記憶に残るクラッシュPart68 [無断転載禁止]©2ch.net
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黙読で違和感はなかったよw勝手に読み替えてた >>793
ほとんどのコーナー、スライドしまくりで見ごたえあるな
特にローズヘアピン カルロス・パルドを押し出したドライバーってどうなったん? 麻薬カルテルのチンピラに八つ裂きにされてる事を願うわ カーロス・ラヴァドと空目。
あの人もしょっちゅうコケてたことで有名ではあるが
テレビ中継の時代にはもう全盛期過ぎちゃってたからな。 >>804
前車を基準に追っていて、その前車が左に避けた先のティクタムに目標を切り替えたが、その速度差に気付くのが遅れた。
って感じに見える。
追突した方が安易だったかもな。
大した怪我もなくなにより。 ようつべでヨーロピアンF3見れるよ
22:10〜ライブ
F1までの暇潰しにどうぞティクタムや佐藤君出てるよー またしてもフラさん向け中古車きた。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m261071297
っていうかFJのシャーシナンバー表記ってこんなざっくりなもんなんですかw
せめてパイプにポンチで打ってあるとかじゃなくて。
それにしてもこれは横から突っ込まれたら死ぬな…潰れた上に熱湯浴びる流れで。 ベルコが鈴木板金、その関西支社がベルコ・ウェスト→ウェストってのは知ってましたが
マキシムは石井板金ってのが本来の社名だったんですか。
確かサイドラジエーターOKになって、それ以降の各社の新車が漏れなくそうなったのが
90年代初頭(確か91年か92年かそれくらい)のはずで、
それ考えたらこりゃ相当な年代物ですよ。
幾つかのメーカーみたく型番に年式入ってる車種じゃないと年式分かるほど
FJには詳しくないですけど、多分コレ30年は前の車両であろうに
エントリーカテゴリーのそれだけ古いのが残ってて、かつ意外とまともな保存環境ってのが驚き。
きちんとレストアしてもサーキットで走らせるのは前述の理由からちょっと怖いにしても
一部地方選手権ではまだ開催されてるジムカーナDクラス用とか面白そう。
もしくはナンバーry
>>809
FJだとそこそこ台数出ると思われるので(この車が19番ってことは最低20台前後は売れたわけだし)、
金型起こして軽合金鋳物で基本形状作ってんじゃないですかね。
一見しただけだと、タイロッドが付く部品が付くかリアアームが付くかの違いだけで
前後は共通みたいに見えるし、もしかして左右も一緒?
キャリパーのブラケットとか全部付いた金型で抜いて、不要な部分は後で切り飛ばしちゃえば良い的な。
ジオメトリーが大々的に変更されるようなモデルチェンジでもなければ年式跨いで使えそう。 いや、石井板金レーシングはメンテナンス屋。
リヤカウルの色がガレージカラー。
この後307でチャンプ獲ったドライバーのマシンじゃないかな? オスカーなんかは鋼板溶接のアップライトだったけど、アルミ鋳造の方が多かったと思う。 なるほど名門チームだったんですか、石井板金。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l451807564
もう1台マキシムのフロントラジエーターの出物が。こっちのが新しそう?
しかし見栄えとしてはそんなにryなFJをあえて展示用にという場合には
やっぱり葉巻型っぽいカラーリングにするのかと妙に納得。 いや、名前からも普段は板金屋だろう。
306>307のモデルチェンジでシャシーNo.001に乗ることになって、開発的な寄与もあったとは思うけど。
それなりに活動していただろうけど、俺は当時の2人とF3まで乗った平野くらいしか知らない。 単に俺がアンテナを向けていなかっただけなんだけどね。 まあでも昔のレーシングカーってどんな怖いもんだったかという話ということで。
それにしても、まだフロントラジエーターだった頃(とはつまり80年代くらい)の
FJの事情までフラさん知ってるということは今一体何歳ry
でも、これで大抵のJAF公認サーキットで地方選手権が開催されてたと言われたら、
年に何人も死傷者が出て当たり前のように思うのに案外そんな凄いことになってなかったという意味では
クルマがこれだけ脆弱だからこそラフプレーは禁忌という共通認識が
ドライバー達の中にきちんとあって、だから「時折起きる避けられないような事故」でしか
惨事は起こらなかったんでしょうね。
正直、去年の菅生のF4みたいな展開をこのFJ1600でやったら死者数名重軽傷多数とかなってますわ。 FJで死亡事故って起きてるの?
報道されないだけ? あったらしいと聞いたことがあるのと、今はアメリカで有名な服部茂章選手とか、
後にカムバックしてしばらく活動してた坂幸雄選手とか大怪我した例は
90年代になっても存在する。 >>814
フロントサスの付け根部分までほぼカバーされてるってこれがホントのフルカウルかw 本体は鋼管スペースフレームで、その外側にカウルが付いてるから
確かにサスペンションの付け根は中に隠れることになるよね。
モノコック式の場合でもサスのピボット部分がモノコック外皮じゃなくて
バルクヘッドのところに付いてて、見た目上は付け根が奥に入ってるやつもあるし。
フォーミュラの一般的規定としても、もしかしたら上から見てタイヤさえ見えてれば
サスアームまでは覆ってても違反にはならないもんかな。
80年代初期くらいまでのフォーミュラってサスアームの上でカウルが妙に膨れてた記憶があるし。
ま、今やって空力的にメリットあるとも思えないけど。昔みたいに三角形の板状とか
丸パイプのアームじゃないし。 >>826-827
伯父ジョイ・ダンロップ(TT通算26勝)…2000年7月2日、エストニアの公道レースで事故死
父ロバート・ダンロップ(TT通算5勝)…2008年5月15日、North West 200の練習走行中に事故死
兄ウィリアム・ダンロップ…2018年7月7日、Skerries 100の練習走行中に事故死
公道レースが他のレースと比べて危険だとはいえ、肉親が3人も事故死というのはな・・・
俺がマイケルだったら、絶対に引退するわ G+のマン島放送でダンロップ兄弟はあんま仲良くないとか言ってた気がするからマイケルより母ちゃんの精神状態の方がヤバそう その手の「ファミリー」だと、マリオ・アンドレッティには双子の兄
(あいにくとルイジさんではないらしい)が居るそうだけど、この人はレーサーじゃないのかしらん。
あとクリスチャン・フィッティパルディの父親はエマーソンではなくて兄のウィルソン
(エマーソンほどではないけどF1までたどりついたり一応の成功を収めたドライバー)だとか、
ダン・ガーニーのオール・アメリカン・レーサーズで主にトヨタのレースプロジェクトで活躍した
ファン・マニュエル・ファンジオ2世も、偉大なファン・マニュエル・ファンジオの
息子ではなくて甥(どの縁者の子かは資料が無くて良く分からない)なのだそうね。
そういえばデイモン・ヒルのお母さんは、グラハムはレースで亡くなったわけではないけど
息子がレース活動をすることには、危険性からか家庭の金銭事情からか反対していたと聞いてるし、
ジャック・ヴィルヌーヴに至っては、もとよりお母さんは大反対だったそうね。 >>828
ロン・ハスラムは3兄弟で、ロン以外の2人はレース中に事故死ってのも中々ヘビーだ。 古い話になるとメキシコのロドリゲス兄弟
もっと古い話になると同じ36歳で、同じ「26日」に事故死したアスカリ親子など >>830
マリオの双子の兄アルド・アンドレッティも元レーサー
しかし大クラッシュで昏睡状態とか顔面複雑骨折とか何度かやって
マリオみたいに世界的レーサーになる前に早々と引退
息子もレーサーだがインディライツ止まり ジョン・アンドレッティはインディライツ止まりじゃないけどなー >>819
単純にF4ほどスピード出ないので…
ドライバーの意識は大して変わらんと思う ハートレー、ハロが無かったらフェイタルになっていたと思います、はい。 飛び方がマズイ
Pro Mazda Championship 2018. Race 1 Grand Prix of Toronto. Huge Airborne Crash (all angles)
https://youtu.be/F_NLB1kJjsE >>842
またターン3手前じゃねーか
トロントのターン3って事故多すぎだろ てかクロスノフの事故があったのにフェンス越しの木を切っただけでコースレイアウトがそのままってのは有り得ない いや別にレイアウトのせいちゃうやん、今回のクラッシュ >>838
不自然に白煙出てるね。
マシントラブルか? 最近ハプスブルクがtwitterでノリスリンクで亡くなったクサバ・ケスヤーに触れてた
トリビュート動画とかも結構あるみたいだし当時のハンガリー本国だとどういう立ち位置だったんだろう? >>852
ハンガリー期待の有望株だったはず
いつかだったか、メモリアルイベントとかやっていたみたいだし、ハンガリー国内の学校の名前にもなっていたりする
期待された若手で、しかもイケメンで、これからという時に事故死した...
個人的には、思わずセベールと重ねたくなるドライバー >>853
ありがとう
学校の名前になるほどだったとは
wikiみたら父もレーサーでかつ本人はブダペスト工科大学も出てて文武両道のエリートだったんだね 当時、チームメイトだったベルント・シュナイダーが後ろからクラッシュを見てて
マシン止めてすぐ救助に走ったんだけどダメだったんだよね。
「僕の人生におけるもっとも大きなショックだと言ってもいい。マシンの中をのぞいた瞬間のことは忘れようにも忘れられない」 byシュナイダー http://blogdosanco.blogspot.com/2007/11/pobre-giovanino.html
いろいろ古いクラッシュを海外のいろんなサイト見てたらこんなものが
コイニグのクラッシュのような感じ。
ドライバーの頭部はどうなってるんだ最後の写真 ttp://www.pilotos-muertos.com/2014/Salvati/Salvati%20Giovanni_image032.jpg
もうちょっと調べてみたら別角度の写真があった >>844
蛸魔がダニカに報復撃墜した場所じゃね? >>850
クロスノフの死亡事故も厳密にはレイアウトのせいではないな
ヨハンソンのせい >>861
違うね。ヒューマンincidentだよ。 電柱がフェンスのコース側にあったのが致命傷だったね。ヨハンソンのルーキーイビリがなければ、とは思うけどね。 ルーキーいびり云々言うほどには当時のトヨタエンジンのパフォーマンスをもってすると
ヨハンソンはクロスノフを、そりゃー日本のレースやルマンで面識はあるにしても
まだ全然コース上の脅威になるようなやつだとは思ってなかったんじゃないかね。
記録を引っ繰り返すと予定周回数に対して残り3周時点だったそうなので、
団子の中で1回抜かれてもスリップ入ってりゃ仕掛けるチャンスは何度はあるとでもいうくらいには
慌てるような段階でもないってくらいかと。
コース図見ると「市街地」って言われてイメージする90度ターンの繰り返しじゃなくて
意外とストレートや緩いコーナーの連なる高速セクションが多くて
「海側しかないマカオ」をもうちょい強烈にしたくらいの感じにすら見える。 ヨハンソンが前走車に夢中でミラー見ずにライン変えたからでしょ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%95
Wikipediaの記述だと、どうやらヨハンソンの前にエマーソン・フィッティパルディが居たので
仕掛けに行こうと動いたのと、クロスノフがヨハンソンに仕掛けようとしたのが
まさに運悪く同じ向き同じタイミングだった、というように説明されてるね。
映像とリザルトを突き合わせると、確かにヨハンソンの前に赤い車
(この年のエマーソン車はマルボロ・ラテンアメリカカラーでペンスキーには珍しく真っ赤↓。画像のドライバーは後半代役のマグネッセン)
http://snaplap.s3-us-west-2.amazonaws.com/wp-content/uploads/2015/04/23173006/fittipaldi-cart-1996.jpeg
が居て、混乱の中でデブリを避けたヨハンソンと接触してるのも見える。
トロントでの事故に関わったドライバーのリザルトは
エマーソン:90周 アクシデント
クロスノフ:89周 アクシデント
ヨハンソン:89周 アクシデント
リベイロ :88周 アクシデント
(※予定周回数95周を93周目赤旗終了)
ということになってる。
リベイロを除く3人が2ラップダウン同士でバトルしてる状況で、
比較的ダメージが少なかったエマーソンはピットに辿りつけたもののそこで終了ということかと。 >>865
ま、それは言っちゃえばそうだけど
一般道とか高速道路の車線変更と違うし、
目の前のドライバーを抜くことに集中してる状況で隙あらば空いた方にねじ込もうって算段してる時に
バックミラーまで見るもんなのかってやつだと思う。
そこが実際にレース経験のある人じゃないと分かんないんで、例によって「フラさんに聞いてみようか」
ってなっちゃうところでもある。
それによっては「クロスノフがフルブレーキングして割け切れるタイミングとか
フロントウィング吹っ飛ばされたりサイドポンツーンにタイヤの跡つけられたりして
後でインタビューで「ありゃねぇよ!」って怒って済むくらいだったかどうかって
ホントに紙一重なもんなんだな。
ホイールtoホイールも当時のチャンプカーの場合「ちょうど車軸合わせの真横」みたいな位置だと
案外無事で済んじゃってたりもするってのはザナルディやトレイシーがしばしば証明してる。 ついでなんで売り物のお知らせです。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u209270518
同じ出品者がDFVも売りに出してるんで多分走行もry
コレ吊ってんのはエンジンレスでダミーブロックも無し
(何か角材っぽいツッカイが入ってるけど)だとこの方が負担が掛からないってことなのか…はともかく
なんかノーズコーンが被さるところにアルミハニカムっぽいクラッシュボックス的なのが付いてるとか
昔のフォーミュラって凄い心細さを感じる。実はこっちが本体でノーズコーンは単なるガワですか的な。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b323105727
ヴィンテージFJの第二の人生。意外とコレは正しい使い方か。 >>868
アマチュアじゃないんだから、ミラー見てるだろう。
把握していて際どい競い合いできるのがプロで、見もしないでエイやっていうのはただの人殺しだ。 ジェフは全日本F3000でもパッとしなかったレベルなので、今後生きていてもそんなに活躍したかな? >>873
CARTならチームと運に恵まれれば
クロスノフ辺りでも1勝ぐらいは出来ると思われ
まぁ運無かったので鬼籍に入ってしまったが 96年にブライアン・ハータに代わるジミー・ヴァッサーの新しいチームメイトを
選考するためのオーディションテストにザナルディ共々クロスノフも参加していたものの
結局ザナルディが選ばれることになった、と三樹書房のCART1993-2003にありますね。
さすがに当時の時点で既にレイナードの実質ワークス格だったチップガナッシでは
チームのステイタス的にも分が悪いし、ザナルディとレイナードの繋がりとかを考えても
これは予想のつくところでもあるけど。
一方でクロスノフはトヨタとは繋がりがあったからアルシェロ・ウェルズに入れたとは推察できるし
トロントでもエマーソンを先頭とする一団あたりで入賞圏内争いをしていたともいうので、
その後のトヨタエンジンのパフォーマンスの向上ぶり次第では
長い目で見ると上位入賞とか、500マイルレースなら耐久のスキルが生きて
表彰台くらいは窺えるドライバーに成長した可能性はあるかもね。
亡くなるまでレーシングオンにしばしばコラムを寄せてて、その内容では
チームの方もまだ経験が浅くて、ロードコースのイベントなのにオーバル用のパーツが付いたままとか
序盤のうちは時折そういうドタバタした面もあったとか。
まあCART経験が2年目くらいの割と新しいチームで、シーズン前半はスポンサー居ないわ
クロスノフも日本から持ってきたヘルメット被ってた
(レースによってアライかショウエイか違うとかいうレベル)っていう随分な体制だったからね。
シーズン中盤以降MCIワールドコムがスポンサーに付いて(ここで序盤の白/赤から青い車になる)、
ヘルメットもベルがサポートしてくれるようになって、
エンジンはともかくチーム体制とかリザルトの面では安定し始めた矢先の事故ではあった。
同じトヨタ勢でもイーグルが目も当てられないほど酷い戦績だったのと比べれば
レイナード使ってるクロスノフと彼のチームは一応クルマが壊れるまではレースに参加してると
言えるレベルだったんで、2年目があれば確実に良くなってただろうね。 クロスノフがそれなりの実績のあるドライバーであり、もしヨハンソンがかつてF1でFerrariやマクラーレンといった名門中の名門で走った事のないドライバーだったならば、あの事故は単なるレーシングアクシデントとしては片付けられていなかった ジェフには申し訳ないけど、レースで実績を残す為ではなく、安全性対策のきっかけを作る為に生まれてきたようなドライバーだったと思いますよ、はい。 健在だったらTS020でルマンに出てたんじゃない? ないと思う…
クロスノフはとても良いやつだったと聞くが、
GTのテストで初めて乗ったコマスにチギられてたな… >>879
ヨハンソンとクロスノフは年が重なってないけどルマンで事実上ほぼ同じクルマを
ドライブしたことがある、って肝心の日本人が案外知らない話なのかね。
92年のルマンではトラストの92C-V(94年まで使われてトラストに保存されて、
近年欧州のコレクターに放出されてレーシングコンディションにレストアされたあのクルマ)を
ヨハンソンがドライブしていて(ちなみにこの年のサードはラッツェンバーガー)、
94年はあのサードのロングテールの94C-Vにクロスノフが乗ってて
あの終盤の、完走すら危ぶまれる窮地で機転を利かせたのがクロスノフだというのは
意外と海外の人の方が分かってる話だったりするかもしれないな。
そのうえで92年のデイトナで日産の黄色い車をドライブしてたとかね。
と、そういうわけでルマンのリザルト引っ繰り返してたら、
サードトヨタの活躍の陰に隠れて4位完走のトラストは目立たなかったものの
フーシェとアンドスカーのおなじみの2人に加えた3人目はかの「ブリリアント」ボブ・ウォレック先生だった模様。 そもそもクロスノフと日本の縁はスピードスターが連れてきたと思うが、どういう経緯だったのだろう。
それまで聞いたこともなかったし… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています