マイナーな中国武術、中国拳法
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553 :その4:2005/03/23(水) 15:22:45 ID:R/Swb++b
第二次大戦中、葉問は一家の土地と資産を日本軍に押収され、
大戦後、今度は共産党によって、財産を没収された。
葉問は全財産を持ってマカオへ行ったが、賭け事で全てのお金を失い、極貧の状態にあった。
梁相と友人は、見たところホームレスのような男を保護し、
彼を「レストラン・ワーカーズ・ユニオンホール」へ連れて行き、彼をそこへ滞在させた。
その時点では、彼らはその男が、詠春拳のグランドマスターであることも、
功夫の使い手であることも知らなかった。
梁相は、白眉拳の師範であり、葉問の滞在しているホールで、白眉拳を教えていた。
月日がたち、葉問は健康を回復していた。
ある日、葉問は、梁相の白眉拳のクラスで、梁相のテクニックを見て笑い出した。
梁相は葉問に挑んだが、打ち負かされた。
梁相は今まで習った拳法を捨て、葉問の第1号の弟子となった。 554 :その5:2005/03/23(水) 15:23:23 ID:R/Swb++b
1950年、「レストランワーカーズユニオンホール」は、
葉問の最初の道場(そして中国国外で初めての公式な詠春拳道場)としてスタートした。
が、葉問は深刻なジレンマに直面することになった。
葉問にとっては生活するのに必要最低限の収入さえあれば充分だった。
彼の信念は、梁璧伝の詠春拳をたった1人の弟子に伝授することであり、
それが、秘伝を守るための慣例だった。必然的に葉問はある一つの選択をした。
葉問は、彼が最初に習った陳華順伝の修正された詠春拳を教えることにし、
梁璧伝のトラディショナルな詠春拳は、
弟子の中から注意深く選択した1人に伝えることに決めたのである。
葉問の決定は、ある意味では何百人という、
長年に渡って詠春拳を追い求めた人々をだますことになった。 555 :その6:2005/03/23(水) 15:24:05 ID:R/Swb++b
1954年、葉問の道場は、練習生が多くなったために、他の場所へ移った。
その年、14才の張卓慶は、詠春拳をフルタイム研究するために家を出た。
そして葉問に家事と引き替えに、彼の家で住み込みで練習させて欲しいと願い出て、許可された。
葉問は、張卓慶を観察した。
そして、張卓慶を、梁璧伝の正統な詠春拳の継承者に決めた。
ある日葉問は、張卓慶を傍らに呼び、これから何か新しいことを教える事、
そしてその内容は、私が死ぬまで明らかにしてはならないと告げ、厳粛な誓いを立てさせた。
その知らせに張卓慶は興奮した。
葉問は張卓慶に、陳華順と修正されたバージョンの詠春拳の経緯について説明し、
正統な詠春拳を教授した。結局、彼は既に3年間、他の道場生同様、
詠春拳の修正されたバージョンを練習し続けていたので、
もう一度全ての型とテクニック、理論、原則を学びなおさなければならなかった。
1957年、張卓慶は詠春拳の体系の全てを学び終え、葉問の家を出た。 556 :その7:2005/03/23(水) 15:25:37 ID:R/Swb++b
1972年12月2日、グランドマスター葉問が亡くなりました。
そして葉問との間で交わした誓いの効力が切れました。
正統な詠春拳の全ては、新しいグランドマスター張卓慶のものになったのです。
今度は張卓慶が決定する番でした。
張卓慶は、今まで通りの修正バージョン詠春拳を教えるのを止め、
トラディショナルな詠春拳を教えることを選択しました。
今、世界中の何千人もの詠春拳修行者(今までの詠春拳に満足出来なかった修行者)が、
詠春拳を学び直し、1人のリーダー(張卓慶)の下に集結し始めています。
おわり
557 :名無しさん@一本勝ち:2005/03/23(水) 15:35:15 ID:R/Swb++b
張氏の自伝のタイトル間違いました。
正式には『My Life with Wing Chun』です。 566 :名無しさん@一本勝ち:皇紀2665/04/01(金) 14:19:30 ID:urLCr/2L
>梁璧は、葉問に陳華順との経緯や、葉問が陳華順から習った
詠春拳は、真の詠春拳に比べ、劣ったものになるよう創られたものであることを説明した。
葉問は仏山へ帰るまでの2年間、梁璧の元で学び、正統な詠春拳の体系の全てを習得した。
仏山に帰り、葉問は陳華順門下の11人の兄弟子達と友好的なチーサオとスパーリングを行った。
その結果に、誰よりも葉問自身が驚いた。兄弟子達を圧倒したからである。
劣っていたものを教え込まれた陳華順に、体力だけで圧倒された梁璧。
葉門が兄弟子達を圧倒できたのは、同じ背格好だったから?
所詮、詠春拳は体力差を技術でカバーすることの出来ない二流門派だったのでした。。
というオチが着きかねない読み物でしたな。 565 :名無しさん@一本勝ち:皇紀2665/04/01(金) 10:59:56 ID:wUo8dAuE
翻訳ご苦労様です。楽しく読ませていただきました。
正直、何が正統かなんて調べようがないからどうでもいいんじゃない
かと思います。正統かどうかと、強さうまさはなんも関係ないし。
陳華順が梁贊の弟子に勝ったのは体がデカイからなのに、陳華順の弟子に
葉問が勝った理由が、「正統だから」というのは何かがおかしい・・・(笑)
尋橋、大陸の動きも入ってるね。でも結局ただの尋橋じゃないのかな。
普通の葉問派で教わる以上の何かが入っているようにはまったく見えない。
結局、今でも葉問派で普通に教えられること以上のことをしてないのが、
かわいいと思った。張さんという人は、葉問が大好きだったんじゃない
かなー・・・なんとなくそう思う。
この尋橋の低い膀手+キックは木人でしょ???
あとは伏せるタン手と両手で盆踊りみたいのとかが、古いスタイルという
くらいで。見慣れない動きに特に知らない理屈は含まれていない。
普通の葉問派で見慣れない動きは、たんに特定の用法を表現している
だけで、何か特別な原理を表現してはいないと思います。 ただの古い
スタイルの動きでしょう。
正直なところ、普通の葉問派尋橋をベースに古い動きをミックスさせた
だけ、という印象がどうしてもぬぐえません。本当に古いスタイルなら
もっと内容が違うはずだと思います。そもそもパンチが少なすぎるじゃ
ないか。
セイヤーっていう人はとにかくよく練習してるんだろうなー
という印象。そんなに詠春拳でがんばって強くなってどうするんだろうか。 張卓慶を襲撃したのはEBMASのエミンだよね
俺は上のvs形意拳とのスパーで出ていた香港詠春拳の人のスタイルが好きだな
https://youtu.be/dUMyu5tNBtk
https://youtu.be/2fm5wFlUZ0E >>40のスパーは
形意拳も香港詠春拳も
どちらもらしさがないというか
本当に形意拳や詠春拳だったのか疑いたくなったけど・・・? そりゃスタイルや戦術がその門派の特徴や技に適っている動きで戦うってコトだろうよ >>68
少なくとも細かい手技でグチャグチャ打ち合うスタイルではないよね?
明暗化の段階によっても変わるのだろうけど >>65
>>68
詠春拳はボクシングみたいだったし
形意拳は劈拳だけは見えたけど・・・ >>72
俺からみたら動きは詠春拳だったけどね
どんな動きが詠春拳なの? 詠春拳は割とスタイル守ってやってたと思う。
形意拳は頑張ってたけど対応できてない感じがした 詠春拳の原理や理論、体の使い方を使って戦ってたよ
この人が普段やってるチーサオと同じ動き
詠春拳の動きじゃないと言ってる人はひょっとしてチーサオの接触を維持した手技の応酬の見た目だけで言ってるのかな? 梁璧て、素行不良で
一族から追い出されたんじゃなかったっけ?
ま、どーでもいーけどね…
(-。-)y-~~~ 接触維持関係なくチーサオもトラッピングも出来てない様に見えたけどね?
構えも途中でしなくなってない? 詠春も形意も
両者共に方法が使えてないのは大きいと思う
そして間合いの操作は上手くなかった
詠春は手数は多いけど決定打がなく
相手をコントロールできていない様に見えた
もっと足を上手く使っても良かったんじゃないか?
個人的には形意拳はもっと重厚で強烈な打撃を見せて欲しかった
それらが形意拳らしさ
劈拳の使い方は上手かったと思う
そして基本中国武術は闘いを長引かせない
ライトスパーだからああなったとは思うのだけど
個人的に違和感は残った
偉そうなこと書いて済みません 形意拳の上の人は猴形が得意みたいな話だったと思うけど、形意側も詠春拳の回転に対抗するには素早いこいつみたいなはあったんじゃないのかな。 実際に戦ったらこうなるってだけ
沖縄空手だってあんなもんだし
形重視しすぎる武術によくある幻想 >>77
チーサオというのはトレーニング方法の一つ
トラッピングは結果的にそうなる形をコトバにしただけ
重要なのは練習で培った原理理論、身体操作を使って動くということ >>80
そういうこと
詠春拳側は正中線を守って軸を振らさず
一瞬接触させて相手の動きを察知して三角形の原理で動いて正中線上に攻撃してる
離れていたら離れたなりの動きをするのは当たり前だし
むしろ形意拳側はバタバタしてたね >詠春拳側は正中線を守って軸を振らさず
>一瞬接触させて相手の動きを察知して三角形の原理で動いて正中線上に攻撃してる
本当に? 途中で姿勢が崩れたりしてるようには見えるけど
でも両者共に頑張っていたと思います
全ては練習次第ですので我々もまた頑張りましょう ロボットじゃないんだから
相手もいるわけでそりゃ流れの中ところどころで崩れたりもするだろ… 中武に限らず古流をやってる人が陥りやすい重大な欠点は過度にそのスタイルで戦おうとすること
これって一人で勝手に縛りプレイをしてるようなもん
練習は勿論その流派の効率的なスタイルに則って練習するが
戦うときはその練習で培った体で無意識に戦わないと
この言ってる意図や真意を本当に理解しないと
これって別にボクシングスタイルで戦えって意味ではない っていうか素手同士で戦えばあーなるよ
稽古みたいに片手で捌いて同時に片手で攻撃なんて何してくるかわからないのに出来るわけない
出来るとしたら相手のレベルが低すぎな時くらい
中国武術はよく知らないんだけど俺がやってる形重視の空手も形の技をそのまま使えるなんて人はいない
約束組手じゃ完璧なんだけど殺陣みたいなもんだから
試合ガンガンしてる武道や格闘技でそんな技を使わないのは、そういう技術がないからじゃなくて出来ないから
で、それ踏まえた前提で動画の人はちゃんと詠春拳で戦ってると思うよ
あの人が出来てないんじゃなくてあの人のレベルだと皆んなあんな感じになると思うべき その通りだと俺も思う
それと中武の人は抱いた固定概念やイメージで戦おうとする
つまりスタイルに固執するため
他流とやり合った場合、どうやって自流のあの技を使うかなどそういう砲に意識を向けがちだが
他流はどうやって相手を仕留めるかと戦略に意識を向ける
この時点で他流に勝てるわけがない
普段推手やチーサオで練った感覚を駆使して実際の場では本能で戦う
勿論普段のパターン練習や約束組手も実際の場で使うドリルとして練習する分けたが
その咄嗟のときに出る体の身のこなしを身につけるというのが正解でドリル通りに動くことではない
相手もこちらを仕留めようと向かってきてるわけでさ、100%自分の思う通りに動けないよ >>89 >>90
そんな考え方だから自分が学んだ流儀にある技も出せないし使えない状態になり格闘技に試合で負けるのではないか?と自覚することを勧めるよ >>91
現実みないで妄想の中で達人気取ってた方が幸せなのかもね 自分なんかが、形意拳を使ってスパーしたら、クロスガードで
亀になりながら、自分の距離に入るぐらいしか、出来ないのですが、
形意拳の上手い方のスパーのやり方、どんな感じですか? >>92
ま~、その現実の中で中拳は負け続けてばかりで
最弱の呼び声さえ高いのだが
何故なのだろうね?
>>93
>クロスガードで
>亀になりながら、自分の距離に入るぐらいしか、出来ないのですが、
相手が武器を振るって来たら
どうすんの? そんな最弱な武術のスレにわざわざ時間と労力をかけて書き込みしてる程に暇人ということでおけ? >>93
自分ところの師や先輩はどうなんだい?
それとスパーリングはあくまで練習なんだからあれこれ試してみればいいじゃん >>95
何故なのだろう?
という問いかけに
真面目に考え酔おうともせずに
そんな負け惜しみを返してる時点で
お終いだろうね 一番簡単なのは現代格闘技や競技武道を併修してみることかな >>94
>>96
スパーリングは絶対に必要だけど
やり方や内容が間違ってたら
間違ったスパーリングをを覚えるだけだから注意と工夫が必要 >>98
それだと現代格闘技や
競技武道に成り兼ねないので注意が必要 民国時代には国術館などを始め日本の柔道などに比べ実際の実力実積の無さや
武術界の刀槍不入など様々な迷信に加え阿Q精神に東亜病夫などの汚名の払拭など散々苦慮していた様なのだけど
ボクシングを正課にし講道館などに再三留学生派遣など行ない実力考試の方法の研究など妄想からの脱却を図っていたようだが
また現代になって妄想過多な人の集まりになってるな 93氏は自分の教室では間合いの詰め方など学べないんでしょ?だから自由攻防の練習では詰めれないんでしょ?
スパーは試合ではなくて学んだ技術を自由に出し合って練習しましょという練習なのに
その練習でどうしたら良いか分からないし自分の教室でも教えてくれないんでしょ?
自分の師に聞いても分からず先輩も分からないとなれば自分で色んな他流を研究するしかない
そうやって他流を色々研究すると色々分かってきて実は自分ところのこの練習や型がそれだったのかという灯台下暗し現象が起きたりする
遠回りでいて実は近道だったりすることもある >>102 >>103
現実をしっかりと見つめて言われてる意味を理解しよう
実際に中拳で試合をしたらキックボクシングや空手モドキにしかならない例は多い
現代格闘技や競技武道を併修したとたんに中拳要素が失われる話もよく聞く
他流を研究するのは話も分からんではないが
現代格闘技や競技武道はあまりに目的や内容が違い過ぎないか?
とは言え、中拳で現代格闘技や競技武道に負ける様ならば何の意味もないのは確かだけど >>93
他流の研究といっても別に格闘技だけでなく他の武術でもいい
自分が知りたい部分で他の武術でそれがあるものがあれば研究する
結局同じ人間がやることなので例え表現方法が違っててもやってること到達することは同じ
それを自流に落とし込む
巌流島に参戦してた瀬戸信介もちゃんと中武を応用して戦ってた
因みに他流だが間合いの潰し方の一例を出していた動画が目についたので
https://youtu.be/ps_6P3X-Btw >>106
横から済まないが
格闘技は他の格闘技や武術から持って来るのもいいけど
武術は武術から主に持ってくるべきだと思う
絶対にという話ではないけど
例えば武術は互いに刃物を持ってるのが基本想定の所が多いけど
格闘技は素手ありきだから基本原理が全く違ったりするから
その動画も剣を想定すれば意味がよりよく分かると思うし
間合いの潰し方のみならず様々な意味や応用も見えて来るかと
動画は特に後半が良かった >>89
型をそのまま使えという話じゃなくて
その門派の技が使ええないないなら意味なくね?
>>88=>>90
別に練習取り絵うをそのまま使う必要はないけし
固定概念やイメージに執着するの速くないけど
その門派のスタイルがただの縛りプレイだとか
イメージややスタイルに固執すると負けるとか
中拳全てののコンセプト自体が何の意味もなくね? >>107
上でどう詰めていいか分からないというので手っ取り早く格闘技や競技武道をやると間合いについて学べるから
そういう意味で言ったまで
俺は10代は競技武道や格闘技をやってたが20代から中武をやったが
中武の練習をしていて、何故この姿勢なのか?何故この型をやるのか?何故?何故?と常に疑問と突き詰めをしてきた
師に聞いても考えろ、考えて自分で導き出さないと身につかないし理解しないと言われてきた
でも師も何か隠してる気もしてて
そして俺は他流の研究をしてきた
主に他の中武の門派や沖縄空手、日本古武道など
今だと秀徹とか色々あるが研究していって色々分かってきて
そうなると実は自流に全部あるじゃん、という事に気付いてね
こういう研究は逆に教室で師や先輩の助言は受けない方がいいと思うようにすら思った
自分の体は自分だけのものだからね
例えば師が歩法は歩けとよく言ってたが、今はそれが分かる >手っ取り早く格闘技や競技武道をやると間合いについて学べるから
個人的には格闘技や競技武道の方が
間合いについては雑だと思う
安易に何も考えずジャブやフェイントしながら
被弾覚悟で近づき合ってるようにしか見えない
甚だしい時には
接近したらレフリーが間に入って距離を取り直させたり
ブレイクとってやり直させたり 93を書いた者です。
皆様、ご指導ありがとうございました。
>>106氏の動画、特にローキックは勉強になりました。
なお、>>96氏、>>103氏、説明が足りなくて申し訳ございません。
自分が通っていた道場は、形意拳道場では無く、打より投を重視する流派です。
ただ、他の道場で形意拳を学び戻って来た先輩や、他の形意拳道場に通いながら
併習している後輩及び、同好会で形意拳を習った経緯がある私に対して、補習の
意味で、形意拳の体の使い方や、それで何が出来るかのかを、先生は指導されて
いましたが散打の際には、やはり本職の技術を使用されていましたので、
形意拳の戦い方は、先輩が行っていた、遠間から飛び込んでくる方法しか
味わっていません。
なお、私が形意拳を中心にすえて戦うのは、正拳しか使用できない、
ジムのボクシングのスパーの時です。 と思ってるってことは自由組手とかの経験は少ないのだろうね 骨法の話はスレチだけどあの時代に中拳をどこからパクってきた蟹は興味ある >>115
詠春拳をやってる身からするとあれはジークンドーか詠春拳のビデオを観て勘違いした解釈で行ってるように見えたよ >>114
台湾に人脈があると聞いた事があります。 >>116
詠春拳専門の人から見てどんな勘違いだったのか気になります
よければ解説をオネガイシマス
>>116
良く知りしませんが確か金鷹拳だったか?と深い関係があったという話が書籍になかったでしょうか? >>118
詳しく書くと長くなるので簡単に書くとフォクタンボンの概念がない 散打やれ散打。
普段の鍛錬の後に散打やればいい。
日拳みたいに防具つけて叩き合えばいい。
うちらは防具なんて無いけどさ。 >>119 横からみただけだと
それだけ? ジークンドーは? 説明が十分かどうかの話じゃなくて
「他には?」
って聞いてんじゃぁないのよ? フォクサオ、タンサオ、ボンサオは基本技であり中心技法
なんだけど、求められる要求が多岐にわたり、そして繊細に運用しなきゃならない
防御でも攻撃でもなくレーダー
三拝仏やダンチー、プンサオでみっちり練る 実際やってる身としての感想だが
格闘技的な戦いを想定するなら詠春拳の場合は他から補完しないと難しいとは思うが(これは個々人の本来持ってるセンスや戦闘本能にもよるが)
ストリートのちょっとしたイザコザには使いやすい どうして格闘技の試合では本領発揮できなくなるのよ?
逆にどういう要素を補完すればいいの?
経験者ならではの視点でお願いします >>128
やってる流派はなに?その感想を聞きたいです >>132
鷹爪拳を軽く簡単にです
感想はシンプルな掴み合い取っ組み合いを洗練させて
その隙間から殴る蹴るをする感じ
自由迫撃は必ず怪我人が出るので適当に軽くしか
でもま、当てたり当てなかったりで
皆さん普通に戦います
ほとんど全部反則技ですけどね?
あと、真剣にやれば体を悪くするというか怪我だらけというか
手加減しながら浅く続けるのも一つの手です
苦労して覚えた人も昔は多かった?みたいですが
深いところまで到達できる人は少ないみたい
どの門派でもそうなんでしょうけど >>133
まず古流武術というのがどういうものか理解してない可能性あるね 古流は武器ありきなのよ
詠春拳だと女の台所拳法
咄嗟に襲われたときに刃物で掻っ捌くためのもの
それを無手に応用してるに過ぎない
お互い素手同士、ルール決めて競い合うというものをそもそも想定してない
逆に言うとそういうのを想定してるなら現代格闘技が一番 >>133
鷹爪は日本では珍しいな
取っ組み合いを洗練化させてるのなら
その反則技を差し引けば格闘技にも応用できるのかだな?
>>135
こういう話はよく聞くがその度に思う事が2つ
1、刃物想定は正しいけどそれを無手化する意味が分らない
2、それでも素手や競技で武術が負けても良い言い訳にはならない 平和な世の中になれば無手が流行るのさ
江戸時代になって柔術が発展したように
普通に考えて物騒な時代や内戦の地ですんでる、スラム街で住んでるといった場合
そこで身の危険があるからとムエタイ練習する?
普通に武器を携帯したりセキュリティ強化したりサバイバル面を意識するでしょ
昔の中国だって同じさ
ここからは俺の主観だから正しいとは言わないが昔は暇だから村民の娯楽としての位置付けも強かったと思う
そこから発展していったものも多いだろうと思ってる
それ含めて伝統芸能として楽しみたいと個人的には思ってるけどね
護身を本気で考えるなら俺なら手頃な護身用具を買うよ 伝統武術は時代背景や文化も踏まえて理解しないとさ
そういうのが分からないならはっかりいうよ?
中国武術だけ練習しても格闘技には勝てない
言い訳でもなんでもなく事実を言ってるまで
それでもセンスのある奴や頭のいい奴、フィジカルの強い奴は中国武術を応用して護身に使えるのもいるでしょう
例えばロウコンバットのルークホルウェイは喧嘩で太極拳は絶対に使わないと言ってた
過去に使ってヒヤヒヤしたことがあったと言ってた そうじゃなくて
ここで訊かれてるのは
平和な時代になったからと言って武器や戦闘術を
わざわざ勝てない弱い無手に変える理由
というか
無手に落としても格闘技化しない理由だとか
武器術が剣道化しない理由だとか
その辺りの理由じゃない? 平和な時代になって武器を持たなくてもよくなったら素手での応用に目が向くでしょ >>138
>そういうのが分からないならはっかりいうよ?
中国武術だけ練習しても格闘技には勝てない
言い訳でもなんでもなく事実を言ってるまで
それでもセンスのある奴や頭のいい奴、フィジカルの強い奴は中国武術を応用して護身に使えるのもいるでしょう
何言ってんだ
それを言い訳というのだが?
応用できないのにリングに上って負ける奴の言い訳
リング上で負けるのなら
おまえらが得意なフィールドで
格闘技選手と戦っても負ける可能性の方が高いわ
その時は?おまえらが勝てない格闘技選手だってルールを守らず武器を持つんだぜ? でも昔は今みたいに自由に打ち合う防具もノウハウも無く今みたいな情報化社会でもないから従来の型稽古を応用してたんだろう公園とかでさ
というか最初から武器や素手の形はあったんだろうけど比重が時代によって違ったんだろうね
全部想像だけど今 残ってる武術の形と昔のことを考えたらそんなところだと思うが
結局何を言いたいのかと言ったらアレでしょ?中国武術なんて使えないと言いたいんでしょ?
なら答えはもう出てるじゃない
人間二本の腕と二本の脚しかないんだから、これだけを使って打ち合えってなったら突き詰めていきゃみんな同じものになるよ
その進化系が現代格闘技 >>141
リングや格闘技には勝てない
これで満足かい? >>141
それと何か勘違いしてる
武器を持てば勝てるなんて一言も言ってないぜ?
昔の伝統芸能の形が今も残っていてそれの愛好者がいて愛好してる
それだけの話だろ
書道の例を出したが、今どき筆どころかPCでタイピングする時代なのに書道なんてやったってどうする?と言ってるようなもん
でも昔からの伝統芸能を楽しむことに何の問題もない
実用を考えるならPCを覚えてExcelやWordを使いこなしたほうがいいに決まってる >>138
中国武術が格闘技として弱い理由はそこじゃない
全てを捨てて格闘競技化しないからでは?
意拳や太気拳はそこそこ競技化できてる
技の全てを捨ててパンチとキックのみを単純にやり込んだから
これに寝技を加えて有効なディフェンスも練り込んで
総合化もやろうと思えば出来るのにやらないから負ける
格闘技化して勝つためのの技術体系にして
ルールの中で勝てる練習をしないから負ける
ただそれだけの理由では?
リング上で太極拳使ってヒヤッとしたなら
ストリートファイトで格闘技選手に当たったらただの弱みにしかならないし
戦場に出ても格闘技経験者に負けるだろうよ
後はその太極拳の腕前がどの程度だったかにもよる
本当の中国武術なんて戦争と文革で
ほぼ失われてしまったものの内容なので
ほとんどが欠け落ちたものを復興した姿しか知られてないのに
普及型の太極拳の話をされても困るしな 言い訳はもういいよ
それでもここ一番で武術家は負けちゃ駄目だ >>137 >>138
武術が格闘技に勝てない理由は時代背景もあるが
武術の理念であり全てである残虐なな殺傷技技が
格闘技のルール上、全部反則になって使用できないからだ
全ての技を封じられた上に
劣化版の非専門的な攻撃しかしちゃダメって条件なら
ボクサーに体当たりしか認めないみたいな話だから
逆に格闘技だって素人に十分に負ける
しかし試合の外で武術が格闘技に負けるのはどうだろう?
せめて良い勝負が出来るかそれに準じた結果が欲しい
それが無事に逃げおおせたとか
守るべき人達に被害がなかった等でも構わない >>142
それが突き詰めても同じにはならないんだなこれが
それは現代格闘技と昔の武術は
目的が違うし原理も異なる似て非なるものだから
>>144
武器を持てば勝てるって話じゃなくて
持って武器を手放した末路の話じゃないのかな?
勘違いしてるのは君だけじゃないのかな? 狂気持ってる想定の武術と
素手想定の格闘技とでは目標も内容も全く違ものだから
一緒くたにして、それらを取り入れた
総合格闘技サイコーなんて言いだしてもしょうがねーぞ
数年前にこの板でMMAファンタジーなんて言葉が流行ったがまさにそれだな >>145
正論
>>147
そんな昭和チックなのはくだらんプライド
流派なんて所詮道具
万が一の時にそれを使って身を守れるならそれでいい
…が、そんな時間と労力をかけなくても体術より効果的な護身武器があるのが現代なんだけどな
結局スポーツとして合法的に楽しむか趣味として楽しむかしかない
外で使えば法のもとで責任をとることになる 武術は宗教みたいな部分もあるんだよ
自分の流派を信じないと練習を続けられない
一生懸命擁護してる書き込みも自分の流派の話を持ち出して書き込みしてる人なんて皆無なのをみると中国武術をやってない ホロウェイと全く同意
ただこれはあくまで幹でありベースであって
これを土台にどう応用するかというのはまた別のフェーズ
https://youtu.be/ifWNLfw1x-U 互いに刃物を持ってる前提の武術は先に相手に触れた方が勝ち
互いに素手が前提の格闘費は先に殴り倒した方が勝ち
試合で格闘技が武術に合わせることは可能だけど
単に見てて面白くない試合になって盛り上がらない罠
興行主もファンも納得しない
で、武術側だって刃物持ってる時ばっかじゃないだろうしし
ストリートファイトで素手でいる時はどうすんの?
相手が格闘技経験者だったら負けるの?
武術家に素手で相手を倒す技はないの?って話になるわな?
誰も何にも答えてないけど答えてくれる?
誰にも使用できないファンタジー発勁とか
近づいて時間かけなきゃ使用できない押し出し寸勁ってトリック技はなしで
>>137‐>>138にも答えて欲しいけど
これは色んな人に正直に答えて欲しい質問 そもそも前提を理解してないようだけど
武術は刃物を持ってないと本領発揮できないとかじゃなくて
昔は武器をもって戦ってたの
その武器をどう振るか、その武器でどう防ぐかを練習してたわけだが
武器を持たない時はどうするかでその武器の理合を素手で応用してただけ
わかりやすいところだとフィリピン武術がそうだよね
スティックもナイフも素手も同じ動き
だけどあくまで昔の話
その稽古法や技術が現代に使えるかどうかはまた別の話
根とか槍を練習するより短棒やナイフ、銃の練習した方がいいしバッグなどを使って盾にする練習とかしたほうがいい
発剄とかそういうのは客寄せ用のものだよ
結局はビジネス
生徒を集めたり長く自分の教室に生徒がいるとそれだけお金が入る
長くいてもらうためには秘伝とかそういうのをチラつかせたらいい まぁどうせ一生使わないんだから好きなのをやればいい、が結論
若いなら空手と柔道をやっていれば体も鍛えられて良いでしょう
武術だと体の使い方を学ぶという部分に視点を持っていけばかなり有益なものだと個人的に実感してる
その体を効率的に動かせるという部分はあるかどうかすら分からない護身という場でも活きてくると思う
現代だと競技の場でしか出来ないんだからその競技に特化したものが一番という答えになるし
路上となると俺はバレンタインの言ってることにめっちゃ共感する、意味がないんだよね
こういうスレだとこんな書き込みすると嫌われるけどねw
https://youtu.be/V8ukM2LFVqA ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています