第16部 備中竹内流を名乗る竹内流備中傅の大嘘3
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古武道で総合武術「竹内流」とは。
日本柔術の源流「竹内流」は岡山県岡山市北区建部町の竹内家(竹内久盛の子孫)に伝わる「一子相伝」の家芸武術を言う。
その竹内家の流儀は竹内流宗家と竹内流相伝家に一人ずつの「 師範 」を置く。
「竹内流」の師範は
宗家竹内藤一郎と相伝家竹内藤十郎のみ存在する。 中山先代は京都聴風館の小野へ出した皆伝免状の件で竹内流の宗家先代から参上無用となった。
したがって、中山先代は小野へ出した免状で晩年は後悔していた。
中山先代は竹内流の伝書に一代限りの文言を入れなければならない事を当時は知らなかったんだよ。だから京都の小野以外には一代限りの文言が入っている。
小野はそれを中山先代から自分にだけは特別な皆伝をされたと勘違いしている。
山崎信正から井谷へ渡った伝書、井谷から次に渡った伝書にも一代限りと有るし、印鑑も当然の事ながら竹内流という名で押印などされてはおらない。
備中伝の日新館系列も聴風館系列も先々代からの勘違いと先代からの勘違いがわかったからには改めるべきだろう。
さもなくば竹内流の名印を使えば使うほど真実を知らないニセモノだと自ら広めている様なものではないのか。 新興勢力が伝統保守派から関係性を 断たれたのが荒筋かい? 伝統保守派というよりは五百年もの間
今もなお一家一族の血脈を頼りにして
日本の古い文化、習俗、風習がいまだに続いている個人はなかなか無いからね
人間国宝か文化勲章モノだと思うよ
山鳥毛みたいな五億円以上の値がつけられる様なシロモノとは違う たまたま京都の元愛宕が自宅の裏山に繋がってたからとか
たまたま女房の旧姓が竹内だったからとか
そんな話で「私は竹内流の師範です」は普通の人なら言わないよ 竹内流を習った人は何も備中伝だけじゃないよな全国に沢山いる
しかし竹内流の師範ですなんて赤の他人が言うのは備中伝だけなんだろ?
竹内の家人が一子相伝の竹内流だと言うんだからそうなんだろうさ
宗家へ通うお弟子達もいるわけだ
いくら備中伝側が頑張ったって宗家のお弟子を超えて余所者が竹内流の師範ですなんか言う備中伝の方がイカれてるのさ 渋川流
関口流
双水執流
みんな備中伝よりもより竹内流らしいぜ! そうやなー
宗家門人を差し置いて金だか手土産だか渡して数回習いに行っただけじゃ竹内流師範ですなんて言えんわな とかくインテリな大学出のお兄さんたちは、本にこう書いてあったと参考書ばかり頼ん主張なさるのう。
本に書いたら、何でも本当になると幻を見ていらっしゃいますな。 インテリすぎて、本筋が見えてないんだ。
勉強がおできになるのも良し悪し。 今さら竹内流じゃないと言われたら不条理だあああ!とか言ってる似非竹内流団体がやってきた諸々の事の方が不条理だあああ! 先代中山師範の備中伝の内容のままならまだしも、四半棒だの青葉の秘伝だの十六代の個人創作をあたかも昔から伝わってきたかのように神伝だなんてやり出したら今さらも何も竹内流を勝手に名乗るなと言われても仕方がない。 だから先代は京都へ出した免状を晩年になって後悔したんだよな なんのために古武道が伝わってきたのかよく考えるべきでしょうね。 竹内家での伝統とそれ以外の地域での営業とでは意味が違う。
だから、紛らわしい名前を名乗らないし、仁義を尽くすべきでしょう。
根本を見つめるべきです。 そもそもの間違いは竹内流の師を名乗るべからずとの掟を破った誰かさんがいる
次の間違いは竹内流の皆伝は一代限りだとの掟を破った誰かさんがいる
ついに竹内流備中伝の系譜は全部掟破りの流派だという専らの評判になっちゃった 自分のところが本筋みたいに宣伝して弟子をとってきた実績があるから、今更ながらの名称変更ができないんや。トップは責任とらない、無責任やろ。 備中伝はトップの人数が多すぎて逆に無責任体質さえ改善できないんだ トップがたくさん居る流派なんてどんなんやねん
コロニーかよ
クラスターかよ 竹内家に竹内流が限定されてしまう原理はごもっともな話だ。
じゃが、そんな事言ってたら、竹内家に何もかも限定されてしまわないかな?
そんなこと言ってたら、早晩滅びますよ。それでも良いと仰いますかな? いつもそういう撞着語法を使ったレトリックで誤魔化そうとするのが竹内流の似非と言われるの元・竹内流備中伝なんだと思う! 竹内家の限定で宜しいと久盛翁から三代に渡って纏めあげたのが竹内家の竹内流儀
それで何か問題でも有りますかな? Aと、no A を無理矢理「and」で繋げる訳にはいかないだよ! 備中伝さん、朗報だよ。
政府が公文書の押印やめるってよ。 竹内家は
元々竹内流備中伝とは別流派で竹内家の竹内流とはまったく関係ありませんとハッキリ述べてるって事
一方の竹内流備中伝は
竹内流(備中伝)とか書き換えて曖昧さを残したまま竹内流を騙る迷惑な混ぜこせ武術団体だ まぜこぜ古武道は、かまわんが、本家本元に同じという表看板が良くないね〜。 流派なんてもんは何のあてにもなりゃしねえ。
ましてや流派名に執拗にしがみつくなんてのは無様の極み。
たとえ技が上手く出来ても、ママのおっぱいから離れられないのは、そいつの根本がパラサイト気質で自立する力量がないから。
何年やってもそのことに気づかない奴は修行する意味がない。
備中伝の奴らはいつまでも竹内流という名のよだれかけを宝物のようにして手放さない。
まったくもって、恥ずかしいやっちゃな。 小野さんのむちゃくちゃを東京で広げちゃったからなー >>729
まさにその通り
そして逆便乗したのが本部だったようで
もはや不思議な序列指揮だ 抜き足差し足忍び足パクリ足って
唐草模様が悪ぃわけじゃないけど連想するわな かねてより、移入してきた技もある。最悪なのは、移入してきた技も理に合わないからと改変して、何がオリジナルかわからなくしてしまったと聞いている。
それでも移入元の名前をうたうから混乱が倍加しているって話だ。 最低じゃないですか、そんなの。
一番やってはいけない事なんですよ。 師範は改変してもいいって聞いてるって言うてたわ
常識で考えりゃ
どこぞか他所さんの流派ならいいけど
竹内流の師範を勝手に名乗っといて「師範は改変してもいい」って非常識人
しかも師範が複数人いるから始末が悪い
天〇教の教えにも無いだろ? 普通なら、以前に習った技と今の稽古が違ったら、兄弟子達が黙ってはいない。
備中伝さんは、先輩、兄弟子達が居ない状況をつくり出して、狭い道場で、小数が好き放題をやってる。
今の独走状態は、客観性が欠落して、もはや重層的な歴史ある武道場の体裁をなしてない。
目の上のタンコブがなくて、同時に重石も掟も無くした。
連盟からも飛び出して制約もなく、一見して活動の自由を得たかもしれないが、岡山の大切な友達も失った。 >>734
それってもう古武道じゃ無いっすよねー
普通にある新興武術家の集団体じゃないっすか? 備中伝の人の中にもそれを言う人はいたよ
流儀のものに現代的な解釈し付けてはいけない、
理屈を欲しがるのをやめ、まず古きに身を置け、
どこか他の柔術をやっていた人でしたが
良い話をしてくれた >>737
>目の上のタンコブがなくて、
竹内流(備中伝)なんて言い始めた自称16代師範達が二人もいて
目の上のタンコブを片っ端から追い出したんだから残りは化すか木瓜ばかりやん 中興の祖である先代師範の他界後に混乱と独裁が始まった。
タンコブは先代師範だった。 >>742
東京です
東京はここでの言われは酷いんですが
その人は「いい稽古だ」って言っていました 先代師範の外交力がなくなり、内政には指針を失い、商業主義がはびこり、他流からは遊離した。
これが現実。 はあ?
だからか、京都の小野館長も東京も
倉敷の先代師範が居なくなってからなの?
京都でやりたい放題に言いたい放題ってそういう事だったのか
京都は
私は分家だが倉敷の道場の師範でもあるからねっていうてたけど
先代師範が亡くなってからなんだろうな
そんな事言うのって ちなみに京都では盛モリ話を門人は話半分と思って聞いてるから
信じてんのは親族くらいじゃないかな でもさ、当の京都門人はそんなボケ老人の大ボラをなんとも出来ないんだろう? 間違えた情報を、さも正しいのだと教えて、確認もせずに真実だと受け止める真面目すぎる弟子達が拡散した皺寄せが今なんだよ。 いや、弟子も知ってながら正すこともできず言われるがままに広めてるんだろう
どうせ弱いやつらの集まりでしかないんだろうから 京都の小野を毛嫌いする弟子も多かったが、異を唱えるような奴は小野から離れ、結局小野をおだてて偽物の免状目当ての奴ばかりが稽古していた。
子供や初心者の稽古では、あたりさわりのない型稽古をしているように見えたが、
黒帯向けの稽古は、稽古というより小野が技を改造したり創作したりする場になっていた。
うさんくさい指導者が複数いた。
コロナがなくてもあんなカオスな状態じゃあ存続は無理だった。 事実ですね。
本当なら、小野さんの活動は続けられないはずなのだが、
外国人をそそのかしているので、彼らが人を呼んでくる。
小野さん本人は外国人を相手にしてかっこいいとか良い気になって、
ホラ吹きまくっては自分の好きなストーリーを彼らに教え込んでいる。
小説家になったような気分で平気で史実を作り変えたり、
技をおかしく改造したり、祭りや石碑などでっちあげばかり行なっている。
現在の活動は外国人や日本人の年長者に任せて続けている状態。 備中伝のオノの弟子で人信の諱を使う人物が
以前に京都の道場で話してたんだが
「問題のないところにわざわざ作られたものだと思います。」だったかと
だが元々問題があったのを亡くなった先代師範が竹内流を名乗らずに地元の岡山県で活動していたからだけど
そんな話さえも無かったものの様にオノ、タカギが仕立て上げてしまった
人信って人物も師範って事だけど事実をわかっていないところをみると
問題が有りなのはやはり東京道場なんだよなぁ 備中伝のオノの弟子で人信の諱を使う人物が
以前に京都の道場で話してたんだが
「問題のないところにわざわざ作られたものだと思います。」だったかと
だが元々問題があったのを亡くなった先代師範が竹内流を名乗らずに地元の岡山県で活動していたからだけど
そんな話さえも無かったものの様にオノ、タカギが仕立て上げてしまった
人信って人物も師範って事だけど事実をわかっていないところをみると
問題が有りなのはやはり東京道場なんだよなぁ >>754
やってる
おおかた古い師範クラスの門人は生業の方が忙しいからたまにしか来ないけど
そこに目を付けたヘコで口の上手い奴が出世してやってる 仕事が無いやつですよ
つまり
年老いて誰も寄り付かなくなった道場を食い扶持にしてるみたいなんだけどね 竹内流を習った全国の先人達はそれぞれ竹内流としての名代を数えていない事が正しい
竹内流は皆伝であろうと一代限り! いいひとが抜けていったらだめなのしか残らないもんだね
そこでぜんぶ終わりだよ
小野さんが誤ったのは自分を叱ってくれるひとを持たなかったこと ホラ吹きの弟子はホラ吹きにしかならない
一生ホラ吹いて終わり そりゃその通りだな
これこそが竹内流の真髄っとか言って四半棒を取り出してみたって
オリジナル竹内流には四半棒の技なんて元々無いんだもんな
パクったの京都の訳わかんない爺さんの方 >>757
下手くそで口だけは上手いってヤツなら1人しかいないんじゃないかとおもう
そんなのがまた竹内流だなんて言い始めるわけで全くタチが悪いし始末におえない でも、口下手だと伝わるものもろくに伝わらなかったり
本人のなかで誤解をふくらましてしまうことも 竹内流(備中伝)の表記は
新陰流(疋田伝)の逃げ表記を模倣してる様に見受けるが
新陰流(疋田伝)は地名地域名の「疋田」では無く個人名「疋田 景兼」によるものだ
竹内流(備中伝)表記するのは間違えで
備中伝(小野流)ならいいけど今のままなら竹内流本家の方に迷惑だろうな 結局さ、流派名に地名を付けても混乱が起きるんだよ。
いさぎよくさ、個人認証でやれば間違いないのさ。
地名で表記したら備中伝山城伝江戸伝とか、ぐじゃぐじゃになっちゃうよ。 その方が責任の所在も明確になるよ
今の竹内流備中伝だか竹内流(備中伝)とかだと
亡くなった先代からそう聞いたとか色々ありもしない事実をでっち上げて
死んだ人のせいにして逃げてるだけだもんな
後ろめたいくせに前向きさも無いんだからな 近来における日本の武道は柔道、剣道を代表的に見てもその決め事をはじめあらゆる規則を元に、試合をし勝敗が決まる。
古の武術に立ち返って考えるならは「古武道」と称される部類のうちで特に柔術は日本固有の伝承文化を重んじているものを示すのであろう。ならば、ここに登場する「竹内流」はまさに日本固有の伝承文化を今に残す極めて稀有な流派である。
その「存在」価値を揺さぶる様なものは他に一切無いであろう。もし有るとするなら「竹内流」が失伝したそののちである。いかなる場合をもってしても「竹内流」がもつ伝承形態は普遍的であって特殊を認めない。したがって日本伝統の文化としての古武道は多種に渉るが、「竹内流」が固有にもつ流儀としての伝承形態は「竹内流」の「特徴」であり特有のものである。
今であるからこそ、日本固有の代表的「竹内流」伝承文化を大切ながばかりに咥えるようなまねを総じて日本人である私は断じて許容しないしだいにある。 生身の武道と伝統文化の伝承を混ぜて考えない事だな。
雅楽には雅楽の価値があり、ポピュラーには雅楽の一部を取り込んだとしても、雅楽とは自称してないだろう。
いまだに新作や改変しているような伝統文化はないんだ。 竹内流というなら保守でいくしかない。
それを身につけた人々が竹内流を応用した現代武道を創始するのは勝手だ。
つまり小野流や小野流東京派と名乗って創作活動を始めれば問題ない。 いかにもである。竹内流の継承については家傅「一子相伝」である。家傅継承一子相伝であるからには暖簾分けなどする理由が見当たら無い。また、家傅は一子相伝における師弟間での免許皆伝というは独り立ちへの一歩を促し「一流一派」を立てても申し分ないとの意味だが、そこには「一代限り」の制限が述べられていることが竹内流の特徴である。
以上のことはは当たり前であり、竹内清太夫が当時実践したものが、やがて四半棒、鎖鎌だなどと、とんでもない竹内流として「なぞらえられ、偽装され」た今のものの言責を竹内流宗家方が担う義理も理由も無い。
備中伝が竹内清太夫を初代として数えるならば、まだ話も理解できようが、今もって甚だ納得のいくものでは無い。 備中伝が自分たちの道場で古い技を改変するのは自由だが、それを習った人にわざわざ竹内流を修行したとして状を与えることには違和感を感じるな。 ストーカーからググってみると
ストーカーで連想する言葉がでてきた。
しぶとい
海千山千の商人
あの手この手(で)
手を替え品を替え
性懲りもなく
したたか(な商売人) だそうです。 竹内流じゃないのに竹内流の状を与えられた人も迷惑
あとで詐欺みたいな師範に習っていたことを知り、恥ずかしい思いをするわな
まぁ長く続けるには小野門は薄っぺらで口先だけ
って感じかな なんというか、過去スレの内容の有用な情報のところを外国語に翻訳して、
それを外国の武道に関係する情報サイトに掲載することは抑止になると思う。
外国の有志が騙されて日本に来てしまう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています