>>965
そもそも空手の型にちゃんと意味が伝わってなく「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」程度のものだから現代人がむりやり意味をこじつけて本来の空手を講釈しているわけで(笑)

>空手は大正時代に沖縄から本土にもたらされたが、初期の頃はやはり型稽古が中心であった。一種の分解組手(型分解)のようなものはあったが、「分解して本に書いてあるわずかな組手しかなくてあれが中心でした」(小西康裕)とされるように、わずかな数しかなく体系的なものでなかった。内容もいまほど精妙をきわめておらず、ずいぶん疑問な点があったが、質問しても「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」という