐久チャンピオントラストは、実態としてはトラストがスポンサードするノバエンジニアリング。
1992、93のチーム国光は、タイサンがスポンサードするニスモ。
ノリピーハウスレーシングチームは名前だけで実態はない。 星野さんのシルビアは後のマーチ83G日産あたりまでに関していうと
車両自体の所有者(エンジンは多分日産ワークスからのレンタル)が
どっちだったんだろうというのは気になるところ。
LM0xC系を選択した長谷見さんや柳田さんにしても、
あれは日産が買ってくれたのか、車体については各々の会社で買ったのかという話になるし。
チームルマン自身の車両は、LM05Cの最後期は日産からエンジン回ってこなくて
トヨタ積んでたところから見るに、あれはルマン商会の自社所有だったと見るのが自然としても。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BBLM05C
この記事ではLM05CにVG30積むとシャーシが耐えられないからという理由が記されてるけど、
VG30用のマシンはマーチ86Gを用意して、ルマン持ちで2台体制を維持出来るということだったら
余ってる旧型の4発を融通しつつ、「アレは何で駄目だったのか」の洗い出しも出来れば
日産的にも別に損をすることもなかったんじゃないか感が。 SSは3台とも座間にあることからすれば、日産のものをホシノR、ハセミMS、セントラル20に貸し出して、今は返してもらった、ような気がする。
マーチ83やLM03が座間に無いこと見ると、カネは日産が出してもホシノR、ゼントラル20が買ったのかな? エントラントが法人かどうかは関係ないだろ
屋号を使っても問題ない 83Gは星野さんのところが買ったはず。レーシングオンの振り返り企画で読んだ。
AT誌に森脇さんが車の出来がちょっとね〜的な事を寄稿してたけど
星野さんはあんまり悪く言ってない。由良さんがアンダーカウル作り直したりが利いたのか
ダウンフォースは凄かったそうな。
LM-04、座間に有ったのは追浜で自腹切って買ったエンジンテスト車で良いのかな?
85年のWECJAPANで中子さんのLM-05が二位になったのは追浜サイドとしては相当嬉しかったと当時の雑誌に。良くも悪くも日産ぽい話。
個人的には中子さん天才の中の天才だと思ってるので、勝って欲しかった。 星野さん自身はポルシェ956を使いたくて日産に直談判した、みたいな話もあったので、
それならスカイラインターボCやLM03/04Cから比べると、「きちんと世界標準」だった
マーチ83Gは、エンジンの性能差こそ如何ともしがたいとはいえ
欲しい物には充分近くて、エンジンが調子よく回ってる時は一矢報いる程度の走りは出来るから、
日産が次に専用の車を作ってくれるまでの中継ぎとして使う分には
これは充分及第点だ、と思ってたかもしれませんね。 エンジンは糞だったが、マーチ83Gは結構いいクルマだったと聞いたが。
もし星野が日産辞めたら、ニチラ(当時まだ日産の子会社)じゃなくて、ラークポルシェだったのかな?それはそれで見てみたかった気もするが、やっぱカルソニック日産、カルソニックスカイラインが無いと…。 SFでトヨタになっている現在を思えば、自前チームならありえるかも…<ラークポルシェ レーシングオン488号だね、710ターボの話。
追浜で開発。 86年辺りにはまさかのByZEROマーチ86G/BMWとかいう流れか…。
いや、正攻法でマツダの了承取ってトラストの956に乗ってた片山義美さんみたいなもんで
流石にVG30で本気出す頃には日産が呼び戻すだろうけど。 まあでもCカーで2回チャンプ取って、デイトナでも勝ったから我慢して良かったんじゃない?
星野と言えば、ラーク、レイトン、キャビンでなく、やっぱカルソニックだろうから。 >>129
BMWとか何載せる気だw
2リッターNAのM12/7か??? Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< >>130 待って、待って、星野くんにも風が吹いた訳だよ。
_φ___⊂)__ \_______________
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| AutoExe |/
>>131
86年だとアメリカでIMSA GTPに出てたほぼそのまんまというか、
もしマツダと同じくGTPクラスに出るつもりなら多分アレそのまんま引っ張ってきても
ルール上は走れるはず。燃費がもつかは別として。 >>124
83Gは 星野さんが鈴鹿のイベントで
俺が3800万円出して買った って話してたw
3800万円でシャーシ一式を買ってきて 日産のエンジン載せるのに更にかかってるのかな? 956が当時丸ごとで6千万くらいじゃないかといわれるのを聞くと、
実際に星野さんのところに日産からは請求書は来ないにしても
エンジン+補機類+フィッティング作業の代金考えたら出来上がり価格は似たような感じってなりますね。
片山さんが84G買った時も値段は同じくらいとすると、
あれはワンオフの13Bターボだから単純に比べちゃいけないにしても
普通にスポーツキット13Bならポルシェとの比較なら圧倒的に安く上がる流れか…。
当時DFV/DFL系なら幾らくらいとか、まだ962が出てないからIMSA-GTPでは規定上使えないんで
マーチシャシーにポルシェエンジン積んでた例(WECでもコスミックレーシングが同じ事やってた)とかもあるけど、
ポルシェエンジンのパターンだとお値段的にはほぼ956/962IMSAと同じくらいの値段になりそう。 この頃の日本のGr.Cカーってのは注目を浴びたり(←タミヤ的)
結構な戦績を重ねても意外と消息不明になってるのが多いものだけど、
ローテックM1-Cも最終的にどうなったんだという疑問が。
MCSグッピーは3台のうち2台までは現存してるのが確認されたし、
ミサキスピード・トヨタはスリックカート場に引き取られて展示されてる。
ポルシェ956はトラストの車両は「最終的に2台とも大破した(最後に使ってたのはブルンから借りたもの)けど
海外のコレクターが引き取って現役当時のカラーリングでレストアしたので現存してる」
というのが後年になって判明するし、アドバン956も
千葉さんのところにまだあるんじゃないか(これが国内に現存する可能性のある唯一の956)、
さらにマーチ83G日産はつい最近になってコレクターさんが持ってたことが分かったというように、
ヒストリックレーシングカーの価値が日本でも認められるようになった近年になって
ようやく現存していたことが分かる車両ってのも多いけど。
マツダの717〜737系は、737は私設博物館まで持ってたドイツのコレクターが保存してたことが
早くから明らかになってたけど、717も1台残ってるってのはここ数年くらいで分かった話だし。 JSPCスポンサー選手権
トラスト2勝(3勝)
ロスマンズ3勝(1勝)
ヰセキ4勝(1勝)
アドバン9勝(1勝)
日本信販1勝(1勝)
ワコール1勝
ニチラ/カルソニック8勝
フロムA6勝
ミノルタ4勝
シルクカット2勝
レイトンハウス2勝
メルセデスベンツ3勝
オムロン1勝
デンソー4勝
YHP3勝
エッソ4勝
サンテック1勝
伊太利屋(1勝) >>140
トラストの自社カラーは活動時期が短かったんじゃないかと思ってたら、
日石カラーの方が962GTIになった頃にノーマル962Cの方を自社カラーで走らせてたと知って驚き。
その仕様の方が最近ホットホイールで製品化されてたりもするし。 ハセガワからもプラモデルが限定品で出ていたな
ゼッケン99で トラストカラー
1983ポルシェ
1986開幕戦ポルシェ
1988開幕戦ポルシェ
1992第二戦までトヨタ 1992は日石カラーのトヨタ、トラストカラーのポルシェの2カー考えてたが当てが外れる。 >>144
ファブカーの962cが浮いちゃったって事? 1992年に星野一義のF3000に日石を持っていかれたと思ったら
IMPULは1993年からなんだよね、1992年にトラストを離れてた
日石がどこにスポンサードしていたのかが不明。
ちょいと調べてみたら1991年のトラストポルシェは何台あったんだろうね?
JSPCはSn/166シャシーとGTIシャシー
最終スペックのSn/170は未使用
ルマンで走ったシャシーNoが何番かがわからなかったよ 1992年の日石はルマンの3000の和田。前年のトラウマの影響か、ラルトが糞だからか、ダメだった。
()は非全日本選手権。 >>145
あの真っ白にステッカーだけ貼ってある170番台のは
ルマン用のスペアかなんかで手配したのかと思ったら使うつもりだったとは…。
トラストの経営再建でコレクション整理した時に売りに出されて海外のコレクターが持ってるようですが、
「シェイクダウンですら走ったかどうかというくらいの新品同様」とは、
歴戦のヒストリー付きとは別の意味で物凄いお宝。
マツダコレクション956だって1レースは走ってるんで。
>>148
RT24Jが使い物にならない酷さだったっていうのは
中企の中野信治選手も、NMSの藤永敬道選手も証明しちゃった通りですので。
代理店であるチームルマンですら見限ったんで和田選手の車は途中からレイナードになるんですが、
そのレイナードでまた派手なコースアウトをしてモノコック壊すとか、
走りに精彩を欠いたというよりは運に見放されてた感が強いです。 >>147
http://962group.com/registry/956_962/index.htm
このリストで見ると1990年に159番ってのを買った記録があるようです。
購入時期からいえばこれが一番可能性高そう。
GTiも106Bを中古で買ったうえに、後にADAに渡った203の方も
最初に買ったのはトラストなんじゃないかといわれてる
(106Bを事故で大破させた時に買って、その後で修復の済んだ106Bも戻ってきた)ので
トラストが使った956/962系を累計したら凄い台数になります。
956も幻の3台目があった(ISEKIカラーの956Bが炎上大破した時にブルンから借りて来た)、
さらにはプレストン・ヘンから小口千景さんが買い取って初代フロムエーで使った車も
事故で大破したあと部品取りとして長年置いてあった
(さらにこの後で海外のコレクターの人が買って帰って、プレストン・ヘン使用時の状態でレストア)
というんで、ざっくりで956だけで4台、962Cが4台、GTi2台ということに。
こりゃ確かに海外のコレクターさん達がブルンやクレマー、ロイド辺りと並び称すくらいのレベルで
向こうに渡ったトラストの車を凄い大事に扱ってるわけだ。まさに極東のカリスマ。 1985年のスズカ1000Kmのパンフを見ていたらA-CLASSやB-CLASSで
B-310やKP61やBMW320、CR-Xやトレノとか闇鍋状態で凄いな BMW320ってまさかGr.5仕様のターボのやつですか。 >>152
写真は載っていないから詳細は不明だけど外人ドライバーだから遠征組みたいだね 91年のSWC開幕戦でトラストが走らせたマシンが物凄く170っぽいんだけど誰の記憶にも残ってないらしく話題になることもない 159は90年ルマンのみ出走のロングテール。08年のトラスト破産で放出された時点でる 途中送信スマソ
159は08年にトラストが破産した時に放出された時点で、90年のルマン出走時点から車検ステッカーが91年のものに貼り変わり、その他の小口スポンサー…というか自社製品のステッカーの配置が若干変更された状態だった
91年のルマンにも持ち込まれて車検はパスしていたのかも >>156
SN166ゼッケン12日石カラーかなあ
クラージュから借りてきた? 91年のSWCの開幕戦にクラージュの枠で出てて、
確かオートポリスの時も居た(この時は962GTi-106B)ということは
資金とか諸事情が折り合えばルマンにも出るという可能性は
ギリギリまで模索してた可能性はあるって事ですかね。
実際に現地に持ち込めて車検までクリア出来てたのなら走るだけは走れちゃいそうなものだけど。
もしくは90年に使った車をベースに91年仕様で準備をしてはあって
(だから逆にいうと90年の時のカラーリングなりラッピングはもう剥がされちゃって付いてない)、
ギリギリになって断念したことから、「幻の車検ステッカー」は作って貼ったとかいう線も。 >>156
#170番も海外で売却したショップの宣伝写真が残ってるけど
実戦未走行車として売ってるから億単位の商取引だからその辺りは
クリアしてると思うよ >>161
170は実戦未走行で間違いないと思う
91SWC鈴鹿にトラストは2台体制
シャシーナンバーを見るとスペアカーも含めトラストは結構な台数買ってるんだな 12号車は外装が今の170と同じなので怪しいと思ったけど、166が化けてただけなのね。な〜んだ
ルマンまでに普通のショートテールに戻ったのは実績のある方を選んだとかそんなとこか >>162
日石のスポンサー用であれだけの車両を購入できたのか
それとも本業の利益もつぎ込んだ結果なら長い目だけど会社が傾くのも分からんでもないね
会社差し押さえの時TOYOTA94CV以外にも962Cを複数台売却せず保管してたからね >>147
91年のルマン走った緑白の49号車のSNが分からないな
166かな >>165
すまん
ルマンの91年の年鑑見てたらズバリ載ってた
トラスト49号のシャシーナンバーは159らしい
こういう時昔の洋書は役に立つな
オクで揃えておいて良かったよ >>167
ありがとう
159か。つーことは前年のロングテールをショートにしたのかな >>168
うん
年鑑によると90年の63号が159だからそれでズバリだと思う ショートテールにしてからしばらくしてまた元に戻したのか なんだ、Cカーで一番有名なサイトにシャシーナンバーは全部出てるじゃないか
わざわざ洋書を引っ張り出すことなかったなwここで調べると良いよ
https://www.racingsportscars.com/photo.html でもそのサイトですら案外適当だったりするので、Twitterでガチ勢の情報も合わせて見た方が良いかも 「日本のレース100戦」の91SWCオートポリスは
787Bの001と003が一般に言われてるのと番号が逆で記述されてたけど
(チャージが001でアンフィニが003になってた)、あれが誤記なのか当該レースでは
ホントにそうなってたのかとかいうレベルで。
なおトラストの962GTiが106Bという記述は、「203RLも併用していた時期があるものの
この時点では106Bに戻ってる」という可能性の方が
現存している2台の現況
(203RLの方はADAの92年仕様、106Bはトラストに残ってた時の状態で売りに出て海外の人が持ってる)
からいえば高い。 >>164
トラストの民事再生法の理由は「あの時点での自動車用アフターパーツ市場の縮小」
って話だったから、もう固定資産税に関していえば掛かるのかどうか分からないという水準で
昔使った車がガレージに保管してあること自体は問題じゃなかったと思う。
高額の税金払う必要があった時期は充分払えるくらい儲かってたし、
その時点で売り飛ばして社内留保に充ててりゃ良かったかは分からない。
むしろイベントの時とかに出してきて集客できるという意味では
「会社の貴重な宣伝大使」としての役割は果たせてたわけでしょ。
破産競売にせよ任意売却にせよ、この時点の破格の相場で売れたから
その後の会社の再建はスムーズに進んだっていうのなら、「持ってたから役に立った」ってなるし。
なおトラストだけ駄目だったわけじゃないって話でいえば
これより少し前にはスピードスターレーシングだって潰れてるし
(今売ってるのはタナベが権利買い取って作ってるやつ)、
挙げ句はこれから程なく、純正納入という太い収入源まで持ってた日本BBSまで
会社更生の申請に至ってるっていうくらい「高級チューニングパーツ」的な業界が厳しい。 203もトラストが運用してたってことはあそこGTiだけで一時3台も持ってたんかすげぇな http://www.thepalace.jp/restoration.html
二台のGTiポルシェ。少なくともトラストが破産した後?
106Bが実は二台居て、その二台が同時にレストアを受ける様子だと思ってたけど
もし片方が203だとしたらADAで走らせたのをここでトラスト仕様に戻したということになる RLRから最初に回してもらったのは106Bで、それを合同テストで1回大破させたことがあるらしい
(この時にGTiフロントカウル付き変則仕様の962Cで1回レースを戦った事がある。962C-166?)
というので、向こうにあった203RLを急遽回してもらって
106Bもかつての956GTi-106B→B2の時みたいな感じでリビルドしてもらったという感じでは。
もしくは元々106Bは中古導入だったから203RLは既に新車で発注してあって、
届いたら置き換えて106Bをスペアにするつもりだったのが、事故大破で大規模修復した結果
106Bの方が新車に近い(またはスペックが新しい)という状態になったので
最後期にはまた106Bのほうがメインに復帰して、稼働率の下がった203RLがADAに渡った流れか。
レーシングパレス=ハラダレーシングは203RLの方とも縁があるので
(94年に三州瓦カラーで原田淳さん/マッチ/おトミさんで走ったあの車がADAの962GTi-203RL)
トラストに残ってた部品まで使ってレストア作業をしても案外不思議の無いところかも。 なお962GTiに関しては、ピアマンコレクション所蔵の2台(キャビンの200と伊太利屋の201)
の記事まで見た限りだと、どうもアルミハニカムだけで形成されたタイプと
主構造はアルミハニカムでも、カーボンファイバーで補強を当てたタイプと2種類あるようで、
最後までRLR自らが運用していた上記2台はカーボン貼ってある仕様。
ちょうどブルンやクレマーのオリジナル後期型みたいな感じ。
逆にフルカーボン作ったのは確かシュパンだけのはずだし。
こうなると壊す前の106Bと203RL、さらにリビルド後の106Bが
各々どういう仕様で作られていたのかによって、最後までトラストに残ってたのが
106Bの方だった理由も分かってきそう。
単純に剛性高ければ良いとは限らず、日本のコースに合ってると判断された方ということもあるし。 AlphaCubicRacingがRLRと提携して1990年に全日本で走らせた962GTIが
上で紹介されていたサイトに掲載されていないね
Sn#200号車が1990年スズカのWSPC戦以後WSPCに参戦していないから
これが日本に残留して全日本に参戦したのかもしれないけどね
中盤戦で全損してリペアはされていないようだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています