空手の型はやるだけ無駄と言う現実119
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実118
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1589556027/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>300
意味なんているの?
やってて楽しい。
キツイ鍛錬にもなる。
場所を選ばない。
その上で意味なんて後付けの理由じゃないの?
アンタだってハマってる物は、自分の好みに合うのが最優先で、何でそれが有るのとか、それの意味とか考えるの? >>301
一般論としては当然の話だよね。
太刀と小太刀は、両手と片手というだけで変わるし当然構えも変わり、それに合わせて技法にも違いがある。
達人クラスになれば同じとかう人いるのかもしれんけど、その前の武器の違いによる使い方の違いを飛ばしていう人は基本無視して良いかなと思う。 >>302
型よりキツイ鍛錬はたくさんあるし、型より楽しい練習もある
型に拘る必要は全く無い >>302
それならそれはいいんじゃない
>>284
の人が意味があると言っているからどんな考え方なのか聞きたいだけだよ >>304
そんなの個人の自由だし言うだけ野暮
>>305
その人掘り下げてもアンチ同様残念な結果にしかならんと思う >>307
人類が発展してきたのはフィクションを信じる性質があったからだけど度が過ぎると有害
何事もバランスが大事だね 空手家が型に意義を求めようが勝手であること同様、
御殿手が刀をどう使おうが勝手なわけで
それを外野がおこがましくも批評するから怒られる。 批判しようが肯定しようがしっかり技術論語れるなら問題ない
根拠のない誹謗中傷やオカルト信仰みたいな事言い出すからおかしくなってく訳で 批評に対して弁解すればいいのに
喚くだけだから議論にならんし、品位を損ねてると思う 御殿手は基本、型が無いという流派だけどそれでもいくつかの型が存在する。
その一つが宗家しか行ってはいけないというジッチンだけどこれも見ると動きは完全に沖縄舞踏。
既存のいかなる流派の型とも違う。
そもそも宗家しか行っては行けないと言う時点で鍛錬や技法の為の型ではない。
何かしらの祝典などで宗家の人間の力量を見せる為の型何だろうと思われる。
武器や素手での演舞を見ても型をみても御殿手は、かなり沖縄舞踏の影響が強い。
これが空手の原型に近い流派なのか、或いは近代において上原氏の改変、創作が加わってこうなったのか。
実に興味深い流派だと思うけど、多分もうその辺りはの真実はでないんだろうね。 >>312
元手の歩法みても那覇手の影響が見られるんで空手の源流ってのはまず無いかと
産まれたのは1850年以降だろうし上原氏による改変もかなり質量共に大きそう
ただ朝勇氏は舞も蹴りも捕り手も得意だった逸話があるから上原氏の創作説は否定出来るかなとは思う >>313
自分としては、朝勇の爆弾で死んだ長男に上原さんが指導に行ったと言う話にも違和感がある。
本当に一子相伝の技法なら一長一短ではなく子供の頃から時間をかけて仕込むものでは無いかな?
それが、大人になるまで一度も教えて無かったというのも強い違和感がある。
御殿手って、実は朝勇の個人的な研究と創作と言う説はないかな?
それに後付けで上原さんが改変、別の物を付け加えたとか。、 >>280
>剣術は、大体が一刀流というのも理由がある訳で片腕で日本刀を使いこなすのは、基本難易度が高い。
日本刀のプロトタイプである毛抜形太刀は片手でしか持てない柄長なんだけどね
片手用だから軽いかというと決してそんなことはなく柄まで金属製なことから歴代日本刀屈指の重量
宮本武蔵が二刀流を重視したのも戦場では片手で使うことが多いという理由からだし
刀と言えば両手使いがノーマルだというのは江戸時代からの固定観念だろ
>>281
>宮本武蔵が二刀使い出したのは実戦の場から引いた後って話しもあるからあんまり真に受けれないね
二刀を使うのは宮本武蔵の父の新免無二の当理流からしてそう
この二刀使いも九州で見つかった15世紀の香取新当流の伝書や東京博物館所蔵の愛洲陰之流の秘伝書
といった剣術黎明期の伝書にすら見られる
また第三者側の記録である明代の国防関連の書籍にも日本人がよく二刀流を使うことが触れられていてね
朝鮮出兵の際に明軍の将校が残した「平壌両朝録」には倭兵のなかに五尺もある長大な刀で二刀流やってる
ものもいたという下りがある 客観的に考えれば考えるほど、御殿手の技術の特異性が際立つ。
自分も御殿手の人達がいう御殿手こそ元々の空手の技法を残している流派と言う可能性は低いと思ってる。
そして恐らく御殿手は、上原さんの代で色々と追加(改変も?)されているとも思ってる。 youtube漁ってたら、こんなん出ました。
サバットの形
https://youtu.be/G-YPUqYsrjI >>315
そりゃ初耳
ただ武蔵が親父さんから習ったのは十手術じゃなかったっけ?
詳しくは知らんけど
後いくさでの白兵戦は槍や鎧通しがメインで刀自体あんま使われなかったって話しもあるけど
レアケースって解釈で良い? 上原御殿手は八卦だくらいに思っとけばもうそれでいいよ
はい次 >>317
サバットって実は空手や中国武術と親和性高くて凄く好きな武術
技の名前がいちいちエレガント まあ、太刀って元々馬上で使いやすいように作られた説がある物だしね。
片手用で作られたとしても違和感ないかな。
ただ、その太刀も戦国時代では両手持ちのタイプが一般的だしね。
結局、両手持ちで使う方がより実践的と言う声が多かった結果だと思ってる。
因みに虚実の話の多い宮本武蔵だけど、その話の一つに武蔵は子供の頃から二十人力の怪力だったと言う話もある。
西洋の剣術とかみてもやっぱり一刀流が主流だしね。
剣や刀を片手で使うって相当に強い筋力ないと厳しいだろうね。 >>321
西南とか太平洋戦争とか幕末とか鎧兜着けてないシチュや元冠とか船に忍び込んだ時は大活躍してるね日本刀
ただ室町戦国時代の合戦ではあんま活躍してないって印象 >>314
爆死したのは次男
長男は別
大人になるまで一度も教えてないなんてどこに書いてる? >>324
何処かで読んだけど、上原さんは長男に御殿手を代理で指導に行った際に、
その時点で長男は空手の方は猛者だったけれど自分の御殿手の技法には対応出来なかったとか言ってる話読んだので。
それってつまりは長男は父、朝勇から殆ど指導されていなかったと言うことでないの? >>325
それ次男
技法に対応出来なかったってどこに書いてますか? ∧ ∧
(・∀ ・) そんな事よりお前ら、カービィの話でもしようぜ?
ノ( )ヽ
< > >>326
おや?次男なんだ。
御殿手って長男のみの一子相伝だからてっきりその人が長男だと思い込んでいた。
話、事態は雑誌でなら立ち読みなので詳細な部分は忘れたけど似た話をネットで探して見つけたけど、そこでも次男が思いっきり突いて来なさい。
と言って突いたら、ほんのこの指先の一発でガタンときた、初めて驚いた。
と言う内容だね。
ひょっとしたら自分の記憶の中で改変していたのかもね。 >>328
それじゃ
>>314
の違和感はなくなったかな? >>329
いや、その話でも「自分が10年かけて覚えたことを半年で覚えた」と語っている。
これは、やはり子供の頃には仕込まれていなかったとも受け止められるし、
子供の頃には基礎だけは仕込まれていた。
とも受け止められるしね。
一つ言えるのは、朝勇の息子はやはり御殿手を朝勇本人からちゃんと指導されていなかったと言う事。
幾ら本土にいたので最後まで指導出来なかったとしても上原さんが20歳の時点で身に付けていた技法を17上の朝勇の息子は学んでいたけど身に付いていなかったというよは、やはり違和感がある。
因みに長男はどうしたの?病気か何かで死んだの? >>330
息子は、ではなくて次男はでしょ。
長男は本土で生きてたしその子孫もいるらしい。
公式に書いてある。 >>331
つまり、長男は朝勇の空手や手を継がなかったと言う事?
それを継いだ次男が死んでも。 ∧ ∧
(・∀ ・) カービィは何でも吸い込む訳じゃないんだよ!
ノ( )ヽ ほんとだって! オレは見たんだ!
< > >>318
>ただ武蔵が親父さんから習ったのは十手術じゃなかったっけ?
当理流はトンボ絵が残っているけどこの時点で二刀流
また当理流の十手は十手といっても小型の短剣と言えるもので打刀と併用して使う
>後いくさでの白兵戦は槍や鎧通しがメインで刀自体あんま使われなかったって話しもあるけど
各自治体が編纂した県史の資料集を見ると室町時代の書状にはよく「太刀打衆」という部隊編成がちょいちょい出てくる
例えば「一、歩行武者定詰式百人、太刀打衆。」(岩手県史三巻)という具合に
これは太刀打ち戦を専門とする歩兵部隊だと解釈されている
実際に戦国時代に来日した宣教師の記した「フロイス日本史」の沖田畷の戦いの記録では竜造寺の槍部隊を薩摩の兵士
たちが刀で切り崩すことによって戦況を打開する場面がある
>>322
>西洋の剣術とかみてもやっぱり一刀流が主流だしね
近世の西洋剣術で使われるレイピアは西洋の刀剣の中では軽い方だけどそれでも日本刀よりずっと重い
西洋最古と言われる剣術書「Royal Armories Ms. I.33」では左手にバックラー右手にロングソードを持つスタイル そういえば、西洋の剣術は片手盾が主流だった。
これは完全に自分の失言だ。
話の筋がかわるので、西洋の話は一旦置いといてもらっていいかな?
取り敢えず、話を戻すとして、御殿手の刀(正式名称は太刀の手だけど使っている刀は明らかに打刀なので以後、刀とかきます)の使い方は、小太刀やナイフ、山刀的なのはやはり変わらない。
刀は重心が上部に置かれているので基本は刀の重さを振る事で加速をつくり対象を切る。
或いは突く。
御殿手の刀を使った立ち合いの演舞には刀の中部で押し切るような使い方が時々みられるけどこれを片手でやるのはかなりの筋力がないとむり。
と言うか、御殿手の刀の使い方全般が腕力ありきの使い方になっている。 ∧ ∧
(・∀ ・) ま、俺も別にそこまでカービィに興味ねえんだけどな
ノ( )ヽ
< > >>335
無理って何が無理なの
殺傷が無理って意味かな
上原翁は相手を傷つけるなって教えでしょ
御殿手が走っての包囲突破・離脱のためのものだとしたら、それでも刀の使い方がはっきりとダメと言えるのかな >>334
兵種別での部隊編成なんて戦国後期まで現れないんじゃなかったっけ?
自分の不勉強かもしれないけど
あと薩摩のは野太刀部隊で槍衾と同じ使われ方してたと思う 片手で振るのは熟練を要するけど、指なり腕なりが落ちてしまって
仕方無しに片手で戦う事を強いられる・・等は想定の範囲内だった
とは思う訳ですよ。 >>338
殺傷も含めた剣術としての技法として。
それは、本土の剣術流派の技法をみても確認できるし、真剣で実際に物切ってみてもわかるよ。
片手で、日本刀の中部から押し切る形で巻藁でやってみては?
相当に至難なのが解るかと。
上原さんがどう言う方針であれ、その技は朝勇から受け継いだ本部の一子相伝の技法なんでしゃ?
なら、そこには上原さんの思想はあんま関係ないんじゃないの?
それとも上原さんの思想のもとで御殿手の技法は改変されていると言いたいのかな? >>340
自分も片手で刀を扱うのは無理とは言わない。
現実に二刀流と言う流派もあるし、史実にも二刀で戦った人間の存在もいる。
ただ、元々筋力の高い個人での話を抜きにみれば、刀を片手で扱うにはそれに有った使い方と言うのがやはり存在する。
それは、両手でも片手でも変わらなく、自分の身体の力と刀の重さを上手く使う事が必要だと思う。
少なくとも小太刀のような使い方で刀を使うような技法を指導している本土の流派を自分は知らない。 軽量、短めの刀なら、両手で一本ずつ扱うのは珍しくないんだがな
琉球唐手でそれ系なら、釵とかじゃね
大刀とかは、さすがに片手では無理…というかメリットがない 両方小太刀だったら二刀流全然OKとは思うけど片方太刀ならやっぱり人選ぶだろうねぇ
居合とか瞬間的に片手で扱うのはアリだけどずっと片手は正直しんどい >>341
では、訂正するけど上原翁の教えであり朝勇氏の教えだよ
師から教わったことだと発言してる
上原清吉先生 武を語る1
ってやつです 琉球の刀は、日本刀とは柄や拵自体が違うからな
操法や思想も、根本から違うのかもしれん >>343
>>344
そう。
例えば山刀の両手持ちとかならまだ解るんだよね。
サイもね。
抜き打ちみたいに一瞬だけ片手と言うのも当然あり得る話でそれ自体には名人達も何人もいるしね。
ただ、刀を片手で扱うのが基本となると技法としての難易度は一気に上がるし、さらにその扱い方が割と小太刀や山刀的な使い方をしているとなれば尚更。
琉球の武器術に小太刀があったのどうかは解らないけれど、もしも無かったのならば、
山刀の技法を片手で刀を扱う際の指導を御殿手はしていると感じる。 >>346
柄や鞘はシナ風にアレンジしてるけど刀身は本土制だよ
鉄が殆ど採れなかったから >>346
琉球の刀も基本は本土の刀が主流だった筈。
琉球自体でも刀を作っている職人は当時いたのかもしれないけど、そもそも沖縄って上質な玉鋼が作れる鉱山なんてあったっけ? >>347
見た事はないけどヤマナジ術は一応あるみたい >>350
琉球だと多分、刀よりもそのヤマナジ(山刀)の方がより身近だと思う。
当時の琉球の貴族達も嗜みとしてやっていたそうだし。
その辺りはガッツリ中国の影響だろう。
御殿手の太刀の手を見ていてもう一つ感じるのはなぜか、太刀の手だけ居合い(お互いが座った状態での刀での技法)が存在していると言う事。
山刀やヌンチャク、トンファーにはこれは見られない。
更にその居合の型は本土の剣術によく似ており、技としての完成度も本土のと比べても遜色がない。(種類自体はそんなになさそうだけど)
自分の印象としては、居合いの型を中心に御殿手は本土の剣術も取り入れたのではないかと思ってる。
それがどの段階(朝勇からなのか、或いは上原さんからなのか、或いはもっと古い人物からなのかは謎だけど) >>351
居合ってそもそも不意打ちの為の技術で邪道って話しもあるし出来たのも割と最近だしね
御殿手の居合は太刀を床に置いた状態で始めるからまだ好感持てるけど
一部流派の座ってる状態で腰に鞘を刺してる状態で始めるのは武士の生活様式無視し過ぎてて気持ち悪い
座るときは刀を帯から抜いて床に置くのが常識だしね >>341
>それは、本土の剣術流派の技法をみても確認できるし、真剣で実際に物切ってみてもわかるよ。
>片手で、日本刀の中部から押し切る形で巻藁でやってみては?
>相当に至難なのが解るかと。
人は巻き藁ではないし、
片手でもいいから別のやり方でやってみれば
そんな押し切るだけのやり方に拘る必要もない
>>306 残念なのは君だよ。
ここまで言われてもまだ思考停止しか出来ない。
何を言われているのか、意味さえ解ってないだろ? >>301
>>303
剣術をやったことがない人?
構えが違う、道具の使い方が違う、片手と両手でもう違う?
達人になったら同じと言う人とは基本をすっ飛ばしてるって?
・・・。大丈夫か?
本当に、小太刀も刀も鎧徹しも全く違う別物だと思い込んでるのか?
で、習うたびに新しい概念を一から覚え直すとでも?
本当に君達は先生からそんな嘘を習ったのか?
それとも君達が勝手に先生の教えを捻じ曲げただけなのか?
古流武術でそんな事を言い出せば恥をかくよ?
徒手と武器術だって理屈は変わらない。窯wも変わらない間合いは変わるが
原理も本質も身体の使い方も変わらない
イチイチ変えてやってるのなら使いこなすのは不可能では?
全てを同じ原理で行うから意味があるんだが?
ここまで外れて捻じ曲げてしまっているのなら、君達にはもう何を言っても無駄かもしれないな。
技術論?それ以前の問題だ。 >>354
>徒手と武器術だって理屈は変わらない。窯wも変わらない間合いは変わるが
>原理も本質も身体の使い方も変わらない
>イチイチ変えてやってるのなら使いこなすのは不可能では?
>全てを同じ原理で行うから意味があるんだが?
そうだね。原理が違っていいのなら、それこそ
突き技はボクシングから
蹴り技はキックから
投げ技は柔道から
寝技は柔術から
武器術は剣道からパクってきて
「ハイ、これが空手ですw」
ってのもまかり通ってしまうからねえ。つーか、実際みんながやってる
「分かった、こういう意味があるんだ!」「同じ身体操作がある!」
なんていうこじつけ行為がまさにこれだしね。バカな話だ。 >>339
上泉伊勢守信綱は「訓閲集」という軍学書も残してるのだけどそこに記されてる陣立表は
あなたのいう兵科ごとの編成になってるよ
少なくとも中期時点ですでにそれが学問として成立してるぐらいなので以前から発想自体はあったんじゃないかな
>>349
日本刀って東南アジアでは「レケオ」「リキウ」と呼ばれてたのだけど
これは当時の琉球人が身に着けていたのが日本刀だったため
>>352
居合自体はかなり成立は古いよ
例えば戦国時代成立のタイ捨流は成立当初から居合の流派だし元となった上泉時代の新陰流もどうも納刀つまり居合で
始まっていた可能性がある
また座った状態で腰に刀を差してやるのはかの水戸光圀公も書いているけどあくまで不自由な体勢でも刀を自在に扱える
ようになるという鍛錬目的で実際に座った状態での戦闘を想定してるわけではないよ 武術は精妙なミリ単位の身体操作が〜、とか
あるいは単純に肉体的な酷使だとかで
武術が持つ厳しさがどうこうって言う人多いけど
俺は>>354が言うような原理原則こそが武術が持つ厳しさだと思うよ
うらやましい技や面白そうな技があっても、それが原理原則に反するなら取り入れない。
というか取り入れられない(取り入れたら技術体系自体が破綻するから)。
故に流派とは別に個人的に習得するか、あるいは流派の原理原則にカスタマイズして取り入れる。
それをしないで、システマを見て「あー、それは型にあるある」
示現流を見て「あー、それも型にあるある」って取り入れるのは無い物ねだりの貧乏人根性まる出しだよ ただし、>>354と違って俺は唐手の型に大した意味はこれっぽっちも詰まってないと思うので
あるある詐欺で取り入れるのはある意味仕方ないと思う。本来なら原理原則をまず確立させたのち
型にこじつけるのが一番近道なんだが、どうやらシルエットクイズしてる人たちはそこまで考えが
及ばないようなので、質より量でまず大量にこじつけて次の世代に託して濾過させる →また次世代に託す
を繰り返していけば、100年とか150年くらい経てば自然に原理原則が確立されるので丸パクリを推奨してる。 >>352
>居合ってそもそも不意打ちの為の技術で邪道
既に抜刀状態の剣への不利を克服したり
突き付けられた状態から逆転したりするためのものだったかと。
>出来たのも割と最近だしね
居合を纏めた林崎甚助のいた戦国時代には既に存在していたみたいだけど戦国時代って最近なの? 普通の感覚は十年一昔なんだが、不老不死の人間なら戦国時代を最近と感じるんじゃない? >>360
いやそんな古いとは思ってなかったんで訂正する
というか実は居合は全然詳しくないのに語ってしまって失敬 御殿手の剣術でここまで話せるのは凄いwww
さすがオタクwww
普通はあー柳龍拳の類いね、で終わりだろww r=、r=、
__{θ{θ}
/´l r `'、_,ノi、 今日からここはヨッシーについて語るスレになりました
{ )
`、 _.r(_ ノ
`´-r _ノ)
/ !`i)
i i 「ン__r'^i
/! / (_`!し'i j
Li、 '、_ツ`ー' /
__ >、j__ r'
i'´ Y⌒ヽ ̄}
`=-{ )
`-=='`=' >居合ってそもそも不意打ちの為の技術で邪道
抜いてから斬るまでのタイムラグを如何に短縮するかがキモで
あらゆる武道や格闘技、アメリカなら開拓時代の早撃ち勝負と
共通するトコだと思うね。 居合は、不意に接近戦挑まれた時の術だろう
古流剣術でもある
間を詰められると、長い刀はかえって抜けず不利になる
じゃ、そこからこうすればいい的な 現代では使えないね
刀持ち歩けないし家でも持ち歩かないだろ >>353
>人は巻き藁ではないし、
日本刀で人を切った事あおりで?
>片手でもいいから別のやり方でやってみれば
>そんな押し切るだけのやり方に拘る必要もない
自分は寧ろ片腕で扱うで、刀でそのやり方は理に適ってないと思っているけど、実際、御殿手にはそう言う刀の扱い方が頻繁にでる。
これ、山刀や小太刀ならあり得るけど刀だと無理があると思うよ。 んー。巻き藁斬りって、人間の胴体にみたてたあれを斬るってやつでしょ
そこまでの威力を求めないのなら、刃筋さえ立っていれば、片手討ちでも相手が素肌なら普通にヤバイ傷ができるよ
あと、相手の勢いを逆用した刺突を多用してなかったっけ、御殿手の演武だと
あれなら大した力はいらないような >>365
別に居合いは早く抜くのが目的じゃないから
西部の早撃ちと比べるのは不適当
あと早撃ちは抜く早さよりも撃ちおわったあとに、いかに早くホルスターに納めるかが重要。
下手したら抜くときの早さ以上に大事になってくる。銃はカッコつけて人差し指に引っ掛けて
クルクルっと回す仕草が有名だけど、後年ショーや映画などで見栄えいいから勝手に一人歩き
しただけで、あれ本来は撃ち終わって戻すとき半回転させてホルスターに納める時に必要な技術だった。 >>273
形の試合と段丘審査以外では意味ない。
下手くそは気合いがデカいというあるあるもある。 まぁでも田宮流の開祖なんかは居合は鞘から抜き放たれる一瞬の速さこそ重要だとか書き残しているけど
林崎流田宮流関口流といった古い居合流派は打太刀が脇差を持っているけどあれは腰之廻や捕手を想定している
例えば紀州田宮流では一方が相手を取り押さえるもう一方がその取り押さえようとした相手に抜きつけるという試合形式の練習をしていた 武器の話は尽きないね。
自分は齧った程度だけどそれでもまだまだこの話題で話ができてしまう。
他にも詳しい人達も参加するとなおさらね。
ただ、ちょっと脱線が大きくなって来たので、話の起動を変えるんだけどれど、
この動画をみても感じるけれど、御殿手はやはりその技の中核には沖縄舞踏がガッツリ組み込まれていると思う。
https://youtu.be/aoi0beyJzpE
素手であれ、武器であれ。
だからこそ武器術としてみると御殿手の武器術は、武術というよりまるで剣舞の動きに感じられるけれど、素手の技としてみると舞の中で空手の技をだしている印象になる。
この沖縄舞踏の動きは元々御殿手にあった動きなのだろうかな。
それとも上原さんが組み込んだ動き? ./ニYニヽ
r、r.rヽ. / (0)(0)ヽ
r |_,|_,|_,|/ ⌒`´⌒ \ で?っていう
|_,|_,|_,|_,| , -) (-、.|
|_,|_,|_人 (^ iヽ__ ノ l |
| ) ヽノ | `ー'´ /
| `".`´ ノ
入_ノ
\_/
/
/ 例えば元々本部家に伝わっていた武芸踊りをもとにしたのが御殿手なのか、或いは逆に武芸踊りを意識して沖縄舞踏の動きを組み入れたのか。
後者なら、残念ながら近代に作られた創作武術と言う事になるけれど、前者だとするのなら御殿手は、御殿手の人間達が言う通り、古伝の空手を伝えている武術と言う事になってくる。 . /ニYニヽ
/ (0)(0)ヽ
/ ⌒`´⌒ \
| ,-) (-、.|
| l ヽ__ ノ l |
\ ` ⌒´ / ./ \Yノヽ
/ (0)(―)ヽ
/ ⌒`´⌒ \
| , -) (-、.|
l ヽ__ ノ l |
\ / >>別に居合いは早く抜くのが目的じゃないから
真の目的や如何に? >>380
さあ? 結局修養じゃないかな。
別に居合いに限ったことじゃなくて、武術の大半がそうだけどな 修養に関しての話はこれ↓
https://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/budou/1482156376/461-462
このヨーデルもさ
https://youtu.be/WjpkaFTwPVM?t=123
プロの歌手とか芸能関係で食ってる人間じゃなきゃ、ここまでのレベルをマスターする必要ないのよ本当は。
だって使う機会ないもの。いいとこ、仲間内のカラオケで使ったり会社の宴会で披露できるくらいか?
そんなの一年の間に何回あるんだって話。そのためだけにわざわざ練習するのはコスパ悪すぎる。
悪すぎるんだけど、それはそういう機会に使うからコスパ悪いんであって
ただただ純粋に自分がそれを修めたい、もっと単純にやってみたいと思うのなら別にコスパ関係ないよね?
だから居合いの目的だの存在価値だのは時代によって変動するけど、現代でいえば
>>368が言うように刀持ち歩いて生活するなんて非現実的なんだから、さらにそんな状態で襲われるとかどんだけの確率なんだw
って話なんだから、実際に刀を持って居合いを使うための練習ではなく、自身の修養として身につけるってのが落としどころになる。
まあ、そんな話よりもさ、>>371でどうして銃を早く抜くよりも
ホルスターに早く戻す事のほうが大事なのか知りたくない? ねえ知りたくない?(チラッ チラッ >>377
沖縄の歴史をあまり知らんのだが
昔の空手は政治政策か何かで禁止されて
踊りの中に空手を隠したんじゃなかったのかい?
で、その仕方なしの歴史的工夫のそれは創作と言ってしまっいいのか?
何処まで正しいか知らんけど、歴史とかに明るい奴解説頼むわ >>383
>何処まで正しいか知らんけど、歴史とかに明るい奴解説頼むわ
はーい、詳しいよー。だけど肯定派は感情的になって俺が真実を話てるのに理解してくれないんだよな。
>昔の空手は政治政策か何かで禁止されて踊りの中に空手を隠したんじゃなかったのかい?
真相は、まず「隠さなきゃいけないほどの大した技術が無かった」です。 ./ \Yノヽ
/ (0)(―)ヽ
/ ⌒`´⌒ \
| , -) (-、.|
l ヽ__ ノ l |
\ / >>369
>>人は巻き藁ではないし、
>日本刀で人を切った事あおりで?
頭の悪い受け答えだなと、自分でも思わないかい?
思わないならやっぱり君はその程度で終わるのだろう。
とても残念だよ。 >>386
自信があるのでしょう。
あなたより正しい認識を持っていて正論を言えていると確信しているから
謙虚に受け入れるだとか自身の認識を別角度から見直す等をするまでもなく、
自身の主張を補強する根拠を挙げつづけることしか頭に無い。 ∧ ∧
(・∀ ・) ま、俺も別にそこまでヨッシーに興味ねえんだけどな
ノ( )ヽ
< > 空手は中国拳法のパクリ。これは事実。
明治の空手家は琉球ナショナリズムに囚われて
いろいろ言ってたけど
白鶴拳もしくはその近縁の福建武術をパクったのは明らか。
で、糸洲は素直にその事実を認めたんだけど、
船越は沖縄の土着武術だったことにしたい、
と思ったので、
俺の師匠の安里は田舎の舞方が空手の起源だと
ゆってた!と主張した。
上原は若い頃は特に何も考えずに
本部手と称して
普通の沖縄空手を指導してたんだけど、
年とってくると認知機能低下したせいか
うどんがどうしたとか言い出したり、
変な妄想剣術始めたり、
あるいは船越のいい加減な戯言を
間に受けて琉球舞踊を取り入れたりした >>383
流石にそれはないかな。
空手が、昔の琉球の政治政策で禁止にされたと言う話は聞いた事がないので。 空手が禁止されていた事実はない。
役にたたないからやるなと言う風潮はあった 上原は若い頃は普通の空手家だった
変な妄想理論先行になったのは年とってから ていうか禁止されるほどの
知名度はなかった。
士族のオタクがやってるマイナー武術だったから 空手がまがりなりにも
ここまでの知名度を得たのは
第一に糸洲一派、第二に船越のおかげ。
糸洲が体育になりますよみたいな宣伝しないと
船越に声がかかることもなかったので
功績第一は糸洲。
糸洲がいなければ
空手は単なるマイナー武術として
誰しることもなく絶滅していただろう >>392
興味深い話だけどそれ何処からの話?
上原さんの昔の話って殆どが御殿手関連の人達からの情報だから偏った話ばかりなんだよね。 >>394
絶滅はしなかったと思うけど今の古流柔術の扱いだったろうね。
上原さんが空手の指導を再び始めたのも当時の本土での空手人気が関係無かったとは思えないし。
実際、本土で空手人気がある程度定着したから、沖縄で今程空手の道場が増えた部分もあるだろうしね。 絶滅するほどやってる人間が少ないなら技術の発展も見込めませんわな 唐手は沖縄士族の基本教養だよ
文武両道がタテマエだからね
(この辺は武士も同じだが)
まー、伝統武術って凄い秘密主義で、今とは違うからな
特に唐手は伝書とかの類すらほとんど残さず、断片的な記録しかない
だから、口伝とか伝聞ばっかになるのは仕方ない
(近代になると、写真とか本とかバンバンでるようになるんだが) >>398
本土の方はまだ、文字での記録が多く残ってるので何となくイメージや流派の流れを辿る事が出来るんだけど、
沖縄の場合は、口伝文化だったからね。
今となっては昔の正確な記録は殆ど解らないのが現実じゃないかな。
言い方悪いけど、言ったもん勝ちな部分は有るかと思う。 当時の唐手が教養といえるほどのもんかねえ
ラジオ体操を教養といっちゃうのと同じレベルの話 そもそも、白鶴拳を有名な先生がわざわざ中国まで行って学びにいった、という話も
本当に白鶴拳なのか? と疑問を投げかけられてる
ぶっちゃけ、白鶴拳とは名称の共通点がある程度で、似てない
と、いうか中国南派拳で、琉球唐手ほど締めやら決めを重視するところはほとんどない
南拳の三戦や二字甘羊馬は、柔らかい立ち方で、今でいうリラックスを重視するからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています