騙し騙されの世の中で、何が本物で、何が偽物かを見極めるには、日常的に、当たり前のように、騙し騙されの世界で生きていなければならない。

宗教は騙しがない前提だからこそ、当たり前のように信仰するし、その結果、容易に騙される社会的カモになってしまう。

少林寺拳法の良いところは、宗教でありながら決して信仰できず、どこまでが真で、どこからが偽か、それを見極める目を養う厳しい教え。

信者に決して油断させない、盲信させない、騙したモン勝ち、騙されたモン勝ち。だからこそ社会的修羅場を生き残れる。

あっさり信仰できる宗教、あっさり盲信できる宗教では、お人好ししか育たない。それこそを批判したのが金○禅。



悔しければ、騙されなければいい。