黒田鉄山と振武館武術 48
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マナーを守って引き続き、黒田鉄山師範と振武館武術を技術的に語りましょう。
前スレ
黒田鉄山と振武館武術 47
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1631517919/l50
できれば守って欲しい細則
一、他流批判は慎みましょう
一、見る目合戦も慎みましょう
一、口論ではなく議論をしましょう >>850
ビジュアルは柳生延春あたりだと思ってた 刃牙も最初の頃はまだ、いい加減な時代だったから
許されてたかもしれんけど
モデルが外国の人だったり故人ならまだしも
描写がそのまま過ぎる黒川さんはコンプラ的にみて
今は無理
だけど、脚色なしの描かれ方で刃牙にでてくる超人と
渡り合って違和感がないはなかなか凄い >>847
黒田道場ってそんなに安いんだ
黒田先生なら海外なら月謝60万払っても習いたい人大勢いるだろうね >>854
茶道や華道、新興居合道でも月一万円でも安いほう。
一回数千円とか行きそう。
ましてや宗家直々だしな。 刃牙道で、間合いに入って「いま斬った」とイメージで決着を伝える
あのやりかたは黒田さんベースだからな
黒川が冷や汗流しながら、「私は7回斬られました…」という展開にはならない 黒田さんは技術はすごいけど
人を斬り殺した経験はないだろうし
さすがに人斬りの殺人者設定にするのも
不味いだろうから
武蔵と比較するのに適してるのは
佐部さんだったんだよ 人はともかく物も斬ってなくない?
まぁ物を斬るだけが居合や剣術じゃないけどさ >>859
勇次郎「考えたこともねェ」
「うまい料理を喰らうが如く・・・・・・・・・・だ」
と言ってたような >>858
お祖父さんは15cmの柿の木を一刀両断したらしいけど
これ絶対無理だよ
日曜大工とかやるひとは分かると思うけど
ヒノキだってノコギリでやっても分断するには相当かかる
柿の木はその上の硬度があるから
ほんとにできたならマジで凄い https://youtu.be/uWxnzXC9p9k
所詮身内の語る逸話だからかなり話盛られてるとは思うけど
壮年期の泰治さんの居合腰と一文字腰の写真見たらガタイのよさや鍛え具合は
現代古武道家じゃ比較にならんレベルだからなぁ
鉄山さんがグランドファザーに心酔しちゃうのも無理ないよ 鉄山さんとは筋肉のつきかたや体幹が異なる感じがするね
筋トレかなんかしてたのか? 今の鉄山さんがそうだからって、伝統的にそうだとは限らないね
祖父さんの時代は、力任せの稽古で竹刀を用い組太刀をがんがんやった
ともいわれるので、鉄山さんと考え方が異なってもなんら
不自然ではないだろう >>867
うろ覚えでテキトーなこと言うなよ
力任せの稽古で木刀折ったりしてたのは鉄山さんの20代の頃の鉄山さん自身の稽古の回顧だぞ
祖父からは絶対に力は使っちゃいかんとくどいほど指導されてたから
あくまで力の絶対否定が振武館の伝統的な稽古としては正しい >>866
鉄山氏も祖父の身体との質的差異や力の絶対否定が何も見えていなかった頃は
祖父の前腕の筋肉に憧れて通いの子供たちと一緒に腕立て伏せやってたと言ってるけど
そんなことやるぐらいなら柔術の受け身でもやってる方が筋肉発達したのにと後悔しておられたな 祖父の稽古時代は目録や免許の弟子もいたから
型でも竹刀稽古でも斬撃力が表に発揮されるような稽古風景で
木刀がカンと当たるのではなく、クワッ!と食い込むような音だったとか
本気で小手を打ったり喉を突くと後はもう竹刀を握れなくなるとか、飯が食べられなくなった的な逸話からのイメージで
勝手に「力任せの稽古」と曲解したのかね
目録や免許相手の十手の稽古でわけのわからないうちに太刀を奪われていた話や
竹刀を力を入れて握っていたのではもっと悲惨なことになる、の話と矛盾するから「力任せの稽古」ではあり得ないんだがね 力任せの稽古は、当時の道場がそうだったと黒田さん自身がそう語ってるんだけど
熱烈な信者の割には何も知らないんだな >>873
じゃあ著書のどこにその記述があったかちゃんと示せ
俺も手元の書籍で参照するからさ
俺のは武術談義や鉄山に訊けほか著書からの引用で力の絶対否定の教えは祖父の代からだったと主張してるからな
祖父や目録免許格の門人が力任せに剣や竹刀を振るっていたなんて記述は実際どこにもないし
ソースを示さない限り君の誤読か記憶違いに過ぎないよ 小手や面を打つにも、落とすだけの小手や面に始まり、
免許になると手首を返すだけの絞る小手や面という手練(技)で打ってたと語っているぐらいなのに
よっぽどの文盲じゃないと武術談義等の著作から「力任せ」の稽古はどう転んでも読み取れんだろ
時代が下って祖父も道場にはあまり顔を出さなくなり古参弟子も道場からいなくなり
鉄山氏と森下さんらの新参門人で竹刀稽古や型やってた時代なら力に頼ってガンガン乱雑な稽古をやってたことは普通に読み取れるがな 正郡さんが切附演武の後太刀を蹲踞の姿勢で木刀で振って孟宗竹を唐竹割にした並の文盲再来マジでやめろや 昔の人はナチュラルに筋力すごい
同じ腕の太さならオランウータンは人間の3倍筋力あるらしいけど
現代人と昔の人の筋力も差があるような気がする >>875
「鉄山は学生運動には参加せず、道場に引き返して刀をとった。
力にまかせた硬い稽古であった。子どもを相手に木剣をへし折ることも日常茶飯事で
辞める子も少なくなかったが、厳しいことが評判となり、通わたがる親もいた。」
岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊秘伝』(2005年8月)通巻212号 筋力もそうだが器用さもすごい
自分で竹馬つくって遊んだり下駄直したり裁縫したり
今の人は便利が当たり前だから器用さも昔の人と差があるね >>879
木刀が折れるって、野球でもしてたんかな >>879
その記述、パリ旅行記にもあったな
昔はとにかく厳しい稽古してたんだってね >>879
これこそ若い頃の鉄山先生の稽古の話では? >>879
だからこれは泰治さん隠居後の鉄山氏の20代から30過ぎにかけての頃の指導だろ
相手の力に負けたとしてもそれでも力を使うな、柳に毬を上手とぞいうと
祖父にいつも諭されていたにもかかわらず
何も見えずわからず、腕立て伏せしたり通いの子供相手に木刀をへし折るような粗雑な稽古付けてたってな 先入観やうろ覚え記憶による誤読や曲解でテキトーな情報広めるとものによっちゃクソ迷惑だから
ちゃんと原典あたって自分の記憶を訂正しような?
オレも先入観で正郡さんが榊原健吉の道場訪れたのが幕末(実際は明治入ってから)と記憶違いしてたことあるから人のこと言えんがw 岡田准一も「武のKAMIWAZA」で上段から振り下ろした木刀をあっさりへし折ってたから
そんな凄いとは思わないけど
アイドルでもできるのにここの老害は何を大騒ぎしてるのか いろいろ流派の必殺、奥義って、えっこれが奥義なの?ってびっくりするよね
雲を掴むような話で 四の五の口で語るだけのキミらよりも、誠桜流や沙人の方が遥か先を歩んでいると見ゆるw >>887
お前の方こそソースだせや
見苦しいぞドクズ
なんで黒田信者ってこんな頭の悪いバカしかいないの? >>879
>>891
「鉄山は~刀をとった。力にまかせた硬い稽古であった。」
小学生でもわかる主語述語の関係
これを祖父泰治の稽古時代の話と読み取るのはかなりヤバい知能 >>888
どちらかというと、木刀を折るような力任せの稽古をしていた若い頃の鉄山は下の下だったって話だぞ
祖父には力は絶対に使うなと諭されていたのに、と鉄山本人も若気の至りを反省している文脈
何故かこれを祖父の時代から木刀を折るような力まかせの稽古をしていたと解釈するアホもおるけどなw 泰治の顔みたら力まかせに木刀折ってそうだから仕方ない 昔は竹刀を使った組太刀もブンブンやってたから、その通りのことが
本に書いてあるだけで
「昔から柔らかい稽古が中心でした」っていうソースは全く提示できてない
事実から目を背けて、自分の信じたいイメージだけを
信じてるだけだよね
ほとんど宗教みたい 赤の他人の稽古内容で必死になって馬鹿ちゃう君ら
自分の素振りしなさいよ ソース提示した人の勝ちだな
ソース提示されてるのにあれこれ言って逃げてるのかっこ悪い >>869
同じチカラ否定してるイメージの強い合気道だと植芝や塩田は若い頃は思いっきり力使えって教えてるんだよな
武器と徒手の違いかな面白い 植芝や塩田の時代は武術教えてる道場があるというと必ず道場破りが腕試しにやってくるような感じだから初期は力こそパワーの実戦武術なんだよな
今の黒田道場には道場破りなんか来ないだろうから理想論を追求できる 初期の合気道って大東流だしな
戦争終わって殺し合いの武術の時代が終わったから愛の武道に昇華された >>895
>>897
お前らがメクラ文盲発揮して無視しているだけで
泰治さんの時代の目録や免許相手の十手の稽古や竹刀稽古の話もしただろ?
これは改訂版の方の気剣体一致の改や鉄山に訊けに出ている逸話
竹刀や木剣は「軽く滑るほどの力」で保持するし、
力を出して構えたり受け流そうもんなら、稽古後に手や腕が萎えるだけでは済まずもっとひどい結果になるとは泰治の教え
祖父泰治時代の指導では、大人弟子と女の子の稽古で
女の子に投げられるのは癪だからと大人の方が力を出して抵抗しようとしたが女の子にコロンと転がされて
いくら力を出してもダメだよとそれを見ていた泰治に笑われた話が武術談義にある
泰治の指導法で方便として、柔術で相手に敢えて力を入れさせておいて
それをあっという間に崩して力を入れてもダメなんだよ?と教えるような工夫をやっていたりもしていた
と極意指南の講習会ビデオで語られていたが、それにしたって力の絶対否定を初心者にわかりやすく教えるための過程でしかないからな
剣術精義には昔の振武館の竹刀稽古の上の位の稽古、中の位の稽古、下の位の稽古の様子が解説されてるが
そのどの段階にも「力任せの稽古」は含まれてない
軽い手の内に鎬を使った受け流し、素面素小手ですら打たれても全く痛くない軽い打ちと高速連打を
初心の頃から仕込まれるから、技術的に「力任せ」といった概念が並立する余地がないのは当たり前
鉄山も幼少の時からこの環境が当たり前で育ったから
競技剣道に参加した際に打ちが軽すぎて一本取ってもらえなかったこともあると述懐しているぐらいでな 近年の遊び稽古映像で木刀の切っ先に力を伝える、ということを何度もやって見せてるけど
あれが竹刀稽古の「絞る面」「一太刀で後稽古ができなくなる打ち」とも関連する振武館の伝統的な技術だよ
あくまで力を使わず、「力」(ここでいう力は一般的なグッと力を入れるような感覚ではないとパリ公演で解説されてる)を切っ先三寸に伝えることで
ごく軽く打ちながら相手の腰の中心まで透過して崩せるような、手の内や手練を駆使した打突だから
「力任せ」が笑えるんよ。そんな「力任せ」は泰治の代から絶対否定されてるのは余程の文盲でない限りは諸々の逸話から読み取れるはずなんだがねぇ・・・ お前の好きなように信じてれば良いがな
それがデタラメでも信仰の自由だから止めやせん 力任せの稽古の時代があったのを頑なに認められない信者 黒田さんもそういう力任せの時期があったからこそ今の境地がある 「鉄山は学生運動には参加せず、道場に引き返して刀をとった。
力にまかせた硬い稽古であった。子どもを相手に木剣をへし折ることも日常茶飯事で
辞める子も少なくなかったが、厳しいことが評判となり、通わたがる親もいた。」
岡本久典「特集古流武術再入門 黒田鉄山の「枠」」『月刊秘伝』(2005年8月)通巻212号
これを泰治さん以前の振武館黒田道場が力任せの稽古やってたと読むのは普通にガイジ入ってね?
鉄山が競技剣道の影響受けて力に頼った硬い稽古してたでFAやん そも多久間流の中興の祖や高岡弥平の逸話からして軽業系の流派やからなココw
これが剛力系の逸話だったら鉄山の言ってる力の絶対否定と矛盾がある!とファビョるのもわかるが
力の絶対否定の元になった泰治のそれでも力は絶対に使っちゃいかん、
うちの稽古で痛いはずがない発言や竹刀の軽い高速連打とも何も矛盾しない ちな、泰治は子ども相手に「いつの間にか木刀がひっくり返っちゃった!」と冗談混ぜたり甘い指導だったから
「鉄山は学生運動には参加せず、道場に引き返して刀をとった。
力にまかせた硬い稽古であった。子どもを相手に木剣をへし折ることも日常茶飯事で
辞める子も少なくなかったが、厳しいことが評判となり、通わたがる親もいた。」
の力任せの厳しい指導は鉄山のものだと尚のことはっきり分かるんだよね
鉄山の成長に合わせて晩年の祖父は隠居して
道場の指導者や門人が鉄山と鉄山の一番弟子の森下氏のような新参弟子に入れ替わってることを前提としてわかってないから
この文章から泰治の代で力任せの稽古やってたとトンチンカンな誤読、曲解が発生するわけよ 昔は竹刀で組太刀を盛んにやってて、泰治氏がかなり見込んでた弟子が
そうした竹刀の扱いに長けてて自信を持ってたらしいが
泰治氏がいっちょこい、とやったら壁際まで追いやられ簡単に
打ち据えられたって話がある
大学時代は、まだ古参の方々がいらしたと書いているし長いブランクを経て
復帰したばかりの鉄山さんが、道場の方針をどうするという立場でもない
だいたいそれまでの方針を全て覆して唐突に力任せで、って
どう考えてもおかしいだろ
まだソースが必要ですか?
どんな事実がでてきても、どうせ信じたいことを信じるんでしょ 確か 等速度運動 順体法 力の絶対否定 とかって鉄山さんが理論化したんだよね
何かの記事でお爺さんの教えですか?って聞かれて鉄山さんが指導する上で作ったと書いてたな >>911
力の絶対否定の理論の大本は
泰治の「力は絶対に使っちゃいかん」の教えだからな
稽古で力を抜くと相手の力に押し負けてしまうことを祖父に伝えて
それでも力は使ってはいけないのか?と問うと「それでも力は絶対に使っちゃいかん」との答えだったと
鉄山が現に祖父やそれ以前の富山の振武館道場から厳しさはあれど力の絶対否定、柔と技主体の稽古だったと
力には限りがあるが技には限りがない頼もしき哉の流儀の術歌まで引用しながら言ってるのに
外野の文盲キチガイが著作の文章を曲解し腐って
人様の流派の教えや伝統や歴史を捻じ曲げようとしてる方がよっぽどヤベーよ
陰謀論ばりに泰治の時代は力まかせの稽古だったけど
鉄山が勝手に改変して力の絶対否定を唱えだしたって歴史を自分の都合で捏造しようとしてるんだよな
振武館武術も捏造創作流派だの風説流布してた過去スレのキチガイと何も変わんねーよ 順体や最大最小等の理論を明文化したのは事実鉄山だけど
あれを「新規創作」したと読むのも完全な文盲だろ
力の絶対否定や無足の解説もそうだが
祖父の指導時の解説や訓戒が元になっているものと
手を以てせず足を以てせずや初め極めて静かに抜かざれば、遅速不二、長短一味(短いものを長く、長いものを短く)のように
家伝の絵伝書の記述や型の理合いから抽出して
順体や最大最小理論、等速度理論のように現代風に表現し直した二種類があることが
よっぽどのバカでない限り著作から読み取れるはず おじいちゃんリスペクトがすごいけどお父さんはそんなでもなかったの? >>910
過渡期的な時期だから何歳の時にそうだったとは明言されてないが
大学時代にはもう古参弟子もいなくなって
柔術や剣術は受けを取ってもらえる上位の弟子がいないから
一人稽古できる居合に時間を費やすようになった旨が気剣体一致に書かれてるんだよなぁ
祖父も道場に顔を出さなくなって
たまに孫の稽古の様子を覗きにくる程度でまた奥に引っ込むような感じだったと
鉄山さんの大学時代に祖父が道場に立ってビシバシ指導してたというのは君の完全な妄想だよ
わかんないようだからもう一度繰り返すけど
泰治の稽古の付け方は子ども相手に型稽古では「木刀がいつの間にかひっくり返っちゃった」と冗談も混ぜつつ
竹刀稽古では「そんなこっちゃ当たらんそんなこっちゃ当たらん」と小太刀の袋竹刀をとって
素面素小手の自然体ですべての打突を受け流すような優しい稽古の付け方だから
「鉄山は学生運動には参加せず、道場に引き返して刀をとった。
力にまかせた硬い稽古であった。子どもを相手に木剣をへし折ることも日常茶飯事で
辞める子も少なくなかったが、厳しいことが評判となり、通わたがる親もいた。」
の記述は鉄山が道場指導者に切り替わった時期以降の鉄山独自の指導スタイルなんよ >>914
パリ合宿記には戦後直後ぐらいの時期に
まだ警察官だった繁樹氏を泰治さんが連れて水戸の東武館に出稽古に行った話が出てる
繁樹氏は潰されないように積極的に攻めず受け流し打ち返す戦法で
難なく立ち切ったために小澤武氏も悔しがっていたとな
元警察官で黒田家の娘婿になるぐらいだから竹刀稽古ではそれなりに遣えたそうだけど
型となると泰治とは比べ物にならないぐらい硬い居合だった、
じいさんの(居合構えの)あの手の形にならなくて諦めた、お前(鉄山)の方がじいさんに似ていると本人が述懐しているそういうレベル >>910
補足しておくと、泰治さんは子ども好きで特に赤子や子どもには優しかったんだよ
しかも、泰治さんが70代ぐらいの頃の振武館一門の写真があるけど
大人の弟子は二、三人程度であとの十数人はマジで青少年しかいないんよ
そんで子ども相手に素面素小手の自然体でニコニコしながら
そんなこっちゃ当たらん連呼の指導だから
子ども相手に力任せに木刀をへし折ったり、
鉄山さんが石田姉弟相手にやってたように泣いたって許さないぞぐらいのつもりで
直接殴打はしなくても受けた木刀の衝撃で両肩に痣ができるような型稽古つけたりやるわけないんよ
鉄山氏も祖父の木刀はカン!と当たっても痛くもなんともない
限りなく優しい稽古だったと言っている通り、
力任せうんぬんは泰治さんの人柄を全く知らないから言える誤解の妄想なんだよ そんなことを言ったら、筋肉パワー居合の沙人さんは、どうなるのですか?
彼はかなり、頑張って技をコピーしているように、見えるのですが アホ信者はどんな事実が出てきても勝手に捻じ曲げるから話にならないな
ソースの一つもだせないで、勝手に黒田道場評論家になるなよタコ あのガタイで柔和で気さくに優しい稽古をつける泰治さんと
幼児相手に虐待(本人談)のような稽古のつけ方をしていた硬い頃の若鉄山さんの対照性が
技の深化で人がどう変わるかを表していて妙なのに
己の誤解一点張りで祖父も力任せに弟子を打ち据えていたなんて妄想拗らせたおっさんクソ過ぎんよw 一つの些末な事柄を延々と執着するのは5ちゃんの特徴やな。 >>922
あー、都合が悪い反論は聞こえないふりして勝手に勝利宣言するタイプの人ですかw
「鉄山は学生運動には参加せず、道場に引き返して刀をとった。
力にまかせた硬い稽古であった。子どもを相手に木剣をへし折ることも日常茶飯事で
辞める子も少なくなかったが、厳しいことが評判となり、通わたがる親もいた。」
じゃあこの文章から泰治さんが力任せの稽古をしていたとどう証明する?
どう読んでも若鉄山が力任せで硬い稽古をしていたとしか読めないけどw
さらに反証材料として泰治さんが好々爺風で子どもを気遣った優しい稽古だったという記述が
武術談義や気剣体一致、鉄山に訊けほかに無数に存在する
その一つである「祖父の木刀や竹刀の打突は当たっても痛くもなんともなかった」は明らかに上記の力まかせの乱暴な稽古とは矛盾する
そんな軽い打ちを子ども以外にも常用していたせいで、外部から出稽古に来ていた剣道師範に
「先生そんな軽い打ちでは・・・」と難癖をつけられ「そうかい」といって例の一太刀で稽古ができなくなる
小手打ちをお見舞いし、相手がポトリと竹刀を取り落とした話まで武術談義には出てくる
これは逆を返すと、出稽古相手にも基本的に優しい応対をしていたことの証明であり
日常的に力任せの稽古をしていたなんて妄想とは真逆の事実だ
>>916のパリ合宿記の繁樹氏の話の後日談に出稽古からしばらく後、
京都武徳殿の演武会で小澤師範と再開した泰治さんが「今でもああいう乱暴な稽古をされているのですか?」と尋ねると
照れ笑いをしながら「今ではああいう稽古は、もう」と小澤師範が返された話がある
このように外部では昔ながらの乱暴な稽古をしていた時代でも
泰治さんのところでは、繁樹氏の受け流し主体の専守防衛の戦い方からもわかるように非常に地味な稽古をやっていたわけだ
これも中山博道師が振武館の稽古は「地味だがコクのある稽古」と評した通りで矛盾はない
改心流の竹刀稽古では敏速さ軽やかさを第一とする下の位の高速連打から始まり、
速からず遅からず、見事に打ってもいないが決して悪くもない、
静謐かつ地味な使いぶりを理想とする上の位の稽古を目指すのであり「力任せ」とは真逆の稽古体系なんだよ この「力任せ」ということは技術的な観点からも完全に否定されてる
改心流の竹刀稽古は小手や面は力で打った場合のビシッ!バシッ!といった打突音ではなく
剣道ではまず聞かない非常に軽いポン!ポーン!といった打突音を理想とすることが剣術精義と武術談義で紹介されている
また、受け流しに際しても力を握って竹刀を把持したりすることも完全否定されている
打突も同様に、基本の打ちとして、相手の面の上に出るほど切っ先の高い改心流の正眼構えから
「落とす」「だけ」の小手や面をまず修得するから、「力任せ」に打つといった概念は技術的にも感覚的にも存在し得ないのよ 正確な著述の内容に基づいて甲乙しのごの議論するならば儂も何も言わんさ
どこぞのバカが小学生でもわかるような文章を誤読して
「泰治が力任せの稽古をしていた」なんて見当違いも甚だしい妄想を吹かして
流派の伝統や教えを歪めるから、著作の記述に基づいてバカの曲解を否定したまでよ
気剣体一致の極みの記述を読んだ上で
正郡が演武で「切附」の後太刀を蹲踞で木刀で振って孟宗竹を一刀両断したなどと誤読して信じ込むアホもこのスレにはいるぐらいだからな
そういう文章読めないアホが現れるたび儂も現れるから覚悟しておけ(笑) ID赤い奴は例外なくキチガイだと覚えておくとNGが捗る >>927
その話題無くなったらお前もう洋梨やな。 >>930
なんで?今回で儂には鉄山武術を正しく把握させ歴史的役割があると
自覚するにいったった
儂の論が全オマイラに浸透するまで何時までも儂は語り続けまっせ >>931
弟子でも無いやつに戯言ぬかされても鉄山は迷惑なだけや。 天才には世の中のほとんどの人間は馬鹿に見える
天才は人や自分の欠点がよく分かり改善策も簡単に思い付く
しかし天才はそれを実践しない他者を理解できない
天才は自分だけが選ばれた存在で他の人間はシラミ以下の脳味噌しかないと思っている
EQ、人間性が伴わない天才は大迷惑なのである 木刀で叩かないのは別の理由じゃないか?
金が無いとか、自分で削った木刀だから大切に使ってるとか
木刀は赤樫か枇杷とかで作った方がいい 高いし、入手しづらいよ
あ、この話を続けると手品のネタがバレてしまう 琵琶は打ち合わせた時の感触が硬すぎるから打ち合わせる型には向かないと思う 振武舘では指定の木剣とかあるの?
ビデオで見てる限り普通の白樫っぽい? >>940
ヤフオクに出てたのを見る限り、反りがあるのでその辺の市販品じゃないみたいよ? >>941
自信がないと怖くてできないよな
素人に負けたら何もかも失うワケだし
まぁ坂口拓は完全な素人とは言えないだろうけど坂口側は負けても失うものゼロ あえてつっこまなったけど、何でそんなに負ける事を恐れてるんだろうね
全力のウェイブで払い打ちして、捨て身で打ち込んで欲しかったわ 「木刀くらいは簡単に折れる」は確かにその通りだが、岡田氏のように 打ち込んだ側の木刀が折れたのでは、話にならないと思う。 なのに、岡田氏はさも得意気に解説。 番組はこれぞ武術の身体操作云々とナレーション。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。