【合気道】塩田将大【養神館塩田剛三の孫】11
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
知らんけど秘伝のノリってこんな感じなの?
意味の分からないポエムで悦に浸るような
技ってのは鍛錬の先にあるもんだし、技だけに価値があるような幻想を持ちすぎるのもよくない
それが行き過ぎて不思議ポエムになるのもよくない 大東流六方会・岡本正剛先生から学んだ合気下げ
the master of Daitoryu aiki jujitsu Okamoto Seigo’s Aiki sage.
https://youtu.be/faQ8UejDPN0 いい技術と解説じゃん。
批判者はこれのどこが不満なんだろう 技の力って言いたいのもわかるが、旧悪な体質も感じるなあ。
黙って言われたとおりやってろ、今に力が出てくる的な。 >>100
ちなみに竜安寺の安の字を中心力にしても、作句しようと思えば出来てしまえたりも。。
姦すれば汝安らぐが如し(只和吉可と同じく下層部の漢字から順に時計回り)
ウ
シ女口
女女
さほどポジティブとは云えない一句が出来てしまうもので、こちらはとても名句として世に広く上梓は出来かねますが(女女は確りと1漢字として実在します)。
天眼はところで、安藤10段の(蹴られていた?)ご細君がそうした感性が鋭いそうですね。
それが延いては安藤10段の達悟にも有用だったそうですし、100さんにおかれましてもご自身の術理その他に受益する部分が出て来ると思います。
肉体以外の存在と云えば、私が載っても落下しない神棚が何もしなくとも、好い加減な技への怒りの余り落ちてしまう出来事が多々有りましたね。
場によっては神棚が宿られることが有る模様でした。
>>101
ノリ(?)や雑誌(?)との関連はそれこそよく判りませんが、意味はよく判る客観的な内容かと思われますよ。
技だけと云う文言もこれ又よく判りかねますが、個人的には技から演繹的に鍛錬(内功)も積み上がるとするスタンスです。 説明も技も正しいのだけど肝心なところはぼかしてるのよ
それを言うと怪しくなっちゃうからあまり触れないのだ。将さんも気って言葉は使いたくないって言うよね
武道としては全く別だけど纐纈さんの「意識で体重が変わる」説明がヒントになる
大東流も合気道も動画で形だけ真似てもかからん。意識の持ち方が大事なんだな 技も意識も全部大事だよ。
だいたい技の説明の中によく読んで聞けば意識も入っているんだし。
いかにもどっちか一方だけかのように否定するのって5chっぽくてばからしい。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。 >>109
>姦すれば汝安らぐが如し
これまで見聞きしたなかでいちばん知的な、「シモネタ」っすわぁ、、、
>100さんにおかれましてもご自身の術理その他に受益する部分が出て来ると思います。
安藤先生のご尊顔をウェブで拝見しました。歴戦のツワモノの貌
8799999999954tr。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
↑上のは子猫がキーボード押して書きました
さて
>肉体以外の存在と云えば、私が載っても落下しない神棚が何もしなくとも、好い加減な技への怒りの余り落ちてしまう出来事が多々有りましたね。
これは剣道の動画で見たことありますねw
起こっているというよりか、「ズッコケ」ているのかな?と感じた次第です。
「あの世」とは信長の詠んだとおり「人間五十年、下天のうちに比ぶれば」ですから
50年経つことは一日のごとき些細であり、他愛もないコドモたちの戯れであります
下天とは七福神の一角として知られる毘沙門天、増長天広目天持国天の四天王を指しまする >>113
ルールをよく知らんけど、物陰から騙し討ちとかできなかったもんかね?
正面からシバキ合っちゃプロの上位に勝てるわきゃないっしょjk >>112
仰る通りに思います。
なので不肖私も心的作用についての言及として、友達になってしまえば・・・の句訳を紹介してみたのですが。。
>>117
9が9つ!
折りしもこんな話を書こうかと思っていた矢先です。
・・・上述の練武場に、こんな符が貼られていました。
厂
有有有
有有有
有有有
詞林三知抄の鷹司(たかつかさ)本(分巻形式でない製本版)に、実際に記載の有る1文字です。
どうしたわけか後世の、分巻式の写本からは凡て1行削られて、有が6つとなっています(6つ版ですら公刊的には、44年前の77年初出版、初公開)。
字義は天橋立、奈良朝前後の古書に拠れば天の浮橋と同義です。
九重は九天、つまり上天を意味しますので、神々の立たれた場所ということからの造字(デザイン)でしょう。
天の浮橋は云わずもがな、斯道における重要なワードです。
そして71にて触れました「有満」院長が、まさしく読んで字の如く有が満ちたがゆえに斯道の、天の力を享ける(浮ける)ことが出来たのでしょうか・・・などと推論していたわけでして。。
・・・なので奇遇ぶりに驚きました!
下天のワードにも。
神棚の自然落下は、まあ確かにズッコケたテイでもありましたね(苦笑)。
或いは張り扇で叩かれているような風格とでも云いますか。。 >>119
喧嘩ルールって言いながら自分は髪掴まれるからドレッドにする仕込みありなくらいなんだからできないよそりゃ。
マウスピースは無しにしといてそりゃねーぜ こっちでも正伝突き付けとくか。
>>116
植芝盛平がカタチを大東流からパクっただけ?
坪井政之輔名義、後藤派柳生流柔術初段の免状が残っているけど?
発行年が1908年。
君がしつこくあげつらう英名録の14年も前だが? >>92
名作ですね。
>>97
急いで秘伝誌を購読したら
「握手落」
書いてありましたね。
句なり用語の
作品が
市民権を得るって
素晴らしいと思います。
四方投の記事自体も
モチロン興味深いものでした。
とりあえず
当たり前ですが
片手の四方投は
皆さま同側じゃなく対角でした。 なんだまたハチンモトがやらかしたのか。
モチンヅキとチン友同士せいぜい施設に引き取られてろよ。
>>121
自分だけ使い慣れたグローブってのもなあ。
せめて拳サポにできなかったもんかね? たったひとり生身のモチンを知る?国立合気道も三年前に更新が途絶えてるし・・・ ある日師範の指導による決められた稽古時間が終わった後、
当時の私の友人の一人だったI君が、
今まで稽古を担当していた師範と相撲をしたときのことです。
I君は実にユニークな性格で、
僧侶の格好をしてヒッチハイクで東京から京都に行くようなことをしていただけに、
その性格同様、
身体にもちょっと他の人達とは違う独特の粘りがありました。
彼が相撲をした師範は植芝盛平開祖の高弟として何本かの指に入るような人物で、
合気道の稽古の中ではI君もこの師範にビシビシ投げられていました。
ところが相撲となると、
その師範よりも小柄なI君が持ち前の粘りを発揮して、
まったく崩される様子がありません。
最初は気楽に笑いながら始めた師範の顔も次第に真剣さを帯びて来て、
稽古の後に残って、
始めのうちは周りで笑って見ていた何人かの人達の顔も、
段々と気まずい表情になっていきました。
そうこうしているうちに、
もともとI君もその師範に可愛がられていた上に性格もひょうきんでしたから
「うわっ、疲れた。参りました」というような形で、
その場を白けさせないように上手く終わらせたように記憶しています。
I君の空気の読み方と機転でその場は何事もなく収まりましたし、
その場にいた人達もこの時のことは特に印象には残らなかったと思いますが、
私の中では
「これほどの合気道師範でも、確かに普通の人よりは粘り強いとはいえ、小柄で武道に関して素人と言ってもいいI君にあれだけ手こずってしまうのか・・・
おそらく柔道や相撲の専門家なら、I君と同じくらいの体格でも、きっと相撲をしても、もっと簡単にI君に勝てただろう」
という思いがずっと尾を引いて記憶に遺りました。 なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 小島はあの動きじゃ実戦は無理だろう。
小島に限らず5chは弁だけ回って体が回らない老の山だよ。
弁と言っても小島も橋も実際の喋りはフガフガ回ってないが。 望月氏は
チンオや爺氏
どっか氏ら
ここの珍人(ちんじん)とちがい
良識も一部お有りです。
なので
「個人的には」
あまり否定したくはないです。
・・・・ただ
申し上げるのは心苦しいですが
技術は明らかな間違いも書いてらっしゃると
云わざるを・・・・
具体的にはケネディ落に関してです。
どこが間違ってるのか
後刻書こうと思いますけど
ほぼ100パー
チン人が私より先に書く事は無いでしょう。 >>133
どっか氏?なんでそう思ったのお馬鹿さん >>130
何人かと会った感じ5ch民ってびっくりなぐらい老いてるっすね。
大体一、二行しか書けない人らがそんなぐあい。
自分の言葉で話せない人に限って頭から体が老いとる >>135
文章長さで年齢判断とか不思議なことすんのね。そんなもん状況によるだろ。
まぁどうでもいいことをグダグダ書いてるやつが無能なのははっきりしてるが。 >>120
>詞林三知抄の鷹司(たかつかさ)本(分巻形式でない製本版)に、
す〜〜ごく難しそうな古文書をお嗜みですね、、、室町時代の連歌集ですか、、、
>九重は九天、つまり上天を意味しますので、神々の立たれた場所ということからの造字(デザイン)でしょう。
天橋立は須弥山の頂上と同義な場なのですね〜 なぜ一行削除されたのでしょう
>・・・なので奇遇ぶりに驚きました!
>下天のワードにも。
私も毎回驚くです そもそも何がどうなって、こうした奇遇がもたらされるのか当人にもサッパリわかりません
(9を書いたのネコですけど)
>張り扇で叩かれているような風格
わたしなど神棚にまいると神様がいつもこちらを指さして爆笑してるように感じます(*-*) >>136
× 文章長さで
○ 文章の長さで
早速老いの兆しが あらら。
文章ねえ。
無差別に個性を出せとは言わんけど、いかにも5chに迎合した薄いワードだけチラ出しされてもなあ。
まあ5chっぽい不平タラタラだけのやつが老脳なのはわかりきってるが。
最近読んだヒットはこれかな。>>126 >>123
>名作
オリゴ糖ございます_(_^_)_
四方投げはやはり対角(の側を持つ)でしたね。
握手落としが力で推し(下げ)てしまおうとする例が多いのと同様、四方投げも(力で)推し上げたいセンスをもって試みると同側を持ってしまったりしますね。
>>126
79でも言及させていただきました通り、四つに組んでのシタ手で上げ手が出来る技量が不可欠かと思われます。
手首を持たれてのみ出来るというのでは、反射ならぬ条件反射に過ぎない技になってしまう。。
>>129
そのようなことは無いでしょう。
Kさんは学生時代からのヒ○ト○ンという穏やかならない人ですが、平生は業界外とことを構えるような穏やかならない人では全くありません。
>>131
答案は・・・提示されることは有りませんでしたね。。
>>137
>なぜ一行削除されたのでしょう
なぜなのでしょうね。
日本では鎌倉以前来となる安定政権の確立、大陸では明末清初、欧州では大航海時代の終焉、がご存じの通り時代を同じくしておりまして、精神の僻地(余り)が消えたのか。
新たな時代精神とでも呼ぶべき文明化の意識が、人々の内面に取って代わったりでもしたのでしょうか。
神々の座は一旦世の表舞台から退かされた・・・(上記の1字は諸橋漢和にも中華字海にも、文字キョウにも未収です)。
・・・ただそれでも、例えば日々神棚を清掃するのみでも宿られることは有るハズですけれどね。。
器が倒れずに御神酒のみが燥ぎ、頭から被らされたりなど。。
畳上では脚立も椅子も使えませんから、清掃と云っても一般的には一苦労でしたが。
場内の上桟に懸垂をして登ろうとした人は何故か桟が落とされるとか、さまざま妙(たえ)な出来事には事欠きませんでした。。 >>138
誤字脱字が特徴だから
いつもどっか氏だってバレるんですよね。
>>143
まあチン人ですから。
望月氏がどこが間違ってるかは
単純明快。
「塩田剛三の手首をボディガードが掴んで」
と書いた部分です。
https://ameblo.jp/mochizuki-motoharu/entry-12545428205.html
動画を視れば解かりますけど
実際は
塩田剛三がボディガードの手首を掴んでます。
https://youtu.be/0j17aXHhohs?t=107
・・・・
視てないんですかね ( ゚д゚)??
前にも話題に上げましたが
ヒトは仕事や学業
理科の実験
場合発明発見すら得意な生き物です。
しかし「対人の体術」これだけは
なぜ急に観察力が無くなり
実験が苦手
あるいは人柄すら翳るのでしょう・・・・? この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 自分が間違えたことは徹底的に避けるし「勘違いさせたお前が悪い」まで言えるのが気狂いの極みだな。 チンを一人だけ擁護してたトリップコテって消えたね。
もう何年も見てない。
死んだかな? >>144
彼塩田剛三に習ってた設定も嘘だったのかなあ。
もし習ってたにしろ何も受け取れてないのは確実 >>143
>日本では鎌倉以前来となる安定政権の確立、大陸では明末清初、欧州では大航海時代の終焉、がご存じの通り時代を同じくしておりまして、精神の僻地(余り)が消えたのか。
浄土真宗には異安心(いあんじん)とて
人間万能ルネッサンスな気分を戒める気風がありまする
人の一生に体験するあれこれにはもっとややこしいレトリックが伴うぞといいますやら
目に見えたり計測できたりすることが全てなのか!?という厳しくも
どんなうざったい戒律よりもリアルな問いかけがあるとは思うですよ
と、いうよりか
ええ年こいたところでどうにか塩梅しては学ぶべき教材がないとアカンですよね
いはゆるオピニオン、マスコミ、ぜんぶ思春期向けな刺激の数々が
そのまま人生の最終課題であったら、、、あるわけないんですけどそんなの不幸でしかありませんから 館長先生はあのケネディのボーディガードや金魚、自動車跳びの話なんか練習生にはしたことないと思うよ
研修生・専修生だってたぶんそう
昭和天皇が皇太子の時の御前演武で植芝先生の受けを取って三日熱出して寝込んだ話は道場で聞いた
「必死の気迫」の重要性についての訓話だった
あと道場の壁駆け上がったことと壁スレスレで物凄い速さで横走りした目撃談は、稽古休んだ次の日に稽古仲間から目撃談聞いた
内弟子には一連話してたかはわからないけど
望月って人は内弟子だったのかな 話というか技を受け取れてないんではってこと。
技を受け取れてたら動画を見てあ〜あの技かってわからなきゃおかしいよね 橋にせよ望にせよ佐川幸義に師事したとか塩田剛三に師事したとか全然意味ないわな。
過去が何であれ彼らの今の肩書きはただの荒らしを1ミリも出ないよ。 云わゆるステルスマーケティングに相当する代物でしょうか。。
>>144
仰る通り望月氏の分析では、持つ持たれるの関係が顛倒していますね。
それも
>以上の情報を下さった恩師
>の御名前は絶対に公開はできません
恩師から伝え聞いた秘話、といった伝聞形式をとっている点に些か疑問を禁じ得なくも。。
対人的技法において人の認識力が頓に薄らいでしまうのは、やはり戦闘的行為ですから途端に原始脳が頭を擡げてしまうのかも判りませんね。
トレーディング(金融経済)も或る意味で戦闘の為、あれだけ聡明なニュートンですら不覚をとりましてバブルの餌食になりました。
>>152
異安心ですか。
まさしくしかりでしょうねと思います。
学びについてはもちろん元来、凡ゆる現象が巨大現象ではあるのでしょうが、覗くべき針の孔をのみ提供されていたのでは全体象も真理も何も有ったものでないのでしょうね。
目に見えない要素や価値、世界と云えば浄土系では、龍樹の智度論や法然の逆修(ぎゃくしゅ・・・ぎゃくてではなしに)説法、横に飛んで永平寺の大光明三昧などがそれこそ不可視な世界を活写しておりまして。
頭にでも感傷にでもなく直接届くものを感じ、好きです。
>>153
ご古参ですね。
少なくとも66年以前のご在籍ですか。
>>154
偏には難しいのでしょうかね。。
144さんご紹介の記事によれば、嘘か実か井上10段ですら4ヶ条と推察していた模様ですし。
>>156
丸でアイロボットのようですが、機械的に気で上げ崩す脳と手法は重要ですね。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 昭和天皇が皇太子時代って時代が合わないでしょ。
当時は塩田さん受けをとるどころか入門すらしていない。
どころか柔剣道を始めてるかすら怪しい時代だ。 今時、合気道=植芝盛平って柔道=嘉納治五郎ってぐらい違和感 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs 離反って君自身が佐川道場からレッキとした離反をしてるでしょうに。
堂々とダブスタかましてるんじゃないよ。 塩田スレ
3のチンあり
技は無し
チンオ
チン爺
チンどっか >>143
>器が倒れずに御神酒のみが燥ぎ、頭から被らされたりなど。。
ちょっと楽しくなる漢詩をば 作者わすれました
毘盧愛飲弥勒酒 文殊酔倒普賢扶(毘盧愛し飲む弥勒の酒、文殊酔倒るれば普賢たすく。)
>160
>龍樹の智度論や法然の逆修(ぎゃくしゅ・・・ぎゃくてではなしに)説法、横に飛んで永平寺の大光明三昧など
こちらは情報提供いただいたものの短時間ではとても解れないようでしてコメント返しの締め切り無期で、、、 レッテル貼り作戦か
160=コピーアンドペット=175ww >>176
160の投稿は私ですが。。
>>164
それはそうですね。
昭和未満と云えば斯道に無刀術が入る以前ですから、斯道が確立される以前の時代となりますね。
ちなみに定型文の彼が度返し主張する進履橋(の年時)も無刀術とは別物です。
>>165
違和感は同意です。
そもそも斯道が帰属すべき個人や系統はまた別系と考えています。
それは無刀術が武徳門と合流するまでの道統でして、新陰門自体でも、新陰門を学んだ個人に関した門派(日本伝など)でも、武徳門それ自体でもありません。
>>168-172
暖簾代を納めていなければ、独自の開門と云える(云えてしまう)でしょうね。
個人的には昇段後、同じ門派を冠する勤務指導者時代も師に暖簾代を納めていました。
>>175
これは我が意を得たりかのような漢詩ですね_(_^_)_
現にそのような出来事を詠ったとも云い得る詩作と思いました。
人からはよく偶然だ、低周波なりノーマルな説明がつくのでは、とも指摘されて来ましたが、それはそうなのかも判りませんが、その奥に何となくの神理を感じる。。
その「何となく」を大事に生きていたいなと思ったりしますもので。。
・・・などとこちから度々月並みに。。 >>164
>>153だけど、
言われてみると確かに変だ。館長先生は大正5年くらいの生まれだから、昭和帝が即位した時にまだ10才くらいの筈だ。
ただ、「今(当時)の陛下が皇太子で」云々て言ってたんだよな。湯川さんの名前も出してた
御前演武の話自体は著作の「合気道人生」にキチンと書かれてる
後年に買って読んで、ああ、あの訓話かと思ったんだ
それ以外の本に出てくるエピソードは私は聞いたことなかった(金魚の話は少年向けの豆本に出てたらしいけど訓話にならんわな)
前日の水曜日の稽古がキツかったのに、夕刻の黒帯会があるからか館長先生が昼の稽古仕切ったんで先生達張り切るからウヘェと思っていたら、途中で訓話になたんで、助かったぁと思って一生懸命聞いてたんだが…呆けたかもしれん
済まんね
本が手元に見当たらない ブリスベンの動画に出て来る実戦即応技
昔は隣の専修生の稽古でも見たことなかったが、今は練習生にまであっさり見せちゃうのか
もちろん専修生は最後には肘締めで角材へし折って実戦力示してたけど 肘締め俺の時代は崩し技抑え技として習ったな。
逆手当身は無いってのが道場の口癖だった。 >>178
>〜ックス
中々に巧みな言辞ですね。
〜ックスと云えば唐突ながら、以下のフェイクヘッドラインが脳裏に閃きました。
Avex with Jm buy Cfd pls Gk Zn o`QR!
和訳:エイベックスがジャマイカ(Jm)と協同で、Cfd(差金決済商品)及びギリシア産の亜鉛を、キューアールコード決済で購入!
・・・さて以上の1文に潜んだ大いなる仕掛けが、お判りになる方はいらっしゃるでしょうか?
東洋人では、否、欧米人でも難しい、というより現実的にはほぼ不可能とされる大技が仕込まれています。
・・・興味のお有りでない方々には失礼しますが、「余人が決して考え付かない物事(技)が、客観的に示せる形で考えられるか」の一環ということでどうかご寛恕をば。
>>183
少なくとも、振り回す技ではないでしょうね。
密着するだけにか一本捕り以上に初学では、ヒネりたい反応が出てしまう。。
>>184
富木門、延いては武徳門が内在しているとは思われます。
>>185
昭和の時代はプロレスブームも相俟ったのでしょうか、サブミットさせる方向性の門派や個人が目立ったものです。
私どもとは逆技ならぬ真逆技でした。。 この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この度、和歌山県の新・田辺市立武道館に、田辺市出身の武道家で合気道の開祖として知られる
植芝盛平の記念館が併設されるとの事で、
本来ならお祝いを述べるべき所ではあるが、私は敢えて異論を差し挟むものである。
一般的に合気は、植芝盛平が創始したと言われているが、本当の所は、
植芝の師匠である大東流合気柔術の武田惣角先生が、明治から昭和の戦時中に掛けて、
全国を巡回指導して普及したものである。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg
大東流合気柔術の入門帳
「英名録」中の植芝盛平の署名捺印
武田大先生に就き、大東流合気柔術 云々 御教授相受候也 と読める この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php この大東流合気柔術独特の合気とは、相手の力を抜く技術の事で、合気之術とも呼ばれるが、
習得が難しく、植芝盛平を始めとした合気道の師範、有段者は一人として体現出来る者は無く、
源流の大東流合気柔術の師範、修行者らが伝えているのみである。
これまで私が大東流合気柔術の稽古を続ける中で、所謂、植芝盛平以降の合気道の各会派の師範、
有段者の相手をした事が数多あるが、これが全くと言って良いくらいに
合気道の技は私に通用しないばかりか、
私の拙い大東流合気柔術の合気之術で尽く叩き付けられ、這々の体で逃げ帰っているのが常である。
異論がある方には、いつでもお相手を致す用意がある。
http://webhiden.jp/guide/detail/post_459.php なぜ、武田惣角先生の大東流合気柔術から離反した植芝盛平の合気道の技は、合気道の内輪の者にしか通用せず、
私には通用しないばかりか、私の拙い大東流合気柔術で尽く叩き付けられるのか?
答えは簡単、合気道はカタチを大東流合気柔術からパクっただけで、
肝心要の合気の技術、即ち合気之術が全く無いからである。
武田惣角先生は、植芝盛平の技を評して、「植芝には若干教えたが、とても人に教える所の話ではなく、
折角、習わんとするに偽の合気では困る。」と仰ったそうである。
合気之術が出来ないのに、合気道を名乗るのは言語道断であり、況してや創始者、
開祖などと言うのは噴飯物であり、大東流合気柔術の人達の間では、
植芝盛平を大法螺吹きだのペテン師だのと言っていたのである。
植芝盛平自身、自分の武道は、古来から伝えられた合気之術とは違うだの、合気は愛なり、
合気は宇宙の中心と一体になる事などと嘯いていたそうだ。
ならば、合気の名称は用いるべきではないのだし、合気道ではなく、愛の道だとか、
カニ風味カマボコのように合気風味道だとか、或いはガンモドキのように、
合気モドキ道だとか、別の名称を用いるべきではないだろうか。
https://youtu.be/_hNPe1Bipcc
https://youtu.be/p_8u7ypDOPQ
https://youtu.be/a6EtwbiLTmI
https://youtu.be/4rHuQiugSks
https://youtu.be/7d7yIfsT0rs >>187
一ヶ条じゃなければなんて言うの?
合気会の一教なら腕押さえだけど いよいよドイツも、12月に発足する次期政権が嗜好大麻を合法化する事で合意しました。
大麻解禁バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!
大麻は世界を救います!
https://hemptoday-japan.net/12158 >>194
肘締めは肘締め
一ヶ条は一ヶ条
腕押さえは腕押さえ
混ぜこぜにやるのは下手くそ 臂絞めな。
大体合ってる。
で画像をばかにしちゃいけない。
古流の有名どころも講座で格闘家にこうだった。 しかし、186の1文を上梓しました矢先に言霊(音霊)についての配信が来ることになりますとは((+_+))
日本語は全部で48文字(48音)、げんそく必ず母音と子音を組み合わせた表字がなされるからこそ出来ることが有る1方。
英語は子音の独立も有り、なのに母音が宿命的に少なく、それが為に・・・といった内容をまさに書きたかったところで。。
※ 例えば子音オンリーは呼吸力になり得るのか、そうした音(霊)の拡がりはどこまで網羅して初めて呼吸力が完成するのかなど、徐々に省察してみたいなと。。
>>198-199
こちらはごくシンプルに腋固めという技でしょうね。
ジョイントロックとして行なうのでしたら、初学でよく仕出かしてしまう誤りとして手の平(受け)を自身へ向けてしまう姿が表れています。
ここは受けの掌を下方へ向けさせるべき場面です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています