柔術的には「手首を極める」ってのは型の流れの中の一段階って考えもあるよね。
二教の手首を極めてそれで終わりって教え方はしていないからね。
だから二教が極まらなくても崩すことが出来りゃいいって教える人もいないでもない。

でも、二教をちゃんと極めることが出来る人と、極められず崩すところまでしか出来ない人の間には
超えられない壁を感じるんだよなあ。