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[江戸しぐさ分流]天心流スレ36[裏口柳生?]
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0851名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 17:13:12.91ID:+PNSXaAP0
武術史の調査法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_69.html?spref=tw

現代では書籍の流通やインターネットによる情報公開も昔よりは手軽に行えるようになったため、比較的大規模な流派では各々の伝承を記した書籍を制作したり、ネット上で伝承の一部を公開することがある。

しかし、一般に公開されたそれらの伝承も、結局は師匠から弟子へと口伝によって継承されてきたものがほとんどであり、物的史料を根拠とした情報は全体の割合からするとかなり低い。

武術の伝承とは宗教における神話のようなもので、通常の歴史学のように膨大な物的史料を基に真実へ迫ることはほぼ不可能である。

また、仮に物的史料が見つかったとしても、そもそも史料というものは偽造が可能であり、真贋を見分けることは非常に困難である。

故に、通常の歴史学においても、どれだけ多くの史料に基づいて真実を追求したとしても、それは諸説の1つとしかみなされず、相対的に有力であったとしてもせいぜい「通説」止まりである。

とはいえ、それでも武術史を調査するメリットは確かにあり、数少ない物的史料の発見といった奇跡はもちろん、歴史の通説との照らし合わせやフィールドワークによって、それまで既存の解釈しか無かった伝承に新たな発見を見出だすことが出来る。

各々の流派を学ぶ上で壁にぶつかった際は、そうした伝承の調査によって突破口が開けることもあるかもしれない。
0853名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 17:56:26.88ID:+PNSXaAP0
天心流の居合刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_15.html?spref=tw

天心流兵法に批判的な者達は「同流が使用している模造刀はアルミ刀ではないか」と主張しているようだが、天心流は組居合や組太刀に際して相当激しく刀を打ち合っており、こうした稽古や演武はアルミ刀やジュラルミン刀のような軽量で壊れやすい模造刀では不可能である。

実際、殺陣を行う役者達が「被り」をせずに刃合わせをする際は、模造刀や竹光に掛かる負担を最小限に抑えるために打ち合う寸前で一瞬手を止め、刃同士が触れ合う程度の非常に軽い力で受けや鍔迫り合いを行っているため、派手な動きに比して刀の打ち合い自体に激しい力は掛かっていないのである。

私も芝居の小道具として使われているアルミ刀やジュラルミン刀をいくつか振ったり、実際に組太刀形式で他者と打ち合ったりしてみたが、強く打ち合うと簡単に壊れてしまうばかりか、そもそも激しく振ったり軽く打ち合うだけでも破損してしまうので、役者達がアルミ刀やジュラルミン刀を日頃から慎重に扱う理由がよくわかる。

また、天心流では転柄血振りが多用されるため、刀の接合部から金属音が鳴ることがよくあるが、居合刀は亜鉛合金や真鍮などの比重の重い金属パーツが使用されているため、アルミ刀やジュラルミン刀のような軽い金属パーツが使用されているものと比べて金属音に違いがある。
0854名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 17:56:57.22ID:+PNSXaAP0
天心流の居合刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_15.html?spref=tw
実際に各流派の転柄血振りを比較すると、天心流が通常使用している大刀は他流派でも使われている居合刀と同じであるとわかる。


天心流・ジュラルミン製の三尺刀
https://www.youtube.com/watch?v=eWmkbzImrFQ

天心流・居合刀
https://www.youtube.com/watch?v=d0cPiqnSAdE

天真正伝香取神道流・居合刀
https://www.youtube.com/watch?v=QMuzRXzSW8o
https://www.youtube.com/watch?v=W4QeNbI7srI
https://www.youtube.com/watch?v=wdK2roz4I_s

新陰流判官派・居合刀
https://www.youtube.com/watch?v=JQo4IERQkac
https://www.youtube.com/watch?v=J7a_xt2-8cY

天心流・第10世師家の鍬海先生は、各々に合った居合刀を自ら選ぶよう門人達に推奨しているため、使用されている居合刀の重さは門人によって差異があると思われる。

天心流の稽古では曲がった刀身を直したり、動画をスロー再生すると刀身がたわんだりしている様子も見られるが、これはアルミ含有率の多い比較的軽い刀身によく起こることで、正しく抜刀や受けが出来ていても素材の特性上必然的に起こってしまう現象である。

しかしそれ故に、亜鉛含有率の多い刀身よりも弾性率が低いため、折れにくいという特性もある。

弾性率の高い刀同士で打ち合ってすぐ折れてしまうのでは稽古にならないため、弾性率の低い居合刀は組居合や組太刀の稽古が多い天心流に最適と言えるだろう。
0857名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 18:58:23.91ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)の第5世師家・国富五郎衛門は、未だにその詳細な経歴が明らかとなっていない。

元・国際水月塾武術協会姫路支部(現在は脱退)である古武術保存会「月輪堂」は、かつて国富家の家譜を調査し、五郎衛門の名を見つけることが出来なかったため、その存在を否定した。

しかし、現存する家譜に名前が見つからなかったからといって断言的に存在を否定することは、歴史学的調査における常識に則しても非常にナンセンスである。

実際、五郎衛門の存在を否定した月輪堂は、誤りを認めて自らの主張を撤回し、公式ブログにて以下のように釈明している。
0858名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 18:58:49.50ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

「別に他所から圧力がかかって前回の記事の公開を止めた訳ではありません。
単純にちょっとキツい事を書きすぎたと反省したからです。
振り替えってもやはり私は冷静ではなかった。
人様にあんな風にあれやこれや言えるような立派な人間でもないし、前回の記事は、優しさのない配慮にかけたものだったと、反省したから公開を止めた訳です。
ただ、それだけの理由です。」


そもそも、国富家の家譜の中には何らかの理由で失われたものも多く、現存している家譜だけが歴史上における国富家の家譜の全てでは無い。

従って、失われた家譜の内容を調査しなければ五郎衛門の存在に関する正確な推察は出来ない上、仮に失われた家譜の中に五郎衛門の名が無かったとしても、口伝によってその存在が語られている以上、別の名前を持つ人物が該当する可能性も考慮しなければならない。
0859名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 18:59:24.83ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw


1.「五郎衛門は国富家の者である」
 国富家の男子は、それぞれ多種多様な仮名(かみょう)を持っている。例えば、備中国・都宇郡早島村の国富家は、以下のようにそれぞれの代が異なる仮名を使用していた。

初代 源右衛門
第2代 忠右衛門
第3代 源順
第4代 順庵
第5代 九郎祐(享保9 室間野氏)
第6代 小八郎(安永7 室武槍氏)
第7代 藤九郎(文化7 室片岡氏)
第8代 弁之助(文政6 室田中氏)
第9代 万蔵(天保10 室寺山氏)
第10代 鹿之助(明治9 室武槍氏)
第11代 竹次郎(大正13 室武槍氏)
第12代 小八郎(昭和11 室堀井氏)
第13代 運栄(昭和47 室岡氏)
http://gos.but.jp/kunitomi.htm

 三日月藩の国富家において「忠左衛門」の名を継承出来るのは嫡男だけであったが、同じく天心流の継承者であった弥左衛門や弥五左衛門も、国富家の家譜や武芸流派大事典(錦谷雪・山田忠史 編)などに記載がある。
 また、仮名は1人が複数持つことも可能である。例えば、新陰流の流祖である上泉信綱は、武蔵守と伊勢守という2つの仮名を持ち、文献や伝承によってどちらか一方の名のみ明らかにされているケースがほとんどである。国富家の者も、史料に記載されているもの以外の仮名を名乗ることがあったと推察出来、それが史料に記載されないことも不自然ではない。
 故に、国富家の史料に五郎衛門の名が無かったとしても、それは五郎衛門の存在を否定することにはならない。
0860名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:00:24.33ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

2.「国富弥五左衛門の弟子が『国富』姓を賜った」
 国富弥五左衛門は天心流兵法の第4世師家であり、国富家の家譜にもその名が記載されている人物である。
 弟子が師の姓を名乗ることは他流にも例がある。伊藤派一刀流(忠也派一刀流)の開祖である伊藤忠也は、小野忠明の実子であるため元々小野姓を名乗っていたが、流祖である伊藤(伊東)一刀斎にちなんだ「伊藤」姓を忠明が忠也に与えたことで、以降は伊藤姓を名乗るようになった。また、忠也の筆頭弟子である亀井平右衛門忠雄も、一刀流三祖の「伊藤」姓を継承した他、忠明の甥にして水戸派一刀流の開祖である忠一も、一刀斎にちなんで「伊藤」姓を継承した。
 他にも西国柳生新影流兵法(有地新影流)の開祖である大野松右衛門家信は、柳生但馬守宗厳(石舟斎)の高弟として柳生新陰流を学び、印可を授かる際に「柳生」姓を賜って名乗るようになった。

古武道 西国 柳生新影流兵法(居合剣法)錬心館・沿革
http://www.saigoku-yagyu.com/ennkaku.html

 以上の各例から、他家の者が弥五左衛門の弟子となって「国富」姓を賜ることも、当時の常識から考えてごく自然である。
0861名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:00:48.65ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

3.「五郎衛門は元・石井家の者である」
 これは上記2の説とも関連するもので、石井家の者が弥五左衛門の弟子となり、「国富」姓を賜ったという説である。
 天心流の公式ホームページによると、石井家の祖先である石井新右衛門は徳川幕府の大目付・柳生宗矩配下の組頭となり、役目を解かれて以降も石井家では天心流を伝承し続けたとされている。


天心流兵法の由来
https://tenshinryu.net/?page_id=15

 しかし、当時の石井家が天心流の正式な師範家では無かったとすると、いくら天心流が石井家の家伝であったとしても、天心流の印可を賜るためには師範家の門下へ入る必要がある。故に、当時の石井家の者が弥五左衛門に弟子入りし、天心流の印可と共に「国富」姓を賜ることも自然である。
 五郎衛門が元・石井家の者であれば、弥五左衛門の弟子となって「国富」姓を賜ることで「国富五郎衛門」と名乗ることが可能となり、天心流の正式な師範として「第5世師家」を継承すると同時に、その弟子の石井恒右衛門が第6世師家を継承したことで、以降石井家は天心流の正式な師範家になったと言える。


上記のように五郎衛門の存在を匂わせる証拠は複数あるため、確固たる存在証明ではないにせよ、少なからず五郎衛門の存在を完全否定するような愚行は歴史学的研究法としても筋が通らないだろう。

また、五郎衛門の存在を否定した月輪堂自体が既にその主張を撤回し、誤りを認めている以上、「五郎衛門は存在していない」と断定的に語ることもまた根拠無き誤情報であり、それを世に広めるべきではない。
0863名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:02:15.18ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw


国際水月塾武術協会は襷掛けに関して以下のように主張している。


「普通見られるような口で端をくわえておいて掛ける方法は「女中掛け」、あるいは単に「女掛け」と言って、武士の間では嫌われた。
今、そのような作法が武道においては誤りであることを知る者も少なく、武道人でも平気で女中掛けをしている。
武家には武家の 「男掛け(侍掛け)」 がある。
武道において身につけるものを口にくわえるなどの無作法は言語道断である。」
https://japanbujut.exblog.jp/29186745/


しかし、過去の記事や写真を見ると、国際水月塾武術協会の演武者も「女中掛け」をしており、「女中掛けは武道における誤った作法である」という国際水月塾武術協会の主張そのものが誤りであることがわかる。


襷を「女中掛け」する国際水月塾武術協会の演武者
https://japanbujut.exblog.jp/27288220/
https://japanbujut.exblog.jp/29431527/
https://japanbujut.exblog.jp/29407753/
https://japanbujut.exblog.jp/28752142/
https://japanbujut.exblog.jp/28297131/


このように、国際水月塾武術協会の男性演武者は皆襷を「女中掛け」しており、「男掛け(侍掛け)」などしている者は1人もいないのである。
0864名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:03:05.86ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw

そもそも、国際水月塾武術協会が「女中掛け」と呼ぶ襷の掛け方には「綾襷(あやだすき)」という正式名称があり、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財「腰掛ける巫女」という埴輪にも見られる通り、古代から老若男女を問わず様々な階級の人々が綾襷をしていた。

重要文化財「腰掛ける巫女」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Seated_Woman_Haniwa.JPG

無論、綾襷を「女中掛け」などと呼称しているのは国際水月塾武術協会だけであり、上述の通り綾襷は女中だけが行う作法ではない。

実際、かつての侍達も当たり前のように綾襷をしていたことが当時の絵図にも描かれており、「武士の間で嫌われた作法である」という国際水月塾武術協会の主張は誤りである。

鹿児島暴徒出陣図(1879年)
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Seinansenso_snou.jpg#mw-jump-to-license

種田政明邸襲撃の絵図
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Repression_of_the_Shinpuren_rebellion.jpg#mw-jump-to-license

桜田門外之変図 蓮田市五郎(1860年)
https://www.lib.pref.ibaraki.jp/guide/shiryou/digital_lib/valuable_m/001051355335/Bibliography.html
https://sakamichi.tokyo/?p=6495

故に、心形刀流剣術や戸田派武甲流薙刀術などの古武術各流派においても、綾襷は「武士の作法」として行われている。

心形刀流剣術 【第42回 日本古武道演武大会】
https://www.youtube.com/watch?v=ts4t-Fk4HdA
戸田派武甲流薙刀術の演武
https://www.youtube.com/watch?v=NPR0cF_snbE
0865名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:03:50.92ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw

また、綾襷は端を口にくわえる以外にも様々な掛け方があり、下記URLで紹介されている3種が一般的な作法である。
https://kitsuke-school.jp/basic/722/


その他、天心流兵法(江戸伝天心流)も襷掛けの作法をブログで紹介しており、国際水月塾武術協会が「男掛け(侍掛け)」と呼称している作法についても、「鎧下の襷掛け」として紹介されている。


たすき掛け - 古武術 天心流
http://tenshinryu.blog


何故、国際水月塾武術協会が襷掛けに関する誤った情報を広めているのかは定かではないが、仮にも武術団体であるならば、無根拠な誤った主張は早急に撤回するべきであろう。
0867名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:05:16.67ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)には外物として宝蔵院分流(支流)陰派槍術が併伝されており、素槍術や十文字術、薙刀術が伝承されている。


宝蔵院分流陰派槍術
https://www.youtube.com/watch?v=YJu_s-2sMb4
https://www.youtube.com/watch?v=aP9sxK9rxHk
https://twitter.com/tenshinryu/status/1173972622431813633
https://twitter.com/tenshinryu/status/638378033653542912
https://twitter.com/tenshinryu/status/688098960150429696
https://www.youtube.com/watch?v=PyCGMzyRSBg

天心流の伝承によると、宝蔵院分流陰派槍術は柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法であるとされる。


第10世師家の鍬海先生は宝蔵院分流陰派槍術について、「時沢弥兵衛が柳生宗矩から学んだ槍術を宝蔵院流に仮託して名付けたか、あるいはさらに後世の仮託の可能性もある」と推察されており、確かに流派名には「分流」や「支流」という言葉が入っていることから、「宝蔵院流そのものではなく、あくまで宝蔵院流から派生した『陰派』槍術である」というニュアンスが読み取れる。


実際、宝蔵院分流陰派槍術はそれ自体が1つの流派として伝承されている訳ではなく、あくまで「天心流の外物」として内伝されており、宝蔵院流そのものとは明確に区別されている。

とはいえ、「宝蔵院分流」という修飾語が付いている以上、天心流の外物としての陰派槍術が技法的に宝蔵院流と全く無関係なはずは無い。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0868名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:05:46.19ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。
そもそも宝蔵院流槍術は天文22(1553)年、成田大膳太夫盛忠から二箇の奥儀を授けられた宝蔵院覚禅房法印胤栄によって創始された。
さらに胤栄は、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守秀綱(上泉信綱)から刀術を学び、宝蔵院流槍術を大成させた。

宝蔵院流槍術の歴史
https://hozoin.jp/rekishi.htm

「正伝新陰流」によると、上泉伊勢守が宝蔵院を訪ね、胤栄と宗厳に出会って双方を下したのは永禄6年(1563年)のことであるとされている。
つまり、胤栄が上泉伊勢守や宗厳と出会った頃は、まだ宝蔵院流も創始から10年ほどしか経っておらず、現在まで伝承されている同流と比べて技法体系も完成されていなかったと考えられる。
そのため、宗厳が胤栄との交流で得られたものも基本的な槍法に留まり、現在の宝蔵院流ほど技法体系が確立された槍術を身につけることは出来なかったのだろう。
しかし、新陰流の影響を受け、同系統の槍術を継承しているという点では、天心流と宝蔵院流は同じ状況に置かれている。
にもかかわらず、何故双方の流派はこれほどまでに技法体系が異なってしまったのであろうか。
その理由は、両流派における武術観の相違が関係している。
宝蔵院流は新陰流の影響を大きく受けているとはいえ、あくまで槍術を表芸とする流派である。
そのため、宝蔵院流は徹底的に槍術の完成度を高めることに成功した。
一方、天心流は抜刀術と剣術を表芸とする流派であり、槍術はあくまで「外物」である。
天心流は抜刀術と剣術の開発に時間と労力を注ぐことが出来た一方で、宝蔵院流ほど槍術の技法体系を発展させることが出来なかった。
故に、天心流が外物として併伝する宝蔵院分流陰派槍術は、ごく基礎的な槍法のみに留まってしまったのである。
0869名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:06:22.39ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

しかし、上記において町井先生は、槍術流派の創始時期と各時代における槍の構造変化の関連性について、いくつか誤った認識を持っている。

そもそも、室町時代というのは戦で槍が使われ始めたばかりの時期であり、町井先生のおっしゃる通りこの時期の槍は非常に脆く、実戦に即した造りとなっていなかった。

というのも、室町時代において槍は「低コストで大量生産出来る足軽用の兵装」という立ち位置にあり、戦に耐え得る頑丈性など無視した粗悪な造りのものばかりであった。

一方、現在まで伝承されている槍術流派は室町時代後期以降に創始されたものばかりであり、武士(侍)の間でも槍が一般的な兵装となり、改良されて頑丈な造りとなった槍の扱いを前提として技法が編み出されていることは明白である。

従って、槍を大きく振り回す動きは少しもおかしなことではなく、むしろ頑丈な槍の特性を活かして攻撃と防御を同時に行うことが出来る非常に実戦的な技法である。

実際、槍を大きく振り回す技法というのは比較的多くの槍術流派に見られる。

宝蔵院流や佐分利流をはじめとした各流派が、槍を振り回して相手を斬りつけたり、互いに柄で叩きつけるように打ち合ったり、脚を払ったりする技法を演武で多く披露している理由は、上述の通り室町時代後期以降に武士が使用していた頑丈な「持槍」を扱うことを元来想定しているためである。


宝蔵院流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=lMhw-FMWW_A
佐分利流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=eqWmEx6Jl5M
0870名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:06:49.69ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

故に、室町時代前期に作られた粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を基準として、室町時代後期以降に創始された槍術流派の技法を「力技に変化した」と批判する町井先生の主張は、完全に的外れである。

何故なら前述の通り、そもそも宝蔵院流や佐分利流をはじめとした槍術流派の技法は、創始時期である室町時代後期以降に“武士(侍)”が使用していた頑丈な造りの「持槍」を扱うことを想定しており、町井先生が所持されているような粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を扱うことは想定していないからである。

室町時代後期以降に一般的だった槍の多くは、挿し込み式によって柄と槍頭が接合されており、柄から穂が斬り落とされないようにするために刃:茎の比率が1:2〜1:3となるよう長く作られている。

また、柄自体もよくしなるため、人間1人の力で振り回して相手に叩きつける程度では容易に折れない。

特に、柄と槍頭の接合部というのは通常かなり頑丈に作られているものなので、よっぽど粗悪な槍で無い限り常人の力で折ることは不可能である。

ただし、接合部が劣化していると、町井先生が体験されたように太刀打を握って持ち上げる程度の力でも折れることがあるだろう。

薙刀や長巻も同様に、足軽用のものは低コストで大量生産するために粗悪で耐久性が無く、ちょっとした衝撃ですぐに折れてしまうものが多いが、武士が使っていたものは職人が一つ一つ丁寧に製作しているため、大きく振り回して敵に叩き付けたところでそう簡単に折れはしない。

これも、現代まで伝承が続いている薙刀術や長巻術の各流派を見れば一目瞭然である。

上述のような正しい歴史認識と現実を踏まえ、町井先生は自らの誤りに気づき、その主張を撤回するべきだろう。
0871名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:07:07.01ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

とはいえ、町井先生が粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定して修業すること自体は、修心流の槍術としてその個性を認めるべきである。

何故なら、実戦では必ずしも武士用の頑丈な長柄武器を調達出来るとは限らず、やむを得ず足軽用の粗悪で耐久性の無い長柄武器を使って戦わざるを得ない状況も想定出来るからである。

しかし、粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定することが修心流の思想であったとしても、その思想は他流派では通用しない。

これは一人前の武術家であれば誰もが知っている常識であり、武術界隈に身を置く限りは必ず守らなければならない礼節でもある。

自流を極めることは大変結構なことだが、どうか町井先生には一人前の武術家としての常識と礼節を守っていただきたい。
0873名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:08:09.21ID:+PNSXaAP0
「士林団」と天心流の伝承
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_93.html?spref=tw

「士林団」という名称は、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の名称であり、天心流独自の用語である。

天心流の伝承では、「士林団」の他にも「士林組」及び「光願」という呼称も使われており、全て天心流が「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す際に使用する便宜上の名称である。

これら3種の名称は、大目付配下の家臣団の一部を指すにあたって非公式に名付けられた通称であり、江戸時代当時の正式名称ではない。

歴史学において、本来正式名称が存在しない事物に便宜上の呼称を名付け、歴史用語として使用することは珍しいことではなく、むしろ当たり前に行われている慣習である。

例えば、江戸時代に大名が支配する領域を指す「藩」という歴史用語は、当時の江戸幕府における公的な制度名ではなかった。

「藩」という呼称は、新井白石の「藩翰譜」や「徳川実紀」など元禄年間以降のごく一部の史料に散見される程度であり、公称として一般に広く使用されるようになったのは明治時代以降のことである。

また、織田信長の正室は「濃姫」という呼称で一般に知られているが、この「濃姫」という呼称も戦国時代〜安土桃山時代当時の正式な本名ではない。

濃姫の正式な本名は現在でも不明であり、文献によって「帰蝶」や「胡蝶」などの様々な便宜上の名称が使用されている。

これらの名前は全て後世に付けられたものであり、濃姫の正式な本名はどの文献にも存在していない。

他にも、戊辰戦争における倒幕派の官軍が、後に歴史用語として「新政府軍」と称されたことも同様の事例である。

こうした歴史用語の事例を鑑みれば、「士林団」という名前も歴代の天心流師家の誰かによって後付けされたものであると考えられ、他の史料などにその名が登場しないのは至極当然である。
0874名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:08:36.81ID:+PNSXaAP0
「士林団」と天心流の伝承
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_93.html?spref=tw

実際、天心流のホームページには「天心流は士林(武士の繋がり)にて用いられる上士(城士)の剣である」と記載されており、ブログにも「天心流は時沢弥兵衛が柳生宗矩の元で、徳川の世を蔭(陰)で支えるために編み出した流儀である」と記載されていることから、天心流の歴代継承者達も「士林団」という名称をあくまで流派独自の用語として使用しており、江戸幕府で公式に使われていた正式名称ではないこと示している。


天心流兵法の由来
https://tenshinryu.net/?page_id=15

裏柳生について - 古武術 天心流
http://tenshinryu.blog


ちなみに、「士林」という言葉自体は江戸時代から使われている一般名詞であり、延享4年(1747年)に作成された尾張藩士達の系図資料「士林泝」にもその言葉が使われている通り、当時の日本では常識的に使われていた言葉である。

既に一部の武術家や歴史研究家から指摘がある通り、「士林団」、「士林組」及び「光願」という組織名は江戸時代の史料に記載が見られず、当時の江戸幕府で公式に使われていた正式名称ではないと結論付けることが出来る。

しかし、実際に歴代の天心流師家が伝書に記載するにあたって、事あるごとに「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」と書くのは非常にくどい。

そのくどさは、既に本記事においても幾度となく「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」と書かれていることからも明らかである。

とはいえ、「大目付配下の家臣団」と書いては、大目付の身辺の世話を担当する家臣や書記などの士林団以外の者たちまで含めてしまい、ましてや「彼ら」のような一般代名詞では、二つ以上の集団が文中に登場した場合にどの集団を指しているのかわからなくなってしまう。

つまり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を簡潔に言い換えるためには、新たに便宜上の名称を作るほかないのである。

そこで生み出された名称が、「士林団」、「士林組」及び「光願」という天心流独自の用語である。
0875名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:09:06.31ID:+PNSXaAP0
「士林団」と天心流の伝承
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_93.html?spref=tw

幸い、これら3種の名称は他の歴史用語としても使われていないために混同されるおそれはなく、歴代の天心流継承者の誰がこれらの用語を最初に使用し始めたのかはわからないが、何とも画期的である。

前述の通り、江戸時代当時にはそもそも士林団に正式名称など存在しなかったのではないかと推察出来る。

というのも、江戸幕府における他の役職配下においても、家臣団の内特定の任務に携わる者達に固有の正式名称を与えている事例はほとんど存在しない。

これは、当時の家臣団が「組」という実働単位に分かれて行動していた慣習が理由と考えられる。

実際、天心流の伝承においても、士林団は5人一組以下の「組」を基本単位としていたとされており、士林団全体を基本単位として実働していた訳ではないことが明らかとなっている。

例外として10人一組で行動し、状況に応じて5人一組の「組」として二手に分かれることもあったとされるが、この場合もあくまで「5人一組×2=10人」と計算すれば5人一組が基本単位であることは明らかであり、いずれにせよ「組」単位で行動するために正式名称など必要無かったことが分かる。

大藏八カ氏の「新彰義隊戦史」(勉誠出版)によると、士林団は伊賀者や甲賀者、旧武田家家臣によって構成され、前述の通り5人一組に組み分かれ、1人を組頭としていた。

そもそも大目付とは、江戸幕府において大名・高家及び朝廷を監視し、これらの謀反から幕府を守る監察官の役職であり、時期によって2〜5名の旗本が任命された。

無論、その職務全てを大目付のみが担当する訳はなく、各大目付の配下には同心や御家人などから成る家臣団が存在しており、大抵の実務は大目付の命令を受けた家臣団達が担っていた。
0876名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:09:25.07ID:+PNSXaAP0
「士林団」と天心流の伝承
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_93.html?spref=tw

そのため、大目付配下の家臣団には「謀反から幕府を守るための諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」が存在し、その者達を天心流は「士林団」という独自の名前で総称しているに過ぎないのである。

故に、「士林団は存在しない」などと安直に主張する者達は、上述のような事実を知らずに「士林団」という名称に囚われ、その名がさも当時の江戸幕府において公式に使われていた正式名称であると誤認しているために、不毛な議論を繰り返しているのである。
0878名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:11:03.37ID:+PNSXaAP0
彰義隊と士林団
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_17.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)の伝承によると、彰義隊には「士林団の子孫」が参加していた。

「士林団の子孫」とは、「士林団の一員だった者を先祖に持つ御家人」のことであり、士林団そのものが彰義隊に参加した訳では無い。

「「士林団」と天心流の伝承」の記事にも書かれている通り、「士林団」とは天心流独自の用語であり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称である。

あくまでも天心流独自の呼称であるため、当然歴史書や史料にはその名が見られないが、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称としては大変便利な用語である。

天心流の伝承によると、士林団は8代将軍・徳川吉宗の頃に解体されており、それまで士林団が担当していた諜報や暗殺の職務は御庭番が引き継いだ。

これは、吉宗の代に大目付の職掌が大きく縮小され、「諸大名の監察」というそれまでの役割から伝令と儀礼のみを担当する名誉職のようなものに変わり、新たな諜報・監察機関として御庭番が設けられた事実と一致しており、歴史学的に見ても正しい伝承であるとわかる。
0879名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:11:38.07ID:+PNSXaAP0
彰義隊と士林団
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_17.html?spref=tw

さらに天心流の伝承によると、士林団の解体後、その構成員達は御家人となったとされている。

士林団解体後の逸話
https://twitter.com/tenshinryu/status/579781550247583744
https://twitter.com/tenshinryu/status/579264871700664320
https://tenshinryu.net/?p=273

御家人とは、知行が1万石未満の徳川将軍家の直参家臣団の内、御目見未満(将軍が直接会わない)の家格に位置付けられた者である。

無論、御家人の先祖達は江戸幕府において様々な職務に従事した者達であり、中には「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者」を先祖に持つ御家人も存在した。

この「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」の子孫こそが、天心流の伝承における「士林団の子孫」である。

彰義隊には様々な出自の御家人達が加入していたため、前述の通り「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を先祖に持つ御家人達も当然存在したと言える。

従って、天心流の伝承通り、彰義隊には「士林団の子孫」が参加していたということになる。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0880名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:12:02.96ID:+PNSXaAP0
彰義隊と士林団
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_17.html?spref=tw

新徴組の研究者である吉野式氏をはじめ、一部の者達は士林団の存在を否定しているが、それは彼らが「士林団」という呼称に囚われ、それが天心流独自の用語であるとも知らずに誤った手法で調査した結果導き出された愚かな間違いである。

上記の通り、「士林団」という呼称があくまで天心流独自の用語であり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称であるという事実を最初から踏まえていれば、このような愚かな間違いは犯さないはずである。

誤った調査手法を根拠に「士林団は存在しない」と結論付ける輩は、まず「士林団」という呼称が天心流独自の用語であり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称であることを理解し、江戸時代前期の大目付が監察機関であった以上、当然その配下たる家臣団の一部には、諜報・伝令・暗殺の任務に従事した者達がいた現実を受け止めるべきであろう。
0882名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:17:22.00ID:+PNSXaAP0
天心流「蠍の尾返」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_18.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)の「蠍の尾返 (さそりのおがえし)」は、古伝の坐法(居合抜刀術)に属する形であり、「小尻打ち」とも呼ばれる。


蠍の尾返(小尻打ち)
https://twitter.com/tenshinryu/status/920619172786085888
https://www.youtube.com/watch?v=CeI7FwPI5lc
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0883名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:19:49.11ID:+PNSXaAP0
天心流「蠍の尾返」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_18.html?spref=tw


「蠍の尾返」という別名について、一部の者達は「サソリは日本に生息していないのだから、江戸時代の日本人がサソリの存在を知るはずがない」と主張しているが、それは江戸時代の日本における博物学の実態を理解していない者達の妄言である。

確かに、サソリは本来日本本土に生息していない生き物であり、江戸時代にも稀に船来の個体が発見される程度であったので、当時の日本人の多くはサソリの実物を目にする機会がほぼなかったと思われる。

しかし、「和漢三才図会」(1712)をはじめとした同時代の刊行物には、サソリの形態や生態が絵図と共に記載されているものが多く、虎や獅子のように「実物は見たことがないが、文化的知識として姿形や生態を聞いたことがある」という日本人は多かった。

例えば、幕府の医官であり本草学者の栗本丹洲(1759-1834)が1811年に制作した虫類図譜「千蟲譜(栗氏千虫譜)」には、サソリの図説が詳細に記されている。

丹州は自らが捕獲・飼育をした生物を観察して図譜を制作したため、千蟲譜に描かれているサソリの絵図も実物を元にして詳細に描写されている。


波賀野 文子「江戸末期の博物図譜における水族表現 ―奥倉魚仙の描画法と博物画家たち―」京都精華大学
https://www.kyoto-seika.ac.jp/about/research/kt5ohn000000kaso-att/kt5ohn000000kbdw.pdf

栗氏千虫譜
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287372

その他、サソリが描かれた史料
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asjaa1936/8/3/8_3_58/_pdf
0884名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:20:09.34ID:+PNSXaAP0
天心流「蠍の尾返」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_18.html?spref=tw


実際、日本では古くから嫌われ者の例えに「蛇蝎(だかつ=ヘビとサソリ)」という言葉があり、はるか昔から猛毒生物としてサソリは日本人の間でも知られていた。


蠍/虫の雑学 公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会
https://www.jataff.or.jp/konchu/mushi/mushi85.htm


また、江戸時代末期に作られたサソリ型の錠も見つかっており、当時の日本人の間でもサソリは広く知られていた生物であったとわかる。


世界中のカギ、民家から大量に 江戸時代のお宝だった
https://www.asahi.com/articles/ASNBN76P5NBDOIPE02Y.html


その他、江戸時代には孔雀茶屋や花鳥茶屋などの珍しい動物を一般に展示公開する施設もあったため、そこでサソリの実物を見ることも可能であっただろう。

このように、江戸時代の日本においてもサソリは一般的に知られていたため、「小尻打ち」の別名として「蠍の尾返」という名が天心流に伝わっていることに何もおかしな点は存在しない。
0886名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:21:17.06ID:+PNSXaAP0
天心流「虹の太刀架け」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_92.html?spref=tw

「虹の太刀架け」は天心流の抜刀術に属する形であり、「肘捻太刀」とも呼ばれる。

Youtubeの動画などにおいては「虹の橋掛け」という表記も見られる。


虹の太刀架け(肘捻太刀)
https://www.youtube.com/shorts/NhdgAyUpBgg

虹の橋架け
https://www.youtube.com/watch?v=vEFdvocFfQY

「虹の太刀架け」という別名に関しては、「虹は昔の日本において不吉な象徴であり、形の名称として使用するのは有り得ない」という主張もあるようだが、そもそも昔の日本において虹は吉凶両方の象徴であったため、必ずしも不吉という訳ではない。

実際、中世の日本では虹の見える所に市場を立てていた他、虹が確認された際は陰陽道の天文博士にそれが吉凶どちらの予兆か占わせた。

故に、昔の日本において確かに虹は凶兆の象徴でもあったが、同時に吉兆の象徴でもあり、当時の常識と照らし合わせても形の名称として使うにあたって不自然なことは無い。
0888名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:22:58.62ID:+PNSXaAP0
天心流の形と演武
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_97.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)は非常に多くの形を伝承しており、抜刀術と剣術を表芸としている。


天心流の坐法(居合抜刀術)の目録
https://twitter.com/tenshinryu/status/545867536013590528


天心流における大刀の常寸は二尺二寸であり、これは室内の戦闘を想定した長さであるとされている。


大刀の長さとその理由
https://www.youtube.com/watch?v=ZlLPU11Mtxo


短い刀を使用することで、狭い室内や極度に敵と接近した状態でもコンパクトな体捌きで抜刀出来るのである。

また、天心流の抜刀術は形の1つひとつに明(前)、暗(後ろ)、陰(右)、陽(左)などのバリエーションが含まれており、体捌きと抜刀方向によって形の動きが変化する。


間外 暗の陽の陽
https://www.youtube.com/watch?v=C1km29w286A


こうした形の数々を天心流は演武で披露しており、靖国神社の例大祭などにおいても奉納演武が行われている。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0889名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:23:17.98ID:+PNSXaAP0
天心流の形と演武
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_97.html?spref=tw

また、天心流は特に一般向けのイベントなどで演武する際、形を崩して派手な動きを多く取り入れ、よりエンターテイメント性のある演武を披露する傾向にある。

実際、狐宵祭(平成26年11月30日)における天心流の演武の動画には、概要欄に以下の記載がある。


今回の演武は奉納でなく、またコンセプトイベントに於ける剣舞というテーマのため、勢法(型)をかなり崩しております。
(特に抜刀、組太刀において)
https://www.youtube.com/watch?v=MDeIWsNelGQ


その他、天心流の形は納刀法が定められているか否かで分類することも出来る。

納刀法が定められていない形については、各々が任意の納刀法を選択することが出来、エンターテイメント性の高いカジュアルな演武の場では回転納刀が使用されることもある。

同じ天心流の演武であっても、各イベントにおけるフォーマルとカジュアルの違いを見比べると、より魅力が感じられるだろう。
0891名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:24:21.31ID:+PNSXaAP0
天心流「蛸の壷抜け」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_19.html?spref=tw

「蛸の壷抜け」は天心流における秘太刀(隠太刀)であり、無刀取に対する返し技である。

蛸の壷抜け(諱名:根腐太刀)
https://twitter.com/tenshinryu/status/840767733172072448

天心流の伝承によると、無刀取りの返し技を開発したのは柳生宗矩である。

加えて天心流の技法は、宗矩が編み出した江戸柳生新陰流を元に流祖・時沢弥兵衛が整理・再編したものであるため、無刀取りの返し技は弥兵衛を含めた歴代継承者によって徐々にブラッシュアップされ、今日に至っていると考えられる。

何故、無刀取りの返し技を考案する必要があったのか。

その理由は無論、柳生新陰流が仮想敵だからである。

例として、同じく新陰流から派生したタイ捨流の流祖である丸目蔵人は、柳生新陰流や示現流に如何にして勝つかを工夫したと言われている。

タイ捨流剣術とは
http://taisharyu-kenzhutsu.net/about-taisharyu-kenjutsu

つまり、例え新陰流系だとしても、袂を分かった時点で同じ新陰流系の他流派は仮想敵であるため、柳生新陰流の奥義である無刀取りに対抗する技が開発されたとしても不思議ではない。

新陰流から袂を分かって天心流が創始されたことで、仮想敵となった柳生新陰流の無刀取りに対抗する技法を編み出す必要性が出たのである。

とはいえ、江戸柳生新陰流は徳川幕府の御流儀でもあるので、同じ幕府方の流派である天心流が江戸柳生新陰流の修業者と対戦する可能性は低いと考える者もいるだろう。

しかし、当時は既に江戸柳生新陰流も広く一般に普及していたため、幕府に仇なす者達でも江戸柳生新陰流を修業することは出来た上、修業段階が進めば当然無刀取りの習得も可能であった。

そういった江戸柳生新陰流に熟達した敵を相手にする際に、天心流は無刀取りの返し技を有効に活用出来るのである。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
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2022/12/20(火) 19:25:25.01ID:+PNSXaAP0
天心流と回転納刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_63.html?spref=tw

2020年6月2日、lornplum(@lornplum)先生は天心流兵法(江戸伝天心流)が公開した動画について、「回転納刀は自身が天心流に教えたものであり、解説に誤りがある」と指摘された。


lornplum先生の指摘
https://twitter.com/lornplum/status/1267774636097277952


しかし、天心流が動画内で「回転納刀」と呼んで解説していたものは、元来天心流に伝わっている「廻剣納刀」という納刀法であり、lornplum先生の回転納刀に似てはいるが別物である。

そもそも、天心流が初めて廻剣納刀の動画を公開したのは2016年7月14日のことであり、動画概要欄には以下のような説明が記載されている。


「柳亭風枝師匠が得意とする、刀の回転です。
余技というか遊びの範疇ですが、手の内を作り、手指を鍛えるのに良い稽古法です。
女性の場合は、人差し指と中指の二指で挟むと良いです。」
https://www.youtube.com/watch?v=ThfpbZc2f-0

一方、天心流がlornplum先生から回転納刀を教わったのは2016年11月27日のことであり、天心流が廻剣納刀の動画を公開してから4ヶ月後のことである。


lornplum先生から回転納刀を教わる天心流
https://twitter.com/tenshinryu/status/803035376772222976

武士コン8(2016年11月27日)
https://www.youtube.com/watch?v=y0o7d2E5wds
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0894名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:25:48.83ID:+PNSXaAP0
天心流と回転納刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_63.html?spref=tw

「回転納刀」という名称は元々、lornplum 先生が2010年に動画を公開するにあたって作った造語であるが、技法そのものは同先生によるオリジナルではなく、殺陣界隈で古くから広まっていた納刀法である。

例として、1978年公開の映画「雲霧仁左衛門」(英題『Bandits vs. Samurai Squadron』)にも回転納刀が登場している。


仲代達矢主演・「雲霧仁左衛門」の戦闘シーン
https://www.youtube.com/watch?v=kb9iuQ_ez0E

lornplum先生自身も回転納刀が古くから存在していることや、自身が名付けた「回転納刀」という名称が一般に広まっていることについては認識されている。


lornplum先生のツイート
https://twitter.com/lornplum/status/1323916914398146561


しかし現在、この「回転納刀」という名称は一般に広がり過ぎてしまい、lornplum先生が名付け親であることを知らない者が多いばかりか、刀や体を回転させて納刀する技法であれば全て「回転納刀」と呼ばれてしまうなど、言葉の意味が極端に広がってしまっている。

実際、YouTubeやツイッターなどで「回転納刀」と検索すると、各々が多種多様な技法を披露していることがわかる。


様々な「回転納刀」の例
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E7%B4%8D%E5%88%80
https://twitter.com/search?q=%E5%9B%9E%E8%BB%A2%E7%B4%8D%E5%88%80&src=typed_query
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0895名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:26:14.53ID:+PNSXaAP0
天心流と回転納刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_63.html?spref=tw

故に、天心流も廻剣納刀をより広く一般に発信し、門外漢にも分かりやすく説明するために、最も一般的な表現である「回転納刀」という名称に言い換えてしまったと考えられる。

実際、天心流が2016年7月14日に公開した廻剣納刀の動画タイトルにも、「刀の回転・回転納刀」と書かれており、流派独自の名称である「廻剣納刀」よりも、当時から既に一般化していた「回転納刀」という呼称の方が門外漢にもわかりやすく、動画をより広く発信する意図があったと考えられる。

また、先生が指摘した天心流の動画内においても、回転納刀によく似た技法に関する流派独自の正式名称は「廻剣納刀」であると公表されており、以降も天心流はこの名称で同技法を紹介している。

lornplum先生が指摘された天心流の動画
https://www.youtube.com/watch?v=iYTmtFBJZSs

廻剣納刀
https://twitter.com/kuwamimasakumo/status/1320597970199302149

現在、天心流が公開している廻剣納刀は、以下の4種類が存在する。

1. 逆手に柄を握り、刀を回転させる納刀法
2. 人差し指と中指で柄を挟み、逆手で柄を持ち替えながら刀を半回転させる納刀法
3. 順手持ちから刀を回転させ、途中で人差し指と中指で柄を挟みながら、逆手で柄を持ち替える納刀法
4. 順手持ちから刀を回転させ、そのまま刀を納める納刀法

上記の内、lornplum先生の回転納刀に似ているものは3.の納刀法であるが、前述の通りあくまで天心流に元来伝わっている作法であるため、lornplum先生の回転納刀とは少しやり方が違い、解説が異なることも当然である。

とはいえ、鍬海先生はlornplum先生と旧知の仲であるため、「回転納刀」という名称はlornplum先生が名付け親であると知っていた可能性もある。

その点においては、「廻剣納刀」という天心流独自の名称を一般にもわかりやすく言い換えるためとはいえ、安易に「回転納刀」という名称を使用してしまったことは混乱の元であったと言える。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0897名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:27:05.37ID:+PNSXaAP0
士林団と葵文(三つ葉葵)
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_36.html?spref=tw

「「士林団」と天心流の伝承」の記事にも書かれている通り、「士林団」とは天心流兵法(江戸伝天心流)独自の用語であり、「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣団の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」を指す便宜上の呼称である。


天心流の伝承によると、士林団は任務に際して葵文を使用していた。

葵文は徳川家の家紋であり、享保8年(1723年)に無断使用が禁止された。

しかし、本多家や鳥取池田家のように幕府から許可を得て使用している一族も存在した他、江戸初期においては御用商人の長持などの道具に描かれていた。

そして、士林団は前述の通り「江戸幕府(徳川幕府)における大目付配下の家臣の内、諜報・伝令・暗殺を任務とする者達」であるため、幕臣の公務にあたっては葵文の使用が許されていた。

ただし、あくまで許されるのは組として行動する公務中のみであり、非番時は許されなかったと推測される。

現代日本で例えるなら、警察官が公務中のみ拳銃を携帯出来ることと同じである。

現代においては、例え日本の警察官としての身分にある者でも、非番時に拳銃を携帯することは許されない。

江戸時代における葵文の使用はそれだけ慎重であったが、いずれにせよ現代における葵文の扱いは他の家紋と変わらず、使用にあたって特別な法令も存在しないため、徳川家や本多家などから苦言を呈されない限りで自由に使用することは問題無いのではなかろうか。
0899名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:27:58.26ID:+PNSXaAP0
天心流「滝流」と柳生制剛流「瀧流」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/01/blog-post_24.html

天心流の滝流(たきながし)は、柳生宗厳(石舟斎)の弟である柳生重厳(松吟庵)が考案したとされている技で、柳生制剛流(及び新陰流居合)では「瀧流」として伝えられている形である。

元々、制剛流には瀧流という技は存在しなかった。しかし、制剛流に柳生新陰流の理合いを加えて再編成された柳生制剛流には、截合の1本目として瀧流が追加され、新陰流居合にも瀧流は継承された。

制剛流居合の伝書
https://twitter.com/6858ichikawa/status/957587260198678528

柳生制剛流抜刀術の相伝書
https://www.youtube.com/watch?v=rb1rGCrvPOs


そして、同じく柳生新陰流の影響を受けた天心流にもこの形が見られることから、滝流及び瀧流は伝承通り柳生家によって生み出された技であるといえる。


どちらの形も、正座している時に頭上から斬りかかってきた敵に対し、右膝を引いて抜刀しながら切っ先を突き上げ、続けて斬りつけるという基本的な術理は完全に一致している。
細かな動きについては両流派に違いがあるものの、同じ流派であっても伝系によって若干動きが違うことはよくあるので、基本的な術理が一致している時点で同じ技であることに間違いはないだろう。

天心流の滝流
https://twitter.com/tenshinryu/status/974080248349212672

新陰流居合の瀧流
https://www.facebook.com/shinkageryuheihou/videos/%E7%80%A7%E6%B5%81/704233053052451/
https://www.youtube.com/watch?v=QcJbvYSyVPg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0901名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:28:53.32ID:+PNSXaAP0
天心流「神無突」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/06/blog-post_12.html

天心流兵法の「神無突 (かんなづき)」は、立合抜刀術に属する形である。

この形は、最終的に左手を刀の棟に添えて敵の小手を押し切る体勢となるため、右に腰を切りながら抜刀した方が余計な動きも少なく、より速く敵を斬りつけられて良いように思われるかもしれない。

しかし、それでもあえて腰を左に切りながら抜刀する理由が実はある。

左腰を後ろへ捌いて抜刀し、切先を上に向けて刀を垂直に立てる。これは刀の陰に自分の身を隠し、相手の攻撃から自分を守る意味合いがあるため、まずはこの姿勢を作ることが重要となる。

ただ単に速く抜刀して先手を打てば良いのではなく、敵から先に攻撃された状況も想定していることに、この形の真意がある。

刀を立てた後は左腰を前へ送り、左足を一歩前に踏み出しながら左手を棟に添え、相手の小手を斬る。左腰を前へ送る際は、右足に重心が移っていると良い。

神無突に関する詳細は、下記の動画で鍬海先生が解説してくださっている。

3.21(日)TENSHINRYU VD
https://www.youtube.com/watch?v=_Gu3YkANPZ0
0902名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:29:13.96ID:+PNSXaAP0
【天心流のアンチがこのスレを便所の落書きと認めた瞬間】

>>202
>便所の落書きで何様になったつもりですか?
>何をイキってるんですか?

このスレの内容は便所の落書き、つまりこのスレのテンプレも便所の落書きと認めてしまった天心流のアンチはバカ丸出しだよね。
事実を事実のみ淡々と指摘していけばいいのにどんどんこのスレの内容を自分で胡散臭くしていくんだもんな。
0904名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:30:32.43ID:+PNSXaAP0
天心流「尖先返」と「氷柱外」
https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/06/blog-post.html

天心流兵法の「尖先返(きっさきがえし)」と「氷柱外(つららはずし)」は、どちらも立合抜刀術に属する形である。この2つはどちらも右腰の捌きによって抜刀するという共通点があり、切先で相手を突くという点でもよく似た技だが想定状況が違う。
切先返しは、左右や背後にある程度空間がある状況下で、かつ正面の相手と比較的近い間合いにあることを想定する。そのため、相手が柄に手を掛けた瞬間に抜刀し、切先で相手を突く。
一方、氷柱外しは障子越しや襖の隙間から切先で相手を突く暗殺用の技であり、左右や背後にもほとんど空間がない状況を想定する。そのため、切先返しのように柄頭を右に向けて抜くことは出来ないので、切先を垂らすように抜刀する。この刀の様子が氷柱のように見えるため、「氷柱外し」という名称が付けられている。
おそらくこの2つの技は、元は同じ形だったのではないかと考えられる。どちらの技からもう一方の技が派生したのかは不明だが、同じ体の使い方で様々な状況に対応出来るよう工夫されている点に、先人達が編み出した実戦的な知恵が隠されているといえるだろう。
尖先返と氷柱外しの違いに関する詳細は、下記の動画で鍬海先生が解説してくださっている。
3.8(月)川越支部代替オンライン稽古!!
https://www.youtube.com/watch?v=1pIO4pkp19w
0905名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:31:01.18ID:+PNSXaAP0
【川村氏所有の伝書の内容と天心流の伝承技は一致している】

720 名無しさん@一本勝ち sage 2021/01/28(木) 10:30:52.07 ID:e0gT7B7S0
あれ、川村氏所有の伝書と内容が一致してないって鍬海氏が言ってたんじゃなかったっけ?
川村氏が伝書公開しないから今更設定変えたの? 

733 名無しさん@一本勝ち 2021/01/28(木) 11:03:11.35 ID:/EVhQLBy0
伝書の内容が一致してないとは言ってない。正確には「途中まで国富家が継承している」とあくまで伝系のみが一致してないことと、川村氏の伝書が巻物であるのに対して、焼失した伝書は和綴じの口伝書だったという形態の違いに言及してるだけ
fc2のリンクは何故か書き込みないからソースは自分で探せ
ちなみに「技名が一致しない」というのは、三日月藩の天心流から派生した當用流の伝書の話。當用流は天心流そのものではないのだから技名が一致しないのは当たり前

735 名無しさん@一本勝ち 2021/01/28(木) 11:11:11.13 ID:/EVhQLBy0
伝書と型の比較研究によって技が完全一致してることは既に川村氏も鍬海氏も確認済みだし、俺も自分で確認した。
鍬海氏が伝書との一致について言及しないのは、伝書の写真やコピーを公開出来ないから。これは川村氏との約束だからしょうがない。
ただ川村氏に頼めば誰でも見せてもらえる。だから武クラに行って自分で確認して川村氏と鍬海氏にも話を聞けば済む話
それをしないからアンチはダメなんだよ
0906名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:31:23.21ID:+PNSXaAP0
new!【天心流と新陰流居合とに一致している術理について】

天心流の滝流(たきながし)は、柳生宗厳(石舟斎)の弟である柳生重厳(松吟庵)が考案したとされている技で、柳生制剛流(及び新陰流居合)では「瀧流」として伝えられている形である。

元々、制剛流には瀧流という技は存在しなかった。しかし、制剛流に柳生新陰流の理合いを加えて再編成された柳生制剛流には、截合の1本目として瀧流が追加され、新陰流居合にも瀧流は継承された。

制剛流居合の伝書
https://twitter.com/...s/957587260198678528

柳生制剛流抜刀術の相伝書
https://www.youtube..../watch?v=rb1rGCrvPOs
そして、同じく柳生新陰流の影響を受けた天心流にもこの形が見られることから、滝流及び瀧流は伝承通り柳生家によって生み出された技であるといえる。
どちらの形も、正座している時に頭上から斬りかかってきた敵に対し、右膝を引いて抜刀しながら切っ先を突き上げ、続けて斬りつけるという基本的な術理は完全に一致している。
細かな動きについては両流派に違いがあるものの、同じ流派であっても伝系によって若干動きが違うことはよくあるので、基本的な術理が一致している時点で同じ技であることに間違いはないだろう。

天心流の滝流
https://twitter.com/...s/974080248349212672

新陰流居合の瀧流
https://www.facebook...%81/704233053052451/
https://www.youtube..../watch?v=QcJbvYSyVPg

https://nandemokousa...01/blog-post_24.html
0907名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:33:12.14ID:+PNSXaAP0
new !【天心流が招待演武団体として武徳会に招かれていた事実】

※天心流は武徳会に加盟していないので直接的な繋がりはないとの回答>>24は当然の事でありアンチの印象操作以外に何の意味もありません。
 https://nandemokousa...g-post.html?spref=tw

近年、一般社団法人・大日本武徳会は、毎年開催している「全国武徳祭」に外部の武道・武術団体を「招待演武団体」として招いている。

武道の聖地である京都市・旧武徳殿で演武出来るとあって、招待された演武団体にとっては大変名誉なことであり、マスメディアから注目されることもあるようだ。
https://mainichi.jp/.../ddl/k24/040/249000c

大日本武徳会が外部の武道団体を招待し始めたのは、2018年4月29日に開催された第56回全国武徳祭からである。

具体的にどのような演武団体を招待するかについては、「大日本武徳会会報 2017年10月発行 秋季号」に次のように説明されている。

このような厳しい時期であるからこそ想像力豊かな対策を講じる必要がありますので、来年度の全国武徳祭には、各地から厳選された招待演武者を招聘したいと考えています。その為の適切な調査やリサーチを進めると同時に、全国で活躍されている武道家で、武徳の理念に共鳴される先生方を中心に啓蒙活動をしていきます。
http://butokukai-hon...aihou/pdf/201710.pdf

つまり、全国武徳祭の招待演武団体とは、適切な調査を元に大日本武徳会から「全国で活躍していて、武徳の理念に共鳴する武道家である」と認められた演武者なのである。

2019年04月29日まーこ@harima_mekkai
本日は大日本武徳会様からの招待により、京都武徳殿で演武をさせていただきましたー!!
武徳殿での演武はずっとしてみたかったのでありがたいお誘いでした♪
何名かの先生から「動画見ています。」と声をかけられ、メイドのだったらどうしようとドキドキしましま
retweeted at 23:58:24

4月29日@tenshinryu
本日は歴史ある武徳殿にて天心流の演武を披露させていただきます。
武徳会主催、武徳祭という演武会です。
なお、一般のご見学は出来ません
posted at 12:40:11
0908名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:33:41.65ID:+PNSXaAP0
全国武徳祭の招待演武団体
https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/01/blog-post.html?spref=tw

近年、一般社団法人・大日本武徳会は、毎年開催している「全国武徳祭」に外部の武道・武術団体を「招待演武団体」として招いている。

武道の聖地である京都市・旧武徳殿で演武出来るとあって、招待された演武団体にとっては大変名誉なことであり、マスメディアから注目されることもあるようだ。
https://mainichi.jp/articles/20190628/ddl/k24/040/249000c

大日本武徳会が外部の武道団体を招待し始めたのは、2018年4月29日に開催された第56回全国武徳祭からである。

具体的にどのような演武団体を招待するかについては、「大日本武徳会会報 2017年10月発行 秋季号」に次のように説明されている。


「このような厳しい時期であるからこそ想像力豊かな対策を講じる必要がありますので、来年度の全国武徳祭には、各地から厳選された招待演武者を招聘したいと考えています。その為の適切な調査やリサーチを進めると同時に、全国で活躍されている武道家で、武徳の理念に共鳴される先生方を中心に啓蒙活動をしていきます。」
http://butokukai-honbu.org/kaihou/pdf/201710.pdf


つまり、全国武徳祭の招待演武団体とは、適切な調査を元に大日本武徳会から「全国で活躍していて、武徳の理念に共鳴する武道家である」と認められた演武者なのである。
0909名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:34:05.76ID:+PNSXaAP0
全国武徳祭の招待演武団体
https://nandemokousatu.blogspot.com/2021/01/blog-post.html?spref=tw

なお、2019年4月29日に開催された第57回全国武徳祭には、以下の14団体が招待演武団体として招かれ、演武後はそれぞれの団体に「招待団体特別賞」が授与された。

薬丸自顕流顕彰会(鹿児島県)
宇治居合道研究会 登龍館(京都府)
沖縄剛柔流空手道協会 順栄館 止観道場(滋賀県)
全日本伝統居合道連盟 無双直伝英信流 明心館道場(大阪府)
新陰流兵法 碧燕会(三重県)
西国柳生新影流兵法 錬心館(福岡県)
修心流居合術兵法 修心館(兵庫県)
天心流兵法(東京都)
柳生心眼流體術(栃木県)
大日本敬天社道場 総本部 荒木無人斎流居合道(兵庫県)
柳生新陰流兵法 志道館(岐阜県)
関西大学体育会 古武道部(大阪府)
立命館大学体育会 古武道部(大阪府)
金沢工業大学 正伝長尾流體術(石川県)


大日本武徳会公認 弓刀錬心舘道場
https://www.facebook.com/kyutorenshinkan/photos/%E7%AC%AC57%E5%9B%9E%E5%85%A8%E5%9B%BD%E6%AD%A6%E5%BE%B3%E7%A5%AD%E3%81%AB%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%8914%E5%9B%A3%E4%BD%93%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85%E6%BC%94%E6%AD%A6%E3%81%8C%E6%8A%AB%E9%9C%B2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E8%96%AC%E4%B8%B8%E8%87%AA%E9%A1%95%E6%B5%81%E9%A1%95%E5%BD%B0%E4%BC%9A%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E7%9C%8C-%E5%AE%87%E6%B2%BB%E5%B1%85%E5%90%88%E9%81%93%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A-%E7%99%BB%E9%BE%8D%E9%A4%A8%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C-%E6%B2%96%E7%B8%84%E5%89%9B%E6%9F%94%E6%B5%81%E7%A9%BA%E6%89%8B%E9%81%93%E5%8D%94%E4%BC%9A-%E9%A0%86%E6%A0%84%E9%A4%A8-%E6%AD%A2%E8%A6%B3%E9%81%93%E5%A0%B4/2736558736385896/

大日本武徳会会報 2019年10月発行 秋季号
http://butokukai-honbu.org/kaihou/pdf/201910.pdf
0910名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:34:25.54ID:+PNSXaAP0
このスレをご覧の皆様

天心流のアンチと吉野式氏は、大した証拠もなく天心流の伝承を否定し、デマをばら蒔き、天心流への誹謗中傷を繰り返しています。
一方、天心流は古武術各流派と友好な交流を続けており、彰義隊子孫の会からの公認により上野公園の墓前にて奉納演武を許されているほど、各所から信頼を得ています。
アンチや吉野式氏が流布するデマや誹謗中傷に騙されないでください。
0911名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:34:42.68ID:+PNSXaAP0
このスレをご覧の皆様

アンチは過去に天心流に対し、襲撃予告を行って威力業務妨害を行いました。
アンチと違い、世間の常識をご存知の皆様ならばお分かりかと思いますが、法治国家である現代日本においては威力業務妨害は犯罪です。
つまり、天心流アンチは凶悪な犯罪者集団です。
一方、天心流は単に真っ当な古武術流派として活動しているだけであり、何ら法を犯してはおりません。
凶悪な犯罪者集団たるアンチ達が流派するデマに騙されないでください。
0914名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:36:40.85ID:+PNSXaAP0
天心流兵法(江戸伝天心流)における剣術の正式名称は、「天心一刀流」である。

天心一刀流は、天心流の第6世師家でもある石井恒右衛門師が天心流剣術を再編成し、「浪中刀」をはじめとした独自の工夫を加えて創始された剣術流派である。


古剣法保存普及会
http://tenshinryu.blog
https://twitter.com/tenshinryu/status/753887598989369344


天心一刀流は、綿谷雪氏と山田忠史氏によって著された「武芸流派大事典」においても「四代に中村天心あり」と紹介されており、三日月藩や津山藩の天心流剣術と同様の技や術理が継承されている。



江戸時代後期に岡山藩士の三上元龍によって著された武芸書「撃剣叢談」では、天心流に関して以下のように記述されている。


「撃剣叢談」巻之一
天心流は元柳生流に出づ。宗矩の門人時澤彌平と云者一派を立しと云、彌平門人国富忠左衛門此流を弘む。
此忠左衛門元は備前の産也。後播州福本松平靭負殿に臣たり。今以同家に子孫有り、代々忠左衛門と称す。
此流の表上段受流し、同じく切違、中段腰車、上段外し切、怒切等也。中段にはかたけしなへ、下りしない、丸木橋等のわざ有。相気、気先、ノ相、水月、寒夜霜、心妙劍、來る如くなどといふ伝有り
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0915名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:37:01.34ID:+PNSXaAP0
天心流の剣術・抜刀術と撃剣叢談
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_73.html?spref=tw

上記の通り、撃剣叢談には天心流の技法や思想などがいくつか記されており、その一部は天心流の各SNSにおいても公開されている。


「表上段受流し」は、刀法の「峰流剣」、組太刀の「柳雪剣」、抜刀術の「面陰(傘雪剱)」や「峰落」など、様々な形に分かれて伝承されている。
https://www.youtube.com/watch?v=yZG52wgyjNE
https://twitter.com/tenshinryu/status/714116810870685696

「切違」は相八相から同時に袈裟に切り下ろす過程で刀を返し、鎬峰にて相手の刀を落としながら切り上げる刀法である。
https://www.facebook.com/tenshinryuhyoho/videos/530727120384594/

「丸木橋」は、立合抜刀術の九本目である。一本丸太の吊り橋で2人の敵から挟み撃ちされた状況を想定している。
https://twitter.com/tenshinryu/status/820775596766572544

「水月」とはいわゆる間合いのことであり、元々は新陰流の用語である。
また、天心流において「水月の位」とは、脇構えを指す用語であると同時に刀法の名称でもある。
http://tenshinryuhyoho.blog
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0917名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:38:39.79ID:+PNSXaAP0
天心流と新陰流の共通技法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_95.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)は新陰流から派生した流派であるため、技法や思想に関して共通点が多く存在する。

例えば、「手字種利剣(しゅじしゅりけん)」とは元々新陰流の教えで、相手の気配を察知するためには目付が重要であり、相手の打ち出す太刀筋に対して自分の太刀を十文字に合わせて、相手の攻撃を防ぐことを意味する。

「手字種利剣(しゅじしゅりけん)」は柳生宗矩の「兵法家伝書」にも記載があり、唯一勝つための究極であると述べられている。

天心流の素振りは、新陰流の「輪之太刀」と同様の動きをする。

新陰流における輪之太刀は「魔之太刀」とも通称されるもので、受け流しと切り返しが一体となった刀法である。

駒川改心流やタイ捨流など、新陰流から派生した他流派においても輪之太刀と同様の刀法が基礎鍛錬として伝承されており、天心流と同様に新陰流の術理を技術体系に含んでいる。

駒川改心流
https://www.youtube.com/watch?v=L0nXGIzcZEg

タイ捨流
https://www.youtube.com/watch?v=TBEwFgdtdio

天心流
https://www.youtube.com/shorts/ARd54Hlzv6s
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2022/12/20(火) 19:39:07.20ID:+PNSXaAP0
天心流と新陰流の共通技法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_95.html?spref=tw

天心流の青眼は、黒田藩伝柳生新陰流の青岸や、阿州柳生神影流の青岸と同様の構え方をする。

黒田藩伝柳生新陰流と阿州柳生神影流も天心流と同様に、古伝の江戸柳生新陰流の技法を継承しており、各流派とも腰を低く落とした構え方が特徴である。


黒田藩傳 柳生新陰流 修猷館
https://www.youtube.com/watch?v=LIo3Jq5taoQ

阿州柳生神影流
https://www.youtube.com/watch?v=sGAqK3_V2sM

天心流
https://www.youtube.com/watch?v=uJkaYDPXxvY

また、片眼外しの青眼は新陰流の青岸と同じであり、現在の柳生新陰流においても頻繫に見られる構えである。


天心流 片眼外しの青眼
https://www.youtube.com/watch?v=O2acqpNeN4g

新陰流兵法 転会
https://www.youtube.com/watch?v=OFTXbMcryGs
0919名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:39:29.05ID:+PNSXaAP0
天心流と新陰流の共通技法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_95.html?spref=tw

天心流が抜刀術を表芸としていることについて、「新陰流から派生した流派なら抜刀術など存在するはずがない」と主張する者達も一部いるようだが、実際には黒田藩伝柳生新陰流や神影流、タイ捨流など、新陰流から派生して抜刀術を表芸としている流派は数多く存在する。

黒田藩傅 柳生新影流 荒津会
https://www.youtube.com/watch?v=Mz0Dpmxyf0A

黒田藩傳 柳生新陰流 修猷館 抜刀勢法
https://www.youtube.com/watch?v=NjJJO4KnTkU
https://www.youtube.com/watch?v=5zvqSRqhAiM

神影流
https://www.youtube.com/watch?v=U8icFkYHyJE

タイ捨流
https://www.youtube.com/watch?v=iht4L48Y0G4
0920名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:40:03.36ID:+PNSXaAP0
天心流と新陰流の共通技法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_95.html?spref=tw

新陰流判官派も抜刀術を中心とした流派であり、現在は浅山一伝流宗家でもある関展秀先生を中心として継承が続いている。

新陰流判官派・大刀居合
https://www.youtube.com/watch?v=JQo4IERQkac
https://www.youtube.com/watch?v=J7a_xt2-8cY

小刀居合
https://www.youtube.com/watch?v=-T4_FB4oblY

上記動画内においても「派手で映える技」「殺陣っぽい」と評されており、天心流の技と共通した華やかさがある。

また、新陰流判官派の大刀居合は天心流と同じく転柄血振い(回転血振り)を用いている他、残心時に見られる左掌を柄頭に添えて切先を下げる構えも共通している。

天心流・鐺(小尻)返の残心
https://www.youtube.com/watch?v=Q2n3PYwT4oI

天心流では抜刀術の稽古法として蠟燭斬りが行われているが、阿州柳生神影流においても同様の稽古法が行われている。

天心流・蠟燭斬り
https://twitter.com/tenshinryu/status/704850684370251776

阿州柳生神影流・炎斬り
https://www.youtube.com/watch?v=gTqWPwUOeIg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0921名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:40:21.40ID:+PNSXaAP0
天心流と新陰流の共通技法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_95.html?spref=tw

その他、天心流は新陰流と共通する技法について、以下のようにYouTubeやTwitterを通して公開している。

「切雲の位」は切っ先を斜めないし横に向けた右上段の構えであり、雷刀崩とも呼ばれる。雷刀とは、新陰流における上段構え(上段の位)のことである。
https://twitter.com/kuwamimasakumo/status/1276770919789113345

「雲居(雷刀)」は切っ先を後方に向けた大上段の構えである。
上述の通り、雷刀という呼び方は柳生新陰流の用語に由来する。
https://twitter.com/tenshinryu/status/590052957669855233

「無形の位」とは剣を自然に下げた構えのことで、新陰流にも同様の構えがある。
https://www.youtube.com/watch?v=HpjR4t_KXRw

「矩切(かねぎり)」は新陰流の形にも登場する刀法で、天心流が新陰流から派生した流派であることを象徴する技法の1つである。
https://twitter.com/tenshinryu/status/631214431851012097
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0923名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:42:00.96ID:+PNSXaAP0
【悲報】吉野式氏「士林団の存在を否定する史料は公表されている」と主張するも、具体的な史料名を答えられない
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_45.html?spref=tw

新徴組研究者の吉野式氏(@yoshino_siki)は、士林団の子孫が彰義隊に参加したという天心流の伝承を否定している。

私は吉野氏に対して、天心流の伝承を否定する明確な根拠を訪ねたが、残念ながら吉野氏は何も答えることが出来なかった。

吉野氏曰く、「士林団の存在を否定する根拠は史料として公表されている」とのことだが、私が具体的な史料名について質問しても、吉野氏は答えることが出来なかった。

本当に士林団の存在を否定出来る史料が既に公表されているのであれば、何故吉野氏はその具体的な史料名を答えることが出来なかったのか。

おそらくは、私があまりにもしつこく質問するので、苦し紛れに嘘を吐いたのだろうが、いずれにせよ誰も目にすることの出来ない存在すら疑わしい史料とやらを根拠にした士林団の非実在説に、どれほどの信憑性があるのだろうか。

情報というものは、公表されている根拠を元にしていなければ信憑性を担保出来ない。

しかし、吉野氏の主張は具体的にどの史料に基づいたものなのかを本人が答えることが出来なかったため、信憑性は皆無といえる。

その証拠に、吉野氏は自身の主張について「他の学者達からも支持を得られていない」と語っており、大した根拠に基づかない彼の主張に信頼性が無いことは客観的に見ても明らかである。

吉野氏は下らない言い訳ばかり並べる前に、主張の根拠となる具体的な史料名を答えるか、あるいはその史料が存在しないのであれば苦し紛れに吐いた嘘について反省するべきであろう。
0925名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:42:37.33ID:+PNSXaAP0
武術史の調査法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_69.html?spref=tw

日本の古武術や沖縄空手の歴史を調査するにあたり、最も重要な根拠は流派の伝承である。

伝承は「目録」や「口伝書」といった物的史料の形で残っている場合もあるが、実例が伝承の中に占める割合は非常に少なく、大半は師匠から弟子へと代々伝えられる「口伝」という実体の無い形でしか残らない。

そのため、武術史の調査をする際は、生きている継承者が公開する情報を頼りに歴史の通説と照らし合わせたり、流派に縁のある場所をフィールドワークする他無く、通常の歴史学のように膨大な物的史料を元に現実的な説を導きだすことは非常に困難である。

例として、天心流兵法(江戸伝天心流)は歴代師家からの口伝を頼りにフィールドワークを行っているが、やはり天心流も他の古武術流派の例に漏れず、伝承の大部分を口伝でしか継承していないため、物的史料はあまり発見されていない。

フィールドワークのご報告
http://tenshinryu.blog

しかし、物的史料が見つからないからといって、即座にその流派の歴史を否定することは早計である。

何故なら、前述の通り日本の古武術や沖縄空手の伝承は大半を口伝に頼っているため、そもそも物的史料が発見されること自体が奇跡だからである。
0926名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:43:03.07ID:+PNSXaAP0
武術史の調査法
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_69.html?spref=tw

現代では書籍の流通やインターネットによる情報公開も昔よりは手軽に行えるようになったため、比較的大規模な流派では各々の伝承を記した書籍を制作したり、ネット上で伝承の一部を公開することがある。

しかし、一般に公開されたそれらの伝承も、結局は師匠から弟子へと口伝によって継承されてきたものがほとんどであり、物的史料を根拠とした情報は全体の割合からするとかなり低い。

武術の伝承とは宗教における神話のようなもので、通常の歴史学のように膨大な物的史料を基に真実へ迫ることはほぼ不可能である。

また、仮に物的史料が見つかったとしても、そもそも史料というものは偽造が可能であり、真贋を見分けることは非常に困難である。

故に、通常の歴史学においても、どれだけ多くの史料に基づいて真実を追求したとしても、それは諸説の1つとしかみなされず、相対的に有力であったとしてもせいぜい「通説」止まりである。

とはいえ、それでも武術史を調査するメリットは確かにあり、数少ない物的史料の発見といった奇跡はもちろん、歴史の通説との照らし合わせやフィールドワークによって、それまで既存の解釈しか無かった伝承に新たな発見を見出だすことが出来る。

各々の流派を学ぶ上で壁にぶつかった際は、そうした伝承の調査によって突破口が開けることもあるかもしれない。
0928名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:44:09.49ID:+PNSXaAP0
天心流の居合刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_15.html?spref=tw

天心流兵法に批判的な者達は「同流が使用している模造刀はアルミ刀ではないか」と主張しているようだが、天心流は組居合や組太刀に際して相当激しく刀を打ち合っており、こうした稽古や演武はアルミ刀やジュラルミン刀のような軽量で壊れやすい模造刀では不可能である。

実際、殺陣を行う役者達が「被り」をせずに刃合わせをする際は、模造刀や竹光に掛かる負担を最小限に抑えるために打ち合う寸前で一瞬手を止め、刃同士が触れ合う程度の非常に軽い力で受けや鍔迫り合いを行っているため、派手な動きに比して刀の打ち合い自体に激しい力は掛かっていないのである。

私も芝居の小道具として使われているアルミ刀やジュラルミン刀をいくつか振ったり、実際に組太刀形式で他者と打ち合ったりしてみたが、強く打ち合うと簡単に壊れてしまうばかりか、そもそも激しく振ったり軽く打ち合うだけでも破損してしまうので、役者達がアルミ刀やジュラルミン刀を日頃から慎重に扱う理由がよくわかる。

また、天心流では転柄血振りが多用されるため、刀の接合部から金属音が鳴ることがよくあるが、居合刀は亜鉛合金や真鍮などの比重の重い金属パーツが使用されているため、アルミ刀やジュラルミン刀のような軽い金属パーツが使用されているものと比べて金属音に違いがある。
0929名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:47:07.26ID:+PNSXaAP0
天心流の居合刀
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_15.html?spref=tw
実際に各流派の転柄血振りを比較すると、天心流が通常使用している大刀は他流派でも使われている居合刀と同じであるとわかる。






天心流・第10世師家の鍬海先生は、各々に合った居合刀を自ら選ぶよう門人達に推奨しているため、使用されている居合刀の重さは門人によって差異があると思われる。

天心流の稽古では曲がった刀身を直したり、動画をスロー再生すると刀身がたわんだりしている様子も見られるが、これはアルミ含有率の多い比較的軽い刀身によく起こることで、正しく抜刀や受けが出来ていても素材の特性上必然的に起こってしまう現象である。

しかしそれ故に、亜鉛含有率の多い刀身よりも弾性率が低いため、折れにくいという特性もある。

弾性率の高い刀同士で打ち合ってすぐ折れてしまうのでは稽古にならないため、弾性率の低い居合刀は組居合や組太刀の稽古が多い天心流に最適と言えるだろう。
0931名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:48:16.45ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)の第5世師家・国富五郎衛門は、未だにその詳細な経歴が明らかとなっていない。

元・国際水月塾武術協会姫路支部(現在は脱退)である古武術保存会「月輪堂」は、かつて国富家の家譜を調査し、五郎衛門の名を見つけることが出来なかったため、その存在を否定した。

しかし、現存する家譜に名前が見つからなかったからといって断言的に存在を否定することは、歴史学的調査における常識に則しても非常にナンセンスである。

実際、五郎衛門の存在を否定した月輪堂は、誤りを認めて自らの主張を撤回し、公式ブログにて以下のように釈明している。
0932名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:48:37.93ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

「別に他所から圧力がかかって前回の記事の公開を止めた訳ではありません。
単純にちょっとキツい事を書きすぎたと反省したからです。
振り替えってもやはり私は冷静ではなかった。
人様にあんな風にあれやこれや言えるような立派な人間でもないし、前回の記事は、優しさのない配慮にかけたものだったと、反省したから公開を止めた訳です。
ただ、それだけの理由です。」


そもそも、国富家の家譜の中には何らかの理由で失われたものも多く、現存している家譜だけが歴史上における国富家の家譜の全てでは無い。

従って、失われた家譜の内容を調査しなければ五郎衛門の存在に関する正確な推察は出来ない上、仮に失われた家譜の中に五郎衛門の名が無かったとしても、口伝によってその存在が語られている以上、別の名前を持つ人物が該当する可能性も考慮しなければならない。
0933名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:49:01.81ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw


1.「五郎衛門は国富家の者である」
 国富家の男子は、それぞれ多種多様な仮名(かみょう)を持っている。例えば、備中国・都宇郡早島村の国富家は、以下のようにそれぞれの代が異なる仮名を使用していた。

初代 源右衛門
第2代 忠右衛門
第3代 源順
第4代 順庵
第5代 九郎祐(享保9 室間野氏)
第6代 小八郎(安永7 室武槍氏)
第7代 藤九郎(文化7 室片岡氏)
第8代 弁之助(文政6 室田中氏)
第9代 万蔵(天保10 室寺山氏)
第10代 鹿之助(明治9 室武槍氏)
第11代 竹次郎(大正13 室武槍氏)
第12代 小八郎(昭和11 室堀井氏)
第13代 運栄(昭和47 室岡氏)
http://gos.but.jp/kunitomi.htm

 三日月藩の国富家において「忠左衛門」の名を継承出来るのは嫡男だけであったが、同じく天心流の継承者であった弥左衛門や弥五左衛門も、国富家の家譜や武芸流派大事典(錦谷雪・山田忠史 編)などに記載がある。
 また、仮名は1人が複数持つことも可能である。例えば、新陰流の流祖である上泉信綱は、武蔵守と伊勢守という2つの仮名を持ち、文献や伝承によってどちらか一方の名のみ明らかにされているケースがほとんどである。国富家の者も、史料に記載されているもの以外の仮名を名乗ることがあったと推察出来、それが史料に記載されないことも不自然ではない。
 故に、国富家の史料に五郎衛門の名が無かったとしても、それは五郎衛門の存在を否定することにはならない。
0934名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:49:26.05ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

2.「国富弥五左衛門の弟子が『国富』姓を賜った」
 国富弥五左衛門は天心流兵法の第4世師家であり、国富家の家譜にもその名が記載されている人物である。
 弟子が師の姓を名乗ることは他流にも例がある。伊藤派一刀流(忠也派一刀流)の開祖である伊藤忠也は、小野忠明の実子であるため元々小野姓を名乗っていたが、流祖である伊藤(伊東)一刀斎にちなんだ「伊藤」姓を忠明が忠也に与えたことで、以降は伊藤姓を名乗るようになった。また、忠也の筆頭弟子である亀井平右衛門忠雄も、一刀流三祖の「伊藤」姓を継承した他、忠明の甥にして水戸派一刀流の開祖である忠一も、一刀斎にちなんで「伊藤」姓を継承した。
 他にも西国柳生新影流兵法(有地新影流)の開祖である大野松右衛門家信は、柳生但馬守宗厳(石舟斎)の高弟として柳生新陰流を学び、印可を授かる際に「柳生」姓を賜って名乗るようになった。

古武道 西国 柳生新影流兵法(居合剣法)錬心館・沿革
http://www.saigoku-yagyu.com/ennkaku.html

 以上の各例から、他家の者が弥五左衛門の弟子となって「国富」姓を賜ることも、当時の常識から考えてごく自然である。
0935名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:49:48.35ID:+PNSXaAP0
国富五郎衛門に関する諸説
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_14.html?spref=tw

3.「五郎衛門は元・石井家の者である」
 これは上記2の説とも関連するもので、石井家の者が弥五左衛門の弟子となり、「国富」姓を賜ったという説である。
 天心流の公式ホームページによると、石井家の祖先である石井新右衛門は徳川幕府の大目付・柳生宗矩配下の組頭となり、役目を解かれて以降も石井家では天心流を伝承し続けたとされている。


天心流兵法の由来
https://tenshinryu.net/?page_id=15

 しかし、当時の石井家が天心流の正式な師範家では無かったとすると、いくら天心流が石井家の家伝であったとしても、天心流の印可を賜るためには師範家の門下へ入る必要がある。故に、当時の石井家の者が弥五左衛門に弟子入りし、天心流の印可と共に「国富」姓を賜ることも自然である。
 五郎衛門が元・石井家の者であれば、弥五左衛門の弟子となって「国富」姓を賜ることで「国富五郎衛門」と名乗ることが可能となり、天心流の正式な師範として「第5世師家」を継承すると同時に、その弟子の石井恒右衛門が第6世師家を継承したことで、以降石井家は天心流の正式な師範家になったと言える。


上記のように五郎衛門の存在を匂わせる証拠は複数あるため、確固たる存在証明ではないにせよ、少なからず五郎衛門の存在を完全否定するような愚行は歴史学的研究法としても筋が通らないだろう。

また、五郎衛門の存在を否定した月輪堂自体が既にその主張を撤回し、誤りを認めている以上、「五郎衛門は存在していない」と断定的に語ることもまた根拠無き誤情報であり、それを世に広めるべきではない。
0937名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:50:50.23ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw


国際水月塾武術協会は襷掛けに関して以下のように主張している。


「普通見られるような口で端をくわえておいて掛ける方法は「女中掛け」、あるいは単に「女掛け」と言って、武士の間では嫌われた。
今、そのような作法が武道においては誤りであることを知る者も少なく、武道人でも平気で女中掛けをしている。
武家には武家の 「男掛け(侍掛け)」 がある。
武道において身につけるものを口にくわえるなどの無作法は言語道断である。」
https://japanbujut.exblog.jp/29186745/


しかし、過去の記事や写真を見ると、国際水月塾武術協会の演武者も「女中掛け」をしており、「女中掛けは武道における誤った作法である」という国際水月塾武術協会の主張そのものが誤りであることがわかる。


襷を「女中掛け」する国際水月塾武術協会の演武者
https://japanbujut.exblog.jp/27288220/
https://japanbujut.exblog.jp/29431527/
https://japanbujut.exblog.jp/29407753/
https://japanbujut.exblog.jp/28752142/
https://japanbujut.exblog.jp/28297131/


このように、国際水月塾武術協会の男性演武者は皆襷を「女中掛け」しており、「男掛け(侍掛け)」などしている者は1人もいないのである。
0938名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:51:17.51ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw

そもそも、国際水月塾武術協会が「女中掛け」と呼ぶ襷の掛け方には「綾襷(あやだすき)」という正式名称があり、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財「腰掛ける巫女」という埴輪にも見られる通り、古代から老若男女を問わず様々な階級の人々が綾襷をしていた。

重要文化財「腰掛ける巫女」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Seated_Woman_Haniwa.JPG

無論、綾襷を「女中掛け」などと呼称しているのは国際水月塾武術協会だけであり、上述の通り綾襷は女中だけが行う作法ではない。

実際、かつての侍達も当たり前のように綾襷をしていたことが当時の絵図にも描かれており、「武士の間で嫌われた作法である」という国際水月塾武術協会の主張は誤りである。

鹿児島暴徒出陣図(1879年)
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Seinansenso_snou.jpg#mw-jump-to-license

種田政明邸襲撃の絵図
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Repression_of_the_Shinpuren_rebellion.jpg#mw-jump-to-license

桜田門外之変図 蓮田市五郎(1860年)
https://www.lib.pref.ibaraki.jp/guide/shiryou/digital_lib/valuable_m/001051355335/Bibliography.html
https://sakamichi.tokyo/?p=6495

故に、心形刀流剣術や戸田派武甲流薙刀術などの古武術各流派においても、綾襷は「武士の作法」として行われている。

心形刀流剣術 【第42回 日本古武道演武大会】
https://www.youtube.com/watch?v=ts4t-Fk4HdA
戸田派武甲流薙刀術の演武
https://www.youtube.com/watch?v=NPR0cF_snbE
0939名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:51:36.01ID:+PNSXaAP0
襷掛けに関する国際水月塾武術協会の主張
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_7.html?spref=tw

また、綾襷は端を口にくわえる以外にも様々な掛け方があり、下記URLで紹介されている3種が一般的な作法である。
https://kitsuke-school.jp/basic/722/


その他、天心流兵法(江戸伝天心流)も襷掛けの作法をブログで紹介しており、国際水月塾武術協会が「男掛け(侍掛け)」と呼称している作法についても、「鎧下の襷掛け」として紹介されている。


たすき掛け - 古武術 天心流
http://tenshinryu.blog


何故、国際水月塾武術協会が襷掛けに関する誤った情報を広めているのかは定かではないが、仮にも武術団体であるならば、無根拠な誤った主張は早急に撤回するべきであろう。
0941名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
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2022/12/20(火) 19:52:54.34ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

天心流兵法(江戸伝天心流)には外物として宝蔵院分流(支流)陰派槍術が併伝されており、素槍術や十文字術、薙刀術が伝承されている。


宝蔵院分流陰派槍術
https://www.youtube.com/watch?v=YJu_s-2sMb4
https://www.youtube.com/watch?v=aP9sxK9rxHk
https://twitter.com/tenshinryu/status/1173972622431813633
https://twitter.com/tenshinryu/status/638378033653542912
https://twitter.com/tenshinryu/status/688098960150429696
https://www.youtube.com/watch?v=PyCGMzyRSBg

天心流の伝承によると、宝蔵院分流陰派槍術は柳生但馬守宗厳(石舟斎)が上泉伊勢守や覚禅坊胤栄との交流によって習得し、宗矩・時沢弥兵衛へ伝わった技法であるとされる。


第10世師家の鍬海先生は宝蔵院分流陰派槍術について、「時沢弥兵衛が柳生宗矩から学んだ槍術を宝蔵院流に仮託して名付けたか、あるいはさらに後世の仮託の可能性もある」と推察されており、確かに流派名には「分流」や「支流」という言葉が入っていることから、「宝蔵院流そのものではなく、あくまで宝蔵院流から派生した『陰派』槍術である」というニュアンスが読み取れる。


実際、宝蔵院分流陰派槍術はそれ自体が1つの流派として伝承されている訳ではなく、あくまで「天心流の外物」として内伝されており、宝蔵院流そのものとは明確に区別されている。

とはいえ、「宝蔵院分流」という修飾語が付いている以上、天心流の外物としての陰派槍術が技法的に宝蔵院流と全く無関係なはずは無い。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
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2022/12/20(火) 19:53:33.56ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

では、宝蔵院分流陰派槍術と宝蔵院流の間には、どれほど技法の共通点があるのか。
そもそも宝蔵院流槍術は天文22(1553)年、成田大膳太夫盛忠から二箇の奥儀を授けられた宝蔵院覚禅房法印胤栄によって創始された。
さらに胤栄は、柳生但馬守宗厳と共に上泉伊勢守秀綱(上泉信綱)から刀術を学び、宝蔵院流槍術を大成させた。

宝蔵院流槍術の歴史
https://hozoin.jp/rekishi.htm

「正伝新陰流」によると、上泉伊勢守が宝蔵院を訪ね、胤栄と宗厳に出会って双方を下したのは永禄6年(1563年)のことであるとされている。
つまり、胤栄が上泉伊勢守や宗厳と出会った頃は、まだ宝蔵院流も創始から10年ほどしか経っておらず、現在まで伝承されている同流と比べて技法体系も完成されていなかったと考えられる。
そのため、宗厳が胤栄との交流で得られたものも基本的な槍法に留まり、現在の宝蔵院流ほど技法体系が確立された槍術を身につけることは出来なかったのだろう。
しかし、新陰流の影響を受け、同系統の槍術を継承しているという点では、天心流と宝蔵院流は同じ状況に置かれている。
にもかかわらず、何故双方の流派はこれほどまでに技法体系が異なってしまったのであろうか。
その理由は、両流派における武術観の相違が関係している。
宝蔵院流は新陰流の影響を大きく受けているとはいえ、あくまで槍術を表芸とする流派である。
そのため、宝蔵院流は徹底的に槍術の完成度を高めることに成功した。
一方、天心流は抜刀術と剣術を表芸とする流派であり、槍術はあくまで「外物」である。
天心流は抜刀術と剣術の開発に時間と労力を注ぐことが出来た一方で、宝蔵院流ほど槍術の技法体系を発展させることが出来なかった。
故に、天心流が外物として併伝する宝蔵院分流陰派槍術は、ごく基礎的な槍法のみに留まってしまったのである。
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2022/12/20(火) 19:54:02.27ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

しかし、上記において町井先生は、槍術流派の創始時期と各時代における槍の構造変化の関連性について、いくつか誤った認識を持っている。

そもそも、室町時代というのは戦で槍が使われ始めたばかりの時期であり、町井先生のおっしゃる通りこの時期の槍は非常に脆く、実戦に即した造りとなっていなかった。

というのも、室町時代において槍は「低コストで大量生産出来る足軽用の兵装」という立ち位置にあり、戦に耐え得る頑丈性など無視した粗悪な造りのものばかりであった。

一方、現在まで伝承されている槍術流派は室町時代後期以降に創始されたものばかりであり、武士(侍)の間でも槍が一般的な兵装となり、改良されて頑丈な造りとなった槍の扱いを前提として技法が編み出されていることは明白である。

従って、槍を大きく振り回す動きは少しもおかしなことではなく、むしろ頑丈な槍の特性を活かして攻撃と防御を同時に行うことが出来る非常に実戦的な技法である。

実際、槍を大きく振り回す技法というのは比較的多くの槍術流派に見られる。

宝蔵院流や佐分利流をはじめとした各流派が、槍を振り回して相手を斬りつけたり、互いに柄で叩きつけるように打ち合ったり、脚を払ったりする技法を演武で多く披露している理由は、上述の通り室町時代後期以降に武士が使用していた頑丈な「持槍」を扱うことを元来想定しているためである。


宝蔵院流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=lMhw-FMWW_A
佐分利流槍術
https://www.youtube.com/watch?v=eqWmEx6Jl5M
0944名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
垢版 |
2022/12/20(火) 19:54:30.58ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

故に、室町時代前期に作られた粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を基準として、室町時代後期以降に創始された槍術流派の技法を「力技に変化した」と批判する町井先生の主張は、完全に的外れである。

何故なら前述の通り、そもそも宝蔵院流や佐分利流をはじめとした槍術流派の技法は、創始時期である室町時代後期以降に“武士(侍)”が使用していた頑丈な造りの「持槍」を扱うことを想定しており、町井先生が所持されているような粗悪で耐久性の無い足軽用の「数槍」を扱うことは想定していないからである。

室町時代後期以降に一般的だった槍の多くは、挿し込み式によって柄と槍頭が接合されており、柄から穂が斬り落とされないようにするために刃:茎の比率が1:2〜1:3となるよう長く作られている。

また、柄自体もよくしなるため、人間1人の力で振り回して相手に叩きつける程度では容易に折れない。

特に、柄と槍頭の接合部というのは通常かなり頑丈に作られているものなので、よっぽど粗悪な槍で無い限り常人の力で折ることは不可能である。

ただし、接合部が劣化していると、町井先生が体験されたように太刀打を握って持ち上げる程度の力でも折れることがあるだろう。

薙刀や長巻も同様に、足軽用のものは低コストで大量生産するために粗悪で耐久性が無く、ちょっとした衝撃ですぐに折れてしまうものが多いが、武士が使っていたものは職人が一つ一つ丁寧に製作しているため、大きく振り回して敵に叩き付けたところでそう簡単に折れはしない。

これも、現代まで伝承が続いている薙刀術や長巻術の各流派を見れば一目瞭然である。

上述のような正しい歴史認識と現実を踏まえ、町井先生は自らの誤りに気づき、その主張を撤回するべきだろう。
0945名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
垢版 |
2022/12/20(火) 19:54:47.67ID:+PNSXaAP0
宝蔵院分流陰派槍術
https://nandemokousatu.blogspot.com/2022/12/blog-post_16.html?spref=tw

とはいえ、町井先生が粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定して修業すること自体は、修心流の槍術としてその個性を認めるべきである。

何故なら、実戦では必ずしも武士用の頑丈な長柄武器を調達出来るとは限らず、やむを得ず足軽用の粗悪で耐久性の無い長柄武器を使って戦わざるを得ない状況も想定出来るからである。

しかし、粗悪で耐久性の無い長柄武器の扱いを想定することが修心流の思想であったとしても、その思想は他流派では通用しない。

これは一人前の武術家であれば誰もが知っている常識であり、武術界隈に身を置く限りは必ず守らなければならない礼節でもある。

自流を極めることは大変結構なことだが、どうか町井先生には一人前の武術家としての常識と礼節を守っていただきたい。
0946名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW cab1-N5vj)
垢版 |
2022/12/20(火) 19:55:15.86ID:EVS4+7SH0
もう自分が今何やってんのかも分かんなくなってんだな
吉野式氏に論破wされたのが相当こたえたとみえる
どんどけ屁理屈並べて、コピペでスレ埋め立てても
ツイ垢消して逃げたってことはもう消せないのにな
0948名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
垢版 |
2022/12/20(火) 19:58:10.73ID:+PNSXaAP0
>>946
史料は公表されていると主張したにも関わらず、具体的な史料名を答えられなくて証拠無き主張になってしまって論破されたのは吉野の方だぞ、アンチ君ww
吉野が論破されたから現実逃避してるのかな?
あと、俺はツイッターやってないから
誰と勘違いしてるのかな?
0949名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
垢版 |
2022/12/20(火) 19:59:00.87ID:+PNSXaAP0
>>946
まさかまた証拠もなく俺とブログ運営者を同一視してるのかな?
何度もいうけど同一人物だっていう証拠を出しなよ
0951名無しさん@一本勝ち (ワッチョイW eaec-rpil)
垢版 |
2022/12/20(火) 20:01:03.55ID:+PNSXaAP0
>>946
君らアンチはいつもそうだよね
証拠も無く天心流を誹謗中傷してデマを流して、吉野が論破されても現実逃避して自分の世界に閉じ籠って
吉野は史料が公表されてると言いながらその名を答えられなかったんだよ
わかる?
要するに士林団を否定する証拠なんてないってことだよ
残念だったねアンチ君ww
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