【Gr.C】グループCを語るスレ其の27
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古き良き時代、懐かしのグループCについて語るスレです。
現代車との比較は構いませんが、あくまで話題はグループCについてにしましょう。
グループCに対する批判、煽りなどは極力控えてください。荒らしはスルーしましょう。
※前スレ
【Gr.C】グループCを語るスレ其の26
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1539087374/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured タミヤの962Cはハセガワの旧世代版同様の単純な構造を生かして
凄い勢いで数作るのに向いてるやつだ。
細部の食い違いにこだわらず社外デカールで揃う分は
全て作ってコースジオラマに並べるとかピアマンさんのガレージのジオラマ作る的な。 https://i.imgur.com/8oun19K.jpg
これって再販の望みはないって事でいいのかな
91JSPCのトラスト欲しかったけど残念 >>21
ミニカー関連のスレで聞いた方がいいと思う。
ただ、公式サイトを感じとしては
工場の移転だかが落ち着いて企画の見直しをおこなうみたいよ。 HPI→イグニッションはとにかくお値段が90年ルマンの日産24Tぐらいフルブースト掛かってんで
各々の予約数がローンチに達しなかったんじゃないか感が。
前に90年デイトナ仕様のR90CKって企画もあったけどポシャッたりしてる。 >>18
あれ掘り直すんなら辛いね
自分はエッチング使っちゃうけど
タミヤの浅いインテークは許せない人多いよね
自分は縦に切り抜いて曲げて接着しようと思ってるけど
ダクトのところは956かハセの962のジャンクパーツ使おうかと
>>19
ランチアLC2/85は再販されたら確実に欲しい
自分が持ってない方の5号車も出ればいいな >>25
今タミヤ962c作ってるけど、
956やハセ962と並べると
掘りが浅いのはドアだけじゃ無くて
もうノーズから浅いんだよ
タムテックボディツラいわ… だがお陰でシャーシ側はランチアLC2やBMW GTP、さらにプローブGTPの
ボディ載せ台に使える可能性があるという。
ミニッツレーサー・オートスケールコレクションの下半分みたいなもんだ。 話ぶった義ってスマソ。スカイラインGT−Rヒストリーのモタマガ社のムック買った?
初出じゃないみたいだが、黒井文は面白い。
耐久スカイラインターボがWEC出ないでキャラミだけ出たのは、大森=国内、追浜=海外と言う大人の
と言う大人の事情だとか?前からあった話? 単純に作業日程か何かの問題で間に合わなかったというんじゃなくて?
WEC in JAPANの時点では仮に形は出来上がっててもレース走れる状態じゃなかったとか
スペアパーツ足りないから予選走ったあと決勝は流すだけになっちゃうとかレベルの。 長谷見さんが自分もスカイラインでシルエットやりたいと日産に
→日産がどうせやるならもっと本格的に。宣伝部(大森)で予算組むから星野シルビア(サニー店)柳田ブルーバード(日産店)と一緒に
→大森主導で予算組み追浜のエンジンで日産ターボ軍団結成→追浜もやりたくなったが、当時は国内=大森、海外(WRC)=追浜と言う大人の事情
→てことで耐久用スカイラインを追浜が開発。南アフリカ遠征。富士は欠席。同日長谷見・星野はバサーストへ避難するように遠征。
でいいのかな?当時は大森と追浜仲悪かったそうだが。 市販車モノコックベースの第一世代シルビア/ガゼールからパイプフレームで作り直す時に
(ここでガゼールの方がブルーバードになる)スカイラインも加えたのよね。
最初のシルビアとガゼールがハコだけでも残ってないってのは日産にしては意外。
ガゼールに至ってはボディパーツ関連はブルーバードに何も引き継げないんだから
ハリボテ状態の展示車両になってでも使えそうなのに。
それはさておき初代スカイラインターボCは、CジュニアとかIMSA-GTXじゃなくて
何でアレでいきなりCクラス(後のC1)の規定でとかいう無謀をしたかが謎。 座間ヘリテッジの謎LM04Cみたいな感じで物凄いやっつけハリボテ感が突き抜ける。
なまじ解像度低いせいでライトも運転席も無いんじゃないかとか
後輪トラベルタイヤなんじゃないかくらいのレベルで。
ラッツェンだけ前で手組んでるのは実は手添えてないと勝手に転がってっちゃうオチとか
色々憶測が(違
走行用のGr.Cカーなら大抵は屋根にアンテナついてんのにそれも無いし
カウル側に穴開いてんのに排気管見えないし。 これはただの89cvでしよ。サードに90cvが来る前の、見た目だけ90cvにした仕様。wscpで走った89cv改造車とは違って、ヘッドライト周りを塗り分けただけのなんちゃって仕様だったはず。 >>34
そう言われてみれば デンソー広告の車だね。
実際の広告に採用されたのは、
スパッツ無しだったような気がするけど。 >>34
いわれてみると何かうっすらライト窓のところに89C-Vの猫目のラインがw
…この解像度なのに透けて見えるw
体制発表会とか、普通に車体は旧型のまま新塗装だけ披露するってのは普通だったし
その方が様になるのに何でこうなった的な。
>>35
間に合わなかった時用の予防線的に撮って「今年の体制とカラーリングはこんなです」
的に雑誌社さんとかにプレスリリースと一緒に配るだけのやつで、
結果として90C-Vが間に合ったから差し替え入れて表に出なかった幻の写真とかじゃ? そういえば当時のホビーラジコンカーのポルシェ956
(というより基本はトヨタ84/85C系を除くほぼ全部。変わり種で無限精機のマーチ85Gなんてのも)
って、タミヤまで含めて漏れなくライトカバーのところは黒く潰す指定だったんだろう。
当時は基本的にポリカーボネート用のスモーク塗料というものが無かったし
今みたいに曲面馴染みの良いスモークフィルムなんてものも無かったとはいえ、
のっぺら真っ黒なのと地面や奥の足回りが透けちゃうのと
どっちが玩具っぽく見えるかは作る側にお任せで良いのにと。
まあ、純レース志向じゃない向きはバンパー加工してムギ球とか付けて遊んでた訳ですがねw
ちゃんとテールもテールランプステッカー越しに透けるようにするこだわり。 >>32の写真よく見ると、塗り分けの中に89C-V本来のライトカバー見切り線があるね 行ったこと無くてもあの干からびた死相見え見えの画像だけでも分かるわw
あの謎LM04Cがデータベースから消えただか倉庫に実物自体消えただかいう話も聞いてるけど、
それは例の社内クーデター筋辺りが社外に出す前に切り刻んで捨てたのか、
もしくは最近やたらと社外に放出されてるCK/CP系みたくコレクター筋のオファーで
レストアする意思のある好事家が引き取っていったのかどういう事なんだろ。
確か座間ヘリテッジとして日産社内に保管されている歴史的な車両をまとめて保管するというプロジェクト自体が
カーロスさんの肝煎りだったそうなので、それを縮小するとか台無しにしようっていうなら
どの辺りが動くかは予想出来るし、コレクション切り売りしなければ会社がヤバいってくらいに業績が傾いてるっていうなら
それが誰のせいってのも分かり切った話。
90年のあの24Tが残ってて維持しきれないって話ならサルテミュージアムが引き取るだろうし
デイトナウィナーの本物個体が当時のまま残ってるんならデイトナ・インターナショナル・スピードウェイか
北米日産に1台くらい置いとく場所あるんじゃねーのと思うのにお前らマツダ以下かよ。 >>41
何で座間すら行けないの?
原二でも行けるよ?置き場もある 二輪ならまだしも日産以外の4輪で入ると叩き壊されたり引っ繰り返されたり燃やされたりしない? >>43
しない。漏れなく1クラス下の見積もりが挟まれる 買った時に50万円台だったやつを四半世紀乗って
特に旧車プレミア付くような車種じゃなかったら値段がつくと思うかw そーいや日産の場合で、それこそローレルスピリットとか最終ラングレーセダンとかになると
ある意味かえって一部で血眼になって探してるとかいう話になるとしても
リベルタとかリベルタビラの現存車に高値が付くって話は聞いた事無いわな。
当時をして(少なくとも日本国内の日産ファンには)全く評価されなかったうえに
今となっては誰も覚えてないってレベルのやつの相場ってのは残酷なもんよ。
個人的にはFFになって最初の代のサニーカリフォルニアとか結構好きだけど
そんなの探したって出て来ないし。ヤフオクでもまともな状態のは今まで1台しか無かった程度に。
あの型のターボルプリってのも当時は結構見たのに、もう四半世紀くらい見た覚え無いぜ。 座間のLM04Cは、長谷見さんのスカイラインターボCトミカに塗り替えてください。
デンソーサードの89C-V、開幕前にラッツェンが「90C-V間に合えば絶対ポール取れる」と言ってたな。
でもサードは菅生から90に見切りつけ、で最終戦富士1000kmで89でサード初優勝。 >>50
日産勢の ミス& ピットの読み違えから トヨタがリード
ルーティンの直後、降り始めた雨の中、
1周以上先のラッツェンバーガーを懸命に追いかける鈴木。
スリックからレインに変えるか、このまま粘るか
先に替えたのは、追いかける鈴木。後から ラッツェンバーガーが交換。
同一周回に持ち込まれるものの、ラッツェンバーガーが逃げ切り、優勝。 >>51
そんなに座間まで延々と下走ってまで行く義理ねぇよw何時間掛かると思ってんだww
>>50
カラーリング的にはあの「R383カラー」の方が映えるけど
元がどっちの個体だってのもあるし。過去スレではショートリリーフ的にフェアレディZ-Cに
使われた車説が有力で、それだとキヤノンカラーだそうで。 >>53
座間は間違いなくセントラルの、キャノン号だよ。FJ20開発のため日産が購入した。 キチガイ・知識なし・行動力なしの3拍子揃った本当どうしようもない屑だな、糞長文は 4月14日の富士には居たのにまんまと取り逃がした奴らに言われたかねぇわw
>>54
だとすれば、もし誰かコレクターの人が引き取ったのであれば、
もちろん「どうするかは買った人の自由」にしても、本筋のセオリー通りに仕上げるとすれば
マウント出来る状態に仕上げたFJ20(無論可能ならなるべく当時に近いスペックの物)を積んで
キヤノンカラーで仕上げる流れですね。
実際に走った履歴はあるから、その状態でヒストリックGr.Cに出る権利も発生すると。
そういえば「実際にレースに出た事なくテストカーやスペア(例:トラストのあの白いやつ)としてキャリアを終えた車両」
って、ヒストリックGr.Cでの扱いはどうなるんですかね。
当時の塗装仕様を維持したまま、エントリー用のカーナンバー貼って出るのはOKとかになるのかと。 >>53
じゃあ自慢のゴミ車で座間行け
何で見ても無い物に文句が言えるのかマジで不思議だわ >>57
例の個人所有の787B-001(現役最終仕様がアンフィニだったのをワークスカラーに戻したというアレ)
が「実物は画像ほど綺麗じゃない」っていうのは聞いてるから
富士あたりまでの距離で、こないだのモーターファンフェスタみたく
興味のあるイベントにもし来ると分かれば背中を押すきっかけにはなるけど、
「そもそも画像見た時点で既におかしい」ってのは怖いもの見たさのレベルですわw
逆にアレをホントに渾身でレストアして元に戻す人が居たら仕上がったところで見たい。 ニコイチやフルスクで962GTi作った人とかいないのかね
ミニカー高杉 962GTi-RLRは956の時とは違って内部構造自体が完全に違うから
インジェクションモデルで作ろうとすると窓とパワートレイン系・リアサス周りくらいしか
使い回せるものがないって問題がね。
旧ハセガワ規格みたいな「見えてない部分は作らない」のレベルならハードル下がるが。
トラストやアルファキュービックが走らせたり、日本のスポンサーとも馴染みが深い車種だけに
STUDIO27辺りでトランスキット出してくれたらとも思うけど、
それはそれで値段としては1Sparkじゃ効かなくて1Ignissionくらい覚悟しないといけなくなる。
もしくは当時品の再販と並行して新規開発にも積極的なハセガワに期待したいところだけど、
普通の962Cとか日産CP系くらい確実に台数見込めるかどうかの問題になるからな。 >>63
大昔のタミヤニュースに載ってたよ
外人だったけどリキモリ962Gti作ってた
マーキングは手描きっぽかったな
自分も作ろうと956/962に手は付けてるけど完成には程遠いよ
マーキングどうしようか思案中キャビンか日石トラストか・・・ いっそタミヤがタムテック再販してくれれば
ボディだけ962GTiを追加して済むのだ…。
で、そのボディをお客さんが細かいこと気にせずタミヤ962Cの車体に乗せるのも自由。
京商がミニッツでもプラズマLmでもGTi出して来なかったのは意外だったが。
GTiと88C-Vと94C-Vは結構いけると思うところなのに。
余談だがバブルの頃に京商が凝り過ぎたあまりにまともに走らないシャーシを作ってしまった
1/10F1&Cカーシリーズにはケンウッド・クレマーCK6などという激レアが居る。
…国さんのマシン製品化したいとしても、普通の962Cの方だったら他に使い回しが効くのに
何でセンターマウントウィング仕様のCK6の方で出してきたかは不思議でならない。 >>67
タミヤの962Cベースにスクラッチしたやつでホイールは3Dプリンターで作ったんだっけか タミヤからチャージマツダ787B再販きたね。
やっとオクの高値から解放されるわ。 >>67
コレ、読んだけど956/962の仕様表見辛いんだよなあ >>69
そうwあと自作の伊太利屋デカールね
3Dプリンターなんて素人の手に負える物じゃないよねw
>>70
シビエと車検証とダンロップとタイヤのデカールが付いてないらしいよ
キット+追加デカール買う金でヤフオクのカルト付キット買えるんじゃね?
>>71
あるなら実車のネタ振ってくれよ30年以上前のクラシックカーのスレだからネタが無いんだよ
厳密にルールを適用すれば板違いかもしれんがこの板にもミニカーのスレッドは何個かあるし
プラモのグループCカーについて話すスレはおもちゃ板、模型板にも無いからこれくらいの脱線は許してくれよ 2000年ぐらいに再販されたときのチャージマツダ787Bが
箱に入ったまま置いてあるが
確か2000円ぐらいだったと思う
今4000円以上するんだな… 材料の石油や版権料の高騰、以前よりも生産量を絞っていると高くなる >>73
ST27のデカールをメインに足りないものを順列組合せでもいいから揃える勢いだったら
日石トラストはもちろん伊太利屋やキャビンでもほぼ再現出来るんじゃないのかな。
RAIKAとかポルシェオフィシャルセンターUKみたいなRLRしか使ってないカラーリング以外は。
ホイールはBLAUPUNKTカラーのヨースト962CだとBBSが付いてきたはずで、
それベースでいくんだったら作らなくても良いんじゃ?
それにしてもマツダ787Bの方、ACOとダンロップはまだしもCIBIEまで駄目って何があったんだよ…。
レナウンの版権取り直した方を頑張ったから足りなくなった流れか?
逆にST27とかミューコレが足りない分だけ格安で出してくれたら助かる訳だ。
あとは改造派が取り組む所としては、マツダ・ノースアメリカが保存してる
例の前輪だけBBSのLMタイプに履き変わってる787-002とか。
ホイールの調達問題と、あと前輪デカい問題をクリアする必要はあるけど
ダンロップデカールが必要無いので1セット浮くw。
他にもハセガワの767Bでスターフィールドのを作ってダンロップデカール節約するとかだ。 タバコが駄目なのは知ってたが、普通?のスポンサーも許可が無いと張れない世の中なの? でしょうね
タイヤのマーキングが何故か厳しくなってきたね
ロイヤリティが高いのかな >>78
なんかプラモのタイヤを子供が呑み込んだって事件が確かアメリカであって
それで訴えられたんだけどイメージダウンになるとのことで下りにくくなったって昔模型板に書いてあったよ >>79
あるかもね
それこそイメージ商売だからなあ >>77
昔RCカー&パーツメーカーのクロスがJTCCコロナのボディ出した時(だから94年か95年頃)でも、
一応全てのスポンサーから了承は取ったそうだよ。
その時点でも「ソレ的な何か」という形で押し切っちゃおうとすれば違法じゃないかもしれないにしても、
きちんと名前使って出す場合にはそこまでの処理はするって感じだった。
無許可だと場合によっちゃ訴えられるとか、だからきちんと許可を取ろうと手続きに赴いたら
高額のロイヤリティ取られる、挙げ句は「他社さんに独占使用権売っちゃったから御社さんには出せません」
言われちゃうとかいうのは割と最近の流れ。
ちょっと前だったら「むしろこっちも宣伝になるので」みたいなことの方が多かった。
なお煙草ルールは終売品に関しては「もう宣伝にならないから良い」って例外があるようで、
だからロスマンズとかキャビンはメーカーによってはロゴ付きで出してる。 なお手元にあるラジコンカー用のスポンサーデカール(アメリカ製)で、
「どうみてもバ○ワイザーのフォントで文字がシャッフルされてるステッカーシート」
てのがあるんだが、
コレはロイヤリティ的な理由なのか酒だから駄目だって話なのかとw
そして何故か「Don't Drink and Drive!」だけ正しい配列で並んでるというオマケまでつく。 >>78
タミヤとアオシマが気を使っているね
ハセガワが新製品のヂーゼル機器 スカイラインでDUNLOPのデカールを
入れているようだから心配にはなるね
ドイツレベルもイエガーマイスター934でダンロップデカールを省いてるだけに 単純にロイヤリティの問題だけならハセガワが
「金額だけなら高くても払う」って社風なだけじゃないの?
再販はまず無いものと思ってたキャビンカラーのF3000を2車種とも出してきたくらいだし。
今のところ再販済み・予定の中に入ってないのはキャメルEJR
(これはアレジ車で需要はあっても今時のタバココード的に面白くもなんともない色になる)と
需要自体があまり期待出来そうにないポールスチュワート、
あとは許可自体が降りそうにないワコール童夢くらいのようだし。 ハセガワはそういう類いは限定生産品にして、ロイヤルティを取られないようにしていると思う
あと、長文は出て行って下さい >>83
数量で段階的な縛りがあるのかもね
1回に作る個数がタミヤとハセガワでは大きく違うんだろうか
地味にヂーゼル機器スカイラインは楽しみ >>85
「限定品だから全く払わなくて良い」っていうんだったら
ミニチャンのミニカーの限定何千個だって苦労は無いと思うけどな。
実際にはフレンツェン仕様がオニクスからしか出ないとか
ひところフェラーリをマテルに持って行かれるとかあった訳じゃない。
「数量や期間を限定することで支払総額が抑えられるし、売れ残りリスクも減る」
という話にはなるけど。
タミヤのレナウン787Bだって所謂「スポット生産」(限定品のタミヤ名称)には違いないし、
ましてやキャビンR90Vは煙草ルールが厳しくなって以降、キャビン販売終了後の今に至るまで
一度も再販されたことがない。 すいません、日産のワークス活動再開、耐久参入の流れ調べてます。
以下の通りで間違いないですか?間違いあれば指摘してください。
1979年
富士SS開始。日産、倉庫に眠ってた710ターボで参戦。
チームは原田レーシングカンパニー。ドラは柳田。エンジンは大森?追浜?日産本社どこまで関わった?
1980年
シーズン途中から史上最もカッコ悪いシルエットA10に。チームはセントラル20?
1981年
マシンをS110にチェンジ。東名?星野、セントラル柳田。
1982年
長谷見がシルビア/ガゼールの延長でスカイラインでSS参戦を計画。
ムンクラボディ、R&Ⅾシャシー、追浜エンジン。プリンスディーラー&トミカ支援。
この話を受けた本社(大森宣伝部)が、やるならもっと本格的とシルビア(サニー店)、ブル(日産店)の宣伝予算確保。
R&Ⅾからノバに代えて3台製作。パイプフレームに。
追浜はエンジンだけでなく自らもやりたくなるも、国内は大森、海外は追浜と言う住み分けの大人の事情で海外に目を。
外されたR&Ⅾ、ルマンとの共同プロジェクトで耐久スカイラインターボ製作。WEC富士には出ないでキャラミ遠征。
1983年
宣伝部(大森)予算、追浜エンジンと言う体制で耐久参入。宣伝部予算なのでマーチ83Gにシルビア、LM03CにフェアレディZと言う名前。
間違いあったら指摘してください。 1979年
チームは原田レーシングカンパニー。ドラは柳田。エンジンは追浜
日産本社は基本的に開発が止まってるためメンテのみ
1980年
シーズン途中から史上最もカッコ悪いシルエットKPA10に。チームはセントラル20?
シャシーはノバが開発しエンジンを710から移設
以上Ron参照 ネットを漁って見ると
ハラダレーシングのHPを見ると1980もハラダレーシングからの参戦となってるな
1980年柳田選手が富士で行われた3戦を全勝し、シリーズ優勝を飾ったとある
車両表記は皆A10と書いてるがRonのKPA10表示との整合性は良く分からんね R30系スカイラインの場合にGT系がHR30、RS系がDR30っていわれるように
積んでるエンジンとか細かい仕様まで詰めた表記をするかしないかの違いだけで、
要はあの510ブルーバードもどきのA10系バイオレットシリーズだということには
違いは無いんじゃないの。 ところでこのBRE DATSUN510みたいな仕様って何で日本で売らなかったしw
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/1978_Datsun_510_two-door_sedan_front_left.jpg
まあそもそもPA10系のバイオレットシリーズ自体が日本で成功したか自体が印象薄いけど、
初代が暑苦しいデザインで成功しなかった、3代目は日産には珍しく技術面で意欲的な面と
進歩的なデザインを盛り込んだばっかりに、海外では成功したものの日本国内では大失敗だったというのからすれば
このセグメントの市場規模からいえば無難な売れ行きというレベルかしらん。
だったら未だに510ブルの思い出に浸ってる層は当時の日本にも結構いたから
持ってきたら売れたかもしれないし、こっちを日産トリコロールに塗ってGr.5トリムにしたら
3ドアの方より受けよかったんじゃ。 1979年の富士1000kmにPA10のバイオレットが参戦しております。トラブル続きで本ちゃんは不参加。ドライバーは星野、長谷見、柳田だったかチト曖昧ですまん。
カウル等変えて9月10月(11月だったか?)GCに参戦。
80年はカウルを初参加時に近いモノに変えてました。
710のバイオレットは3月5月のGC、6月の富士500kmにてお役ごめん。
500kmの時は星野/長谷見が乗っていたと思う。 A10系のバイオレットそのものは日本国内ではそれほどスポーツイメージ無くて、
もっぱらラリーやダートラ(4駆にして使われた例もあるとか)で使われてたという印象なんですけどね。
それをあえて79年〜80年時点でGr.5スーパーシルエットに仕立て直して出してきたのは
とりあえずGr.4の公認がある手持ちがそれしかなかったということなのか、
もしくは発売したばかりでプラットフォームが共通のS110シルビア/ガゼールで
近々始める予定があるということで、そのテストベッドには充分役に立つという判断だったんですかね。 皆さんありがとうございます。
特に>>93タナケンさんお久しぶりです。ありがとうございます。
えーと、710から史上最もカッコ悪いシルエットA10に変更したのは1979年ですね。すいません。
当初は耐久もスプリントも出てたんですね。追浜チューンか大森チューンだったか、どうでしょう?
それと「長谷見や星野が乗る」「(カッコ悪いとは言え)年代もの710からA10に変更」と言うことで、多少なりとも日産本社の関わりはあったような?
そもそも倉庫から引っ張り出した710ターボは正真正銘、日産ワークスマシンだし。 A10にセントラル20のステッカー貼ってあったと思いますが、チームはハラダレーシングカンパニーだった?
81年のガゼールはセントラル20で間違いないですよね?で、ホシノレーシングっていつできました?
F2とGCがホシノレーシングからになるのは83年からでしたが、81、82年の星野シルビアのエントリー元は?車名に東名があったけど。
黒井さんがレースの取材始めたのは82年からなので、81年の星野シルビア、柳田ガゼールが無かったことに。 >>96
1980年のKPA10はハラダレーシングが走らせたとハラダレーシングの
HPで確認したと書いたけど確認してないのか?
それにエンジンもLZ18は追浜で開発したと書いたが信用されてないようだが
Ronを参照にしたと書いてるがな
コテハンしか信用できんようだな残念だ いつの間にかグループAスレ落ちてるので立てようとしたらダメだった。誰かお願いします。 ここ見るとセントラル20から柳田バイオレット、ホシノインパルからシルビアと。
https://motorz.jp/race/great-car/70568/ 1982年、追浜の耐久スカイラインターボのシェイクダウン時、あの桜井真一郎さんもいらっしゃいました。 >>97
そもそもレーオン自体、誤記が多くて信用出来んからなw 黒井さんもよく取材して書いてるのはわかるが、時折素人でもわかる事実誤認がある。 エントラントがどっちってのはともかく、柳田さんが乗る日産のマシンなら
ほぼ漏れなくセントラル20のステッカーが貼られるってのは
長谷見さんの車にトミーのステッカー(トミカと限らずスロットカーのAFXだったりする事もある)とか
星野さんの車にインパルやニチラのステッカーくらいの確率なので。
逆にエントリー名義は原田レーシングでレースオペレーションがセントラル20とか、
原田レーシングはスポンサーとして付いたとか何パターンか考えられるんで、
「公式記録上の話」だったらJAFのデータ見た方がって話に。
エントリー記録としてのチーム名/メンテナンスガレージとかは
当時のパンフレットとか雑誌とか探さないと分からないし。 >>101
Gr.Cだってルマンを最後に走ったのが四半世紀前、全盛期は30年くらい前だから
その頃に新人で入った編集者がもう50代、当時の中堅がもうとっくに定年になってる年だからね。
カーグラにしても当時チーフテスターやってた加藤氏が分社化された版元自体の社長だよw
編集長だったクマさんとかモタスポ担当のサカさんとかはもうフリーになっちゃってる。
787Bの20周年記念レストアの時に「慣らし運転兼試乗」でドライブした大谷さん辺りで
ギリギリ当時を知ってる世代じゃないのかくらい。
逆にいうとレーシングオンの初歩的な間違いレベルのやつは
社内の重鎮級の人とか、ご意見番的に気候してる古参のフリーランスの人とかに確認するか
もしくは彼らが監修してでも止められるだろうが的な。 ハラダ・レーシング・カンパニーが自分のHP上で
自らが走らせたと書いてるのに信じれんのかこのキチガイ達は >>106
あの当時のシェビエカラーの車でフロントガラスにもHRCのステッカーが
貼ってある写真もあるのに
HRCハラダ・レーシング・カンパニーが走らせた車と信じれんとはな
匿名掲示板でイキらず関係者にでも直接聞いてこいやw というか、当時を知らないからあえて聞くとすれば
ハラダレーシングというチームが、自社でガレージやメンテナンス体制まで
全部万端整えるタイプの組織だったのか、後の郷レーシングみたいな感じで
家業のSSリミテッド(CIBIEの日本代理店)をメインスポンサーとして
体制をマネージメントすることが中心で、メンテナンスは外注するシステムだったり、
「自社でも出来るけど外注することもある」だったのかとか
それによって状況違ってくるけど実際どうなんですかと。
「ハラダレーシングとして走らせたけど柳田さんが乗るんで現場運用はセントラル20だった」
ってことなら両方間違ってないし。
実質的に日産のワークスカーであるものを借りて来たんだったら
別にそういう三社ジョイントベンチャー的な体制でおかしい事もない。 関係者に直接聞いても「そいつの記憶が正しいかどうかわからない」って言い出しそうだな、ここの連中は このスレにも関わる話題でいうと、もう息子さんの代になってからだけど
94年のルマンで三州瓦カラーのポルシェ962GTI(車両そのものは元トラスト2号車の962GTI-203RL)
を原田淳さん/おトミさん/マッチで走らせた時には、
マネジメントがハラダレーシングだけどレースオペレーションと車両所有者はADAエンジニアリングという
そんな体制だった訳だし。
確かこの時のフロントカウルだけレーシングパレスにぶら下がってる画像があったはず。
そーいえばコレ何で同年の鈴鹿1000kmには来なかったんだろ。
仮に94C-Vにアクシデントが起きなくてもLMP1クラスの表彰台がほぼ間違いないのにw
ましてやダウアー来てても総合の表彰台狙えるレベル。 >>109
っていうかむしろ誰に聞くかによっては手柄の取り合いになっちゃう場合もあるというのが
よくある展開ですし。
このバイオレットの場合にはそういうパターンの揉め事は無いにしても、
喧嘩別れとか権力闘争とかでよろしくない訣別をしてる間柄の場合とかに
かえって分からん話になっちゃうことも多いので、
その場合はある程度距離を置いて見てた人が健在ならその人に聞いた方が良かったりとか。 JAFのデータベース検索したらセントラル20ですね。信じていいのかはわかりません。 第三戦までHRCのステッカーがフロントのガラスに有りますが
第四戦時にはセントラル20になっているのが気になりますね。
何処かに使えるアップローダーがあれば過去にスキャンした画像があけられるんですが ハラダレーシングは79年の状況しかわかりませんが
チーム監督原田信二氏、チームマネージャー西島和夫氏
チーフメカニック五十嵐協二氏、エンジンはBMW (東名自動車)
メンテナンスはハヤシレーシング。ソースはAT誌79/3 AT誌79/12GC延期第四戦リポに今回からシビエの文字が消えているとの記述が有ったんですが
予選あたり迄は書いてあるんです。決勝のはっきりした写真がないので真偽詳細は不明。 一応JAFのデータベース
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?mode=detail&race_id=3064&no=20
RRC筑波チャンピオンズレース最終戦
予選タイム 1:01.30
チーム名 セントラル20レーシングチーム
ドライバー名 柳田 春人
バイコジンバイオレットターボ >>114
するとやっぱりガレージ伊太利屋とか後年のテイクワン(これも柳田さん関わってる)とか
郷レーシングみたいな感じに近いと。
シビエが正式にスポンサー降りたかどうかで、完全にハラダレーシングの手を離れたかどうかが
外観的には判別出来そうな気もします。
逆にその辺りから日産のプロジェクトとして本格的に動くことになった、でも時系列は揃いますし。 >>107
素直な(脳味噌でおめでたい)やつだな。 93年の鈴鹿1000kmで走ってた伊太利屋カラーのR9xCP
(車両年式とかエントリー車名が曖昧なんで下一桁まで確定させないでおく)が
何か凄く込み入ったことになってたし。
R90Vや91VPの時の「買ったか借りたかはともかく体制もエントリー名義もチームルマンで、
車体に塗ってあるのはあくまで広告看板」ていうほど話が単純じゃなかったと。
あとキャビンカラーの車はレースオペレーションが何であっても「キャビンレーシング」
って最初に冠がつくとか、アドバンカラーの車もそういうのがあったし。
その後に「with○○」みたいな形で運営母体がつく形。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています