【授業】国語力を高めるために【家庭】
国語力を高めるための実践を交流しましょう。国語力=言語に
よる思考力+言語による表現力+言語による理解力としておきます。
インプット→処理→アウトプット
↑ ↓
フィードバック← って概念図でご理解を。
別に過疎ってもよいスレなので、こうしてみたということがあれば
書き込みをどうぞ。国語科に対する批判などは実践を通した提案で
お願いします。 現行の指導要領には、話す・聞くという観点が儲けられております。
これは、音声言語によるやりとりができなくなってきている。
という危機感から生まれた観点なのです。
スピーチからディスカッションを目指してとりくむことになってます。
低学年では一人対一人でおしゃべり(やりとり)を長くする(対話)
が主な学習活動として設定されてます。
ところで、この活動をどう教師は見取ればよいのでしょうか。
一人対全体では、話し方や内容をチェックすることができます。
同時、何組もが異なる話題で対話する。(チャッティング)
それをどう見取るか。なかなか難しい問題ですよね。
どうしてますか? やりとりって、たずねて、答えることの繰り返しなので
話題をふる。
聞きたいこと(いつ、どこ、だれ、どうして、どのように、どのくらい
どうなった。)をたずねることになると思いませんか?
原則として、…て、…て、みたいな語りではなく。一文一内容でつながせて
いくことが大事だと思います。
モデルとしてのやりとりを示すことで一つの型を身につけさせることが入門
なのではないでしょうか?他の低学年の先生はどんな工夫をしておられるので
しょう?
どのような話ができたのかを作文させて確認しているんですが…。
2年生ならまだしも1年生だとそれも難しいです。
何かうまいチェックの方法がないものでしょうか? スレあり
基地害と一緒でよければ
↓
日本の国語教育22
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/edu/1227839083/
もっとまともなのと一緒になりたければ
↓
【つまらん?】 国語の授業 【おもしろい?】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/edu/1132744506/
-----------------終了----------------- 方向が違うので一つお目こぼしを…
というか乱立しちゃってるのは、その人物のせいなので
仕方ないでしょ。 1年生だと、
…で、…て、……。
文末までしっかり話すのと、短い文で話すのを徹底した方がよさげですね。
絵を見せて、短文を作るのもいいですよね。
チーターが走っている絵を見て、
チーターが走っています。
とても早く走っています。
ぼくよりもずっと早いです。
ぐらいの文が作れればいいのじゃないでしょうか。 良スレ。
ありきたりだけどフィンランドや欧米式の言語教育を見習うべきかと。
つまり自分の意見を言う時にかならず理由も言う習慣。
すでに進んだ小学校ではやってるらしい。
主語・述語・目的語を明確に言う。
相手にわかりやすい易しい表現(短めでリズムと論理性のある文)
欧米式のPREP(Point Reason Example Point)を明確にする訓練
この変を意識して
人の前で話す技術
人に解り易く説明・説得する書く技術
これだけで飛躍的に国語力も上がるし、英語力もあがる。
つまり通じる英語力は国語力を鍛えることで実現できる。
日本的な「感動しました」「xxxを見習いたいと思います」的な
優等生的なステレオタイプの読書感想文ばかりでは頭も言葉も
世界に通じないレベルになってしまう。
スレあり
基地害と一緒でよければ
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日本の国語教育22
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【つまらん?】 国語の授業 【おもしろい?】
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-----------------終了----------------- 国語力ってことで許されよ。
PREPはとてもわかりやすい形式ですね。
ただ、レトリックってことを忘れると事務的になりそうです。
日本語がニュアンスのようなものを特に敏感に構成することばですので、
そうならないような「新しいことば遣い」というものが必要だと考えて
います。 Pのところで
わたしたちは、わが社は、わたしは、と主張する人を主語とするのか、
あるいは、マーケットは、自動車は、など対象を主語とするのか、
日本語ではどちらの方が<理解されやすく、興味をもってもらえるのか>
主体意識があいまいな日本では、責任と一体化している主語の意識は、
なかなか根付かない。けれど、それを根付かせることがこれからの力に
なるなら、しなければならない。
そのことを実証する方法がないのが痛い。 「新しいことば使い」はあくまでも日本語であり、翻訳のような、他の
言語の形式に似せて作られるものではないでしょう。
英語は関係を表すにはとても便利なことばです。それは、実は英語と
いうことばが神と人間の関係において成り立っていることばだからでは
ないでしょうか。神に対して、自分は何者であり、何をするのか、何を
したのかを報告するのであれば、主語と述語というあの関係は抜かすこ
とのできないものでしょう。
その英語による世界の破綻が量子です。波でもあり粒子でもある…
そのような表現は英語では非常に難しいのです。現象は物ではありま
せんから。
日本語では(中国語というべきなのでしょうか)色即是空など、
両義的なあり方は物事の根本であるような表現がそろっています。 ですから、説明や関係を表す優れた表現を日本語はもっているし、
もつことができるはずです。
それを「よいことば使い」としてどこまで認知していけるか。
わたしたちは、悪いことば使い、間違ったことばにばかり気を
取られて、正しいことば使い、正しいことばに直すことばかり
指導しているのではないでしょうか? 反語のような表現。
問いかけのような表現から、小学校の説明文は始まってますが、
案外に「よいこと」なのではないかと思っています。
何について話すのか。何のために話すのか。を端的に表現しており、
読み取りの助けになっています。
ただ、例示や実験の組み立てがどうしてその順番なのかがわからない
文章が載っていることがあります。
「花を見つける手がかり」は科学的な説明のよい例だと思っています。
あと、日本言語技術教育学会という組織もあり、教科書づくりも行って
います。
http://www.katch.ne.jp/~gengi-nagoya/
わたしはTOSSERじゃないので分析的授業や言語技術を扱う授業が
まるで向山発信であるかのような扱いはとても残念です。
テキスト分析による授業づくりは各教育大学の有志の教授たちで
進められてきていましたし、その教授がおられる大学では生徒た
ちはその視点で授業をどう作るかという授業を受けていました。
プロパガンダによる看板作りによってこのような研究が全部
向山の二番煎じ扱いされることにはとても遺憾です。教師は、
案外、よい学生だったので、最初の刷り込みに左右されやすい
面をもちます。情報の真偽についても、誰が話しているかだけ
で信用するような面もあります。
一番、情報リテラテシー能力を要求されるはずなのに、一番
身についてないのが教師かも知れません。 よい文章を書くことを子ども自身が目指す仕掛けをつくることも大事です。
句点1っこで500エン。
「」一組100エン
様子を詳しくすることば300円
漢字一文字100円など
くわしく書く。わかりやすく書くためのポイントを点数化して
自己採点させてみるのもよいのではないでしょうか。 日記を書かせることだね。本気で国語力をつけたければ。
もちろん、それに何らかの反応をすべきだが。
学校が当てになる時代は終わった。 この「が」の使い方も日本語の特徴なんですよね。
学校を当てにする時代は終わった。といえることを
学校が当てになる時代は終わった。という。
学校を当てにするは時代にかかる修飾です。ですから、時代は終わった。
が主述です。
ところが、
学校が当てになる時代は終わった。だと、当てになる時代の方が学校に
属するような感覚になります。主述が学校が終わった。に思えてくるの
です。(いえいえ、本当は時代は終わったですよ。)
これも新しいことばづかいなのだと思います。ただ、それがわかりやすい
か、表現したいことが伝わっているか…それを基準に考えなければいけま
せんが。 日記。
これずっと国語教師は言うんだけど、本当にそう思ってるのか疑問。
なぜか。
日記っていうのはもともとスケジュール記録から始まったもの。
宮中は一年中が何かしらの行事が設定されていて、言わば毎日が、
行事とその準備に明け暮れると…えええ、会議とか仕事は?さあ?
ものすごーくエライ人だけが決めてるんじゃないの。(摂関政治)
ってことでこのスケジュール管理がえらい大変だったので、女御
たちが日記を書いて、去年の今日は何をした。みたいなことを、
始めたのが始まり。
それから日本人の日記好きががよくわかる話。太平洋戦争のとき、
二等兵から士官まで日記を手帳に書いていて、占領した後、処理
されてない日記から日本軍の内情がもろバレしていたという嘘み
たいな本当の話がある。
業務日誌が日記なんだよね。その業務がなんていうか日常とか
内面みたいな感じにとらえられるようになるのは、墨東日記とか
あの辺の作家のネタ帳としての日記だろう。はたして、普通の生
徒はそんなネタ帳が書けるのか?書く動機が持続できるのか?
それより、純粋に書く技術を学び、実践する方がいいのではな
いでしょうか? 日記を書くぐらいなら、デジカメで写真を一枚撮って、
一句添えるを毎日やる方が…表現力を鍛えそうな気がします。 自分の書いた文章の質を自分でつかむための指標が必要です。
読んでみればわかるだろ。と思うのは、その指標をもっている人の言うこと
です。多くの人は
「何を書いていいのか」
「どう書いていいのか」
「これで伝わるのか」がわからないのです。 重複のオナニースレウゼーよ!
自分のブログででもやってろ!
日本の国語教育22
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-----------------終了----------------- オナニも芸の内。伊集院光はオナニー新聞作りでお笑いに目覚めたらしい
ですから。 ことばをことばとして使えるためには単語意識がなければなりません。
「ことばは」は一文節(とりあえずね文節って概念を借りましょうよ。)
ですが、単語は二つです。
どうも、ことばをうまく使えない子はことばをカプセルのようなものだと
思っているらしいのです。
ことば=意味のカプセル で わからないことばがあるとお手上げになる。
実はことばは機械のかたまりだと考えた方がよいのではないでしょうか?
しかも、この機械は接続すること、他の機械とつながることによって機能を
獲得し作動します。わたし+はで「わたしは」という機械ができあがります。
そのときの機能こそが問題であり、わたしとは何か、はとは何かが問題じゃ
ないはずです。 このような「ことば観」をもつことは、日本語以外の言語を理解
するときにも役立ちます。
その言語においては「つなぎ方のルールが厳密なのか、緩いのか」
という観点で語順やかかり方を理解できるからです。格変化などは、
つなぎ部分の形状の違いとして理解すればよいのです。
それでも単語という概念を確定することはとても重要になります。 何を書けばいいのか。を解消するのは、
「見たこと、聞いたこと」といい、何かを見せて、聞かせて
書かせるのでいいのではないでしょうか。
同じものを見ていれば、「足りている」「足りてない」
「順序が違う」などの判定が学習者同士でできます。
違うものを見ていれば
「どのくらい」「どのような」「どうして」など学習者
同士での問いかけが「足りない」をわからせてくれます。 [どう書いていいのか」の方が問題です。
一文一内容から徹底して、その文で一番いいたいことをくわしく(修飾)
することをていねいに教えていく必要があります。
ものやことに修飾する場合と、動きや意味、様子に修飾する場合
ではことば使いが違うので、ひとつひとつていねいにやります。
最初の内は一文一段落になってしまっていいとわりきるべきです。
くわしく書くということがわからない子がいる。
学校でみせるのにはふさわしくないかもしれないが
ペキンパーという映画監督の作品がわかりやすい。
迫力を出したいところでは、スローモーションにして
細かい動きまでしっかり見せるという技法を使っている。
中心となる出来事では、スローモーションを意識して書くとよい。
ワイドカメラからズームカメラのような書き方も練習するとよい。
小さな村がありました。
小さな川が流れていました。
小さな橋がかかっていました。
小さな子どもたちが手をつないで歩いていました。
小さな学校へと歩いていました。
その逆もあるが…こちらはなぜか大きくなるのでは
なく小さなものの中に内包されるイメージになりがち
である。これは文と文を相互に関係させる場合。前の文
が因であったり条件であったりするという約束が脳の中
にあるためらしい。 段落構成として、気をつけることは
順接の場合、よほどのことがないかぎり、接続詞を使わない。
逆接の接続詞は多くても二つにする。
段落同士の関係が逆接でも接続詞を使わなくても表現できることもある。
雨が降っていた。
傘は持っていた。
濡れて帰った。
逆接であるが、けれども、を使わなくても逆接は伝わる。 考えを書くというのは、実は、相手に説明をするということなので、
わかりやすさが要求される。
ところが、このわかりやすさをどのような観点から度合いとして
計測するかということが確立されてない。
だから、多くの意見文は思いの発表になってしまい。提言たりえ
ていない。檄にすぎなかったり、感情の同調を強制したりするよう
なことばづかいになってしまう。 そもそも筆者と読者が同じものを見ることを仕組まなくてはいけないのだが、
多くの生徒は、
「同じものを見ている」
「同じ考えを共有している」
という前提で書き始めてしまう。
もしも、そうならば考えを書く=伝えるということ自体が無意味な
ことには思い当たらない。 だから、話題の振り方の修行から始めないと問題意識が
どこかへ散らばってしまう。
ごみを公園に捨てる人がいる。という事実をどう提示するか
どうしてそれが問題かをきちんと自分のことばで言えるように
しなければならない。 説得を説明の目的にするとハードルは一気に上がってしまう。
やりとりのきっかけとして目的を設定するのがよい。
ゴミ箱を公園に置こう。
ゴミを公園に捨てる人がいる。
ゴミ箱があれば、ほどんどの人は自分から捨ててくれる。
落ちているゴミも誰もが拾って捨てやすい。
であえて問題点や質問をふってもらうようにすると、自分でいろんな見方を
するという高度な作業を共同作業にできるだけ楽になるし、いろんな見方の
具体的経験を積むことができる。 このようにコミュニケーションを通して
表現を練っていくということがこれまでは
先生⇔生徒の間でしかなかった。
それは、生徒⇔生徒のコミュニケーションは成り立っている
という前提があったからだ。
しかし、今や生徒⇔生徒のコミュニケーションが一番成立して
いない。
だからこそ、そのコミュニケーションをしくんでいく必要がある。 短時間でもコミュニケーションの練習をする方法はある。
学校ではよく並ぶ。このときの順番を誕生月順、出席番号順、など
お互いの情報を知らないとできないものにすると、お互いにやりと
りしなくても並べない。
条件を一つつけることによって、その行為を引き出すことはいくら
でも可能である。 三森ゆりか(つくば言語技術研究所)はものわかりのわるい親になれ
(教師)になれと
言語コミュニケーション能力を鍛えるためには、分かり合えない相手
とのコミュニケーションが大事であることを示している。
http://garyusha.com/modules/xfsection/index.php?category=119 ものわかりがわるいとは
「紙〜」といわれて
「わたしは紙じゃない」
「何枚いるの」
「どうしているの」
など尋ねかえすやり方である。
子どもの方はめんどくさいかもしれないが…。少なくとも
自分は何をどのくらいどうしてほしいのかを文で考え表現
することになる。
要求とは 何かを 何のために どのくらい どうして 欲しい
を伝えることだと認識することはとても大事なことなのだ。 日本人は自分が何かされたときに
「何もしてないのに」と自分に非がないことを根拠にして
相手の行為が不当であることをまさに小さなころから主張する。
この裏は「相手が悪ければ」何をしかえししてもよいということ
になる。
しかも、相手がどう悪いかは主観的な判断であるので結局は、
相手が嫌いと思えば、相手が何をしてもそれは悪いことになりうる。
その上、しかえしの定量がない。
だからこそ、自分に非はない。という主張を根拠にして相手の非を
主張することのやり方は改めなければならない。
相手の行為は単に迷惑だからだめなのである。その迷惑がなぜ発生
したかは話し合いではっきりさせればよい。自分は悪くないという
主張は不要である。 >>39
アメリカや中国が日本は情けないとかろくでもないとかけなしながら
日本にろくでもない要求つきつけて日本がアップアップして
ほんとはアメリカや中国の要求の方が悪いのになかなか言い返せないあの感覚ね
マスコミが日本人はクソなんだみたいな言い方しながら
マスコミがろくでもないことやってまかり通って
一般人もマスコミが良くないってわかっていても日本は情けない国だと思わせられてしまうあの感覚ね >>40
こりゃまた実によい悪文のサンプルをありがとうございます。
まず一文がやたら長すぎます。
そして、述語が あの感覚ね。と指示語が入っています。
それは、あの感覚と同じである。のような意味であればそう書くべきです。
そして、あのが何を指示しているのかあいまいです。
あのときの感覚ではないことから刺激に対する感覚でなければなりません。
その上で誰の感覚なのかをはっきりしないといったい何が主体なのか
皆目見当がつきません。
アメリカや中国→大国が
日本は情けないとかろくでもないとかけなしながら→日本を侮蔑
しておいて、
日本にろくでもない要求をつきつけて→日本に様々な要求をしてくる。
(一度切りましょう。)
ほんとは、アメリカや中国の要求の方→本当は大国の要求の方?おやこれは変です。
要求の中身が変のように読めますね。
わかりやすくするためには。→要求そのものが
悪いのに言い返せない。どうして悪いのか根拠がありません。→意に沿わないもの
であるのにもかかわらず、それに従っている。
その感じと一緒ですね。
と言いたいのではないですか?ずいぶん穴がある気がしますが…。 >>41
なんか昨今の人間の頭がコチンコチンで思考がうまくまわらない病でうまく考えが話せない 書くことがそのまま整理することなので、14歳の自分にわかるように
書くようにしましょう。
こつは主語と述語の距離はできるだけ近づけるです。
ぼくは、きのう、母さんにもらったおいしいおにぎりを12こも食べて、
その後、パンを5こも食べて、おなかが痛い。
よりは、
ぼくはお腹がいたい。きのう、お母さんがおにぎりを作ってくれた。
おいしかった。それで12こも食べてしまった。
しかも、その後、ついパンを5こも食べてしまったのだ。
と書く方がわかりやすいです。 ああ
>>42
も、すごい悪文ですね。
うまく考えが話せない。という述部にかかるのは、何なのでしょう?
え 考えが 話せない。で主述だと?まさか、そんなことはありませんよ。
ぼくは、とか 日本人はとかがこの上にこなければいけません。 某スレの
かもしれない。 これは そうであるか そうでないかという含みが
かも 疑問の「か」に「も」がついている形だがこの「も」が否定の
意味をもっていることはなかなか気づきづらい。
〜かも。などはそうであったのか!という驚嘆で当然、そうは思ってなかった
という前提において驚嘆足りえる。
問題は「しれない」だがこれを「知れない」とすると間違いである。
これは「する=し」なのである。
これをもって可能性を表す。かもしれないとはそうであることもそうで
ないこともわからないときに使う表現である。
(非常にわかりやすいですね。)
で自分のコミュニケーション技能(表面ばかり取り繕うのがそうだ
と思っていたり、、、いや、、、それじゃあ自分とコミュニケーション
できてないでしょ。)がないことを相手の理解力のなさにしてしまって
はいけない。
どのような学習も大事なのはフィードバックであり、読み手のフィー
ドバックに対して反応できなければ発信者の技能不足であるし、思考力
が足りてない。(実際は結局、自分でも何がしたいのか何がいいたいの
かがわかってないのだ。だから、表面以外のことになったときに対応が
変になってしまう。) 日本人がたぶん一番誤解しているのは<交渉>ということではないか?
相手に自分の主張をどう認めさせるかそのための話し合いだと思ってや
しないだろうか?
もちろん、そんなことではない。
現状の問題を相手と協働で解決する手段が<交渉>なのである。
ちょっとシリーズで考えたい。 交渉の際に大事なのは、
自分と相手の関係がどうなることが大切なのかを意識することであって、
結果としての利得ではない。
相手との関係性がよくなることは一時の利得よりもはるかに大きな利得
である。
ごり押しにはフォローが必要。当たり前のこと。 スレあり
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-----------------終了----------------- いつも気にしてくださりありがとうございます。
基地害とはもう関わりたくないです。
もう十分です。
もう一つのスレの方も実は基地害作成のスレでして、
隔離の隔離というへんてこな由来をもっています。はい。
小難しくするなということですので…ちょっとニュアンスが
チガウンデス。 交渉とは、相手にとっても、自分にとってもベターな何かを見つける
作業です。
おもちゃが欲しいという欲求をただ訴えていたのが、
勉強の役に立つから、DSIを買って欲しい。
冬休みの自由研究にも生かしたい。
買うに当たっては、毎月のおこづかいから500円ずつ
ローンになってもかまわない。
というような主張へと変わっていくことが交渉です。 スレあり
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-----------------終了----------------- 相手に譲歩させることをねらう交渉の弱点
そもそもが交渉=相手との相談が不可能になった場合、どのような選択
が可能なのかがまったく見えない。つまり、脅しのかけあいになり、長期
に渡るチキンレースになりやすい。
その上、それだけが当事者たちに関わる問題ではないので、ロスが大きい。
どちらも予期しないような最善ではなくても目的をもった提案に行きつく方が
はるかによい。
論争(ディスカッション)でも知的生産性を度外視して行えば、ことばと時
間の無駄である。そもそも、その論点を話し合うことが、その論点を含むさら
に大きな問題や文脈にアクセスすることになったり、アクセスする可能性をも
たらすのかということが考えられるべきだ。
あー揶揄は違うよ。揶揄は<態度表明>だからね。
態度をあからさまにすることが得である場合と損である場合がある。
揶揄や罵倒っていうのは<戦略>にかかわる部分で<戦略>はゼロ
サムゲームに関わる考え方です。将棋などね。勝つか負けるしかない
ようなゲームの場合このような戦略的な思考が登場します。
横道ですね。 交渉=価値創造と考えよう。
話し合いによってもたらされるものは<変化>です。
どのような<変化>が当事者同士に必要なのか。
それを策定する作業が交渉なのです。 交渉する際、われわれが陥りやすい一つの罠。
自分が何かの代表であり、だからーーー自分には何でも決める権限がある
[ーーーみんなと相談しなければ何も決められない。
そのどちらもが間違い。
あらかじめ、自分には何を決められて、何が決められないかをはっきりさせて
のぞむこと。
議論においては、そもそも何が論点であり、その論点について自分は何が語り
うるのか、語りえないのかをはっきりさせることである。 演習
クリスマスパーティを自宅で開きたい。
どうして、何のために、どのように、どんなことを手伝って、
…親にも利益があるように説明しなさい。 演習の途中であるが、某スレトンでも議論。
自己なんていうからわけがわからなくなるアートマンだと考えれば
簡単なこと。
心理学的にいえば、心理学っていうのは社会的な意識を扱うもの。
無意識でさえ、それが社会化されていないものとして扱っている。
ありとあらゆる認識が社会的な文脈によってなされると考えるのが
心理学の心理に対する基本理解である。
一方でユングだとかはその社会化が可能であるのはなぜかという
問いに答えるために心理学の枠からはみ出した研究領域である。
で<自己>という概念を持ち出すのだが、これブラフマンとアートマン
との関係を翻訳したものだ。
アートマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3
は人の側からみたもの
ブラフマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3
は自然の側からみたもの
梵我一如こそが現実の状態だと考える。
で梵我一如に至ろうとすることをユングは自己実現といったわけね。
これは社会的自我=パーソナルティ=ペルソナとの関係で自己をと
らえるときに人の行動動機(なぜ、人は不合理なことをするのかの
説明)を考えるとこう説明するしかなかった。 >>57
これは臨床心理学の説明ではあるな。
実験心理学(行動心理学)は、科学的であろうとするがゆえに科学的で
なかったりする面もある。
心理というものが物の運動から導き出されるものであるかどうかわからない。
実験心理学が観察という素朴な手法よりもどれぐらい上等かは眉唾であると思
う。 横道解説。
第一「超自然的自我」ということばがユングがどうのなどという
ことで考えられてもしかたがない。
ことばをカプセルとして考えている。
ことばは機械である。連結することによって作動し、その機能が
定められるのだ。
で、コミュニケーションの齟齬が起こってる。
ことばを文脈で読まなければいけない。という主張の例にむかって
学問的にその例には意味がない。というようなことを言ってる。
その結果、文脈で読むことの方法やことばの機能の定め方という
問題にアクセスせずに、どちらがより<知ってるか>というような
問題にすりかわっている。もちろん、そんなことを立証するために
ディスカッションすることは無意味である。
(超自然的自我ということば自体は確かにナンセンスだと思う。
だけれども、そういうことばを使って何かを表現した文章がある
としたら、その文章の主張はそのことばを使って読み取るしかない。) 演習にもどる。
この演習では、客観的な要求の表記、組み立てということを意識しなければ
ならない。
つまり、何のためのクリスマスパーティなのか
どうしてしなければならないのか。(←したいではない。)
そのために、何を協力してほしいのか。
そのことを自分で自覚することが交渉の第一歩だからだ。 某スレ。
ポッカーン。
ハア。
「何をどう知ってるか」の比べあいじゃないというメッセージに対して
「きみは何も知ってはいない。」なる応答はコミュニケーションとして
成り立つのか?
自我とは何かなんてことはその文章の中で考えるべきことで、別に
オっペケペーだろうと、スットコドッコイだろうと関係ない。
でなければ、蘭学事始での翻訳が成り立たない。
キャッチボールができないのにどうやって教えてるのか。 某所の議論。
あまりにも当たり前のことに気づいてなくそこに突っ込みを入れてない。
「すべてが知識」だとして、じゃあ、その「知識をどう身につける」
→本を読め。辞書を引け。
読むことは知識(スキル)である。知識(インテリジェンス
情報)がなければ成立しない。なんてことを言っても仕方がない。
じゃあ、それをどう身につけるのか、読むことによって…。
どう読むのかを指導するのが本当である。 まだまだ、ことばを(意味)みたいなカプセルだと思っている人が多い。
そうではない。
ことばは機械であり、そのつながり方やどの箱からその機械を取り出したか
という<つなぐという行為=言語使用>こそが意味を成り立たせるのである。
一つ一つのことばはそれぞれ異なる箱に入っている。何かを表現したいとき、
われわれは、その何かが属する部屋の中にある箱から何かを表すのに適当な
機械(ことば)を取り出す。
この部屋や箱を社会的文脈という。これはその機械が、これまでどのように
つながれてきたかによって分類され格納されているのだ。
どの部屋のどの箱から取り出したのか、ひとつひとつの機械には番号や矢印が
ついている。 文という機械はどのような機械のつながりなのだろう。
文には機能別に二つにわかれる。
何がどんなだ。(何はどうだ。何が何である。)
何がどうした。(何が何をどうした。)
の二つである。ここで文ではなく、メッセージとしては、何というだけで
成り立つ場合。どんなだ。や、どうする。だけで成り立つ場合がある。
が、それでも、あくまでも理解の途中では文として処理されている。
だから、この二つの文の形、形式、パターンこそが基本になる。 何がどんなだ。何は何であるという文を存在文(仮)とする。
何がどうする。何がどうなる。という文を過程文(仮)とする。
どのような文章であってもこの二つの文からできている。
存在文は関係を表し、過程文は変化(時間、空間など)を表す。
したがって、小説、物語などは過程文によって綴られることが多い。
一方、論説文は存在文で綴られることが多い。
そして、われわれは日常では存在文よりも過程文によって自分の考えや
状況を判断することが多くはないだろうか?論説文などの存
在文を読み取ることが経験的に少ないのではないのか?
それゆえに、論説文の文構成の形式を身につけないまま、そこで使われて
いることばにつまづいて立ち止まってしまうのではないか?
花は美しい。も、植物は光合成によって二酸化炭素を固定する働きを自然界
の中ではもっている。どちらの文も実は構造は同じなのだと読み取ることがで
きないのではないだろうか? /⌒⌒ヽ
`_//⌒⌒\\_
`ヽ_/⌒⌒\_/
| / \ / |
|/ ゚ ,゚ /
(6 ιつ /
| / __\
| / 山 ̄
|  ̄ ̄/
昔はこんな感じの学校の先生が多くて授業でひたすら黒板に字を書いて
よくそれをノートに写させられたっけ
ノートを取るのにモタモタしていたら先生が近づいてきて
「書くのが遅い」などと言っていきなりアタマを叩かれたりしたものだけど… いまは「黒板を消すのがはやい」と言って
保護者の苦情をうけた校長に諭される始末。 【衝撃の】 天皇家は韓国系 【真実】
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1228918702/
天皇陛下 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。
韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。
宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。
こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。
日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。
また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,
それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h13.html
宮内庁ホームページ 国語科をどのように教えるか。
よりも、
もはや、一人一人のソーシャルスキルの低下をどうふせぐかという
次元に公立校は立っていると認識した方がよい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%8A%80%E8%83%BD 昔と違って見るのは映像が主体になってしまってる。
活字を見る習慣もっともっと。 >>66
そもそもお前の文章わかりにくいんだよ
独自の用語使い過ぎだし、例えがわかりにくいし
内容が抽象的だし、おまけに長い!
>>81
効果はあると思うけど今の子供は本当に活字の本とか読まないからなー 先日のこと、
オレ;「明日から“大造じいさんとがん”をやりま〜す!」
児童;「え〜っ! こういう所は、せんでええんよ〜 4年の頃は飛ばしたし〜」
児童;「○○小学校は、もう下に入っています!」
オレ;「やると言ったら、やります! 先生は“大造じいさんとがん”が好きなんです!!」
たしかに、巻末のページで、新出漢字もカラーテストもない。
しかし、こんな名作をせずして、「ニュース番組を作ろう」みたいな
愚にもつかないことを延々とさせるのはいかがなものかと思うぞ。 そうそう! 東書なんですよ!!
東書は、名作嫌ってるとしか思えない。 学図の国語はページ数が厚く、そうした表現のものは少ない、読書教材が充実している。 国語力が低下しているのは子供だけじゃない
たとえばある政治家の一言だけを抜き出して問題発言だとか言う記事とかよくあるけど
本当にその人の話を最初から最後まで聞いていたら問題発言だと解釈するほうが間違っていることとかも多い >>83
文学一辺倒だった国語教師に、「ニュース番組を作ろう」みたいなことをさせるのは確かに愚にもつかないが、
そういう試みは当然あって然るべきだと思うよ
ただ、明らかにやり方がまずいw
国語=国文学でないという考えは大いに賛同するが・・・ >>90
実際にやってみりゃわかるけど、ニュース番組づくりは、一部の優秀な子どもが
あまり一生懸命にならず、大した発見もないままそこそこ良い発表を作り上げ、
大多数の子どもが、苦労してデキの悪い発表に何とかこぎつけるという構図に
陥りやすい。
数多くの実践例を見てきたが、そこそこに良い発表のできていたクラスは
例外無くかなりの指導をしこまれていた。むしろ限られた時間数の中で
一般的な労力程度でできる実りある教材がほしい。つまりコスト意識の
問題。たしかに教師側が研究を重ね、しっかりと指導を行い、ビデオカメラの
準備や取材先の確保などをきちんとやればそれなりの授業はできなくもないが
そもそもビデオカメラを準備してるヒマがあれば、算数の具体物を作成している
ほうがよっぽど有効な時間活用に思えてならない。 国語の学習指導要領作ってるやつって、
現場を見る目のなさが他教科に比べても群を抜きすぎているよなw 昨日の「クローズアップ現代」で、昨今の国語力の低下のことをやってた。
前半は、「たしかにそういうことあるな〜」と思って見てたのだが、
後半は、対策として筑波の言語教育研究所の言語技術の実践を取り上げられたのを見て、
「あらら〜 そっち行ったかぁ・・・」と思ってしまった。
そもそも国語表現みたいに、大学であまり専門的に学ぶ機会のないものまで
国語の科目にしちゃうのがどうなんかなあと
例えばスピーチを学ばせるにしたって、最近の国語教師はそうでもないけど
文学オタクにありがちな引っ込み思案な奴が国語教師になっちゃったとして、
そんな奴にスピーチを教えてもらいたいって普通は思わないよw 読解をていねいにやって語彙を増やすことなく、表現(特に「話す」)をしても
だめだよなぁ・・・・ 唐沢俊一ホームページ 裏モノ日記
http://www.tobunken.com/diary/diary20061114172636.html
>ただし論としての危弱なポイントも指摘してくれていた。参考になる。
http://www.wdic.org/w/WDIC/%E5%8D%B1%E5%BC%B1
>危弱
>辞書:通信用語の基礎知識 通信俗語編 (CZYOGO)
>読み:きじゃく
>品詞:名詞
>脆弱(ぜいじゃく)のことらしい。脆弱をゼイジャクと読めずキジャクと誤読した上、
>漢字までそれにならって間違ってしまった例。
>そもそも正しくゼイジャクと入力出来ていれば、このような語は間違っても出てこない。
>そう、意識的に "きじゃく" と入力した結果が危弱なのである。弁解の余地はないだろう。 唐沢俊一ホームページ 裏モノ日記 2002年10月26日
http://www.tobunken.com/diary/diary20021026000000.html
>つつしんで冥福をお祈りし、あわせて出版書律に、(略)
唐沢俊一ホームページ 裏モノ日記 2003年9月8日
http://www.tobunken.com/diary/diary20030908000000.html
>メールボックスを見たら、書律『宝珍』からメール。
おいおい「書律」って???????
書店(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E5%BA%97
>書店(しょてん)は、本(書籍、雑誌)の小売店や出版社、卸業者である。本屋(ほんや)とも
>呼ばれる(古い時代の呼称に書肆(しょし)というものもある)。 ニュース番組を作ろうという教材を否定する教師は、いつも、目の前の
授業を適当にこじくりまわして形だけなんとかするということの繰り返し
だけやっている。
一年間なり、6年間の指導計画があって、あらゆる教材は配置されている
ので、その教材のねらいをきちんとひとつひとつ積み上げることが大事だ。
はっきり、スラスラ、ゆっくり、大きな声で言える低学年を育てなければ
何を言うというスピーチの内容へ入っていけない。中学年でも
「声が小さい」という指導を入れなきゃならないとしたら、2年間が全くの
無駄ということだ。
本を読む=言語活動というのは単に自分がそうやって国語という授業を
すごしてきたからにすぎない。何のために何の本を読むのかという次元を
主体的に読書指導としてする視点がない。(たかが、小学校教師にそんな
こと考えてる人間はいないと文科省の人間はいうかもしれないが…) 負け組の教育論なんて聞きたくねー
自分の教育もできねーヤツが、人様にあれこれいうな!
もうしわけないという謙虚さをもって遠慮せよ! 大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力・イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されてしもうた僕が言うんやから、間違いないで。
それで、今はひきこもりで、仕事もできへん。
教師も校長も、暴力やいじめを見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを受けて自殺しても、「本校にいじめ
はなかった」で逃げるんやろうなあ。
教科教育の前に、人間教育が大事やで。
文を
砕けば砕くほど具体的な形になり
整理すればするほど豊かな表現になる このまえ国語力検定(z会)っていうのを受けたんだが
あれは一般的な尺度として通用するのか?
つまり「国語力検定三級ですたwwwwコポォwww」
「貴様www三級とはw低wwwふざけておるなwwwww」
みたいな会話はネットとかで成り立つんだろうか 「大造〜」って、研究校等でない普通の学校で普通の力の先生で授業がなりたつものですか?
他によい作があるのでなぜ選んだのか(うちは光村)謎だと思うぐらいなんですが。
(次郎助ミミズクみたいな)幻想路線ならともかく、リアルふうな路線で素直に感動させるのは
作品の欠点が大きすぎますが、かといって、5年生で、作品への敬意を保ちつつ欠点は批判的に読ませる、
なんてことができるのかと。
全ての公立学校を完全に潰し、クズどもを一掃しよう!!
クズどもから教育されることは何もない!!
公立学校教育を全て廃止しクズどもを皆殺しにすべきだ!!
無駄なバカ私立学校は不要だ!悪徳私学はさっさと消滅しろ!!
今の日本の教育システムをブッ潰し教育に効率の良い学校へつくり変えよう!!
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!!
大造じいさんとがんの主人公は大造。つまり、ダメなやつが立派になった話。だと、考えなければ、やってられません。
「自分のことを動物より劣る」と思えたのはなぜか? 英雄が<人間>である必要がないということ。 22名前:名無しさん
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。誰かがイジメを苦にして
自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
23名前:大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら島本町から逃げ出した元島本町民
>>22名無しさんの言う通りや
名無しさんも早う島本町から逃げ出す方がええで
島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや
>>23
「20世紀少年」で、『ともだち』が人類を皆殺しにしようと企てたのも、小学校のときに受けたイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。『大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ちはよく分かる。 日本語指導が必要な日本人の子供、過去最多に
文部科学省は3日、帰国子女など日本語指導が必要な日本国籍の児童・生徒が2012年度、
6171人に上り、過去最多となったと発表した。
全国の公立小中高校など約3万4500校を対象に、昨年5月1日現在で調査。
12年度は、前回10年度を675人上回った。
帰国子女のほか、両親が国際結婚し、家庭で日本語以外の言語が使われているケースなどが該当する。
都道府県別に見ると、愛知県が1113人と最多で、東京都が816人、神奈川県が771人と続いた。
過去最多となった理由について、同省国際教育課は「06年をピークに増え続けた国際結婚で生まれた子供が、
学齢期に達しているのでは」としている。
一方、日本語指導が必要な外国人の児童・生徒は2万7013人で、前回より1498人減少した。
(2013年4月3日18時38分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130403-OYT1T01077.htm?from=main5 クソ公務員による道徳教育が大間違い!!
公務員に道徳教育は絶対にできないww
公立学校はクズどもの集まり、いまの日本の教育システムを
ブッ潰し教育に効率の良い学校システムへつくり変えよう!!
税収入の為のキズナwwみせかけ福祉ww偽善教育の得意技!!
教育を隠れミノにするな!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員をブッ殺そう!! 語学を40人学級でやるという発想から間違っている
だから丸読みなどという馬鹿馬鹿しい授業しかできず
日本の学校はコミュ障をわんさか生み出している 福岡女学院の国語教諭受賞11月12日(火) 16時29分ttp://rkb.jp/news/news/17785/
将来を担う児童や生徒への、優れた教育活動をたたえる今年度の博報賞に、福岡女学院の女性国語教諭が選ばれました。
今年度の博報賞国語・日本語教育部門を受賞したのは、福岡女学院中学・高校の教諭、竹添智美さんです。
竹添さんは、自ら歌人として活動しながら、その技能を生かして、中学校で国語表現の授業を実践したことが評価されました。
博報賞は、児童・生徒の豊かな人間性育成に努めている学校や団体・個人をたたえようと、
博報児童教育振興会が毎年、選出・表彰していて今回で44回目です。ttp://rkb.jp/news/files/2013/11/2013-11-124-150x84.jpg 自然言語は2つの領域に分けられる
1つはアスペの領域で、通常の科学や工学の領域。
1つは定型の領域で、既存システムを利用するコンピュータウィルスの領域
つまり、相手を攻略するための会話が定型の会話
定型の場合、相手の感情あるいはクオリアを操作するのがおおかたの目的
ちなみに、学校で教える国語はアスペの領域まで
言い換えると、攻撃ウィルスを想定しない科学・工学までの言語
んで、社会にでるとそれらを利用するサイコパスらが
ウィルス同様におまえらを操作して儲けるわけ
ちなみに、定型の国語は現在のところ学問的に評価のしようがないので
せいぜい作文や小論文にとどまっている
そして、その評価は教師に委ねられている。 そうそう、文学とかあるでしょ
あれ、サイコパスのスキル大全集だと思えばいい というか、文系の学問はそれ系が多い
評価の中心は主観であり、権威あるいは専門家とされる人による評価であり
それらが常に正しいことを証明することはできない
あるいはすべての人が認めることができないたぐいのもの
すなわち芸術の分野となる >>37
そこはわりと重要なポイントだね
日本では相手の主張を自分から理解しようとする傾向がある
同質性も手伝って、割と簡単に空いての主張を推定できることが多い
でも、それは日本でだけ
欧米ではそれはほとんど期待しないほうがいい
非常に多くのことを説明しないと彼らとは会話が成り立たないことがあるのは外資で仕事すりゃ1度は経験すること 谷川俊太郎さんが講演ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014628691.html?t=1390431943657
詩を使った教育に熱心に取り組んでいる佐川町で22日、詩人の谷川俊太郎さんが講演し、心の強さを養うことが
いじめをなくす近道だというメッセージを込めた詩を披露しました。
佐川町は、心豊かな子どもを育てようと3年前から学校のカリキュラムに詩の朗読を取り入れるなど、詩の学習に
力を入れています。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014628691_m.jpg
22日の講演会は、この学習の一環として開かれたもので、地元の小中学生など400人余りが参加しました。
講演会で谷川さんは小学生のとき、校庭で同級生に顔を平手で何度もたたかれたという、みずからが受けたいじめの
体験をもとに作った「おとなしい巨人」という詩を朗読しました。
詩には「からだはちびで弱くても心は大きく強くなれる心の巨人の相手は自分自分に負けない巨人になりたい」
と書かれ、心の強さを養うことがいじめを防ぐ近道だというメッセージが込められています。
谷川さんは、「詩には、みなさんが感じているさまざまな嫌なことを消してくれる作用があると思います。
子どもたちには詩独特の表現やリズム感などのおもしろさを感じて欲しい」と話していました。01月22日 19時14分 菊池寛ジュニア賞決まるttp://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035150851.html?t=1392074481563
小中学生の優れた作文などに贈られる今年度の「菊池寛ジュニア賞」の入賞作品が決まりました。
「菊池寛ジュニア賞」は、高松市出身の作家、菊池寛にちなんで高松市などが市内の小中学生が書いた生活作文や
童話などの創作作品を対象に設けているもので、今回で22回目になります。
このうち小学校の部の最優秀賞には高松市立木太小学校2年の岩城心優さんの生活作文、「かえり道のたのしみ」が
選ばれました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035150851_m.jpg
この作品は、一人暮らしのお年寄りとの挨拶など学校からの「かえり道」で見つけた3つの楽しみを生き生きと描いた
点が評価されました。
また、中学校の部の最優秀賞には香川大学附属高松中学校2年の臼杵春香さんの創作作品、「夏草、君とともに」
が選ばれました。
この作品は、病院で知り合った少年と少女の交流を描いていて、花言葉を使って少女の心の動きをうまく表現した点が
評価されました。「菊池寛ジュニア賞」の贈呈式は、2月15日、高松市のサンクリスタル高松で開かれます。
02月10日 18時57分 小説家が小学校で出前授業ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8003980091.html?t=1400223041486
子どもたちに、文章で自分の気持ちを表現する力を養ってもらおうと小説家から小説の書き方を学ぶ教室が
松山市内の小学校で開かれました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8003980091_m.jpg
この教室は、松山市の潮見小学校で開かれたもので、4年生の教室では、児童56人が参加しました。
講師を務めるのは松山市出身で、主に短編を手がける小説家の田丸雅智さんです。
授業ではまず、田丸さんが▼思いついた単語とそこから連想される言葉を組み合わせて常識では考えられない
不思議な言葉を新たにつくり▼その言葉が現実になればどんなことが起きるか空想しながら文章を組み立てるなど
田丸さん流の小説を書くポイントを教えました。
そして、子どもたちは田丸さんからアドバイスを受けながら自分の空想の世界を紙に書き出して文章としてまとめて
いきました。
田丸さんは去年もこの小学校で授業を開き、授業を受けた子どもの2人が短編の文学賞で入選したということです。
参加した女子児童は「ふだんはあまり文章を書くのが得意ではないですがきょうはうまく書けました。
また書いてみたいです」と話していました。05月16日 12時33分 壺井栄賞授賞式ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035149651.html?t=1403558470167
子どもたちの優れた作文などに贈られる「壺井栄賞」の授賞式が、壺井栄の出身地、小豆島町で行われました。
この賞は、小説「二十四の瞳」の作者として知られる小豆島町出身の壺井栄の功績をたたえ、子どもたちの優れた
文章に毎年贈られています。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/takamatsu/8035149651_m.jpg
壺井栄の命日の23日、島にある壺井栄の文学碑の前に町の関係者らが集まって菊の花を手向けた後、
表彰式が行われました。
42回目のことしは、香川県内の小中学校と高校から87点の応募があり、最優秀の「壺井栄賞」には小豆島町立
安田小学校4年の笠井一咲くんが書いた「小豆島にアジアの人がいっぱい」という作文が選ばれました。
この作文は、小豆島などで去年開催された瀬戸内国際芸術祭での体験を書いたもので、地元に訪れた
シンガポールや台湾、インドネシアの人たちとの交流で感じたことをいきいきとつづっています。
選考委員を務めた作家のあさのあつこさんは「スケールの大きな作品。芸術・文化というものは人種や国をこえて、
人の心に届くものだと笠井君が知る過程がとてもみずみずしく伝わってくる」と評価しました。
受賞した笠井くんは、「賞をもらえてとてもうれしかった。次の芸術祭の時は恥ずかしがらずにアーティストと仲良く
なりたい」と話していました。06月23日 19時59分 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ 小学校で詩の授業ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024836131.html?t=1411692739739
詩の創作を通じて子どもたちの豊かな心を育もうと赤磐市の小学校で詩の書き方を学ぶ授業が開かれました。
この授業は赤磐市出身の詩人、故・永瀬清子さんにちなんで市の教育委員会が毎年、市内の小中学校で
開いているもので、25日は城南小学校の3年生と4年生が授業に参加しました。
このうち、3年生のクラスには、岡山県詩人協会会長の壺阪輝代さんが講師として招かれ、
「まず詩のテーマを見つけてどのような感情が浮かんだのかを具体的に書くことで言葉が生き生きしてきます」
とアドバイスしました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024836131_m.jpg
このあと子どもたちは、これまでの授業で書いた詩を持ち寄り、細やかな感情の動きなどを自分の言葉で表現し
直して発表しました。
なかには嬉しい、悲しいといった自分の心の変化をじっくり見つめた作品や友だちとの何気ない日常の交流を詩で
表現した子どももいました。
参加した男の子の一人は「詩を書くのは面白いと思いました。自分の気持ちをよく考えながらいろんな詩を書いて
みたいです」と話していました。09月25日 20時11分 小学生が俳句づくりに挑戦ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024872101.html?t=1411776513646
津山市の小学校で、子どもたちが俳句づくりに挑戦する俳句教室が開かれました。
この俳句教室は、「世界で一番短い詩」とされる俳句の楽しさを知ってもらおうと津山市の俳句グループ「綱俳句会」
が行ったものです。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024872101_m.jpg
26日はメンバーが地元の弥生小学校を訪れ、5年生の児童たちに5・7・5の17文字の中に季節をあらわす「季語」
を入れるといった俳句のルールや津山市出身の俳人・西東三鬼について話をしました。
このあと児童たちは、さっそく俳句づくりに挑戦し、指で文字の数を数えながら「秋まつり」や「運動会」
などの季語を入れて思い思いの俳句を作っていました。
そして、できあがった俳句を大きな短冊に書いて黒板に張り出し、みんなで気に入った句を選びました。
女子児童の1人は、「言葉を選ぶのが難しかったけど、楽しかったです」と話していました。
また、綱俳句会の永禮宣子会長は、「子どもたちの俳句には、キラッと光るものがありました。
大人と違う新しい感覚を持っているので、これをもっと伸ばしていければいいと思います」と話していました。
09月26日 18時56分 子規の歌を母校で披露ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8005585671.html?t=1414656416375
正岡子規の俳句をもとに松山市の愛唱歌を作った新井満さんがきょう子規の母校の小学校を訪れ、歌を披露しました。
松山市の番町小学校は松山出身の俳人、正岡子規の母校です。
きょうは学校の体育館で子規の俳句をもとに松山市の愛唱歌をつくった作家の新井満さんを招いて集会が開かれ、
300人あまりの全校児童や保護者などが参加しました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8005585671_m.jpg
集会では正岡子規にふんした伊予がすり姿の先生と、子どもたちが寸劇を披露して新井さんを出迎えました。
これに対して新井さんは「この歌をつくったことで番町小学校の子どもたちに手紙をもらったのでお礼をしに来ました」
と話した後、愛唱歌の「ふるさとの春〜春や昔〜」をみずから歌って披露しました。
番町小学校では、毎年、4年生が授業で正岡子規の俳句について学んでいて、新井さんは4年生と一緒に給食を
食べながら、交流を深めることになっています。10月30日 13時59分 高校書道教員の作品展ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8013783431.html?t=1418287258645
県内の高校で生徒たちに書道を教えている教員の作品を集めた展示会が高知市で開かれています。
この展示会は、高校で書道を教えている教諭や講師の技量を高めようと、高校教諭らで作る高知県高等学校書道
教育研究会が開き、会場には36人の作品あわせて51点が展示されています。
このうち岡豊高校の教諭、山本哲也さんの作品は縦6メートル、横5メートルの巨大な和紙に「起死回生」の4文字を
うねるような筆遣いで表現しています。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8013783431_m.jpg
また佐川高校の講師、松崎由依さんの作品の「四季」は、色とりどりの色紙に季節ごとの平安時代の和歌を繊細な
筆遣いで表しています。
高知県高等学校書道教育研究会の小野美和さんは「土佐の書道を伝えていこうとそれぞれ授業の合間を縫って
取り組んできた大作ばかりなので、ぜひ見に来てほしい」と話していました。
この展示会は高知市文化プラザかるぽーとで今月14日まで開かれています。12月11日 12時55分 なんで英語ではカンマ読みなんてしないのに
国語では丸読みが定番なの? “書道ガールズ”書き初め指南ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8004302861.html?t=1420419784226
新年をむかえ、松山市では地元の子どもたちが書道部に所属する女子大学生からの手ほどきを受けて書き初めに
挑戦しました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/matsuyama/8004302861_m.jpg
この催しは、子どもたちに日本の伝統文化に触れてもらうとともに書道への親しみを持ってもらおうと、松山市の桑原
公民館が初めて開きました。
会場には地元の小中学生9人が集まり、指導役として松山東雲女子大学と短期大学の書道部に所属する女子学生
5人が招かれました。
はじめに女子学生たちが縦1.8メートル、横4.5メートルの大きな紙に人気アイドルグループの曲にあわせて筆と
墨で歌詞を書くパフォーマンスを披露しました。
このあと、子どもたちは床に半紙を広げ、思い思いのテーマで書き初めに挑戦し、▼文字のバランスや、▼「とめ」や
「はらい」の筆使いなどについて学生から指導を受けながら、一筆一筆丁寧に書き上げていました。
小学4年生の女の子は「お姉さんたちが優しく教えてくれて、これまでうまく書けなかった字も上手に書けたので
うれしい」と話していました。
指導した松山東雲短期大学の山内文さんは「私たち自身も書き初めができ、子どもたちの指導にも携わることができた
ので、1年のいい幕開けになりました」と話していました。01月04日 19時08分 新春書き初め大会(01月04日)ttp://www.itv6.jp/m/news/detail.php?date=20150104&no=0002
新年を迎え、きょう松山市内の公民館では、新春書き初め大会が開かれました。
新春書き初め大会は松山市の桑原公民館が企画したもので、きょうは地区の小中学生9人が参加しました。
大会では、初めに松山東雲女子大学短期大学の書道部「書道がーるず」が、
人気アイドルグループの曲に合わせて書初めのパフォーマンスを披露しました。
このあと子供たちも書道がーるずに墨汁のつけ方や文字のバランスの取り方など細かい手ほどきを受けながら
書初めに挑戦し、今年の抱負など思い思いの言葉を綴っていました。 新春書き初め大会 松山市(愛媛県)ttp://w2.rnb.co.jp/nnn/news8785227.html
松山市で4日、小学生たちが大学生と一緒に書き初めを行い交流を深めた。
松山市の桑原公民館分館で開かれた新春書き初め大会には、市内の小学生や保護者など約10人が参加した。
まず、松山東雲女子大学・短期大学の書道部「書道がーるず」による書道パフォーマンスが行われ、
部員らは音楽に合わせてダイナミックに筆を走らせた。
その後、子供たちは早速半紙に向かい、大学生のアドバイスを受けながら「もち」や「平和の光」など、
それぞれが書きたい言葉を真剣な表情で書いていた。
主催者は「行事を通じて地域の人との繋がりを大事にしてほしい」と話していた。
[ 1/4 15:34 南海放送] 香美市で書き初め大会ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/kochi/8014265851.html?t=1420448303682
新春恒例の書き初め大会が香美市で開かれ、子どもたちが新年にちなんだことばを丁寧に書き上げ、
新しい年を迎えた思いを新たにしていました。
この書き初め大会は香美市の中央公民館が毎年開いていて、5日は地元の小学生や中学生などおよそ80人が
参加しました。
書き初めの課題のことばは、「ひつじ年」や「子ひつじ」、それに「洋上初日」など新年にふさわしいものが学年ごとに
与えられています。
子どもたちは地元の書道教室の講師から指導を受けながら、縦長の大きな半紙にことし初めての書を1文字1文字
丁寧に書き上げていました。
参加した中学3年生の女子生徒は、「書き初めをすると新しい年が始まったという気持ちになります。
ことしは高校生になるので、友達をいっぱい作りたいです」と話していました。
また小学3年生の男の子は、「ことしも元気に遊んで、病気をしない1年にしたいと思いながら書きました」と話していました。
書かれた作品のうち優秀なものは、5日からおよそ1か月の間、香美市の中央公民館で展示されます。
01月05日 16時08分 新見市の児童たちが書初めttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024307841.html?t=1420534058368
新年の始まりに書をしたため気持ちを新たにしようと新見市の公民館では小学生が書き初めに臨みました。
新見市正田の正田公民館で開かれた書き初め会には小学校3年生から6年生の児童40人が参加しました。
指導にあたるのは小学校の元教師や地元の書道愛好家など4人で、子どもたちは学年ごとに与えられた課題をもとに、
「美しい空」や「広い世界」などの字を墨汁をたっぷり含ませた筆で書いていきました。
なかには思うように筆が動かず講師の先生が手を取って指導する子どももいましたが最後はみんな30分程度で
清書を書き上げていました。ttp://www3.nhk.or.jp/lnews/okayama/4024307841_m.jpg
6年生の女の子は「最初はうまくいかなかったけど練習を重ねたら上手になったので良かったです」と話していました。
指導にあたった定岡豊秋さんは「お正月の休みでだらだら過ごしていた子どももいたと思いますが今日を機会に
頑張ってもらえればと思います」と話していました。01月06日 13時55分 大洲で「新春書初め会」(01月06日)ttp://www.itv6.jp/m/news/detail.php?date=20150106&no=0005
大洲市内の小学校では恒例の「新春書き初め会」が開かれました。
今年で47回を迎えるこの書き初め会は、市の教育委員会などが毎年この時期に開催していて
この日は市内の小学生183人中学生47人が参加しました。
このうち小学4年生の教室では「世界」という課題文字が決められ子供達は教科書を手本に真剣な眼差しで丁寧に
筆を運んでいました。
書き上げた書初め会の入賞作品は、明日から、今月21日までアクトピア大洲の特設コーナーに展示されることになっています。 【教育】6年間、論語を学習 佐賀県鳥栖市の小学校新教科「日本語」 | 西日本新聞 [6/7]
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1402068794/
来年度から鳥栖市内の全小中学校で導入される新教科「日本語」の小学生用教科書の内容が6日、固まった。
6年間通して論語を学び、1、2年では神話にも触れる。
俳句や詩、ことわざなど日本語の美しさを学習するほか、3年からは鳥栖や佐賀の伝統文化なども取り上げる。
話し方や生活の中でのさまざまなマナーも盛り込まれている。
同日、市教委の小学校教科書編集部会が開かれ、内容の修正についての協議をほぼ終了。
今後、文言や写真、挿絵などで細かい修正を加え、
日本語教育検討委員会での議論を経て来年2月の完成を目指す。
中学生用の教科書については中学校の編集部会で内容を詰めている。
市教委によると、教科書は「言語・伝統的言語文化」「伝統文化」「礼儀作法」の3領域に分かれ、
各領域で学年に応じた題材を選択。
中心となる「言語・伝統的言語文化」では詩や論語、ことわざ、俳句、昔話などを
6年間通して学び、高学年になると短歌・川柳や慣用句、古典などに変わっていく。
神話は1年で「天の岩戸」「ウミサチとヤマサチ」、2年で「ヤマタノオロチ」を学習。
論語は1、2年が読んで親しむことを主体にし、3、4年で響きを味わう。
5、6年では内容把握を中心にし、6年になると漢詩も登場する。
「伝統文化」では、1、2年で日本の行事や祝日などを学ぶほか、かるた作りにも挑戦。
3年で鳥栖の地名や方言、4年で佐賀の地名などが扱われる。5年で落語に、6年で能にも触れる。
「礼儀作法」は話し方やあいさつの仕方、箸使いなど食事のマナー、敬語の使い方、行事のしきたりなどを学ぶ。
来年度の本格導入までに、市教委は「日本語」について教科書の作成作業を進める一方で、
年間の授業の進め方や授業の仕方なども決める。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/saga/article/93334
=2014/06/07付西日本新聞朝刊=(最終更新 2014年06月07日 00時19分) http://blog.livedoor.jp/d2garden/archives/5157365.html
こういうクイズごっこが幼児にはいいかもね。
筑波の言語技術研修は、教員もいけるみたいだけど
言語技術をやってる学校とかあるのかね? あさきゆめみし ですら読むのがめんどい。
漫画疲れる。 津山市の小学校で俳句教室09/28 18:25nhk
子どもたちが季節感を盛り込んだ俳句づくりに挑戦する教室が28日、津山市の小学校で開かれました。
この「俳句教室」は地元のグループ「綱俳句会」が、子供たちに俳句のおもしろさを知ってもらおうと開きました。
28日は、俳句会のメンバー9人が津山市の弥生小学校を訪れ、5年生の3つの教室でそれぞれ俳句を教えました。
子どもたちはまず、俳句が5・7・5の17音でつくられることや、季節をあらわす「季語」を入れることなど、俳句のルールを学びました。
そして文字の数を指で数えながら思い思いに俳句をつくり、お気に入りの句を大きな短冊に書いて黒板に張り出しました。
このあと俳句の人気投票が行われ、「大空に虹がかかったホームラン」や「妹と金魚ぶらさげ帰る道」など感性あふれる句が人気を集めていました。
男子児童の1人は「季語を入れて5・7・5の17音にするのが難しかったです」と話していました。 とても簡単なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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ん まったく無駄!!不要!!いらない!!
全ての公立学校はどんどん統廃合すべきだ!!
今いる教員数を3分の1以下にすべきである。
見せ掛けのための教育と管理第一主義の糞校長・教頭どもを全員クビにして
教育に効率の良い学校へ転換することだな。
税金の無駄使い公務員をブッ殺せ!!
教育を隠れミノにするなよ!!
悪徳公務員はさっさと死ね!!
偽善教育のバカ公務員死ね!! 80 名無氏物語 2019/01/02 04:26:44
とんでもないは「とんでもない」って一つの言葉だから「とんでもございません」は誤りとか
根拠のない俗説らしいな
81 名無氏物語 2019/01/03 21:24:21
「とんでもない」は、「途でもない(途方もない)」という語から出ているから、
「とんでもございません」も「とんでもありません」もOKです。
戦後教育の弊害の一つが、「間違い」と言われるのを恐れる習慣がついて国語表現の幅が狭まったことですね。
85 名無氏物語 2019/03/31 23:05:54
「『慣用句は活用しない』というルールはない」
みたいな観点から言うと
「間が持たないじゃなくて間が持てない」っていうのも怪しい話だよね
間が持てなかった結果、間が持たなくなるんじゃないの?
86 名無氏物語 2019/04/03 07:46:17
間が持たないの誤用説なんて誰かが思いついてからまだ5年くらいじゃないの
検索しても「間が持たないが辞書に載っていなくて、間が持てないが載ってるから正解は間が持てない」っていう
いつもの「辞書の使い方知らない人理論」しか出て来ないし 管理職はあと 数年すれば逃げきれるやつらだから本気で
対処することはないよ。 平成19年の文化庁の敬語の指針で「とんでもありません」「とんでもございません」は復活してる(誤用が定着したわけではない)
学者は「とんでもないは一つの形容詞で分解できない」と主張しているし、辞書にもそう載っているが、
実はこの説には学術的な根拠がない。
みんな昔と変わらず「途でも無いと同じ意味だ」「後ろのナイは無いという意味だ」と分かって使っていたのに、無知な学者が勝手に間違いと決め付けてしまっただけ。
こういう一部のアホの勘違いは「言葉は変わるもの」という例に含まない。単なる間違い。 (1.かん)元首相と
(2.すが)(3.かん)房長(4.かん)は
(5.かん)僚に命じて配(6.かん)工事を
(7.かん)理した ところで「チンポがシコシコする」という日本語国語表現は、文法的に正しいのか?
チンポ「を」シコシコするのではなくて、チンポ「が」シコシコする。この場合、「チンポ」は主語となる。
オブジェクト指向で言う「集約」は2種類あって、全体(俺)と部分(チンポ)が繋がっている場合と、
全体(俺)と部分(チンポ)が別々になっている場合とが考えられる。けれども「チンポ」はそれ自体
が独立した生き物であり、所有者の意思とは無関係に、勃起して「シコシコする」。
例えば寝てる時にエロい夢みて朝起きてみたらチンコが勃起して射精してたとか。
違うか?
「胸がドキドキする」は良いが、「チンポがシコシコする」はダメな理由を、50字以内で述べろ! >>162
胸がドキドキする時と違って、チンポしこしこ時に主体となって動くのは手だから。チンポは受け身。 35人,40人の世界で異常なガラパゴス「多人数学級」が日本特有の個性否定教育、反人権的指導の原因
小学校は25人をMAX、中学校は30人をMAXにしたらいい
日本の小学校 27.2人 (OECD平均21.1人、EU平均19.5人、米国20.3人) チリに次いでOECD加盟国2位
日本の中学校 32.0人 (OECD平均23.3人、EU平均20.9人、米国24.9人) コスタリカに次いでOECD加盟国2位
平均学級規模の国際比較(2019年、OECD,Education at a glance 2021,Table D2.1)