昔の北関東の路線バス 3号車
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昔走っていた北関東(群馬、栃木、茨城)の路線バスについて語るスレです。
なお、東武バスについては専用のスレがありますのでそちらをお使いください。
前スレ
昔の北関東の路線バス
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/bus/1360068227/
昔の北関東の路線バス 2号車
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/bus/1531497162/
VIPQ2_EXTDAT: default:feature:1000:512:: EXT was configured 茨城急行のHTで採用されていたキンコンウィンカー懐かしい >>847
その車、茨急廃車後更に東野で使用された >>850
お化け方向幕なら関鉄もつくば中央にいた
京阪からのやつ >>853
古河に5213、5214がいた
土浦22あ1608と1609 茨城急行 3Eと画像検索かけると旧々塗装の日野3E廃車体が出るね
昔は結城市の転回場のとこに本社があった 東武も旧々塗装は縞々だった
その後クリーム色に水色→1985年から現行のオレンジ塗装に >>846
>>848
緩行線には取手以北から来る列車は無いけど
> 水戸方面から緩行線利用するには我孫子で強制乗り換え >>840
更に昔は牛久駅(西口)〜取手駅行きのバスもあった
大回りになるが牛久駅(西口)〜藤代駅行きも2003年まであった 某所に水戸22あ1500番台の項目もできたな
日立電鉄もこの時期は新車積極的に入れてたんだね
中古では京阪宇治から5Eを入れてたりと >>862
らぶあーすさんのとこですね
南は王子、綾瀬駅。東は水戸駅、西は苗場、大岩、北は横川
まで足を伸ばしていた頃の東武バスだ >>863
水戸22あ1400番台もできてるよ
茨城県内でUD大型の4折戸を自社発注で入れたのは日立電鉄のみ
最近まで神峰の1414は動いていたな いち早く中引戸の幅が狭い冷房車を入れる一方、4折戸の非冷房を遅くまで入れたり
独特の椅子とか日立はおもしろかった。10年位で廃車になった非標準マスクのATも
いた。その後は、かつては中古車を出す側だったのに買う側になってしまった その昔のCJMの時代にも日立電鉄に4折戸がいた
ヲタ席無しの車 その昔というか、ほんとに半世紀以上前になってしまったが
土浦駅北側に西友と丸井があってその屋上からは常磐線土浦駅と駅広場バス乗り場が一望できた。
常磐線ホームと上り方面、下り方面線路、筑波鉄道気動車。貨物操車線、
東側に霞ヶ浦、北側に筑波山、南に霞ケ浦に流れ込む桜川、
駅広場の噴水、ヒマラヤスギ、軍艦型駅舎、
発着する列車、電車、構内アナウンス、バスの発着、何時間でも見ていられた
バス乗車ホームが4つくらいあったろうか
南側から、@国鉄バスと関鉄バス A関鉄バス B関鉄、茨観、日観、C関鉄 D空いたスペースに関鉄、東武
線路わき機関車転車場場跡に増設した国鉄バス発着場と事務所、@の乗り場の東端に交番、西端に関鉄の事務所
関鉄バスがどうしても数は多かったが常総と鹿島参宮色が混在しそのうちに何となく色も揃ってきた
数は少ないが国鉄バスになんとなく存在感があった
列車、電車から降りた客がそれぞれのバス路線のバス乗り場に向かう人の流れがあった 電鉄ってキュービックになってもあの一人区分三方座席だったよね >>869
>>201の画像参照
これは1975年に刊行された土浦市史の巻頭のカラーページ >>871 おお、これは感謝 土浦駅バス降車所を土浦駅舎2階あたりからの写真でしょうか
関鉄の建物と正面のつかさデパート 関鉄の建物の奥隣りに魚泰という定食屋があって
バスの運転手さんと車掌さんたちがよく行ってたようです
ヒマラヤスギも噴水も こっち向きでバスの待機スペースもあったんですね
国鉄バスの緑の旧塗装と白青の新塗装の並び、貴重なシーンです
関鉄バスの赤帯、思い出しました。赤帯のないのが1台いますが日観だったでしょうか 昔の常磐線関連の書籍見ると40年前の土浦駅西口の写真が掲載されてるよ >>865
1300番台になると茨交も関鉄も中古は西武のK-U31になっている
最近まで6EのRMは走っていた >>875
日立電鉄は神奈中のCJMを入れていた
これも茨城ではここだけ
あと、数年前にアド街北茨城回に出ていた貸切バスの廃車体もこの代の車 >>872
多分そうだと思う
日観は昔は赤帯塗装だった >>878 「関東鉄道バス」の建物の少し先にあたりに日観の事務所車庫があって赤帯のバスが1台くらい止めてあったの
知ってますか?そして道向かいに、土浦協同病院の前身、新治協同病院があったのも >>879
かつての桜川車庫ですね
今は関鉄運営の月極駐車場 某所に土浦22あ1400番台の項目もできた
東武バス笠間出張所の7987 土浦22あ1497は笠間で最も新しい車だったね
笠間では2年の活躍で終わってしまったが >>880
>>881 情報ありがとうございます
桜川車庫というのは桜川堤防沿い、「どてきん」さんの隣のところでしょうか
その、昔の私の目に映っていた日観の車庫というのが、ウララ(土浦社会福祉会館)ビルの道向かい、ストビュで
大学受験専門〇○会、関鉄土浦ビルU、関鉄グループバス乗車券・旅行案内、とか駐車場に車が2台停まっている
ところにあったんですよ、それが・・・
そしてさらに500mほど「八軒道路」を西に行くと、茨観の本社事務所兼茨観タクシー車庫、タクシー車庫で使われる前は
茨観のバスが1~2台、そして老舗の寫眞館...
ウララビルのところがその昔、新治協同病院と産婦人科病院で
産婦人科病院の敷地には糸ヒバの樹があったと思います 水戸22あ1100番台の項目ができたな
茨交最古参レインボー1102の同期は5台か
1101が笠間、1103が県北→大子、1104と1105が那珂湊 とあるXに筑波鉄道在りし日の筑波駅前バスターミナルの画像が出てるよ
関東鉄道 北村のCCMが2台
前に1133TK 土浦22あ・292
後ろに0937 茨22あ19-19
昔の関東鉄道筑波営業所は北村王国だったのか グリーンの大量廃止はかつての鹿島方面大量廃止を想像する 某XにJRバス関東土浦支店のエアサスMK
常磐支店のエアサスは椎名に嫁いだな >>884
土浦も1200台と1300台ができてる
関鉄は中古導入初期の時代
あと東武に目を向けると笠間の7819はブルリ5Eで目立った存在だった
他に日光の周遊バスとして使っていたセレガも初期登録は下館と境だった 日光の周遊バスは最近だといわき号落ちのが使われてる 某Xで小湊のジャーニーにスピーカーが付いてたとポストされてるが、茨交大子も1980年代はスピーカー付きのレインボーがいた 昔は関越道の渋滞とかあまりなかった
今はレジャーシーズンの渋滞がひどい
そこでなんだが、GW等は関越道にバス専用レーンを設定するべきでは?
バス利用促進の意味合いも込めて 茨交は2000年代に入ってからも大子の県北バスだけはスピーカー付いてたよ。 某所で水戸22あ900番台の項目もできたな
前半907の茨交のUD車はダブルデッカーだが、911の日立電鉄にドレクメーラーとあるが、日立電鉄もダブルデッカー入れてたのか? 994〜1000の7台は茨交のレインボーRB
この車は普段水戸には顔を出しませんでした まだ懐かしむほど昔じゃないが、竹内時代末期〜みちのり初期の茨交大宮も高部、国長ローカルばかりで水戸に出てこない車あったよね。京王小仏の2193とかそのクチだったような 関鉄も竜ヶ崎で双葉団地と布佐の路線で車両を固定していた。 昔は水戸線沿いに、水戸~下館なんて言う路線もあったんだな。 >>901
末期は1往復。
朝の水戸駅6:30発の便は水戸出張所。
夕方に水戸に着く便は笠間が担当。 >>893
700番台の項目もできてる
前半は関鉄がCDM投入
中盤は日立電鉄が5Eとキュービックを大量投入
後半は茨交がレインボーを大量投入している
この時代の日立電鉄の5Eとキュービックは引戸仕様と4折戸仕様がいた
あと1代遡ると茨交のスケルトンや関鉄観光のK-CDMなんかも出てくるな 日立電鉄もまとまった形で新車を入れていた
ホントに良き時代だった JRバス関東が他社中古入れてるっていうんだからなぁ.....
で、電車の窓から見える営業所見いつも気にしてる
いつも路線バスの他社色が3台くらいいる >>899 布佐はDPFの関係だったかな。水海道みたいに6EにまでDPF付けて千葉乗り入れしてたとこもあったよね
>>906 10年くらい前に大量導入した東急ならともかく、最近は静鉄だの東濃だのって正直落ちぶれたなあと思うわ。 JRの路線バスがなんとなく国鉄バス、JRバスっぽくなくなったのはそのせいか
正面に動輪付けなくなったせいもあるが 国鉄バスの役割を考えたら、儲かる路線は少なくて当然ともいえる。
逆に言うと、面白い路線が多かったのだろうな。 >>910 成田のJRバス見て、成田〜JRバス〜佐原〜桜東バス〜江戸崎〜JRバス〜土浦と乗り継ぎしてみたくなった 水戸22あ600番台の項目もできた
茨交勝田のレインボー、水戸22あ665が茨交旧塗装ラスト新車 >>911 桜東バス(正式にはさくらあずまバスと読むらしい)だけでなく、ブルーバスの浮島線経由もあるよ! 江戸崎〜土浦も時間を合わせれば君島線という手がある。ほとんど跡を辿れない南筑波線を考えると霞ヶ浦線はけっこう残っている方だと思う 南筑波線はつくバスの小田シャトルが一部区間通過している >>913
>>914
南筑波線の路線って絶望的な道の狭さだよなぁ それが延々、延々としてた
バス同士のすれ違いってどうしてたんだろう それは何とかなったんだろうが
トラックとか一般車とのすれ違いとか運転士、大変だったろうな
霞ヶ浦線の支線で美浦の木原から谷井田経由安中(今、航空隊跡地でけっこう有名)っていうのがあって
これまた狭隘な路線だった
君島線は改正で土浦~江戸崎直通は上下2本の絶望的な状況になったし貴重と言えば貴重
今のうちに乗っておこうと思う
霞ヶ浦線の花形は土浦佐原間の急行だったろうか 江戸崎を経由しなかった 途中で追い抜き、待避もあった
そして急行でない土浦佐原直通もあったしさらに江戸崎経由しないのと江戸崎経由する方があったと思う
国鉄バス時代は面白い路線だった 八竜神転向所
安中転向所
なんかが土浦支店管内にあった
水戸支店管内だと
飯沼転向所
があった 国鉄バスの534-5493は土浦支店出身で晩年はJR九州バスにいた 因みに534-5493は土浦では土浦22あ・718だったが直方では筑豊22か・・・9で登録 詳しいですね
遠地へ遷ってけなげに運行してそして役目を終えたんだろうな
自走して行ったんだろうか、貨物列車に載せられていったんだろうか
普通の路線バスの車両についてちゃんとそうして経歴残している人もいて
なんか、いろいろ泣けてくる 国鉄バスの場合、広域転配が多かったから、関東地区で走ってたのが西日本や九州に飛ばされるケースも多かった(その逆もあった)
似たようなケースとして東武バスも東京近郊で新車配置されたのが晩年は群馬の渋川、中之条、沼田。栃木の日光、鬼怒川なんかに飛ばされるみたいに 襟裳岬や十勝岳ふもとで国鉄バスに乗ったことがあったがそれも関東なんかで働いてたことが
あったんだろうか...
列車なんかは寒地仕様で窓が小さかったり2重窓になっていたりしたがバスは特にそんな様子もなく
関東で走っているのと様子は変わっていなかったと思う
>>916 茨城・涸沼でハゼ釣りをしていたとき湖岸で国鉄バスが転向していた様子を釣り船から見たことがある 幕の大きさと字体がマッチしてないところが昭和を感じる。
土浦ナンバーの時代には南筑波線で固定運用されてたらしい。 >>921
涸沼線は秋の月までに短縮された時に涸沼自然公園の駐車場で転向してたよ
列車もかつての常磐線・水戸線の主力列車が今は関門界隈で運転されてる
デッドセクションで車内灯が消灯 水戸支店は1995年までは羽鳥に出張所があったから羽鳥〜恋瀬小線(1986年以前は福原まで)は元々はJRバスの路線だった
1995年に路線の縮小が行われて飯沼線は常陸高田止まりに、涸沼線は秋の月まで(夜の最終便は下入野止まり)に短縮 万博応援で土浦に集中配置してたのは三菱の5Eだな
東武もいすゞ5Eを境配置で一旦土浦ナンバーで複数台登録して万博終了後埼玉、千葉、東京の各営業所配置になった 万博車といえば、今年で関東鉄道の万博車が全廃してから20年になる
2000年頃はあんだけゴロゴロいたのに、京成バスから大量に中古を入れてからその数を急激に減らした 関東鉄道もJRバスも、み~んな中古なのか..... でも、古さやボロさは感じないからいいや
でも皆さん、中古導入とか転属とか、詳しいですね >>927
国鉄バスは詳しい方が系統とか纏めていたからウェイバックマシンで調べると色々と出てくるよ
こんなとこ昔走っていたのかって路線も
平成初期までは大洗から新興農場まで路線があったり、双葉台団地の中に入っていく路線があったり(茨交31系統と一部経路が異なる)と >>924
復刻版のJTB時刻表に、羽鳥~福原の時刻が載ってた 昔は駅前になんかに大きな新聞店があって、列車輸送された新聞をおろして各新聞店への配送もしたのだと思うが
その新聞店が製作した広告の壁新聞型時刻表があって、列車時刻とバス路線の時刻が出ていて時季ごとに新しいのが
新聞折込と一緒に配達していた 国鉄バスの時刻も、〜廻りとか結構詳しく出ていた覚えがある
もし、とっておけば貴重な記録になっただろうと思う
どっかのお家にはその色が変わったり沁みがついたりしたのがそのまま貼ってあるかもしれん >>930
羽鳥起点だと石岡駅と上馬場経由常陸小川駅
福原から羽黒経由岩瀬
君島線だと阿見役場前や大形行きの支線があった
片道運行だと佐原組新田→江戸崎なんて路線もありました 羽鳥関連だと北浦団地と納場・堅倉もありましたね
国鉄バス時代に羽鳥駅→石岡駅を乗ったことがあります
関鉄の羽鳥駅から福原や柿岡行きに乗ると関鉄の園部=石岡駅に乗り継ぎができました
国鉄バスの柿岡行きは関鉄の柿岡営業所内を借りて転回していましたね
石岡駅前も関鉄、日本観光バス、国鉄バス、茨城オートもいて広域に路線を展開
していました。 >>935
堅倉からならそこから水戸駅や鉾田駅にも行けたな
堅倉〜上吉影〜大和田〜鉾田駅線は2000年10月21日廃止 >>935
茨城オートの石岡撤退は1986年
JRバスの石岡撤退は1995年
日本観光バスは石岡〜田伏を運行していた
日本観光バス石岡撤退後は八木行きに短縮 >>920
東武も日光のRCは路線カラートップドア仕様がいた 笠間とか桐生にいた東武バスは貸切格下げの路線カラーだったよ
笠間や桐生のバスは中扉を改造追加したバージョン 今まで存在した路線が同時に全部復活したら…そう思うことがあるわ
道路の形が変わって厳密に同じようには復活できないかもしれないけど >>944
谷田部四つ角〜筑波駅線はTX沿線の再開発で再現不可 >>946
土浦発着のメイン路線の終着拠点間を結ぶような路線も、利用状況がどうだったかは別として
路線としては味わい深くおもしろいですね
谷田部から筑波までほぼ南北方向路線、どこをどう経由したんでしょうか
谷田部四つ角、葛城十字路、平塚、玉取、国鉄バス路線重複、大曾根、若森、北条、とか
それよりもっと西よりとか >>947
国鉄バスの土浦=大曽根
関東鉄道の大曽根=北条=筑波駅
戦前は東武バスの路線だったそうです
栃木事業本部が茨城も管理していたそうです
最後まであった古河・下妻から土浦がその名残だそうです 四つ角線はマイナー路線で関鉄ユーザーからも人気路線だった
休日午後片道運行で学園都市とはまた離れたつくば市内を楽しめた路線でもあった 茨城県南のバス路線からは筑波山がいろいろなところからいろんな方向からいろいろな山容で見えて
記憶や心に残るものですが、その四つ角線はつくば駅まで筑波山の双耳峰がほぼ同じ形で見えそして
大きさがどんどん迫ってくる感じだったんでしょうね
つくば市内の風景というか筑波郡の風景を感じながら
乗ってみたかったですね..... レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。