毒ガスや細菌を軍事に使用したのは中国の方がずっと早かったことを忘れないで頂きたい。
後は報復合戦になることは誰でもわかるはず、北坦事件とか。


イ 中国は早くも1926年3月、ソ連から一万発もの毒ガス弾を購入。

重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報を
まとめた【支那軍の化学組織系統の概要】
(昭和16年6月26日付、『毒ガス戦教育関係資料』所収)

ロ 1937年9月
第二次上海事変ではコレラ菌やホスゲンなどの細菌・猛毒物を日本軍に対して各地で使用してをり、
その結果、多数の同胞中国民衆をも死に至らしめてゐる。
蒋は同日の日記(中国語版)に「毒瓦斯をもっていく」と書いており、
実際に中国軍による毒ガスの散布は日本軍によって確認されている

[飯沼守 上海派遣軍参謀長 日記1937年]10月15日
「大平橋ニ落下シ噴煙中ノ迫撃砲弾ヲ持参各種実験検査ノ結果
発煙剤ニ「ホスゲン」ヲ混入セルモノナルコトヲ明確ニシ二・○○頃実験部長来テ説明セリ」

[飯沼守 上海派遣軍参謀長 日記1937年 昭和12年12月4日]
「軍イ部長の言,敵カ古里村付近「クリーク」ニタンソ菌撒キタル現物ヲ押収且斃馬解剖ノ結果決定セリト」


ハ 日本軍はソ連製の毒ガス弾も大量
に押収してゐる。これについては筆者中村粲が編集発行する
『昭和史研究所会報第39号、第40号に「細菌
・毒ガス戦・/中国が最初の違反者だった」として信夫淳平博士の論述を紹介してある。

ニ 北京にも、 すでに1937年(昭和12年)支那事変初期に細菌戦研究所のあった事実は
   岡部直三郎・北支方面軍参謀長の日記にも記載が見える。―昭和13年1月30日(日)]
「午後軍司令官に従い,在天壇野戦防疫部視察.同防疫部は元支那細菌研究所内に在り.毒物貯蔵地下室に於ける貯蔵品を見る.」