世界に伝わる「怪猫伝説」 無類の愛猫家だった歌川国芳はトキソプラズマに操られていた!?〈AERA〉

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによって
どのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。
今回は、愛猫家として知られる江戸時代の絵師、歌川国芳を「診断」する。

■猫の浮世絵画家
浮世絵の世界では歌川国芳(1798−1861)が最大の愛猫家である。
国芳は役者絵、武者絵、風景画、風刺画から春画まで膨大な作品を残しているが、猫を脇役にした美人画や猫自体を描いた作品も多い。

諸国名産を紹介した「山海愛度図会」の一つに「ヲゝいたい」という作品があるが、爪を出した猫に抱きつかれた若い女性が
「おお痛い」と叫びながらも嬉しそうに抱き上げてる(うらやましい)。背景には猫の好物の「越中滑川の大蛸」が描かれている。
国芳自体が大変な愛猫家で十数匹の猫を飼い、死ぬと大変な嘆きようで大枚を叩いて戒名を受けて寺に葬ったという。
ネズミ捕りという本来の用を離れてどうしてかくも猫が可愛がられるようになったかは諸説があるが、
今回はトキソプラズマが介在するのではないかという、ちょっと怖いお話をひとつ。

■トキソプラズマによる操り
「トキソプラズマ症」は原虫であるToxoplasma gondiiによる感染症で、全世界の人口3分の1が感染者とされている。
多くの哺乳類に感染するが、終宿主は猫科動物で、猫族の腸管内でのみ有性生殖する。
母子感染により胎児に様々な障害をきたすが、成人ではほとんどの場合無症状である。
しかし、トキソプラズマの感染によりヒトの行動が変わったり、精神を病むのではないかという説がある。

チェコはカレル大学の進化生物学者Flegrは、1990年に自分がトキソプラズマに感染していることを知り、そういえばここ数年、
車のクラクションなどに鈍感になったことに思い至った。以前から、トキソプラズマは感染したネズミは、猫の尿に対する
嫌悪感と恐怖感を低下させ、最終宿主に食べられやすくなるという仮説がある。ヒトの場合も同様とすれば、説明のつく話である。
その後の疫学調査で、トキソプラズマ感染者は反応時間が遅くなって、交通事故に遭う確率が2倍以上高まるとか、自殺率が増えるとか 
統合失調症や双極性障害、うつ病、ADHD、パーキンソン病などの精神神経疾患を患うリスクが高まるという研究が次々に報告された。

トキソプラズマが行動異常を起こすメカニズムは不明な点が多いが、一つには神経伝達物質のドパミン合成に必須の酵素
チロジンヒドロキシラーゼの遺伝子をトキソプラズマ自体が持っていて組織に放出すること。さらにトキソプラズマが樹状細胞の中に寄生して
神経伝達物質ガンマ−アミノ酪酸(GABA)を産生させ、恐怖感や不安感の低下が生じるという仮説。
トキソプラズマ寄生によって精巣のLeidig細胞のLHレセプター発現が亢進(こうしん)して血中の男性ホルモンが上昇するという説がある。

トキソプラズマに感染した雄ネズミは、血中のテストステロンに誘導されて非感染動物よりも積極的に雌に接触し交尾をするので、
猫に食われるリスクは高まってもそれを補って余りあるほど多くの子孫を残すというのである。
一方で、アミノ酸の一種トリプトファンと脳内神経伝達物質セロトニンの枯渇をきたすので、うつ状態になりやすいともいう。

■妊娠中は猫の排泄物に注意
臨床的にも、精神疾患の患者さんでトキソプラズマ抗体の陽性者が多いことから、猫はトキソプラズマを介して人間を操っており、
世界各地に伝わる怪猫伝説は本当だったというセンセーショナルな報道につながった。
しかし、これには一部の研究者が研究成果をかなり恣意的にとりあげ、マスコミもこれに便乗しているという反論もある。

正確な臨床データがないことから、「トキソプラズマが国芳を操って猫の浮世絵を量産させた」という一見魅力的な仮説は
実際のところ何とも言えないことになる。もちろん、トキソプラズマは重要な母子感染の病原体であるから、日常生活で妊娠中
は新たに猫を飼わない、猫の排泄物に触れない、生肉を食べないといった一般的注意を守ることは重要であろう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190528-00000078-sasahi-life
https://dot.asahi.com/aera/2019052800078.html?page=1