【Gr.C】グループCを語るスレ其の27
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1539087374/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 東名スポーツがメンテしてAリードが乗っていた黒色のAlphaポルシェがあったね 962っていくつかバリエーションがあるみたいだけど何が違うの?
リヤウイングが大きく突き出てタイプとフラットなタイプもあるけど 東レはプラスチックや化学繊維で原材料メーカーとしては
普通に自動車と関わってたんじゃないかな。
直接名前は出てこない範囲で。 >>510
フラットなタイプはルマン仕様でウイングの高さが低くて幅が狭い
ユーノディエールが直線だった時代のルマン用に作られた
トラストが初期にルマン仕様で国内走ってたのはお金がなかったのかな?
突き出たタイプはショートテールと言って普通のサーキット用
ダウンフォースを沢山稼ぐためにウイングを高く幅広くしてる >>512
欧州と日本との距離の差でショートテイルカウルのデリバリーが遅かったのもあるけど
NOVAの森脇氏いわく当時のFUJIならロングテールでも勝負できると判断して
ロングテールでWECJAPANに挑戦し、成功して欧州のポルシェチームを驚かせたそうだ >>512
ロングテールだとノーズが少し短いんだっけか
あと、ショートテールだと後期では各プライベーターがそれぞれ独自の分割ウイングを採用してたな
>>510
962:956を基にIMSA仕様にすべくフロントタイヤの位置を前方にずらしたやつ、エンジンはSOHCのシングルターボ仕様(エンジンカウルに大きなインテークが有るのが特徴)
途中で排気量やカウルが変わってる
962C:グループC規定改正にともない962ベースで開発したやつ、エンジンは956からの改良型DOHCのツインターボ
こちらも大まかながら以下の所が年々変わってる(クッソ長文なのでカウルは割愛)
・エンジン:2.65Lの半水冷から2.8L、水冷の3L、3.2Lまで増えてECUもデジタル化
・タイヤ:途中でF17、R19インチにサイズアップ(その関係でリアカウルの形状も変わる)
・ディフューザー:初期は後端がリアカウルに当たるぐらいの跳ね上げだったけど、規定変更で控えめにされてる
・モノコック:変更点は先程の通りだけど、プライベーターでカーボンにしたやつがある
結論としては訳が分からないぐらいいっぱい有るよって感じかな まだ子供だったころ、RLRのGTIが962の改造車だとは思わなかった。 オースポに956用ショートボディが720万と書いてあったね。 >>510
大きく分けて
・標準(ハイウイング)
・ルマン用のロングテール(ローウイング)
・90年以降のショートテール+リアウイング独立型、新フロントカウル
・RLR、クレマー等の独自改造車
エンジンも何種類かある。 アメリカのアンディアルが開発した3.2リッターも燃費が悪くて
WECではBRUNしか使わなかったな
JSPCで使用したチームがいたかはよく知らない
3.0リッターエンジンのアンディアルチューンは走ってたけど 962Cはノバ(タイサン)のアドバンとトラストの日石が好き。 1983
ノバ(トラスト)
1984
ノバ3台(イセキ、アドバン、フロムA)
1985
ノバ2台(アドバン、フロムA)
トラスト
アストニッシュ(アルファキュービック)
1986
ノバ2台
トラスト
アストニッシュ 1987
ノバ2台
トラスト2台(日石、ロスマンズ)
アストニッシュ
アストニッシュ+クレマー(レイトン)
1988
トラスト3台(日石、ロスマンズ、トラスト)
ノバ3台(アドバン、フロムA、オムロン)
アストニッシュ2台(レイトン)
1989
ノバ2台(アドバン、フロムA)
トラスト(日石)
東名(BA-TSU)
シュパン(オムロン)
ブルン(アルファ)
アストニッシュ2台(アルファキュービック、レイトン)
1990
ノバ2台
トラスト
タイサン
東名(アルファ)
RLR+アストニッシュ(アルファキュービック)
シュパン(オムロン、武富士)
訂正あります? 東名BA-TSUアルファとノバアドバンアルファのアルファってたまたま同じアルファなだけ? >>522
以前調べたら1989のADVAN-Alpha号のメンテ先がTomeiSoprtの変更されてる
資料を見付けたことがあった
ソース元は失念したので参考までに 94年にヨーストが走らせた962C-011がいいな
フロントにオイルクーラー移設してNACAダクトがあるやつな >>525
同意するけど011は1989年の間違いじゃね?
1994年はダウアー962走らせてたんだし フェンダーの上あたりがちょっと壁があって空気逃さないような仕様になってたのはキャラミだけだっけ? >>523
大産のこと。千葉さんの会社。ブランドのアルファで活動してたが似たような名前増えてタイサンに。
89年
アドバンアルファノバ アドバンアルファ962C
アドバンアルファ東名 BATSU-アルファ962C
90年
アドバンアルファノバ アドバンアルファ962C
チームタイサンクリッパー アルファポルシェ(BS)
91年途中、トムスにぶつけられたことに抗議して撤退(と言うのは表向きで要は勝てないから?) 91年は千葉さんはYH、DL、BS3台でル・マン遠征考えていた。
1000kgルールとか、バブル崩壊とかで辞めてしまったが。 噂だけならアドバンメルセデス、アドバンローラと言う話も。 91年ル・マンに日産が3台のR91CPで出てたら勝ててましたか? まじレスすると、日産の現場サイドが考えていた体制は
ニスモR91CP 1台
NPTI R90CK 2台
ルマン R91CP 1台
ノバ R90CK 1台
ひょっとしてクラージュ?
ニスモとNPTIのタイヤはGY
前年の敗因 ミッション ブレーキ タイヤ、チームワーク、時の運。
ミッションは対策済み。ブレーキも対策済み。タイヤはNPTI通してGY。NMEが消えてチームワーク問題なし。
あとは時の運。こればかりは。
シミュレーションでは前年より8秒短縮。100kgの錘で5秒落ち。トータル3秒短縮。
メルセデスとのガチだったっと思うが、結果的にメルセデスはトラブル。あとは神のみぞ知る。
机上の計算で勝てることも大事。机上の計算で勝てないチームは本番でも勝負権ない。 >>534
1991年のJSPCではBSを履いていたけどルマンでGYに切り替えられるほどの
しがらみがなければよいのだけれど
1992年のDAYTONA24thではGYを履けたから有りなのかもね
1991年のチームル・マンの車両は89C改造のR91VP
NOVAも92年のデイトナには遠征したけど91年のル・マンに遠征してくれるかは
良く分からんね
ニスモも二台目を準備してNMEの外人トリオを走らせてたら面白いよな >>534
その3秒短縮は燃費こみこみの決勝シミュレーションなの?
燃費レースなんだから燃費のシミュレーションが先じゃね? >>535
91年のルマンはR90CPと思わせておいて実は新車のR91CPだったトリビア。
04号車。ちょんまげが無くミラーの位置が違うのはカムフラージュ。 R91VP、当時は、86Vからの流れで 型落ちというイメージだった。
リア翼端板も、CPとは異なった。
コクヨR91CPも、リアの空力は大きく変更していた。
まぁタイヤも異なるから 自由に使えたのかな?
ルマンの日産Cカー
1984年 LM04C 1号車 事実上ルマンのワークスカー。でも日産としては4番目扱い。
1985年 第3戦からLM05C ワンオフ。後にトヨタエンジン搭載で延命。
1986年 マーチ86G 新車 日産3番手に「昇格」
1987年 マーチ86G2年目 WECでポール
1988年 ル・マンから新車のマーチ88G ガンダム並のワンオフ
1989年 マーチ88G2年目
1990年 EXワークスのR89C
1991年 第2戦から新車のR91CP供給もクラッシュおしゃか >>506
旦那が自分の下僕じゃ世間体がアレだからと税金対策で車屋やらしたの。 >>507
ガレージ伊太利屋は林さんが自分のコレクション維持のために作ったのが最初。
男にしか興味がない人だから外人レーサーに熱を上げたりしてた。 松田コレクションと違って取材を受けず雑誌に断片的に取り上げられてたのが
林コレクション
ランチャLC2も暫く手元に置いてたと書かれてたな Gr.C じゃなく Gr.5 なんだけど
伊太利屋 ポルシェ 935K3
・934 > 935/77 > 935K3 の改造車
(ルマン、鈴鹿1000kmで使用)
・新規製作 (主に DRM 、ルマンで使用)
と2台あったの? >>544
何を根拠に2台あると判断したのか書いてないと
話のネタとしてはなんか足りない
ル・マンのポルシェを読み直したけど伊太利屋カラ-は1980と1981年に走っていて
935時代は917/81を走られた年以外は2カーエントリーだな 1982年以降の伊太利屋カラーCカー
1982年WEC ロンドー
1984年WECクレマーポルシェ
1988年ル・マン&WEC富士 ルマン日産
1989年WSPC鈴鹿 フランスプロトスパイス
1989年ル・マン&IC富士 ヨーストポルシェ
1990年ル・マンRLRポルシェ
1991年JSPCルマン日産
1992年鈴鹿1000km ルマン日産
ピンクじゃないけど伊太利屋スポンサード
1985年JSPC伊太利屋ガレージランチア
1987年JSPCルマンLM07(ベストハウス) >>522、88年 OMRONメンテは鈴鹿の紫苑F。間借りしていたチームシュパンがロスマンズとサラ金号のメンテ。当時のnumber誌は特集をよくやっていた。私も見学に。 ガズーで、787Bが走行する日が来るとは…
今月は、ニスモはスルーして、ガズーに行くことにする。
当時 4ローターが2台 引っ張りあって直線通過しているのを
聞いたサウンドは 忘れられない。 787ロータリーサウンドと905やTS010のV10サウンドはどちらが官能的かい? >>548
翌年に成田空港沿いに借りたというファクトリーに移ったのかな?
チームシュパーン >>551、そう。トラストの近く。スタッフの行き来があった。ルマン24H出場車はイギリスファクトリーでメンテ。後のロードカー製作もそこで。 >>550 個人的感想。マツダのエンスーではないが、R26B。
目の前を 通過する瞬間
金網によじ登ったチャージを着たファンが、奇声を挙げ 激しく手を振る。
今のS-GTには観られない光景。
それが 787B。 同じ4ローターでもIMSA GTO仕様とかは状態のせいもあったかもしれんが
あまり良い音ではなかった。やはり787Bは格別。 13JとR26Bで可変ファンネルの有無やらエキゾーストの構造が違うしそりゃあ音も変わるよね ところで010のリヤはスパッツが付いてるのと付いてないのがあるけど何故? wikiに載ってるネタだな
1993年よりレギュレーションが変更され、給油中にタイヤ交換を並行してできなくなった。
タイヤ交換に伴うリアスパッツの取付・取外し作業には10秒前後を要するため、
その時間ロスをなくすための処置 「Racing On」No.426、ニューズ出版、2008年」 そういえばようやくイタレリから元プロターのLC2が発売、ハセガワからは767BとC9が再販されたか 質問なんですがR92CPとかの<CP>ってなんの意味なんですか? CはグループC
Pは追浜(Oppama)のP
じゃったと思う なるほど!ありがとうございます!
じゃあCKは何になるんでしょう? >>565
Crownfield
だが、それだとR90CCになってバイクみたいだから、CをKにした、じゃなかった? 85年までは「シルビアターボC」「フェアレディZC」「スカイラインターボC」。
83年のハセミはほんとにスカイラインだったが。 >>544
Ron462号にオーナーの林氏のインタビューが載ってたから書いとくね
1977年に934と935を新車で購入、国内で3戦走るもののクラッシュした修復を兼ねて
クレ―マーに送り、935/K3仕様に改造し1980年のルマンにエントリー
1981年は車をクレーマー側から貸してくれと言われて前年の車が走ってる
その後日本に送り返され、1981年8月の鈴鹿1000Kmで優勝後レースから引退し
塗装を落して白一色にしてコレクションに加えた後、松田コレクションに譲渡
今はアメリカで伊太利屋カラーにに戻されて走ってるそうです、
写真はネットで転がってますね 日産 マーチ シルビア ターボC
日産は マーチ社のシャーシを使用することによって
2車種、宣伝できるのであった。
さすが、日産 宣伝課員である。
※星野氏は宣伝課に所属していた。 ライバルに
トヨタ トムス セリカC というのがあってだな。
※若干時系列に誤りがあるような気がするが気にしない。 まあ、茶化して書いているけど
宣伝課(部)も資金出したから、
プロトタイプ なのに ロードカー の名前が付いちゃった訳で フォーミュラカーとの差別化でCカー及びプロトタイプカーは本来スポーツカーと呼ぶのが相応しいのだが、いつの間にか見た目もネーミングもレーシングカーになっちまったね。 当時は小学生だったので真剣に日産のCカーには市販のマーチのエンジンが載っていると思っていました。 ちょっと気になって調べなおしたら Gr.C の後に
1982-1985 は、Sports Cars
※ 1985-1990 は C1 (C2) Prototype の場合もあり
1986-1991 は、 Sports Prototype Cars
1992 以降は、 Sports Cars
が付くんだな 日産追浜は1974年いっぱいで国内ワークス活動停止。
1978年にWRCでワークス活動再開。国内は大森がユーザーサービス。
1979年に大森の宣伝予算で追浜エンジンのバイオレットターボ投入。チームはHRC。
1981年に東名とセントラルからシルビアとガゼール。
1982年にハセミMSが加わり、大森(宣伝部)予算拡大。プリンス(スカイライン)日産(ブルーバード)サニー(シルビア)のディーラーからも支援。
同時期大森でなく追浜プロジェクトで耐久用スカイライン製作。大森=国内、追浜=海外、と言う大人の事情でWEC参戦できず。
1983年前年のSSの延長体制(大森予算追浜プロジェクト)で耐久参戦開始。引き続きプリンス店、日産店、サニー店の支援なので、無理くり市販車(スカイライン、シルビア、Z)の名前で参戦。
1985年ニスモ始動。ニスモにプロジェクトに一本化。ただし引き続き市販車の名前。シーズン途中からプリンス自販グループA支援開始。
1986年グループCに市販車の名前やめる。グループAスカイラインにはプリンス自販支援。 >>571
セリカCは「セリカのラリー用エンジンでグループCやりましょう」と舘さんがトヨタ丸め込み、エンジンと金をゲット。
トヨタ宣伝部に出された条件が「セリカ風にすれ」。
かくしてCカーなのに屋根がセリカ風のトムス童夢セリカC誕生。セリカのカタログにも出てる。
「そんなアフォな条件飲めるかい」と憤るミノルたんを舘さん無理やり説き伏せる。
1982年鈴鹿1000キロデビュー、0周リタイヤ。WEC5位完走。黒井たんがいたビデオ製作会社が無理やり感動ドキュメント製作し舘さん号泣。
翌年トヨタは日産みたいに市販車の名前出す要求しないでトムスは純粋Cカートムス83Cを製作。 83スカイラインターボCもルーフとテールランプ、グリルくらいしか残ってないんじゃない?
ドアは一見同じようだが後端は内側に絞られている。 やっぱフォーミュラより市販車風レースカーはロマンがあるよな。
市販型と同じように見えて実際は全然違うってのがそそる。 今のプロトもシャークフィンがなけらゃまあまあ見れるんだがなー。
自分はどうしてもあれがデザイン的にNGだわ。
だからローラアストンマーチンまでは割といける。 でも最近のはエンジンが小さい上にディフューザーの規制が厳しくてアンダーフロアがほぼ平らだから、シャークフィンを外すとモノコックの後ろが崖みたいになるよ >>565
Nismo EuropeのあったMilton KeynesのK Cカーの93C-V及び94C-VとGTPのTS020て速いのは一番パワーのある93C-Vだろうけど、中身はどう違うの? 車体の設計にトランクルームというデットスペースを設けてるけど
3.5NA時代のCカーの思想で設計されてるのがTS-020
オマケに1998年仕様はCカー時代に無かったハイテク装備をかなり盛り込んである
93CVは90CVから始まる3.5NA車以前の思想で作られた車の発展形だしね 93C-Vは従来のCカー規定のままで簡単に言えば>>589の通りの発展改良型
94C-VはCグループC廃止に伴うLMP1への編入の為に、93C-Vをベースに空力性能やパワーを落としたもの
TS020は94C-Vまでで使っていたエンジン(R36V)をベースに車体構造に合わせて再設計したもの
(R36V-R、当初はGT-Oneエンジンと呼ばれていた)
またデザインはプジョー905と同じ人なので当時のGT1規定(99年からLM-GTP)に沿いつつも、
905Evo2の思想をより洗練させた感じ
ちなみに燃料タンクの所をトランクとしたのはACOと事前に設計段階的で何度も協議して実現したものだったりする F1でのグダグダっぷりを見ると、ザウバーメルセデスの覇権というのはペーター・ザウバーではなく
ヨッヘン・ニールパッシュとノルベルト・ハウグの手腕によるものだったんだな >>591
ザウバーメルセデスもカーボンモノコックは外注、風洞も他の物を借用
他もメルセデスの協力が多いから意外と独自開発力が低いのかも
ガスコインのC12のインタビューを読むと酷い話しかないもんな サウザー じゃなくて ザウバー
85年WEC富士のピット作業 C7=C8でいいのかな?
C8のデビューは85ル・マン。予選で空飛んで決勝欠場。富士にもエントリーしてたが来日せず。
86年からクーロスがスポンサーに付きフルに近いスポット参戦。
モンツァ、シルバーストン、ル・マン、ニュル、スパ出場。富士は欠場。
87年も富士には来ない。88年から「ワークス」宣言し全戦出場。富士にも。 >>595
そうだね
スペインのwikiを見てみたらC7は1台しか作られず1984年には売却されて
IMSAで走ってるからザウバーに走行データーとか伝わってるかわ良く分からないね >>594 参照
あれ、ザウバーじゃなかったか
レース中にタイヤ交換の練習やったのは >>595
C8はリアサブフレームとリアサスを設計し直してディフューザーを大型化してる
それ以外はC7のシャシーと一緒 シャーシじゃないけどラジエターをフロントに移して飛ばなくなったね。 日本のグループCコンストラクター
トムス セリカC 83C 84C 85C 86C トヨタ87C
童夢 RC83 84C 85C 86C 87C
マツダスピード 717C 727C 737C 757 767 787
サード MC86
トヨタテクノクラフト 88C-V 89C-V 90C-V 91C-V TS010
日産自動車 R91CP R92CP NP35 日本のグループCコンストラクター
トムス セリカC 83C 84C 85C 86C トヨタ87C
童夢 RC83 84C 85C 86C 87C
マツダスピード 717C 727C 737C 757 767 787
ルマンガレージ LM03C LM04C LM05C
サード MC86
トヨタテクノクラフト 88C-V 89C-V 90C-V 91C-V TS010
日産自動車 R91CP R92CP NP35 RC82は童夢製でなくマーチグランプリ製。R90CPはR89C改。70%は日産製らしいが。 >>603
どうむ、すみません
設計や一部部品は童夢RLからの引継ぎ、修正だけど
製作は委託でしたね。 ググって見ると参考にしてる文献が同じようでマーチ73S、74S、75Sと同じ
ツインチューブアルミモノコックを採用と書いてあるだけで
何年型のマーチシャシーを流用したとかは書いてないね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています