空手の型はやるだけ無駄と言う現実126
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実125
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1611629552/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 武術だけだよな 昔の方が凄い技術があるって言うのは
スポーツや格闘技はそんな事を言わない
サンチンやればナイファンチやればあんな力やこんな力が身につく、と言っても自由組手を重視してる武道や格闘技にボコボコにされる現実
型にはこんな分解がぁ、と分解組手じゃ複雑な綺麗に技を決めらるが自由に攻撃してくる相手には対応できない
あとは「実戦がぁ」「試合には使えない技がぁ」と言うしかない
弱くても伝統の技術を身に付けたいんだ、とかなら納得 型なんていくらやっても弱いままだし、永遠に武術的な技術が身に付くこともない。
だけど
幸い型の試合って言うのがあって、これが唯一活躍できる場なんだけど
その唯一活躍できる試合ですら、型ヲタは否定するよね。
型ヲタは型の試合に出ても勝てないから、否定しているんだろう?
試合に出ないで、自己満だけで型をやってりゃ誰にも否定されないからなw
そして、自分のやってる型は試合の型と違って高尚なものだと思い込んでいられるからなw 型の採点競技って意味わからん
型稽古の目的はあくまで組手への反映だしな >>902
組手に応用できないから意味がないって言ってんだよ >>903
浅い
近代体育の観点からしても表面的すぎる
空手は、いや格闘技は人の形をしたシャモの喧嘩ではない 浅いと言えばブルースリーの映画にこじつけてオフスパーから逃げたのに型が勝ったとか言ってたアホがいたな(笑)
いくら空手の型が浅いからってジークンドーに背乗りして勝った勝ったとか恥ずかしくないのかなと でもこれは舞踏という観点になるかもしれんがフルコンだろうが寸止めだろうが
いろんな型をやりこんでる選手の組手ってきっと美しくて人気出るだろうな >>905
結局空手は武術では使えないというアホの証明に終わったもんな 他武道を引き合いに出してしか空手の型の有用性を証明できないなら空手の型は浅すぎるだろ
サンチンですらアメリカ人に本当の意味(笑)を解説されてるんだもんな 多分、型の解釈やこじつけでも外人に負ける日が来るんじゃないかな
軸が〜バランスが〜とか小学生でも思いつくヌルいこじつけを言う日本人と違って
外国の場合は最新のスポーツ理論があったら「あ、じゃあこれサンチンの意味にしようぜ」
とか何の躊躇もなくこじつけちゃうかもしれん。変に武道性にこだわって丹田呼吸がどうだの
姿勢をまっすぐがどうだのって制約にとらわれてる日本人よりよっぽど先を行くんじゃないかな。 アメリカ人の三戦の解釈は実際に出版されてるから日本人の敗けだよ
このスレの型オタはオフスパーから逃げるのが型の解釈で勝ちとか出版できないレベルの雑魚だから本当に情けない >>907
アレは空手対空手の話で
型の動きで戦ってやるって言ってなかった?
後輩が〜とか警察が〜とか嘘を重ねて逃げたけど 確か【型の強さを証明する】だったな
それを後から現地に誘き出されたから【型の兵法で勝った】などと無理矢理ゴールポストを動かしてブルースリーの映画を引き合いに出して勝った勝ったと泣きわめいていたが
あくまでも最初に【型の強さを証明する】と言っちゃってるからオフスパーから逃げただけという現実 ゴールポストを動かして精神的勝利ってヤベーな型オタはwww 外人のサンチンの本は前に俺も買った。
でも難しくてページが進まなかった。
だいたい外人特有のチャプターごとになんかポエム添えたりするのが大嫌い しかしただの近代スポーツ組手競技にしかならないのもつまらんな
手先足先タッチゲームや首下どつき合いスポーツ競技でしかないのは 型にはよくわからない動きだらけで実戦で使えるかどうかも怪しい、いまとなっては
使えないだろうというのが過半数だろうけど残しておくべきものだと思う。
美としての側面もあるし。
ただ、それは組手稽古より大事かというとそれはありえない。
そのどつくだけ、タッチするだけに陥らないように保管として学ぶべきであって >>917
組手試合の役に立たないなら捨てて構わんてならんか?
俺は型が組手で勝つ役に立つと思ってる派だが >>918
まず>>840への質問に答えるのが先じゃないかな? >>919
文献から以下引用
一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
そうすると額の天目というツボー眉と眉の間よりやや上の部分ーに精神が集中する。
このことが意識を外部から内面へ向かわせるのである。
そして呼吸法とともに型の世界に入り込んでしまえば、すでに外界からは完全にシャットアウトされた境地である。
そのなかで私は、体内を巡る気の流れをはっきりと感じ取っている。
おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
これは1回の稽古でそう何度もできるものではないが、継続して練れば大きな効果があるものだ。
ちなみに「まつげを見つめる」という意識の使い方は、仏教の言葉から発想したものだ。
こんな句である,
「仏法は瞼の上のつるし物、あまりの近さに見る人もなし」
これは
「悟りというものは、自分のまつげのように目の前にあるものだ。
人は特別の事のように思って他を探してしまうが、そうではない。
朝起きたら顔を洗い食事をする、当たり前の事を当たり前にするという、日常の中にこそあるのだ。
だがあまりに身近すぎるので誰も気づかない」
と解釈するのが普通である。
(廣重毅「極真空手 城南支部 強さの秘密」より。故 廣重氏は緑健児・八巻建志・数見肇・塚本徳臣らの極真王者を育成した) キックボクサーがボクシンググローブ着けて型稽古をすれば有用ではないかと今思った。
ひとつの型を最低でも1000回、効果を確実に得るには3000回くらいはやらないといけないらしいけど。 >>920
なるほど
自分の頭で考えたのではなく、やはり受け売りですか。
私は>>675で書いたように
「あの○○先生がそう言ってるからきっとそうなんですよ、僕もそう思います、だから型は使えるんです
というレベルの話でしたらもうお腹いっぱいなのでお引取りを。」というスタンスに変わりありません。
あとは>>840さんのレス待ちですね。呆れて閉口するかもしれないけど。 >>920
>そのなかで私は、体内を巡る気の流れをはっきりと感じ取っている。
気の流れねえ・・・。この先生は気についてどの程度知ってるのかな?
少なくとも経脈と絡脈の違いや性質くらいは理解してて言ってんだよね?
気の流れと言っても、奇経の中の任脈や督脈について言ってるのか
それとも十二正経(人体を流れる十二本の気の道筋)のことを言ってるのか
奇経にしろ正形にしろ流注の概念(十二の道筋を臓器を交えてどういう順番で巡るのか)
を理解してない事には気の流れもクソも無いんだがな・・・。そして俺が思うにこの先生は
そういう基本的な事すら多分勉強してないんじゃないかな、と説明を読んでて感じる。
この先生に限らずだけど、日本の武術の世界だとよく勘違いされてる事があって
気の流れは弱いとマズイけど強いのもそれはそれでマズイ。どっちも異常。
例えるなら、腕の筋肉が麻痺や衰弱してまったく力が入らないのはマズイけど、
さりとて四六時中ずっと力が入り続けてて関節すら曲がらないほど硬直してるのもマズイ。
ニュートラル、つまり普段は柔らかいけど力を入れれば固くなれる陰陽の調和が取れた状態が一番いい。
だから気の充実ってのは、気が不足している人はマイナスだからゼロポイントまで戻しましょうねって話で
あって、どこも悪くないのに事さら体に流れる気を強く強く、ってのは漫画や小説では良いけど実際は間違い。
日本の武術の場合、特に中国拳法と関係がある(とされてる)空手においてはここら辺を勘違いする先生が多い。
その原因は気について大して知りもしないのに「僕がそう思うからそうです」理論で語ろうとしたがること。 俺はたまたま東洋医学を学ぶ機会があったから知ってたけど、上で書いたような十二正経だの
任脈や督脈や流注だの、気なんて深すぎて勉強するのが面倒だよって人のほうが大半だと思う。
でも、実は俺が上で書いた気の概念なんてのは、ネットでググれば10分かからず得られる知識で
人に説明してもらうなら5分で終わる。初歩の初歩すぎる知識だからな。その程度の事なのよ。
そしてその程度のことを、面倒だからやらない、じゃあどうするかといったら
「僕がそう思うからそうなんです」理論に頼る。気の流れだけじゃない、呼吸にしてもそう。
本屋で解剖学の本を数ページ見れば肺や横隔膜の構造なんて書いてあるのに、それすらせず
とりあえず「腹式呼吸が良い」ってことで終わらせちゃう。全部が全部こんな感じ。検証すらしない。
なんでそうなのかな〜って考えたけど、まあ、つまり結局本気じゃないって結論になるんじゃないかな。
まつげを見る瞑想がどうだのってのも、腹式呼吸と同じくありあわせの知識でじゃあこれ流用しちゃおう
で終わり。現実的かどうかは気の流れを感じるのと同じく瞑想している感じが僕はしてるのでOKって事にする。
本当に型とは何かを探ったり、あるいは意味がなくても型を使えるようにしたいと思ってるのなら
こんなお粗末なマネはしないと思うけど、でもまあ結局、面倒の壁の前では型もこの程度でいいってのが本音なんだろうね。
>おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
で、僕がそう思うからそうなんです、の延長がこれ↑と。はあ・・・。
まあ、結論として型を肯定したい気持ちは分かるんだけどさ。
主張しますよ、でも面倒だから調べませんよ、だけど私の言ってる事は正しいですよ、は通らないよねって話。 >>918
俺は何者でもないから断言はしないけど型が組手に役立つと思わん。
そういう意識もってやれば役立つこともあるだろうけど必須とはどうしても
思えん。
でも組手の役に立たんから捨てていいとは思わない。
難しい型をいろいろ練習すれば組手の動きが美しくなるとは思うし
ま、それは装飾的な技巧となって武術、格闘技、護身術として退化になる
可能性もあるけど >>922
そりゃ実績も実感もない何者でもない自分の想像よりも世界的実績のある指導者の実感から言ったことの方が議論や考察に足るでしょう
もちろん型の効果は型をやらないと得られないし得れると信じてやらない限りはいくらでも否定できるとは思うし信用できない人は帯審査の前しか型をやらないでしょうね
フランシスコ・フィリォも師匠の方針で型はみっちりやらされている 小難しいそういうマニア化した知識こそ受け売りの無駄くさいかも
と言ってみる >>926
>そりゃ実績も実感もない何者でもない自分の想像よりも
想像、つまり頭の中で考えてただけという事ですか。
だったら自分の考えよりも権威ある人の意見におもねってしまうのも納得です。 >>927
>小難しいそういうマニア化した知識こそ受け売りの無駄くさいかもと言ってみる
そもそも気なんていう非科学的でマニアックなものを感じるとか言いだしたのが廣重氏ですからね。
よく知りもしないのに気がどうこう言う廣重氏の話が無駄くさいというなら納得です。 >>928
そっすね
自分の実感だけならまだ到達してない未知のものを学んだり教えてもらう必要もないわけで
自分がウォーリーが見つけられないからウォーリーはいないんだとか主張するタイプよりは体験した人の証言と実績などの例を出す方がまだ生産的だと思う >>929
東洋医学が非科学的でマニアックかどうかは自分にはわからない。
たぶん個人差が大きく再現が難しいものの科学的だとは思うけど。 体の中にあるツボは365ある、と中国の古典に書かれていて
実際に調べてみたらヤベー数がちょっと合わなくなったよw
っていう人間臭い話は置いといて(wHOが認定するツボは361)
東洋医学の本場である中国では上で上げたツボとは別の、独自のツボや
独自の経絡(気の流れ)を伝えてる一門だったり一派だったり一家だったりが
無数にあるのでそれと関係ある中国拳法が気の流れがどうこう言うのは、まあ置いとく。
だけど日本において、まして中国拳法と大して関係のない唐手が型において気の流れがどうこう
言うのは恥をかくだけだからやめた方がいいんじゃないかなー、と思いますわ。
那覇手の東恩納や宮城や許田が気の流れがどうこう言って指導してたなんて聞いた事ありませんしね。
>>930
>自分がウォーリーが見つけられないからウォーリーはいないんだとか主張するタイプよりは
>体験した人の証言と実績などの例を出す方がまだ生産的だと思う
そっすね 。どこに居たの?って聞いても「俺が居たと言うんだから居た」って人の意見を鵜呑みにしてください。
たぶん尊師が空中浮遊をしたって信者も同じような精神状態だったと思います。
>>931
空中浮遊してるウォーリーを見つけられる日が来るといいですね。応援しています。 じゃーちょっと出かけてくるので。適当にレスしてスレ盛り上げといて。よろしく。 鍼治療とか効果あるのかな
電流を流すといいのか
押す箇所によって体の部分別に効果あると言われる足裏のツボはどうだろう
組手技術や組手強化のための稽古の優先順序も指導者によって違いがあるから自分の信じたいもの、信じたい説に沿ってやっていくしかない
廣重氏のところやフィリオはもちろん型稽古メインではないけど型もやって史上最強レベルと評される実績は出している
あと見映えの問題だけど型や移動や基本といった空手の元々の動きに沿った稽古を無駄だからと排除して無くしてしまうと出来損ないのキックボクシングのような低劣なものしか残らなさそうで嫌というのがある
自分がもう一般部のトーナメントに出れないほど歳をとったせいもあるけどそういう空手的な動きの稽古は精神が浄化される気がする
それこそが気であり気のせいとも言えるかもしれませんがね >>906
実際はショボすぎて全く人気が出ないんだよ >>915
科学的な裏付けがないものは、ポエムでごまかすのはオカルトの十八番だよ。
これは世界共通だね。 >>916
本来打撃系の格闘技はそんなもんでしょう。
組手だけでもかなりのテクニックがあるから、十分面白いと思うけど、それがつまらないと言うなら仕方がないね。 >>918
そう思うのは勝手だけど、何年もここで議論されてきて、重要性を説明できた人が1人もいないから、結局無駄なんだと思うよ。 >>921
とりあえず、大きな数字だけ並べておけば、すごいものだと思われるよと思ってるかもしれないけど、逆効果だからやめたほうがいいよ。 >>925
前から言ってるけど、形をやると組手の動作が変わるなら、組み手の選手の動きを見たらどこの流派のどの型をやりこんでいるか当てることができるはずだけど、実際問題わからないよね。
これが答えだと思うよ。 >>934
昔強かった選手を持ち出して、形を練習に取り入れていたと言うのはどうかと思う。
そんなに凄く良いものであるなら、今の格闘家は型を取り入れているよね
結局のところ、もともと空手をやっていて形をやっていたか、実績に悩んでオカルトに走った選手ってだけだと思うよ まぁ、正直言って今格闘技で行われている練習方法が必ずしも正しいわけでもないし、ときには疑ってみるのも良いことだと思う。
人によって練習の時間配分も違う
ただ、型に限っては昔から普通に行われてきた練習方法だったのは間違いないので、その型が今一般的に行われている練習方法になってないと言う現実を見る限りでは、型は有効な練習方法でないとみるのが普通なんだよね
不必要、効率が悪くて無駄なものは淘汰されるのは仕方がないよね。 あれだけの運動神経と、手わざのように蹴りを操れるフィリオなのに
型があんだけモタモタしてるってのは稽古の比率のうち型は数パーセント
くらいだと思う。「師範がやっとけっつーからちょっとやっとかないと
怒られるし」程度のもんだろう 証言といえばラウェイの試合に出たり素手で顔面や金的攻撃、頭突きを認めるルールの空手興行をしてる村井義治という人がナイハンチの型は素手の正拳突きに大切な身体操作が身について、古伝の型はなんでもありを想定してるので掴まれた状態から、いかに効果的に打撃を放つか?という知恵も伝わっていると言ってる。
つかみにも対応し、短い間合いで強力な突きを放つ工夫がなされていると。
これをもって俺の意見として型は有効と大風呂敷広げないが、そういう証言もありますよという紹介をさせていただく。 オリンピックで金メダルを取ったんだから人格も金メダルのはず!
なんていう頭お花畑の人は笑われてもしょうがないよね。
その人の技術とその人の人格は別物なんだから。
技術と人格が別ということは、技術が高くて実績を残していても
人格が低くて平気でウソをつく輩も居るということ。
人格が低くなくても立場や思想によってはやはり人は結果的にウソをつく。
例えば弟子が自分より強くなると面倒だからウソをつく、誤魔化す
あるいは強くなって欲しいけど血族じゃないから仕方なく相伝も印可も
渡せず必要なことは全て教えたから後は自分で頑張ってと放任する。
日本はなまじ武道や武術の長い歴史があるんだから、そんなの珍しいことじゃないのに
なぜか有名な先生だから有名な選手だから、と肩書にコロっと騙されちゃう。
そういう純粋まっすぐ君が居る限り、空手にしろ宗教にしろ騙す側の人間は安泰だね。
まあ、かくいう俺も調査の初期は有名な大学教授だからとか、有名な郷土の研究者だからとか
そういう立派な人達が都合の良いウソや、まして捏造まがいの事に加担するするハズない!と
純粋に思ってて大分遠回りさせられたんだけどねw 人間、痛い目を見なければ目は覚めません。 >>925
>そういう意識もってやれば役立つこともあるだろうけど必須とはどうしても思えん。
>でも組手の役に立たんから捨てていいとは思わない。
殴りあいの技術を磨いたところで、じゃあ実際に1年のうちで何回殴り合いの機会に遭遇するの?
って言われたら、たぶん日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか。
若い学生ならもうちょっと頻度は増えるけど、それでもこのご時世だしね、1年に1〜2回なんじゃね?
前にも書いたけど、1年に1回あるかないかのために殴り合いの練習なんてするよりも
残りの大半である360日以上を、日々型をやって自己満足に浸って楽しく過ごせるほうが
よっぽどコスパ良い。そういう意味で型は殴り合いの技術なんかよりもずっと価値があると思うよ。
実際、昔の沖縄はそういう状態だったから型が上手く機能して文化として残った。
組手に効果があるから残ったではなく、オナニーとしての価値が高いから残った
というところをちゃんと自覚してる分には、俺は型は廃止せず伝えていくのも良いと思う。 >>945
>古伝の型はなんでもありを想定してるので
もう散々その話は議論され尽くしたじゃん
過去の文献をいくら探してもそんなの誰もしてなかった
型稽古がメインで自由組手どころか分解組手もやってなかった
最近になって創作して「これは昔からあったんだ」と言ってるだけだと
まさにその人がそうじゃないか
だからその人が「ナイハンチの型を研究してみて試合でこう使えた」と言えば
それが実際そうなら「そうなんだ」で納得するやろ
「古伝です」なんて嘘言わないでこれから型の使い方を新たに考えて行けばいいんじゃね?って
「これは昔から伝わった技術です」と言うと「それは嘘」って突っ込むしかない
だって誰もやってなかったからって話
何も理解してないんだな >>947
殴り合いの機会が日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか
っていったいどこに住んでるんだお前はw
俺は空手を習ってたのは学生のころだけだったけど結局喧嘩することなく終わったから
高校生の時以来一回も殴り合い機会に遭遇してないしそれが相場だろう。
よしんば俺の住んでるところがだいぶ治安のいいところだったとしても
平均して殴り合いの機会があるのは社会人で20年に一度くらいじゃないか >>949
>殴り合いの機会が日本に住んでる限りは普通の社会人なら3年に1回あるかないか
>っていったいどこに住んでるんだお前はw
スマン、確かに話を盛ったわw いやね、一応これでも気を使って言ったのよ
まったく使う機会ないものを練習してるだろってのも、それはそれでちょっと寂しいしさ…。
前にも書いたけど、沖縄の武器術はクーシャンクーだのナイハンチだの珍妙な名前はついてない。
○○さんの棒とか至ってシンプルな名前。この武器術ですらどこまで実用的であったかは甚だ疑問だけど
ただ世界中の国の歴史を見るに、素手よりも武器術の方が先に発達してるってのは共通してて
結局素手の殴り合いってのは小学生くらいならまだしも、大人になるにつれて非現実的なんだよね。
だって本当に治安の悪いところなら素手でやりあう必要なくて武器持った方が確実。だから武器術が先に発展する。
ボクシングとかムエタイみたいに興行や商売としてなら発達するかも知れんけど、そうでない以上は沖縄も含めて
わざわざ素手の技術を高めようなんて普通なりにくいわな。むしろ今の飽和した時代だからこそ可能なんだろうね。 関係ないけどここの言い争い流れ星のちゅうえいとTAKIUEの言い合いみたいな視覚イメージ 伝統派やってたけど、当時、型は奥深くて意味があるものだと思っていた
組手になるとステップ踏んで、全く関係ない動きになる。それでもちょっとした動きに影響あるのかなと
でも、型は変にこだわって意味ないものに進化してるのかな
型以前に組手の基礎で中段受け、下段受けとかやるけど、組手をやり始めるとそんな形ではやってられない
中国拳法も型はあるけど、実戦で使わなくなって使えないものになってるんじゃないかな
動画で、欧米で空手をやってる女の子の型が、クルクル3回転くらいしてて笑った >あとは>>840さんのレス待ちですね。呆れて閉口するかもしれないけど。
亀レスで申し訳ない840です。
>一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
>自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
これが空手に伝わる独自の瞑想法であり特定の型に付随された口伝であると文献資料等でも証明できるならば空手の型に瞑想が包括されてると言えよう。
しかし
>おそらく三戦のような古くからの型はもともとこうした稽古法だったのだろう。
> ちなみに「まつげを見つめる」という意識の使い方は、仏教の言葉から発想したものだ。
おそらく〜、仏教の言葉から発想、と明らかにこれはこの先生個人の独自の解釈によるものであり、果たして他の空手家が睫毛を見ながら型を打っているのであろうか???
普通に目を開けてると睫毛なんか見えない。
いわゆる座禅の半眼(半目)のような目付きになる。
こんな目付きで型を打ってる人がいますか?
この先生個人の工夫にケチをつけているのではなく、他に誰もやってないような一個人のやり方で、空手の型には瞑想が含まれてると一般化して主張するのは暴論ではありませんか?
既に書かれてますが、呆れて開いた口が塞がらないです。
こんなので空手の型に瞑想があるなんて主張するのは恥ずかしくありませんか? 使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな >>954
空手の型は微分積分のような高レベルな数学のように見せかけておいて、実は中身が個人の思い付きやパクリやコジツケだったと判明するから叩かれている
空手の型は古典のように歴史があるように見せかけておいて実は後付けの本当の意味とやらが現代人の思い付きやパクリやコジツケだったと判明するから叩かれている 空手の型を数学に例えるところから間違ってる(笑)
近年に作られたピンアンですらいわゆる四大流派でも解釈がバラバラ
数学の定理のように誰がやっても同じになるような法則性は皆無
>>953のような一個人のやり方だけを普遍の法則のものとして主張するのも数学的ではない 型を分解した移動稽古も基本稽古も無駄かえ?
試合に勝つなら組手を想定したシャドーの突き蹴りに換えるべきかね?
ボクシングやキックみたいに >>954
>使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな
古文漢文を勉強することは決して無駄じゃあないよ。
ただし微分積分を解くために源氏物語を勉強しても時間の無駄だよね。
>試合に勝つなら組手を想定したシャドーの突き蹴りに換えるべきかね?
本当に試合に勝ちたいなら、あるいは勝つためにそれがより良いなら当然そうすべき。
型の試合に勝ちたいのに組手を想定したシャドーにこだわる理由は?と聞かれても失笑されるのと一緒。
微積と古文のどちらが優れてるかという問題ではないし、型とシャドーどちらが優れてるかという問題でもない。
目的に対しての効果の問題。価値なんてのは条件によってコロコロ変わるから論じても意味はない。 >>954
>使わないから微積や古文漢文の勉強が無駄って言ってるようなものかな
えっw頭大丈夫? 組手のために型は役に立たないという解釈なんだなあ〜
そうかあ 空手の型を微分積分や古文漢文と同列に語ってることが頭おかしいという意味では? 空手の型は偽史に例えるのが適切かと。
>偽史は史料そのものを捏造したり、不適切な史料操作や不利な史料を無視したりすることにより歴史的叙述をでっち上げることで創造され、多くの場合自らの真正性を主張する。
>製作者の思い描く「本来あるべき理想」を真摯に記した偽史 むりやり現代の組手に役立つ解釈を型にこじつければ組手に役立つんじゃない?
このスレで叩かれてるのはそういう創作や他流のパクリを、これが本来の空手の型に伝わる意味なんだと歴史を捏造してることなんだけどな。 >>964
逆
現代の競技ルールにこじつけ様とすればするほど使えない、意味不明になる
理由としては結局伝統空手の型の内容を分解するとそれこそスポーツ空手じゃ禁止されてるようなののオンパレード状態になんだから >>965
そもそも空手の型にちゃんと意味が伝わってなく「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」程度のものだから現代人がむりやり意味をこじつけて本来の空手を講釈しているわけで(笑)
>空手は大正時代に沖縄から本土にもたらされたが、初期の頃はやはり型稽古が中心であった。一種の分解組手(型分解)のようなものはあったが、「分解して本に書いてあるわずかな組手しかなくてあれが中心でした」(小西康裕)とされるように、わずかな数しかなく体系的なものでなかった。内容もいまほど精妙をきわめておらず、ずいぶん疑問な点があったが、質問しても「一つの礼式だということで理由をはっきりできなかった」という 組手試合から逆算した勝つためのトレーニングか一番合理的なんてそれはそれで嫌だな
それこそフルコンなら出来損ないのキックボクシングで伝統派は出来損ないの手足剣道みたいで >>966
沖縄で代表的な型である平安などが出来たのが明治後期、本土に伝わったのも同時期だよ
そして本格的に本土でも人口が増えだしたのが大正末
その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
これが今現在本土での伝統空手やそっから派生したののベース
俺が言ったのは琉球空手のほうな 意味の伝わってない、現代人のこじつけの型なんて合理的トレーニング以前の問題だろ。
>一人で三戦の方を稽古する時、私は深い瞑想状態に入ることができる。
>自分の内面に入り込むには、まず自分のまつ毛を見つめる。
普通に目を開けてると睫毛なんか見えない。
いわゆる座禅の半眼(半目)のような目付きになる。
こんな変な目付きで型をやって瞑想ごっこして自己満足してて強くなれるの?
この先生はフルコンで強くなった人なので決して後付けの型の瞑想ごっこで強くなったわけではないのだから、経験のない人間が一からこんな瞑想ごっこの型で強くなれるとでも? >>968
>俺が言ったのは琉球空手のほうな
本土に唐手の型の意味を教えるなという秘密協定の話ですかwww >>968
沖縄空手の何流の何の型が間違いなく昔からちゃんと意味が伝わっているのですか?
その流派名と型名を出せばこのスレの不毛な議論を終了させる事ができますよ
是非とも沖縄空手のその流派名と型名を書いて下さい >その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
これがファンタジーって話なんだがなぁ
船越さんを突っついても何もなかったから弟子が本土武術参考に分解を考えたってのが証言で残ってる
和道流の小西さんだっけ? 型の解釈が「これが口伝!」とか言い張っててもみんな全然解釈が違う。
新垣も桧垣源之助も勝手に言ってるだけ。
これはもうかつての昔ながらの型の用途をつきとめるのは不可能ということだ
舞踊として、こじつけながらも護身術として、新たにそれぞれ意味づけを
もたらして思い思いに発表するしかない、してけばいいと思う。
それで「おお、その解釈実戦的」と皆が感心すればそれが残ればいいし。
しかし舞踊として残すのはいいけど動きを勝手に変えたらだめだと思う 型否定派は型やらされる空手なんか最初からやめとけば? >>974
否定派も型試合と昇級昇段には必要と認めている
否定したい部分は同じ型なのに流派で解釈がバラバラって所だろうな >>974
>呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
>東洋の智慧・叡智の結晶だね型は
こういう意見を無条件で受け入れなければ型否定派になっちゃうのか?
空手の型で瞑想ができるなら素晴らしいと思って何の型なのか質問したら結局は廣重先生の個人的な工夫で、しかも仏教から発想を得たと言ってるからこんなの空手でなくても何にでも言えるんだよね。
それを全ての空手の型に瞑想が含まれているかのように一般化して型を褒め称えるようなやり方を否定しているだけ。
型オタが勝手に思い描く「本来あるべき理想」の型の創作や捏造を否定しているだけで、現実のありのままの空手の型は否定していないんだけどなー >>977
>>1を読んだ?
空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 >空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある
これは誰も否定してないんだよ 今野敏の小説義珍の拳を読んだけど
主人公船越義珍は虚弱児でただただ健康体操のつもりで毎日毎日
ナイファンチばかりを繰り返ししてたと。どうも作者の悪意を感じるけど
沖縄でも大なり小なりそんな感じじゃなかったの >>982
コケ脅しに使えることに気づいた
外国とか日本人空手使いと思ってるから なぜか空手の型アンチも中拳には寛容だが
中拳でも同じ流派の同じ套路で動作違ったり意味違ったりって結構あると思うけどな >>968
>その後昭和に入ってから本土空手は沖縄との差別化のため柔術要素などを取り除き独自に型を編纂しなおした
型のどこに柔術要素があったのかな、と。
>>984
寛容っつーか基本興味ないだけだと思うよ。だってここ空手スレだもの。 >>985
少なくとも琉球空手や一部の伝統空手には今でも四方投げとか柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れるのはあるぞ?
そういうのを廃して打撃のみに特化したのが所謂近代空手の原型 >>986
四方投げって合気道の投げ技の用語だよね。
沖縄では昔からその投げ技をなんて呼ばれたのかな?
昔の沖縄では秘密裏にどういう稽古をしてたんだろうね。
師匠「よし、今日は『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古をするぞ」
弟子「え、なんですか?」
師匠「だから、『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古だよ」
弟子「分かりました『柔術みたく組み伏せてからトドメの突きや蹴り入れる技』の稽古ですね。
他に練習する技はありますか?
師匠「あと『合気道みたいな四方投げ』の稽古だ」
弟子「分かりました『柔道みたいな四方投げ』の稽古ですね」
師匠「違う、『合気道みたいな四方投げ』の稽古だ」
こんな感じかな。ずいぶん長々とした会話で不便だと思いますが、夢のある話ですね。 合気道師範「今日は小手返しと逆片手取り一教、それと横面打ち四教をやろうか」
弟子「はい」
柔術師範「今日は袖車と朽木倒し、それと片羽折りの練習をしようか」
弟子「はい」
唐手師範「・・・・・」
弟子「・・・」 約90年前
植芝「今日は正面打ち回転投げと後ろ両手取り小手返しを練習します」
古流柔術師範達「(なにその説明文みたいな技名w 新興創作武道は大変だなあw)」
でも令和の現代では誰も笑う人は居ないよ。
そもそも何も恥ずかしくないし笑われるような真似もしてないからね。誰でも最初は初めてなんだから。
もうスレも終わりか。1000まで行って気が向いたら誰か次スレ立ててね。 「空手の型はやったただけ効果的という現実」ってスレ立てたらおまえら荒らしにくるのか? >>990
それ逆に言うとこのスレの型オタは荒らしの自覚があって荒らしに来ていたということになるぞ
>>974
>呼吸・姿勢・体幹・丹田・瞑想といった武術の核が凝縮されている
>東洋の智慧・叡智の結晶だね型は
そしてこういう根拠のない病的な型マンセーを無条件で受け入れなければ荒らしになっちゃうのか? >>986
まぁ俺も今あるから昔から伝えられてんだって思ってたから気持ちは分かるよ
今ある物は昔からあるという訳でないって当たり前なんだがそれに気付けるかどうか >>992
現存してる日本で一番古い剣術と言われてる香取神道流だって二刀や居合は江戸期の伝書から初めて出てくるので創流当時には無かった可能性が非常に高い
今やってる技法だけを見て創流当時からあったんだと決めつけるのは早計
空手の柔術技法が柔道や合気道の影響で型の解釈に取り入れた可能性が高いのは空手の柔術技法に固有の名称がないというのも納得できる
空手の型名のクーシャンクーとかスーパーリンペーみたいに中国語っぽい中拳の擒拿術由来の技法名とかあればまた話は別なんだが合気道固有の四方投げとか言ってる時点でお察しなんだよ アンカーミス>>992に同意で>>986に対してな 次スレからのテンプレに
【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果
を追加してくれ↓
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】【オフスパーを募集して逃げたのに型の兵法で勝った】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。