って言ってもバカには理解できないだろうから、船越と公相君の型を例に説明してやるよ。

俺が「公相君なんてのは戦後になって作られた型で、そんなのは戦前には存在しない!」と言ったところで
戦前に出版された船越の本には載ってるわけよ? その船越の本は戦後に作られた本で、実際に戦前には出版されていなかった!
と言っても、船越の本は戦前に出版されてる記録もあるし原本も大量に残ってるわけよ。なんなら当時の新聞にも記載されてる。

さらに言えば、船越以外の人間も(多くは大学関係の空手部で)、公相君という表記をあちこちで使ってるから記録が残ってるのよ。

つまり、公相君がいくら戦前に存在しなかった、と言ったところでこれだけ明確に証拠があれば誰も否定できないんだわ。

では、戦前に沖縄の唐手家100人がみんなやっていた「運個」という型がある!と俺が自費出版で本に書いたらどうよ? それ信用できる?

本当にそんなものがあるなら、当然戦前にたった一行でもいいから運個の名前の表記ひとつあってもおかしくないんだけど
存在しないんだわ。で、バカなヤツが言うのよ「運個の型が嘘と証明された訳じゃない」ってね。
お前が運個の型をウソって証拠を揃えて証明しない限り、運個の型は存在した! と言うわけ。

これがどんなに頭のおかしい事か分かる? そんなマネせずとも、戦前にも存在しましたよ、と
運個の型が載った記録を「ある」と証明する側が複数出せばいいだけ。

松村と牛の話は有名だろ? あれは実際にあったかどうかはともかく、そういう逸話として戦前の時点でも
存在したから当然記録もあちこちに残ってる。そこに信憑性が担保される。では股くぐりの話は?

そうでなくてもサンチン裁判なんて創作話を空手名人列伝の著者である左久田さんはやっちゃってる前科があるわけよ。お分かり?