空手の型はやるだけ無駄と言う現実122
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実121
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1597314331/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured ともぞーの指導があるなら、ふくやーまんで無くても市民大会レベルにはなれるだろうよ >>563
「MMA本気で稽古したなら伝統のステップ関係ないんじゃないの?
伝統のステップを本気で稽古してMMAで勝てるなら関係あるけど」
そう、勝つにはそのルールの練習しないと意味ない。
あと、本土伝統にかぎっていうと、型の上手いやつは組手もそこそこ強い奴が多いんだわ
どっちかだけ、というカタワはあまりいない。特に幼児とか小学生からはじめたやつはそう
本人の好みとか、どっちかが中高くらいで伸び悩み始めて、競技選手としてどっちかに特化してく 型の全国クラスの選手だと、高校生やパンピーの黒帯くらいじゃもともと勝てない 一年本気でやれば誰でも市民大会優勝出来る
とするなら、他の選手は一年本気でやってない人ばかりなのだろうか? 型の全日本レベルなら市民大会なら、組手専従選手よりも強いのは当たり前
なら、つまり、型極めればそれなりに強くなるということではないか? >>567
ふくやーまんの空手歴は一年じゃないだろw
馬鹿じゃないの? >>568
型が全国レベルで組手をやった事がない選手がいれば「型が上手ければ市民大会で優勝出来る」って説明になるが…
そんな選手いやしないからな 型は最低一万回はやらないと体で覚えないからねぇ
さらにそこから自身に合う調整をしなければいけない
競技に使うにはさらに競技練習が必要
根気のいることですわ 別に、スパーリングの技だけ習って戦える天才なら、型なんていらんけど、人類の99パーセントはいきなりスパーリングの技やっても身につかない雑魚だからな
そもそも、根気を否定する奴が、型やりこむよりも遥かにストイックな組手主体稽古出来るとは思えん >>572
シャドウとスパーリングだけでキックは戦えるようになるぞ?
型が嫌でキックに転向した人間も実際多いしな >>573
キックボクシング
大多数がフィットネス会員じゃん >>573
それはないなあ。
ディフェンス練習とミットは必ずやるだろ?
強い選手以外はほっとかれるところだとミットは持ってもらえないかも知れないが。
ま、型をやる必要はまったくないけど。 キックボクシングやりたいなら、キックボクシングやればいいじゃん?
でも、そもそも、キックボクシングの技ってキックボクシングの試合以外ではやるだけ無駄じゃね?
首相撲とか、柔道式の投げ技簡単にかけられる組み方だし、
キックボクシングのパンチって腋空いてるからボクシング式のパンチ打ってるだけで全部カウンターになるし
くるっと回転する回し蹴りは初めと終わりに隙があり過ぎて空手やテコンドーに自分のルールで蹴り負けるしなぁ 弱いキックボクシングと違って、ムエタイは
空手と祖先を同じくする型があって、ムエタイチャンピオンは型を習得してる
結局、空手もキックボクシングも弱い中途半端な選手?が型はやるだけ無駄と言ってんだよなぁ >>576
柔道とボクシングと空手とテコンドーをやってないと、キックに勝てないということか。 >>577
ムエタイって空手の型競技みたいのあるの?
一応演舞が出来るのと競技で勝ち抜くのとは全然違うと思うけど >>576
首相撲もキックボクシングの蹴りもムエタイ由来だけど大丈夫?
言ってることが支離滅裂になってきたよ 古式ムエタイと勘違いしてるな多分…又はただのワイクーと勘違い。
古式ムエタイと競技ムエタイは別物。古式ムエタイは剣とか槍とか盾も使うしね。 型万能説を唱えるやつはそもそも型やったことないんだよ
やってればこんな馬鹿な事は言わないからねw 型万能説を唱えるやつはそもそも型やったことないんだよ
やってればこんな馬鹿な事は言わないからねw 因みに、元々古式ムエタイでは蹴り技は前蹴りやローキック、膝蹴り位しかなく
現在メインの左ミドルやハイキックといった回し蹴りは無かった。理由は蹴り足を取られるとかスキがデカイ大技だから云々…。一方手技は豊富で立ち投げや関節技もあり中拳色が強く流派も幾つもあった。
そんな古式ムエタイを簡略化し軍隊格闘技に編纂し直したのが、タイ七大英雄の一人ナレスワン大王。これが現代のムエタイの元となる。
戦場で武器がつき仕方なく素手で戦う時に兵士は軍隊式ムエタイで戦った。基本は自分から何もせず構えてじっとしてる待ちの姿勢。体力を極力使わない配慮だとか。
んで敵が間合いに入ってきた途端に前蹴りでブッ飛ばす。この一撃でなるべく蹴り殺すよう訓練してきたんで半端なかったらしい(示現流かよw)
んでヒットしたら逃げるか武器を見つけて再戦。もし敵が前蹴り見切って突っ込んできたり突破してきたら
肘打ちや首相撲から膝蹴りに移行。んでまたぶん投げる→逃げるor再戦の繰り返しだったようで。
非常に単純で技の数も少なかったようだけど、逆に言うとそれだけなんで誰もが簡単に覚えられて練習に打ち込めるようにしてたので非常に強かったらしい。 一を持って万に当たる。
千招を知る者より一招を知る者を怖れよ。
拳児みたいなw >>577
唐手はかの有名な示現流の思想が〜とか
唐手はかの有名な白鶴拳の技術が〜とか
唐手はかの有名なムエタイと先祖が一緒で〜とか
いちいち他から借りた権威を絡めないとドヤれないのはやめようよ。情けないしみっともない。
たとえば日本拳法(通称日拳)は糸東流の弟子だった澤山に端を発するけど、
事さら先祖はあの有名な糸東流だの唐手の技術を受け継ぎだの喧伝はしてない。
日拳は戦前に発足して現代まで色々な武道や武術や格闘技の影響を受けただろうけど
それらの影響について唐手のように人のフンドシで相撲取るようなアピールなんかもしてない。
なぜか? 日拳は日拳として独自の道を歩んでるからだよ。
日拳じゃなくて同じ空手のフルコンや寸止めであってもそう。自分の道を歩んでる。
日拳もフルコンも寸止めも、共通してるのはそれぞれ対人稽古を長年積み重ねてきたこと。
それによって当然自分達の技術や思想や体系が練磨発展して独自性を帯びてくる。それが自信と個性につながる。
唐手はロクに対人稽古をしてこなくて、今でもしていないから、独自性も育たずムエタイだの中国拳法だのの虎の威を
借りる体たらく。いったいいつまで自分の足で立たず他人の力を借りるマネ続けるんだろうね。 日拳もフルコンも寸止めも、お互い自分達の技を自由に繰り出して攻防できる。
いや、唐手は目に指を突きいれたり金玉を握りつぶしたりする殺人拳法であって
そんなのを自由組手で使える訳ないじゃん、とかいうアホな言い訳するヤツも居るけど。
(それならそもそもどうやって練習すんだって話だ)。
型オタが大好きな唐手の受けて突いてヒジ入れてまた突いて今度は関節決めて次に投げてまた突いて〜
なんて複雑な分解とかさあ、あ〜あと凄い威力のある当破(アティファw)だとかさ。そういう別に目に指を
入れなくても金玉にぎり潰さなくても、充分組手で使用可能な範囲の技でさへ、あの先生も、あの先生も、あの先生も
誰も自由な状況下で再現できてないよね。
分かりやすく言うと、だれがこんなのを自由な攻防下でやってのけれるの?
https://youtu.be/BJo5iJT6npg?t=378
誰もできないよ、だって相手は都合よく固まってくれてないもの。即座に左フック入で反撃されて終わるわ。
日拳、フルコン、寸止めと唐手が一線を画すのはここにある。腕に自信があれば他の権威なんか必要ない。
自分達の技が悪い意味で非現実的過ぎて使いものになれないなら、そりゃ強気になれないよ。
だって実際に戦っても通用しない(というか再現できない)んだもの。仕方なく他の武術の権威を声高に借りるしかないよね。 俺は型肯定派だから、唐手が今後自分の足で立つにはきちんとした独自性を持つ必要が
あると思ってる。そのためには約束組手でいくら色々なことが出来てもあまり意味はない。
自由組手で再現できないことには。
例えば棒立ちの相手に当破だのという一見特別に見える突き方で効かせる事が出来ても
それはパンチングマシーンで助走をつけて走りながら思いっきり振りかぶって全体重ごと殴るのと一緒で
約束ごとの世界では出来ても、それが実際の攻防下で再現可能でないのなら、あるいは通用しないのなら
当破もパンチングマシーンも大同小異でやってる事に違いはない。実戦とは似て非なる大道芸の見世物と一緒。
そんな非現実的な当破だの複雑な分解だのをありがたがるよりかは、もっと別のことに時間を使うべきだと思う。
どういう事に時間を使うかというと、当破や分解を実際の自由組手でどうすれば本当に使えるようになるのかを研究すること。
自分が見た限りでは、約束組手の世界で再現したり習得したりを望む人は居ても、実用化に向けて労力をかけてる人は居ないね。 >>583
かたばんのうせつは、かたやりたくないやつが藁人形打ちに使ってるだけ インドで生まれた武術の、型鍛錬が、
タイと日本に来て
それぞれムエタイ型と空手型になった 東洋武術の大元が、中国に来た達磨大師が
「僧侶達が修行に耐えられえる健康な体になるように」
と、易筋経と洗髄経という経典を漢訳したところからはじまった、というのは
達磨伝説にすぎないんじゃ…
多くの流派で最初の型として教えられてる三戦のルーツこそ気になる 空手の型はやるだけ無駄とは思わんけど
唯一三戦だけは有害だとハッキリ言えるわ 型は型で空手家の嗜みとして、昇段審査のため、健康体操、型競技のために
あって良い。
ただ強さには関係ないわな。 型ヲタは久保優太の格闘塾の動画を見たほうがいい。
こう言う細かい技術はいくら型をやって妄想しても身につかないんだよね >>598
害かどうかよく分からんけど、全てが意味不明だよなw ヲタってなんだよ。オタ臭い上に加齢臭がする。しかも弱そう >>600
対人での経験があって生まれた技術だからね
型みたいな妄想の産物とはレベルが違いすぎる 競技としての空手が強い事は文句はないんだよね
伝統空手でもフルコンでも技術として見るべきところは当然ある
ただ、その空手の技術だと言ってるものの大半というかほぼ全てが
そのルールの競技やってく中で作られてきたモノに過ぎない
型でやってる「動作」を「崩し」とか「応用」とかいって競技技術にこじつけているだけ >>601
明らかに害。サンチンが害じゃなくて正確には筋肉を締め過ぎる、締め続ける
という行為が害。肺にも内臓にも筋肉にも関節にも不必要な負担がかかり続ける。
分かりやすく言うと、例えば今から2分間ずっと歯を食いしばり続けるのと同じ。
その行為を毎日何日も何十年も続けていく。
その行為が健康に良いかどうかで見たら、悪い影響こそあれ良い事はまったくない。
これがまだ歯なら良いけど、体全体で行うのがいわゆるサンチンの締め。
締めを排除したサンチンをやる分にはまったく問題ない。軽い運動としてはちょうどいいんじゃないかな。 このスレでもう何度も投下したけど、これはどう見ても体にとって有害だよ。
https://www.youtube.com/watch?v=u9iqsfIbwLQ
得られるのは自己満足のみ。 >>604
何のルールでも実戦でも対応できない型は最底辺の技術だということは断言できる >>605
ボクシングでも、締めで立つためのトレーニングがあるんだけど、君がそのレベルにないのは分かったわ
締めを力むことだと思ってるって、、
型ばっかりやってるおじさんみたいな奴だな >>608
君もボクシングとかムエタイとかの威を借りないで、「三戦はこういう意味だ」ってちゃんと言えればいいのにね。 空手の型なんかやらずボクシングやムエタイやMMAとか競技空手をやった方が強くなれる。 空手の特徴に、他の武術や格闘技への一方的なラブコールってのがある
例えばムエタイででちょっと使えそうな技があると、あーそれは型にあるある
例えばシステマでちょっと面白そうな体の使い方があると、あーそれも型にあるある
ボクシング、柔道、白鶴拳、剣術、果てはバスケやゴルフやスキーにいたるまで
空手側による一方的なあるある認定がヒドい
逆に、他の武術や格闘技から「うちでやってるこの技術は空手のこの技と同一のものですね」とか
「自分達のこの体の使い方は空手の○○という型にあるののと一緒ですね」とか、全然ない。
常に空手側からの一方的なラブコール。型にあるある認定病。
貧乏な家の子供がさ、金持ちの子の家に遊びにいくと、めずらしい玩具とか高価な家具とか見て
嫉妬と無い物ねだりで「うちにもあるある」言うのと凄く似てるんだよね。幼稚な心理。
金持ち同士の子は、お互いの家にあるものを、うちにもあるある認定できる(ムエタイとボクシングとか柔道と相撲とかね)。
だけど、金持ちの家の子が、貧乏な家の子のモノをあるある認定はしないよね。だって家にロクに物が無いんだから。
唐手の一方的なラブコール。まあ正確には唐手というより、唐手を妄信する型オタの病んだ一方的なラブコールだわね。 三戦は打たれ強くなるためのトレーニングではない!
締めてるのではなく、ゆるめるためにやってるんだ!
こんな世迷言を言う人が居るけど、打たれ強くなるためでしょ? とか筋肉締めてるだけでしょ?
という指摘に対して、反論ありきで言葉を発するから指摘の否定へと繋がる。
繋がるんだけど、じゃあ何のため?と言われたら根本が存在しないから
仕方なく他の武道や格闘技の威を持ち出して「あれだけ有名な所がやってるものと同じことをうちもやってるんだ!」
とかのたまう。これもまたひとつの病んだ心理による傾向だね。
俺の三戦に対する見解と結論は>>151にある通りなんだが。
まず大元の、三戦は打たれ強くなるためのものじゃない! って時点で間違えてる。
意味が存在しない以上、意味を作ることから始めなければいけない。そこから目をそらして
とりあえず型を弁護したい、相手の現実な指摘を否定したい、で打たれ強くなるためのものじゃない!
ってのは間違いで、本来するべき選択肢のひとつは、打たれ強くなるための模索だったんじゃないかと思う。
戦前の船越に端を発する本土に唐手がもたらされて、約100年経つけど
俺は現代に至るこの100年の間に、本土の人間がまず唐手の型に大した意味が
ないことを早々に見極めて、そして100年の時間を使って打撃に耐える、その一点を目指して
技術開発をしていけば、今頃はそれなりのモノが出来上がっていたんじゃないかと思うんだよ。
それでも、打撃に耐えれても刃物で刺されたら終わりじゃん?って指摘も当然出てくるが
しかしそうであっても時間をかけて技術を積み重ねてそれなりのものを残しておくべきだった。
少なくとも、意味がないのに感情だけでいや意味はあるある、威を借りて他でもやってるやってる
なんていう情けない現状よりかはよっぽどマシ。こう言っちゃアレだけど唐手は100年何も積み重ねず過ぎちゃったね。 もちろん、打たれ強くなるためのものじゃない、という思想のもと
別の何かを積み上げるという選択肢を取っても良かった。
打たれ強くなるにせよ、そうでないにせよ、100年あれば何か残せた。
昔のこのスレなら、型オタは自分が考えた三戦のこじつけを古伝だ何だと偽ってウンチク垂れ流したが
今はそのこじつけすらせず、でも反論したいので>>608のようにボクシングでもやってるから〜、という
威を借るキツネ状態。俺は三戦にどんな理論を展開しても、自身のこじつけを認める限りは奨励するよ。 前にも書いたけど
中国拳法にある三戦をみると空手の三戦は意味が違うと思うんだよね
中国拳法のは呼吸とともに短い瞬発的な攻撃力または短いステップでの足腰の動きを鍛える套路のように見えるけど
空手のそれはやたら肉体の鍛錬に重点を置いているように見える
これに関して、那覇手の空手が三戦を伝えたからこうなったのではなく
元々那覇手は鍛錬や筋トレ志向が強く、それに沿った形で三戦を筋肉の鍛錬型として受容したのではないか?と考える
空手の三戦が実際の格闘技術として有効なのかはさておき
そういう身体思想が那覇手にあったのではないかという文化的な考察としての意味はあると考える >>614
概ね同意
那覇手の型よりも首里手の型の方が古くからあった
三戦自体の発想は、セイシャンのこの冒頭の部分にヒントを得て
型が無かった那覇手の人間が作ったんじゃないかと思うよ。
https://youtu.be/UnYeiBR8xgA?t=8
もちろん伝聞とはいえ当時の琉球で断片的な情報として伝わっていたサンチンという
中国拳法の型の概要(ゆっくり受けて突いてをしながら一歩ずつ進む)なども加味しての
結果だと思うけどね。案外、セイシャンが創作される当初に中国拳法のサンチンという套路
を意識して盛り込んだのかもしれない。まあどっちにしろ中国拳法伝来なんかではとてもないね。 空手って動作とか身のこなしが硬くなるよね、それはかなり害悪。 >>618
その打ち方でパンチングマシンやってみてよ
机上の空論で全く使えないのが分かると思うよ >>618
ただ押してるだけなんだよね。
これで強いとかw
マジレスすると、大先生に教えてもらいナイハンチ1年やり込むのと
我流でサンドバック打ちを1年やり込むのでは明らかに
サンドバックの方が強くなれる。 いや、これはやってみればわかるけど、実際に強い突きは打てるんだよ。
フック系は特にわかりやすい。
一部フルコン界でナイハンチが流行ってて、俺の先生も取り入れてる。
ボクシングの村田の動画で言ってることも、これと原理は同じだと思う。(勿論、村田がナイハンチをやってるわけじゃない)
ただ、型の一部に使える体の使い方があっても、型そのものじゃなくてその使い方の部分だけミットとかサンドバッグでやればいいじゃない、と思うんだけどなあ。 >>623
動画で言ってる腰を振るやつとかあれは結局流行りだったりするよね。型の上手い選手がやると皆真似しだしたりするじゃん。
強く打てるっていっても所詮コジツケなんだよね。
あと一部だけ取り上げてそれが凄いものでもトータルで使えないと意味ないんだよ。
合気道が良い例だね >>621
いや、我流はダメでしょ
ボクシングの基本ぐらいは身に付けないと 当破だの、ナイハンチの突きだの、みんな夢見てよく創作するわホント
こんな簡単にね、クッションを腹に設置して突きの違いを見せるだけの事をさ
船越も宮城も摩分仁も本部も上地も糸州も花城も屋部も喜屋武も、俺は随分昔の記録を調べてきたけどさ
沖縄の名だたる唐手家はだ〜〜れも弟子に体験ひとつさせてないのよねえ
上記の唐手家の弟子の数を合わせると1000人は超えるんだが、不思議だねえ
体験した人はもちろん目撃したって証言もないんだよねえ稽古は毎日やってたのに。
これ読んでる人もそうでしょ? 貴方の流派の開祖はどんなの突き性質で
どんな原理でどういうダメージを狙っていたのか、知らないでしょ?
信者は「秘密主義だからきっと見せなかったんだ!」 とか言うんだろうけど
秘密もクソもねーよ。これだけ揃いも揃って唐手家達が軒並み突きの違い「すら」
体験させた事例が無いのは、隠したんじゃなくてそもそもロクな突きが無かったんだよ。
貧乏な家の子が、同級生が家に遊びに来るときだけワザワザ高いオモチャや高価な家具を
全部えっちらおっちら移動させて秘密にして隠してたから存在しない、でも本当はもってるんだ
ってのと同じくらい無理がある。
じゃあその存在しない当破だのナイハンチの突きだのが、なぜyoutubeで一般の人間があちこちで
それぞれ独自の原理と突き方で乱発して公開してるかというと、古伝でも何でもなく最近創作したからだよ。
何度も言うが「型は使える」ではなく
「型(に最近僕が創作してこじつけた突きは約束組手の世界で)は使える」が正しい。 >>626
まあ、そういうことだろうなあ。
ナイハンチの突きがすごいわけじゃなくて、威力の出る突き方の一つが、ナイハンチでも説明できるものだったと言うことだと思う。 >>623
>いや、これはやってみればわかるけど、実際に強い突きは打てるんだよ。
>フック系は特にわかりやすい。
貴方もやってみれば分かるけど、助走つけて思いっきり振りかぶって殴れば強い突き打てるよ?
特にパンチングマシーンに試すと分かりやすい。
でも、それ何の意味があるの? って思うわ。実戦では悪い意味で使えず結局お約束の限定された状況でしか
使えない突きを、凄い凄いもてはやしたい層には受けるかもしれんが・・・。基本なんかどうでもいいから
実戦で使える有効な突きを打てるほうがまだ良いだろ。
>>627
ナイハンチで説明できるんじゃなくて、ドジョウすくいでもアワ踊りでも
説明しようと思えば説明できるんじゃね? 俺の検索の仕方が甘いだけかもしれないけど、古伝の突きだのナイハンチの突きだの三戦の突きだの
色々な突きの威力を弟子相手にミット越しに突いてドヤってる空手の先生が最近youtubeに沢山居るけど。
最初っから足のスタンスも狭く腰もそり気味で踏ん張るのを半ば無意識に拒否しちゃってる吹っ飛び待ちの生徒に
僕が最近考えた古伝の突き、を披露してドヤってる動画ばかりで、肝心のまったく忖度しない他人に自由組手の場で
使えるかどうかを実践してる動画ってのは見たことないんだよね。
当破だのナイハンチだのの突きをやってる先生がフルコンのオープントーナメントでその突きを試した結果を
試合の動画を交えて解説したりとかさ、見たことないんだよなぁ。み〜んな、弟子にミット構えさせてドヤってるだけ。
どっかで見た光景だなぁ〜って思ってたけど、あれだ新興宗教の教祖と信者の世界にそっくりだわって気づいた。
教団の中でなら空中浮遊できるけど、一歩外の世界に出るともう出来ないみたいなね。あれと一緒の気持ち悪さがある。 >>628
いやだからね、組手でこんな構えで打つわけないじゃん?
組手の動きの中で、この原理で打つ突きもできるってこと。
勿論全部この突き方をするわけじゃないし、強く打つときのバリエーションが一つ増えるというところかな。
でも最大の利点は、威力より、拳から動き出すので予備動作がなくて遠間から当てやすいこと。
接近戦での連打には向かないかな。 そもそも、唐手が目に指つっこむだの耳を引きちぎるだのヒザを踏み折るだの金玉を握りつぶすだの
それが本来の姿だ! なんていう殺人拳法なら、わざわざ顔面じゃなく胴体を突いて効かせる突き
なんてお優しい技を開発する必要性ないと思うんだけどなあ。どういう心の変わりようなんだか。
>>630
分かった分かった、教団の中だけではなくフルコンやMMAの場で証明されることを祈っております。かしこ。 >>625
いやそんなもの教えられなくても型だけの奴より強くなれるよ >>629
そういう事。今どきプロの格闘家でyoutubeやってる奴ならお金払って頼めばスパークリングやってくれるでしょ?
それで強ければ生徒も来るのに何でやらないかねw
結局信者しか効かない技なんだよね >>631
だよなwやるなら携帯できる小さな武器をいかに有効に使うか研究するわなw
殺人拳法なら少なくとも俺ならそうする >>618
腰回し過ぎると力が横に逃げちゃうんだよね
ボクシングのハードパンチャーも腰回してないし >>630
予備動作を勘違いしてるけど、逆に読みやすくなるんだよなあ >>635
何よりも大切なのは実際に打って見ること。型やって空気突いて妄想しても絶対に強いパンチは打てるようにならない。 >>636
こういう癖も実際に組手をやってカウンターもらったり避けられたりして学ぶしかないんだよね。
いくら型で正しい動きができても使い物にならないのがこういう理由なんだよね しかしフックで強いパンチを打つために何分もかけてナイハンチやる意味がわからんわw
その時間を全てフックの練習に費やしたほうが良いに決まってる >>631
あのさあ、ただの技術の一つだって言ってるじゃん?
前足で蹴る前蹴りでも、遠間で蹴りながら飛び込む・中間距離でそのまま蹴る・接近戦で腰を引きながら突き刺すとか、色々できるだろ?
突きだっていろんな打ち方ができるし、それぞれ利点も欠点もあるから使い分けるんだよ。
自分の教わったこと以外は使えないと思い込むことこそ宗教だ。
ちなみに証明なら菊野さんがUFCでやってる。
菊野さんが「ブーメランパンチ」と呼んでるスイングパンチはナイハンチの応用だそうだ。 ちなみに俺は、ナイハンチそのものをやる必要性があると言ってるわけじゃないからな。 >>640-641
∧_∧
( ゚∀゚ ) 空中浮遊がんばってね☆
/u u
/ / /
(ノノ
彡 ナイハンチの応用じゃなくて、菊野のパンチにナイハンチが影響してるってだけの話
再現性は無い あんまこういう事言いたくないけど、元から強い総合の選手に型を教えて
試合で活躍したから、ほら型は使えるだろ?っていうのではなく
それこそ沖縄拳法の代表や門下生が総合に出て証明すべきでは?って思うよね。
総合じゃちょっとな〜、っていうのなら極真とか他のフルコンの大会でもいいさ。
ミット持った門下生があんなに吹っ飛んだりうずくまったりするくらい凄い威力の突きなんだから
是非オープントーナメントで相手選手にブチかまして欲しいよね。総合出身じゃなく流派の代表や門下生がさ。
そういう現実に目をつむって、元総合の強豪選手が総合の試合で普通に勝っというだけで
「はい、これは彼じゃなくてうちの流派の手柄。型のおかげ。唐手の凄さが証明されました〜」
信者「同感です!」
ってね。なんなんだろう、ここまで涙ぐましく型を信じこみたい理由って何なんだろうか? 疑問になる。 例えば
>菊野さんが「ブーメランパンチ」と呼んでるスイングパンチはナイハンチの応用だそうだ。
これを令和2年の11月29日に、ブーメランパンチと読んでる殴り方をナイハンチの突きの意味としてこじつけよう!
ってやってさ。もちろん今日こじつけたんだから、古伝もクソもない、最近できたパンチw の何モノでもないけど
それでも1000年後には「1000年の間受け継がれてきた伝統のある古伝の突き」になるんだよ?
ならそれでいいじゃん。現代の我々は名乗れなくても、1000年後の人間は胸を張って古伝の突きを名乗れるんだからさ。
なのに、なぜその「最近僕が考えたパンチ」が嫌で、古伝唐手のナイハンチの応用って事にしたいのかな?
船越や、糸州や本部はナイハンチやってたけど、そんなパンチ使ってたと思う? そういう現実に目をつむって、まだ古伝という事にしがみつきたいの?
と、俺は思う。純粋に疑問なんだ。 実戦で使えるかどうかが大事、とかいう割にはみんな古伝だの権威だのにしがみつくよね
本当に実戦で使える突きを欲しているのならさ、例えば
ナイハンチには特に何も詰まってませんでした〜 (あ、ハイそうですか)
さっきyoutubeの見てて思いついた突きだけど使える突きです〜!(あ、採用します)
こうなるハズなんだよね。それは何も悪いことじゃないし俺も全然それでいいと思う。
だけど、使える突きは習得したいです!(ここまではいい)、でもその突きは古伝という事にしたいです!(なぜ?)
視点を変えるなら、使える突きは習得したいです!(ここまではいい) 型に大した意味がない事を認めたくないです(なぜ?)
となる。型に大した意味が詰まってようが詰まってまいが、昔の唐手家が組手したことなくてクソ弱かろうが
使える突きを貴方が習得できるのならそれでいいのでは? って思うのだけど、なぜか型に意味はあるし昔の唐手家も強かったと思いたい。
なんなんだろうね、これ。俺も自分がまともな頭をしてるとは思わんが、それを差し引いても型オタには病んだものを感じる。 型の技術は総合では使えないと言ってみたり、総合の選手が使ってると言ってみたりw
型ヲタは信念貫けよw ちょっと武道板の過去を振り返ろうかね・・・。ほんのさわりだけだが。
長文になると思うけど、読みたくない人は読み飛ばしてくれ。
>>646
>船越や、糸州や本部はナイハンチやってたけど、そんなパンチ使ってたと思う?
>そういう現実に目をつむって、まだ古伝という事にしがみつきたいの?
自分へのレスになるけど、これは何も今に始まったことじゃなくてね。
新垣清という人が2000年初頭に「沖縄武道空手の極意」という本を出してね。
その本に書かれてた内容は、ナイハンチは「仮想の重心」といって、ようするに
体重を前方に全部出しちゃってつんのめるようにしながら突くのが極意!という旨を書いてね。
で、型について深く言及した本は無かったから、当時の武道板の人達は熱狂してね。
これこそナイハンチに突きの意味だ! とか信じちゃったわけよ。武道板にいる型オタたちは。
でも本を買った人なら分かるけど、重心の制御を破棄して全部前に出すんだから、それはもう前につんのめるような
無様な格好の突きをしていてね。俺は当時武板で「なあおい、ちょっと落ち着けよ。本部は本当にこんな突きをやって
いたと思うか?」って問うたんだ。約20年前にな。
信者はそんな俺の都合の悪い指摘は無視して、これこそ、これこそ古伝唐手! とスルーしたわけよ。
でも、そんな仮想の重心がどうだの前につんのめるような突きだのがどうだの言っても、現代と同じく新垣先生が
フルコンの大会や総合の大会で自身が提唱する古伝のナイハンチとやらの突きを実証できたかといえばね、
出来るもクソもねーよ、そもそも試合にすら出ねーんだからさ。当然、武板で熱に浮かされていた信者たちも
仮想の重心を一端は受け入れて熱心に練習に取りいれたはいいが、結局組手で使えないということで口ごもってしまった。 それから約5年後。今度は船越義珍に内緒で本当の唐手を教えてもらったという「隠されていた空手」を提唱する人先生現れてね。
新垣清は仮想の重心だとかいう身体操作ばかりに目を向けて分解は手付かずだったけど「隠されていた空手」を主張する桧恒源之助
先生は意味不明だった平安の分解を颯爽と現れて柔術をベースにしたこじつけの分解を披露してね。
これにも武道板の住人はコロっとやられた。仮想の重心の新垣なんのその。我らが桧恒先生、ってことで「これこそ古伝唐手!」
とモテはやされた。そしてその桧恒先生は新垣先生と違って、腰をブルブルと振る「ダブルツイスト」という突き方こそがナイハンチの突きだ
と主張してね。武道板の住人たちは受け入れた受け入れた、もうみんなあっちこっちで腰をブルブル、腕をヒュンヒュン、ムチのような
「しなる」突きこそが古伝の突きだと信じ込んだ。
俺はその時も「ちょっと待て、本当にあの本部がそんな腰をブルブル振るようなムチのような突きをナイハンチの突きだといって使っていたと思うか?」
と訴えたんだが当時の武道板の住人にはスルーされたね。まあ、いつの時代も耳の痛い意見はスルーってことさね。
でも、結局隠されていた空手の桧恒先生も、その師匠である久保田先生が独自にこじつけた技術や分解ってことで沈静化した。
で、平成の終わりから令和の今にかけて、トレンドは少しブームが去ったけど沖縄拳法が提唱するナイハンチになってる。 あのね、歴史は繰り返されるっていうけどさ。まあ老婆心ながら言っとくよ。
「これはナイハンチの突きの応用ですよ?」とか信じたい気持ちは分かるけどさ。
ねーよ。そもそもナイハンチの突きとやらを本部を含めて誰も実施指導で提示も明言も
していない時点で気づけってば。幻想を信じたい気持ちは分かるけど、ナイハンチの突きなんて
ただ真横に突きを出す動作の、それ以上でもそれ以下でもなくて、大した意味はないんだよ。
だから本部は残さなかったし、いやさ残そうにも元から大した突きの秘密はないから「残せなかった」し
現れては消える「これこそナイハンチの突き!」の主張者が後を絶たず何十年も繰り返されるのも
大した意味がないから自分達で創作してこじつけてるだけのトレンドなんだよ。それを真に受けてどうするの?
もう一度言うけど、それを真に受に受けちゃってどうするの? 信じたいから信じる、は信者の道一直線。良いカモだよ。 新垣先生は、ナイハンチに分解をこじつけるのは畜生道だとか、船越は組手を知らない素人で
摩文仁こそ沖縄唐手界隈の至宝だとか当時の雑誌の連載で持てはやしてたけど、
桧恒先生が現れて船越義珍の株が向上すると、急に「船越が使っていた突きと、モハメド・アリが
使っていたパンチは同質の可能性がある!」とか言い出してね。型に分解を求める間違いだと
言っときながら、方向転換して平安三段の分解を雑誌で急に披露しだしたりしてね。
まあ、分かりやすいオヤジだなと。所詮は俗物よ。
じゃあ新垣先生は俗物だとして、桧恒先生やその師である久保田先生の評価はどうかというと
当時の武板では久保田先生が創作したこじつけの分解を新垣先生が船越義珍直伝として偽って荒稼ぎした
という評価で、これもまた随分叩かれた。でもね、正直俺も当時はずいぶん叩く側にまわったが、でも当時は
気づいてなかったんだ。だって、叩ける資格なかったんだもの。
15年前、久保田昭山が自分で考えたこじつけをさも「これこそが本当の型の意味!」と
主張した事に対してみんな反感を抱いたけど、よくよく考えれば15年前のその当時から現代に至るまで
多かれ少なかれ、みんながやってる事は久保田先生と変わらないんだよね。いわく、この型のこの動作は
どんな意味があるのか自分で考えて答えを出してこじつける、それって現代でもみんながやってる行為なんだよね。 これは分解に限った話だけど、姿かたちを変えて、分解に留まらず本質は変わらないんだよね。
存在しないものを、エゴによる願望で存在すると決めつけて、いろいろと取り繕う。
それを主張して、あったあった詐欺をする。全部型オタの所業。いやさ空手界の実体。
もうやめにしない? そういう事はさ。
ブーメランパンチが何なのか知らないけど、使えるなら使えるでいいじゃん、古伝じゃなく最近のシロモノってことでさ。
ナイハンチの突きが使えるのなら使えるでいいからさ、現代にナイハンチの意味としてこじつけた突きは使える、でいいじゃん?
昔からそういう意味があったとかいう本当に歴史のある他武道から見たら笑っちゃうようないじましいいい訳を
いつまで続けるつもり? いいじゃん、令和に僕が考えてこじつけた突き!でもさ。本当に使えるなら古伝とか誤魔化さず
最新を主張しようよ。そうしてこじつけた意味の突きも、いずれ古伝の突きになるんだから大差ないんだって事を言いたい。おわり。 電子書籍で出版しようかな?「沖縄唐手の正体」みたいなタイトルでさ。
ここで言うよりも、もっと多くの人に知ってもらえそうな気はする。
まあ、唐手に興味の無い人から見ればどうでもいい話だけど。 夢のない話ばかりしてるが。
ひとつ面白い話をすると、戦前に小西康裕が唐手の普及に来た船越のクーシャンクーを見たときに
過去に琉球出身の学生がクーシャンクー踊りとして宴会の場で披露してくれたものとよく似ている!
と述懐したらしいが、さもありなんで別に船越が1922年に本土に唐手を普及にくる前から
琉球出身の人間は本土に来ていた。これが何を意味していたかというと・・・。
唐手の型を型を知っていた人間が、唐手家が普及をする前から沖縄とは別の本土の地で
生息していたという事になる。沖縄ではロクに対人稽古をしていなくて唐手は発達しなかった。
明日の生活とか心配ない好き勝手やれるどこぞの王子が無双して個人的にちょっと殴り合いのレベルを上げただけ。
では、剣術を発展さすべく誰でも稽古できる竹刀を考案した新陰流や、型稽古ではなく自由な乱捕りを具現化させた講道館
などを生み出した本土では、果たして唐手はどのような発達を遂げたのか?
それは船越が普及に来て大学の学生達が自由組手を模索するよりもっと前の時代の話。 たぶん、本土の人間は沖縄の人間に比べて自由組手とか実戦の志向が強いんだろうね。
あまり知られてないけど、これもある意味唐手の「分派」として枝分かれしたひとつの流派。
その唐手(といっていいのかどうか分からんけど)は俺が調べていくうちに幸運な事に知遇を
経て存在を確認できた。新興流派の那覇手ではなくそれは首里手だった。
多分本当の意味での古伝唐手と呼べるものがあるとしたら、それはあの流派だろうね。
俺が知る限りではどの唐手よりも型と分解と自由組手が現実的に結びついていたし
なにより論理的であり現実的であった。
だけど一見するとそれは唐手に見えないただの本土の武器術だし(稽古の中で徒手の型はやっていたが)
そもそもその道場が存続した時期は空手バカ一代の時期と被っていたので世間的にも目立たなかった。
何より今は閉鎖されて更地になってる。今はその道場出身の残党が各地に居る程度で、消息は杳としてる。 柔道とか近代思想が早かっただけだろうね。
今でいうスパーを重要視しただけ。
その頃も今も、沖縄は型稽古。 俺が徹底的に唐手をこきおろしながらも、現在に至るまで型肯定派で居続けるのはその出会いが由縁。
型と自由組手の両輪を見事に体現してた。理屈っぽくて気難しくて疑りぶかい俺が、どう考えても
ああ、確かにこれは繋がってるなと納得いくレベル。それを目の当たりにしたからこそ
中途半端で稚拙な型オタのかざす妄想が気持ち悪く見えるだけ。宝石とウンコくらい違う。
まあ、なんにせよその俺のお気に入りの流派も今は消滅しちゃった訳で、
結局従来の俺の主張のあまり違いはない。何が言いたいかというと、
∧ ∧
(・∀ ・) <型に深い意味なんて全然無いし
ノ( )ヽ 昔の唐手家達は組手してなくて弱かったんだよ!
< >
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <バーカバーカwww
(( ノ( )ヽ ))
< >
ってこと。今までの俺の主張に微塵も揺るぎはないし、現在の唐手界が腐ってる事に何の違いもない。
どこかに隠されていた本当の唐手があるかも? なんていう妄想こそ反吐を催す唾棄すべき願望。
そんなものはありません。どうしても夢見たいなら、これ読んでる貴方が今から作りましょう、という話。おわり。 >>657
どっちが良いか悪いか分からんよね。それは明治の昔も令和の今も一緒。
型をやって自分に世界に浸って「俺っていざとなれば強いんじゃね?www」
と自己満足して、実際殴り合いの機会なんて生涯でほとんど経験せず楽しく夢見て終わるか
「型とかどうでもいいから、とにかくガチで相手をボコにしたい!」と意気込みを荒くして
一生のうちで殴り合いのトラブルに巻き込まれる事なんか滅多にないけど、それでもやっぱり
痛い思いをして怖い思いをして使うことなんか無い殴り合いの強さを見につける。
どっちが良いか分からんけど、ただ後者の方が納得はいくよね。俺は現実的にある程度の強さは得られた、ってさ。
前者は、「でも、もしも本当に実際に殴り合いになったら大丈夫なの?」って不安は残る。
不安は残るけど、今でいう陽キャと同じで、タイマンとか時代遅れだし、俺が日々気持ちよくなればいいやw
ってことで空手の型をやって自己満足して気持ちハツラツ、運動不足解消、周りの人間も勝手にビビってくれて美味しいw
って方が処世術としては優れてるのかもしれない。つーか、現代の多くの空手家は多かれ少なかれそうだと思う。
でなきゃ、約束組手の世界だけで満足なんかしないよ。でも型を自由組手で実用化させようとしないって事はそういう事なんだと思う。 型とは何か?
型はプログラムであり、戦いのスタイル。
型はの練習は、まず1つの型を身体に染み込むまで繰り返し練習を行い、染み込んだら、変手という名の対人練習で実際に型の技のタイミングを使えるように行う。
この変手のイメージを持ちながら、部分練習を行い、また型の流れを崩さないよう練習する。
すると、変手と同じシチュエーションが実際の戦いで発生した場合は身体が自然に動き、技を発す。
無意識にその動きが出るから、技の意念が出ず、相手は動きを読むことが出来ない。
これが型の練習の効果だが、読んで分かる事はこのような練習はボクシングでも、キックボクシング、総合、柔道、レスリング、剣道、アーチェリー、また他のスポーツでも行われていることだ。
小脳、延髄、大脳、神経、五感様々なものが絡み、身につけられる。
つまり、型は古来から人間をよく理解していた達人が作った武術訓練法なのだ。
だから、型は何百年も残るのだ。
使えないという人は使えるように努力しなかっただけで、本来は型は使えるシステムか内包されているものだ。
型の見方を変え、使えるように努力する人が増えることを望んでいる。
空手の型はやるだけ無駄という現実122 完 >>660
こういうウンコみたいな妄想バカが居るから型は使えないし唐手はバカにされるんだと思う
悪いことは言わないから、寸止め、フルコン、MMAに出てくる技術を丸パクリしてナイハンチの意味にこじつけろ。
そうすりゃ大して意味のないお粗末な型に少しは価値が出てくるからさ。話はそっからだ。 スローやコマ送り再生の方が分析しやすいように
神経系統への記憶に配慮されてるね。
まさか組手の時。始めの合図と共にそのまま
平安初段でもやると思ってる? 配置されてねーよ
配置されてると思ってるなら、それは貴方がそう思いたいだけ。
「型の動作は神経系統の記億に配置されてるということを僕が今『こじつけ』ました!!
というのなら誰も止めないし俺も止めないし好きにやってくれよ。ああ、そうだねってだけの話だ。
それを本来の型の意味だ何だと言い出すから途端に小学生レベルの議論に下がる。もうやめようよそうい不毛なこと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています