拳法が宗教になり得るというのはその修行の過程自体が勝負目的ではなく、人間尊重や拝み合い、つまりは助け合いを学ぶ精神だから。
この少林寺の調和と合気道の和合、これは言葉や表現の違いはあれど結局ほぼ同じ事を指している

開祖の頃は巻落としは捨て身技だと言われていた